現身日和【うつせみびより】
この世界にはたくさんの美しいものや面白いものがあることを知るための毎日であれば、それは楽しくて幸せなこと。
知られざる魅惑のレトロ町津島市本町を散策するの巻 <前編>
2008年05月17日 (土) | 編集 |
津島本町1-1

PENTAX K100D+smc Takumar 28mm f3.5



 愛知県南西の津島市にレトロな町並が残っているのことを知ったのは、ほんのつい半月ほど前のことだった。ゴールデンウィークに出かけたい地元の知られざる名所という特集を見て、初めて知ったのだった。これはぜひ行ってみなければならないということで、天王川公園に藤を見に行ったときそちらも散策してきた。むしろ藤よりもそちらの方が主な目的だった。
 今日はそのときの様子を報告したいと思う。写真の枚数が多くなったので、前後編に分けた。前編は家並みと商店などを中心に、後編は神社仏閣や銭湯などの紹介になる。
 主な散策スポットは、天王川公園の東側の下街道エリアと、天王通りを挟んで北側の上街道エリアで、本町筋(ほんまちすじ)と呼ばれる本町1丁目から3丁目にかけてだ。
 このあたりは道が細く曲がりくねっていて、つながりや方角を見失いがちになる。地図をプリントアウトして持っていったにもかかわらず、何度か道に迷った。完全な町並保存地区というわけではなく、観光地でもないから、現地で散策マップが用意されているようなことはない。出かけるときはある程度予習して、地図を持っていった方がよさそうだ。

津島本町1-2

 多少なりとも観光客を意識しているようで、辻にはこんな案内標識も立っている。でも、これだけではよく分からない。散策マップの看板のようなものもない。
 見所は、緩く弧を描きながら南北を貫いている本町筋沿いに多い。でも、それだけでは見逃すものがたくさん出てくるから、やっぱり地図持参で行きたい。
 津島の町は歴史が古く、津島神社の参道として発展し、江戸時代を経て、現在に至っている。津島神社の創建は、公式記録に初登場するのが1175年というから、平安末期の創建なのだろう。かなりの歴史だ。
 鎌倉時代に整備された旧津島上街道は、東国と京都を結ぶ古東海道の一部で、尾張の清洲と伊勢や桑名の中継点だった。佐屋街道から分岐した津島下街道との合流点近くに本町がある。
 戦国時代は、織田家が津島神社を氏神として社殿を整備し、秀吉や秀頼が楼門などを寄進したことでますます発展した。
 江戸時代になると、津島と名古屋城下を結ぶ街道として町家などが立ち並ぶことになる。現在残されている古い町並みは、その頃の名残だ。
 巡見街道とも呼ばれるのは、江戸時代に幕府の巡見使という役人が視察のために訪れていたからだといわれている。
 本町筋が蛇行しているのは、かつてここには天王川が流れていて、その堤防沿いにできた道だったからだ。もう一本あった佐屋川と共に今はもう埋め立てられ、天王川公園の横でせき止められて一部を残すのみとなった。
 明治の濃尾大震災と伊勢湾台風で壊滅的な被害を受けつつも古い町並みが残ったのは幸運だった。伊勢湾台風のときは町が全部水に浸かったという。
 津島駅を出て真っ直ぐ西に向かうと津島神社にぶつかる。その道は天王通りとして整備され、街道沿いは近代的な町並になっている。ほんの一本内に入ると古い町並みが色濃く残っているということは、あまり知られていない。これだけ名古屋市内と近郊を散策している私でも知らなかったくらいだから、一般的な知名度はかなり低そうだ。

津島本町1-5

 中日新聞に載っていた写真はこの場所だ。地図上でいうとどこになるんだったか。たぶん、本町1丁目だったと思うのだけど、ちょっと自信がない。左が津島神社とあるから、天王通りから少し上に入ったところだろうか。
 古い町並みといっても、残っているのはごく一部で、新しい家並みと共存している。昭和の面影も残しているから、そういう部分でも懐かしさを感じる。
 完全に生活圏なので、生きている町を見ることができる興味深さと、観光客として写真を撮っている場違いな自分の居心地の悪さと、両方を感じることになる。このときは平日の夕方ということもあって。

