| 24時間働き続けるビジネスマン、もう5時から男とは言わない 2005年11月29日(火) |

Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f5.6, 1/500s(絞り優先)
今日こそ5時から男の太陽を捕まえてやろうと思ったのに、おい、ちょっと待っ---と声をかけたときには、ドアを出る背中がわずかに見えただけだった、みたいな。やられた、今日も捕まえ損なった。 けど、やつは怠けたり遊んだりするために急いで帰ってるわけじゃない。すぐに反対側の世界で朝陽として仕事を始めなくちゃいけないのだから、責めるわけにもいくまい。この時期、向こうでは長い時間働かなくてはいけないのだ。24時間戦〜えますか? という懐かしいCMソングが頭の中でよみがえった。 太陽は24時間働くスーパー・ビジネスマンだ。もしも叶うなら、リゲインの一本でも差し入れしたい。
毎日のように見てる太陽だけど、私たちは太陽について意外に知らないんじゃないだろうか。あまりつき合いのない同僚やクラスメイトみたいに。たとえばその大きさとか年齢とか距離とかをとっさに質問されて答えられる人は少ないと思う。私もいつも行っているドラッグストアの推定身長175cmのレジ係の女の子についてよく知らないのと同じくらい太陽については知らないことが多い。いい機会だから、ちょっと勉強してみた。
年齢は約46億才。地球も46億才で、太陽の方がちょっとだけアニキだけどそんなに違わない。寿命はあと50億年ほどで、人間で言うと40才くらいにあたる。まだまだ働き盛りだ。 表面温度は6,000度くらいでたいしたことないなと思うと、中心は16,000度もあるからさすがに熱い。猛烈な核融合が起こっていて、それがエネルギーとなって地球に降り注いでいる。 その働きっぷりはものすごく、これまで人類が消費してきた全エネルギーを1秒間に生み出してるほどだ。 直径は約140万キロ。地球の109倍だから、やはり大きい。 重さが地球の33万倍で、25日で一周回ってる。 地球はそのまわりを365日で回ってるわけだけど、そのスピードは時速12万キロ。よく私たちは振り落とされないものだ。 地球からの距離は約1億5,000万キロ。とにかく遠い。光の速さでも8分かかる。一番速い新幹線で60年、ジェット機で17年、自転車でいったら570年もかかってしまうからその間尻の皮がむけて大変だ。徒歩でいくと2,000年。そんなに長い距離は伊能忠敬でも歩けない。
とにかくやたらにでかくて遠い太陽。 しかしその実態はガスの集まりだったりする。ガスがなんでそんなに重いのかよく分からないけど、ほとんどが水素(92パーセント)で、残りはヘリウム(7パーセント)とか、少しの炭素、酸素、鉄で構成されている。 最後はどうなるかというと、今よりも数百倍の赤くて大きな星になって、その後穴が開いた風船のようにプシューとガスを吹き出し、最後は縮んで白色わい星と呼ばれる小さな星となって一生を終える。燃え尽きて真っ白な灰になったジョーのように。 その間に地球はすっかり飲み込まれて焼き尽くされ、ああ、あわれ一巻の終わりでありました、となる。もちろん、誰一人生き残ることはできない。
少し太陽に興味が出てたでしょうか。だったら、明日、じっくり太陽を見つめてみてくださいね。 って、ダメダメ、そんなことしたら目がいかれてしまう。サングラスも役に立たない。いいのは現像済み白黒フィルムだそうだ(カラーは不可)。 ネガを目の高さで巻いて一周させ、後ろをセロテープでとめた手製の太陽メガネを作ることから始めたい。それをかけて太陽を見上げながら街中を歩くといいでしょう。きっと、道行く人が左右に割れて道を空けてくれることでしょう!
キミはボクの太陽さ。 まぶしくて見つめていられないよ。でもキミなしには生きていけないボクなんだ。 そんな彼女もいましたっけね。 あの子も、30年後には違う意味で直視できない。 そんなときはさりげなく小さな声でこう言ってみよう。キミはボクの白色わい星さ。 たぶん、伝わらないと思うけど。

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| 太陽に残業を頼もうと思ったらもう帰ったあとだった 2005年11月28日(月) |
 Canon EOS D30+TAMRON 28-80mm(f3.5-5.6), f4.5, 1/180s(絞り優先)
秋の太陽は逃げ足が速い。まるで「5時から男」のように。さっきまで見えていた太陽も、信号待ちひとつの間に姿を消してしまう。 用事を済ませて牧野ヶ池の駐車場に着いたのが4時50分。日が沈んでからすでに10分が経ち、あたりは薄暗くなり始めていた。今日も太陽に逃げられたか。 紅葉と鳥を撮りたかったのだけど、こうなってしまうと手ぶれ補正のない暗いレンズではどうしようもない。駐車場で証拠写真のように一枚撮って牧野ヶ池をあとにしたのだった。日が長くなる初夏が待ち遠しい。
牧野ヶ池はこれまでに3回くらい行ってるけど、どうも相性がよくないらしい。場所と自分の相性というのが、人間同士や人間と動物みたいに確かにある。去年から今年にかけてたくさんの場所を回って、いろんなところでそれを感じた。 名古屋市内の緑地公園でいうと、戸田川緑地はとても相性がよかった。何か特別なものがあるわけではないのに居心地がよくて、あそこはすごく気に入った。近所ならしょちゅう行きたいところだけど遠くて残念だ。 猪高緑地は何度行っても迷う。最初に行ったとき、中で完全に迷って真っ暗になってしまったときは本気で泣きそうになった。街中の緑地で迷子になって泣いてる大人なんて我ながらイヤだ。二度目に行ったときも道が分からなくなった。あそこは私の中の磁場を狂わせる何かがある(もともと私の方向感覚に問題があるのだけど)。 大高緑地はなんとなく感じるものがなかった。 庄内緑地は悪くなかったけど、駐車場が有料なのが気に入らない。気分的にのんびりできない。 相生山緑地は昼間はなんてことないけどあそこは貴重なヒメボタルが見られるということで特別な場所だ。バイパスを通すなんて計画は引っ込めてずっとあのまま残して欲しい。
思えばここ1年の間に名古屋と近郊の緑地や公園にずいぶん行った。写真を撮ってHPに紹介するために。主だったところで行ってないところはもうあまり残ってないと思う。行き先を探すのに苦労するくらいだから。 いろんな好きな場所が見つかったし、オススメできるところもたくさんある。おかげで名古屋のことにくわしくなったし、愛知のことも前よりもずっと好きになった。その関連で知り合いができたのも嬉しい。
今年も残りひと月になって、紅葉もそろそろ終盤だ。去年のようにあちこち回れそうになくて寂しいけど、できるだけ時間を作ってまだ行ったことのないところへ行きたい。最初のところは、何かしら新鮮な喜びやワクワク感があるのが楽しい。二度目以降はお馴染み感が強くて高揚感が得られないことが多い。同じ映画を二度観るみたいに。 行きたいと思っていてまだ行けてないところが頭の中に浮かんでは消える。それに加えて、時間、距離、ガソリン、写真、面倒、寒さ、その他あれこれがぐるぐると回転して、最終的に「こんなん出ました〜」と出てくる答えはゴー・ひろみかストップひばりくんか。 ……。 明日も夕陽に向かって走れ、私。そして、太陽にほえろ。

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| はじめてのトルコ料理でイスタンブールまでは届かず 2005年11月27日(日) |

Canon EOS D30+TAMRON 28-80mm(f3.5-5.6), f3.5, 1/60s(絞り優先)
飛んでイスタンブール〜♪ と陽気に歌いながら作るほどの余裕はまったくなかったトルコ料理。作ったことはもちろん、食べたことも見たことさえないトルキッシュ。トルコニャン? トルコン? トルコナー? フレンチやイタリアンにあたる言葉が見あたらない。 それはともかく、まったく未知の料理ということで、作る前から不安一杯の私。こんなに前の日から不安だったのは、高校のマラソン大会以来かもしれない。
作る料理は材料が手に入りやすいものという基準で選んだ。はじめてだし、味も全然想像がつかないから、せめて食材だけでも馴染みのあるものにしようと。 ご飯は「プレーンピラフ」(向こうではプラウと発音するようだ)、ナス料理ではポピュラーな「イマムバユルドゥ」、「メネメン」と呼ばれるトマトを使った卵料理、「ウスパナク・イエメイ」はほうれん草の煮込みスープ、この4点。 作ったあとも名前を覚えられそうにないものばかりだ。
ピラフは、米をバターで炒めて、鶏ガラスープで炊く。これはなかなかよかった。具は入ってないんだけど、ほどよい味がついていて他の料理とマッチしていた。 ナス料理はちょっと酸っぱかった。トマトとレモンの酸味が強くて、甘みが足りない。もう少し砂糖を増やして、ひき肉も入れるアレンジがあってもよかった。 卵料理はけっこういけた。具材はタマネギ、トマト、ピーマン、パセリなどで、とろけるチーズを入れるのがポイント。 ほうれん草煮込みにもタマネギとトマトが入っている。上にかかってる白いのは、トルコ料理ではお馴染みのヨーグルトだ。
トルコ料理の傾向として、やたらトマトとタマネギを使う。ピーマンも登場回数が多い。油はオリーブオイルを大量に使い、ヨーグルトも欠かせない。 今回肉料理は作らなかったけど、トルコ料理といえば羊の肉を使ったシシケバブがやはり一番有名だろうか。イスラム教なので、豚はタブーだし、牛肉もほとんど使わないようだ。 魚は海に近いところではよく食べられるようだけど、レシピにはあまり登場しない。
個人的な印象としては、思ったよりクセはないけど全体的に酸っぱい料理というものだった。トマトを焼いた酸味だろうか。甘みも足りないとも言える。これはたまたま料理が片寄ってしまっただけなのかもしれないけれど。 あと、食材がトルコと日本では違うようで、日本の食材でトルコ料理を再現するのは難しいというのも感じた。トマトはもっと甘いものを使ってるんじゃないだろうか。 ただ、料理は思ったよりも簡単だった。ハプニングもトラブルもなく、手際よく1時間半で完成してしまった。全然笑えない(料理に笑いはいらないだろう)。 味も想像してた複雑なものではなく、もっと上手く作れば更に美味しいものができそうだ。総合的な味の自己採点は70点ということにしておこう。
世界三大料理といわれるトルコ料理に今回初めて触れて、私の中でトルコがちょっとだけ近づいたような気がした。トルコ人は基本的に日本に好印象を持ってるというし、歴史的に見てもまったくといっていいほど両国でもめ事はなく、友好関係を保っている。この前のワールドカップで日本がトルコに負けたことが唯一の争いごとと言ってもいいくらいだ。 にもかかわらず、日本におけるトルコ料理の認知度はかなり低い。フランス、中国、イタリアなどと比べたら全然だ。夕飯にトルコ料理が出てくる家庭はほとんどないだろうし、トルコレストランへ食べにいく人もあまり多くないと思う。味の傾向として日本人好みじゃないのだろうか。 私としては、今後もまたトルコ料理を作ってみたいと思った。その前に本物のトルコ料理店で一度食べてみるのもいいだろう。
はじめまして、トルコ料理。また会いましょう。次こそ、食べたとたんに心がイスタンブールまで飛んでいくようなトルコ料理を作ってみせる。

