現身日和【うつせみびより】
この世界にはたくさんの美しいものや面白いものがあることを知るための毎日であれば、それは楽しくて幸せなこと。
腰砕けの伊勢うどんは美味しいようなそうでもないような美味しさ
2007年09月07日 (金) | 編集 |
伊勢うどん-1

 お伊勢参りに行ったら当然、名物伊勢うどんは食べておくべきだろうということで、昼食はおかげ横丁の中にある「うどん ふくすけ」に入ることにした。
 ここは江戸時代に美味しい伊勢うどんを食べさせると評判だった「豆腐六(どぶろく)」を再現した店だそうだ。なるほど、言われてみれば素朴な風情があってなかなか悪くない。座ってる人がみんな着物を着たとしても違和感はなさそうだ。店内の座敷ではなく、ここは雰囲気重視で外にした。どっちにしてもエアコンが効いてるような店ではないので夏は暑く、冬は寒い。そのあたりも江戸時代の気分を味わえるということか。
 それにしても待っても待ってもなかなか出てこない。確かにほぼ満席のような状態ではあるにしても、うどんにそんなに時間がかかるものだろうか。10分、15分、20分、もしかして忘れられてるんじゃないかと心配になった頃、ようやく私たちの番号札が呼ばれた。ここでも赤福と同じ番号呼び出しシステムを取っている。番号は順番ではなく、ひどく飛び飛びなのも意味が分からない。待ち時間が予測できないから、せめて番号は順番にして欲しいぞ。
 あとから分かったことだけど、通常のうどんが強火で15分くらいのゆで時間なのに対して、伊勢うどんは40分から1時間も煮るそうなのだ。それも煮っぱなしではなく、始め弱火で途中強火にしてまた弱火にするという手間をかけているということだから、それは時間がかかるはずだ。厨房では料理人が交代なしに朝から晩までうどんをゆでているのだろうか。だとしたら、それはある種、釜ゆでの刑に近い。ちょっとしたシジフォスみたいだ。

伊勢うどん-2

 初めての伊勢うどんだから、本来なら一番ノーマルなものを食べるべきだったのだろうけど、あまりの暑さに熱いものは食べたくなかったので、冷やし伊勢うどんにした。通常のものが450円で、冷やしになると550円だったか。冷やす手間で100円アップなのか?
 腰がないとか極太麺とか、いろいろ評判は聞いていた。実際食べてみたところ、とても微妙な感じだった。確かに腰はない。固いということはなくて、柔らかいのだけど単に延びたとかそういう状態でもなく、もごもごした感じとでも言おうか。まずくはないけど、普通のうどんに比べて特別美味しい麺だとは思わなかった。少し粉っぽいのも気になった。
 つゆは店によってずいぶん違うようだ。ここのものは、たまり醤油に昆布と鰹節のダシが効いていて、甘さはやや控えめだろうか。見た目の真っ黒さとは裏腹に、くどくはない。やや濃い目ながらも塩辛くないから、むしろあっさりしてる。そばのように上品に麺の下の方だけつけてなんて食べ方では味がしない。つゆの中に麺を泳がせるくらいでちょうどいい。温かいうどんにかけるのとは少し味付けが違っているのかもしれない。
 それにしてもこれは今まで味わったことのない不思議な食感だ。何かに似てるような気がするけど、なんだろう。けど、食べているうちに最初の違和感はだんだん消えて、最後の方は妙に馴染んでくるから面白い。そのときすでに、これはもう一度食べてみないといけないだろうなという予感めいたものを感じたくらいだった。第一印象はよくなくても、もしかしたらあとから好きになるかもしれないと思ってしまうあの感覚だ。これがやみつきになってしまう人の気持ちが分かる気がした。

