現身日和【うつせみびより】
この世界にはたくさんの美しいものや面白いものがあることを知るための毎日であれば、それは楽しくて幸せなこと。
電車のいる岡崎風景をやたら撮るにわか撮り鉄野郎
2008年04月03日 (木) | 編集 |
名鉄岡崎風景-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 / 75-300mm / Takumar 135mm / 50mm f1.4



 岡崎に桜を撮りに行って名鉄をたくさん撮ったから鉄道写真特集があるかもしれないと昨日書いた。その機会は意外と早く巡ってきた。早速今日、名鉄のある岡崎風景ということで特集したい。
 信長の清洲城は、国鉄が遠慮会釈なしに分断して鉄道を走らせているけど、家康の岡崎城には多少遠慮したのか、城を避けて通した。清洲城と岡崎城とでは明治以降の存在がまったく違うし、地理的なこともあったのだろうけど。
 名鉄の名古屋本線というのは、私は乗ったことがない。岐阜から名古屋を通って豊橋まで行っている路線だけど、内陸の中途半端な位置を通ってるから途中に用事がない。海沿いの蒲郡なんかへ行くときは当然JRというか昔なら国鉄で行った。そう考えると一度くらい乗ってもいいかなと思う。
 ただ、この線は需要が多いようで、電車がかなり頻繁に通っていった。1時間に2本とかのローカル線ではなく、多い時間帯は1時間に10本くらい走っているようだ。上りと下りがあるから、電車を撮ろうと待っていると5分もしないうちにやって来る。桜を撮りながらついでに電車も撮るというスタンスだと多すぎるくらいだった。
 ということで、今日は電車のいる岡崎風景写真を集めてみた。

名鉄岡崎風景-2

 電車の位置はよくないけど、自転車のおじさんのタイミングが最高だった。右の木がなかったらいい写真になっていた。
 たぶん、撮り鉄の人たちは、写真のテクニック以前にロケーションに賭けている部分がかなり大きいのだろうと思う。有名なところは雑誌やネットなどで分かるとしても、自分だけのお気に入りの場所を隠し持っているに違いない。
 鉄道写真の場合、偶然の幸運というのがあまり期待できない分野だから、他のジャンル以上にロケーションがすべてという面がある。
 私は電車を撮るのにそこまで頑張れない。偶然いい写真が撮れるといいな程度だ。

名鉄岡崎風景-3

 この場所は桜と川と鉄橋を絡めて撮れるいいスポットだぞと思ったら、すでに先客がいた。みんな考えは同じだ。撮ってる人ごと撮ってしまおうと思う人は少数派だろうけど。

名鉄岡崎風景-4

 これは中岡崎駅近くで、「純情きらり」のロケ地となった八丁味噌のあたりを探していて道に迷っている途中に撮った一枚だ。線路を越えた北側に行かないといけないのに、南側でさまよっていた。
 この地域は、鉄道と川が交差してるから、自由に行き来ができないのだ。

名鉄岡崎風景-7

 なんとか名鉄本線は越えたものの、中岡崎駅を越えられずに地下道に迷い込んだ。駅に続いているのかと思ったら、単に道を渡った反対側に出ただけだった。

名鉄岡崎風景-8

 ようやく中岡崎駅が見えてきた。上の方を走っているのは、名鉄ではなく愛知環状鉄道だ。
 愛知環状鉄道というと、海上の森近くを走っているローカル線という印象が強いのだけど、こんな岡崎あたりまで来ているとは知らなかった。岡崎から豊田、瀬戸を通って、春日井の高蔵寺までいっている路線のようだ。もちろん、乗ったことはない。
 愛知万博会場近くを通っていたから、あのときだけは賑わいをみせたんだろう。

