現身日和【うつせみびより】
この世界にはたくさんの美しいものや面白いものがあることを知るための毎日であれば、それは楽しくて幸せなこと。
去年ついでに寄った平塚神社と長崎神社と2つで合わせ技一本
2008年05月29日 (木) | 編集 |
平塚神社-1

PENTAX istDS+PENTAX 18-55mm f3.5-5.6



 これまで東京の有名な神社についていくつか紹介してきた。有名どころはかなり行き尽くした感がある。けれど、よくよく調べてみると、東京十社にしても、別表神社にしても、ポツリ、ポツリと抜けているところがあって、まだまだコンプリートには遠い状態だ。これから巡る予定の神社をざっと書き出してみると、軽く20を超える。マニアックなところでは、平将門の首や手足や胴体、兜、鎧などを御神体にしている神社巡りなんてのもある。なので、神社シリーズもまだネタ切れというわけではない。
 そんな中、今日は別の目的地へ行く途中、ついでに寄った神社を二つ紹介したいと思う。特に有名というわけではないけど、何かの縁で行くことになる神社というのがある。通りから少し奥に入ったところでも行こうかと思うこともあるし、目の前を通りながら中まで入らないこともある。波長というのか、縁というのか、たまたまなのかは分からないけど。
 こういう神社紹介を、東京マイナー神社シリーズと名づけよう。そこはマイナーじゃない、自分はよく知ってるぞという人もいるだろうけど、東京へ観光に行った地方の人間が行かないような神社という意味でマイナーとさせていただきたい。そもそも観光のために東京へ行って好きこのんで神社に行く人もそんなにたくさんはいないろうというツッコミはさらりとかわして、話を先へ進めることにしよう。

 一般的にはほとんど知られていないと思われる北区平塚という町も、内田康夫の浅見光彦シリーズのファンにとっては馴染みのある場所だ。浅見家があるのがこの町で、光彦のおふくろさんが好物の団子を売っている平塚亭は、実際に平塚神社の入り口に店を構えている。JR京浜東北線上中里駅を出て、蝉坂を登っていくあたりは、作品の中で何度も登場している。
 実は、私がそのことに気づいたのは、名古屋に帰ってきてからのことだった。あの平塚神社って、浅見光彦のあの平塚神社だったんだと驚いた。全然思いもしなかった。だから、平塚亭も見ていない。なんたる不覚。
 このときは、ここから少し先にある古河庭園にバラを見に行ったのだった。ちょうど去年の今頃の時期だ。もし、知っていたら、平塚亭で団子を買って食べていただろう。惜しいことをした。もう一度あそこまで行く機会はありそうにない。

 平安時代、この地は豊島郡を治める郡衙があったところで、平安末期に秩父平氏庶流の豪族・豊島太郎近義という人間が平塚城を建てた場所だった。この時代のものだから、戦国時代のような城ではなく、城館だったのだろう。
 1062年の前九年の役(陸奥国司と豪族安倍氏との戦い)に続き、1083年に後三年の役が起こり(出羽国の豪族清原氏との戦)、それに勝利して凱旋した源義家をもてなしのが平塚城主の豊島近義で、感銘を受けた義家は鎧と十一面観音像を贈った。
 義家が死去すると、近義はその鎧を埋めて城の鎮守とし、社に義家三兄弟(八幡太郎義家、新羅三郎義満、加茂次郎義綱)の像を祀って平塚三明神としたのが平塚神社の始まりとされている。この塚が現在も平塚神社の本殿裏に残っている(非公開)。それが平らな塚であったことが平塚の地名の由来となった。豊島区は、平塚城主の豊島氏から来ている。
 鎌倉から室町時代にかけて、平塚城は豊島氏代々の居城として続くも、泰経の時代の1476年、長尾景春の呼びかけに応じて関東管領上杉氏に反旗を翻し、弟の泰明が平塚城で挙兵。それを受けて翌年、江戸城主の太田道灌が平塚城に攻め込み、落城。1478年、兄の泰経と共に再び戦ったものの、江古田・沼袋原の戦いで破れて泰明は討ち死にしてしまう。
 以降、豊島氏は急速に没落して、平塚城は使用されないまま廃城となる。
 蝉坂というのは、太田道灌が攻め入ってきた坂、攻め坂がなまって蝉坂になったといわれている。
 時は流れて江戸時代。上中里村出身で盲人の針医・山川城官貞久が江戸に出て検校にまで出世して、家光が病気になったとき、平塚明神に祈願したところたちまち病が治ったことから、自らの資金で平塚明神の社殿を建てた。その話を聞いた家光は、平塚明神に250石の知行地を与え、それが現在の平塚神社へとつながった。