伊勢うどん-3

 これはおはらい町にある有名店「岡田屋」だ。ここで食べようと思っていたのだけど、待ち人がいたのでやめておいた。あの待ち時間を考えると正解だっただろう。伊勢うどんというのはうどん屋の中では最も回転が悪いんじゃないだろうか。これは駅のホームでは流行らない。乗り換えのわずかな時間を利用しては食べられそうにない。
 でも、伊勢うどんというのは元々、大挙して押し寄せる伊勢神宮のおかげ参りの参拝客に出すためのファーストフードのようなものだったと言われている。常に釜の中に煮込んでおいて、大量の客を次々にさばくためのものだったはずだ。そのための極太麺だったのだから。いつからこんなに時間のかかるものになってしまったんだろう。あのときはたまたま客が多すぎただけだろうか。
 伊勢うどんの原型は江戸時代以前からあったと言われている。伊勢の地ではあまり米がとれなかったものだから、農民は代わりにうどんを食べていた。当時は素うどんと呼ばれていて、ゆでたうどんに、地味噌を作るときにできるたまり醤油を少しかけて食べていたという。
 江戸時代になって参拝客が増え、このうどんに目を付けた橋本屋七代目の小倉小兵が、食べやすいように鰹節などのだし汁をかけたものを参拝客に出したのが伊勢うどん店の始まりとされている。
 伊勢うどんという呼び名がブランドとなったのはつい最近、昭和40年代以降のことだそうだ。それまでは、伊勢の人は自分たちのうどんが普通のうどんと思っていて、他のうどんと違うものだとはあまり意識してなかったらしい。名古屋人としてもそういうものはたくさんあるから、その感覚は理解できる。決してぼんやりしていたわけではない。
 現在はすっかり伊勢名物として定着して、三重県内ではたいて食べることができるし、スーパーなどでも普通にパックのものが売られている。高速のサービスエリアにも置いてある。伊勢の家庭でもよく食べられているそうだ。

伊勢うどん-4

 こちらは、おはらい町にある「二光堂支店」という店だ。
 伊勢市内には伊勢うどんを食べさせる店が100軒ほどあると言われている。ただ、普通の食事処で出てくるうどんも伊勢うどんだから、この店舗数は少し大げさな気がする。専門店としては40、50軒くらいのようだ。
 遠くから伊勢を訪れて一回勝負なら、おはらい町やおかげ横丁でついでに済ますというのはおすすめしない。せっかくなら美味しいと評判の店で食べておいた方が悔いが残らない。多くの店が外宮のある伊勢市駅周辺に固まってるから内宮からは遠くなってしまうのだけど、時間さえあればあえてそこまで食べに行く価値はあると思う。有名な「山口屋」や「まめや」あたりならはずさないだろう。
 伊勢うどんは店によってかなり差があるから、最初に食べたところで美味しくなかったとしても、それですべてを判断することはできない。たれによってまったく印象も違ってくるそうだから。

伊勢うどん-5

 もう一度食べたくなるんじゃないかという予感は当たった。名古屋に帰ってきてから私は伊勢うどんを求めてさまようことになる。しかしこれがなかなかない。大きなスーパーにも置いてなくて見つけるのに苦労した。三重県ではコンビニでさえ買えるのに、隣の名古屋ではまったく見かけないとは。問屋スーパーでやっと発見した。
 四日市の「坂崎製麺」というところのもので(伊勢じゃないじゃん)、お湯で3分煮て、たれをかければできあがりという手間のかからないものだ。生卵を落として、ネギと一味唐辛子を振ってみた。
 では、さっそく食べてみよう。温かいタイプは初めてだ。どれどれ。ん? 旨いな。おかしいぞ。もう一口。これは明らかに美味しい。「ふくすけ」で食べたよりも数段美味しいではないか。一体どうしたことだ。冷やしと温かいものの違いはあるにしても、麺が全然違う。こちらはツルツル麺で歯ごたえものどごしもとてもいい。伊勢で食べたようなもごもご感や粉っぽさはない。こりゃ、美味しいや。
 考えるに、こういう市販のものだから一般に広く受けるように普通のうどん寄りの作りになっているというのがあるのだろう。美味しく感じられたのは慣れた食感だったからだ。伊勢の店で出しているのが本式な伊勢うどんに違いない。でもそうなると、伊勢うどんは一般のうどんに負けているということになる。好みの問題といえばそうなのだろうけど。
 これはもう少し伊勢うどんを追求してみる必要がありそうだ。伊勢の有名店で食べてみないことには始まらない。おはらい町などにある店はあまり評価が高くないというのもあるから、美味しいところで食べたらまた違った印象となるだろうか。もう一度伊勢まで行くことはなかなかないにしても、三重県自体は盆暮れに行くから、そんとき仕入れるか現地で食べてみよう。
 最近はネットのお取り寄せもあるから、興味を持った方はぜひ一度食べてみてください。ここには讃岐うどんの対極としてうどんの一つの答えがある。伊勢うどんは、腰砕けで打った打球が風に乗ってホームランになってしまったような愉快なうどんなのだ。


