現身日和【うつせみびより】
この世界にはたくさんの美しいものや面白いものがあることを知るための毎日であれば、それは楽しくて幸せなこと。
何もないけど意外と街だった河和駅周辺紹介で島巡り編は完結
2008年07月09日 (水) | 編集 |
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PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4



 二島巡り最終回は、番外編として河和駅周辺のレポートをお届けしたいと思う。
 河和駅周辺は特に何もないところなのだけど、めったに行くようなところではないから、高速船乗り場まで歩きながら写真を撮っておいた。
 名鉄河和線の終着駅ということで、もっとひなびた田舎の駅を想像していたら、意外にも街中で驚いた。知多半島の真ん中あたりの東端で、どうしてここが終着駅に選ばれたのかよく分からない。どうせならもう少し伸ばして先端の師崎まで行って欲しいところだ。半島の西には北の富貴駅で分かれる知多新線というのが走っていて、それも内海止まりになっている。内海の方は海水浴場があるから分かる。ここは名古屋一の海水浴スポットだ。
 それにしても、どっちかは師崎までいってもよかったんじゃないか。名鉄のことだから、採算が取れないことはしないという考えなんだろうけど。
 地図で見てもこれといったものがない河和は、降り立ってみてもやっぱり何もなかった。海水浴場があるわけでもなく、港町の風情もなく、少し離れたところに寺が3つあるくらいのものだ。住民以外の人間がこの駅を利用することがあるとすれば、日間賀島と篠島へ行く高速船に乗るためくらいしか考えられない。高速船も名鉄がやっている。
 駅から少し北へ行ったところに、戸塚ヨットスクールがある。一昔前、何かと賑わしたあのヨットスクールだ。ほとんどの人にとっては過去の話題として忘れ去っているだろうけど、戸塚校長は2006年に出所して、ヨットスクールは現在でも運営されている。スクールを支援する会のメンバーには石原慎太郎や伊東四朗などがいる。石原慎太郎はともかく、伊東四朗はちょっと意外だ。
 河和駅はパレマルシェの駅ビルになっている。これは昔の名鉄パレで、街中のスーパーのように何でも揃ってる感じだった。このときは金曜の午前中というのにお客もたくさん入っていた。河和の駅周辺は私が思っていたよりもずっと街だった。
 しかし、駅を出てすぐ目の前が閉店したペットショップというあたりがホッとさせてくれる。そもそもこの一等地にペット屋はないだろうと思う。仕事帰りや買い物帰りに、今日はちょっとペットでも買っていきましょうかねとかは、なかなかならない。ペット屋さんはもうちょっと住宅地でよかったんじゃないか。最近は、こういう個人のペット屋は経営が難しそうだけど。
 見えているバスは、高速船乗り場までつれていってくれる無料バスだ。バスに乗れば3分くらいで着く。歩いていくと7、8分というところか。

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 昭和は遠くなったけど、意外と近いところに残っていたりする。この喫茶店のテイストは、まさに昭和の風情そのものだ。ショーウインドウのメニューサンプルが懐かしい。ここなら昔ながらのクリームソーダが出てきそうだ。こういうところで食べるお子様ランチは美味しかったというか、嬉しかった。ファミレスでは思い出にならない。
 印刷したメニューを貼るだけでは営業努力が足りないと感じたのか、いろいろ手書きの紙も貼られている。食後のコーヒー200円とか、みそかつとか、モーニング サービス アリマスとか。なんでそこだけカタコトの日本語なんだ。
 のぼりには「ビデオダビング致します」とある。ダビングといっても、ビデオからDVDにダビングするのではなく、ビデオからビデオにするサービスだと思う。あまり需要はなさそうだ。

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 生うどん、生そばと書かれているけど、とても売ってる感じはない。そもそも何屋さんかまったく分からない。もともとは製麺屋さんだったのだろうか。
 電柱に高速船乗り場の案内がある。ところどころにこういう矢印があるので、地図を持っていかなくても迷うことはない。

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 もう人は住んでないようだけど、なかなか雰囲気のある家が建っていた。
 昔、ここはどんな町だったんだろう。一応港町ということだったんだろうか。
 鉄道自体の開通はわりと古く、前身の知多鉄道が1931年(昭和6年)に太田川と成岩間で開業している。翌年には河和口まで伸び、1935年(昭和10年)には河和まで全線が開通した。この頃からすでに名古屋のベッドタウン化が始まっていたのかもしれない。
 名鉄に吸収されたのが1943年(昭和18年)で、当時は知多線と呼ばれていた(河和線と改称されたのは1948年)。
 駅から港まで少し歩いたものの、河和駅周辺の印象は薄かった。思ったよりも街中だったことは確かだけど。

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 高速船乗り場に到着。バスターミナルや鉄道の駅とはまた違う独特の雰囲気がある。
 島名物なのか河和名産なのか、せんべい類が売られていた。ただ、行きにこんなおみやげを買っていく人はいないだろう。船の中で食べるならともかく、いきなりここで荷物を増やすのは得策じゃない。高速船の中でものを食べられる人間は、三半規管がどうかしてる。乗り物酔いする人が三半規管が正常な人で、酔わない人は鈍いだけだから自慢にはならない。