平塚神社-2

 溶岩の塊のようなところに狛犬が乗っている。獅子は我が子を千尋の谷底に落として這い上がってきた強いもののみを育てるとうシーンを再現しているのだろうか。違うかもしれない。
 これとよく似たものをどこか別のところでも見た。あれはどこだったか。横浜の伊勢山皇大神宮へ行く途中にあった神社だっただろうか。
 境内社として、豊島神社、御料稲荷、菅原神社、石室神社などがある。

平塚神社-3

 表から見たところ。右手が下っていく蝉坂で、ここから右に少し歩くと古河庭園がある。まわりは静かな住宅地だ。
 神社は鬱蒼とした木に囲まれて深閑としているようだけど、境内の半分が月極駐車場になっていて、ずっこける。なんてちゃっかりした商売上手な神社。神社の境内を月極駐車場にしていいものなんだろうか。これが許されるなら、こんないい商売ない。賽銭で小銭をちまちま集めなくてもいい。

長崎神社-1

 ところ変わって、ここは豊島区長崎町。西武池袋線の椎名駅を出ると、すぐ目の前に長崎神社という立派な神社がある。神社仏閣好きなら素通りはできない。ちょっと寄っていこうかということになるはずだ。
 ここへ行ったのはいつだったか、よく覚えていない。西武池袋線なんてめったに乗らない。去年の秋、巾着田のヒガンバナを見に行った帰りだったかもしれない。
 長崎神社というから九州の長崎に関係があるのかと思ったら、まったくなかった。鎌倉時代、執権北条氏の御内人・長崎氏の領地だったことから、長崎村になり、現在も長崎という地名が残ったのだった。江戸時代には、小田原北条氏の家臣で江戸衆の太田康資(太田道灌のひ孫)の所領だった。
 かなり古い神社のようだけど、創建年代は分かっていないらしい。もともとは、長崎村の鎮守として、櫛名田比売命(くしなだひめのみこと)を祀って村の安全と五穀豊穣を願ったのが始まりとされている。クシナダはスサノオがヤマタノオロチを退治することを請け負ったときにもらい受けた妻で、『日本書紀』では奇稲田姫という字を当てられていることから、稲田の女神とされる。
 それが江戸時代中期になると、 十羅刹女社(じゅうらせつにょしゃ)と称されるようになっていった。十羅刹女社というのは、法華経における10人の女性の鬼神のことで、鬼子母神と共に法華経の守護天使とされる神様だ。つまり、江戸時代に入って神仏混淆となっていったことを意味している。
 明治に入って神仏分離令が出されたため、明治5年に須佐之男命を合祀して氷川神社となり、明治7年に長崎神社と改称して、現在に至っている。

長崎神社-2

 ここでも岩に張りつく狛犬が出迎えてくれる。豊島区ではこのタイプの狛犬が流行っているのだろうか。平塚神社と同じ作り手によるものなのかもしれない。他の神社ではめったにこういうのは見かけないから、全国的に見ても珍しいと思うのだけど。
 参道の石段には金属製の手すりが付いている。お年寄りに優しくするのが狙いだろうか。
 ちょっとびっくりなのが、石段を登り切ったところに取り付けられたスライド式の金属門だ。閉店ガラガラ用だろうか。それにしては低すぎて、その気になれば楽々と乗り越えられてしまう。時間外は入らないでくださいという意思表示がしたいだけだろうか。

長崎神社-3

 なかなか面白い木の鳥居だ。両部鳥居と呼ばれるもので、柱の足下に補助をする木(控柱または稚児柱)が取り付けられている。一番上の笠木が反増といって両端が反り上がっているのも特徴だ。安曇野の穂高神社もそうだった。
 この鳥居は関東大震災で倒れて、今のものはその後作り直したものだそうだ。
 鳥居にかかっている神社額は、山岡鉄舟の揮毫らしい。山岡鉄舟と長崎神社の関わりはよく知らない。

長崎神社-4

 境内は静かで、なかなかいい雰囲気だった。ここはけっこう好きだ。
 本殿は1849年に建てられたものだそうで、歴史が感じられて悪くない。
 お参りを終えて、帰ろうと思って最後に振り向くと、ちびっこが駆けてきて、本殿の前で何か願い事をしていた。それがなんだかとてもいい光景だった。