津島本町1-3

 個人商店で頑張っているところがたくさんあって、しかも何を売っている店なのかよく分からないところもある。ここはお茶屋さんだったのか。
 写真を撮ろうとしたら店の中のおばさまが私に向かって手招きをするから何だろうと思って近づくと、私ではなく私の後ろにいた知り合いのおばさまを呼んでいただけだった。ちょっとひるんだ。写真なんか撮るんじゃないと叱られるのかと思った。
 きっと昔から商売をしているところがほとんどだから、近所のおつき合いで成り立っているのだろう。よそ者がわざわざこんな中まで入ってきて何かを買っていくとも思えない。

津島本町1-4

 街道沿いといっても宿場町として発展したところではないから、町屋が多い。残っているのは米商人や綿糸など繊維関係の商家だろう。
 平屋と二階建てが混在し、どの家も格子造りになっている。
 古いながらも大部分は改築するか修理するかで現役の家屋として使われているようだ。表から見える部分は古さを残して、内装は現代風になっているのかもしれない。町並保存への協力姿勢も見られて、エアコンの室外機も格子で目隠ししていたりする。

津島本町1-6

 わっ、すごい、やるな、と思わせる洋服屋さん。洋服屋なんていったら失礼か。呉服屋さんだ。戎(えびす)に徳で、エビトク呉服店とでもいうのだろうか。
 品揃えは私が子供だった時代のものよりも古そうだけど、地元の人御用達の店なのか。お得意さんが着物などを買いに来るというのは充分考えられる。
 これは昭和の面影というよりも、もっと古い時代から続く呉服屋さんだろう。ひょとすると創業は江戸時代かもしれない。
 私が中学生のときに流行った、ちょっと光沢のある薄手のハイネックが今でも売ってそうだ。ドカジャンとかも扱ってるだろうか。

津島本町1-7

 手前が青果店で、右隣は呉服店だったか。手前の看板にある平徳呉服店というのがそれか。
 野菜屋、肉屋、魚屋と、昔はそれそれ専業だった。餅は餅屋というように、専門店で買うのが一番だった。スーパーなんて無粋なものが出てきて面白くなくなった。便利さと引き替えに失ったものは多い。
 本町界隈まではまだスーパーやコンビニが進出してきていないようだから、まだこういう店も商売をやっていけるのだろう。でも、駅前まで行けば、今はもう何でもあるんだろうな。

津島本町1-8

 薬局というか、薬屋さんと呼ぶのがふさわしい店構えだ。店に入ると誰もいなくて、大声でごめんくださいと呼ぶと、奥から白衣を着たじいさんがのんびり出てきたら完璧だ。どんな薬を出されるかちょっと心配だけど。
 ただ、薬局だけはドラッグストアができてよかったなと私は思ってる。矛盾するようだけど、薬やサプリメントなどは面と向かってあれくださいこれくださいとは言いづらいものがあるから。
 でも、こういう薬屋さんも町には必要だとは思う。

津島本町1-9

 糀屋とあるけど、何屋さんか分からなかった。創業安政2年といえば、幕末だ(1855年)。店の中を見ても、どんな商品を扱っているのか様子が知れない。
 帰ってきてから調べたら、糀は「こうじ」、つまり、麹を売る店だった。米麹とかの麹で、日本酒や味噌、しょう油などを作るときに使うあれだ。そんなものを専門に作って売ってる店があるなんて知らなかった。驚いた。そりゃあ、表から商品が見えないはずだ。
 津島の本町は、想像以上にディープな町だった。

津島本町1-10

 中日新聞の販売店までこんなことになっている。これは明らかに偽物風だけど、この町がここまで徹底してるという現れでもある。けっこう感心してしまった。
 これだけ頑張ってるんだったら、もっと宣伝して観光客を呼べばいいのにと、部外者の私などは勝手なことを思う。旧東海道沿いの有松くらいの知名度があっても不思議ではない。多彩な魅力という点では津島の本町もあちらに負けていない。