名鉄岡崎風景-9

 桜をバックにホームで電車を待つ女子高生。
 手前の障害物を避けきれなかったのが残念だ。

名鉄岡崎風景-5

 鉄橋の下から走り去る電車を見上げる。

名鉄岡崎風景-6

 名鉄といえば車両の色は赤色と相場が決まっていると思いきや、こういう白っぽいものもよく走っていた。パノラマsuperとかなんとかいうタイプだろうか。
 1000系とか2000系とかいわれてもさっぱり分からない。知らない野草の名前は頑張って覚えようと思うけど、電車の系統を記憶することには情熱を傾けられない。
 撮っていれば少しずつ覚えられるだろうか。

名鉄岡崎風景-10

 変わった電車がやって来た。これが2200系というやつかもしれない。一般車か特別車か、見分けるポイントが分からない。鉄の人なら一発で分かるんだろうな。
 名古屋本線は違う色の車両をいろいろつないで走らせている。赤と白だったり、青っぽいやつもいたような気がする。そのあたりの写真も撮っておけばよかったけど、見たら撮ってなかった。せっかくの機会だったのに、ちょっともったいないことをした。また撮りに行くかとはならない。

名鉄岡崎風景-11

 夕暮れ迫る中の名鉄電車。
 普段電車を利用しないから、電車というのは私にとって非日常の乗り物で、夕暮れどきは特に心惹かれるものがある。あの電車に乗れば非日常に連れて行ってくれるような気がして。

名鉄岡崎風景-12

 最後までしつこく電車を撮っていた。
 電車撮りはけっこう楽しいなと思うのが鉄の人の始まりなのだろうか。こんなに撮ってしまう私はすでに片足を一歩踏み入れてしまっているのかもしれない。でも実際、田舎のローカル線なんかは撮ってみたい気持ちが強い。田舎風景と桜と電車は絵になる。ホームの人間模様とか、SLとか、鉄道写真を撮ってる人の気持ちは理解できる。
 完全に入ってますか、私? 今後も機会があれば撮っていこう。飯田線なんかは撮りたい路線の一つだ。今度中央本線の旅に出るから、そのときもしっかり撮らないと。松本や穂高あたりでいい風景に出会えそうだ。


明治村の鉄撮影で撮り鉄二等兵を自覚する ---明治村で撮る<第五回>
2007年11月20日 (火) | 編集 |
明治村で鉄-1

PENTAX K100D+smc Takumar 50mm f1.4



 明治村は建築物でだけでなく、鉄道の楽しみもある。動く市電やSLの他に動かない列車なども保存されていて、おそらく全国の鉄道マニアの人はそれだけを見に来たりもするのだと思う。他の建物そっちのけで。
 私もこの日はにわか鉄になったつもりでいろいろ鉄道関係の写真を撮ってきた。蒸気動車キハ6401の前で写真を撮っていたら、たまたま通りかかった明治村の職員の人に、よかったら中に入って見ていってくださいと声をかけられてしまった。いや、私、鉄の人じゃないんですと言い出しにくくて、それじゃあせっかくだからということで中に入らせてもらった。
 蒸気機関の扉を開けてもらったり、親切にもあれこれ説明してもらってありがたいことだった。写真もどんどん撮ってくださいというので必要以上に撮ってみた。上の写真はその中の一枚で、蒸気機関のアップだ。ちょっと鉄っぽくぐっと迫ってみた。鉄の人の特徴としては一般人が興味を持たないような細かい点に注目するという特質があることに最近気づいた私なのであった。