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 なんだか分からないけど、ショーケースの中にいろいろ飾ってある。日本人形や獅子舞の頭、鼓など。この地方の伝統行事か祭りの関係だろうか。あえてそれをここに飾るかと思ったけど、他に飾るものがなかったのかもしれない。
 隣には柱時計がかかっている。

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 密航、密輸、不審船、海の事故は118番に連絡するんだ。初めて知った。
 以前、日本海の福井へ行ったとき、「許すな密航!」という看板をあちこちで見かけて、デカルチャーと心の中で叫んだことがあるけど、密航とかが日常的なものであるという感覚はまったく馴染みのないものだ。海から遠いところに住んでいて、たまに行く海も湾の中だと、こういうことは遠い世界の出来事にしか思えない。

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 乗客ではなさそうな人が、たくさんの段ボールを船に積み込んでいた。島の人が注文した品かもしれないし、宅配や郵便物かもしれない。こういう定期船があるところは、よほど大きいものじゃない限り陸地とさほど変わらないのだろう。
 この程度の離島でも特別料金が発生するのかどうか。郵便物はかからないと思うけど、宅配はかかる可能性はある。島はたいていの店が独占企業だから物価は高いはずで、離島料金を取られなければ通販を利用してまとめ買いをした方が安くあがりそうだ。けど、それをやると島の経済が成り立っていかないことも考えられる。ガソリンも本島よりも高いんじゃないかと思うけど、島には島の暗黙の了解みたいなものもありそうだ。

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 堤防の釣り人と、向こうに工場が見える。一色町の方だろうか。あんな煙を吐くような工場があのあたりにあるのかどうか。一色町は、うなぎの偽装問題で今大きく揺れている。角度的に見て、あのあたりは広大なうなぎの養殖場があるあたりじゃないか。

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 船着き場っぽいパーツを撮ってみた。なんて名前のものかは知らない。足を乗せて遠くを眺めるために設置されたものではないはずだ。
 でも、一応お約束としてやっておいた。片方の足を乗せて、膝に肘をついて手はアゴに置き、海を見る。あのポーズを発明したのは誰だろう。イメージでは渡り鳥シリーズの小林旭だ。

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 高速船の内部。前の半分はやけに人気がなくて、みんな後ろ半分に座る。どうしてか理由が分からなくて、帰ってきてから理由が分かった。後ろの方が一段高くなっていて、そちらの方が窓からの景色がよく見えるからだそうだ。前の方に座っている私たちは、きっと高速船の素人丸出しだったのだろう。

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 時間はいきなり飛んで、帰りの河和駅。夕方が近づき、駅のホームも黄昏風景になった。
 日間賀島と篠島のことはもう全部書いた。これで私の二島巡りレポートはおしまいだ。
 最後におまけ写真を一枚。

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 半日ちょっとでこの状態。日差しを遮るところのない島の太陽を侮っていた。両腕と顔がこんな色になってしまったのだった。
 一週間後には両腕の皮がべろべろにめくれだして、なんとも汚いことになっている。小学生でもまだ皮はめくれてない時期に、ひとりだけ皮がべろべろなんて。色は赤からどす黒くなって、なんとも格好悪い。
 島へ遊びに行くときは、日焼け止めを持っていこうと今更思ったけど、もう遅い。

 なんだかんだで長く続いた島シリーズもこれで完結となった。また明日からは平常通り(?)神社仏閣編に戻る。
 そろそろ次の遠出も考えていかないといけない。7月20日からは青春18きっぷが使える。岐阜歴史巡りの旅はぜひ実現させたい。関ヶ原、大垣、岐阜を中心とした強行スケジュールを計画しているところだ。滋賀巡りの続編的なものを考えている。また10時間くらい歩こうかな。


登って下って折れて曲がって篠島路地コレクション <第二回>
2008年07月06日 (日) | 編集 |
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PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4


