現身日和【うつせみびより】
この世界にはたくさんの美しいものや面白いものがあることを知るための毎日であれば、それは楽しくて幸せなこと。
今年もハッチョウトンボに会いに7月の海上の森へ行ってきた
2008年07月12日 (土) | 編集 |
海上の虫たち-1

Canon EOS 20D+TAMRON SP 90mm f2.8



 ちょっと久しぶりに海上の森へ行ってきた。前回行ったのが4月の終わりで、あのときはギフチョウを探しにいって見つからなかった。季節のメモリはカチリ、カチリと2つ動いて、春から夏、夏から真夏へと変わった。
 昨日、家の近所でアブラゼミの初鳴きを聞いて、そうだ、海上の森へ行かなくてはと思ったのだった。今年はまだハッチョウトンボを見ていなかったというのもある。
 今回は海上の森センター方面から入って、湿地と赤池を回ってきた。約1時間半コースだった。
 写真の収穫としてはもうひとつ。野草は秋までの端境期に入ったし、鳥は葉が生い茂っていて姿が見えない。虫関係もさほど多いところではない。森が深ければ深いほど生き物は多いと思いがちだけど、必ずしもそうではない。生き物の密度が最も濃いのは人の暮らしに近い里山で、森や山奥に入っていくと逆に生物は少なくなっていく。顔の周りを飛ぶ訳の分からない虫や蛾みたいなものはたくさんいるのだけど。
 海上の森で生き物をたくさん撮ろうと思ったら、集落のある方へ行った方がいい。あちらは田んぼや畑もあって、花も植えられているから、虫もたくさんいる。今回は時間が少なかったこともあって、直接湿地へ行けるコースを選んだ。

海上の虫たち-2

 今年もちゃんとハッチョウトンボは生まれていた。毎年同じ場所で再会できるのが嬉しい。今年でもう4回目になる。
 ハッチョウトンボは湿地帯で暮らす日本一小さいトンボで、生まれた場所からほとんど移動しない。生涯の移動範囲はせいぜい数十から数百メートルだろう。だから、生きていく場所の環境が変わってしまうと生きられなくなる。同じ場所で生まれるということは、環境が保たれているということだ。海上の森の湿地帯は人の手で通路が作られてどうだろうと思ったけど、あれはよかったかもしれない。以前はビニールのヒモを張っているだけだったから、中まで入ることができてしまっていた。
 こいつらは相変わらず警戒心の低いやつで、至近距離まで近づいても逃げていかない。被写体としてはとてもありがたい。

海上の虫たち-3

 上の赤いのがオスで、この縞模様がメスだ。
 いつもオスにばかり気を取られてメスを撮るのを忘れてしまうのだけど、今年はしっかり撮れた。メスの方がやや警戒心が強いような気がする。
 オスメスの比率としては、オスの方が多い。実際のところはどうなのか知らないけど、私が見るときはたいていオス3に対してメスが1くらいの割合だ。オス同士の競争は大変なのかもしれない。

海上の虫たち-4

 これも海上の森ではよくいるキイトトンボ。黄色い体と黄緑色の目が特徴だ。目の中にはごく小さい黒目がある。
 小さなハエみたいな虫を捕まえて、むしゃむしゃ食べていた。トンボはカマキリやクモなどに比べて凶暴というイメージはないものの、みんな肉食だから獲物を捕らえて食べる。小さい虫にとっては凶悪な存在だ。けど、捕まえる虫は蚊とかハエとかなので、人からすると益虫ということになる。

海上の虫たち-5

 これもイトトンボの一種、モノサシトンボだ。ちょんちょんと物差しの目盛りのような模様があることから名づけられた。
 イトトンボもたくさんの種類がいて、区別するのは難しい。よく似たやつも多い。
 今日の海上の森はヤンマやシオカラみたいな普通のトンボを見かけなかった。もう少し夏が深まらないと出てこないのか。