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| 来年こそ野草は全部まるっとお見通しだと言える年に 2005年11月26日(土) |
 Canon EOS D30+SIGMA28-80mm(f3.5-5.6), f5.6, 0.5s(絞り優先/三脚)
道に落ちていたので拾って持ち帰ってきた赤い実。 正体は不明。調べたけど判別できなかった。ナナカマドかなとも思ったけど違う気もする。赤い実はたくさんあって難しい。 センリョウ、マンリョウ、ナンテン、トキワサンザシ、アオキ、シロダモ、ウメモドキ、などなど。この秋も木に咲く花や成る実についての勉強はあまり進まなかった。特に実は分からないものだらけだ。
ところで今使ってるシグマのレンズ28-80mmは、値段も作りもすごく安いレンズだけど、純正にはない1:2のマクロ機能があるのでけっこう使える。80mm(128mm換算)固定で10cmくらいまで寄れてかなり大写しできるし、クローズアップレンズを付ければ5cmくらいまで寄れるようになる。写りも悪くないし、なかなか侮れないレンズなのだ、これ。 オートフォーカスがすぐに壊れてしまうという致命的な欠点があるけど、マクロはマニュアルで撮ることになるだろうから、オートフォーカスが壊れたジャンク品を安く買うのがオススメだ。オークションで1,000円〜2,000円くらいでたくさん出ている。この金額なら昼飯を1、2回抜けば買える。タムロンSP90mmを買うならこのレンズを25本買った方がいいだろう(そんなはずない)。
去年の秋から突然野草に興味を持つようになって、まるっと一年が経過した。野草のことは全部まるっとお見通しだっ! といく予定だったのだけど、そんなに奥の浅い世界ではなかった。まだ半分どころか3割くらいしか区別がつかない。家の近所だけでもこんなにたくさんの野草が咲いてたなんて思っても見なかった。 とはいえ、一年でそれなりに見ることもできたし写真にも撮れて、好きな野草もたくさん見つかった。カタクリ、カワラナデシコ、ユキノシタ、ヤマユリ、トキソウ、シライトソウ。見たいと思っていたサギソウも見ることができた。 結局見ることができなかったシラヒゲソウ、ワレモコウ、ダイモンジソウなどは、また来年の楽しみとなった。
紅葉が終われば、いよいよ野山も色を失い寂しくなる。写真の被写体の花も虫もいない。でも冬は野鳥がいる。プロ野球が終わってもラグビーやマラソンなどのウィンタースポーツがあるように、他に目を向ければいろんな撮るべきものがある。人や建物や雪や氷も。 鳥を追いかけてるうちにに年も明けて、2月になればフクジュソウやオオイヌフグリが咲いたという便りも届くだろう。 写真を撮るようになって、興味の対象や楽しみがぐっと増えた。どんな季節も、撮るものがないなんてことはない。こちらから出向いていけば必ず撮るものはある。家の中にはなくても。 毎日が写真日和。撮るほどに日々新しい出会いや発見がある。

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| 暖かい日本の冬にようこそ、コガモくんたち 2005年11月25日(金) |
 Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f5.6, 1/20s(絞り優先)
季節は冬。近所の矢田川にもたくさん渡り鳥の姿が見られるようになった。 これはコガモのカップル。手前がオスで、奥がメス。 ん? でもなんか衣装が違うような? 頭の茶色と深緑のツートンからしてコガモであることは間違いないと思うんだけど、体はこんな色と模様だったかな。灰色で黒と白の横線が入ってるのがコガモの正装のはずだ。こいつは茶色のまだらで線が見あたらない。もしかして亜種か何かだろうかと調べてみたけど、アメリカコガモでもなさそうだ。縦線も入ってないから。 考えられるのは、まだ羽が夏羽から冬羽に変わりきってないということだ(エクリプス)。コガモくん、着替えの最中でしたか? 渡ってきたときはオスもメスに近い姿をしてるらしい。正装になる前の普段着はこうなのだろう(ということにしておこう)。
コガモは一夫一妻制なんだそうだ。ということはこれも夫婦の可能性が高い。子育てを終えて、冬を越すために一緒に渡ってきたんだろうか。子供を置いて? 彼らはユーラシア大陸や北アメリカ大陸中・北部で繁殖して、冬になると寒さを逃れるために両大陸の南部に渡って過ごす。日本にいるやつはシベリアあたりから来るのが多いという。 シベリア……。なんて遠いところから。数千キロはあるだろうに。日本では川や池にいることが多く、いたってのんびり過ごしてるように見える。危険な長旅をしてきた旅のツワモノには見えない。
何故あえて危険を冒してまだ渡るのかといえば、実際のところは分かってないらしいけど、現実的な問題としてエサと子育てが主な理由だろうということだ。人間が子育てと物価を考えて都心から遠い郊外に引っ越したりするのと同じかもしれない(それはちょっと違う)。 コガモの場合なら、夏場はシベリアの広大で肥沃な大地で子供を産んで育てた方が都合がよくて、冬は凍てついてエサが少なくなるあちらよりも日本の方が過ごしやすいということになる。なんでこんな寒い季節にわざわざこっちに来るんだと思ったりもするけど、彼らにしたら日本の冬は暖かいと感じているのだろう。 その逆に夏だけ日本に渡ってくるツバメやカッコウみたいなのもいる。暑いのが好きなのもいるし、寒いのが好きなのもいる。カルガモやスズメみたいに四季に適応したやつもいる。
カモと一口に言ってもいろんなやつがいるわけで、このコガモはカモの中で一番小さくて人間に慣れないやつだ。よく街中の池などで喜んで人にエサをもらってるのは、オナガガモやマガモやカルガモたちで、こいつらはそんなところにはめったに入ってこない。警戒心が強くて、人が近づくだけでも飛んだり泳いだりして逃げていく。 かわいげがないと言えばそうなんだけど、野性味溢れるところがいいというコガモ・ファンも多いようだ。 エサは水面に浮いている種子とか水面近くの水草なんかを食べてるらしい。カモというとみんな魚をとって食べてるようなイメージがあるけどそうでもない。 カモなんて色と模様がちょっと違うだけでほとんど同じなんだろう、と去年まで私も思っていたけど、いろいろ個性や特徴があるもんだ。
この冬は水辺でカモ・ウォッチがオススメです。カウンターを忘れずに持ってお出かけください。カモを見ながら手の中でカチャカチャとボタンを押していれば、100パーセント野鳥の会の会員と思われるでしょう! ただし、双眼鏡を首からぶらさげた本物の会員に話しかけられる恐れがあるのでご注意を!