ノーコン料理人は言った、料理の行き先は料理に聞いてくれ、と
2007年08月27日 (月) | 編集 |
和食崩れサンデー

PENTAX K100D+RICHO XR RIKENON 50mm(f2), f4.0, 1/50s(絞り優先)



 今日のサンデー料理は、洋風味付けの和食の予定だった。メニューもそのように考えて作ったつもりだった。結果は上の写真の通りだ。
 最近の私はひどいノーコンピッチャーのような料理人となっていて、行き先はボールに聞いてくれじゃないけど、できあがりは料理に聞いてくれ的な状態に陥っている。作っていて途中からこれはおかしいぞと気づくものの、そのときはすでに私の思惑から料理が一人歩きをし始めていて、軌道修正は不可能となっている。そのまま料理が向かう先に私はあとからついていくしかないのだった。
 完成した3品は、またもや正体不明の訳の分からない料理となった。名前は自分でも思いつかない。人に出してこれなんていう料理と訊ねられても答えようがない料理だ。とりあえず食べられることは食べられるから食べてみてとしか言えない。ただ、まんざら暴投というわけでもない。インローを狙った球が外角高めにいったようなものだ。ぎりぎりストライクには違いない。

 左手前は、この中では一番和食に近いと言えるだろうか。
 ダイコンを切って水にさらしたあと、下ゆでして柔らかくする。その後、塩を加えただし汁で更に煮込んでいく。
 それを水切りして、カタクリ粉をまぶし、カレー粉を振りかけながらフライパンで焼いていく。軽く塩コショウもする。
 上に乗っているのは、アイのエサのフレークだ。やつのを盗んで使ってみた。といっても猫用ではない、人間用だ。猫缶を食べなければ食べるものがないほどせっぱ詰まってはいない。
 マグロフレークを鍋で温めつつ、カレー粉で味を加えて、少しだし汁で薄める。
 あとはダイコンの上に味付けフレークとパセリの刻みを乗せればできあがりだ。
 和食とも洋食ともつかないようなどっちつかずの一品だけど、これはなかなか悪くない。フレークとカレー味はマッチする。ダイコンの代わりにジャガイモでもいい。

 右は魚のつくねの洋風バージョンとでも言おうか。
 今回はアジを使ってみた。小骨を取りつつ砕いて刻んで、小エビの刻み、長ネギの刻み、小麦粉、しょう油、酒、塩、コショウと混ぜ合わせる。団子状にしたらカタクリ粉をまぶして、沸騰したお湯の中にゆっくり沈めて煮ていく。
 取り出したものをフライパンに移し、オリーブオイルで転がしながら焼きを入れる。
 たれはマヨネーズ、カラシ、しょう油、塩、コショウを混ぜて作る。
 青のりとかつお節を振りかけて、たれをつければ完成だ。
 肉で作った方が美味しいのだけど、魚をこういうふうにして食べる方法もありだ。子供や魚嫌いの人でも、これなら美味しく食べられる。
 ノーマルな味付けがよければ、しょう油、みりん、酒の和風味にして、串焼きにしてもいい。