海上の虫たち-6

 蝶の収穫もこれだけ。今日歩いたコースは暗いエリアだから、もともとアゲハのような明るい場所を好む蝶は少ない。暗い場所には地味な蝶、明るいところにはあでやかな蝶、虫の世界も人間界もそのあたりは同じだ。夜飛ぶ蝶もいる。
 ジャノメチョウの見分け方も忘れてしまった。たぶんヒメウラナミジャノメでいいと思うけど、ちょっと自信がない。ウラナミジャノメとの違いは模様の数だったっけ。

海上の虫たち-7

 完全な蛾だ。ぺたっと水平に張りついている。基本的にとまったときに羽を開いてるのが蛾で、蝶は羽を閉じる。例外もあるけど、たいていはそうだ。あと、触角の形にも違いがある。
 ただ、蝶と蛾は生物学的には大きな差はなくて、昼活動するものを蝶、夜に飛ぶものを蛾といっているにすぎない。これもいろいろ例外はあるのだけど。

海上の虫たち-8

 蛾の勉強は進んでいない。あまり覚えたいと思わないというのもあって。蝶の知識があれば多少なりとも役に立つことはあるけど、蛾に詳しくても誰も誉めてくれない。必要以上に蛾に詳しい男というのは、かえってマイナスになりかねない。
 蛾は蝶以上に種類が多くて、資料も少ないから、勉強自体の難しさもある。日本にいる蝶が250種類くらいなのに対して、蛾は3,000種類以上もいる。これは手強い。

海上の虫たち-9

 クモの実物はあまりお近づきになりたくないのに、写真に撮ると美しい。足の細さは繊細だし、見ようによってはセクシーだ。トンボやバッタなどと同列に扱われないのは、やはり巣を張るからだろうか。それとも姿形が人間にとっては不快を覚えるものだからだろうか。
 実際問題、触れるかといえば私も触れない。1センチくらいまでのやつなら手に乗せたりはできても、2センチを超えると触りたくなくなる。なんか噛みそうな気もするし。

海上の虫たち-10

 クモの巣コレクションその1。ミシンの縫い目模様みたいにきれいな巣を作っている。まさか遊び心でこんな模様にしてるわけでもないだろうから、この模様が必要なのだろう。
 考えてみると、クモというのもすごい生き物だ。

海上の虫たち-11

 こちらの巣はやや簡略版になっている。上のクモと同じやつかと思ったら、写真をよく見ると腹が違っている。どうやら違う種類のクモのようだ。クモによって巣の模様が違うということは、それぞれ自分なりの張り方があるのだろう。細かい性格のやつや大雑把なやつなど、個体差もあるのだろうか。
 クモも種類が多くて、見分けるのが難しい。今回撮ったクモも名前は分からない。

海上の虫たち-12

 海上の森でもかなりアブラゼミが鳴き始めていた。蝉時雨までもう少しだ。
 これはアブラゼミの抜け殻だろう。子供の頃はこんなものをよく集めていた。今になってよく見ると、なかなかグロテスクではないか。あまり触りたくない。
 残念ながら生きているセミの姿を撮ることはできなかった。

海上の虫たち-13

 泥がついている抜け殻はニイニイゼミという覚え方をしていたのだけど、これは違う感じだ。ニイニイゼミならもっと小さくて背中が丸まっている。これはなんだろう。よく分からなかった。

 7月の海上の森第一弾は、虫特集でいってみた。第二弾は花編を予定している。思ったほど写真を撮れなかったから、2回で終わってしまうか、長くても3回だろう。
 まあしかし、夏の海上の森は大変だ。何かと厳しいことが待ち受けている。そのあたりのことは次回書きたいと思う。今日のところはここまでとしよう。
 つづく。


