現身日和【うつせみびより】
この世界にはたくさんの美しいものや面白いものがあることを知るための毎日であれば、それは楽しくて幸せなこと。
曇天だから散策はやめて暮らしの中の日常写真を撮って並べてみよう
2008年05月31日 (土) | 編集 |
日常写真-1

KONICA MINOLTA α-7 DIGITAL+MINOLTA 50mm Macro f2.8 + Canon EOS 20D+90mm f2.8



 晴れたら夕方散策に出かけようと思っていたのに、見上げる空は曇天の灰色。一時的に日差しが戻ったと思ったら、またすぐに太陽が隠れてしまった。晴れていたら植物園へ行く予定だったけど、光がなければ面白くない。神社仏閣巡りも、光があるとなしとでは写真が全然違ってくる。どこへ行こうか、行こうかどうしようか迷っているうちに時間がなくなってしまった。散策は来週に延期だ。
 そこで今日はいつもと趣向を変えて、暮らしの中で撮った日常写真を集めて並べてみることにした。こういう写真は最近あまり紹介してなかった。

日常写真-2

 今日作っていた守山区の神社仏閣・歴史巡りの手製マップ。これだけ一度に回ろうとしたら大変だけど、2回か3回に分ければ回れるだろう。たぶん来週行くことになると思う。
 守山区の北ゾーンは、馴染みのある場所が限られていて、知らないところは全然知らない。歴史散策の見所を調べていて、こんなにもあったのかと驚いた。このあたりは古墳もたくさん見つかっている場所で、かなり昔から人が住んでいたようだ。その流れで、神社仏閣も多い。また行ってきたら、詳しく書こうと思う。

日常写真-3

 PC周りはこんな感じ。最近は黒で統一している。PC関連が白系だとなんとなく落ち着かない。
 マシンはIBMのNetvista、モニタはEIZOの液晶、キーボードはお気に入りのELECOM TK-P2109JPWB。マウスはMicrsoftの5ボタンで、これも黒。
 ミネラルウォーターはたまたま買ったもので、いつもこれを飲んでいるわけではない。気休めと分かっていても酸素入りのものが好きだ。飲むとシャキッとするような気がするから。まず気のせいだと思うけど。

日常写真-4

 最近、雑誌というものをまったく買わなくなった中で、唯一買ってるのが月刊テレビガイドの「TV Taro」だ。ネットで無料の番組表があるから一時買わなくなったのだけど、それだと見逃す番組が増えたので、やっぱり毎月買うことにした。紙媒体というのも、まだまだ捨てがたいものがある。
 観るか録画する番組を蛍光ペンで囲って忘れないようにしている。でも、よく忘れる。

日常写真-5

 ビデオデッキは消耗品だから、中古で安く買って、不調になったら売るというのを繰り返している。一時自分で修理することを趣味としていたけど、最近は面倒になってやってない。前は電源部のコンデンサ交換とかもやっていた。
 高級デッキはもったいないからもう買わないようにしている。VictorのX-3とか好きだったけど。
 今は丈夫なパナソニックを録画専用に使って、再生を東芝や三菱に担当させている。巻き戻しは日立に限る。巻きムラが一番少ないのが日立だから。

日常写真-6

 梅雨時が近づくと、ワッと咲いてくるイソトマ。咲き方はちょっと雑然としているけど、花は涼やかできれいな青紫だ。
 原産がオーストラリアというのは少し意外だった。でも、和製ではないとは思う。
 豪州の乾燥地帯で鍛えられているから、丈夫な花だ。他っておいてもよく咲く。

日常写真-7

 ビオラとパンジーの違いは、タカとワシの違いと同じで、大きさによって曖昧に区別されているだけだ。大きければパンジーで、小さいものをビオラと呼んでいる。タカとワシも、大きいのがワシで、小さいのがタカだ。細かいことをいろいろ違いはあるそうなのだけど、絶対に区別をつけなければいけないものでもないし、そのへんは適当でいい。
 これは小さめだからビオラだろう。一応の目安として、4センチを超えるとパンジーになるらしい。
 三色スミレという言い方も情緒があっていいけど、あれはパンジーを指す。三色は、「さんしき」と読むのが正式なんだとか。さんしょくでも間違いではない。