 左奥は洋風肉じゃがを作るというのがスタート地点での思惑だった。途中からどんどんおかしくなって、最終的にはホワイトシチュー崩れになった。しかし、これが美味しいから、料理というのは分からない。フライパンでもシチューが作れるというのを発見した。
 まずはジャガイモとニンジンを切り分けて、塩を入れたお湯で煮込んでいく。アクを取り除きつつ。このとき煮込むか煮込まないかでその後の料理が変わってくる。私は煮込みすぎて肉じゃがから方向転換を意義なくされた。
 柔らかくなったところでいったんザルに上げる。そのお湯に今度はタマネギ、鶏肉を入れてある程度煮る。最後にブロッコリーを加えてさっと煮る。
 それらをフライパンに移動させて、たっぷりのバターで焼いていく。ジャガイモが崩れてぐだぐだになってしまうけど、今更後戻りはできない。さきほど煮込んだときに使ったお湯を加えつつ、コンソメの素、塩、コショウで味を整える。
 最後に、とろけるチーズをたっぷり乗せる。表面を覆うくらい。蓋をして蒸し焼きにしていく。チーズが溶けたら肉じゃが崩れシチューもどきがいっちょあがりとなる。
 料理としては失敗だし、こんなもの店で出せるものじゃないけど、家庭料理の一品としては成立すると思う。見た目がよくなくても、味が美味しければよしとしたい。いちいち分けて煮込まなくても最初から全部放り込んで煮てしまっても同じかもしれない。ポイントはバターとチーズだ。もう少し品よく仕上げようとすれば、ジャガイモやニンジンが型くずれしないようにレンジで蒸したあと焼けばいいだろう。チーズを乗せたあとはオーブンで加熱した方がいいとも言える。

 最近、何を作っても基本形から逸脱してしまうのは、良いことなのか悪いことなのか、それさえも判断できなくなりつつある。次の段階に登るための過渡期なのか、それとも単なる我流が身についてしまっただけなのか。基本の料理が何でも一通り作れて、その上で自己流にアレンジするならいいのだけど、私の場合基本もできないのに応用に走りすぎる。物心ついてから何事につけ、いつでもそうだった。習い事が苦手で、人に指図されることが嫌いだった。誰に教わらなくても人並みのことはできたけど、本当にはモノにならなかったのは、基本の反復を怠ったからだ。器用貧乏という自覚はある。料理も例外ではなかった。
 だからもう一度初心に立ち返って、和洋中と基本の料理を作ってみるべきだ。それをマスターしてから次へ進めばいい。でも、性格というのはなかなか直らないもので、次に作るときはやっぱりヒネリを加えずにはいられなくなるのだろうなという予感はある。基本通りにしてもつまらないと思ってしまうから。
 私はこのままノーコン料理人として突き進むしかないのだろうか。けど、メジャーリーグにこんな言葉がある。コントロールを持たないピッチャーは何も持ってないと同じ。その言葉を思い出すと、料理においてもコントロールは一番大事なことに違いない。レシピ通りに作れるというのが基本だ。
 凝った料理を作れることが料理上手なのではなく、基本の料理を美味しく作れる人が真の料理上手なのだということを、最近の私は知ったのだった。
 今度は脱ノーコンの方向で精進していきたい。来週は和洋中3品の基本レシピを作ってみよう。


自分の料理を作るということが趣味としてのサンデー料理
2007年08月20日 (月) | 編集 |
洋食崩れサンデー

PENTAX K100D+RICHO XR RIKENON 50mm(f2), f4.0, 1/25s(絞り優先)



 今日は洋食を食べたい気分だった。私のサンデー料理の気分を大きく分けると、和食を食べたいとき、フランス料理を作りたいとき、洋食を食べたいとき、たまには中華もいいかというとき、その他変わったものを作りたいとき、とだいたいこのパターンに分類される。料理を始めた頃は何を作りたいかが最優先事項だったけど、この頃は食べたさの占める割合が大きくなってきた。それだけ作るということに関して余裕が出てきたということだろう。
 そんな中で今日は洋食気分だった。しかし、結果的に当初の気分はどこかへ置き去られて、正体不明の料理になってしまった。上の写真を見てもらえば分かる通り。名古屋から東京へ向かったはずが気づけば富山県に出ていたというくらいのズレを見せた。いったい、ここはどこですか? アレンジにアレンジを加えていたら、どんどん洋食から離れていってしまったのだった。もはや洋食崩れという体もなしていない。作っている途中から、こりゃあ道が違うぞと気づいてはいたのだけど、もう引き返すことができなかった。この料理を洋食だといってだませるのは小学三年までだ。小四なら、これは洋食じゃないやいと見破られてしまう。最近の私の料理は国籍不明となっている。迷子の料理人だ。

