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中日新聞を購読し始めてすでに30年以上の時が経つ。名古屋市民の鏡と言えよう。 名古屋人の間で交わされる、「今日の朝刊のあれ読んだ?」の朝刊が指すのは、朝日新聞でも、読売新聞でも、ましてや日本経済新聞でもない。言わずと知れた中日新聞である。なので、名古屋人は中日新聞をとらざるを得ないのだ(昔、うちでは毎日と中日をとっていた。ときに中日スポーツも)。
その中日新聞がこのたび、この30年の中で一番気の利いた贈りものをくれた。 「昭和の名古屋・平成の名古屋 愛知万博記念・航空写真集」 おお、これ、でらいいがや、と名古屋弁丸出しで誉めてしまうほどこれはいい。 *注:これ、でらいいがや=英語でいうとIt’s a wonderful!
名古屋市内各所の昔と今の航空写真を並べたもので、その移り変わりがとてもよく分かる。駅前、名古屋城、栄、東山、熱田神宮、名古屋港、万博会場など。劇的に変わったところもあり、意外なほど変わってないところもある。万博会場になった青少年公園を見ると、万博の会場は地形をそのまま利用して上手く造られていると感心する。周辺の森も、ほぼそっくりそのまま残っている(海上の森をつぶさなくて本当によかった)。
写真の名古屋駅の駅裏は大きく様変わりしたところのひとつだ。 左のモノクロ写真が撮影されたのは昭和36年で、この頃の笹島は国鉄の貨物駅が広い範囲を占めている。駅の真裏は軒の低い民家がギュッと密集して雑然とした感じだ(戦後すぐはこのあたりはバラック街だったらしい)。ただ、今ツインタワーが建っているあたりにはすでに10階建てくらいのビルが5、6本建っているのが見て取れる。戦後15年でもうその傷跡は確認できないほど復興している。このあたりも空襲でかなりやられたはずなのに。
現代の方に目を移してみると、さすがに駅前はたくさんのビルが建っている。とはいえ、超高層ビルは今度のトヨタビルでやっと3本目。これは他の大都市に比べて断然少ないだろう。全体として見ても、名古屋の街並みが低いことがよく分かる(夜も大都会とは思えないほど暗い)。 駅裏は民家、ビル、学校などがやや無秩序に建っているという印象を受ける。このあたりの再開発も、あまり進んでいるようには見えない。名古屋駅を挟んで表と裏ではまったく違う様相を呈していることが、上からだと一目瞭然だ。私は駅裏にほとんど馴染みがない。 万博のサテライト会場と位置づけられた「デ・ラ・ファンタジア」が、周囲の色合いとマッチせず浮いたようによく目立つ。写真右端に写ってるカラフルなところがそれで、子供向けの遊園地のようなものだ(万博が開催されてすぐは、こっちの方が人が多いじゃないかとばかにされたものだった)。 本来はここにナゴヤドームができるはずだったのに、なんで東区になってしまったんだろう。こっちの方が名古屋駅に近くて便利そうなのに。
中日新聞をとり続けてよかったと、30年で初めて思った。ドラゴンズ・タオルやうちわ、中日の選手のサイン入り下敷きなどを受け取り続けて苦節30年。ようやくその苦労が報われるときがきた。これも万博のおかげだ。 いや、でもホントは、もしかして、中日新聞、万博のタダ券くれるんじゃないかと期待してたことをここに告白しておこう。そんな夢を見ていたのは私だけではなかったはずだ。 きっと万博なんて人が全然行かないから、サクラじゃないけど、賑やかしのためにタダ券配って地元の人間を万博会場に送り込もうというような話になるんじゃないかと、半ば本気でそう思っていた。 甘かったか……。まさかあんなに人が押し寄せるとは。ちょっと万博というものの規模の大きさを理解してなかった。始まる前は、地元のちょっと大きめのイベントくらいにしか思ってなかった。中日新聞がケチとかそういう問題じゃなかったのだ。すまん、中日新聞。 まあしかし、嬉しい贈りものもこれが最初で最後のような気がする。今度いいものをくれるのは、50年後くらいに、もう一度名古屋にオリンピック誘致しよまいとなってそれが実現したときくらいだろう。それまで気長に待つか。
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