明治村で鉄-2

 蒸気動車という聞き慣れない名前のこの列車は、蒸気機関車と電車の間をつなぐ珍しいもので、明治村にあるものが現存する唯一のものなんだそうだ。
 一番の特徴はなんといっても蒸気機関が列車の内部にあることだ。一両の中に蒸気機関と客室と機関室が全部同居している。客室の隣で石炭なんかをくべて蒸気の力で走っていたというからすごい。すごいとうか無茶だ。夏場なんて暑くて乗ってられないだろう。
 さすがにそんな無理な列車が主力にはるはずもなく、ごく短期間で姿を消していった。ただ、これを日本で最初に導入したのが我らの瀬戸電だったというのはちょっと嬉しい。名鉄になる前の瀬戸自動鉄道が、1905年(明治38年)にセルポレー式を走らせたのが始まりだった。ただ、あまりにも故障が多く、しかも頑張っても時速20キロくらいしか出ないことから早々に見切りを付けられたのだった。
 明治村にある蒸気動車キハ6401号車(工藤式蒸気動車)は、明治45年(1912年)に現在の関西本線で短期間使用されたもので、そこでもあまり活躍できないまま名鉄蒲郡線に払い下げられた。そこでしばらく走ったあと廃車となり、長い間犬山遊園で野ざらし展示されていたそうだ。そろそろ廃車かと思われたところで明治村から声がかかり、ここで保存展示されることになったというわけだ。
 外観も元の姿に復元されて、鉄道記念物にも指定された。一般人の私は鉄道記念物なんてものがあることも知らなかったけど、かなり名誉なことなんだそうだ。

明治村で鉄-3

 朽ち果てそうな荷物棚と、朽ち果てたつり革。年季が入っているという度を超している。うっかりつり革につかまったらちぎれて顔からシートに突っ込んでいきそうだ。荷物を乗せたら、突き抜けて座っている人の頭の上に落ちる。
 列車自体が木でできているというのも驚く。これは確かに機関車でもないし電車でもない。走る木造建築だ。こんなものが実際に走っていたというのだからびっくりする。ガタゴトというよりギシギシきしみながら走っていたんじゃないだろうか。脱線したらバラバラに分解してしまいそう。

明治村で鉄-4

 これが外の前から見たとことだ。蒸気機関が列車内にすっぽりおさまっているのが分かる。扉が前開きになるのは、やっぱり熱対策だったりするのだろうか。狭い機関室に閉じこめられたら大変だ。
 ちょっと暗いけど、上からは煙突が突き出している。ここから煙を吐きながら走っていたのだろう。
 車輪の仕組みは蒸気機関車とそっくりなスタイルをしている。

明治村で鉄-5

 移築保存されている鉄道局新橋工場の中には、明治天皇、皇后の専用列車である6号御料車と5号御料車の二両が保存展示されている。両方とも鉄道記念物に指定されている。写真は明治天皇用の6号の方だ。
 明治には数台の皇室専用列車が作られて、6号は一番最後であり最も豪華な御料車とされている。外観はもちろん、内装にも力が入れられていて、走る芸術工芸品といわれていたという。残念ながら普段は中にはいることができず、触ることもできない。ただ、見学ツアーみたいなのがあるようで、一度団体で中に入っているのを見たことがある。
 かつてはこんな列車で優雅に旅をしていたのだ。ちょっと信じられないような気もする。電車は自動車や飛行機とは違って決まった線路を走るものだ。のんびりしていた時代とはいえ、マイ列車ということは、その時間は線路も独占してしまうということだ。
 大正から昭和にかけても御料車は歴代天皇家のために作られ、かつては全国を走っていたそうだ。現在はわずかに一台(3代目1号)だけが使用可能な状態だそうだ。天皇専用列車で天皇一家がどこかへ旅行へ行ったなんてニュースは聞いたことがない。今の時代だからそんなこともあっていいとも思う。
 その他の車両は、今年になってできた埼玉県大宮駅近くの鉄道博物館に展示されている。

明治村で鉄-6

 皇室といえばやはり菊の御紋だ。この紋が入ってるだけで恐れおののいてしまうところがある。
 内部は確かに豪華絢爛なものだった。家具類や内張なんかも大変な手間暇とお金がかかっている。

明治村で鉄-7

 明治村の村内では9号と12号の蒸気機関車が動態保存されていて、毎日お客を乗せて走っている。
 12号は明治7年のイギリス製で、新橋-横浜間を走っていたものだ。動く状態としては日本で一番古い蒸気機関車となった。
 9号は明治44年のアメリカ製で、富士身延鉄道で活躍していた。
 この日は機関車が走っている場面に遭遇せず、写真を撮ることができなかった。残念。
 上の写真は静態保存されている尾西鉄道1号機関車。これが乗っているオレンジ色の橋は、新橋-横浜間にあった六郷川に架けられた日本最古の鉄橋だ。

