 Canon EOS 20D+EF-S 17-85mm f4-5.6 IS / EF 50mm f1.8 II
人口1万人の町、足助町が年に二回賑わいを見せることは知っていた。第一はなんといっても秋の香嵐渓で、これは愛知県屈指の紅葉名所として全国的にも知られている。もう一つは春のカタクリ。こちらの方は般的な知名度はさほど高くないものの、この地方では特に有名な群生地で大勢が詰めかける。 活気を呈するのは年に二回と思っていたらもう一つあった。それが今回訪れた中馬(ちゅうま)のおひなさまというひな祭りイベントだ。1999年に始まって以来今回が10回目で、年々規模も大きくなり、人も集まるようになってきたそうだ。私はもっとローカルな催し物だと思っていたからあまりの人出に驚いたのだけけど、期間中の一ヶ月に7万人を超える人が訪れるというから大イベントに成長していたのだ。知らなかった。 中馬というのは簡単に言うと江戸時代から明治にかけての運送屋さんのことで、海でとれた塩を信州などの山に運ぶときにここの道を使ったので、古くは中馬街道と呼ばれていた。その街道沿いにおひな様を飾るイベントだから「中馬のおひなさん」というわけだ。 尾張、三河、信濃の国境に近い要所ということで、戦国時代には武田信玄もこの道を通り、徳川家と小さな足助城の取り合いを演じている。 江戸時代以降は宿場町としてそれなりに栄え、今もその面影を残している。現在は静かな里で、訪れる人も少ない。 中馬のおひなさんイベントは、毎年2月のはじめから3月のはじめにかけての一ヶ月ほど開催される。足助の町の店舗や民家が協力しておひなさんを飾り、訪れる人に楽しんでもらおうという趣旨で始まった。 香嵐渓として知られる紅葉名所からやや外れた巴川の西側から始まり、足助川の北側へと続く約2キロがメイン会場となる。地図で紹介されているだけでも130の店や民家がそれぞれ自前のおひな様を飾り、町はひな人形一色となる。 期間中の週末には、コンサートや浄瑠璃、人形の色つけ実演やもち花作り体験などのイベントも用意され、出店なども登場してお祭りムードに包まれる。 飾られる人形はひな人形に限らず、作られた年代も江戸から平成までと幅広い。上の写真は、一番新しい平成のものだ。華やかで繊細でしゃれている。私が思い浮かべるひな人形よりもかなり洗練されていた。顔つきも時代の流行があるのだろう、ずいぶん今風な感じだ。あかりがピンクだったり、ひな壇がスチール製(?)だったりと、そのあたりにも新しさが出ている。
 とにかく大きいのから小さいのまでひな人形だらけで、どれをどう撮っていいものやら戸惑う。とりあえず最初は目につくものを記録するように撮っていったのだけど、ひな人形当たりを起こしたというか、だんだん感覚が麻痺してくる。悪く言うとひな人形に飽きる。帰ってきてからふと冷静になって撮ってきた写真を見てみると、もっと顔のアップを撮ればよかったとか、気に入った人形を見つけて個別に撮ればよかったとか、いろいろと悔いが残った。ひな人形を撮るのは初めてだったから勝手が分からなかった。意外と難しいことを知る。 上のひな人形は、古い大正時代のものから新しいものまでいろいろな年代のものが並べられていたようだ。狭い室内に大勢の人がいるところだとじっくり鑑賞したり写真を撮ったりは難しい。ひな人形撮影をメインに考えるなら平日の方がいい。特にひな祭りが終わった明日以降がよさそうだ。
 かなり豪華なものだけど、これは私の中のひな人形イメージに近いものだ。おそらく昭和のひな飾りだろう。 女兄弟もいないし、ひな祭り会などにお呼ばれしたことがないから、ひな人形にはまったく馴染みが泣く、知識はほとんどない。去年このブログでひな料理を作ったときに調べて書いたから多少は分かるようになったけど、どの人形がどんな名前で配置がどうだとか、そんな詳しいところまでは無知のままだ。箱に入ったひな人形を自力で正しく飾るのも不可能だ。男雛と女雛の位置しか分からない。左右のことに関しては去年書いた。
 これまた高そうなひな人形だ。昭和63年というから、かなり新しい。今でもこういう豪華なひな人形を買う家庭があるんだ。21年前というから、このイベントのために買ったわけではない。 ちょっと調べたところ、七段飾りの一式で30万から40万くらいするようだ。高いのはもっとだろう。これだけ大きなものを飾っておくにはそれだけ部屋が広くないといけないし、しまっておく収納スペースも必要になる。マンションではなかなか難しそうだ。