津島本町1-11

 これまた古典的な床屋さんだ。オレンジ色のビニールシートなどは、昭和も昭和、私が知ってるよりも古い年代の昭和を思わせる。
 ここでお任せしたら、ぺたっとなでつけたような七三分けと後ろは刈り上げられてしまいそうだ。頼めばパーマネントも当ててもらえるだろうか。アイパーとかかけられそう。

津島本町1-12

 すでに閉店して久しい様子の店舗に、くすりと笑いが漏れる。
 袋物って何だろう。巾着袋とかしか思い浮かばないのだけど、世の中には私が知らない袋物の商品がたくさんあるんだろうか。バッグのことか? いや、でもアクセサリーは英語なんだから、バッグならバッグと書くはずだ。ということは、やはり袋物を扱っていたに違いない。和装では一般的なのか。
 おしやれのやも大文字だし。

津島本町1-13

 喫茶店だったことまでは分かるけど、店名までは読み取れない。EMEで始まる喫茶店らしい名前ってなんだろう。EMERALDとかか。詩人のEMERSONの名を冠したとか。
 そういえば、この界隈は飲食店をほとんど見かけなかった気がする。外食の習慣がなくて、みんな家で食べるのか。宿場町とそうじゃないところは店の顔ぶれがずいぶん違うものだとあらためて思った。

 津島本町の前編はここまでだ。明日、後編をお届けします。
 感想や総括は、後編の終わりで。
 つづく。


手抜きじゃないけど今日はカルガモや花なんかの軽いネタを
2008年05月16日 (金) | 編集 |
5月の雨池-1

PENTAX K100D+SIGMA 400mm f5.6



 5月に入って、各地からカルガモの赤ちゃん誕生の便りが届き始めた。モコモコの毛並みをしたカルガモのチビがお母さんのあとについてヒョコヒョコ歩いている姿は、初夏の風物詩としてだいぶ定着してきた。皇居に引っ越しをするカルガモの親子のニュース映像を見たことがある人も多いんじゃないだろうか。
 あれは、三井物産のプラザ池という人工池で生まれた赤ちゃんが、皇居のお堀に引っ越すシーンだ。それをお世話するカルガモレディなる人がいることを知っているだろうか。カルガモを見守り、日記を付け、何かあればすぐに池に駆けつけるカルガモレディ。現在は、4代目の前島淑子さんという人が10年前から勤めている。毎年生まれるわけではないようなので、暇な年もある。
 私はカルガモの赤ちゃんというのはこれまで一度も見たことがない。だいぶ成長したチビは一度、グリーンピア春日井の池で見たけど、あれだけだ。今年こそどこかで見たいと思っていて、まず最初に思いついたのが雨池だった。そんなわけで、今日ちょっと様子を見に行ってきた。

5月の雨池-2

 うーん、いないか。カルガモの親は4、5羽いたのだけど、池の中央あたりでのんきに浮かんでいるだけだった。子育てしてるような緊張感は見られない。ぐるりと池を一周してみても、赤ちゃんがいるような気配はなかった。今年は生まないのか、まだこれからなのか。カルガモの産卵期は、4月から7月までと期間が長いから、まだ可能性はある。
 池の上ではさかんにツバメが飛び交っていた。水面近くにいる虫でも捕まえていたのだろうか。スピードが速すぎて狙って撮るなんてことはとてもできない。レンズを構えて偶然ファインダーの中に入ってくるのを待つしかない。そうやって撮れたのが上の写真だ。見えるだろうか、右下に写ってる黒いやつ。飛ぶツバメだ。
 これはかなり距離があったからなんとか入ったけど、10メートル以内の至近距離でツバメを撮るのは至難の業だ。ツバメの流し撮りなんてできたら、すぐにプロスポーツカメラマンになれる。明るい条件のときに、待って速いシャッター速度で撮るしかない。偶然頼みになる。
 4月に尾張旭の田んぼに行ったときはツバメがやけに少なかったけど、今頃は数が増えただろうか。
 ケリの子育ても気になってるし、長久手の田んぼのアマサギもそろそろ見られるかもしれない。