 世の中には路地好きを自認する人たちがいて、路地歩きや路地の写真を撮ることを趣味としていたりする。その数は決して少なくない。路地の本も何冊も出ている。ひょっとするとあなたの周りにも隠れ路地ファンがいるかもしれない。ほとんどの人は知らないと思うけど、全国路地サミットなんてものも毎年開催されている。洞爺湖サミットの裏でひっそりと。第6回目の今年は、10月に長野市で行われるそうだ。
 私はそういう人たちとファミレスで5時間も6時間も路地について熱く語り合えるほど路地についての思い入れはないけれど、人並み以上に好きだとは思う。路地にまったく興味がない人を0、それなりに嫌いじゃない人を5、路地マニアを10とすると、私はだいたい7くらいだろうか。いや、本物の路地好きからすると、まだ6程度かもしれない。
 路地なんてものは日本全国どこにでもあるし、昭和の子供としてはいつも見慣れたありふれたものだった。大人になるまでは特別なものとして捉えたことはない。路地について意識することなく時は流れ、昭和が終わり、21世紀に入った今、路地というものの貴重さと魅力を再認識することとなった。懐かしくもあり、見るとなんとなく嬉しくもなる路地。やっぱり路地っていいもんだなとあらためて思ったのは、去年神楽坂へ行ったことがきっかけだろうか。
 その後、月島、佃へも行き、その他東京の路地を歩いた。名古屋周辺でも名もない路地をあちこちで見て、写真も撮った。特にここ最近、路地に対する思い入れが強くなってきている。路地マニアの人と1時間くらいならおしゃべりできそうな気がする。
 路地の定義とは何かというと、それははっきりしていない。一般的には家と家との間の細い道ということになるのだろうけど、もう少し限定すべきかもしれない。単なる通路ではなく、生活感のある細道とでも言えばいいだろうか。当然ながら歴史があればその方がぐっと魅力は増す。ビルとビルとの間の細い空間も面白いことは面白いけど、あれは路地とはまた別のものだ。
 日間賀島でも細く入り組んだ集落の路地を自転車で行き、写真も撮った。あっちもなかなかよかったけど、路地に関しては篠島の方がいい。情緒と趣がある。
 場所は、中央の集落で、海水浴場から一歩中に入ると、すぐに路地が始まる。そのままきついアップダウンを繰り返して、反対側に突き抜けるまでずっと路地が続く。路地好きにはたまらない場所だ。
 今日はそんな篠島の路地写真コレクションをお届けすることにしよう。

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 いきなりの急坂。出だしから息切れ必至。調子の悪いスクーターなら途中で止まってしまいそうだ。おばあちゃんとか、こんな坂道を登っていけるんだろうか。
 こんなところにも家は寄り添うように建っている。坂道が先にあってその横に家を建てたのか、家を建てた横に道を作ったのか、どちらだろう。
 家は土台を平行にして、その上に建っている。でも本当に水平かどうかは分からない。なんとなく傾いていそうな気もする。ビンを床に置いたらコロコロ転がっていきそうだ。

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 家々は狭い空間の中、無秩序に、雑然と建っている。家の向きもあっちこっち思いおもいの方を向いている。何しろ道は曲がりくねって折れ曲がり、坂道の連続だから整然となんて建てられない。見ているとすごく危なっかしいように思うけど、これはこれで上手く調和が取れているのだろう。今更建て直しなんていっても、重機どころかトラックさえ入れないから無理なんじゃないかとも思える。引っ越しも大変だ。

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 どこまでが公道で、どこからが私道なのか、どこから家の敷地が始まっているのか、境界線が曖昧でよく分からない。昔から顔なじみの人同士が住んでいる島だからモメゴトは起きないのだろうけど、法廷闘争になったらいろいろ難しい問題が出てくる。たとえば隣の家の庭に植わっている木の枝が自分の敷地に入ってきたときは勝手に切ってもいいとかいけないとか、木の実は取ってもいいとかいけないとか、木の根はどうだとか、ややこしい法律があるのだ。あるいは、ここの道で自転車と歩行者がぶつかって自転車が転んで家のドアを壊したら、誰に責任があって誰が弁償するかとか。
 そんなことは島の中で上手く処理することで部外者には関係ないことなんだけど。
 ただ、こういう狭い生活空間というのは、単なる田舎の村とは事情が違ってそうで、そのあたりに興味はある。山村の場合、一軒いっけんは広い敷地にあって、隣り合っていてもプライベートな空間として閉ざされているから、毎日の暮らしの中ではさほど濃密な関わりを必要としない。そういうことを考えると、よそ者が離島に住むというのは普通の田舎以上に難しそうだ。

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 道は登って下って、突然折れ曲がる。このまま進んでいいもんだろうかとやや不安になる。曲がった先は民家の玄関先ってこともある。
 日間賀島は集落の中のどこへ行くにも自転車で行けたけど、ここは無理だ。階段が多すぎてひいていくこともできない。篠島をしっかり散策しようと思ったら、自転車は捨てて、時間をかけて歩くしかなさそうだ。自転車を置いた場所まで戻っていると効率が悪い。

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 正法禅寺から西方寺あたりは、とても見晴らしがいいところで、この島のビューポイントの一つと言っていい。坂のある町はどこも風情があるものだけど、島の港町となればまた格別だ。
 ここからの夕焼けの眺めはすごく素敵だろうなと思わせた。イメージとしては、尾道を舞台にした大林宣彦作品で、制服姿の中学生男女が似合いそうだ。狭い島だから、こんなところでいちゃついてたらたちまち島中に知れ渡ってしまいそうだけど。

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 坂を下りて再び路地に入る。このあたりは平坦で、民家も比較的新しい。島の集落の中でも、古いエリアと新しいエリアがありそうだ。