 飾ってあるひな人形のそばにはさりげなくいろんな人形が置かれている。一つの特徴として巨大日本人形がときどき登場するというのがあった。ひな祭りとは直接関係なさそうだけど、いい機会だから一緒に飾って見てもらいましょうということだろうか。夜とかちょっと恐そう。幼稚園生くらいの等身大だし。 背景の飾りや菜の花が華やかさに彩りを添える。その手前は田舎によくある木の置物だ。うちの田舎にも切り株とか木の根っことかが置いてあった。 左側のひな壇を数えると八段ある。バブル期に八段飾りがたくさん作られたそうだ。当時はみんなお金を持っていたから七段では物足りなかったのだろう。ひな人形にもその時代が反映されるものだ。
 人形についてや古い歴史などを説明してくれたおばさま。モノクロの古い写真の中の女のが買ってもらったひな人形だそうだ。その家の人たちと話をしたりするのも楽しみの一つとなっている。そこでついつい買い物をしてしまうという人も多いのだろう。 靴を脱いで家の中まであがらせてくれるところもある。
 時代をさかのぼるほど古くなって年季が入った感じになっていく。それと、人形の特徴がずいぶん違っているということもだんだん分かってくる。古いものほど小さく、渋くなっていく。地味ながらも重みがある。 ひな祭りの歴史を辿れば、平安時代の人形遊びが始まりだから、子供の遊び相手としてはこれくらいのサイズの方がしっくりくると言えるかもしれない。江戸時代以降は自分の災厄を人形に身代わりさせるという儀礼的な意味合いが強くなり、やがて飾ることそのものが目的になっていった。 ひな壇の前の方ではいろんな人形が参加している。七福神や歴史上の有名人などが多い。冬ソナブームのときは、ペ・ヨンジュンたちの人形もどこかで飾られていたという。あと何年か何十年かすると、ここに綾波レイのフィギュアとかが置かれるようになるかもしれない(それはならないか)。
 江戸時代のひな人形に見入る人たち。ほほー、とみんな感心していく。 ひな人形でありながら舞台のジオラマのようだ。人形浄瑠璃を思わせもする。 昔は御殿を模したり、その中の一室を再現したりするのが一般的だったようだ。のちにそれが簡略化され、屏風とひな壇だけになった。 江戸時代のものとしては保存状態がいい。代々大切にされてきたのだろう。資料としても貴重なものに違いない。飾られていた中では一番古いものだったかもしれない。
 右手前のものは明治時代だったか大正時代だったか。こちらも古いものだ。今回、メモ撮りをまた忘れてしまった。 飾られている人形の種類も、昔と今とでは顔ぶれが違っている。そういう変遷を見られるのもこのイベントの良いところだ。古いひな人形だけを集めてもそういうことは分からない。 江戸時代ひな人形の前にお賽銭が置かれていたのはちょっと面白かった。そういう心理は理解できる。
 土雛(つちびな)や土人形も主役の一つだ。最初は、この地方に古くからある土雛を集めて展示したのが中馬のおひなさんイベントの始まりだった。それがきっかけで町の住人からうちの古いおひな様も一緒に飾って欲しいという話が出て、少しずつ今のような町ぐるみの行事になっていったという経緯がある。 足助中馬館や交流館などにはたくさんの土人形が並べられていた。牛若丸と弁慶や、加藤清正などの戦国武将、赤穂浪士や七福神などが多い。 奥では色つけの実演もやっていた。
 竹の中に飾られた小さなひな人形たち。これもけっこう有名なひな人形になっているようで、みんな写真を撮っていた。 これくらいならアパートでも置ける。ささやかだけどひな人形には変わりない。 こういう行事は昔からの伝統というだけでなく意味のあるものだから、あまり軽視しない方がいいようにも思う。精神だけ忘れなければいいというものではないし、形だけ真似れば済むということでもない。次の時代に引き継ぐという役割も果たす必要がある。 ひな祭りがどういう意味を持っていて、どういう歴史があって今に続いているのかを子供たちに伝えることは無駄じゃない。そのためにはまず大人や親が知る必要がある。知らなければ勉強しないといけない。そこにどんな願いが込められているのかも理解してないままでは精神が伝わらない。 私も今回、このイベントを見にいったことでもう一度ひな祭りというものを考え直すきっかけとなった。祝日ではない3月3日はさりげなく過ぎてしまうから、やっぱり祝日にした方がいいんじゃないか。成人の日をハッピーマンデーで移してしまうようなことはやめて、祝日についても見直した方がいい。それぞれの日にちにはきちんとした意味があるのだから、勝手に動かしてしまったら意味が違ってきてしまう。旧暦から新暦に変わってしまったから今更ではあるのだけど。 ちなみに、ひな祭りが過ぎた後もひな人形を片付けずにいると結婚が遅れるというのは昭和作られた迷信で根拠はないそうだから安心していい。中馬のおひなさんイベントは来週の日曜日(9日)まで続く。私の足助ネタももう少し続くことなりそうだ。
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