5月の雨池-3

 ふいにカルガモが飛び立った。何かに驚いたというわけでもなく、以心伝心2羽同時に。鳥同士は鳴き交わさなくても意思の疎通ができる。互いに気配を読み取るんだろうか。

5月の雨池-4

 露出を間違えて、ものすごく白飛びした上に、ピントも合わず、手ぶれも起こした。けどその三重苦がソフトフォーカス効果を生んで、怪我の功名的な面白い写真になった。最近、ソフトフォーカスレンズが欲しくなっている私としては、こういうのを見るとますます買いたくなってくる。ソフトフィルターでは物足りないから、やっぱりレンズだ。

5月の雨池-5

 完全に眠りこけている黒猫を発見。首輪もしてないし、体つきからして野良だろう。
 すごく無防備なようだけど、人が入っていけないようなところだから大丈夫。それで安心しきってたんだな。
 野良にとっても今は一番いい季節だ。今日は暑くもなく、寒くもなく、ポカポカして気持ちがいい5月の一日だった。

5月の雨池-6

 こちらはいい体格をした猫だった。毛並みがきれいだから、飼われているものじゃなくても、人にメシをもらってるやつだろう。でもちょっと警戒気味。私が向けたミニバズーカのレンズに恐れをなしたか。
 このあと、ササッと草陰に駆け込んでいった。外にいる猫はそれくらい警戒心が強い方が長生きできる。人なつっこいのは人間にはかわいがられるけど、危険に対して鈍くなってしまうから危ない。

5月の雨池-7

 水辺にたくさんのキショウブ(黄菖蒲)が咲いていた。ヨーロッパ原産で明治になって日本に入ってきたものだから、自生しているはずはない。誰かが最初に植えたものが野生化して増えたのだろう。
 花にしても生き物にしても、なんで外国産ってこうも強いのだろう。生き残り勝負になると、日本産のものはたいてい負けてしまう。キショウブも強い花で、全国各地で野生化している。一方で日本に古くからあったカキツバタなどは減少する一方だ。

5月の雨池-8

 ムラサキツメクサもたくさん咲いている。シロツメクサと共に、いわゆる三つ葉のクローバーの花だ。
 白は日本産で、紫は外国産、ではない。両方ともヨーロッパやアフリカ原産で、明治に肥料として持ち込まれたのが最初とされている。今や日本全国で雑草のように野生化している。
 シロツメクサは背が低いけど、ムラサキツメクサはときどきびっくりするくらい背の高いやつがいる。最大で80センチくらいになるようだ。
 四つ葉のクローバーでも珍しいのに、たまに十葉クローバーなんてのが見つかることがある。そこまでいってしまうと幸運だかなんだかよく分からなくなってしまうけど。

5月の雨池-9

 これはよく見かける黄色い花の八重咲きのものだと思うんだけど、いつも名前が分からない。
 コレオプシスというやつかな。違うかな。保留。

5月の雨池-10

 今日は飛行機雲がなかなか消えずに残って、何本も空を横切っていた。明日の天気予報は晴れだけど、天気は崩れるんだろうか。
 ぐいんとカーブした飛行機雲はちょっと珍しい。旋回して小牧空港へ向かったか。

 カルガモの赤ちゃんは残念ながら見つけることができなかった。他を当たらないといけない。近場なら、香流川、矢田川、白沢渓谷あたりか。グリーンピア春日井は今年はどうだろう。ネットの情報を探りつつ、中日新聞にも期待しよう。地元の小ネタは中日新聞にお任せだ。
 ここのところ長々とした更新が続いたから、今日は軽めで、これでおしまいにしよう。たまには読む方としても楽したいはず。いやいや、私が怠けたいわけではないですよ。明日からはまたビシッと長く書こうではないか。神社仏閣、歴史ネタになると長くなるから、そのあたりで攻めようか。


早朝の光の中で見る名古屋駅の風景は新鮮で少し非現実的だった
2008年05月15日 (木) | 編集 |
朝の名古屋駅-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4



