空コレ第二弾 ---空を忘れている人たちへ

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 他
空コレ第一弾を今年の1月にやった。あれから半年経って、空写真の在庫がたまってきたから、そろそろまとめて出しておくことにした。
現代社会において、空ばかり見てるような人間はよほどの暇人だ。空ばかり撮っている人間は更にその上をいく。忙しい人たちに代わって、暇人の私が空の写真をお届けしたい。
まずは流氷雲から。これは昨日の夕方の空だ。空を覆っていた雲が割れて、海に浮かぶ流氷のようになった。ほんの短い時間の光景だったけど、同じ空を見ていた人がどれくらいいただろう。
近くにいた小さな子連れのお母さんが、きれいだねぇと子供に話しかけていた。たぶん、子供はちゃんと見ちゃいなかったし、大人になって覚えていることもないだろう。私も、子供の頃に見た空なんて、まるで思い出せない。
一番最初の空の記憶は、せいぜい中学生くらいのものだ。それも具体的なものじゃない。

空の破れ目から、光が差す。そこに特別な意味はなくても、神々しさのようなものを思う。天使の梯子は典型的なものだ。
暗い世界に注ぐ祝福の光というのはこういうものかもしれないと思うからだろうか。

夕焼けになり損ねた夕空も、ちょっと惜しいなという意味で惹かれるものがある。もう少しだったのにと思って、そこに可能性を感じる。
今日を生き延びて明日に辿り着けば、明日こそいい一日かもしれないと希望を持つ。

昔の人は、障子によって切り取られた風景を見て、それを絵画に見立てて楽しんだ。
今を生きる私たちは、ビルや高架道路によって切り取られた空に絵画的なものを見いだす。
子供の頃思い描いていた21世紀の風景とはだいぶ違うけど、これこそが21世紀初頭を象徴する空風景に違いない。

小さな空も、狭い空も、空は空。
井の中の蛙も、空の広さは知っていた。
私たちも、この空が世界中とつながっていることを知っている。

固い空というのはないのだけど、柔らかい空というのはある。
今日の夕空は柔らかいと思うことがある。たおやかというか、しなやかというか、物腰の柔らかい空はいい。

夕焼けのイメージは人によってずいぶん差があるのだろうか。
一般的には赤だと思うけど、オレンジもまた紛れもなく夕焼け色で、みかん色という言い方も情緒的だ。
完全なる夕焼け空というのは、年間でもそう何日もない。だからやっぱりそういう空は貴重なのだ。

燃えるような空という表現がある。これなどはそういう空だ。
何故人は燃える夕焼け空を見て怖いと思うのだろう。もし地獄というのがあったとして、空は案外こんなきれいな夕焼け色をしているのかもしれない。
美しさがある種の恐怖感を呼ぶこともある。

ピンクブルーの夕焼け空が一番好きで、私はこれを幸せ色と呼んでいる。どうしてこの色を見ると幸せな気持ちになるのか、自分でもよく分からない。幸せの記憶と直接結びついているわけではないから、色そのものから受ける印象なのだろう。
空の写真をよく撮っているつもりでいるけど、それほどでもないことに気づく。特に空だけを撮る機会というのはそれほど多くない。空を撮りたくなるのは、広い場所に立ったときと、超広角レンズをつけているときだ。
夏は朝焼け空がいい。朝焼け色に染まる空は、夕焼け以上に感動的で、見ている人が少ないと思うから、余計に得した気分になる。
このところ梅雨空が続いて、すっきり晴れた青空を見ていない。でも、この空も、あと2週間くらいのものだろう。梅雨が明ければ嫌というほど青空を見ることができる。入道雲も楽しみだ。
今年中に空コレ第三弾をやりたい。いい空があれば積極的に撮っていくことにしよう。
日々の忙しい暮らしの中で、空を忘れている人たちに、空コレをお送りします。
