 ここ長崎神社は、獅子舞がある神社として地元では知られている。豊島区で唯一の指定無形文化財だそうだ。
 獅子舞の獅子頭が奉納されたのが元禄年間というから、300年の歴史を持つ伝統の行事ということになる。現在では、豊島区で五穀を育てて生業にしてる人はほとんどいないだろうけど、厄除け神事として続いている。
 黒っぽい姿の獅子舞が印象的で、境内で舞いを演じるだけでなく、獅子舞をしながら町内も練り歩く。
 毎年5月の第二日曜日というから、今年は11日に行われたのだろう。

 江戸東京というと、徳川家康が幕府を開くまでは未開の地だったみたいなイメージがあるけど、その歴史は案外古い。ずっと昔から人は住んでいたし、歴史も重ねてきている。東京最古の寺院である浅草寺などは、大化の改新よりも前の628年までさかのぼる。
 東京は、関東大震災と第二次大戦の空襲と、二度壊滅的な打撃を受けているから、本当に古いものはあまり残ってないのだけど、それでも江戸時代を偲ばせるものはたくさんある。
 一般的な知名度は低いこの二つの神社でも、調べてみれば思いがけない歴史を持っていて興味深い。いろいろな出来事は、横にも縦にもつながっていて、いろんな人間が関わっている。
 今後とも、マイナー神社シリーズは継続させていこう。とりあえず目についた神社仏閣は入って写真を撮っておくべしだ。それがあとになって役に立つ。一ヶ所では弱くても、二つ三つと集まれば、合わせ技一本になる。
 神社だけでも、一生かけても巡りきれないくらいあるから、ネタには困らない。


早朝5時半から7時半までの東京の街を歩く -激闘・河口湖前哨戦
2008年05月13日 (火) | 編集 |
早朝東京

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4



 激闘・河口湖編は、早朝の5時半、東京駅前から始まった。
 5時半といえども当たり前のように電車が動いている東京だから、交通手段には困らない。ただ、この時間から行ける場所というとさすがに限られている。店は別にして、施設は開いてないし、お寺だってまだ閉まっている。開いているところといえば、神社くらいのものだ。
 まず向かったのは人形町。特に何があるというわけではないけど、かつて吉原があった町というのを一度見てみたかったのだ。時間があれば明治座や元町公園まで足を伸ばそうと考えていた。
 東京駅から人形町へは少し行きづらい。とりあえず日本橋の駅までふらふらと歩いていくことにした。そこまで行けば、都営浅草線でひと駅だ。
 さすがに朝の5時半はまだ車通りもまばらで、目的もなく歩いている人は見かけない。見かけるのはホームがレスなおじさんたちくらいだ。一人、バス停のベンチで、真っ白に燃え尽きたあしたのジョーのような格好でお兄さんが深くうなだれて座り込んでいた。大丈夫かいと思ったけど、そういうときに声をかけないのが東京のルールだろう。人にはそれぞれ事情がある。朝の5時半からカメラを持って東京の街をうろついてる私だって、客観的に見ればだいぶ変だ。

早朝東京-2

 これは昭和通りの交差点だったか、その一本手前だったか。
 東京は高層ビルとコンクリートの無機質な街というイメージがあるけど、意外に花や街路樹が多い。下手な地方都市よりもよほど緑がたくさんある。大きな公園も要所にあるし、街の至る所に人の手が入っていて、ちょっとしたスペースも無駄に放置してない。そういう点でも名古屋は完全に負けている。名古屋では中央分離帯に雑草が茂っていて、そこに捨てられた缶が落ちていたりする。

早朝東京-4

 表通りから一本入れば、路地裏とまではいかないけど、個人単位の生活が見え隠れする。このあたりの街の表情は、地方とさほど変わらない。
 けど、こういう路地にすごくマニアックな店があって、客もたいして入ってないようなのに商売が成り立っているという東京の不思議もある。天体望遠鏡や鉱石なんかを売ってる小さな専門店の「ニュートン」なんてところに一度入ってみたことがあるけど、東京駅という立地で、あの狭さと品揃えでどうやって成立してるんだろうと思ってしまった。
 近年、名古屋メシが東京でも受け入れられるようになって、名古屋の有名店がどんどん東京に進出していっている。そういう人たちに言わせると、東京で商売をするのは楽だという。何もしなくてもお客が来てくれるからと。名古屋だと美味しくて安くて評判にならないと客が入らない。一度飽きられるともう来てくれなくなる。それだけ東京には人が多いということでもあるんだろうけど、ニーズの多様さというのは底が知れない。