知って得しない虫についての知識を余すところなく披露してみる
2007年09月18日 (火) | 編集 |
デンパークの生き物たち-1

Canon EOS 20D+SIGMA 18-50mm f3.5-5.6



 今日はデンパークで撮った生き物たちの写真を使って、虫についての復習をしようと思う。だからデンパークってなんだよという方もいるだろうけど、それはまあおいおい紹介するとして、今日のところは虫でいかせてほしい。
 ところで虫(むし)の定義をあなたは知っているだろうか。これは分かっているようで案外難しい問題をはらんでいる。虫と昆虫は完全なイコールではないと意識している人がどれくらいいるだろう。虫(むし)というのは本来、鳥でも獣でも魚でもない生き物を指す総称だった。昔の人がはっきりと分類できないものを「むし」と呼んで誤魔化していたという歴史がある。だから蛇も蟹も虫という字が入っている。昆虫というものが学問として確立するのは、虫という言葉が生まれたずっとあとのことだ。昆虫とういうのはむしの中の一つであって、昆虫と虫は同義語ではない。昔は昆虫を指す場合は「蟲」という字が使われていた。
 とまあ、そんな雑学も絡めつつ、今日は虫について書いてみよう。あまり気持ち悪い虫は出てこないけど、苦手な人は逃げる準備をしてください。

 まず最初はナミアゲハから。
 一般的にはアゲハチョウと呼ばれることがほとんどだけど、実はアゲハチョウという名前の蝶は存在しない。たいていはこのナミアゲハ(チョウはつかない)のことをいう。もしくは、黄色味が強いキアゲハのどちらかだ。
 ナミアゲハのナミは、波ではなく並だ。普通にありふれているという意味でつけられたのだろうけど、それはちょっとないだろうとナミアゲハに代わって抗議したい。上とか優とかそんな高級なアゲハがいるならともかく、いくら平凡でも並扱いは失礼だ。可もなく不可もなしみたいで、なんだか納得がいかない。あんなにきれいな体をしてるのに。ナミアゲハだって自分たちの名前を知ったら黙っちゃいないだろう。せめてオオアゲハなんてのがいるなら仕方ないなと思っただろうけど。
 キアゲハは名前の通り黄色いアゲハだ。でも区別は割と難しい。黄色加減では見分けづらいときは、前翅の付け根を見る。黄色地に黒い横線が入っていたらナミアゲハで、この部分が黒く塗りつぶされていたらキアゲハだ。
 ナミアゲハは、春から秋にかけて4回ほど世代交代をする。成虫での寿命はひと月ちょっとということだ。秋を迎える前にその年最後の産卵をして、寒くなる前に卵からかえって幼虫になり、サナギの姿で冬を越す。それが春に孵ってまた世代を重ねる。春に生まれたやつよりも夏に生まれるやつの方が体が大きい。

デンパークの生き物たち-2

 アオスジアゲハの鮮やかなブルーは南国を思わせるけど、これも昔から日本にいたアゲハチョウだ。アジアやオーストラリアにも広く生息している。
 アゲハチョウというと、ナミアゲハなどのグループと黒いアゲハの仲間に大きく分かれる中で、アオスジアゲハはどちらにも属さない独特のアゲハだ。翅を動かす速度も速く、飛び方もシャープな感じで、止まるときは翅を閉じて止まる。動きが全体的にアゲハらしくない。
 九州や四国あたりにはこれに似た青いミカドアゲハというのがいるらしいけど、私は見たことがない。いるところでもそれほど数は多くないようだ。
 黒い蝶に関してはまたいずれ書くこともあるだろう。黒い蝶もたくさん種類がいて、話はそう単純ではないのだ。

デンパークの生き物たち-3

 モンシロチョウやアゲハなんかが少なくなってきた夏の終わり頃から俄然目立つようになるのが、このセセリチョウだ。茶色くて地味な体をしてるから蛾に間違われそうだけど、これでも立派な蝶の一種なので蛾扱いしないでやってほしい。
 よく似たイチモンジセセリとチャバネセセリは、翅の裏側を見れば一目瞭然、白い点が大きく並んでいるのがイチモンジセセリで、白点が小さくまばらならチャバネセセリということになる。写真のものはちょっと見づらいけど、イチモンジセセリだ。
 肌寒くなった11月くらいまでしっかり生きて、こいつらは幼虫で越冬する。イネやススキなんかを食べて寒い冬を乗り切る。
 近くで見ると意外と目がつぶらでかわいい。

