現身日和【うつせみびより】
この世界にはたくさんの美しいものや面白いものがあることを知るための毎日であれば、それは楽しくて幸せなこと。
見たこともないほど大盛況の丹生アジサイ祭り前日の様子に驚く
2008年06月10日 (火) | 編集 |
丹生アジサイ小径-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4



 今日は7日の土曜日に帰郷したときの続きで、アジサイ編をお届けします。
 丹生大師前の「ふれあいの館」の駐車場が満車になっていてまず驚く。未だかつてこんなに混んでいるのは見たことがない。何事かと思った。
 ちょっと信じられないのだけど、主にアジサイを見に来た人たちの車らしい。勢和村のアジサイってそんなに有名だったのか。普段は駐車場になっているところが、「彦左衛門のあじさいまつり」の準備で関係者以外立ち入り禁止になっていたというのもあったのだろうけど、それにしてもこんな状況は思いもよらなかった。これはどのあたりから来た人たちだったんだろう。まさか県外ということはないだろうけど。
 なんとか一台スペースが空いていたので、そこにとめて、アジサイの小径まで歩いていくことにした。

丹生アジサイ小径-2

 普段は静かな丹生大師前も、なんだか騒々しいことになっている。工事でもしてるのかと思ったら、これも祭りの準備のようだ。ここに食べ物の出店が並ぶのだろう。
 たぶん、「彦左衛門のあじさいまつり」というのは6月8日の日曜日に行われて、その一日だけだったんじゃないかと思う。一日ずれていたらその様子も見ることができたのに、残念だった。あらかじめ知ってたら、行くのを土曜ではなく日曜にしていた。
 バンド演奏やウナギつかみ、もち投げ、アジサイコンテスト、用水路の浮き舟流し、お茶会、マス釣り、どろんこ綱引きなど、イベントが盛りだくさんだったようだ。綱引きで優勝すると、西村彦左衛門のお米が賞品でもらえたとか。
 雨天決行という意気込みもすごい。昨日はあのあたりも晴れていたと思うから、無事にできただろう。
 一般から選ばれたあじさい姫はどんな子たちだったんだろう。丹生っ子だったのか。

丹生アジサイ小径-3

 大師さんから向かって右方向に進むと、ぼちぼちアジサイが見えてくる。村一帯がアジサイを増やそう運動をしていて、あちこちでアジサイを見ることができる。
 平成6年に村おこしの一環として(今は多気町になったから町おこしか)、アジサイを1万本植えようという運動が始まり、年々本数が増えて、今では3万本を超えるまでになったそうだ。
 しかし、アジサイ祭りをするにはまだ時期が早い。ようやく色づき始めたところで、見頃までにはあと10日か2週間はかかるんじゃないか。6月の第二日曜というのは、やや焦りすぎだろう。せめてもう一週先でもいい。もしかすると、実行委員の人たちの多くが農家さんで、農作業とかの都合などもあるのかもしれない。
 ところで、このあたりはいつから麦畑になったんだろう。これは麦だと思うんだけど、違うのか。昔はここも普通に稲を植えていたはずだ。米の減反とか、価格の問題とか、いろいろ都合もあって麦栽培に切り替えたんだろうか。二毛作をするにしては、今頃まで収穫してないようでは田植えには間に合わない気がする。
 時間があれば、昔の写真を引っ張り出してきて、このあたりが写っていないか探してみよう。風景を見比べてみて、どんなふうに変わったのか、確認しておきたい。

丹生アジサイ小径-4

 アジサイは主に、立梅用水(たちばいようすい)脇の散策路沿いに植えられている。花はまだまだこれからだったけど、ボリュームもかなりあって、見頃になればなかなかのものだろうと思わせた。花の状態もよさそうだ。
 江戸時代(1808年)、貧窮する農民を救おうと、丹生村の地士・西村彦左衛門がのべ24万7,000人の人力を使って全長30キロの農業用水を完成させた。それによって新田開発は成功し、村人は大いに救われたことから、西村彦左衛門さんは村の大恩人として今でも大変慕われている。住んでいた家には銅像まで建っている。
 まつりでは立梅用水のボート下りというのもけっこう人気なんだとか。流れは速いから、けっこうスリルがありそうだ。まつりのとき以外に、勝手に自前の舟を浮かべて用水路下りをしていいのかどうかは分からない。たぶん、駄目だと思う。もちろん、泳いでもいけない。