早朝東京-3

 うわっ、すげえ、と思わず小さくつぶやいてしまいそうになった。24時間営業の果物屋さんなんてあるんだ。考えられない。なんで、深夜や朝っぱらに果物が必要なんだ。翌朝まで待てないか?
 一晩中、人件費と光熱費を使っても採算が取れるから24時間営業なんだろうけど、それにしても誰がそんな時間に果物なんか買いに行くんだろう。通りすがりの人がちょっとスイカでも買っていくかなんてことはそうはないだろうに。
 東京というのはいろんなところで驚かせてくれる。

早朝東京-5

 30分以上かかって日本橋駅にたどり着いた。地図で見ると近いようでも、歩くとなると案外遠いものだ。
 ここから人形町までは1分なんだけど、時計を見ると6時を回っている。このあと亀戸天神へ行く予定があって、新宿駅でツレとの待ち合わせが7時45分ということを考えると、人形町なんて行ってる場合じゃないということに気づく。しまった。なんてこった。
 しばし迷って、もう一度東京駅に引き返すことにする。この往復1時間の歩きはかなり無駄だった。
 人形町も行きたかったけど、またの機会ということにしよう。

早朝東京-6

 あ、日暮里・舎人ライナー。みんなが待っていたって、待っていた人は20年以上待っていたらしいから、地元の人には悲願と言えるだろう。
 私は特に待っていなかったけど、機会があれば一度乗りに行きたいと思っている。ただ、行くといっても路線沿いに何か魅力的なところがあるわけでもなさそうで、目的地になりそうなところといえば西新井大師くらいだろうか。記念に一度、端から端まで乗ることにしよう。
 6月に開業する副都心線もちょっとだけ楽しみだ。といっても、こちらは特に目新しい駅があるというわけではなく、たとえば雑司が谷へ行ったりするときに多少便利になるといったくらいかもしれない。始発の和光市には何があるんだろう。

早朝東京-7

 6時半を回っていたけど、この日は祝日、さすがの山手線東京駅も人が少なかった。こんなに人がいない東京駅を見たのは初めてだ。
 山手線で秋葉原まで行って、そこでJR総武線に乗り換えて亀戸を目指す。

早朝東京-11

 亀戸駅前。とりたてて特徴のある駅前ではない。東京の郊外の典型的な雰囲気だ。三鷹とかそんな感じに少し似ていた。
 亀戸天神までは少し距離があって、急いで10分、ゆっくりいけば15分はかかる。

早朝東京-8

 せっかくだから、こんな狭い路地裏を通っていこう。亀戸横丁というのがここの正式名なのだろうか。
 飲食店街の朝7時前は、まだゆうべの名残のけだるさが漂っていて、さあこれから朝が始まるぞという元気な感じはない。お店の前の掃除をしているおかみさんがひとり、ふたりといるくらいで。
 この町は下町の風情が残っているところなので、そういう視点で散策してみると面白い発見がありそうだ。今回は時間がなくて、急いで亀戸天神を目指してしまったので、そこまでゆっくり見て回る余裕がなかった。

早朝東京-9

 亀戸中央通り商店街では、こいのぼり祭りをやっていた。電柱につながれた鯉のぼりが商店街の上を泳いでいる。
 このあたりも時間があれば入っていって見てみたかった。

早朝東京-10

 これまたちょっとすごい、昔ながらの洋品店だ。今どき、帽子をここまで前面に押し出して主力商品としている店もなかなかない。私が小学生だったときは、町に帽子屋さんというのがあって、それなりに流行っていたものだけど、帽子屋さんを見かけなくなって久しい。
 店内には500円のものがいっぱいあるよ、売り尽くしセールで早い者勝ちだよと呼びかけられても、気軽に入っていくことはできない。オレンジ色のカウボーイハットなんて、かぶれない。パステルブルーのベレー帽とかも厳しい。
 でも、売り尽くすまで頑張って商売を続けて欲しいと思う。こういう店がまだ残っているとホッとするから。

 このあと亀戸天神で藤を見て、河口湖へ行くことになるのだけど、そこのことはもう書いた。激闘・河口湖編は、すでに早朝の東京2時間歩きから始まっていたのだった。
 河口湖から帰ってきたあと、夜は池袋のサンシャインにあるナンジャタウンというところへ行った。そのときのことはいずれ近いうちに書きたいと思っている。
 河口湖編はその後更に、翌日早朝の名古屋駅へと舞台を移し、そこでようやく完結を迎えることとなる。あともう少しこのシリーズは続くのであった。