明治村で鉄-8

 走る京都市電は撮れた。
 京都市電は明治28年に開業した日本初の市電で、明治村では明治44年に製造された車両が2両今でも現役で走っている。これは戦後しばらくまで都市電北野線(伏見線)を走っていたものだそうだ。
 京都市電は、1978年に廃止というから、私は見たことがあるのかどうなのか。ぼんやりとしたイメージがあるような気もするのだけど、それは気のせいかもしれない。

明治村で鉄-9

 一日の仕事を終えてドッグ入りする蒸気機関車。まだ少し名残の煙を吐いていた。
 手前は燃料だろう。このあたりも本物っぽい。

 こうして振り返ってみると、にわか鉄にしてもまだまだ対象への迫り方が甘いことを自覚する。鉄道はまず乗ってみてこそというところがあって、離れたところから写真に撮るだけでは近しい関係を築けず、写真としても緊張感が足りないものとなる。最初の蒸気動車は中に入ったからこそ撮れた写真だ。
 今回は蒸気機関車が走ってるシーンも撮り逃したし、いずれにしてもまた行かないといけない。そのときは蒸気機関車と市電と両方乗ることにしよう。御料車もどうしたら内部を見物できるのか調べないと。見学時間というのが決められてあるのかもしれない。
 本格的に鉄の人となれるとは思わないけど、鉄道を撮る楽しさには目覚めつつある。鉄道撮りも面白い。それはもう認めよう。撮り鉄予備軍から撮り鉄二等兵くらいになったことは自覚しないといけないか。
 秩父鉄道のSLもこの前行こうとして行けなかったから、来年の課題の一つとしたい。大井川鉄道も機会があれば乗ってみたいし撮ってみたい。愛知から長野へ行く飯田線も魅力的だ。
 この週末は奈良まで近鉄を乗り継いで行くことになってるから、ここでも恥ずかしがらずに写真を撮りたいと思っている。旅の恥はかき捨てということで、ホームの一番先頭で一心不乱に電車の写真を撮る人となろう。そのためにはほとんど捨て身の覚悟が必要だけど。
 というわけで、明治村は鉄の人にとっても魅力的な場所なのです。ぜひ、全国の鉄軍曹や鉄将軍の人は行ってみてください。私も頑張って撮り続けて、最終的には撮り鉄少尉くらいにはなれるといいな。


伊良湖の帰りに豊橋で路面電車を撮る撮り鉄予備軍二人組
2007年11月13日 (火) | 編集 |
豊橋路面電車-1

Canon EOS 20D+SIGMA 18-50mm f3.5-5.6



 路面電車には異国情緒のようなものがあって、私は路面電車を見るとそれだけでけっこう興奮してしまいがちだ。ただ電車が道路を走っているだけなのに。
 名古屋もその昔は市内を路面電車が走っていた。1973年まであったというから、私も幼い頃に見ているのかもしれない。まったく記憶にはないのだけど。
 現在、愛知県内では豊橋市に唯一残っている。天下の国道1号線を路面電車が走るのはこの豊橋だけだ。地元では単に「市電」と呼ばれることが多く、街のシンボルともなっている。正式名は、豊橋鉄道東田本線(あずまだほんせん)という。
 前から一度見てみたいと思っていたところへ伊良湖行きがあって、その帰りにせっかくだから見ていこうということになった。あれももう先月のことになる。
 あまり時間がなかったのでついでに少し写真を撮るというだけで、乗ったりはしなかった。今になってみると、一区間だけでも乗っておけばよかったかと少し悔やんでいる。来年、伊良湖へタカの渡りを見に行くことがあれば、そのときこそ乗ってみよう。
 全長わずか5.4キロ、20分と、日本で一番短い路面電車となっている。停留所は14。端から端まで乗っても150円。ちょっとした旅行気分を味わうにしても安上がりなもんだ。