 名古屋駅の朝5時半。東京とは違い、まだ街は完全に目覚めきっていない。道行く人もまばらで、車も時折思い出したように通りすぎるだけだ。何より、とても静かだ。夜が早いといわれる名古屋は、朝も遅い、よく眠る街だった。
 家に帰るためのバスも地下鉄も、6時を過ぎないと動き出さない。それまでの30分間、ぼんやり途方に暮れているのも能がないということで、名古屋駅周辺の写真を撮ることにした。もちろん、こんな時間に駅の写真を撮ってる人間など私の他にはいない。そもそも歩いてる人自体ほとんどいないのだから。
 私の写真の大部分は午後で、その多くが夕方の光の中で撮られている。遠出したときは午前中の写真もあるけど、朝の写真は少ない。ましてや早朝の写真などほとんどない。そういう意味では、今日の写真は珍しいものでもあり、私にとって貴重なものでもあった。
 早朝の光というのはまた独特で、夕暮れとは質感が違っている。朝焼け色も、夕焼け色とは別のものだ。すごく新鮮に感じた。そのあたりが伝わるといいのだけど。
 上の写真は駅裏の太閤通口がある方だ。太閤というのは、あの太閤秀吉の太閤で、秀吉は名古屋駅裏で生まれたから、そこから名前が取られている。
 最近の私は駅前よりもこちらの方に来ることが多い。新幹線のホームがあるのもこちらで、ビジネスホテルや予備校、飲み屋街などもこちらに集まっている。ビックカメラやソフマップがやって来て以来、やや電気屋街的な性格も持つようになってきた。
 昔はガチャガチャして汚いようなイメージがあったけど、最近はえらく小綺麗になった。ただ、駅裏の街の開発はあまり進んでおらず、ちょっと中にはいると昔の面影が色濃く残っている。高層ビルやビジネス関係のものはほとんどが表側に集中していて、高層ビル化の波もこちらまでは押し寄せていない。

朝の名古屋駅-2

 ホームで出発を待つ新幹線。確か、始発はどこ行きも6時20分だったんじゃなかったか。6時くらいのものがあってもよさそうだけど、新幹線は速いから、そんなに早く出発したら到着時間が早くなりすぎる。名古屋から京都まではのぞみなら30分だから、6時に出たら6時半に着いてしまう。その時間では現地でちょっと困りそうだ。
 しかし、新幹線も速くなったものだ。名古屋から東京まで1時間40分ちょっとでいくようになった。リニアモーターカーの東京と大阪1時間というのも、そう遠くない将来に実現するのだろう。
 左に見えているのは、ゆりの噴水と、その向こうはルーセントタワーだ。ゆりの噴水は、どういういわれで、いつできたのか、私は知らない。そんなに昔からあったような気がしないのだけど、気づいたときにはそこにあった。
 ルーセントタワーは、2007年に完成した地上40階、高さ180メートルで、超高層ビルというにはやや高さが足りず、地味で目立たない存在だ。オフィスビルで展望台などがないので、一般人はほとんど立ち寄らない。地下や低い階に飲食店などもあるから、ビルそのものに入ることはできる。考えたら私はまだ一度も入ったことがない。一度くらいは行っておいた方がいいだろう。地下道のルーセントアベニューは、光と影で壁画を描いているらしいから、それも見てみたい。

朝の名古屋駅-3

 駅構内もこのがらんどうさ。電車が動いてないのだから、歩いているのは構内を通って桜通口の方へ行く人くらいのものだ。
 右に写ってる時計は銀の時計と呼ばれていて、一応待ち合わせスポットになっている。ただ、名古屋人の間でも認知度は低く、銀の時計なんていわれても何のことか分からない名古屋人も多いという。
 桜通口には金の時計がある。知らない人は両方知らない。よかったら今日覚えて帰ってください。

朝の名古屋駅-5

 桜通口はいつ行っても人が多くてざわついているのに、この時間はこの通り。こんなに閑散とした桜通口を見たのは初めてだ。かなり驚いた。夜中でももっと人が多い。
 そういえば、名古屋駅の構内って、何時から何時まで開いてるんだろう。かなり夜中まで開いてる気がしてたんだけど、閉鎖することってあるんだろうか。それとも24時間電気が消えることはないのか。夜中の2時、3時に名古屋駅あたりをうろついたことがないから、未知の世界だ。ずっと開いてる気もするし、開けておくのも無駄だし、どうなんだろう。ちょっと気になった。
 エスカレーターの前にある時計が金の時計だ。銀の時計とはデザインがずいぶん違う。