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 あ、猫。そうだ、そうだ。路地といえば猫がつきものだ。猫がいない路地なんてクリープを入れないコーヒーみたいなものだ。違いの分かる男の私としては、路地猫を是非撮らねばならない。うーん、マンダム。
 路地裏の野良猫を撮る趣味の人もけっこう多い。そういう人たちはカメラを抱えて日々路地裏をさまよっている。でもあの人たちが好きなのは路地裏にいるノラであって、路地裏そのものではないのだと思う。猫を探しながら路地も撮るといったスタンスだろう。
 路地好きは路地を撮りながら猫も撮る。結果的に同じような写真になっても、語り合えることは多くないかもしれない。

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 さっきの猫が上を見上げて何を見てるんだろうと思ったら、家の窓から顔を出してる飼い猫がいたのだ。島の中にも飼い猫とノラがいる。お互いに交流はあるだろうし、ノラ生活をしてるやつも誰かにメシをもらってるはずだ。おそらく、どちらでも選択できる立場にあって、どちらか自分が好きな方を選んでいるのだと思う。
 外にいる方も首輪をつけてないだけで実際には飼い猫かもしれない。毛並みもきれいだし。ここでは家猫とノラの境界線もぼやけている。

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 八王子社の前をぷらぷら歩いていた猫。これは純然たるノラといった様子だった。この神社は犬嫌いの神様が祀ってあるところだから、猫にとってはいいところといえるだろうか。

 私たちが歩いた路地は島の一部で、他にも魅力的な路地がありそうだ。地図を見ても歩いていない細い道が何本もある。
 日間賀島に関してはある程度見切ったという満足感があったけど、篠島は3分1も見ていない。歩いた距離も、回ったエリアも、見所も。これだけ残してしまうと、再訪の気持ちが出てくる。パッと行ってサッと帰ってこられるところでもないから次はいつになるか分からないけど、もう一度行きたい気持ちは強い。
 離島シリーズとしては、愛知3島の残り一つ、佐久島もある。あっちは篠島など問題にならないくらい非観光地でひなびているそうだから、それはそれで興味がわいてくる。一色町から行かないといけないから、けっこう遠い。篠島や日間賀島から見えている隣の島なのに、あちらとは高速船の行き来がないのだ。一色町から行くよりも島から行った方がずっと近いのに、なんでだろう。島民同士の交流もあまりないんじゃないだろうか。佐久島もいずれ機会を見つけて行ってみたい。
 篠島編はあと一回、神社仏閣編で完結になる予定だ。篠島についての感想は、また次回ということにしよう。島巡り番外編もありそうなので、もう少し島話におつき合いください。


レンタル自転車を借りられず徒歩で回ることになった篠島紹介 <第一回>
2008年07月05日 (土) | 編集 |
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PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4



 篠島(しのじま)へ渡ったのは午後3時半過ぎだった。最終の高速船が5時45分なので、滞在時間は2時間ちょっと。その船を逃すと、海上タクシーで帰るか、泊まっていくしかなくなる。もしくは、河和まで泳ぐか(直線で14キロくらい)。
 当初の予定としては、レンタサイクルで島をぐるっと一周見て回って、だいたいの雰囲気を感じようというものだった。しかし、その計画は出だしから大きくつまずくことになる。
 この島のレンタサイクルは観光案内所がやっていると聞いて駅前の建物に借りに行ったら、時間は午後3時で終わりだという。そんなアホな。いくらお役所仕事とはいっても、午後3時はいかにも早い。船の最終は5時45分だし、夏場は5時を過ぎてもまだまだ明るいのだから、せめて5時まではやってくれないと。
 調べが甘かったと反省しつつ、徒歩での散策へと気持ちを切り替えた。その気になれば島にはいくらでも自転車が転がってるから借用できなくはないのだけど、さすがにそれはいけない。驚くことに、多くの車の窓が開いていて、キーも差しっぱなしだったりする。本当では考えられない大らかさだ。
 島の面積は約0.9平方キロだから日間賀島より一回り大きい程度ではあるのだけど、起伏が激しくて変化に富んだ地形なので、かなり違った印象を受ける。日間賀島が横長の島なのに対して、篠島は縦の島だ。
 人口は約1,900人、世帯数640ということで、日間賀島よりやや少ないものの似たり寄ったりだ。
 島の周囲は約9キロで、周回道路はなく、ぐるっと大回りで歩く距離としては7キロ弱だから、スタコラ歩いて2時間ちょっとだろうか。
 小中学校が一つずつあって、かつてあった内海高校の分校が閉校になったのも日間賀島と同じだ。
 このように、数字だけ見ると日間賀島と篠島はとても似ている離島なのだけど、実際は多くの違いを持つ島だった。辿ってきた歴史や現在の方向性もそれぞれで、2つの島は全然似ていないというのが私の結論だった。
 わずか2時間の滞在で、見所の半分も見ることができなかったけど、今日から何回かに渡って私が見てきた篠島を紹介したいと思う。