デンパークの生き物たち-4

 ここ数年、名古屋でもクマゼミが激増して、アブラゼミと勢力を二分するくらいにまでのし上がった。けど、今年はどういうわけか少なかった。鳴き声もあまりしなかったし、うちのアイもクマゼミを1匹もとってこなかった。今年の暑さと関係があったのか、それとも他へ分布が移動したのだろうか。今のところまだ関東へはほとんど勢力を伸ばしていない。西日本は完全に制圧したのに。
 東京へ行ったときはミンミンゼミの声が大きくて少し驚いた。名古屋にミンミンゼミはほとんどいない。地球温暖化もあって、今度はクマゼミの関東進出も充分あり得る。そうなったとき、ミンミンゼミはどうなるのかちょっと心配だ。
 上の写真は腹(腹弁)がオレンジをしてるからオスだ。これを使って鳴いている。
 細い木の枝を伝ってもぞもぞしてたから卵を産んでるのかと思ったら違った。関西では光ファイバーのケーブルに卵を産み付けて断線するという被害がけっこう出ているとか。
 蝉は近代化に一番上手く適応した虫かもしれない。他の虫たちが生活の場を奪われ、郊外や田舎へと押しやられたのに、蝉だけは子供の頃と比べても数が全然減ってない。一日中明るいような都会でもたくましく生きている。特別賢いわけでもないのに、なんとなく平然と生き延びてきた。そう考えると蝉ってけっこう不思議な生き物だ。

デンパークの生き物たち-5

 木の上で変な鳴き方をしてるツクツクボウシがいてどうしたんだろうと見上げたら、カマキリに捕まっていた。蝉側からいえば気の毒だし、カマキリ側からいえばよかったねだし、こういう光景は複雑な気持ちになる。
 ハラビロカマキリは久しぶりに見た。前に見たのは子供の時だったんじゃないだろうか。普段は木の上で生活してるからあまり見かけることがない。
 名前の通り腹の広いカマキリで、多くは緑色をしてる。まれに茶色いのもいる。
 もともと茶色くて小さいのがコカマキリで、これも昔はよく見たのに最近は見ない。
 あと一般的なカマキリとしては、大きくて太いオオカマキリ、それより少し細いチョウセンカマキリあたりだろう。ヒナカマキリ、モリカマキリ、ウスバカマキリ、ヒメカマキリなんてのも日本にいるそうだけど、このへんは意識したことがないから、見たことがあるのかないのかも分からない。
 カマキリは腹から出てくる黒い針金みたいなハリガネムシが恐かった。

デンパークの生き物たち-6

 トンボの区別はとても難しいけど、シオカラトンボも油断ができないトンボの一つだ。たいていの人は青白っぽい体をしたトンボを見たらシオカラトンボだと思ってそこで終わる。その先まで深く潜ろうという人は稀だ。
 シオカラトンボと見えて実はシオヤトンボかもしれないし、オオシオカラトンボかもしれない。黄色い体をしたやつはムギワラトンボと呼ばれるシオカラトンボのメスだというところまでは常識の範囲内にしても、本当のところは未成熟なオスかもしれないというところまで疑ってかかるのがトンボの人たちだ。トンボの世界もなかなかに奥が深い。よく似てるけどちょっと太ってるなと思ったら、それはハラビロトンボだ。
 シオヤトンボは腹が少し平たい感じで、シオカラトンボは灰色に近い白、オオシオカラトンボは青白い。だから上の写真はオオシオカラトンボということになる。たぶん。そうだといいな。違ったら誰か指摘してください。