 最初の予定では、ハンバーグとプレーンオムレツと白身魚の団子を作るはずだった。信じられないと思うけど、実際そうだったのだ。思惑通りにいかないのは人生も料理も同じらしい。
 ハンバーグになるはずだったものは手前の緑色のものではなく、左奥のものだ。お好み焼きの出来損ないに大量のマヨネーズがかかっているように見えるかもしれないけど、そうじゃない。これがハンバーグのなれの果てだ。
 名付けるとすれば、「絹ごしフワフワ豆腐ハンバーグのタルタルソース掛け」といったところか。作り方はこうだ。
 まずは絹ごし豆腐をペーパーでくるんでレンジで加熱して熱を飛ばす。それをボウルに入れて適当に砕き、白身魚、刻みタマネギ、とろけるチーズ、カタクリ粉、卵、パン粉を混ぜあわせる。通常のハンバーグならここでこねて形を整えるところだけど、絹ごし豆腐でやわやわなのでそれができない。なので、このままフライパンに流し込んで焼く。質感も食感もお好み焼きっぽいものの、これはこれでけっこう美味しい。とてもヘルシーでもある。もっとしっかり味が欲しければ挽肉を加えてもいい。
 ソースは、マヨネーズ、ゆで卵、刻みタマネギ、パセリ、塩、コショウ、ヨーグルト、レモン汁でタルタルソースを作った。しょう油やカラシなどを加えてもいい。

 右奥のプレーンオムレツは、プレーン度が足りずにやや不満の残るものとなった。卵をあまりかき混ぜすぎず、塩、コショウ少々、牛乳を混ぜ入れ、バターを敷いたフライパンで、よく動かしながら焼いて、半分に折りたたんだらバターを加えて、手早く焼き上げて完成となる。はずだった。少し焼きすぎたようだ。これは加減がすべてだから、かえって難しい。
 トッピングとして小エビとしめじの炒め物をのせて、ソースはいつものようにトマトソースを作ってかけた。
 味としては問題ない。体裁を気にしなければ、エビやキノコも一緒に加えてスクランブルエッグのようにしてしまった方が手間がかからず早い。

 手前の緑のものは途中から自分でも何を作ってるかよく分からなくなった正体不明の料理だ。
 なんとなくイメージだけで白身魚とほうれん草を混ぜあわせて団子にしてみようというのがあって、まずはそこまで手順を踏んでみた。けど、そのままではパサパサなので小麦粉を混ぜた。これでお湯の中に落としたら茹で団子になるだろうかと思って、試しに小さく丸めて湯の中に投入したところ、あっという間に分解してどこかへいってしまった。こりゃいけない。
 気を取り直してジャガイモを加えてみることにする。小さく切ってお湯で茹でたあと、砕いて混ぜ込んだ。これでけっこう団子のタネっぽくはなかった。まだ寂しい気がして、シラスも入れてみた。特に意味はない。これでもお湯に入れたら砕け散りそうだったので、仕方なく焼くことにした。そしてできたのがグロテスクな緑のハンバーグ風の料理だったというわけだ。子供が泣いて逃げそう。
 味付けもどうしていいのかよく分からないまま、コンソメの素をお湯とオリーブオイルで溶いたものをかけてみた。
 おっかなびっくり食べてみると、これが意外と美味しい。ジャガイモの少しくちゃっとした感じも嬉しい食感につながっている。これは結果オーライで成功だったんじゃないか。誰も食べたことがないであろうオリジナルの料理にもなった。失敗は成功の母とはこのことか。
 見た目をもう少しなんとかして、グリーンソースの上に浮かべたりしたら、けっこうしゃれた料理になりそうではないか。今度、これをもっと発展させたやつを作ってみよう。