日常写真-8

 久々に登場のオヤブン。体長5センチくらいで槽の掃除屋さんという紹介だったのでものは試しと買ってみたら、すぐに30センチくらいに成長して、60センチ水槽では身動きもままらなくなったまま、かれこれ10年くらい生きている。特に掃除をしている様子はない。いつも土管の中に入ってじっとしている。
 大きな図体の割に臆病で、たまに出てきていても、私の姿を見るとあわてて土管の中に逃げていく。10年来の付き合いなのに、いまだに親しくなれていない。
 でも、いなくなると寂しいから、オヤブン、長生きするんだぞ。

日常写真-9

 たまにはアイも紹介しないといけない。
 カメラ嫌いは相変わらずだから、カメラを床に置いて撮ったら逃げなかったのでこれは上手くいったと喜んだら、ピントが合ってなかった。暗い部屋の中の黒猫ということでデジの露出も間違えていて、なんだかおかしな写真になってしまった。まあいいか。アイが黒目を大きくしてるところはなかなか撮れないから。猫は暗いところで黒目がちになってるところの方がかわいく見える。

日常写真-10

 夜、近所にヒメボタルを撮りに行った。去年教えてもらった場所に、今年もいた。小さい光がフラッシュのように点滅している。
 ただ、今年はまだ気温が低いこともあるのか、数は少なかった。8時台という時間も早かったかもしれない。もっと暑い日にもう一度出直したい。もうピークは過ぎてしまったのだろうか。

日常写真-11

 かなり近くから撮ることができた。使ったレンズはタムロンの90mmマクロで、f3.2のISO800でシャッター速度は30秒。地面で動かなければ暗がりでも充分撮れる。
 ヒメボタルのメスは羽が退化して飛べないから、こうして地面で光ってオスを待つ。オスは光りながらゆっくり飛ぶので、その姿が幻想的だ。今日はオスが飛んでいなかった。
 ヒメボタルはかなり限定された場所にしか生息していないから、なかなか見るのが難しいかもしれない。名古屋では天白の相生山緑地が一番有名だ。あそこも2回行ったことがあるけど、当たり外れが大きい。名古屋城の堀にもいるらしい。

日常写真-12

 手作りのココア団子。
 ずっと以前にういろうを作ったときに使った上新粉が出てきて、それを使って団子を作ってみた。カタクリ粉と砂糖、水を混ぜて、鍋でゆっくり加熱すると固まってくるので、それを冷まして団子状にしたらレンジでチンして、あとはココアをまぶせばできあがり。簡単だ。
 モチモチの和風食感とココアの洋風味の組み合わせはちょっと新鮮だった。混ぜるものやまぶすものでいろいろ応用もできるのでオススメしたい。

 そんなこんなの日常写真、たまにはこんなネタもいいかな。月一では多すぎるけど、3ヶ月に一度くらいなら。そのときのために日々の写真を撮りためておこう。
 以前はこういう一枚の写真で一ネタにしてたのだった。いつからか、文章が長くなり、写真の枚数が増えていった。今後どうなっていくかは、私にも分からない。どんな形になっても、続けられるだけは続けようと思っている。
 毎日の中に新しい発見や知ることの喜びがあって、書き手である私と読み手であるあなたとが、それを共有できたら幸せなこと。


冬の朝6時は誰もいない教室のように静かだ
2007年11月24日 (土) | 編集 |
小学校教室

PENTAX K100D+smc Takumar 50mm f1.4



 奈良行きの朝、時間もないのに更新してみる。朝の6時。誰もいない教室のように外はまだ静かだ。
 さて、それじゃあ、そろそろ着替えて出かけよう。
 奈良の空は秋晴れだろうか。


初めて作った招き猫土鈴は地蔵猫となって笑いという福をもたらす
2007年06月09日 (土) | 編集 |
猫土鈴-1

PENTAX istDS+Super Takumar 50mm(f1.4), f1.8, 1/20s(絞り優先)



