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半田へ行こうと思ったきっかけは、ネットで知ったこの建物だった。国の重要文化財に指定されている旧中埜家住宅。「明治村(明治時代の建物を移築展示してある野外博物館)」が大好きな私だから、明治の建物には目がないのだ。ミツカン酢や赤レンガが見たくて半田へ行ったのではなかった。これが見たかったのだ。 ひと目見て、お、いいねぇと思う。これだけ古いと住むのは大変だけど、見て回るだけなら無責任に楽しめる。更にここのいいところは、紅茶専門店「T's Cafe」として現役で使われているところだ。もちろん、一般客として中に入ることができて、室内を見学することもできる。重要文化財といっても保存しておくだけでは能がない。こうして違う形で活用して一般に公開するのは私も大賛成だ。貴重なものほど実際に見て触れて初めてその価値が分かるものだから。
ミツカン酢の第十代当主中埜半六がイギリス留学中に見たヨーロッパの住宅の美しさに感動して、帰国後の明治44年に別荘としてこれを建てた。 設計は東海地方建築界の権威だった名古屋高等工業学校教授の鈴木禎次。アールヌーヴォーを取り入れたイギリスチューダー様式住宅は、木造二階建てで、壁にはレンガを使用し、屋根はスレート葺きとなっている。飾り窓やバルコニーなどが明治時代の優雅な感覚を今に伝える。イギリスチューダー様式の建物が残っているのは全国でも珍しいそうで、1976年(昭和51年)に国の重要文化財に指定された。 敷地は丘の上にあって、当時は三河湾まで見えたという。現在はここだけが時間に取り残された異空間となっている。 1950年(昭和25年)にいったん洋裁専門学校の桐華学園として使われた後、しばらく放置された。けど、せっかくこんないい建物が残っているんだから何かに使えないかとみんなで相談して、喫茶店にすることに決まった。なんだか、文化祭で何をするか意見がまとまらずに喫茶室になってしまったというのにちょっと似てるけど、重要文化財の明治の建築物でお茶できるというのはありがたいことだ。資料館とかよりはずっと気が利いている。 ひととおり周囲を見て回った我々は、いよいよ紅茶専門店「T's CAFE」に潜入することにする。やや及び腰で入口の扉を静かに開けた。
 店内は、できる限り古い内装を残しつつ、喫茶店として機能させていくための近代的な設備がチラホラ顔をのぞかせている。暖炉の中にファンヒーターが置かれていたのはちょっと笑えた。これはどうなんだろうと。コンセントなどもむき出しになっていたりして、あちこちで時代考証が間違っているのがやや残念だった。もう少し演出に気を遣うと、もっと気分に浸れるはずだ。 それでも店内はさすがに普通の喫茶店とは違う雰囲気を醸しだしていて趣がある。華麗なる一族の邸宅のように豪華絢爛すぎないのがいい。これくらいなら庶民がちょっと背伸びをすれば場に馴染むことができる。むしろ、意外と質素な別荘と言った方がいいのかもしれない。このあたりにも、ミツカン酢が浮ついてなくて地に足がついているのを感じさせる。 ただ、内装に関しては、ここを喫茶店にしたときにかなり改造されただろうから、当時の姿そのままというわけではないだろう。改築する前はかなり老朽化が進んでいただろうし。
 お店の人にひと声かけると、室内に入らないという約束で二階も見て回ることができる。といっても、こちらは完全に楽屋裏というか、見学用に改築されていない。昭和に洋裁専門学校として使われた当時のまま時が止まっている。畳がむき出しの和室があり、布が簡単にかぶせられただけの機織り機が長い眠りについている。見どころといえば、古さと時間が停止している様くらいで他にはこれといったものはない。まるで使われなくなった田舎の家のようだ。人によっては、こちらの方が身近な懐かしさを感じられて嬉しいということがあるかもしれない。
 紅茶専門店だけに、たくさんの種類の紅茶がメニューに並んでいて、何を頼んでよいものやら悩む。ダージリンやアッサムあたりは聞き覚えがあったものの、中国茶まで取り揃えてあって大部分が知らない名前の紅茶だった。それでも、紅茶も飲んだことがないような下級庶民と思われてはいけないと思い、さりげなく写真の紅茶を注文してみた。えーと、なんて名前だったかな。すっかり忘れてしまった。自分が思う以上に舞い上がっていたのだろうか。 味はかなり酸っぱかった。レモンの酸味だけではない、かつて味わったことがない甘酸っぱさは、次はこれを頼むのはやめようと思わせるものだった。ただ、何を頼んだか覚えていないだけに、それを避けようにも避けきれない恐れはある。全部で30種類以上あったから、紅茶に詳しい人ならきっと楽しめることだろう。紅茶にまったく詳しくない人は、とりあえず午後の紅茶とでも頼んでおけば大丈夫でしょう。それは置いてないと言われたら、じゃあリプトンで、と答えてください。 700円のケーキセットや、780円のランチセットもあったりするので、紅茶専門店という看板に恐れをなすことはない。コーヒーだってちゃんとある。 私はケーキセットを頼んでみた。ケーキは4種類くらいから選べるようになっている。どれにしますかと訊ねられて、何気なく手を伸ばして取ろうとしたらそれは見本のケーキで、取っちゃダメ! と、ツレとウエイトレスの両方から同時ツッコミを入れられたお茶目な私であった。ケーキの見本は指差すだけにしなくちゃいけないぞ、庶民の諸君。
営業は、10:00-18:00で、水曜定休。専用駐車場がないので、店の北にあるトーカヒルズ駐車場に入れる。50分100円だったか。店で1枚駐車チケットをくれるので、50分以内なら無料になる。 毎月、紅茶教室というのも開かれているそうだ。紅茶の基礎から応用まで、ティーインストラクターの人がいろいろ教えてくれるらしい。値段は1,500円で定員は8名。私も参加したら、紅茶にはちょっとうるさい男になれるだろうか。うーむ、これはダージリンに似てるけどインド北部のシッキムだねとか、お、こいつはフラワリー・オレンジ・ペコーじゃないかとか。 そんな男ってカッコイイのか? なんか、紅茶版川島なお美みたいでちょっとイヤかも。
建物をぐるりと見て回って、写真も撮って、紅茶とケーキも味わって、すっかり満足した私であった。これだけでも半田に行ったかいがあった。半田へ行った際はぜひ旧中埜家住宅「T's Cafe」に寄ってみてください。紅茶のおいしい喫茶店ですから。白いお皿にグッバイとつぶやいて、銀のスプーンでくるくるかきまわせばカップにはハローの文字が浮かぶでしょう。 ハロー・グッバイ、T's Cafe。いつの日か、紅茶に詳しい男になったら再び訪ねます。
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