明大前に歴史と人間の物語あり ---駅シリーズ第一弾
2008年03月17日 (月) | 編集 |
明大前-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 Di



 明大前へ行ったのは、ネットの友達に会うためだった。それ以外の理由で明大前に降り立つ理由は、思い当たらない。特に名所があるというわけでもなく、今更明治大学に入学し直す予定ももちろんないから。
 でもせっかく縁あって降り立った駅だし、これをネタにしない手はない。今日は明大前について少し書きたいと思う。
 地名では世田谷区松原と呼ばれるこの街は、かつては甲州街道沿いの宿場町としてそれなりの賑わいを見せていたようだ。
 時代が進み、戦前は住宅地として発展するも、昭和20年4月の東京大空襲で焼かれ、一面焼け野原となってしまう。
 終戦後は再び住宅地として復興していき、大きな転機となったのは東京オリンピックだった。昭和30年代の終わりから40年代初めにかけて、街は大きく様変わりする。駅舎は新しく生まれ変わり、甲州街道も倍の広さに拡張された。マラソンではそこをランナーたちが走っている。
 現在の明大前は、古さの残る住宅地という印象を受けた。学校といっても明治大学の他数校があるだけなので、学生街という感じはない。明治大学にしても、和泉校舎は文系の1、2年だけのようだから、学生の数もさほど多くない。その分うるさくないといえばそうだし、賑やかさが足りないといえばいえるかもしれない。新宿や渋谷まで電車一本10分以内という好立地条件のわりには静かな街のようだ。少なくとも、下北沢や吉祥寺のようではない。
 地味なのは京王電鉄だからという話もある。ここが東急の街だったら、もっと華やかになっていただろうか。電車ということでは、昔ここにもう一つの山手線が通るはずだったというのは、鉄の人たちの間では有名な話だ。それを通すための施設の一部が残っていて、わざわざそれを見に来る人も多いという。
 京王線の駅が初めてできたのは、大正2年(1319年)のことで、そのときの駅名は「火薬庫前駅」だった。江戸時代、この地に幕府の武器弾薬を格納する焔硝蔵(えんしょうぐら)があって、明治になってもそのまま陸軍が火薬庫として使っていたので、その名前になった。あたりは見渡す限り畑でそれ以外に目印となるものがなかったのだ。
 4年後、駅名は地名の松原となり、火薬庫はやがてつぶされ、その跡地に明治大学予科が移転してきたことを機に(昭和9年(1934年))、現在の明大前と再び改名されたのだった。
 明治大学の西側は築地本願寺別院の墓地和田堀廟所(びょうしょ)があり、樋口一葉や海音寺潮五郎、佐藤栄作などの墓がある。
 一方の井の頭線の開通は昭和8年(1933年)で、当初は違う鉄道会社だった。駅名は最初「西松原駅」だったのが、京王線にあわせて昭和10年(1935年)に明大前とした。
 こちらの電車に乗っていくと、太宰治が住んでいた三鷹や井の頭公園、吉祥寺へ行く。お彼岸巡りをしたのは、ちょうど去年の今頃のことだった。そのときの様子は去年のブログに書いた。

明大前-2

 友達とは一度メーリングリストのオフ会で会って以来、8年ぶりくらいの再会となった。ネット上でそれくらい続く関係というのもあまりない。
 カフェでごちそうになり、そのまま夕飯までごちそうになってしまった。
 明大前と再会とくれば、水上勉の再会話を思い出す。
 昭和15年、21歳のときに福井から東京に上京した水上勉は、昭和16年、22歳のときに同姓相手との間に長男をもうける。しかし、戦争と生活苦のために明大前の靴屋の養子に出さざるをえなかった。
 昭和18年正式な結婚をするも、売れない作家の水上勉は奥さんに食べさせてもらうような生活だった。戦争は激しさを増し、暮らしはますます厳しくなる。
 昭和20年、東京空襲で明大前が焼けたため、長男は助からなかっただろうとあきらめていた。
 妻との間に長女が生まれる。
 昭和24年、奥さんは娘を置いて、明大前にあった印刷屋の長男と駆け落ち。日本橋白木屋にあった勤め先のダンスホールで知り合った男だった。
 何ヶ月経っても帰ってこない妻を捜して、水上勉は人づてに聞いた話を頼りに3歳の娘を連れて明大前の街をさまよい歩くことになる。戦後まもなくの明大前は今以上にごちゃごちゃした街だったようだ。
 なんとか印刷屋を見つけて男に対面したものの、とうとう妻に会うことはできず、やがて協議離婚となる。
 昭和52年、死んだと思っていた長男と34年ぶりの再会を果たすこととなり、それは新聞にも大きく取り上げられた。長男の窪島誠一郎は、美術評論家となっていた。