デンパークの生き物たち-7

 最後はカエル。緑色の小さい蛙を見たら反射的にアマガエルだと思うのは勇み足だ。それが本当にアマガエルかどうか、もう一度よく確認する必要がある。テストも見直しが必要ですと先生も口を酸っぱくして言っていたのを思いだそう。
 目の横に黒い線はあるか、目玉(光彩)は赤くないか、体の大きさはどうか。答えを言えば、上の写真はいわゆるアマガエルと呼ばれるニホンアマガエルではない。ニホンアマガエルの場合は目の横に黒い線がある。これはそれがなく、光彩が金色をしてるから、シュレーゲルアオガエルだ。目が赤くて、体も少し大きくてくすんだ緑色をしていたらそれはモリアオガエルということになる。
 だんだんややこしくなってきて、もういいやとあなたは投げ出しそうになったかもしれない。そんなに全部覚えられないし、そんなものの細かい区別がついてどうなるんだと。確かにどうにもならない。自慢しても誰も誉めてくれないし、第一最後まで聞いてくれない可能性の方が高い。アゲハはアゲハでシオカラはシオカラでいいじゃないかと言われておしまいだ。できることなら私もそんな時代に帰りたいと思わないでもない。ただ、気になり始めると気になるもので、区別つかないとモヤモヤが乗って気持ちが落ち着かなくなる。分からないと自覚することが知ることの第一歩だ。もう引き返せないところまで来てるから、このまま行けるところまで行くしかない。目指せ、虫博士。いや、蟲博士と書くべきか。まだまだ先は長い。

 次回こそデンパークの全貌を暴く編へとつながっていくと思いきや、まだデンパークの花編でもうワンクッション置くことになりそうだ。実はデンパークへ行ってきたものの、どんなところだったかと訊かれてはっきり答えられるほどデンパークについてのイメージが固まってないのだ。なんとなく漠然とした感じで、とらえどころのないところだったから。なのでもう少し周辺から固めていって、最終的に本編を書こうと思っている。
 私自身、デンマークという国について基本的な勉強をしてから出直さないといけない。デンパークを語るにはまずデンマークについて知るべきだ。けど、デンパークは思いのほかデンマークではなく、私たちを戸惑わせることになるのであった。
 つづく。


夏の終わりと秋の始まりが交差する場所で今日も命が輝いている
2007年09月08日 (土) | 編集 |
香流川の生き物-1

Canon EOS 20D+Canon EF75-300mm f4-5.6 USM



 香流橋から家まで歩く機会があって、せっかくだから香流川沿いのサイクリングロードを通って帰ることにした。20Dに75-300mmの望遠ズームを付けて、目に付く生き物や花などを撮りつつ。
 最初に出会ったのがキバナコスモスとアゲハだった。今はちょうど夏と秋の境目の季節を迎えている。秋の花に夏の虫がとまっているシーンが象徴的だった。車では見逃してしまいがちな季節の微妙な変化も、歩くスピードなら実感することができる。カメラを持っていると余計にそうだ。
 今年の夏はほとんど虫たちを撮れなかったという心残りが少しある。そういうところにあまり出かけなかったこともあるけど、今年に限っては縁が薄かった。街中でも出会うときは出会うし、シャッターチャンスに恵まれることもある。アゲハもちゃんと撮ったのはこれが初めてだったかもしれない。
 あと少しチャンスは残っている。できることならここ数年の目標である、青空を背景に飛ぶ蝶の写真を撮ってこの夏の締めくくりとしたい。イメージはもう頭の中にある。2匹のアゲハのランデブー写真で、できれば太陽まで入れ込みたい。まだそういうシーンに出会ったことはない。

香流川の生き物-2

 小さなひまわりみたいな黄色い花もよく見かける。名前は知らない。たぶんひまわりの仲間でもないのだろう。日本産ではなく、アメリカかどこかの花のような気もする。キク科っぽい。
 ひまわりに似てるから、やっぱり夏の花だろうか。半分咲いて、半分枯れていた。これも夏の名残だ。

香流川の生き物-3

 ムクゲ(木槿)は夏の花といっていいかどうか。6月の終わりから10月くらまで咲いている。花は一日花で、朝開いたものは夕方にしぼんでしまうけど、それを繰り返して次々に長く咲く。
 この花はあまり存在感がないような気がする。自己主張が弱いというか、咲いているのを見かけても心が動かない。私だけだろうか。
 これを韓国が国花にしているのは意外だ。韓国というともっと強い印象の花を国の象徴にしそうなのに。色も赤のイメージだ。
 原産は中国やインドで、日本には平安時代に入ってきた。品種改良も盛んで、ピンクの他にも白や赤、八重咲きなどの種類がある。

