 PENTAX istDS+Takumar 200mm(f3.5), f3.5, 0.3s(絞り優先)
光は色であり、色は目である。光のないところに色は存在せず、色は私たちの脳の中にしか存在しない。 光とは何かという問いに、そんなの簡単じゃん、とあっけなく答えられる人はどれくらいいるんだろう。昨日までの私は完全に答えに詰まっていた。どちて坊やに質問を投げかけられた新右衛門さんのように。けど、今日からの私は違う。一夜漬けで光について勉強したからだ。光のことなら何でも訊いて……もらっては困るが、ぼんやりと理解したような気がしないでもない。 光は電磁波だと聞いて、ホントかよと思う。どうやら本当らしい。しかし、電磁波といえば、ラジオだって携帯電話だってそうだ。あれと光が同じものだとは最初は納得できなかった。ただ、波長の長いものや短いものは目に見えなくて、中間のいわゆる可視光線が光なんだという説明を読んで、なるほどそういうことかと納得した。波長が短いものにはガンマ線やエックス線、紫外線があり、波長の長いものに赤外線や電波などがある。動物には色が見えてないなどというのは、人間とは見える波長域が違うからだ。 電磁波というのは、要するに波だ。電界と磁界が相互に作用して組み合わさったものが空気を伝って動くことで波となる。電磁波は光で光は電磁波なので、電磁波も光と同じく秒速30万kmのスピードで移動する。波が一往復する間に進む距離を波長といい、波が1秒間に往復する回数を周波数という。 奥さん、嬢ちゃん、坊っちゃん、今日はちょっと難しいですよ。でも、なるべく簡単に書くから最後までおつき合いくださいね。
光は波である、ということろまで分かった。けどこれは光の本質の半分でしかない。光は波であると同時に粒子でもある。光は波か粒子かどちらなんだという議論が長らく続いた中で、アインシュタインが1905年に発表した特殊相対性理論や、その後の量子力学によって、光は波であり粒子でもある量子だということが分かったのだった。さすが、先生、お見事です(アインシュタイン先生は私の心の師匠なのだ)。 光は質量ゼロなのに存在していて、エネルギーも持っている。このへんのことは私にはよく分からない。分かっているのは、光というやつはどこまでも真っ直ぐなヤツだということだ。何にもぶつからなければひたすら直進するしか能がなく、曲がることは一切できない。自分では加速もできなければ減速もできない。こんな車はイヤだ。秒速30万kmで、1秒で地球を7周半できるというのはよく使われるたとえだけど、光クンは地球に沿って曲がるなんて器用なことができる子じゃないので、実際には地球の周りをぐるぐる回ったりはできない。ある意味では、地球2周目に突入したラブワゴンにも勝てない。ヒデは光より上ということか!? 性質としては、ものにぶつかれば反射する。まっすぐぶつかればまっすぐはね返り、角度があればそのように反射する。透明なものに当たれば透過しつつ、減光したり屈折したりする性質も持っている。人の目で見える色というのは、このときの吸収や反射によって認識される。
光については、まだ完全に解明されたというわけではないようだ。相対性理論からまだ100年しか経っていないのだから、当然といえば当然だろう。この世界には光の速度以上に早い物質は存在しないという定説も、いつかくつがえされる日が来るかもしれない。タキオンでヤマトの波動砲だって絶対に撃てないと決まったわけではない。 ウラシマ効果というのは実際どうなのだろう。光の速度で移動すると時間の速度がゼロに近いくらい遅くなって、自分は歳を取らないというあれだ。高速で飛ぶ宇宙船で50年飛び続けて地球に返ってきたら、地球では50年経っているのに乗組員は数年も歳を取らないと理論上はなるらしい。浦島太郎の話からウラシマ効果と呼ばれるこの現象を、人類はいつか体験することになるのだろうか。歳は取りたくないけど、浦島太郎にはなりたくないと個人的には思う。