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 私たちと入れ違いに小学生たちが船に乗って帰って行った。名古屋あたりからここまで遠足に来ることはあまりないと思うけど、知多や三河のちびっ子たちにとっては日間賀島や篠島は馴染み深いところなのかもしれない。夏休みの臨海学校の場所としても適している。
 船では制服姿の高校生もけっこう見かけた。島に分校がなくなってしまった今、家から通おうと思えば船とバスか電車を乗り継いで通うしかない。一番近い高校は内海高校だろうけど、みんなが入れるとも思えない。河和まで行って、そこから河和線で半田まで行けば、半田高校、農業、商業がある。それにしても、あまり選択肢はなさそうだ。
 こちらの島は高速船乗り場が北西に一つあるだけだ。日間賀島からは7、8分で到着する。師崎から直接この島へ来るときも、日間賀島経由になって30分ほどかかる。
 地理的には日間賀島、佐久島と3島の中で最も外側に位置していて、南西側は外洋を向いている。師崎と伊良湖を結ぶ間にあるということで、昔は交通の要所として多くの船が出入りしていたという。
 島の周りには大小10数個の小島があって、東海の松島とも呼ばれている。本家の松島が聞いたら怒ってきそうだけど。
 伊勢神宮との関わりも深く、伊勢神宮領だった歴史もあり、流人の島だったこともある。そのあたりのことは、神社仏閣編のとき詳しく書きたいと思う。

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 高速船乗り場から表に出ると、いきなりひなびた雰囲気になる。船を降りてすぐ目の前にお土産物屋が並んでいた日間賀島とは出だしから大きく異なっている。この島は観光地然としていないというのが第一印象で、それはこの島をあとにするときまで変わらなかった。
 日間賀島がタコとフグの島なのに対して、篠島はフグとおんべ鯛の島をうたっている。
 御幣鯛(おんべたい)というのは伊勢神宮へ献上する鯛のことで、大昔から現在に至るまで、一年に3回(6月、10月、12月)、鯛を塩漬けにして伊勢神宮まで運んでいる。ただの贈りものとかではなくて、神事として行われているものだ。一度に奉納する数は160尾。毎年10月12日は伊勢神宮で御幣鯛奉納祭が盛大に行われる。
 以前は離れ小島で現在は埋め立てで地続きになった北端の中手島で、おんべ鯛が作られている。今回は時間なくてそちらまでは行けなかった。
「日本書紀」によると、倭姫命(やまとひめのみこと/日本武尊の叔母で天叢雲剣を与えた神)が、尾張から伊勢の各地を巡っているとき篠島に立ち寄って、ここの鯛が気に入って伊勢神宮に鯛を届けるようにと言いつけるとともに、この島を伊勢神宮領に定めたとされている。
 この道を前方に進むと、島の観光案内所の建物がある。もともとはパークゴルフ場のクラブハウスだったところを再利用していて、観光案内所とは思えないさびれ方をしている。案内所の文字も取れてしまってるから、一見すると廃屋かと見まがう。ミニゴルフ場でも作れば観光客も来てくれるだろうし、島民もやりに来てくれるんじゃないかという見込みは甘かったようだ。閉鎖されてから久しい様子だった。
 右に曲がって橋を渡った先には、篠島釣り天国がある。島が管理している海の釣り堀で、島内ではここが一番の人気スポットと言ってもいいかもしれない。周りは海なんだからタダで釣り放題だろうと思うとそうでもなく、手軽に釣りを楽しめるということで釣り堀に行く人も多いようだ。
 レンタサイクルを貸してもらえなかった我々は、徒歩で南下して、まずは東の海岸を目指すことにした。

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 島のほぼ全域に人が住める日間賀島とは違って、篠島は山があって家を建てられるところが限られている。集落は主に北と中心部の2ヶ所で、北ゾーンは新しく開拓された部分のようで、きれいに区割りされた中に整然と民家が並んでいる。ここだけ見ると町中と変わらないくらいだ。一方の中心部は昔からの区域で、狭くて入り組んだ道の中に雑然と家が建っている。そのあまりにも対照的な光景には驚いた。これだけ家並みの様子が違えば、住んでいる人の気質も違ってくるんじゃないかと思うけど、実際のところどうなんだろう。
 この島も主に漁業で成り立っている。観光が占める割合は日間賀島よりもかなり小さいと見た。それでも、旅館や民宿は島内に約40軒あるというから、それなりに観光地でもある。
 一番はシラス漁で、組合の漁師の半数以上がシラス漁に関わっているとのことだ。愛知県で獲れるシラスの3分の1は篠島のものが占めている。ここではシロメと呼んでいるそうだ。
 トラフグ漁も盛んで、秋からは大漁旗をつけたたくさんの船が港から繰り出していく。新鮮なフグが安く食べられるということで、この時期は遠くからもフグ目当ての観光客がやって来るという。