香流川の生き物-4

 ノウゼンカズラ(凌霄花)は私の好きな花の一つだ。花そのものよりも、名前の響きがいい。漢字は当て字で能禅葛とでもしたい。
 この花は私に夏の到来をいち早く告げる花でもある。初夏にこの花を見ると、さあ、いよいよ夏が来るぞと心の準備が始まる。
 暑さが本格的になると、次々に花をつけて、夕方ぼとぼとと花を落としていく。咲いている花と地面に転がった花の生と死のコントラストが鮮やかで心惹かれる。
 8月になると花も少なくなっていよいよ夏も終わりかと自分の中で覚悟を決める。けど、そこから二枚腰でもう一段粘って咲き直し、結局9月いっぱいは花を咲かせ続ける。潔い花もいいけど、こういう粘り強い花も悪くない。
 ノウゼンカズラは南の暖かい地方だけでなく、都会の新しい家でも、田舎の古い家の庭先でも不思議とよく似合う。見た目のインパクトは強いのに爽やかでもあるから、どんなシーンにも溶け込むのだろう。派手で遊んでいるように見えて案外奥さんやお母さんも似合う女の人みたいだ。

香流川の生き物-5

 見たのは昼過ぎだったけど、これはアサガオでいいのだろう。ヒルガオではないと思う。
 今年は田舎でもしっかりアサガオを見たし、夏の終わりにもう一度見ることができて、私としては上出来だった。近年は一度もアサガオを見ないまま夏が終わってしまうことも多かったから。
 いつかもう一度、私もアサガオの水やりから一日が始まるような暮らしができるだろうか。

香流川の生き物-6

 繁殖期を迎えたコサギさんはきれいに着飾っている。後頭部からはカールした2本の長い冠羽が生えて、胸も背もビラビラの飾り羽(蓑毛)に覆われて、身支度は完成した。
 冬場のシンプルな衣装のコサギしか知らない人が見たら、別の鳥と思うかもしれない。夏場に暑苦しそうだけど、これが彼らの勝負服なのだ。いよいよ恋のシーズンとなると、目とくちばしの間が婚姻色と呼ばれるピンク色に染まる。足下はオールシーズン黄色でキメている。

香流川の生き物-7

 セグロセキレイはなんとなく冬の川にいるイメージが強いけど、留鳥なので一年中日本にいる。都会でも順応して暮らしているから、特に不自由は感じてないのだろう。
 ハクセイキレイは田んぼなどの陸地にいることが多く、セグロセキレイは町の川でよく見かける。もっと上流へ行くとキセキレイが増える。同じセキレイでもそれぞれ好む場所が違う。尾っぽを上下にフリフリする様子や、飛ぶ姿はそっくりだ。

香流川の生き物-8

 カワウは季節感のない鳥だ。一年中どこにでもいる。黒くてかわいくないし、魚をたくさん丸呑みしてしまうからあまり好かれない。アップで見るとつぶらな瞳とか可愛いし、羽も光が当たると玉虫色のようできれいなんだけど。
 これが一時絶滅寸前まで追い込まれた鳥だとは信じられない。高度成長期以降、日本中の川や池が汚れて、ほとんどいなくなってしまったというから、日本の水辺は最悪に近いところまでいっていたということだ。環境問題が叫ばれて川が少しずつきれいになったことでまた数を増やしてきた。今度は増えすぎて問題になっている。人間の都合で減ったり増えたりというのも気の毒な話だ。
 カワウの隣の岩には、よく見るとチビカメが2匹乗っている。彼らなどはペットとして外国から日本に連れてこられて、人の都合で川に捨てられて、そこからたくましく環境に馴染んで今日の繁栄を迎えている。たくましいさを超えたずうずうしささえ感じる。