明大前-3

 昭和の香り漂う、すずらん通り商店街を少し歩いたところにある「ホルモン本舗じゅうじゅうぼうぼう 明大前店」という店に入った。焼き肉なんてすごく久しぶりだ。学生時代に行ったきりかもしれない。
 ホルモン本舗だけに知ってる肉がない。これはひるんだ。ただでさえ焼き肉の知識がないところへもってきて、ガツ刺や白センマイ刺なんていわれてもどこのことやらさっぱり分からない。適当なものを注文したら、それでえらく苦労することになったのだけど、それもまた思い出となった。
 ここから得られた教訓は、焼き肉屋では知ってる名前の肉を注文しろということだ。カルビやキモは美味しかった。

明大前-4

 店内に飾られていたブリキの置物などを撮ってみる。特に深い意味はない。
 今回は駅前とか駅舎とか、撮るべきところを撮ってなかったのが悔やまれる。時間があまりなくて夜にかけてだったということもあって、明治大学も見られなかった。次回があれば、和田堀廟所などもあわせて見て回りたいと思う。

明大前-5

「ホルモン本舗じゅうじゅうぼうぼう 」のキャッチコピーは「平凡な焼肉に飽きてしまった貴方!満足すること受け合いです。」だそうだ。確かに平凡な焼き肉屋ではなかった。私たちは一番奥の座席に座ったので、近くの方は一度行ってみてください。おおー、ここがオオタたちが座った席なんだぁという感慨はあまりないと思うけど。
 すずらん通り商店街には昔、オウム真理教の店などがあったそうだけど、さすがに今はもうないだろう。
 商店街ではないけど、中田兄弟とかいう有名なラーメン屋があるそうだ。「山猫珈琲店」のコーヒーが美味しいらしい。
 桜の季節は、その時期だけ開放される和田掘給水所がある。都内で二番目に古い給水所なので、見る価値ありだ。

 人に歴史があるように、街にも歴史があり、人と街の関わりがある。田舎の無名のローカル駅にもたくさんのドラマがある。
 駅シリーズというのは面白そうだ。東京なら無数に駅があるから、駅の写真も撮っておけば、それがネタになる。山手線全部の駅に降りて、各駅について書くなんてのも楽しそうだ。たぶん、鉄の人の中にはそういう駅の人もいるのだろう。
 また駅シリーズ第二弾でお会いしましょう。次は〜、下北沢〜、下北沢の予定です。


路面電車らしくない世田谷線とタダ見スポットのキャロットタワー
2008年03月01日 (土) | 編集 |
世田谷の夜-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 Di



 世田谷線に乗ってキャロットタワーへ行こう。それがその夜の私たちの予定だった。
 たぶん、東京在住の人が考える夜遊びコースではないし、お上りさんの観光コースでもない。東京人と非東京人が相談して行く場所を探すと、ちょっと面白いコースを考えつく。非東京人は無責任に行ってみたい場所を口にし、東京人はどうやって行けば楽しいかを考える。東京にはそういう脇道観光コースがたくさんある。
 今回、乗り継ぎが便利な東急田園都市線ではなくあえて東急世田谷線を選んだのは、それが路面電車だったからだ。現在の東京で最後まで残った路面電車は、都電荒川線と世田谷線の2路線だけとなっている。荒川線はほぼ端から端まで乗ったから、世田谷線も乗ってみなければなるまい。
 というわけで我々は、一方の始発駅である下高井戸へと向かったのだった。
 駅のホームに着くと、ちょうど電車が入ってきたところだった。妙なピンク色の車両だ。こんな色の電車は見たことない。広告車両ならあるけど、基本カラーがこんな色の電車というのは珍しいんじゃないだろうか。何色と何色を混ぜたらこんなピンク色になるんだろう。
 世田谷線には他にもいろいろなカラーリングがあるようで、それも売りのひとつになっているらしい。昔はグリーンだったようだ。少し前まではレトロな車両も走っていたのが、最近がらりとイメージを変えてしまった。せっかくなら古い電車に乗ってみたかった。2001年まではデハ形という旧型車が走っていたそうだ。
 写真のピンク色は305編成というやつだろうか。現在はこの300系というカラー電車だけが走っている。