丹生アジサイ小径-5

 村ではササユリも大事にされていて、保護しながら少しずつ増やしているような話を聞いた。だから、このあたりにたくさん咲いているのだろうと探してみたのだけど、ポツリ、ポツリと咲いているだけだ。ササユリの里みたいなものもあるようなことがネットの情報には出ていたのだけど。
 地元の人に訊ねてみるも、誰も知りやしない。みんなササユリなんかに興味はないのか、それとも本当にこのあたりにはないのか。
 帰ってきてからもう一度よく調べてみると、どうやらアジサイの小径周辺ではなく、勢和村役場のあたりのようだ。そういえばそんなようなことを言っていた人もいた。勢和中学や小学校がある方の役場近くの山にたくさん咲いているらしい。あっちはほとんど行ったことがないから土地勘もない。こんな時期に行くことはめったにないから、見られるものなら見ておきたかった。
 大石の不動院にはムカデランという国の天然記念物に指定されている絶滅危惧種の花が群生しているようだ。3ミリくらいのごく小さなピンクの花で8月に咲く。私もまだ見たことがないから、お盆のとき見に行けたら行きたい。
 アジサイの小径の先へ行ったところにはメダカ池があって、夏にはそこにホテイアオイがたくさん咲く。その様子は去年のブログで紹介した。

丹生アジサイ小径-6

 ササユリはピンク色の濃淡に個体差がある。ここのは薄めで、白に近い。もっと濃いピンクをしているものもある。土壌の関係なのか、その他の理由なのか、よく分からない。近くに咲いているやつでも色の違いがあるから、単純に土がどうこうということもでもなさそうだ。
 今年もなんとかササユリを見られてよかった。これでまた季節の花を一つクリアだ。アジサイが終われば一段落で、少し寂しくなる。花に関してだけ言えば、5月でピークを迎え、あとは冬に向かって少なくなる一方だ。

丹生アジサイ小径-7

 ガクアジサイは少し早めに咲いていた。アジサイは去年たくさん見て、いろんな種類があることを知った。面白い形や変わった色をしたものもある。品種についても追求していけば奥が深い世界だろう。
 もともとはガクアジサイが本来のアジサイの形で、今では一般的になったセイヨウアジサイは品種改良であの形に変化させたものだ。だから、昔の人にとってのアジサイは、ガクアジサイだった。
 アジサイは日本が原産ということも、案外意識されてないことなんじゃないだろうか。

丹生アジサイ小径-8

 土壌のpHが酸性なら青、アルカリ性なら赤系になるというのは有名だけど、それほど単純でもないようだ。アルミニウムイオンの量などによっても花色は変化するという。そうじゃなければ、日本の土壌は基本的に酸性だから、青色のアジサイばかりということになってしまう。そんなことはない。
 丹生のアジサイは青系が多いようだ。赤系やその他の色も少しある。
 アジサイは終わりに近づくにつれて成熟して色が濃くなっていく。名所に単発で見に行くよりも、家で育てて毎日変化を楽しむ方がアジサイ本来の楽しみ方なのかもしれない。

 わずか15分ほどの滞在だったので、ささっと撮っただけで終わってしまったのはもったいなかったけど、それでも一通り見ることができてよかった。ササユリも見られたし、収穫はあった。
 アジサイまつりは終わっても、花の見頃はまだこれからなので、近くの人は一度行ってみてください。丹生の近くの人がこれを読んでいる確率はものすごく小さいと思うのだけど。
 私はお盆に訪れたい。そのときはまた、遠くからカナカナの声が聞こえることだろう。


用事があって帰郷したついでにちょっとだけ6月の田舎風景を撮ってきた
2008年06月08日 (日) | 編集 |
6月の田舎風景-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4



 ちょっと用事があって、祖母のいる田舎に帰郷してきた。遊びではなかったのだけど、せっかく行ったのだから、少しでも写真を撮ろうと、短い時間の中でちょっとだけ撮ってきた。くたびれたのと寝不足なので、今日は写真を並べるだけにしておく。ここのところ長くなっていたから、ちょうどいい。

 三重県のこのあたりは田植えが遅い地区とはいえ、6月の7日ともなればさすがに田植えは終わっていた。苗の伸び具合からして、ここ数日という感じではない。5月の終わりくらいだったんだろうか。
 いつもは盆暮れしか帰ってないから、この時期の田んぼ風景はけっこう新鮮に映った。もう少し時間があれば、あぜ道をのんびり歩いて野草や生き物を探したかった。カエルやザリガニくらいはまだいるだろうし、もしかしたらドジョウもいるかもしれない。
 今年はホタルが多い年だったようで、このあたりの田んぼや川にたくさん舞っていたそうだ。昭和の後半は田んぼや川も農薬や下水で汚染されていろんな生き物が少なくなったけど、最近はまたきれいになってきて、生物が戻りつつある。嬉しいことだ。