香流川の生き物-9

 白い鳩がヒョコヒョコ歩いて目の前を横切った。
 野生で白い鳩が生まれることがあるのだろうか。式典なんかで放した鳩が野生化したのか。
 白い生き物はアルビノという劣性なことが多いから、自然界では弱い存在だ。白い鳩も仲間に入れてもらえず単独行動してるのをよく見かける。人間にとって白い生き物はきれいで神秘的に映るけど、白い体で野生を生きていくのはなかなか大変なんじゃないだろうか。

香流川の生き物-10

 街中では最近めっきり蝉の鳴き声を聞かなくなった。気づいたときにはピタリとやんでいる。
 けど、出遅れるやつはどの世界にもいるわけで、9月になっても一部ではまだ鳴いている。香流川沿いでもアブラゼミとツクツクボウシの生き残りがいた。遅刻してしまったのか、戦略的出遅れなのか。遅れることは必ずしも悪いことじゃない。みんなと足並みを揃えることが正しでもない。今鳴いているやつらは出遅れたのではなく、最後をつとめる役割を持った蝉たちかもしれない。行く夏を送るために鳴いているのだろうか。

 行く季節があれば来る季節がある。コスモスが咲き始め、ヒガンバナの便りが届き、キンモクセイの甘い香りがしてきたら、もう秋の始まりだ。そうこうしてるうちに、春に北へ渡ったカモたちがまた戻ってくる。逆に越冬のために南へ渡る鳥たちもいる。この秋は伊良湖岬にタカの渡りを見に行きたいと思っている。
 夏の終わりはいつでも少し感傷的になるけど、秋の到来が楽しみでもある。かつて私が一番好きだった季節が秋だった。秋のトーンが心地よかった。秋も撮るものがたくさんあるし、お楽しみはこれからだ。
 毎日が写真日和で、生きるに値しない日は一日としてない。日々、地球上のあらゆる場所で命が燃え輝いている。季節をいくつも超えられる私たちは、彼らの何倍も輝かなければならないのだ。


田舎の変わらない生き物と変わった時代と野生児の我々と
2007年08月26日 (日) | 編集 |
田舎の生き物-1

PENTAX K100D+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f5.6 1/160s(絞り優先)



 今日は田舎歩きで出会った生き物たちを。
 まずは大師の鯉から。
 池のそばに立つと、鯉たちがどこからともなく集まってきて、けっこうな数になった。どうやら日頃から人にエサをもらっているようだ。昔からこの池には鯉がたくさんいた。お寺さんか神社さんが飼っているのか、昔からいるのをそのままにしているだけなのか。私たちが子供時代から数えて、一体何世代目の鯉になるのだろう。いや、鯉の寿命は30年から40年というから、もしかしたら子供時代に出会っている鯉がまだいたのかもしれない。長生きするのは100年以上とも言われている。

田舎の生き物-2

 鯉といえば、なんといってもエサやりが大師の定番だ。準備していった麩を投入すると、すごい大騒ぎになった。バシャバシャと音を立ててエサに食らいつき、激しい争奪戦が展開される。その騒ぎを聞きつけて、更に別の鯉も集まってきた。少し遅れてミシシッピアカミミガメも参戦だ。
 最後は昔を懐かしむ意味でかっぱえびせんも投入してみた。鯉は味覚があるのかないのか、それにも大喜びで食いついていた。あまりやると鯉にも水にもよくなさそうだったので、少しだけにしておく。でも、やっぱり大師の鯉にはかっぱえびせんがよく似合う。

田舎の生き物-3

 池の別の場所にはチビの魚もたくさん泳いでいた。メダカの仲間か、フナか鯉の子供なのか。
 昔は当たり前にいたニホンメダカも今や絶滅危惧種というから、時代の流れを感じずにはいられない。田舎の田んぼにはまだいるんだろうか。村を流れる水路に沢ガニはまだたくさんいるけど、ハヨやドジョウの姿は見られなくなった。子供の頃、30年後にはそれらが見られなくなるなんて思いもしなかった。