 予定通りに事が運ぶことはもちろんいいことだけど、予定外の事が起きて思いがけないところに自分が運ばれるのも、それはそれで楽しいものだ。私は好きだ。ドライブでも見知らぬところへ行って、現地で迷って泣きそうになることがあるけど、それだって嫌いじゃない。偶然の発見や出会いこそが旅の醍醐味であり、それは人生にも通じるものだと思っているから。
 料理というのも、無謀な挑戦や失敗や偶然から生まれることが多い。たくさんの食材の中から無限の組み合わせがあるというのは、音楽と同じようなものだ。同じ曲が2曲とないように、同じ料理というのもない。料理を作るというのは二通りの意味があって、人が考えた料理を真似て作るということと、自分が料理を創作するという意味での作るということがある。人が作った曲を弾くのも楽しいけど、自分が曲を作れたらもっと楽しい。料理もそうだろう。レシピ通りに作っているだけでは面白くない。
 今後もいろいろトンチンカンなチャレンジをしていこう。その中で自分独自の料理もできてくるはずだ。誰も名前を知らない料理をたくさん作れるというのはちょっとした自慢になる。美味しいかどうかはともかくとして。
 題名のないサンデー料理会は今後もまだまだ続いていくのであった。


フランス行きの列車に乗ったつもりが気づけば無国籍難民サンデー
2007年08月13日 (月) | 編集 |
ありふれたサンデー

PENTAX K100D+Super Takumar 50mm(f1.4), f4.0, 1/60s(絞り優先)



 予定では今日は松阪に帰郷してるはずだったのだけど、それがあさってに延期になったことでサンデー料理の出番が回ってきた。準備が足りず、イメージも不足で、いいアイディアも浮かばないまま、なし崩し的に作ったサンデー料理となってしまった。
 こうして完成した3品を並べてみても、統一感がない。料理としての方向性も明確ではなく、どれがメインかも判然としない。何料理なのかと問われても答えられないようでは、趣味の料理としては失格だ。漫然と作る夕飯のおかずではないのだから。
 ただ、あまり何も考えなくても料理できるようになったというのは成長したということだろう。レシピ本を見なくても作れるようになった。大きな失敗もなくなったし、味の安定感もだいぶ出てきた。まだ料理上手というにはほど遠いし、味も人様に自信を持って出せるようなものではないけど、まあ食べられなくはないものを作れるところまではきた。新米主婦とならいい勝負ができそうだ。
 あとは自分が作りたい料理をイメージ通りに作れて、味も自分自身が本当に美味しいと思える域までいけるかどうかだ。このあたりは写真にも通じるところがある。誰でもカメラのシャッターを切れば写真は撮れるし、ある程度経験と知識を身につければ一眼レフも使えるようになる。美味しい料理はいい写真に似ている。技術、経験、知識、そしてイメージ、それらが高いところで融合したとき、いい写真が撮れたり、美味しい料理が作れたりする。もともとのセンスや偶然の要素も確かにあるけど、いいものにはやはり根拠があるものだ。私の料理の進歩具合というか停滞感は、私が撮る写真と同じようなところにある。どちらももっと上手くなりたいという思いと、思い通りにならないもどかしさを抱えている。こればっかりはある日突然上手くなるというものでもないから、実践を積み重ねていくしかないだろう。

 今日の料理は最初、フランス料理を作るつもりだった。それがどういうわけか、作っている間に方向がそれて国籍不明の難民料理になってしまった。さまよえるサンデー料理と名付けよう。フランスでも中華でも洋食でもなく、和食ともほど遠い。日本でしか食べられないような料理だけど、日本料理という呼び名も違う。家庭料理といえばそうなるだろうか。でもこの料理を頭に思い浮かべてお店で食べたいと思ったとき、どこの店へ行けば出てくるのかさっぱり見当がつかない。あえて言えば、フランスの家庭料理を出している店で出てこないとも限らないか。この料理をお母さんに作ってもらおうと口で説明するのもまた難しい。
 なんなんだこの料理は、と自分で今あらためて思った。とりあえず作り方を書くので、お母さんや奥さんに作ってもらいたい場合はそのまま伝えてください。料理の名前はまだない。