豊橋路面電車-2

 豊橋の地理はまるで分からないのだけど、豊橋駅と東エリアの赤岩口、運動公園前をつなぐ路線にどれくらいの需要があるのだろう。東京の都電は大賑わいだったから、あれなら黒字というのは分かる。豊橋の場合は見ていた範囲では利用者は少なそうだった。朝夕の通勤通学時は混雑するにしても、昼間は乗客が少なそうだ。
 おそらく、単なる交通手段としてではなく、付加価値を持った存在としての意義を豊橋は見いだしているのだろう。この路線ならバスで充分まかなえる。
 豊橋路面電車のちょっと驚くことは、昭和57年(1982年)に600メートル延長して、更に平成10年(1998年)には150メートル延ばして豊橋駅まで乗り入れしたことだ。全国で次々に路面電車が姿が消していく中、時代に逆行して路面電車を延長するところなどめったにあるものではない。
 けど、経営はさすがに厳しいものがあるのか、電車はどれも動く広告塔になっている。最近はバスもこういう広告カーが増えた。カラフルになって見た目はいいのだけど、ときどき情緒がない。

豊橋路面電車-3

 見慣れてしまえばなんでもない光景も、よそ者の目には新鮮に映る。路面電車のある風景はやっぱりいいもんだ。古き良き時代が偲ばれる。
 生き急ぐ時代だからこそ、こういうのんびりした要素がアクセントとなって、人の心を和ませる。都電や江ノ電に人気が出るのもうなずける。あまり深くうなずくと電車の人となってしまうので、うなずきは小さめにしておきたい。

豊橋路面電車-4

 路面電車は交差点を大きくカーブしていく様子が絵になる。
 豊橋の路面電車の線路には日本一の急カーブがあるというのだけど、それはここのことだろうか。違うのか。
 豊橋にもかつてのカラーリングを再現したレトロ電車が導入されて走っているという。これがそうかと思ったら、ちょっと違った。カラーはこんな感じだ。

豊橋路面電車-5

 歩道橋を渡って反対側から狙ってみる。
 ここはちょうどおあつらえ向きに歩道橋がぐるりとつながっているから、電車を撮るには絶好のポイントだ。きっと電車の人たちが頻繁に出没する地点に違いない。一般の人からしたら、このときの私たちが電車の人に見えていたのだろう。

豊橋路面電車-6

 こうして見ると、やぱり路面電車がいかに無駄に多くのスペースを取っているのかがよく分かる。この部分を道路にしたら、どれだけ車の流れがよくなるか。車社会になって邪魔者にされて、次々に姿を消していったのも仕方がないことだった。
 荒川線の路面走行部分は車と共有していたけど、ここは独立していて車は進入できない。共有は事故の危険性も高まるし、あまり現実的ではないか。
 でも、やっぱりこの風景はいいなと思う。なつかしくて、むしろ新しい。近未来では、ここをチューブに入った電車が走っているかもしれない。

豊橋路面電車-7

 すれ違う電車。私は電車の人ではないから、何形とかそういうことは一切分からない。モ3100形とかモ3200形とかいろいろあるようで、その道の人は一目見たら分かるのだろう。
 調べてみると、ここを走っているのは、どこかしらからもらった車両が多い。名古屋市電から譲り受けたものがかつての主力だったり、岐阜などで廃線になった電車を引き取ったり、都電からももらっている。ほとんどもらいものだけで成り立っているようだ。車両に詳しい人なら、これはあそこで走ってたやつだとか分かって楽しいのだろう。それをいちいち説明されも、はぁとしか言えず困ってしまうのだけど。

豊橋路面電車-8

 豊橋は車のバックミラーにも路面電車がいる素敵な街だった。もっとじっくり時間をかけていろんな角度から撮ってみたかった。このあと都電でけっこう撮ったから余計にそう思う。また次の機会を作ろう。