世田谷の夜-2

 電車は2両編成で、車内はやはりちょっと普通の鉄道とは違う。荒川線はバスそのものだったけど、そこまではいってない。でも、座席はすべて一人掛けで固定されていて、椅子の向きは一つの車両が前向きで別のは後ろ向きになっている。往復運行をしているから、どちらかに固定してしまうと、行きはみんな前を向いているのに帰りはみんな後ろ向きということになってしまうからだ。しかし、どっちにしてもちょっと変だ。せめて進行方向に合わせて座席の向きを変えられるようにしてくれないと。
 私が座ったのは一番端で、この座席だけみんなと逆向きになっている。すぐ後ろに運賃箱があったから、ここだけは構造上前向きにできなかったのだろう。
 運賃は全区間均一で140円。物価が高い東京も、公共交通機関の運賃が安いのは感心だ。
 三軒茶屋〜下高井戸の世田谷区内5キロをのんびり走る。時速は40キロくらいだ。もう少し飛ばしてもよさそうなものだけど、住宅地の中で騒音問題もあるのかもしれない。
 この区間をどういう人たちが利用してるのかよく分からないのだけど、利用客は多い。きっと世田谷区民にとってなくてはならない路線なのだろう。
 それにしても、車窓風景は面白みがない。夜ということもあって、住宅地しか見えない。走っている区間が世田谷区という住宅街だから仕方がないにしても、もう少し何かないかと思う。
 途中下車して行ける見所としては、招き猫発祥の地とされる豪徳寺とか、松陰神社あたりだろうか。明るいうちなら両方行っておきたかった。
 毎年12月1月の15、16日に開催される「世田谷ボロ市」のときは賑わいを見せるそうだ。臨時列車も出るくらいだから人出も多いのだろう。
 ところで肝心の路面電車ってどこだろう。車窓風景はまったくそんな様子は見られないのだけど。どうやらここは私が思い描くような路面電車とは違っていたようだ。走っているのは道路ではなく普通の専用レールの上だ。風情や情緒といったものは感じられない。唯一面白いのは、若林踏切で道路と交差するところくらいだ。ここは電車も信号待ちになる。
 帰ってから調べてみると、路面電車と鉄道の違いは思っているより曖昧のようだ。道路以外を走るのが鉄道で、道路を走るのが路面電車ということにはなっているものの、いろいろ例外もあるらしい。鉄道事業法ではなく軌道法で管轄されるのが路面電車ということらしいけど、道路を走れば路面電車ということではないという。たとえば鎌倉の江ノ電は路面電車っぽいけど、管轄としては鉄道ということになっている。世田谷線の場合、昔はもっと路面電車っぽかったのだろう。
 前身はいわゆる玉電と呼ばれた玉川電気鉄道で、1925年(大正14年)に三軒茶屋駅〜世田谷駅間が開通したのが始まりだった。その年のうちに下高井戸まで延長しているから、80年以上伸びることなく今に至っている。

世田谷の夜-3

 三軒茶屋駅はちょっとしゃれている。アーチ型の屋根がヨーロッパの駅を思わせないでもない。
 ほぼキャロットタワーの下に位置していて、交通案内では徒歩0分と紹介される。実際に0分ではないものの、1分以内だからこの表記になる。田園都市線は少し離れていて、あちらは徒歩3分だ。
 三軒茶屋のことを東京の人は三茶(さんちゃ)と言う。よそものは真似ない方がよさそうだ。知ったかぶりみたいで馬鹿にされそうだから。その代わり東京モンは栄に遊びに来ても錦三(きんさん)と言ってはいけないのだ。
 渋谷まですぐに出られるという立地と、必要充分に発展していながらそれなりの静かさを保っているということで、住みたい街ランキングでは常に上位に名前が出てくるのが三軒茶屋だ。芸能人も多く住んでいるとか。
 江戸時代は名前の通り、三軒の茶屋がある街道だったところだ。大山道と登戸道の追分あたりに茶屋があったところからそう名づけられた。うちの近所には三軒家や四軒家ということろがあるし、そういう地名は全国にたくさんありそうだ。