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 島民の主な足はここでもやはりスクーターだ。みんな当然のようにノーヘルでビュンビュン飛ばしていく。日間賀島よりも道が広いから、こちらの方が車を運転するのは楽そうだ。
 海岸沿いを歩きながら、城山の下をぐるりと回る。右手は小高い山になっていて、かつて篠島城という城があった。平安時代以前に建てられた山城で、源平時代の城主・室賀左近太夫秋季は源氏方について、伊豆にいた源頼朝に平家の情報を流していたらしい。1180年に頼朝が初めて挙兵したときに自分たちも応援に駆けつけようとしたものの、戦には間に合わなかったのだとか。
 1338年、この島に一つの大きな出来事が起きる。南朝の後醍醐天皇の皇子である義良(のりよし / のりなが)親王(のちの後村上天王)が、東国へ向かう途中、遠州灘で暴風雨にあって難破して、この島に流れ着いたのだ。それはもう、島は大騒ぎとなり、舞い上がった。どうしたらいいかとみんなで相談した結果、篠島城を大急ぎで修理して、ここを仮住まいにしていただこうということになった。
 それから義良親王は迎えが来るまでの半年間を島で過ごすこととなり、親王の飲み水を提供するための帝井(みかどい)や、漂着した神風の浜など、そのときの名残が今でもいくつか残っている。
 篠島城はその後廃城となり、いつしか城山と呼ばれるようになった。現在は跡地に篠島水神社が建っている。遺構は何も残っていないようだ。
 どこからどう登っても厳しい坂道を歩かないといけなかったので、行くのは取りやめた。時間さえあれば当然見に行っていたところだから、残念だった。
 この道沿いにはたくさんのお地蔵さんが立ち並んでいる。島弘法と呼ばれるもので、漁や島民の安全を見守っているという。
 弘法大師をかたどったもので、全部で88体プラス何体かあるようだ。島ではこの道を弘法道と呼んでいるらしい。明治の末から大正のはじめにかけて、島民の寄付で整備された道ということで、島の人はみんな大事にしているんだとか。

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 観光案内の人の話ではほんの15分くらいですよということだったのだけど、なんだかんだで30分くらいかかってようやく前浜海水浴場に到着した。けっこう遠い。
 日間賀島の海水浴場とは違って、ここは天然の砂浜だ。三河湾の外に近いところだから、海の水も砂浜もきれいだった。ビーチは800メートルも続いている。
 ただ、サンサンビーチというネーミングはどうだろう。どうせなら伊良湖の恋路が浜みたいな名前をつけてもよかったんじゃないか。地元の人は前浜(ないば)と呼ぶそうだ。

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 島ではここらが一番の観光地ということになるのだろう。海岸の前におみやげ屋や民宿などが並んでいる。夏はここも海水浴客で賑わうことだろう。
 私たちが行ったときはまだ海開きの前ということで、泳いでいる人も遊んでいる人もいない静かな砂浜だった。ここで腰を下ろして、しばし潮風に吹かれながら休んだ。
 けど、あまりのんびりはしていられない。持ち時間は2時間で、最終の船を逃すと大変なことになる。先を急ぐことにする。

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 静波食堂という名前がいい。営業していた頃はどんな食堂だったんだろう。海辺のハイカラ食堂だったのか、おばちゃんがやってる庶民的な店だったのか。

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 浜辺から中に入っていくと、細い路地と古い家並みの集落地帯になる。その中には神社仏閣も集まっている。そのあたりの様子は、また次回まとめて紹介するとして、上の写真は突き抜けた先にある港のおみやげ屋さんだ。
 意表を突く派手な黄色い外観と、古めかしい店内とのギャップがすごい。かなりディープな感じでうかつには近づけなかった。写真も遠巻きに撮る。

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 遠くから撮りすぎて店内がどうなっているか、これではよく分からない。勇気を出して店に入るべきだったか。どこかでおみやげを買おうと考えていて、まさかここしか選択肢がないとは思わなかった。この先であるだろうと思ったら、高速船乗り場までなかった。このあたりにも観光客重視ではない姿勢が見て取れる。
 このおみやげ屋も、観光客相手よりも地元の人のための市場の性格が強いのかもしれない。場所的にもこちらまではあまり観光客が来ないと思うし。

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 地元漁師のための港は中心部の北側にあって、ここでもたくさんの船が係留されていた。
 港には3軒の造船所がある。昭和20年代までは10軒近くもあったというから、大したものだ。このあたり一帯の漁船を造っていたそうだ。これだけの船があるということはかなり売れるだろうし、修理の需要もあるだろう。ちょっとした漁船でも1千万から数千万するという。
 手前は学校帰りの中学生たち。島にはゲーセンもカラオケもファーストフードもない。みんな毎日何して遊んでいるんだろう。やっぱり家に帰ったらネットとかゲームとかしてるのかな。

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 島の少年少女に一番人気の店がここ、駄菓子屋のハッピーだ。日間賀島のめったに開いてないたこ焼き屋もハッピーだったけど、たぶん関係はない。
 私たちから見ると駄菓子屋というのは昔懐かしいもののリバイバルなのだけど、島っ子にしてみたらリアルタイムの御用達なのだろうか。少なくとも懐かしいという感覚で利用してるわけではないだろう。
 ハッピーを過ぎれば、もう見所らしい見所もなく、あとは高速船の乗り場に戻るだけだ。