 1930年代のピーク時は、全国65の都市で路面電車が走っていた。49都道府県だから、1県に1線以上あったということだ。
 戦後、車社会の発展と共に過去の邪魔者扱いされて、現在は全国で20都市ほどで走っているのみとなった(一部が路面電車だったり、路面を走っていても路面電車扱いになってないところなどもある)。岐阜市も、2005年の3月でとうとう廃止になってしまった。
 今後もますます減り続けるだろうと思いきや、世界をみると、実は逆に増える傾向にあるというのだ。世界では50以上の国の400都市で路面電車が走り、一度廃線になったものが近年復活した例が50都市以上もあるらしい。地球温暖化だ、環境破壊だなどと言われて久しい現代だからこそ、路面電車のよさが見直されつつあるのだろう。日本にもこの流れがやってこないとも限らない。地下を掘るばかりが脳じゃない。
 地方ではなかなか採算が取れないだろうけど、都市ならいけるはずだ。モノレールなんかを作るよりもよほど安いし、バスよりも安全でクリーンだ。ガソリンも高くなる一方だし、そろそろ脱車社会という方向に転換していってもいい時期なのかもしれない。
 21世紀型の路面電車というものある気がする。銀河鉄道999のように外観はレトロでも中身は最新鋭みたいなものが。
 またどこかの街へ路面電車に撮りに行こう。そうこうしてるうちに私も知らずしらず電車の人となっているかもしれない。寝言で「キハ……形」とか言い出したら、もう引き返せない。残り後半生は、撮り鉄として生涯を全うするしかあるまい。


自転車に乗って風になるためには尻の肉が必要だ 2006年12月21日(木)
2006年12月22日 (金) | 編集 |
自転車だらけ

PENTAX istDS+Super Takumar 50mm(f1.4), f1.8, 1/320s(絞り優先)



 自転車屋の店先で大量に積み上げられた自転車を見ると、万景峰号(マンギョンボンゴウ)を思い出す。一体彼らはどこからあれだけの自転車をかき集めてきたのだろうという思うと、万景峰号が入ってこなくなったら放置自転車は増えるんだろうかなど、様々な思いが交錯する。その自転車は置いてあるのです、捨ててあるわけではないのです。
 高校の3年間、私は自転車通学をしていた。片道40分、雨の日も、雪の日も、暑い夏も、なんの工夫もなく自転車をこいで学校へ行っていた。梅雨時のカッパ通学はつらかった。雨と汗でずくずくになって、着いたときには一日のやる気をすべて失っていたものだ。若かった。今思えば雨の日くらいバスで行けばよかったし、雪の日くらい休めばよかった。なのに、なんであの頃はなんの疑問も持たずに自転車だったんだろう。高校生の僕たちはみんなバカだった。
 高校3年間ですっかり自転車には乗り飽きた私は、それから長い間まったく自転車にまたがることさえなかった。少し話は脱線するが、小学生のとき、大須スケート場で伊藤みどりの自転車を見てまたがったことがあるというのが私の数少ない自慢の内のひとつだ。スケートリンクの真ん中では、レオタードを着たチビの伊藤みどりがクルクル回っていた。脱線ついでにもうひとつ思い出話を語ると、中学時代は当時流行ったチョッパーというハンドルに交換した自転車に乗っていた。映画『イージーライダー』とかで出てきた、びよ〜んと長く上に伸びているハンドルだ。しかし不良でもなんでもない私は、街で本物の不良と出会ってカツアゲされないかと心配でならなかった。そのうちその見えないプレッシャーに負けて普通のハンドルに戻したという微笑ましいエピソードも残っている。ハンドルのゴムの部分を色付きのものにしたり。
 それはともかくとして、再び自転車に乗るようになったのは去年のことだ。散策をしていて、車に折りたたみ自転車を積んでおけば現地での行動範囲が広がるに違いないと思いつく。そんな軽い思いつきで買った折りたたみ自転車は、尻に対してものすごく厳しいシロモノだった。安さで選んだために、サドルにスプリングさえ付いておらず、ヤワになっていた私の尻が悲鳴を上げるのに時間はかからなかった。15分乗ったところで、もう勘弁してくれという激しい抗議が尻から来て、私としても聞き入れざるをえなかった。
 それから何度か乗ってはみるものの、やはり尻痛に負けてしまう日々が続いている。便利は便利なのだけど、タイヤが小さいのですごく疲れるし、ちょっとした坂でも登れないというのが難点だ。折りたたみ自転車、侮りがたし。思いがけないところに敵は潜んでいるものだ。
 今日はそんな自転車について勉強してみようと思った。自転車のことをよく知って理解すれば、私ももっと自転車に乗ろうと思うだろうし、尻痛にだって勝てるかもしれない。もしかしたら、「僕の歩く道」の草なぎくんのように突然、ロードレーサーの自転車を買ってしまうかもしれない。いや、60万円は高すぎて買えないぞ。

