
OLYMPUS E-10+C-PL, f3.2, 1/25s(絞り優先・車内より)
沈黙した電子掲示板。 愛・地球博公式駐車場の混雑程度を知らせるための電光掲示板も、今日になって光を失い、もはや真っ暗なまま何も表示していない。 開催してしばらくは客の入りも悪く、公式駐車場も気の毒なほど利用者が少なかった。週末でさえがらんとしていて、平日などは台数を簡単に数えられるほどだったという。だから表示はいつだって「空」だった。たまに週末などに「混」という表示が出ていたら驚いたものだった。 しかし、後半になると利用者が増え、今度はいつでも混を通り越して「満」の日が続いた。それを見て、よかったね、万博と思ってちょっとだけ嬉しかった。まったくの他人事だけど、なんとなく。 この掲示板が取り外される日も近いだろう。
愛知万博も昨日で終わり、今日から大がかりな解体・搬出作業が始まったとニュースが伝えていた。外国パビリオンの関係者も一斉に帰国の途についたことだろう。寂しさと、満足感と、安堵感の入り交じった複雑な気持ちだったんじゃないだろうか。半年というのはやっぱり短い時間じゃないから。たくさんの出会いがあって、別れがあったに違いない。
今回愛知万博へ行ったことで、体験する、参加する、その場に居合わせるということの大切さをあらためて知ることができた。毎日ニュースで万博会場の様子を見てはいたけど、テレビで見るのと会場に行くのとではまったく違うものだった。会場にいた時間よりもテレビで見た時間の方がずっと長かったのに。 百聞は一見にしかず---悔しいけどこの言葉は本当であることが多い。見ることや知ることと、その場に居合わせて肌で感じることの決定的な違いを再認識させられた。
万博が終わって、私もささやかな一参加者として寂しさを感じている。昨日、特集番組を観ていたらよけいにもの悲しい気持ちになった。でもそれは、自分も確かにあそこに行ったからなんだ。もし一度も行ってなかったら決してこんな気持ちにはならなかっただろう。そう考えれば、この切なさも大事なものだということに気づく。
始まりがあり終わりがある。出会いがあれば別れもある。別れは多くの悲しみを含んでいるけど、別れの悲しみがない人生が別れの多い人生より幸せかといえばそうじゃない。別れの数だけ出会いがあったということだから。出会いの数が多いほど人生は豊かになるのだと信じたい。だから、私たちは寂しい終わりも、悲しい別れも受け入れ、それを愛そう。
長久手方面に向かって手を振りながら、心の中で小さな声で言ってみる。サヨウナラ、愛・地球博。ありがとね(←名古屋弁のイントネーションで)
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