 少し前に瀬戸の窯垣の小径ギャラリーで、招き猫の土鈴(どれい)を作ったという話を書いた。それが焼き上がったという連絡を受けて取りに行ってきた。それがこいつだ。自分で作っておきながら、見るたびに笑える。おまえは誰だ、と思う。土をこねればこねるほどに猫から遠ざかって別の生き物になっていくのをどうすることもできずにこんなことになってしまった。ちょっとネズミの血が入ってるような気もするんだけど、猫以外の何かかといえば、やっぱり一応は猫の範ちゅうに入ることになるだろう。でも、どこか猫じゃない。おまえは一体何者なんだ!?
 去年、もらった義理チョコを溶かして固めてチョコ招き猫を作ったのを覚えている人もいるかもしれない。あれと比べたらだいぶ進歩してるし、猫らしくもなっている。このまま招き猫制作を続ければ、いつか私も猫らしい猫が作れるようになるだろうか。
 しかし、猫を毎日見てるわりにはいざ猫を作ろうとするとどこがどうなってるか分からないものだ。鼻のまわりとか、ヒゲの位置とか、耳の形とか、正確に思い浮かべることができない。今回作った招き猫の一番の問題点は、耳だった。帰ってきてからアイの耳を見たらこんなふうではなかった。もっと頭の後方にあって、後頭部から真っ直ぐ伸びている。耳だけびよ〜んと取ってつけたようについてはいない。頭と一体化している。
 こいつ自身はちっとも猫らしくないくせに、いたってのんきな顔で微笑んでいる。これでいいんじゃよと言わんばかりに。右手は福を招いているというよりも挨拶で手をあげただけみたいだ。

猫土鈴-2

 猫土鈴を作ったのは4月15日だった。たまたま窯垣の小径をツレと訪れた日に陶祖まつりが行われていて、窯垣の小径ギャラリーを通りかかったとき、「土鈴作り体験500円」という貼り紙があるのを見つけて、やらせてもらうことにしたのだった。あとになってみると、これはとても素敵な偶然だった。事前にこんな情報はまったく知らなかった。代金500円という格安さに惹かれたというのもある。
 土鈴作りなどもちろん初めてで、土鈴なんて言葉さえ知らなかった。その存在さえも。なので、作家さんに一から教えてもらって、結局1時間ちょっとかかった。でもこれがすごく面白かった。学校で好きだった美術や図工の時間を思い出して楽しかった。久しく自分ではそんなことをやっていなかったことに気づく。最初は軽い気持ちで始めたものが、最後は思わず熱くなって夢中になって作っていた私であった。

猫土鈴-3

 ギャラリーの中では、作家さんたちの作品が展示されていて、気に入ったものがあれば買うこともできる。手前の動物たちが教えてもらった作家さんの作品で、その他普通の陶器や小物類などを作っている人もいる。
 ギャラリーの開催は不定期で、今回の展示はすでに終了してしまった。次回の予定はよく分からない。
 窯垣の小径ギャラリー自体は基本的に毎日開いていて(不定休)、確かカフェのようになっていたと思う(不確か)。

 土鈴というのは私同様、知らなかったという人も多いんじゃないかと思う。けど、世の中には土鈴好きな人がたくさんいるようで、ものすごくいっぱい集めている愛好家とかもいるらしい。何百個も持っている人とか。岐阜県の郡上市には「日本土鈴館」なるものまであって、館長が集めた全国各地の土鈴1万6,000点が展示されているんだとか。同じような規模の「志摩・鈴ミュージアム」というのも三重県にある。私たちの知らないところで、世界は土鈴に満ちていたのだ。
 土鈴の歴史は古く、縄文時代にまでさかのぼるという。縄文人たちも土器を作るついでに土の鈴を作って遊んでいたのだ。遊びや趣味というだけではなく、祭礼にも使われたといわれている。鈴の音で悪魔を祓い、幸運を呼び寄せると昔の人たちは考 えていたらしい。奈良時代の遺跡などからもたくさん見つかっている。持ち歩いて熊除けなどにも使われていたらしい。
 そういうことから、神社仏閣のおみやげコーナーではたくさん土鈴が売られているんだそうだ。今まで気にしたことがなかったからまったく知らなかった。神社仏閣好きの私ともあろう者が不覚を取った。その他、観光地のみやげものや郷土玩具としてもたくさん作られている。
 振るとカランコロンと軽やかな音がする。風鈴よりももっと素朴で、日本人の遺伝子には懐かしく響く。鳴ってこその土鈴、鳴らなければただの陶器の置物。