朝の名古屋駅-4

 このポスターを見て、わっ、やられたと思った。こんな場所があるんだ。知らなかった。
 写真では光の映り込みでよく分からないかもしれないけど、駅前の高層タワー全部と名古屋城が一つの画面の中にきれいに収まっている。この角度は知らないし、分からない。名古屋城がこれだけ大きく写ってるということは、名古屋城からある程度近いということになる。角度としては、名古屋城の東北ということになるんだろうか。しかも、これだけ高い視点からの撮影となると、かなり場所が限定される。そんなところはまったく思いつかない。
 黒川とかそのあたりだろうか。41号線のユニーの上の階なんてどうなんだろう。高さが足りないか。ひょっとして、かなり離れた庄内川沿いのザ・シーン城北という超高層マンションから超望遠で撮ったとかか。
 場所が分かればぜひ撮りに行きたいところだ。これは中部電力のポスターだから、中電に問い合わせたら教えてくれるだろうか。

朝の名古屋駅-6

 名古屋駅は表が東向きだから、こちらに出てくるともうすっかり夜が明けて明るくなっていた。
 左手に見えているのが大名古屋ビルヂング。これは私が物心ついた頃からあった。調べたらできたのは1965年だった。
 三菱地所所有のオフィスビルだけど、ここは名古屋駅前でも超一等地だ。売ったらいくらになるんだろう。かつてはこれでも高層ビルだったにしても、今ではすごく贅沢なビルになっている。こんな場所に、こんな背の低いビルがあるなんて。
 屋上は期間限定でビアガーデンになる。

朝の名古屋駅-7

 JRセントラルタワーズよりも2メートル高い、現在名古屋で一番高いビルがこのミッドランドスクエアだ(全国で5番目)。2007年に全面オープンした。
 セントラルタワーズの展望台がなくなってしまったから、今はミッドランドスクエアの展望台に登るしかなくなった。そのときの様子は以前にこのブログで紹介した。

朝の名古屋駅-8

 JRセントラルタワーズは、世界で一番高い駅ビル(245メートル)としてギネスに載っている。
 できたのは2000年だから、もう8年になるのか。当初はこんなもの名古屋に分不相応だという声が大きかったけど、今ではすっかり馴染んで、なくてはならない名駅のシンボルになった。
 かつては買い物といえば栄で、名駅は移動のための出入り口というイメージだったけど、最近では買い物も名駅という名古屋人が多くなった。これまでは地元企業の独占状態で安穏としていた名古屋に、外部から様々なものが入り込んできて、需要を活性化させたというのがある。タワーズに入っている高島屋も、最初はまず受け入れられないだろうというのがおおかたの意見だった。今や、松坂屋の包装紙にこだわるのは古い世代の名古屋人だけとなっている。
 展望台がなくなってしまったのはちょっと残念だ。登ったことはあるけど、ミッドランドスクエアと差別化を図って共存できなかったのか。流行ものに飛びついて飽きるのも早い名古屋人にしてやられてしまったという面はあるにしても、もう少し粘って欲しかったところだ。テレビ塔だって頑張ってるんだから。

朝の名古屋駅-9

 駅前通りの反対側も大きく様変わりした。昔は映画館街で、映画館が隣り合って並んでいたのに、今やヴィトンやディオールなどの海外高級ブランド店が入ったブランドビルになっている。いつからこんなことになったんだろう。変化の時期を私は知らない。
 お金持ちの名古屋嬢御用達の店だろうか。名古屋人の私も、名古屋の変化にはついていけてない。名駅は私にとっては移動の中継点で、遊ぶ場所じゃないから、ついていけないのも当然のことだ。栄もあまり行ってないけど、けっこう変わっているのだろう。