 PENTAX istDS+Super Takumar 50mm(f1.4) 今、街ではさまざまな光に満ちている。もはや暗い夜は失われてしまった。街灯、車のヘッドライト、信号機、店の蛍光灯、民家の窓からもれる明かり。様々な種類の光があることにも気づく。昔は、太陽の光や月明かり、火の明かりくらいしかなかった。オイルランプから石油ランプになり、人類が電気を手に入れたのはほんの120年ほど前に過ぎないのに。 エジソンが白熱電球の開発に成功したのが1879年だった。このときエジソン32歳。フィラメントに日本の竹を使うなど、試行錯誤の末、苦労して完成させた。同じ年のエジソンより前にイギリスのスワンも白熱電球を作ったのに、これは寿命が短すぎて実用とならなかった。歴史に名を残す人間とそうじゃない人間の差は大きいようで小さいのかもしれない。 エジソンが発熱電球を売るために作った会社がのちのGE(General Electric)社となり、のちに蛍光灯を売り出すことになる。 蛍光灯の研究自体は古くから行われていて、1856年にドイツの物理学者(当時はガラス工)ハインリッヒ・ガイスラーが作ったガイスラー管が蛍光灯の起源とされている。それから70年後の1926年、ドイツの発明家エトムント・ゲルマーが考えたアイディアが蛍光灯の実用につながり、蛍光灯発明者となった。GEはその特許を買い取って、ジョージ・インマンが完成させて、1938年に発売することになる。 蛍光灯の優れている点は、小さい電力で電球よりも強い光を出すことができるところだ。寿命も長い。その技術の先に、発光ダイオードLED(light Emitting Diode)がある。最近では街のイルミネーションもこれが増えてきた。半永久的とも言えるような長い寿命を持つLEDが今後の主流になっていくだろう。
ドイツの文学者ゲーテの最期の言葉は、Mehr Licht! もっと光を! だったと言われている。象徴的な言葉として有名だ。実際は、部屋が暗いからブラインドを開けてくれって話だったそうだけど、そんなゲーテも今の時代に生まれていたら、明るすぎるから光を消せ、になっていたかもしれない。考えてみたら、部屋に100ワットなんていう光は必要ない。夜だって暗くてよかったのだ。 地球の夜の衛星写真を見たことがあるだろうか。日本は恐ろしいほど明るいのに対して、北朝鮮だけは驚くほど真っ暗だ。それはもう見事なほどに夜ということを表している。暗さを貧しさゆえだと安易に判断するのは正しくない。むしろあれこそ正常な夜の姿だと言ってもいい。北朝鮮の子供たちはみんな、満点の星空を見ながら成長しているのだろう。国や政府がどうだからといって、星空の思い出が無駄になることはない。あの光を知らずに大人になる日本の子供たちの方が、何か大切なことを見失った人間となってしまいかねない。 地球は青い星というだけでなく、光の満ちあふれる惑星でもある。宇宙からやって来た異星人たちは、地球の青さに胸を打たれ、この星の明るさに驚くだろう。こんな辺境にこんなにも豊かな惑星があったのかと。けれど、地球は必ずしも光の天国とは言えない。虚飾の明るさとも言える。 光は確かに文明が繁栄している証だ。そのこと自体は間違いではない。ただ、私たちは明かりと引き替えに失ったものもあるということだけは知っておいた方がいい。その上で、もう一度光の大切さやありがたみを自覚したい。 もはや光なしには通常の生活は不可能なまでになっている。スイッチを押せば部屋は光に満ちるけど、たまには部屋の蛍光灯にお礼を言っても罰は当たらない。わっ、また切れたのかよ! この前替えたばっかりじゃねぇか! などと怒鳴りつけたりすると、電球はすぐにキレるだろう。いつもご苦労さんと、トイレを出るときにひと声かけて出れば、電球もきっと1.2倍くらい長持ちしてくれるだろう。
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