猫土鈴-4

 これが制作風景だ。このときはまだちょっと大きい。焼くと縮んで小さくなる。土のときはけっこうツルツルだったのに、焼き上がると表面はザラザラになった。削ってきれいにした方がいいんだろうか。色を塗るとまた違ってくるのだろう。
 作り方は、まず湿らせた新聞紙で玉をくるむ。そして、皿状にした土を伸ばしながら新聞紙の上から覆ってボール状にする。こうすると焼いたときに中の新聞紙だけが燃えて、空洞ができて中で玉が鳴るというわけだ。なるほど、上手く考えた。
 丸い状態から猫の形にしていくわけだけど、これがなかなか手強い。粘土と違って土なので、思い通りに変形してくれない。凹凸をつけるのさえままならないくらいだ。伸ばすことはまず無理。なので、パーツは別に作って貼り付けていく。ここに不自然さの要因がある。粘土だったらもう少し上手く作れたはずなのに。
 くっつけたところのまわりに土を足したり、水で濡らしてならしていく。ここでしっかりつけておかないと焼いたときに取れてしまうそうだ。最後にヒゲと目を描いて完成だ。ヒゲがヨレた。波打ったヒゲも間抜けな感じに拍車をかけた。

猫土鈴-5

 右のはツレが作った眠り猫。同じ作家さんに手ほどきを受けて、同じ招き猫を参考にして作ったのに、こんなに違う仕上がりになった。人の猫に対するイメージって意外と幅広い。これが手作りの面白さでもある。作家さんも同じものを作っても毎回どこか違っていると言っていた。
 それにしても、作っていてだんだん悔しくなってきた。もっと上手く作りたいのに作れないもどかしさで。作り終わってすぐにもう一個作りたくなったくらいだ。でも、ここで時間切れ。今回のものは今回のもので味ということにしておこう。

猫土鈴-6

 見る角度によって様々な表情を見せる私の招き猫土鈴。この角度から見ると、ウルトラマンポーズだと写真を撮りながらひとりでうけていた。ラジオ体操をしている猫人間みたいでもある。福を招いている感じはなくても、見てると笑えるということは、それだけでもちょこっと幸せを運んできてくれていると言える。笑う門には福来たる。
 ツレはこれを見て、お地蔵さんみたいだと言った。確かにヒゲを落書きされたお地蔵さんがいたらこんな感じになりそうだ。これはもはや猫神様と呼んでもいいかもしれない。上から見ると笑っている猫土鈴は、下から見ると瞑想しているようだし。毎日こいつに向かって拝んでいるといいことありそう。
 またぜひ猫作りに挑戦してみたい。今度こそリアル猫を作ってみせる。もう猫らしくないとは言わせない。目だってパッチリ開いたやつにするのだ。2007年秋、二代目猫土鈴を乞うご期待。


壊れかけのビデオデッキを直して集めて使って次の50年へ
2007年02月09日 (金) | 編集 |
終わりゆくビデオデッキたち

Canon EOS Kiss Digital N+EF-S 18-55mm(f3.5-5.6), f5.6, 1.0s(絞り優先/三脚)



 私のささやかな趣味のひとつとして、壊れかれのRadioならぬ壊れかけのVideoを直して使うというのがあるのをご存じだろうか。ご存じないですか。それはいけません、ぜひ頭の片隅にとどめておいてもらわないと。実はそうなんです、2、3年前の一時期、それがメインの趣味だったこともあるくらいなのですよ。
 脳が純文系なのでくわしいメカのことが理解できず、一定以上壊れているものは直せないのだけど、壊れかけくらいなら直せたので、どんどん買って直していたらいつの間にか部屋がビデオデッキだらけになっていた。怪しいビデオのダビングを商売にしてる人みたいだ。いや、もちろん、そんなことはしていないですよ。
 主にオークションで買っては売って、売ってはまた買ってというのを繰り返して、今は10台体制で落ち着いている。これだけあるとビデオ録画に不自由しない。民放とNHK、BSとWOWOWあわせて全部で10チャンネルあるから、同じ時間に10番組観たいものがあったとしても大丈夫なようになっている。
 テレビっ子という言葉はよく聞いてもビデオっ子という言葉はあまり聞かない。けど、世の中は広くて、そういう人種はけっこうたくさんいるのだ。上には上がいるというのはどの世界にも言える。私などは全然ライトな方で、ビデオに対する強いこだわりがあるわけでもない。高級デッキを集めてるとか、画質について熱く語るとかそういうレベルではないので安心して欲しい。わー、逃げないでー。
 何故ビデオデッキが好きなのか、自分でもよく分かっていない。たぶんそんなに好きじゃないと思うのだけど、10台も持っていてそんな言い逃れはできまい。だから、たぶん好きなんだと思う。どう考えても10台は必要ない。