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| 日本は年がら年中年中行事で楽しいことだらけ 2005年11月24日(木) |

Canon EOS D30+SIGMA28-80mm(f3.5-5.6), f5.6, 0.7s(絞り優先/三脚)
生きているんだかいないんだか判断に悩む、去年買った苔玉。 おーい、生きてますかぁ? 買ってからほどなくして緑色から茶色に様変わりして、以来ずっとこんな感じが続いている。ときどき気まぐれに水をやったりしてるけど、さっぱり変化がないからまるで張り合いがない。これはやはり枯れてしまったと判断すべきか。 苔玉からニョキッと出てる葉っぱは、確か胡蝶蘭だったと思う。でも花はおろかつぼみさえ見たことがないので確信は持てない。一見元気に見えるかもしれないけど、これも新芽が出たと思うとすぐに力なく枯れてしまい、もう駄目なんだと思うとまた新しく出てくるというのを繰り返している。左奥の葉っぱはもう取れかけている。 根本的に何かが間違ってるような気がする。私の世話の仕方。
苔はたぶん世界のいろいろな場所に生えているのだと思うけど、わざわざ育てて愛でて喜んでるのは日本人くらいなんじゃないだろうか。それとも私が知らないだけで、世界苔愛好家協会なんてものがあって、毎年コンテストが開かれたりしてるのか? オー、イッツ・ア・トレメンダス・モス! などという会話が行き交うシーンが世界のどこかで展開されてるのかもしれない。苔のためなら金に糸目をつけないアラブの石油王だっていないとも限らない。 ……やっぱりいないかも。 日本人はいつから苔好きになったんだろう? 京都あたりの庭園を造った頃が始まりなのか、それとももっと古い歴史を持っているのか。 「君が代」で「さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」と出てくるところをみると、思っている以上に昔から日本人は苔好きだった可能性はある。
日本人の美意識というのは世界的に見てとても変わっている。四季がはっきりしてるからというだけでは説明できない特異性があると思う。 花鳥風月に相当する言葉を持つ国はどれくらいあるんだろう? 季節の花や生き物たち、年中行事に風物詩、後付けのイベントなど、世界の中で日本人ほどみんなが集まって同じことをする国民はたぶん他にはない。 桜が咲けば花見をし、夏になれば潮干狩りや海水浴、花火を楽しみ、秋には紅葉を見に行く。冬はスキーやスケート、雪合戦。 忘年会に新年会、年賀状に成人式。 大晦日にお正月、節分、桃や端午の節句、七夕、盆踊りにお墓参り、十五夜のお月見。 それだけではまだ飽きたらず、クリスマスにバレンタインデー、ホワイトデー、母の日、父の日。文化祭に運動会に修学旅行。 とにかく年がら年中何かのイベントに浮かれてる国民と言えるだろう。そして、おそらくどの国の人よりも多くの自然や風習を愛でる習慣がある。なんて面白い国民性だろう。
私は国粋主義じゃないから、日本人が特別優れてるとは思わない。悪いところもたくさんある。ただ、いいところも間違いなくたくさんあるから、そういうところを積極的に見るようにして、自分もその部分で生きていきたいと思っている。占いのいいところだけ信じるみたいに。 日本に生まれて、日本人であることの楽しみを、斜に構えず、しらけて見せたりせず、みんなと一緒に喜び共有したい。 年と共に少しずついろんなものを愛せるようになってきたのが嬉しい。これからもひとつでも多く愛でるものを増やしていきたいと思う。
しかしこの苔、どうにかしてまたあの頃のような緑色にならないもんだろうか。やっぱり無理なのかな。白髪を染めるみたいに緑に染めるわけにもいかないし。 だとしたら、せめて胡蝶蘭だけでも見てみたい。えーと、最初あった茎がポキンと折れてしまったんだけど、あれってまた生えてきますか? と誰にともなく訊ねてみる。あれがないと花は咲きようがないと思うけどどうだろう。 きっと元気になるにはもっと応援が必要なはずだ。だから、太い声で「ランちゃーん!」と毎日声援を送ってみることにしよう。キャンディーズの親衛隊のように。

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| 女ハンター・アイも冬はストーブの前で伸びるばかり 2005年11月23日(水) |
 Canon EOS D30+SIGMA28-80mm(f3.5-5.6), f4.0, 1/10s(絞り優先)
勤労感謝の一日、勤労とも感謝とも無縁のアイは電気ストーブの前で伸びるばかり。この至近距離で暑くないのか?
川原でノラ生活を送っていたアイが私のところへやって来たのが2003年1月始めだったから、そろそろつき合いも3年近くになる。来たばかりの頃はやせ細ったチビだったのに、今では筋肉もりもり女となってしまった。水野裕子みたい。 毎日7階と1階を3往復して、外ではハトを物陰から狙ったり、虫を生け捕りにして持ち帰ってきたり、ボス猫に追いかけられて高い木の上に登ったりで、運動不足とは無縁の生活を送っている。世の中でこんなにも体を鍛えてる猫もそうはいないんじゃないだろうか。そのおかげか、妙に体が丈夫で、この3年風邪ひとつひかず、病院へ行ったこともない。その点では手間のかからない猫と言える。 しかし、ワガママ度は年々ひどくなり、最近は何か気に入らないことがあるとうなりながら飛びかかってくる始末。ヒステリックさはカイヤ並みかもしれない。川崎麻世の気持ちが少しだけ分かる気がする。 いつからこんな性格になってしまったんだろう。育て方を間違えたんだろうか? 単に私が彼女より下に見られてるだけなのか。メシ係くらいにしか思ってないフシもある。
この夏もまたたくさんのエモノをくわえて持ち帰ってきた。セミにバッタにカナブンにイモリ。スズメの子供を深夜に持ってきたときは、部屋の中で飛び回るスズメとそれを追いかける私とアイで大騒ぎになったものだ。 その中でも一番の大物というか印象深かったのはシジュウカラだった。何度か写真に撮ったことはあるけど、手に持てるとは思ってもみなかったので嬉しかった。あのときばかりはアイを誉めてやったものだ。 どの生き物も一切傷を付けずに持ち帰るテクニックはたいしたものだと感心する。食べるわけではなく生け捕ることに生き甲斐を感じてるのだろう。 ハンター・アイは今年も健在だったので安心したけど、彼女も人間でいうとそろそろ40が近い。来年はもう今年ほど捕まえられないんじゃないだろうか。それを思うとちょっと寂しくなる。 最近は寒くなったせいで、出かけていくときちゅうちょするようになった。いったんドアの外に出て、ブルブルッと体を震わせて、こりゃたまらんとばかりにその場でUターンして家の中へ駆け込んでいったりする。若い頃は雪の上でも平気で歩いて出かけていったのに。 寄る年波に勝てないのは人間も猫も同じらしい。
冬になると、ロバート・A・ハインラインのSF小説『夏への扉』を思い出す。あの中に出てきた猫のピートのことを。 主人公と暮らす猫のピートは、冬になると家にたくさんあるドアのどれかが夏に通じると信じて、ひとつひとつ開けろとせがむ。そしてそのどれもがそうじゃないと分かると、窓の外を見てじっと佇むのだ。あの表紙のピートの後ろ姿がずっと心に残っている。 ピートは夏への扉を見つけられたんだろうか。私はどうだろう。ただ冬が過ぎるのを待ってるだけでいいんだろか? なんてことを考えつつ、今年もまた冬を迎えることになった。 ストーブの前で伸びてるアイはハトを捕まえる夢でも見てるのかな。

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| ゲッゲッゲゲゲのゲと20万の大合唱が聞こえたら 2005年11月22日(月) |
 Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f5.6, 1/60s(絞り優先)
平和公園もそろそろ秋色に染まった頃だろうと、最近買った望遠レンズを付けて行ってみた。鳥も撮れるといいなと期待して。 しかし、紅葉も鳥も不調に終わった。鳥はカラスしか見あたらず、紅葉もパッとしない。ハッとしてグーとはいかなかった。
平和公園というのは、名古屋にある一大墓地公園だ。かなり広い敷地の中にたくさんの墓地が立ち並んでいる。 総面積147ヘクタールと言われてもピンと来ないけど、墓石数が20万近くあるというとそりゃすごいなと思う。愛・地球博の最高入場者数と同じくらいだ。実際見た目もかなりインパクトがある。見渡す限り墓石だらけ。初めて行く人は簡単な説明を聞いただけで目的のお墓に辿り着くのは困難を極めそうだ。途中で力尽きて他の人のお墓にお供え物をあげて帰ってしまうかもしれない。ディズニーランドの駐車場で待ち合わせをするのと同じくらい難しそう。 昔はなんとなく不吉な気がしてなるべく近づかないようにしていたけど、行ってみたらなんてことはない普通の公園だった。暗い雰囲気でもなく、散歩する人、遊ぶ親子、釣り人、学生、その他大勢でにぎわっている。犬の散歩をしてる人も多く、ここでは放し飼いにしてる姿が目立つ。ヒモを放すのを禁止してる公園が多いけど、ここでは大丈夫なようだ。 桜の名所としても有名で、紅葉見物の人もそれなりにいる。 幻に終わった名古屋オリンピックのメイン会場予定地でもあった(いまだに名古屋人は心のどこかでソウルのことを憎たらしく思っている)。
鳥見、鳥撮りの人も多いようで、ネットを検索するとここで撮影されたたくさん野鳥写真を見ることができる。けど、あんなにたくさんどこにいるんだろう? 今日なんかさっぱり姿を見せなかったけど。夕暮れ時はみんなねぐらに帰ってしまったのだろうか。ひょうたん池もさっぱりだったし、猫ヶ洞池はカモさえいなかった。南の雑木林の方にいたんだろうか。次はもっと明るいうちに行きたい。
紅葉はまだこれからなのか、もう終わりかけなのか、ちょっと判断がつかなかった。今年はダメだねという会話が聞こえたから、ホントにダメなまま終わったのかもしれない。秋の前半が暖かすぎた。去年はもっと赤や黄色に染まっていてきれいだった。 写真は桜の名所スポットである「桜の園」と名付けられたところだ。 「桜の園」というと吉田秋生のコミックや中原俊監督の映画を思い出す人が多いだろうか。私はやっぱりなんといってもチェホフの最後の戯曲を思い出す。 ラストで、老僕のフィールスはこんな独り言をつぶやく。 「一生が過ぎてしまった。まるで生きた覚えがないくらいだ」と。 これが44才で死んだチェホフ自身のつぶやきだとは思わないけど、実際最後はこういう心境なのかもしれないと思ったりもする。
たまには墓地へ行くのもいいもんだ。この世界は生きてる人間のものだけじゃなく死んだ人間のものでもあるということを思い出させてくれるから。こんなにも死人だらけなんだと思うと、生きてることのありがたみを再認識する。 季節は秋から冬へ。紅葉は人を少し感傷的にさせるけど、終わりは始まりでもある。冬来たりなば春遠からじ、昔の人も言っている。 木々の紅葉は死ぬためにしてるわけじゃなく、来年の春に新しく生まれるための準備のためにしてるのだ。桜はまた花を咲かせ、新芽を出すために。 来年の春の再会を約束して、平和公園を後にした。