世田谷の夜-4

 第何弾になるのかは忘れてしまったけど、キャロットタワーも東京タダ見スポットシリーズだ。展望ものとしては、東京都庁、シビックタワー、聖路加タワー、北とぴあに続いて第5弾ということになるだろうか。
 けっこうな穴場のようで、日曜の夜早い時間だというのに閑散としていた。
 1996年にできたタワーは26階建てで、最上階(124メートル)が無料展望台になっている。夜は11時まで開いているから、ゆっくり夜景を眺めることができる。床面積は思ったよりも狭かった。上の写真で全体の3分の2くらいだ。
 椅子とテーブルが置かれているのは、有料ドリンクを飲むためのもので無料休憩スペースではない。夜はドリンクカウンターが営業してないから勝手に座れるのだけど。
 窓辺には座るところはない。展望施設としては無料開放しているけど、歓迎ムードはあまり感じられないところだ。かつてはソファもあったようだけど、撤去されてしまったのだろうか。あまり居心地よくすると長居する人や下手すれば寝ていく人も出てきそうではある。

世田谷の夜-5

 とりあえず座って休んでみる。テーブルにはドリンクを飲む人用ですといったような注意書きがあった。

世田谷の夜-6

 光の数はさすがに東京を思わせつつも、見下ろす東京でこんなに低い街並みを見ることは珍しい。見えている道路はおそらく世田谷通りで、この通り沿いは発展して高いビルもあるけど、それ以外は低い家並みが続く。なるほどこれが世田谷区という街なんだなと納得した。これが西向きだろう。
 最近高いところへ登っているから、120メートルでは高さを感じない。

世田谷の夜-7

 こちらが南西の自由ヶ丘方面だろうか。よく分からない。三軒茶屋は渋谷の左というくらいの認識しかなくて、位置関係が掴めていない。東の恵比寿や目黒などはまったく馴染みがない。その向こうの品川までいくと多少分かるようになるのだけど。
 山手線沿線では南西方面が白地図同然なので、そのうち機会を見つけてそのあたりも巡ってみたいところだ。

世田谷の夜-8

 北東の新宿方面はどう見えるかな、って、まったく見えないじゃん。レストラン・スカイキャロットが完全に一角を占領していて、無料ゾーンからはいいところがまったく見えないのだった。店の外からのぞき見たら、ちょうど正面の窓から東京タワーが見えた。やられた。
 レストランでコーヒーくらい飲んでもいいと思いきや、この日はどこかの大学柔道部OBの集まりとかで貸し切りになっていた。なんだ、なんだ。
 いずれにしても、タダスポットではありながら充分楽しむためにはお金を使わないといけないという、なんだか怪しい会員制サイトのようなところだ。これはしてやられた。行くときはキャロットタワーのページで貸しきりになってない日を選んだ方がよさそうだ。
 第2水曜日定休で、レストランは10時までとなっている。

世田谷の夜-9

 長時間二人の世界になっていた南側窓のカップル。途中でおじさんおばさま夫妻が突撃していってあっけなく負けていた。私たちも果敢に割り込もうとして勝てなかった。両サイドからちらっと景色を見られただけだ。
 反対の北側にも小窓があって、そこからは遠くに小さく池袋が見えた。かなり距離があってサンシャイン60もはっきり確認できないくらいだけど。

世田谷の夜-10

 行きは直接駅から入ったからタワーの外観を見られなかったので、帰りは田園都市線で帰ることにして、外から見上げてみた。近すぎて上の方がまったく入らず、どんな形と色をしてるのかも分からない。
 タワーはニンジン色に塗られているそうだ。それでキャロットタワー。世田谷区の中学生の案が公募で選ばれた。
 オフィス、パブリックシアター、TSUTAYAなど商業施設などが入った複合ビルで、最上階にはエフエム世田谷のスタジオもある。

 デートコースとしては渋く、観光コースとしては物足りないこのコース設定。誰にオススメしていいものやら。キャロットタワーも無料ゾーンからいい方角が見られればいいけど、それ以外はあまり見所がない。ここでしか見られないものというのもちょっと思いつかない。
 世田谷線も、古き良き路面電車を求めていくと肩すかしを食う。
 このコースは夜よりも昼の方が楽しめそうだ。世田谷線の乗り放題チケットも320円だし、神社仏閣や歴史に興味がある人なら旧跡巡りなどもいい。昼なら世田谷線の車窓から何かいいものも見られるかもしれない。
 私としてはこれだけでも充分楽しかった。東京の中で知らないところへ行くというだけで小さな冒険だから。一度行くとその街とも少しは馴染みになるし、愛着も湧いてくる。情報だけでは分からないことも多い。行ってみれば感じるものもたくさんある。
 今後とも電車とタダ見スポットはシリーズとして続けていく予定だ。




プロフィール

オオタ(マサユキ)

Author:オオタ(マサユキ)
ブログランキング・バナー(FC2)
ブログランキングに参加してます
Dry&Wet(ホーム)



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



友達申請フォーム

この人と友達になる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する