6月の田舎風景-2

 田んぼを見守る一輪のバラ。こんなところに野生のバラが咲くはずもないから、ここの農家さんが植えたのだろう。農作業の行き帰りに眺めて和むためだろうか。
 田舎にバラというのはあまり似合わないけど、もし私が上下白のスーツで胸ポケットにバラを差して帰ったら、たちまち村で話題にのぼってしまう。田舎のネットワークはインターネットより早いと言われる。

6月の田舎風景-3

 こういうのも路地というのだろうか。田舎には細い道が多い。こんな狭いところでも軽トラなどはアグレッシブに突っ込んでいく。しかも、地元民の田舎道の飛ばし方は尋常じゃない。私は恐ろしくてノロノロ運転をするのに。横から子供が飛び出してくるかもしれないという前提がまったくないのが怖い。それでも案外事故はないらしい。

6月の田舎風景-4

 沢ガニのいる水路。今日もこの場所で見つけたのだけど、写真を撮ろうとしたら巣穴の中に入っていってしまって撮れなかった。残念。
 子供の頃はよく、煮干しとかスルメとかでカニ釣りをした。糸の先にイカなんかをくくって穴に垂らすと、沢ガニがハサミで掴んでくるからたくさん釣れるのだ。飼うわけではなく釣るのが楽しいだけだから、すぐに逃がした。
 沢ガニが今でも普通にいるというのも、なかなか貴重なことだ。もう少し深い流れのところには、イモリもよくいた。あれは腹が赤色をしていてグロテスクだった。

6月の田舎風景-5

 このあたりに咲いているユキノシタは、自生なのか民家の種が飛んだり流されたりして咲いたのか、どちらともはっきりしない。野生としても特に珍しいものではないから、もともと自生していたのかもしれない。
 ユキノシタも見るとちょっと嬉しいけど、私が見たいのはなんといってもダイモンジソウだ。山の渓流に咲くダイモンジソウを撮るというのも毎年秋の目標の一つとなっていて、いまだ果たせないでいる。かなり身の危険があるようなところに咲いているという。今年は頑張って、面ノ木あたりに撮りに行ってみようか。

6月の田舎風景-6

 かつて水銀の町、丹生大師の門前町として栄えた宿場町の名残が少し残っている。うちを含めたこの並びが一番残っている方だろうか。
 このあたりもだんだん住む人が少なくなってきた。あと何年、この風景が残るだろう。

6月の田舎風景-7

 まだ現役として使っている井戸。もう100年近くになるんじゃないだろうか。最近少し水に汚れが混じるようになってきたらしい。
 井戸水は夏冷たくて、冬暖かいから重宝する。スイカを冷やしたり、冬に顔を洗うときも冷たくない。今はもう、ちょっと飲む気はしないけど。

6月の田舎風景-8

 こんなところに花菖蒲が咲くなんて知らなかった。6月というのはほとんど訪れた記憶がない。
 これは昨日勉強した、伊勢系だろうか。
 いつも来ていた猫は見かけなかった。

6月の田舎風景-9

 うちはもう使ってないけど、今でも薪を使っている家もある。これは風呂用だろうか。さすがに暖房用ではないと思うけど。
 田舎はなんでも庭で燃やしてしまう習慣が昔からあった。今はダイオキシンがどうだこうだとうるさくなったけど、子供の頃はゴミを燃やすのが好きだった。なんだか知らないけど、あれはけっこう楽しいものなのだ。
 薪で風呂を沸かす作業も楽しくて、自分から率先して手伝った。

 この後、丹生大師近くにあるアジサイの里へ行った。まだアジサイには早かったのだけど、明日からアジサイ祭りが始まるとかで、テントを建てたりいろいろ準備が行われていた。
 そのあたりのことは、近いうちに紹介できると思う。とりあえず今日はここまで。また明日。