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 少し時間に余裕があったので、港近くでぼぉーっとしてみる。2島めぐりはなかなかにくたびれる。
 今回は南エリアにはまったく行けなかった。展望台や歌碑公園、清正の枕石や神社仏閣など、あちらにこそ見るべきところが多いのに、どうにも時間が足りなかった。この島を一通り見ようと思えば、4時間くらいは必要だろう。自転車では登れないところもけっこうあるから、散策は自転車と徒歩の併用になる。やや本格的な山歩きも覚悟しないといけないようだ。
 篠島シリーズは、全3回になりそうだ。次回は島の路地と集落を中心にお届けする予定です。


日間賀島は「ぼくのなつやすみ2」の世界だと気づいた<第四回>
2008年07月03日 (木) | 編集 |
日間賀島番外編-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4



 日間賀島本編が終わって、あらためて残っている写真を見てみたら、けっこう枚数があった。イルカネタもあるのだけど、その前に日間賀島写真を出し切ってしまうことにした。もう一度行けるかどうか分からないところだから、撮ったものは全部でも出しておきたい。たとえば10年後、20年後にもう一度訪れたとき、島の風景はどんなふうに変化しているのかの確認にもなる。そのときまでこのブログが残っているかどうかは怪しいけれど。
 西港はこうして見ると、やっぱり賑やかだ。観光地の表玄関という風情がある。東港はずっと寂しい。20年くらい前までは、ここもひなびた港風景だったそうだ。日間賀島が観光地として目覚めたのは意外と最近のことで、ホテルや民宿が激増したのも平成に入ってからだ。それまでは、釣り客かよほどの物好きくらいしか訪れる人はいなかったという。
 観光地化して島の暮らしもいろいろ変わったことだろう。いいことばかりではないにしても、日間賀島の存在が一般に知られるようになったのは悪いことではないと思う。人でも、街でも、島でも、人に注目されないということは寂しいものだ。

日間賀島番外編-2

 この日は晴れたり曇ったり、日差しが強くなったり弱くなったりと落ち着かない空模様だったのだけど、ときどき気持ちいい青空を見せてくれた。これぞ島の空にふさわしい青だ。
 島には日差しを遮るところが少なくて、しっかり日に焼けてしまった。腕や顔は真っ赤な茹でタコ状態になった。日焼け写真もどこかで紹介できるかもしれない。
 さびた看板をよく見ると、点なしの大田とある。こんなところに親戚はいないはずだけど。

日間賀島番外編-3

 塗り色で私が心惹かれるのは、神社の朱塗りと家の黒塗りだ。単純に言ってしまえば好きということなんだろうけど、もう少し心の深いところで惹かれるものを感じる。見ると妙に嬉しくなる。
 黒塗りの家は、子供の頃から田舎で見ているからというのもあるかもしれない。だから、懐かしさもある。ただ、黒塗りの松本城もすごくいいと感じたから、何か遠い過去の記憶と関係していたとしても驚かない。

日間賀島番外編-4

 この島で車を運転する自信はない。どう見ても対向車とすれ違えそうにないけど、どうしてるんだろう。これでは3ナンバーの車は走れないし、バスなどまるで無理だ。アップダウンも厳しいし、お年寄りにとっては大変だろう。乳母車を押しながら歩いていたら、坂道で転げ落ちていってしまいそうだ。
 島の人は慣れたもので、こういう道をスクーターでビュンビュン飛ばしていく。移動手段としては、スクーターに勝るものはない。

日間賀島番外編-5

 私が路地好きで細い道ばかりを選んで通っているわけではない。この幅が島の標準なのだ。外周だけが車が楽に走れる車幅で、内部はすべてこんな道が入り組んでいる。路地好きにはたまらない。
 側溝にフタがされてないのもちょっと怖いところだ。うっかり油断してると落ちそうになる。

日間賀島番外編-6

 島では珍しいオールドモダンな感じの建物があった。といっても、洋風建築とかではなく、単にライトブルーのペンキを塗っただけなんだけど。かなりペンキがはげてきて、ところで普通の日本家屋の地が見えている。塗り立てのときは、けっこうハイカラな感じに仕上がっていたんじゃないだろうか。

日間賀島番外編-7

 住宅やアパートのたぐいはほとんどない。これは珍しい。大部分が一軒家というのも、考えたらすごいことだ。ひとり暮らしの人が少ないということでもあり、よそ者もほとんどいないということだろう。
 島にマンションがあったらおかしいといえばおかしいけど、そういう需要はまったくないんだろうか。よそから引っ越してきた人は、みんな一軒家を借りたり、建てたりしてるのか。