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| ゼウスが怒ったのも無理はないけどプロメテウスよありがとう 2005年11月21日(月) |
 Canon EOS D30+SIGMA28-80mm(f3.5-5.6), f4.0, 1/60s(絞り優先)
郵便局の前で風にはためく「放火に注意」の旗。これを見てちょっと笑ってしまった。笑い事じゃないけど。 「火の用心」から一歩踏み込んだ呼びかけ。しかし、放火に注意と言われても具体的に何をどうすればよいのやら考えてしまう。放火犯に注意なら分かる。放火魔にご用心とかでも。毎日寝ずの番をするわけにもいかないし弱ったな。 家の前に燃えやすいものを置いておかないとか、人にうらまれないように気をつけるとか、とりあえずそれくらいしか思い浮かばないけど、とにかく注意しようと思った。
火を最初にコントロールできるようになったのは、今から150万年くらい前のホモ・エレクトス(原人)と言われている。南アフリカの洞窟に残っていた火の跡によって。 それからざっと100万年くらい経った50万年前のジャワ原人や北京原人などは、普通に火を使うようになっていたようだ。ジャワカレーとか作って食べてたかもしれない。 火の歴史ってそんなに古いんだと思うかもしれないけど、そうじゃない。類人猿の誕生は2,000万年前だから、そこから1,850万年もの間、人類の祖先は火を使うことを思いつかなかったのだから。ダメじゃん。長い間ぼんやりしすぎ。 人とチンパンジーが枝分かれしたのが500万年前で、それから考えても350万年は火を使えなかったことになる。うっかりしてて気づきませんでしたと言い訳するにはちょっと長すぎる歳月だ。 だから、人類が火を使えるようになったのはわりと最近の話なのだ。
人類は本当に火を使う必要があったのだろうかと考えたとき、そこに必然性はなかったのかもしれないと思ったりもする。現にサルやチンパンジーは火を使わなくても普通に生きていっている。温泉に入るサルはいても、落ち葉を集めて焼き芋をしてるチンパンジーは見かけない。 人類の歴史を逆に辿ってみてみれば、火を使うことは必要不可欠だったと言えるけど、火は大いなる喜びと同時に悲しみや不幸をもたらしたことを考えると手放しに喜べない気もする。 食べられるものの幅を一気に広げ、獣から身を守り、夜を明るく照らし、道具を作り出して生活を便利にした。その一方で火事で命を落とすことになったり、大がかりな戦争にもつながっていった。
今を生きる私たちは、火を必要不可欠なものとしながら、少しずつ火から離れようとしている。ストーブからエアコンへ、ガスからオール電化へと。火はやはり危険なものであるという認識は21世紀になっても依然として強くある。山火事も止められないし、住宅地の火事も怖い。火は人からたくさんのものを奪う。現代になって人類は火のコントロールの限界を知ったという言い方ができるかもしれない。 「マッチ売りの少女」はもう完全に商売あがったりだ。さおだけ屋だってそのうち潰れるに違いない(火とは関係ない)。 最終的には、プロメテウスを通じてゼウスに火をお返しすることになるかもしれない。大政奉還ならぬ火勢奉還? 個人的にはサンデー料理で火がなくなったら困るけど、電化でいいならそっちの方が安全そうでいいなとも思う。花火がなくなってしまうとさすがに寂しいから、それくらいは夏の風物詩として残しておいてもらおう。夜空に電気で絵を描いてもちっとも嬉しくないから。
火のことを書いていたら、小学生の頃、火の用心の呼びかけ夜回りをやらされたことを思い出した。昭和40年代から50年代にかけて、あれは全国共通のものだったんだろうか。 「火の用〜心!」 「マッチ一本、火事のもと!」 「火の用〜心!」 「サンマ焼いても家焼くな!」 なんだこのセリフは、と子供心にも思ったけど、今となってはあの呼び声もなつかしい。夜の町内に響く拍子木の音が今でもはっきり耳に残っている。

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| どんぶりもの作りでジタバタ大騒ぎの日曜の夕方 2005年11月20日(日) |
 Canon EOS D30+SIGMA28-80mm(f3.5-5.6), f4.0, 1/20s(絞り優先)
本日のサンデー料理はどんぶり。なんだどんぶりかよ、早くも手抜きじゃん、とヤジが聞こえた気がしたのは空耳だろうか。今日はちょっと時間がなかったというか、イメージがわかなかったというか、頭が痛いよぅ兄さん((c)武田真治)的な言い訳をしつつ、でもけっこう手間がかかってるんです、これ。見た目以上に。
今日のテーマは、「レシピにおんぶにだっこに肩車からの脱出」だった。要約すると何も見ずに作ってみようということだ。いっけん、ただの玉子丼ぶりに見えるかもしれないけど、さにあらず。本当はかき揚げ丼なのだ。卵の下にかき揚げが横たわっているのである。高校時代、バタフライで溺れかけた私のように。 かき揚げ丼と玉子丼をドッキングさせたどんぶりが一般的なのかどうかよく分からないのだけど、思いついたのがこのかき揚げ玉子丼。そしてかき揚げ作りがまたややこしいことになったのだった。
まずはかき揚げのタネ作りから。思い浮かんだものを適当に切ってまぜてみた。小エビ、タマネギ、万能ネギ、ニンジン、三つ葉。何か足りないような気がしつつ、思い出せないので、天ぷら粉をまぶしてコネコネこねくりまわす。フライパンには先ほど油を入れて充分温めておいた。 温度は170度から180度くらいっていうんだけど、そんなもの指突っ込んで確かめるわけにもいかず、体温計では代用がきかず、経験を伴わないまったくの勘で勝負。 タネをすくって、そらいけっ、と入れてみたところ、ジャー!!! っとものすごい勢いでタネは踊るように一気にきつね色に揚がったのだった。瞬殺? って、温度、高い、高い! 怖っ! 爆発するかと思った。 とりあえず火を弱めて遠巻きに眺めて、勢いが静まるのを待つ。わー、びっくりした。一体何度くらいまで上がってたんだろう。華氏451度は超えてたかもしれない。油の温度って見た目で分からないんだね。またひとつ勉強になったよ。 動揺を隠せないまま、次のタネをおそるおそる流し入れてみたところ、ん? どうした、急に元気がなくなったぞ? タネは金魚すくいの弱った金魚みたいに上の方でゆらゆらと力なく揺れるばかり。ありゃりゃ? 一気に冷えましたか? なんだよ、コアラと三原順子かよ、と突っ込んでみたけど、油の中のタネはカリっと揚がるどころかバラバラと分解しはじめる始末。うーん、困った。モンキッキーも困ってる。 その後火を強めてしつこく揚げていたらなんとか格好がついたので、すくって取り出した。こんなんでよかったんだろうか。 あとはめんつゆを1:3くらいで割って(カップに半分弱くらい)、それを煮立てて、溶き卵を流し入れてしばし待つ。半熟になったところでご飯の上にかき揚げを乗せ、めんつゆの卵とじを上からかけたら完成。 あー、書き忘れたけど、緑色のはシソの葉を揚げたものだ。 みそ汁もダシをとって作ったからこれもけっこう手間と時間がかかった。
味はやや濃いめながらも安心感のある味で普通に美味しかった。めんつゆで作れば大きな失敗はない。ただ、裏を返せば面白みのない味とも言える。やや甘めで75点といったところ。 日常の家庭料理レベルというか、これが大衆食堂で出てきても文句を言わずに食べるだろうけど、社員食堂ならちょっと濃いんじゃないかとひと言言いたくなるような微妙なライン。
こんな単純な料理に今日も大騒ぎ。楽しいようなそうでもないような。毎回、食べる頃にはぐったりしてしまう私であった。 でも今日はレシピから一歩自分の足で踏み出したという実感がある。これまではできるだけレシピに忠実に作ることだけを考えていたけど、曲がりなりにも自分で工夫する面白さも分かった。次からはどんどんオリジナルにも挑戦していこう、となるかどうかはまだ分からない。基本的に作れるものが少なすぎてそれは無理だろうというのが実際のところだ。 まだ見ぬ料理もいろいろ作ってみたいから、素直に料理本を見て、未知のものに挑戦していくことにしよう。 毎回、テーマを決めていくのがよさそうだ。前回が「オールグリーン」で、今回は「レシピからの小さな脱却」だったから、次回は「未知の国の料理との遭遇」とかいいかもしれない。コートジボワール共和国料理とか、トルクメニスタン料理とか。 ……。 全然イメージわかないけど、そんなものホントに作れるのか、私? いや、それはさすがに無理がある。そうだ、世界三大料理と言われながら個人的にまったく馴染みがないトルコ料理がいいんじゃないか。それなら調べれば何か作れそうな気がするぞ。それでいこう。 来週の日曜日はトルキッシュ・オオタとなる。