田舎の生き物-4

 カエルはあちこちで飛び跳ねていた。池の周りや田んぼのあぜ道を歩くと、目の前でピョンピョン逃げていく。バッタも跳ね、ヘビもチョロチョロし、田舎の生き物たちはまだ健在だった。ちょっとホッとした。
 生き物は本来、人が守るべきものではなく自然に普通にいるものだ。それを特に気にもとめずに生活していくというのが、昔からの当たり前の関係性だった。夏休みに子供たちが少々虫を捕ったりするくらいではびくともしない自然であり続けて欲しい。

田舎の生き物-5

 激しく鳴いているセミを背後から狙うカマキリ。まだチビだし、この体格差はいかんともしがたい。どうするつもりだろうと見ていたら、思い切りよく飛びかかっていった。びっくりだ。セミも驚いてわめき散らしながら飛んでいった。いくらなんでも獲物が大きすぎた。このサイズのカマキリでセミは捕まえきれない。
 セミの立場からみれば助かったともいえるし、カマキリから見れば残念だった。これもまた夏のワンシーンだ。
 子供時代に比べて街中から一番姿を消したのはカマキリなんじゃないかというのが私の印象だ。カブトやクワガタなんかは昔から街にはいなかったし、セミは変わらない。トカゲやバッタもそれなりにいる。カマキリだけは本当に見かけなくなった。昔はちょっとした空き地にはいつでもカマキリの卵があって、カマキリも普通に見られたのに、最近は本当に見ない。里でも数を減らしているのだろうか。

田舎の生き物-6

 田舎暮らしの人は自然の花が周りにたくさんあるから花は足りているのかといえばそうでもない。庭や田んぼの脇などに園芸品種の花をよく植えている。そのあたりの感覚は、都会でも郊外でも田舎でも変わらない。主食があれば嗜好品は必要ないかといえばそうではないのと同じだ。
 そろそろ夏の花も終わりが近づいて、秋の花が咲き始める季節が近づいてきた。萩も早くもちらほら花がつき出している。お盆が過ぎた夏休みの後半というのは、夏の名残でもあり、秋の入り口でもある。

田舎の生き物-7

 10日前は池一面を覆うほどの花を咲かせていたホテイアオイも、半分以下になっていた。こんにも急激に減ってしまうものなのか。
 気温は相変わらず高くても、季節というのは確実に進んでいくものだ。人間だけが鈍くて、季節の移り変わりに一番最後に気づく。気づいたときにはたいてい季節は行ってしまったあとだ。

田舎の生き物-8

 夜の自販機にカエルがへばりついていた。のどが渇いからジュースをよこせということか。それとも、光に集まってくる虫を狙ってのことか。
 しっかり見なかったけど、これは何ガエルだったろう。アオガエルか、アマガエルか、アカガエルか、そのあたりだろうか。
 自販機にカエルがくっついてるってのも田舎ならではの光景だけど、それを驚きもせず普通に受け止めてしまう私は、やっぱり田舎者ということだろう。

おまけのアイ

 家に戻ったらアイが出迎えてくれた。あ? 帰ってきたの? ってな感じで。
 きみ、一度田舎に連れて行ってやろうか? ハンター・アイだから、最初は喜んでいろんな生き物を追いかけ回すだろう。けど、田舎暮らしをしていけるかといえば、それはまた別の問題だ。好きというのと生活するのはまったく違う。子供の頃に河原でしばらく野良暮らしをしていたとはいえ、そのときでも人にエサをもらっていた。田舎での自給自足となると、これは厳しいものがある。私もそうだけど、今更田舎暮らしは無理だ。軟弱な都会者として生きていくしかない。
 今回の帰郷は、自分たちが野生児であることの再確認と、田舎暮らしはできないことを思い知る里帰りでもあった。それでも、いざとなったら帰れる場所があるということは心の支えになる。お金もなくなって、どこへも行くところがなくなったとき、あそこに住む場所があるというのはありがたいことだ。
 心の中にはいつでも田舎の思い出があって、私たちは田舎を捨てたわけでも、田舎に捨てられたわけでもない。あそこは一生帰らない場所であり、いつでも帰れるところでもある。




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