朝の名古屋駅-10

 今名古屋で一番新しい超高層ビルがこれ、モード学園スパイラルタワーズだ。2008年3月にできたばかりだから、私も完成した姿を見るのは初めてだった。建てている最中からその斬新なデザインが話題になっていたけど、できあがったのを見てよくこんなものを作ったなとあらためて感心する。ガラス面と内部の構造とのつながりがよく分からない。
 地上36階、高さ170メートルで、主に名古屋モード学園、HAL名古屋、名古屋医専の3つの専門学校から成り立っている。専門学校経営ってそんなに儲かるんだ。
 展望台などはないため、上に行くことはできない。ただ、地下や1階には飲食店が入っているから、一般も出入りできる。たぶん、セキュリティーが厳しくて、専門学校生のようなフリをしても途中で止められて上まで上がることはできないだろう。ビルに負けないくらい奇抜な格好をしていけば、ひょっとするとモード学園の生徒と思われてフリーパスになるかもしれない。

朝の名古屋駅-11

 人と車のいない名古屋駅というのは、人がいなくなった世界という設定の映画の中みたいだ。ちょっと非現実的な感じがした。朝の5時台に行けば、この光景が見られる。
 遠くに見えているのがテレビ塔だ。これが名駅と栄の距離感だから、歩いていく気にはなれない。この距離が名古屋に二つの繁華街を生むことになったのだけど、それがいいことだったのかそうじゃなかったのかは、なんとも言えない。二つの距離がもっと近くて一つになっていたら、名古屋はもっと早くに大都会らしくなっていたかもしれない。
 現在、駅の北にもう一本超高層ビル建設の話が出ている。旧名古屋中央郵便局がビルを建てるらしい。高い建物が増えて個人的に困ることは何もないから、どんどん建ってもらえばいいと思う。話題が増えるし、駅前もますます賑やかになる。

朝の名古屋駅-12

 名古屋人で知らない人はいないのに、全国的な知名度は今ひとつ低いナナちゃん人形。
 1973年スイス生まれで身長6メートル10センチ。もう35だけど、白くてスリムなボディは衰え知らず。
 名鉄セブンの前にあったからナナちゃん。名前は一般公募で決められた。
 季節ごとにいろんな衣装を身にまとうことでも知られていて、ときどきはニュースにもなる。夏は水着になり、冬はサンタ、ドラゴンズが優勝すればドラのユニフォームとお色直しに忙しい。着るものがないと、素っ裸になったりもするから油断がならない。このときはナゴヤ・エキトピアまつりのたすきをかけて、いち早く夏を先取りして赤いビキニを身につけていた。
 昔は名古屋駅の待ち合わせスポットの定番だった。9時にナナちゃんの下でね、みたいに言えば話は通じた。最近はどうなんだろう。
 そうえいばナナちゃんの場所変わったな。前はもっと向こうだった。今は名鉄バスセンターのエスカレータを降りてすぐのところに立っている。名鉄百貨店が大がかりなリニューアル工事をしていたから、それに伴って立ち位置も変わったようだ。一時は撤去されて姿を消していたらしい。

朝の名古屋駅-13

 駅裏と駅表の写真を撮りながらぷらぷら歩いていたら、バスが動く時間になってきた。さすがにその時間になれば名古屋の街も目を覚まして動き出す。太陽も昇って街も明るくなってきたところで、そろそろ帰ることにしよう。

 長かった激闘・河口湖編はこれでようやく完結となる。早朝の東京街歩きから始まって、亀戸天神の藤、河口湖へ移動してロープウェイ、遊覧船、流鏑馬、富士桜と巡って、池袋サンシャインのナンジャタウン、そして早朝名古屋駅散策と、ここまでが連続した日程だった。振り返ってみても、まさに激闘と呼ぶにふさわしい強行軍だったと思う。
 楽しくもあり、思い出深くもあった河口湖も、これで全部書いて自分の中で一区切りついた。もう気持ちを次へ向かわせよう。
 ネタとしては、津島のレトロ町、本町シリーズがあるから、まずはそれを紹介して、近い内にまたどこかへ旅に出よう。そろそろ歩きたくなってきた。




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