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| 人と共に生まれ人と共に消える染井吉野は今、天に向かって赤 2005年11月19日(土) |
 Canon EOS D30+SIGMA28-80mm(f3.5-5.6), f5.6, 1/350s(絞り優先)
「次の休みは桜並木の紅葉を見に行こうか」 「うん、そうだね、そろそろきれいに染まった頃だろうね」 そんな会話、聞いたことがないし、自分がしたこともない。でも桜並木は今、この通りきれいに赤く染まっているのだ。 桜も紅葉するということは知られているけど、桜の紅葉見物が一般的でないのには理由がある。桜の葉っぱは表面だけが赤くきれいに色づいて、裏側はだいだい色というか茶色で今ひとつきれいにならないからだ。だから、桜並木を歩きながら見上げる桜の紅葉はパッとしない。鈍い赤と緑と茶色のまだら模様で。 でも上から見下ろすとこれがなかなかいいのだ。カエデやモミジほどじゃないけど、並木のように続けて植わっているとけっこう見応えがある。 高い建物に登って紅葉した桜並木を見物することをおすすめしたい。とはいうものの、私のうちには来ないでください。
ソメイヨシノはすべて一本の雑種桜のクローンだというのはよく知られた話だ。江戸時代、エドヒガンとオオシマザクラが自然交配したものを江戸に住む植木屋のオヤジが「吉野」の名で売ったことから始まった。 その花の美しさから明治時代に入って一気に日本中に広まったソメイヨシノだけど、自ら子孫を増やすことはできない。ソメイヨシノのサクランボってそういえば見ないなと思ったことがある人もいるだろう。そう、まさにだからクローンなのだ。今日本中、世界中に生えてるソメイヨシノは一本残らず江戸の植木屋のオヤジの木から接ぎ木で広まったものだ。オヤジお手柄だけど、名前は知られてない。染井にいたらしいのだけど(だから染井吉野)。 桜ってどれを撮っても一緒なんだよねと思いがちだけど、実際そうなんだから仕方がない。うちの近所に咲いてるやつも、ワシントンD.C.のポトマック河のほとりに咲いてるやつも同じものだ。
クローンという言葉はあまりいい響きではない。クローン人間、クローン羊、クローン牛など、耳にするニュースはネガティブなものがほとんどだ。 自分のクローンがいたらどうなんだろうと、多くの人が空想したことがあるんじゃないだろうか。しかし、よくよく考えてみると、今更自分そっくりのクローンが誕生することはないのだ。理論的にはほぼ間違いなく可能だろうし、その気になればすぐにでもできるのだけど、どこかの研究機関に自分の遺伝子を持って行って、じゃあこれお願いしますと出して、それでは一週間後に引き取りに来てください、という話には決してならない。 ん? どういうことだ? と思うだろうか。いや、だって、遺伝子を培養して育てたらむくむくと大きくなって一週間で自分の原寸大になるはずがないではないか。そりゃそうだ。もし作るにしても、(くわしいやり方は分からないのだけど)きっと卵子とかに受精させて、人間のお母さんのおなかで10月10日かかって生まれてこなければならないんだと思う。そこをショートカットして、いきなり20才なり30才なりの自分を作り出せるわけではないはずだ。今のクローン技術や理論では。 ということはつまり、現在自分が20才だとして、20才の自分のクローンを作るためには20年かかるわけで、そのとき自分は40才になっている。だから、自分とそっくり同じクローンが目の前に現れることはない。 それに、母親も育った環境も時代も違うとなれば、まったく同じ人間にすることは不可能だ。クローンは自分のコピーというわけではない。 クローン問題、終了。 って、それでいいのか!? まあ、これ以上は長くなるのでまた別の機会に。
ソメイヨシノは確かにクローンだけど、だから価値が下がるというわけではない。毎年私たちに季節を知らせ、花の美しさと潔さを見せて楽しませてくれる。 私もソメイヨシノが大好きだし、これを毎年見るためだけでも長生きする意味があると思っているくらいだ。 けど、ソメイヨシノの寿命は長くて60年といわれている。これは桜の中では短命な方だ。エドヒガンなどは樹齢数千年といわれるものもけっこうある。そこにクローンゆえの悲しみを少しだけ感じる。 そして、ソメイヨシノは人間の滅亡と共に滅びる桜であるという言い方もできる。自分では子孫を残せないのだから。 目を閉じて想像すると、人が滅んで60年後、老木となった最後のソメイヨシノの花びらが一斉に舞って、ひとけのないあたり一面をピンクに染める中、もの言わぬ生き物が静かに佇んでる光景が見えるような気がする。そいつは私の代わりに涙を流してくれるだろうか。

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| インスタントラーメンの個人的歴史---そしてカップヌードルが残った 2005年11月17日(金) |
 Canon EOS D30+SIGMA28-80mm(f3.5-5.6), f5.6, 1/4s(絞り優先/三脚)
夏の間はほとんど食べなかったインスタントラーメンがふいに食べたくなったのは、それだけ寒くなったということだろう。久しぶりに何を食べようかと考えたとき、チキンラーメンのことを思い出した。それでいこう。基本に立ち返ることは大切なことだ。 しかし、どうやら返るべき基本点を間違えたようだ。歴史の勉強をしようとして、小学一年生の社会科の教科書を開いてしまったみたい。食べ始めてから気づく、ここじゃなかった。
チキンラーメンが発売されたのは、昭和33年(1958年)。長島が巨人に入団して、東京タワーが出来た年だ。 価格は35円だからやや高めか。当時の大卒の初任給が約1万3,000円、ハガキが5円で、散髪代が150円だから、今でいうと500円くらいの感覚なんだろうか。だとしたらやっぱりちょっと高い(その後すぐに30円に値下げして、それが10年続いたそうだ)。 私が最初にチキンラーメンを食べたのは、確か小学校低学年の頃だった。第一印象は、ベビースターみたいだな、というものだった。ラーメンを乾燥させたようなあれだ。あれってどれだよ、と若者は言うかもしれない。名前はベビースターラーメンなんだけどラーメンじゃないお菓子。説明するとそうなる。今でも普通に売ってるのかどうか知らない。考えたらあれも不思議な食べ物だった。なんであんなものを美味しいと思ってバリバリかじってたんだろう。 それはともかく、たぶんチキンラーメンの味に対する印象はそれほどよくなかったと思う。その前にカップヌードルや他のものを食べた後だったというのもあっただろう。 今日久々に食べた感想は、なるほどな、というものだった。なるほど美味しい、ではなく、なるほどこういう味だったなという記憶の再確認でしかなかった。まずくはないけど特別美味しいものでもない。10年ぶりにスーパーマリオブラザーズをプレイしたらきっとこんな感じなんじゃないか。
子供のよく食べていたインスタントラーメンは、「出前一丁」と「サッポロ一番 塩ラーメン」だった。思い返すとあの頃はまだそれほどインスタントラーメンの種類は多くなくて、選択余地もあまりなかった。カップ麺でいえば「カップヌードル」、それに「焼きそばUFO」と「赤いきつね」を加えて、この5本柱でローテーションを回していた感じだったと思う。これらは今でもたまに食べるけど、やはり美味しいと感じるものばかりだ。なつかしさだけではない。 チキンラーメンはその点で少し異色というか、世代の違いもあって、さほど好きでもなく思い入れもない。私が大学1年生のとき、一浪二年留年の大学6年生の人みたいな感じといったらいいだろうか(たとえが一般的じゃなくて分かりづらい)。
あれから月日は流れて、その間に無数のインスタントラーメン、カップ麺が発売され、消えていった。私としては、大人になってからそれらをあまり食べなくなってしまったので、記憶に残っているものは少ない。思い出といえば、一時「UFO」ばかり食べ過ぎて、「UFO」のことを思い出すだけで吐きそうになって、5年くらい封印したことがあったくらいだ。 変わったものや、一発屋や、変なものなどいろいろあった。人それぞれ思い出やカップ麺の歴史を持っていることだろう。 少し前、有名ラーメン店の味をそのまま再現したカップ麺(「山頭火」、「すみれ」、「一風堂」など)を何種類か食べてみたけど、確かに美味しかったものの、その後続けて食べることはなかった。
「トリビア」で、中国の宮廷料理人に日本のカップ麺売上げ上位20位の中でどれが一番美味しいか選んでもらったところ、「カップヌードル シーフード味」だったのは意外だった。あれは私はとしてはちょっとしょっぱすぎる気がする。中国のラーメンはもう少しあっさり系かと思っていたのだけど、本場ではどうなんだろう。 私の中では、ノーマルの「カップヌードル」が今も昔も不動の一位を保ち続けている。 意外といえば、何年か前に静岡の人とインスタント麺の話をしていて、私が「ペヤングって何?」と訊ねたらすごく驚かれたことがあった。驚くことなのか? そんなもの見たことも聞いたこともないぞ。西城秀樹のヤングマンと何か関係が!? その人の言うには静岡では、というか関東では「UFO」よりもメジャーなカップ焼きそばなんだそうだ。知らんっ。
そいうわけで、寒くなってこれからは少しだけインスタントラーメンを食べる機会が増えてくると思う。けどやっぱり私はいつもの「カップヌードル」や「UFO」や「赤いきつね」を食べてしまうことになるのだろう。飽きるほど食べてるならたまには変わったものをと思うんだろうけど、月に2、3回だとまたあれを食べたいなと具体的な味を思い出せるものに落ち着いてしまうものだ。初めてのものを食べて気に入らなければ、次はひと月後になってしまうかもしれないとなるとなかなか冒険する気にはなれない。 でも、チキンラーメンは、もう向こう10年は食べなくていいなと思った。