 初めてうちにビデオデッキがやって来たのは高校1年のときだった。ようやくビデオが一般に出回り始めた頃で、中級機でも20万円もした時代だ。レンタルビデオ屋が近所に一軒初めてできたのもその頃だった。ビデオを1本借りるのに2,000円とかしたのも、今となっては信じられない。
 それにしてもビデオは画期的だった。観たい番組が重なったときはどちからをあきらめるしかなかったものも録画して観ることができるのは嬉しかったし、テレビにあわせて家に帰らなくてもいいというのは気持ちをずいぶん自由にさせてくれた。それまではテレビ番組に合わせて生活していたのから。
 最初に買った機種がなんだったのかはもう覚えてない。つき合いのあった電気屋から買ったから三菱だったことは間違いないのだけど。あれは何年くらい持ったんだったか。
 自分専用のビデオデッキを買ったのはいつだっただろう。大学に入ってからだったか。その頃には、生活の中にビデオは完全に入り込んでいて、なくてはならないものとなっていた。ビデオが壊れたときは悲しくてご飯も食べられなかったくらいだ。多少安くなっていたとはいえ、まだ10万円以上していたから今のように簡単に買い換えるわけにはいかなかった。

 世の中にビデオデッキというものが初めて登場したのが1975年のことだ。ソニーが発売した、今は亡きBetaシステムのSL-6300で、翌年ビクターが追いかけるようにVHSのHR-3300を出した。それからしばらくの間、Beta対VHS規格闘争が続くことになるのだけど、これも今となっては昔話だ。20代の人はBetaを知らないかもしれない。私たちの頃でもBetaはもう半分死に体だった。友達が何故かBeta好きでたくさん映画を録画して持っていたのだけど、それが借りられずに残念だったのを覚えている。レンタル屋でもBetaコーナーは隅に追いやられて日陰者となっていたので、ますますBeta人口は減っていった。それでも愛好家に支持されてほそぼそと生産は続けられていたようで、2002年にソニーがBetaの生産中止を発表したときは、まだ作っていたのかと驚いた。
 その後3倍録画やS-VHSの登場があり、ビデオも各社激しい競争の時代に入り、価格もどんどん下がっていった。その一方で、のちにバブルデッキと呼ばれるビデオも誕生している。ビクターのHR-2000や、松下のNV-V1000など、30万から40万というとんでもない値段のものもあった。当時はメーカーにもユーザーにも金があった。惜しげもなく技術と資金を投入して、メーカーの渾身のビデオを作る余裕のあった時代だ。ああ、なつかしのバブル。
 そこまでいかなくても、80年代の終わりから90年代にかけて、各メーカーいいビデオをたくさん作っていた。ビクターならHR-X5やX7、松下ならNV-SB1000WやNV-SB88W、三菱はHV-V6000やV900、シャープでもVC-BS600などがあったし、サンヨーだってVZ-S6000Bという34万もするものを作ったことがあったのだ。NECにもVC-DS3000がある。
 バブルが弾けて以降は、値段の高い機種はあっても真の高級ビデオというものは存在しなくなった。メーカーがビデオに対してそこまで思い入れを持って作ることができなくなったから。画質の点では進歩していても、モノとしてはやはりバブルの頃がピークだったと思う。ユーザーの側のそんな思いも、もはや懐古趣味でしかないのだけど。

