 Canon EOS 10D+EF50mm(f1.8), f2.8, 1/13s(絞り優先)
今年も親戚からサクランボが送られてきた。ああ、もうそんな季節なんだと思う。意識しないまま6月19日も過ぎ去った。 サクランボといえば桜桃。桜桃といえば太宰治、太宰治といえば6月19日。太宰治の誕生日でもあり、命日ともなった日だ。
桜桃が出た。 私の家では、子供たちに、ぜいたくなものを食べさせない。子供たちは、桜桃など、見た事も無いかもしれない。食べさせたら、よろこぶだろう。父が持って帰ったら、よろこぶだろう。蔓を糸でつないで、首にかけると、桜桃は、珊瑚の首飾りのように見えるだろう。 しかし、父は、大皿に盛られた桜桃を、極めてまずそうに食べては種を吐き、食べては種を吐き、食べては種を吐き、そうして心の中で虚勢みたいに呟く言葉は、子供よりも親が大事。 太宰治「桜桃」より
太宰治が玉川上水に入水心中したのが昭和23年昭和23年6月13日。友人たちの必死の捜索でようやく見つかったのが6月19日。その日は太宰治39歳の誕生日だった。 翌年、友人や家族などが太宰治を偲ぶためにために集まり、桜桃忌と名づけた。当初は関係者などで行われていたものがだんだん一般的になり、一時はかなり大勢の人たちが集まるようになったという。いろいろ問題があったり縮小の動きがあったりもしたようだけど、今年もまた多くの人が三鷹の禅林寺を訪れたことだろう。桜桃忌は別にしても、この日が太宰治の日であることに変わりはない。 私自身はその年初めてのサクランボを見ると6月19日のことを思い出すくらいだ。そして私も、まずそうに桜桃を食べては種を吐き、まずそうに食べては種を吐きしてみるのだ。本当は美味しいのだけど。
サクランボは「桜の坊」、つまり桜の子供というところから来ている言葉だ。とはいえ、普通の桜の実というわけではない。食用にしてるのは専用の桜桃の木だ。ソメイヨシノは実さえつけないのでソメイヨシノのサクランボというのはない。 桜桃というのは変わった性質をしていて、同じ種類の木では受粉しないのだそうだ。なのでサクランボ農家では何種類かの桜桃を植えて、異種受粉させてるという。花が咲いたところでミツバチを放したり、手作業で受粉させるというから大変だ。その組み合わせもどれでもいいというわけではなく、相性があるとかで、なかなかに育てるのはやっかいなようだ。 雨にも弱く、濡れるとすぐに駄目になってしまうらしく、暑さも苦手なので、ほとんどは北日本で作られている。一位は山形で二位は北海道というのは、6月に雨が少ないからだ。 サクランボは古代ギリシャ時代から食べられていたと言われている。当時のはきっと強烈に酸っぱかっただろう。欧米に広く伝わったのは16世紀頃のことで、日本には江戸時代に中国から伝わった。西洋のものが伝えられたのは明治初期で、北海道での生産が日本における本格的なサクランボ作りの始まりとされる。
 太宰治絡みでもう一枚。「富嶽百景」に出てきた月見草がこのマツヨイグサだと言われている。
老婆は何かしら、私に安心していたところがあったのだろう、ぼんやりとひとこと、 「おや、月見草。」 そう言って、細い指でもって、路傍の一箇所をゆびさした。さっとバスは過ぎてゆき、私の目の前には、いま、ちらとひとめ見た黄金色の月見草の花ひとつ、花弁もあざやかに消えずに残った。 三七七八米の富士の山と、立派に相対峙し、みじんもゆるがず、なんと言ふのか、金剛力草とでも言ひたいくらい、けなげにすっくと立っていたあの月見草は、よかった。富士には月見草がよく似合ふ。 太宰治「富嶽百景」より
おそらく太宰治が見たのは、オオマツヨイグサだったんじゃないかと言われている。写真のこれは、たぶんコマツヨイグサだろう。いずれにしても、アメリカ大陸原産の帰化植物で、月見草というのは正しい呼び名ではない。本来のメキシコ原産の月見草は白い花だから。 それでも、この花を道ばたで見かけるとやっぱり太宰治を思い出して、富士には月見草がよく似合う、と心の中でつぶやくのだった。
待宵草と漢字で書くとこの花の特徴がよく分かる。宵を待って咲く花。夕方になるとゆっくり咲き始め、朝にはしぼんでしまう一日花だ。 帰化したマツヨイグサの仲間は10種類ほどあるそうで、ツキミソウやユウゲショウなどもそうだ。夜に咲く花なので、夜を舞う蛾が花粉を運ぶ。 宵待草と間違えて覚えられてしまっているのは竹久夢二のうたのせいだ。
まてどくらせどこぬひとを 宵待ち草のやるせなさ こよひは月もでぬさうな 竹久夢二
太宰治が死んだ年齢に自分が近づきつつある中で、今でも太宰さんは心の何いますかと問われると、うーん、と少し考え込んでしまう。もちろん、消えてはいないし終わってもいない。自分の中で消化済みの問題というわけでもない。心の奥の方に深く沈殿していて、今はそれをかき回したくないというところなのだろうと思う。 私は全作品の中で『津軽』が一番好きだ。あの中にこそ、太宰さんの一番いいところが全部出てると思うから。人としても、小説家としても。 太宰治の小説を読んでいた20歳の頃から月日は流れた。それでもまだ、太宰治の生き様も、あの頃の自分も、笑い飛ばすことはできない。もう少し時間がかかるだろう。今はまだ、泣き笑い。
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