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| 天の空描き担当者は今日もいい仕事してますね 2005年11月17日 |
 Canon EOS D30+SIGMA28-80mm(f3.5-5.6), f8, 1/500s(絞り優先)
天には天才、異才、鬼才の画家がたくさんいるから、空を描く担当者に事欠くことはないだろう。朝焼け、夕焼け、星空、曇りに雨に嵐に雷。なんでもこいだ。使える絵の具が4色、5色しかなくても、彼らの手にかかれば、日々違う表情となって私たちを楽しませてくれる。 ダ・ヴィンチにゴッホにモネ、ルノワールにピカソにシャガール。ダリにモディリアーニにロートレック。数え上げればきりがない。 私の好きなスーラもきっといい空を描いてることだろう。でも、山下清が描いてるときは空から食べかけのおむすびが降ってくる可能性があるから気をつけよう。
天国世界を想像するのはとても楽しいことだ。 天国野球では沢村とスタルヒンが投げ合い、大下や藤村が打ってることだろう。新人の津田はストッパーで活躍してるだろうか。今度のドラフトの目玉はやはり川上で決まりだ。 天国F1ではセナがジム・クラークやジル・ビルヌーヴたちと走ってるだろうか。 天国プロレスも楽しそうだ。力道山対ジャイアント馬場とか。 天国映画も地上とは比べものにならいくらいの名画が続々と封切られてるんじゃないか。俳優、女優、監督、その顔ぶれたるやそうそうたるもので、豪華なんてもんじゃない。 作家にコメディアン、哲学者、写真家たち。才能溢れるメンバーが勢揃いだ。 音楽はそれこそ天国的な音楽に満ちあふれてることだろう。モーツァルトやらベートーベンやら、みんなあっちにいるだから。 戦争だってあるかもしれない。時代を超えた名司令官同士の戦いとかも盛り上がってそうだ。武田信玄・山本五十六連合艦隊vs.ナポレオン・ロンメル将軍連合軍の第十次天国大戦とか。 大晦日には天国紅白歌合戦もきっとあるに違いない。裏番組では初代引田天功のイルージョンとかもあったりするのか。
そんなことをあれこれ空想してると、すぐにでも天国に行きたくなってくる。 しかし、同時に天国が絶対にあるという方に全部を賭けるのはちょっと危険だとも思う。はらたいらくらいの高い確率があればいいけど、篠沢教授くらいかもしれないから。篠沢教授に全部的な人生はできれば避けたい。当たれば大きいけど、外れてしまったら元も子もない。 個人的な希望として天国はぜひあって欲しいけど、その前に入れてもらえるかどうかという大きな問題がある。天国の門は狭いらしいから、入るには何か決定的なセールスポイントが必要だろう。才能があるとか、確かな実績を作ったとか、世のため人のためにいいことをしたとか、狭いところを無理矢理くぐるビックリ人間的な特技があるとか。 他人の審査以外にも、自分の中の気持ちというか納得度といったようなものもある。たとえば学校に置き換えて考えると分かりやすい。まわりが天才やいい人だらけのクラスに入って果たして居心地がいいだろうか? たとえ入れてもらうことができたとしても、自分以外があまりにも優秀で、自分だけが落ちこぼれだったら、嬉しいどころかすごく肩身が狭いと感じるに違いない。 天国に行くには、まわりと対等だと思えるだけの決定的な何かが必要だ。他人に対してだけでなく、自分自身を納得させられる何かが。
私はあるとき思った。天国にふさわしい人になれるように生きようと。坂本さん(もちろん坂本龍馬のこと)と一緒に飲んであれこれ語れるくらいの。今すぐは無理でも、この先でそうなれるように精進していこう。 そして私は天に祈る。すみません、あと50年私にください、と。50年あればもうちょっとなんとかなるんじゃないか。なってるといいな。なっててください、自分みたいな。
仕事帰りや学校帰り、夕飯の買い物の帰り道なんかでいい夕焼け空を見たときは、ちょっとだけ立ち止まって、こう言ってあげるとその日の空描き担当者はきっと喜ぶでしょう。 「いい仕事してますねぇ〜」(中島誠之助風に)

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| 月を見上げて心の中で語りかける。誰かいますか? 2005年11月16日(水) |
 Canon EOS D30+EF35-135mm(f3.5-4.5), f4.5, 0.5s(絞り優先/三脚)
空を見上げれば、満月と火星のランデヴー。おっ、近い。 ん? ランデヴーはもう死語だって? そういえば最近あんまり聞かないな。そいつは私もシャッポを脱ぐしかあるまいて(これはもっと聞かないぞ)。
火星のことはこの前書いたから今日は月のことを少し。 月は昔から人類との関わりが深く、特に日本人は月が大好きだ。親しみを込めてお月さんと呼ぶのもその表れだろう。お太陽さんとは呼ばない(ドラマ「TRICK」に出てきた馬鹿丁寧な言葉を使う男、渡辺いっけいでなければ)。 お月見はみんな好きだけど、お太陽見はしない。目がいかれてしまうから。太陽はある種崇拝の対象だけど、月は人の心を惹きつけ、愛される対象であり続けている。 多くの和歌や俳句に詠まれ、文学でも昔からなじみ深い。月に吠えてた狼男みたいな詩人もいたっけ(「世界の中心で、愛をさけぶ」の主人公朔ちゃんが名前をもらった萩原朔太郎のこと)。 「月光仮面」とか(古い)、「まもって守護月天」とか(マイナーすぎる)。
しかし、私は月に対してやや屈折した感情を抱いている。好きなのは間違いないし、人並み以上に月を眺めてると思うけど、みんなが手放しで誉めるほどいいかなっていうひねくれた思いがある。それは国民的アイドルと呼ばれるような人たちへの個人的反発と同種のものなのか、それとも月自体に対する個別の感情なのか、自分でも判断がつかないのだけれど。 この自分の中でもはっきりしない違和感が昔からずっと気になっていた。
月は宇宙人の船だという珍説を知っているだろうか? それによると、まず月の中は空洞らしい。その証拠として、月から帰るとき、ロケットからものを落として月震(地球でいう地震)を起こしてみたところ、1時間近くも細かく振動し続けたという(これはNASAも言ってるからホントみたい)。ちょうどお寺の鐘を突いたときみたいに。だから空洞だと。 地球で目撃されるUFOは月から来てるとか、アポロ計画を途中で中止したのは月へ行ったとき、二度とくるなと月人に追い払われたからだとか、それっぽい説明があってなかなか興味深い。 確かに月には不自然なところが多い。地球の1/4というのは衛星としては大きすぎるし、地球よりもずっと古い星がどうやって地球の引力圏に捕まったのかも説明できない。自転と公転がちょうど同じ速さで表側しか地球に向けないのは出来すぎてるし、クレーターが地球に比べて多すぎるのも変だ。など他にもいろいろある。 だからいっそのこと、あれは宇宙人が乗ってきた船で、地球を監視するためにあそこにいるんだとしてしまった方がすっきりするくらいだ。個人的にはそうであってもいっこうにかまわない。 地球が飛ばしてる人工衛星みたいに推進力と制動力があれば、ああやってぴたりとあの位置につけるのは可能だし、正確に円形軌道で回ってるのもうなずける。
一番いいのは日本人が月へ行くことだ。アメリカ人と違って日本人は基本的に正直だから、上手く隠し立てすることなんかできないだろう。けど、今の日本の状況ではそれは遠そうだ。 ここは中国に期待する方が早いかもしれない。たとえ実際に行けなかったとしても、もし中国が人間を月に送る計画を具体的に進めたとき、それをアメリカが許すのなら、月には大きな秘密はないという間接的な証明になるだろう。 でもやっぱり、月には何かタブーめいたものが潜んでいるような気がしてならない。そこに私が感じている違和感の要因があるのかもしれない。
ときどき、私は月を見上げて心の中で語りかける。 「おーい、うさぎさん、いますか? いたらモチ投げてくださーい!」とか。 「かぐや姫さんとその子孫の人たち、元気ですか?」とか。 「誰かいるなら姿見せてみな!」とか。 でも、あんまりおちょくったことを言ってると、UFOが降りてきて、私をさらっていったりするかもしれないから気をつけよう。ただ、万が一に備えてデジは肌身離さず持っておいた方が良いだろう。宇宙人やUFO内部を撮影できたら、ここで紹介します。乞うご期待。