変わらないことがありがたくも嬉しいのだと気づく2008年正月の田舎風景
2008年01月02日 (水) | 編集 |
正月丹生-1

PENTAX K100D+SIGMA 17-35mm f2.8-4



 あけましておめでとうございます。
 無事、田舎より帰還しました。今年もよろしくお願いします。
 このブログを始めてから2年と3ヶ月。皆勤賞こそ逃してしまったけど、今年も目標は350日更新くらいで頑張ります。
 という決意も新たに、やはり一年の始まりは田舎の風景からスタートするべきだろう。これも3年目で恒例になりつつある。
 いつ行ってもまったく変わり映えしない光景は軽い脱力感を誘うのだけど、むしろそれが貴重に違いないと思い直す。今年も同じじゃないかと思えるのは、考えてみると素敵なことだ。何もかもが変わらなければいけないというわけではない。変わらないことの正しさもある。
 一枚目の写真は、冬晴れの青空。今年の正月は風が強くて冷たい一日だった。写真では寒さは伝わらないけど、実際は震えながら撮っている。田舎の空気はキンと冴えていて、冷たい風が痛い。

正月丹生-2

 ここから見る櫛田川と高橋の風景を撮らないと始まらない。田舎に帰ると必ず行くところで、私が大好きな場所だ。
 丹生のことを思うとき、思い出すいくつかの光景の中でもここは大切なところの一つとなっている。

正月丹生-3

 寒さにくじけそうになりながらも、昼前少し暖かくなったところで丹生大師へ初詣に行くことにした。
 昔は仁王門のある神宮寺の方を優先的に行っていたけど、最近は丹生神社の鳥居の方から入ることが多い。お寺と神社では神社の方がお参りをするところという考えがあるから。
 この参道の木漏れ日は何度見てもいいもんだ。ここを歩いて奥へ進む内に心が静かになっていく。

正月丹生-4

 神宮寺の仁王門と手前の池。丹生神社とは中の参道でつながっている。
 池は氷が張っていなかった。氷点下までは下がらなかったのだろうか。昔はこの池もよく凍っていた。実は昔の方が気温は低かったのだろう。子供の頃は寒さなど平気だった。

正月丹生-5

 神社と神宮寺と、それぞれどんど焼きをやる。大晦日の夜にやるから、正月の昼前にはもう火もほとんど残っていなかった。
 昔はこの火を見るために大晦日の夜にみんなで参拝に訪れたものだ。今では誰も彼も根性なしになってしまって、身内の誰一人行かない。

正月丹生-6

 この時間帯では参拝者もまばらだった。みんな大晦日の夜か、元日の午前中に初詣は済ませてしまうのだろう。
 お大師さんの方へ行く人が圧倒的多数で、こちらの丹生神社の方まで来る人は少ない。
 初詣はお寺よりも神社へお参りする方が個人的にはしっくりくる。

正月丹生-7

 ここが神宮寺のどんど焼きの場所で、そこそこ人が集まっていた。火もまだ炊いていたし、自己申告制の甘酒も用意されていた。
 社務所は開いてない。昔はちゃんと開いてお守りやおみくじを売ったりしてたのに。

正月丹生-8

 屋根付き回廊の内部。行きはこちらから行った。
 物珍しいからみんなもっとこっちを利用すればいいのに、中を通って上り下りしてるのは子供連れの一家などくらいだ。

正月丹生-9

 初詣ということで、上までしっかり上がってお参りしておいた。ここもまずまず賑わっていた。
 普段は開いてない文殊堂も今日は開いていた。
 小さな女の子とお母さんが触っているものの正体を知らない。子供の頃からずっとあって、名前も意味も知らないまま大人になった。この先も知らずじまいかもしれない。触ると何かいいことがあるとかいう話は聞いたことがない。

正月丹生-10

 丹生のメインストリートは正月といえども静かで普段と変わりない。
 弘喜堂は正月早々店を開けていて感心と思ったら、肝心の名物うづらの郷は作ってなくて品切れだった。このタイミングで作らないか。去年の夏も買おうと思って買えなくて、今年もまた入手ならずだった。これからはなかなか手に入らない貴重品になっていきそうだ。

正月丹生-11

 最後は田舎のうちに来ているノラ写真。
 体はノラ仕様でまるまると肥えている。たぶん、夏に見たやつだ。去年も写真を撮ったやつはこいつだろうか。
 お正月ということで、残り物の刺身などをもらってフガフガいいながら食べていた。こんな食べ物にありつけるのは、それこそ正月くらいのものだ。突然美味しいものをくれてどうしたんだろうと思っただろうか。明日からはまたカリカリに戻ってしまって、しばらくは納得できないままになるかもしれない。刺身食べたいなと思いつつ。
 また美味しいものを食べたければ来年の正月まで生き延びることだ。私もそれは変わらない。今年も立派なおせち料理をいただいた。