 今まで40台くらいビデオデッキを所有したと思う。その中で値段の高さでいえば、ビクターのHR-X3が一番ということになる。もちろん、いいデッキだった。あまりデジタル臭くなくて、好感の持てる高画質だった。
 ただ、個人的に一番好印象だったビデオは、同じ時期のビクターのHR-V2という中級機だ。これもかなりの高画質で、なおかつメカがすごくキビキビしていて使っていて気持ちよかったから。壊れて売ってしまって以来縁がないのだけど、いつか状態のいいものをもう一度買いたいと思っている。
 再生画質だけなら、もしかしたら日立の7B-BS87が一番だったかもしれない。これは妙なビデオで、自己録再だとなんか変なんだけど、まともなデッキで録画したものを再生させると恐ろしくきれいに再生するやつだった。DVDのようなデジタルっぽさで他のビデオとは明らかに違うものがあった。
 他に好きだったものとしては、ビクターのHR-VX1、三菱のHV-V700、東芝のA-BS3、松下のNV-BS30S、NV-SB77Wなどがある。
 基本的に録画はメカが丈夫で壊れにくい松下を酷使して、再生はビクターや東芝を使うのがいつの間にかスタイルとして定着した。少し前までの松下のデッキは本当に壊れない。三菱や東芝、ビクターは激しく使うともろさを見せる。
 直しやすさという点では、突然電源が入らなくなった東芝とビクターが一番簡単だ。電源ユニットのコンデンサを交換すればいいだけだから。一番やっかいなのが、三菱や松下のS-VHS死亡というやつで、HICコンデンサ交換なんて私にはとても手に負えない。メカ部分では、松下が複雑で難しい。日立やソニーなどは壊れる場所が決まっていて分解が簡単なので、なんとかそのあたりまではできる。ゴムベルト交換で直るものも、裏からアプローチできないものは難易度が高い。

 VHS、S-VHSの単独のビデオデッキは、2002年以降ほとんどのメーカーで新機種を出していない。2003年にビクターと松下が出したのを最後に、まったく新モデルが登場していないという現実をもってしても、ビデオの時代は終わったと思わざるを得ない。すでに生産そのものが今現在ビクターと松下しかやっていない。近い将来売り場に並ぶことさえなくなるだろう。
 ただ、2007年にS-VHS規格の特許が切れるということで、もしかしたら今年から来年にかけて新たな動きが出てくるかもしれない。とはいえ、まともなビデオデッキはあまり期待できそうにない。
 HDDやDVDレコーダーも価格が下がってだいぶ普及してきた。今後はまだ規格の未整理という点でどうなっていくか読めない部分もあるものの、再びビデオの時代が来ることだけはないだろう。
 とはいえ、HDDやDVDレコーダーも万能ではなく、むしろいろいろな欠点や問題点があることも確かだ。HDDは日常的なものを撮って観て消していくのには便利にしても保存には向かないし、DVDレコーダーは規格が乱立していてややこしすぎる。DVD-Rなどは10年も経つとディスクが読めなくなる可能性があるというし、今後規格が変われば新しいプレイヤーでは再生できないなんてことにもなりかねない。
 それに、HDDやDVDを親の世代が使いこなせるとはとても思えない。ビデオのタイマー予約でさえできない人に、HDDやDVDの使い方をマスターしろというのは無理だろう。子供でもビデオカセットなら入れて再生すればすぐに観られるけど、HDDなどではそうもいかない。勝手にいじらせると大事なものまで消しかねない。
 当面の逃げとしては、DVD-R/RAMドライブ、HDD、VHSデッキが一体になった3in1レコーダーで様子を見るということになるだろうか。永久保存版のようなものは今のところビデオに残しておくのが一番安全かもしれない。
 それにしても、メーカーは規格を統一する気がないのか。独自の規格を出すことでどんなメリットがあるというのだろう。これだけバラバラになってしまったら、当分ひとつにはまとまりそうにない。なんとか地デジが本格始動するまでには格好を付けて欲しい。その頃までにはさすがの私もビデオデッキに見切りを付けているだろう。

 ビデオデッキが生まれて30年。もう30年というよりまだ30年という気がする。自分が生まれたあとに登場したものがもう終わりかけていることに寂しさのようなものを感じる。カセットテープが終わるときはこういう気持ちにはならなかった。CDの音のよさに驚き、MDにすんなり移行できたから特に不便も感じなかったというのもある。レコードも、時代の流れで当然だと思った。なのに、どうしてビデオデッキだけ未練が残るんだろう。
 ひとつには、それぞれ特徴があるというのがある。単に画質の良し悪しだけでない個性があって、好きなビデオとそうじゃないのがあったりするのが面白い。壊れたのを直せば愛着もわく。やはりビデオデッキには何か特別なものがあるように思う。他のどんな電化製品とも似ていない。
 私がもし長生きをして90くらいのじじになったとき、たくさんのビデオデッキに囲まれて、それらをなでながら暮らしたいと思う。ビデオテープを出し入れするガシャンという響きに、このレトロな感じがたまらんのぉとか言いながら。




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