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| 名古屋の中心はやっぱり栄交差点だて 2005年11月15日(火) |
 Canon EOS650(フィルム)+EF35-135mm(f3.5-4.5)
名古屋の中心は昔も今もここ栄の「栄」交差点だ。名駅(メイエキ、名古屋駅のこと)じゃない。 異論はあるだろうけど、まあここにしとこまいということで一応名古屋人の間では意見がまとまるんじゃないだろうか。 市内の東のはずれに住んでる私にとって、名古屋城から南へ下ったこの方角のこの場所が間違いなく名古屋の中心となる。
左斜めにあるのが最も象徴的な栄三越。左後ろにはテレビ塔とセントラルパーク、その向こうには最近出来たオアシス21。右前は丸栄で、そのちょっと向こうは古い本屋の丸善、右後ろにウォッチマンがあり、このまま真っ直ぐ南に向かうと左側に松坂屋やパルコが並ぶ。そのまま行くと名古屋の電気街「大須」となるのだけど、そこまで行ってしまうと中心街を外れることになる。 そして忘れてはいけないのが名古屋名物地下街だ。このあたり一帯の地面の下には広大な地下街が広がっている。名古屋に住んで長い私だけど、いまだにこの地下街を迷わず目的地にたどり着くことができない。クリスタル広場でさえ、ひとりで行く自信がない。 名古屋駅はここから右(西)へ車で10分ほど走ったあたりで、この微妙な距離感が栄と名駅を分ける原因となっている。もしこの距離がもう少し近かったら、名古屋の中心街は本当の意味で中心となり、分散することなく街としてもっと栄えていただろう。 名古屋人で栄から名駅、またはその逆方向に歩く人間はいない(めったに)。だから、栄へ行くか、名駅へ行くかは家を出るときに決めて出てくることが多い。栄と名駅とでは目的も心構えも違ってくる。
写真のこの場所に出ると、ああ、都会に来たなと思う。そしてちょっと緊張する。名古屋人といっても、街中で育った人間と郊外育ちの人間とは違うのだ。当たり前だけど。だから、いまだにいい加減な格好で栄には行けない。普段より一段、二段、お洒落さんの格好をしないと恥ずかしく感じてしまう。まさかネクタイまでしめるというわけではないけれど。 それは私に限ったことではなく、名古屋の人間に共通したものなんじゃないかと思う。栄あたりであんまりだらしない格好をしてる人間は見かけない。他の都市の事情はよく知らないけど、東京のようにものすごく格差や多様性があるわけではなく、大阪のようにジャージ上下の人間もいない(大阪人に叱られそう)。 そのあたりにも名古屋人の保守的なところが表れていると言っていい。もちろんみんなそれぞれ個性的な格好をしてるんだけど、大きく逸脱してないような印象がある。 だからやっぱり、名古屋は大都会じゃなくて人が多い大きな田舎町だと私は思うのだ。そこが駄目なところでもあり、逆にこの街で育った人間にとっての住みやすさにつながっているのだろう。
名古屋を訪れた際は、ぜひこの場所に立ってみてください。名古屋駅はよそ行きの顔で、あっちはホントの名古屋じゃないから。 良くも悪くも、ここがもっとも名古屋らしい場所、名古屋の中心だ。 もし、信号待ちの向こう側で私を見つけたら、大きな声で私の名を叫んでください。ただし、名古屋は道が広いので、たぶん声は届きません。

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| この冬あなたを華麗に彩る魅惑のウォームビズ提案 2005年11月14日(月) |

Canon EOS650(フィルム)+EF35-135mm(f3.5-4.5)
はるか大昔からある(ような気がする)町のジーンズショップ。ずっと以前、気まぐれに2度か3度入ったことがあるような記憶があるけど、たぶん買ったことはない。 少し前通りかかったとき、店内を見ると一家総出で黄色い紙に何か書いてるような様子があったので気になっていた。どうやらこれを一所懸命書いていたようだ。
閉店セール。それが派手であればあるほど、そのやけっぱちめいた威勢のよさがかえってもの悲しさを誘う。 車で通るとき、よく頑張って続けてるなと感心しつつ安堵していたのだけど、とうとうこの日が来てしまったか。 「店じまいセール」、「売り尽くし」、「80%OFF」などの文字が躍り、やる気充分という感じだ。遠くからパッと見た感じは。しかし、よくよく見てみると、張り切りすぎて若干気合いが空回りしてることに気づく。 「ジャジー 1,000円」 「レデイスコール天 2,000円」 惜しいっ。 「上下 5,000円」は何の上下なのかよく見えないのだけど、何にしてもちょっと高くないだろうか? そんなことない? 売り尽くしたいお店側の気持ちとは裏腹に、このゆるい感じが買う側の脱力感を誘う。 全部売れたらいいなと思うけど、昔からのよしみで何かひとつ買っていっておくれよと頼まれたら困ってしまう。スタジャンみたいなの900円で買っても着られないし。中学生のときなら嬉しかったかもしれないけど。
うちの近所でもここ10年くらいで個人経営の店がずいぶん姿を消した。わりと大手のチェーン店などもなくなって、最近やけに不便になったと感じている。本屋、古本屋、ホームセンター、レンタル店、ディスカウントショップ、ほかほか弁当など、歩いて行ける距離にあったのがなくなってしまったのが痛いところだ。 洋服関係の個人店は相当厳しいだろう。かつては大型店に客を奪われ(このあたりではトリイとか)、今はそれに加えてユニクロなどの安売り店、アウトレット、ネットショップ、個人売買のオークションなどが更に追い打ちをかけている。ブランドものを扱ってるところはまだいいとしても、この写真のようなお店はどうにも将来が見えない状況だ。いっそのこと高齢者層にターゲットを絞った方がよくないだろうか、などとと紅白歌合戦にするようなアドバイスを送りたくなってしまったりもする。 などということを、信号待ちの2分くらいの間に考えたのだった。写真を撮りつつ。 あまり長くとどまっていると切なくなりそうだったので、信号が青に変わったところで気持ちを切り替えて店の前を後にした。100円ショップに向かうために(ダメじゃん)。
あなたがもしこの店の前を通りかかったなら、ぜひ何か買ってみてください。私からもお願いします。ジャジー1,000円などいかがですか? メンズコール天もありますよ。 この冬はウォームビズということで、下はコール天のラッパズボン、上はとっくりセーターとチョッキにジャンパー、仕上げはオーバーに首巻きというナウでヤングなファッションで決めてみてはどうだろう? インナーにはらくだの股引も忘れずに!
でもこの店、案外このまま何年もずっと閉店セールを続けることになるのかもしれない。そんな店もけっこうある。売り尽くしセールなんだから、売り尽くすまでやって欲しいというのが個人的な願いだ。

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| グリーン、グリ〜ン、食卓に〜は〜緑が並〜び〜♪ 2005年11月13日(日) |
 Canon EOS D30+SIGMA28-80mm(f3.5-5.6)+C-PL, f4.5, 1/8s(絞り優先)
アナン事務総長も真っ緑になるようなビックリ料理を作るはずが、なんだか半端な色になってしまった。皿の選択もちょっと間違えた。一貫性がなさすぎる。そもそも、真っ緑なんて言葉もないし。 でもなんで緑は真っ緑と言わないんだ? 真っ青も真っ赤も、真っ黄色や真っ茶色だってあるのに。マッダイダイや、マッムサラキがないのは納得できるけど、マッミドリがないのは釈然としない。広辞苑や大辞林は無理にしても、新明解国語辞典なら入れてくれるんじゃないか。山田忠雄主幹にお手紙を出してみようかな。
そんなことはともかくとして、問題は緑不足だ。頭の中では真っ緑に染まった料理のイメージが私をいざなっていたのに、完成品を見てがっかり。風薫る5月の新緑ではなく、まだ寒さの残る4月始めって感じになってしまった。ゴメンよ、アナン事務総長。 というわけで、急遽気持ちを切り替えて、モリゾー&キッコロ再デビュー記念料理ということにした(森に帰ったはずのモリゾーとキッコロはこのたびまたもや呼び戻されることとなった)。それもよく分からないのだけど、緑といえばモリコロってことで彼らに捧ぐ。妖怪人間ベム記念よりはいいだろう。
今日はけっこう落ち着いて作れた。週に一回でも着実に進歩していると言っていいのかもしれない。 今回も3品。ジェノベーゼ・パスタに、アジの青じそ焼き、レタスとブロッコリーのオイスターソースがけ。生意気ざかりな感じ。 しかしながら、今回はやや手抜きをしている。ジェノベーゼ・パスタは本来、生のバジルから作るものなのだけど、材料と値段の関係で市販のペーストを使ってしまったのだ。2人用の小瓶で売っていて、これなら300円か400円で買える。バジルやら松の実やら名前を聞いたこともないようなチーズやらを買いそろえていたらかなり高くなってしまっただろう。そもそも近所のスーパーではそろわない。 というわけで、パスタはゆでてペーストをからめるだけで簡単だった。今回はゆで加減も間違えなかった。東京から新幹線に乗って名古屋の手前の三河安城あたりでしっかり目を覚ましていた。 アジは刻んでたたいて大葉で挟んで焼くだけ。味付けはしょう油やみりんなど。 レタスやブロッコリーも軽く茹でて、煮立てたソースをかけるだけから楽勝。 こうして振り返ってみると、今日の料理は簡単だったのだ。決して私が急激な成長を見せていたわけではなかった。そうだったのか。テストの出来が良かったと喜んでたらみんなも出来ててやっぱり平均点だったときの悲しさがよみがえる偏差値50そこそこの私。
味の採点は今回もまたやや厳しめ。全体的にまとまってはいたけど、日常の夕食レベルを超えるものではなく、新鮮な驚きはなかった。お母さんがだまって食卓に出したら、お父さんや子供に感想がもらえない可能性が高い。 バジルソースのパスタは、これはけっこうクセがあるというか、人を選ぶと思う。バジルの香りムンムンってわけではないものの、オリーブオイルがかなりきつかった。市販のペーストを使ってるから私の失敗というわけではない。今後、目の前にバジル・パスタとミート・スパゲティが出てきたら、私は迷わずミートに手を伸ばすだろう。ジャスト・ミーーーートと無駄に叫びながら。 アジは美味しかった。これはいける。うちに友達が遊びに来て、おい何か食わせろとリクエストが入ったらこれは出せる。しょう油とみりんの甘辛さを大葉が上手くやわらげている。 レタスたちのオイスターソースは今ひとつ。個人的になんでもしょう油をかけるしょう油野郎なので(もちろんコロッケも)、しょうゆ味方向の方へ持って行った方がよかった。
今回こそ冒険の旅に出ようとさんざん準備をして張り切って出かけたら成田離婚、みたいな。料理を食べる以前に並べて写真を撮ってる時点で消化不良の私。残念無念また来週(これ3回目)となってしまったのだった。 でもめげてはいない。気持ちはすでに来週へと向かっている。来週末はそろそろ紅葉が見頃を迎える頃かもしれない。ということは、イメージカラーは赤か。赤といえばロボコンだ。 よし、決まった。来週はガンツ先生に100点をもらえるような赤い料理を作ろう。しかし、よかれと思ってしたことが裏目に出てみんなに迷惑をかけて、ローボコン、0点! とならないように気をつけなくては。ボク、がんばるよ、ロビンちゃん。