 名古屋に戻ってきたら雪が降っていて驚いた。田舎も寒かったけど名古屋も寒かった。この冬は案外寒い。
 大晦日の夜に見た満天の星は忘れがたいものとなった。近年見える星の数が少なくなったような印象を持っていたけど、そうでもなかった。昨日の夜はすごかった。あの星の数は1時間かけても数え切れないくらいだ。ずっと星空を見上げていると、今自分がいるのが天体の一部だということが分かる。それは街に暮らしていると実感することができない感覚だ。
 それにしても田舎の夜は寒い。寝ている部屋が冷蔵のようだった。気温は5度くらいだっただろう。築100年の木造家屋だから寒いのなんのって。寝ていて布団から出している顔が冷たくて痛いなんて、尋常じゃない。このまま寝てしまって次の日目が覚めないんじゃないだろうかと心配になるほどだ。
 田舎暮らしにもいいところはたくさんあるけど、厳しいところもそれ以上にあって、やっぱり私はもう街にしか住めない体になっていることをあらためて自覚した。それでも、というかだからこそ、田舎は変わらずにそのままであってほしいと願う。それが部外者の身勝手な願望だと知りつつも。
 この夏も、来年もその次の年も、訪れるたびにここは本当に変わらないなと思いたい。そんなことを思った、2008年の元日だった。


初めて知った大石のお不動さんの存在とその魅力 2006年9月6日(水)
2006年09月07日 (木) | 編集 |
大石不動院

Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f5.6, 1/40s(絞り優先)



 勢和村からたぶん一番近い町が車で20分ほど走ったところにある大石町(おいしちょう)だと思う。帰郷したとき、夕飯の買い出しのためにコンビニを探して車を走らせていたら、思いがけず歴史的建造物を発見して、急ブレーキ、急ターンで手前の空き地に飛び込んだ。なんだこれはー、と心の中で叫びつつ。隣町とはいえ、こんなところまでは来たことがなかったので、こんなものがあるとは知らなかった。コンビニは見つからなかったけど、それよりもずっといいものを見つけた。
 建っていた石碑を見ると、「石勝山金常寺 不動院」とある。あとから聞いてみると、ここらでは有名なお寺さんで、「大石の不動さん」とか「青石不動さん」などと呼ばれて親しまれているそうだ。念のために言っておくと、青学対不動峰とか大石と菊丸とかは一切関係ない(当たり前)。そういえば、大石恵がキャスターとして復帰するそうだ。ニュースステーションの頃は可愛くて好きだったけど、もうあまり見たくない。
 説明文によると、平安時代(812年)にこの地を訪れた弘法大師空海が、ここの名産である青石で不動明王を彫って安置するためにお堂をつくったのがが始まりらしい。現在の本堂は1,000年以上も前のものではないものの、江戸時代(1602年)に松阪城主だった古田重勝公が再建したものというから400年以上は経っている。良く言えば風格があるとも言えるし、悪く言うとかなり老朽化が進んでいる。かなり大がかりな補修をしたとか書いてあったから、その前はもっとすごいことになっていたんだろう。お金使ってしまったので寄付をお願いしますとも書いてあった。あ、車に財布忘れた。

 前の道は現在の国道166号で、旧和歌山街道にあたる。かなり昔から三重県と奈良や和歌山を結ぶ道として利用されていたようで、物資の運搬の他、伊勢参りや熊野古道参りなどで人々はこの道を歩いたそうだ。紀州藩の参勤交代で江戸へ向かうときもこの道だったというから、昔から重要な道だったのだろう。
 本堂の隣には、これまた立派な鐘楼堂がある。鐘は有名な天命安弾の作らしいのだけど、その筋では有名にしても私はまったく知らない。だいたい、鐘作りの名人の名前なんてひとりも知らないし。
 鐘楼堂も1722年に建てられたというからなかなかのものだ。
 右の石段を登ったところには、大師堂と天満宮がある。大師堂には弘法大師坐像が置かれているそうで、天満宮の方は、1833年に当時の住職が太宰府天満宮で菅原道真の神体の一部をいただいてきてここに安置したという。どこの一部かがちょっと気になるところだ。
 更に石段を登っていくと、展望台があるらしい。知らなかったのでそこまでは行かなかった。櫛田川やこの地区の町並みが見渡せることだろう。ここら一帯は、三重県立公園「香肌峡」に指定されている。