 自転車の歴史はまだ浅く、現在の元となった自転車が作られてからまだ100年、原形と言われるドライジーネからまだ200年も経っていない。こんなに一般庶民が乗るようになったのも戦後のことだ。
 世界で一番最初に自転車が作られたのはドイツで、ドライス男爵が二つの車輪を縦に並べてハンドルを付けた自転車もどきで地面を蹴って進んでいたのが始まりとされている。それがヨーロッパの一部で流行り、当初は遊び道具だった。
 それから時は流れ、19世紀の後半、フランスの乳母車を作っていたミショー親子がペダル式の自転車を発明して、これが世界に広まっていった。
 その後、いろいろな工夫や発明があり、非公式には江戸時代の末期、公式には明治の始めに日本にもオーディナリー型というのがやって来きて、ダルマ自転車と呼ばれた。
 現在の元となったセーフティ自転車が登場したのが1885年。イギリス人のスターレーが作ったローバー号が近代自転車の原形と言われている。
 1888年にはダンロップが空気入りのタイヤを発明して、自転車のスタイルはほぼ完成した。ただし、欧米ではすぐに一般にまで浸透した自転車も、日本においては長らく上流階級のステータスシンボルであった。当初は高価で庶民が買えるようなものではなかった。
 日本人が当たり前に自転車を乗るようになったのは、戦後しばらく経ってからで、高度経済成長のときにひとつのピークを迎えることになる。誰もが買えるものとなり、日本は世界一の自転車輸出国となった。現在、その地位は中国に譲っている。やはり自転車といえば中国だ。
 日本人で一番自転車が似合うのは、中野浩一でもヤクルトレディでもなく、金八先生の大森巡査だと思う。

 自転車競技の歴史は古い。何か新しい乗り物を発明すると、それで競争してみなければ気が済まないのが人類らしい。1896年のオリンピック第1回アテネ大会から競技に採用されているし、ツール・ド・フランスは1903年に始まっている。1903年モーリス=ガラン、1904年アンリ=コルネ、1905年ルイ=トゥルスリエ、1906年ルネ=ポチエ、1907年ルシアン=プチブルトン、1908年ルシアン=プチブルトン、1909年フランソワ=ファベール、1910年オクアブ=ラピズ……。もちろん、覚えてるわけではない。カンニングしただけ。日本でも明治31年(1898年)には最初の自転車競技会が開かれている。
 競技は大きく分けて4種類。トラックレース、ロードレース、オフロードレース、その他。おそらく競技人口は驚くほど多いのだろうけど、私はほとんど見たことも聞いたこともなく、周りに自転車レースをしてる人もいないので、まったく未知の世界だ。競輪もやったことがない。中野浩一のアデランスのCMは覚えているけど。そういえばケイリンというのは今や世界語となっている。
 マウンテンバイクやBMXなどは知らないわけではないものの、実際の競技は見たことがない。海上の森を歩いていたらマウンテンバイクにひかれそうになったことはあった。
 サイクルサッカー、サイクルフィギュアなどというマイナーな競技もある。