日間賀島番外編-8

 大光院から降りてきた東港の近くで、10人くらいのお遍路さんのグループと行き違った。お経が聞こえていたのは、この人たちだったか。
 四国まで行くのは大変だから、日本各地に地元の八十八ヶ所が作られている。知多もその一つだ。何が楽しくてそんなことをしてるんだと思うかもしれないけど、これはある種コレクション的な楽しみだから、オマケとかカードをコンプリートするのが趣味の人と違いはない。一つひとつクリアしていく達成感が気持ちいいに違いない。私にもその気持ちは分かる。
 1番豊明の曹源寺から88番大府の円通寺まで、やってみたらきっと面白いだろう。そうとは意識せずに、10くらいはもう行ってそうだ。どうでしょうゼミナールの大泉校長にならって、私もそのうち八十八ヶ所巡りをしてみようか。

日間賀島番外編-9

 海といえばなんといってもトンビなのに、そのことをまたすっかり忘れていた。次こそトンビのエサを持っていこうといつも思っているのに、いざ行くとなると思い出さない。
 トンビはたくさん舞っていて、一時はかなり近くまで降りてきていた。首をくいくい動かしながら下をうかがっていたから、何か手に持っていたら見つけて食いついたんじゃないだろうか。
 まあでも、トンビは野鳥だから、自分でエサを見つけられるだろう。下手にエサなんかやらない方がいい。

日間賀島番外編-10

 島の岩場に植えられたアジサイというのも一風変わった風情だった。
 島に自生している花というのは多くなさそうだ。未開拓の土地が少なくて、空き地もあまりないから、ありふれた野草というのもほとんど見かけなかった。その分、島の人があちこちにいろいろな花を植えて育てている。季節の花はどうなんだろう。桜の名所とかもあるんだろうか。

日間賀島番外編-11

 おみやげはやっぱりタコや干物関係が多い。私は今回買わなかった。荷物が多かったのと、このあと篠島へ行くから重たいのは嫌だったということもあって。買うとしたら、タコ入りの海苔を買いたかった。ごはんですよの本格的バージョンみたいなやつ。

日間賀島番外編-12

 島の一周を終えて、ちょっと一服。
 ソフトクリームは、バニラと抹茶の二者択一だった。チョコではなくあえて抹茶にしたのは、やはり訪れる観光客の年齢層に合わせたのだろうか。
 記念撮影をしてるそばからドロドロに溶けてきて、食べる頃には収拾がつかなくなりそうだった。手がネチョネチョになる。ソフトは美味しかった。

日間賀島番外編-13

 午後3時半くらいの船に乗って篠島へ向かった。日間賀島での滞在時間は約4時間。そんなにいたとは思えないほど、短く感じられた。それだけ楽しかったということだろう。
 日間賀島ってどんなところだったと訊ねられたら、なかなかいいところだよと答えるだろう。このなかなかという言葉のニュアンスを伝えるのは少し難しい。すごくいいところだったよとは、あえて言いたくない。
 自然と島の人情に触れてのんびり島時間を過ごしてみませんかみたいな、ありきたりの宣伝文句はこの島には似合わない。実際そんなに情緒のあるところではない。
 それじゃあ、俗っぽい観光地かといえばそうでもなく、島側から観光客に対しての干渉は必要最小限にとどまっていて、過剰な演出などもない。遊び場らしい遊び場が用意されているわけでもなく、観光客を呼ぶための特別な目玉があるわけでもない。かといって、手つかずの自然が残る島というのとも違う。
 悪く言えば中途半端で何もないところなのだけど、そこがこの島のよさでもある。何もないけどなんとなくいいのだ。スケール感の良さというのもある。広すぎず、狭すぎない。遠すぎず、近すぎない。
 ふと思ったのが、この島は夏休みの少年少女が子供だけで訪れて、小さな冒険をするのに最適なところじゃないかということだった。親に渡された手書きの地図を持って、初めて船に一人で乗って、初めて一人で離島を訪れ、一日島で遊んで過ごす。そこにはきっと、たくさんのワクワクとドキドキがあって、いい思い出になる。小さな島だから迷子になったところでたいしたことはないし、未開の森といった危険な場所も少ない。子供の足で歩いても2時間か3時間で一周できる。どこへ行っても民家や店がある。
 島に一人降り立っても、たぶん、最初は何をしていいか分からないだろう。でも、何をしてもいいと分かれば、そこには冒険がある。海で遊んでもいいし、セミ捕りをしたり、迷路のような集落を駆け回ったり、島の子供と友達になってもいい。そうか、ここはPSの「ぼくのなつやすみ2」の世界なんだと気づいた。
 大人にとってもこの島というのは、日常と非日常の微妙な距離感の良さなんじゃないか。まったくの非日常でもなく、日常でもない。それはちょうど、夏休みに遊びに行く祖父母や親戚の家といった距離感に近いのかもしれない。すべての島がそうなのではなくて、隣の篠島ではまったく違った印象を持った。だからこれは、日間賀島特有の感覚なんだと思う。
 もちろん、人によって感じ方は様々なのだけど、私にとっての日間賀島はそういうところだった。一期一会になるのか、また何年後かに訪れることになるのか、いずれにしても忘れがたい思い出として私の中にずっと残っていくことだろう。




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