不動滝の水は少なめ

 本堂の左には、ここの名物のひとつである不動滝がある。写真で見ると妙にスケールが小さく見えるけど、実際は高さ10メートルで、なかなか悪くない景観だ。ただ、季節柄なのか、流れ落ちる水が少なかった。多いときは、もっとダァーっと流れていて、それが二本に分かれることから夫婦の滝とも呼ばれるそうだ。夏の暑いときは水浴びするちびっこがいたり、滝に打たれて修行したりする人もいるという。滝に打たれるというと、オレたちひょうきん族の懺悔の部屋を思い出す。
 ちょっと笑ったのは、滝が当たる岩に空海が「不動滝」と彫り込んだとされる文字が残っているというエピソードだ。キミは修学旅行生か! と空海にツッコミを入れたい。ホントに空海がそんなお茶目なことをしただろうか。空海なら許されても、他の人ならこっぴどく叱れてしまうだろう。
 ちなみに、空海の本名は佐伯眞魚(さえきのまお)という。マオっていうと、浅田真央と小林真央を連想してしまって空海とは結びつかない。しかし、真の魚って、さかなクンが大喜びしそうな名前だな。さかなクンが結婚して子供ができたときは、ぜひこの名前を付けるようにアドバイスしたい。
 更に雑学として付け加えると、弘法大師というのは醍醐天皇が与えた号(諡号)で、必ずしも空海と弘法大師はイコールではないということだ。なにしろ、弘法大師ゆかり地やら大師さんにまつわるエピソードは全国5,000以上もあるというから、それはいくらなんでもあり得ない。ドラマの中の水戸黄門でもそんなに足跡は残してない。空海は一生旅人だったわけではもちろんなくて、多くの時間を中国へ行ったり高野山にこもったりして修行していたのだから。弘法大師にまつわる伝説のかなりの部分は、後世に作られたものなんじゃないかと思う。
 空海の生まれは四国。四国八十八箇所霊場巡りというのは、空海の修行場所が基本となっている。讃岐うどんも空海が作ったなんて話もあるけど、それはどうなんだ。空海も週に5回くらいうどんを食っていたのか?

 大石の不動さんで最も有名な行事は、江戸時代から行われている大石不動八朔まつりだ。近年は8月31日と9月1日の2日間で、今年はあいにくの雨だったとか。無病息災、風水害の厄除け、五穀豊穣、家内安全などを願い、本堂では住職が護摩を焚き、外では市民が手踊りしたり、餅を投げたり、盛大に花火を打ち上げたりして、大盛り上がりに盛り上がるという。70軒の屋台が並び、近隣から1万人が押し寄せるというから、なかなかのものだ。普段とのギャップが激しい。対岸の櫛田川から打ち上げられる花火も本格的なようで、この2日間ばかりは近所の人は静かな夜を過ごすのはあきらめなければならない。
 何故か、カラオケ大会まで開かれると聞いて腰砕けになった。カラオケはある意味、現代の平和の象徴と言えなくもないか。けど、町長やら議員やら町の顔役やらが、「無法松の一生」や「自動車ショー歌」、「母に捧げるバラード」などを熱唱する図は、なんというかめまいがしそうでもある。まさに祭りの夜。
 八朔(はっさく)の八は8月、朔は1日で、旧暦の8月1日を八朔といい、昔はこの日に行われていたからこの名が付いたそうだ。

 夏祭りの他にも、年間を通して見どころがある。春は桜が咲き、4月8日の釈迦の誕生日には櫛田川沿いに咲く桃の花を見ながら花まつりが行われる。初夏にはアジサイが咲き、7月には池に白い睡蓮が浮かぶ。
 そしてもう一つの名物が、7月の終わりから8月にかけて、境内の炮烙岩(ほうろくいわ)という巨岩に咲くムカデランの群生だ。これは国の天然記念物に指定されている珍しいもので、米粒ほどの小さなピンクの色の花が固まって咲くんだそうだ。この時期は、多くのカメラマンが望遠レンズを持ってやって来るという。
 秋は紅葉も楽しめる。
 場所がかなりローカルなところでおすすめできるのは三重県の松阪周辺の人に限られてしまうだろうけど、近くに住んでるのにまだ行ったことがないという方にはおすすめしたい。車で20分ほどにある丹生大師もよろしくお願いします。
 もし行ったときは、私が寄付できなかったことをあやまっていたと伝えてください。よかったら私の分もお賽銭頼みます。あと、不動滝の彫り込みが本当に空海の仕業かどうか確かめてきてくださいね。




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