 こうして見てくると、自転車というのは馴染み深い身近なものであると同時に、広がりと奥行きのあるものだということを知る。今まで知らなかったことを今日勉強してたくさん知った。
 知らなかったといえば、自転車と道交法との関係も今まで知ってるようで知らなかった。あれを読むと、この世で正しく自転車に乗ってる人はひとりもないということになる。
 まず自転車というのは、馬や牛、リヤカー人力車などと同じ軽車両に分類されるので、歩道を走ってはいけないということになる。つまり、自転車は車道の左端を走らなければ道交法違反ということになるのだ。そんなアホな。車道なんかを高校生の通学で走られた日には危なくてしょうがない。お年寄りがフラフラしながら運転されても困る。
 自転車も車と同じ制限速度が適用されて、それを超えるとスピードオーバーとなるということだ。だいたい普通の自転車はどんなに頑張っても40キロくらいしか出ないから大丈夫なのだけど、細い道で30キロ制限のところを全速力で走ると違反になる。更に驚くことに、一方通行も逆走したら一通違反となるというのだ。本気だろうか。逆走するときは自転車を降りて歩行者とならなければいけないらしい。
 酒飲み運転は懲役3年以下または50万円以下の罰金、信号無視、一時停止無視、右側通行、踏み切りでの一時停止無視は懲役3ヶ月以下または5万円以下の罰金、夜間の無灯火走行、傘差し運転、右折左折のときに腕で合図をしないと5万円以下の罰金、二人乗り、並走、歩行者の通行妨害は2万円以下の罰金となっている。ベルで歩行者をどかせてしまっても違反となる。誰が守れるかっ。
 しかも恐ろしいことに、自転車の場合免許がないので車の青切符に当たるものがなくて、いきなり刑が執行されてしまうというところだ。それはつまり前科が付くことを意味する。実際、大阪で二人乗りの女子高生が警官の注意を無視して走っていたら捕まって赤切符を切られたなんてこともあった。自転車って、そんな危険な乗り物だったのか。

 世界的な流れとして、みんなで自転車に乗ろうという動きがある。地球に優しくするために、なるべく車には乗らないようにしようということで。欧米では自転車通勤をする人も増えているそうだ。ハリウッド映画でもそんなシーンがけっこう出てくる。都会では特に自転車が見直されているようで、渋滞や満員電車を考えると自転車の方が早くて快適ということもある。お金はかからないし、運動やダイエットにもなる。
 子供の頃田舎のじいちゃんが乗っていた自転車を思い出してみると、自転車というのもずいぶん進化したものだと思う。スタイルだけでなく素材も変わってきている。乗り心地やスピードもきっと上がってるのだろう。電動付き自転車が生まれ、この先自転車の未来はどうなっていくのだろう。もうチョッパーハンドルは二度と流行らないのだろうか?
 実現不可能なことでいえば、乗らないときはポケットに入るくらいコンパクトになって、乗るときは取り出してリモコンで瞬時に戻ってくれると嬉しい。ドラえもんがやって来たら頼もう。現実問題としては、雨の日どうにかならないものだろうかと思う。関西のおばちゃんご用達の「さすべえ」ももうちょっとお洒落アイテムに生まれ変わって欲しい。雨の日だけピザ屋のバイクみたいになると、もっと気軽に自転車に乗れるのに。
 私もそのうち、もう少しいい自転車を買って、風になりたい。急な下り坂で友達を後ろに乗せて風になろうとしてガードレールに直撃して友達が空を飛んだときが今懐かしく思い出される。ただ、私の場合は、もう一度尻を鍛え直すところから始めなければならない。今のままでは15分でカラータイマーが点滅してしまう。尻だけに肉をつけるにはどうしたらいいんだろう? 丈夫な無駄肉を持ってる人は私に少し分けてください。いや、そんなにたくさんはいりません。
 女子と自転車の二人乗りもしたことがないから、いつかしてみたい。男子高校生と女子高生の嬉し恥ずかしの世界が無理なら、『明日に向って撃て!』のポール・ニューマンとキャサリン・ロスのように。「雨に濡れても」を歌いながら。




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