 今回の中で一番美味しくてオススメなのは手前のナス料理だ。
 ナスの皮をむいてスライスしたものを、しばらく水につけてあく抜きをする。それを取り出して水分を拭き取ったら、ビニール袋にカタクリ粉と一緒に入れてよく振って、粉を全体によくまぶす。こうすることでまんべんなくカタクリ粉をまぶすことができて、粉も無駄にならない。それをたっぷりのオリーブオイルで揚げ焼きにする。
 上にのせる具材は別に作る。タマネギのみじんをオリーブオイルで炒めて、白ワイン、塩、コショウ、コンソメの素で濃いめに味付けする。そこへみじんにしたトマトを加えて炒める。できあがったものをナスにのせれば完成だ。
 ナスの外はカリカリになって、中はとろりととろける食感となる。これは新食感で美味しかった。今回はコンソメ味で洋風にしたけど、かつお節としょう油やめんつゆベースの和風にしても美味しそうだ。

 左奥は、海と山のケチャップ炒めといったようなものだ。
 まずはタマネギと鶏肉をオリーブオイルで炒めて(好みでニンニクも)、あらかじめ下ゆでしたニンジン、ホタテ、キノコ類(今回はしめじ)を加えて、白ワインでざっと炒める。塩、コショウで味付けもする。
 ソースは別で作る。トマトジュース、白ワイン、オリーブオイル、ウスターソース、マヨネーズ、砂糖、タバスコを混ぜ合わせて煮立たせる。最後に炒め物にソースを絡めてできあがりとなる。
 味の決め手はやはりソースだ。トマトソースと思わせてマヨネーズを加えることでだいぶまろやかになりつつ、タバスコの辛みが効いている。
 苦手の野菜やキノコ類も、こういう強い味のソースで絡めることで食べられたりするから、このソースは他にもいろいろ応用が利きそうだ。

 右のやつが一応フランス料理風と言えるだろうか。
 白身魚(今回はメカジキ)と海老をそれぞれ魚焼きグリルでホイル包み焼きにして、最後に直接焼いて表面に軽く焦げ目をつける。あまり長い時間焼くと固くなってしまうので、やや焼き足りないくらいで止めて、余熱で中まで火を通した方がいい。
 アスパラは塩水で下ゆでして、グリルで少し焼きをいれる。
 ソースは、マヨネーズ、カラシ、しょう油、白ワイン、砂糖、塩、コショウ、白味噌を混ぜてひと煮立ちさせる。
 魚介類の中でも白身は味にクセがないから、ソースによって自分の好みのおかずにできる。塩焼きや煮魚は私も嫌いだけど、洋風のソースをかける魚は好きだ。肉だけでなく魚も充分美味しい料理になるから、使わないのはもったいない。

 急場しのぎのようなサンデー料理になってしまった割にはまずまずまとまったものとなった。国籍は不明でも、日本人の舌に合った味となってるから、美味しく食べられた。家で食べる夕飯のおかずとしてはまあ文句のないところだろう。レストランでこの料理が出てきたら、評価はそこそこ止まりだろうけど。
 今月はいろいろ予定がずれて、来週も再来週もサンデー料理ができるようになってしまった。本来なら一回しかチャンスがなかったはずなのに。喜んでいいものなのかどうか。作るのは楽しいけど、メニューを決めるのがひと苦労になっている。目新しい食材があるわけでもなく、メニューそのものに行き詰まり感がある。何かいいレシピ本が欲しいところだ。
 でも、せっかく作れる機会が巡ってきたのだから、何かテーマ性のあるものを作りたい。まずは来週までに何か考えておかなくては。
 というわけで、また来週のサンデーにお会いしましょう。




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