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| デザイン今昔物語---自販機編 2005年11月12日(土) |
 Canon EOS D30+SIGMA28-80mm(f3.5-5.6), f4.5, 1/60s(絞り優先)
何年か前、はじめてこの自販機を見たとき、「おっ、賢い!」と心の中で喝采を浴びせた。何が賢いかって、この頭でっかちのデザインだ。 この自販機について誰かと語り合ったことがないので人がどう感じているのかは分からないのだけど、私はこれを見てなんだか妙に感心してしまったのだ。自販機が長方形じゃない、その一点に置いて。
誰も思いつかなかったものを発明したり、生活の知恵から生まれたアイディア商品ももちろん素晴らしい。でも、みんなが当たり前と思っている固定観念を打ち破るものに、私はより強く感心する傾向がある。これを見るまで自販機が長方形でなくてもいいだなんて考えたこともなかった。 取り扱うジュースの本数が増えたことで必然的に生まれたデザインだとしても、これを考えついた人間は賢いと思う。横にゴミ箱が置けるくらいしか利点がないではないかと言うなかれ。きっともっともっと目に見えない長所があちこちに見え隠れしているに違いない。材料費が安く上がるとか、設置するとき長方形よりも軽いとか、ちびっ子が雨宿りできるとか。 えーと、何か思いついたら私に教えてください。
どこのメーカーかと思えばサントリーか。それでなるほどと思った。サントリーは昔からデザインや商品アイディアでときどきホームランをかっ飛ばす。意外性の男、山倉みたいに。 最近でいえば伊右衛門がその良い例だろう。あれはネーミングと、真ん中がくびれたペットボトルのデザインの勝利だった。ちょっとしたことが平凡と大ヒットを分ける。現に伊右衛門を出す前のサントリーの緑茶はさっぱり売れなかったという。 なっちゃんもサントリーだ。 少し前話題になった青いバラを開発したのもサントリーだった。
自販機だけでなくデザインということを考えてみると、私はいつも不思議に思うことがある。それは、なんで昔のものを今見ると古めかしく見えるのだろう、ということだ。 車にしても、服にしても、電化製品にしても、あの当時の私たちにとって斬新で洗練されていてカッチョよかったものが、今となってはどうにも野暮ったくて鈍くさく見えるのはなんでだろう。その感覚の隔たりが不思議でならない。 今スマップやモー娘。を見ても恥ずかしくないのに、昔のたのきんトリオやおニャン子クラブの映像を直視できないのはどうしてなんだ? 今の私たちがもてはやしてる最先端も、5年、10年経つと同じように旧式でいけてないデザインに見えるに違いないのだけど、今はどうしてもそんなふうには感じられない。 人間のデザイン力が進歩すると同時に、消費者の側の審美眼もまた成長していくのだろうとは思うけど、そのあたりの心理的なメカニズムを上手く理解することができない。
ただ、デザインの進歩というものは積み重ねなんだろうとは思う。たとえば、最近発売になったばかりのノートPCやiPodや携帯電話やPSPなんかを新車に積んで、10年前、20年前の私たちに会いに行ったと想像してみる。果たしてそれらを見て過去の私たちは素直に格好良いと感じるだろうか? すごいとは思うかもしれないけど、私たちが今感じているような感覚とはずいぶん違う受け止め方をするんじゃないだろうか。もしかしたら、まったくいいと思わない可能性もある。 何事においてもそうだけど、デザインというのも、段階を踏んで積み重ねていかないと理解できないものなのかもしれない。そこには時代の必然といったようなものも必要となる。
この先あらゆるデザインはとどまることなく進化していき、私たちは年を食ってだんだんついて行けなくなるだろう。感覚の衰えというのはそのあたりにも表れるものだ。 自販機はこの先どんなことになるんだろう。携帯をセンサーにかざすだけでジュースが買えるようになるなんて考えもしなかったけど、どんな機能が増え、どんなデザインになっていくことか。ルーレットでアタリが出たらもう一本オマケでラッキー、などという前時代的なものは復活しないんだろうな。 でも私はやっぱり、ビンのコーラの栓を自販に付いた栓抜きでスポンッと抜いて、ラッパ飲みしてた頃が一番よかったなと思う。野暮には野暮のよさがあった。 あの頃、深夜の街で闇を照らす自販機だけが明るかった光景をこの先もきっと忘れない。

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| 町の川の小さなドラマと思い出の話 2005年11月11日(金) |
 Canon EOS D30+SIGMA28-80mm(f3.5-5.6), f5.6, 1/90s(絞り優先)
ふらりと川原へおりてみると、そこにはいろんな人がや生き物を見ることができる。写真のように、MBXでパフォーマンスの練習をする少年、ベビーカーの小さい子供に話しかける若いお母さん、カメラを持ってうろつく男(私のこと)、泳ぐカモに飛ぶコサギ。他にも、学校の部活でランニングさせられてる学生、サッカー練習の親子、歩くおじさんに走るおじさんに寝るおじさんなど、夕暮れ時はとくににぎやかだ。 とても身近なのに縁のない人にとってはまったく縁のない町中の川。犬を飼ってたり、ジョガーだったりしなければほとんど訪れることもないだろう。通勤通学で橋を毎日のように往復していても、わざわざ用もなく川原まで降りていくことはあまりないんじゃないだろうか。 私も最近写真を撮るようになって出向くようになったけど、釣りをしていた小学生以来、長い間川とは無縁の生活を送っていた。
川原には小さなドラマチックがいくつも転がっている。それは橋の上からでは見えないものだ。 作業着姿のおじさんが川べりに体操座りをして遠くを眺めていたり、橋の欄干にもたれておばさまがハーモニカを吹いてたり、メガネをかけた小さな女の子が食パンの耳をハトにあげてたり、スーツ姿のサラリーマン風の若い男が橋の上から下をじっと眺めていたりして、人間模様の断片を見せてくれる。 海ほどではないにしろ、川には人を少しだけセンチメンタルな気持ちにさせる力があるのかもしれない。汚れた川でも、町中よりはマイナスイオンがたくさんあるだろうから、そのせいもあるのだろうか。
川原の一番の思い出というと、高校生のときほんの短い間だけ流行った川原ゴルフが思い出される。お金がないからコースはもちろん、打ちっ放しさえ行けない私たちは、夏休みの早朝に毎日のように集まってゴルフをやっていた。 最初はアイアン(鉄のクラブで100メートルとか150メートルしか飛ばないやつ)でおとなしく打っていたのだけど、ある日友達のテッチャンがおもむろにこんなことを言い出した。 「ドライバーで打ってみようかな」 ドライバーってのはコースで最初に打つ一番よく飛ぶクラブだ。そして一番難しいクラブでもある。私はやめておいた方がいいだろうなと思いつつ、あえて忠告はしなかった。 4度、5度と入念に素振りをしたあと、テッチャンは思い切りよくフルスイング。 真っ直ぐ飛び出した球は、途中で気分を変えたのか、右へ大きく曲がり、200メートルほど先で「パシッ」という軽快な音を残し、いずこかに消えた。 しばしの沈黙の後、「ヤバイ」と言い残して駆け出すテッチャン、それを追う私。 土手を上り、そこで私たちが見たものは、綺麗に丸く穴の開いた民家の窓ガラスだった。 顔を見合わせて約3秒。最初に言葉を発したのは私だったかテッチャンだったか。 「逃げる?」 「うん」 逃げ出すふたり。青ざめるテッチャンと、笑う私。 逃げるが勝ちと昔の人も言っている。
次の日、遠くから様子を眺めに行ってみると、窓は白い段ボールで応急処置が施されていた。あれは笑った。 って、笑い事じゃない。ただ、少なくとも、部屋で寝てる人の頭をかち割ったのではなさそうだったことにふたりは大いに安堵したのだった。 そのことがあってゴルフはしばらく自主封印という形になり、そのまま川原ゴルフ・ブームは去ることになる。 しかしそれくらいで懲りる私たちではなく、今度はゴルフコース早朝忍び込みプレイがブームとなるのだが、それはまた別の話。
町中の川は両岸をコンクリートで固められた風情のないものとなってしまったけど、川べりを歩いてみると思いがけないドラマに出会う楽しさがある。カメラを持っていれば、被写体もけっこう多い。 もしかしたら、土手の向こうから金髪のお姉さん二人組がジョギングしてくるかもしれないし、たくさん人のいるところで大きな声で「さんねーん、びーくみー!」と叫でみれば、「きーんぱーちせんせーい」とこたえてくれる可能性がなくもない。 もし誰もこたえてくれたなかったときは、川岸で平べったい石を拾って、肩が壊れるまで水切りをすると良いでしょう。目指せ、水切り世界記録の38ジャンプ。

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| 路地裏のオヤジに憧れた少年は遠くへ行けず19のままさ 2005年11月10日(木) |

Canon EOS650(フィルム)+EF35-135mm(f3.5-4.5)
路地裏のアンティークショップ。絵にはなるが金にはならない、などというと店主に叱られそうだ。 店に入って何か買っていれば堂々と写真も撮れたのだろうけど、店に入ってさえいないので、ちょっとこそこそしながら離れたところから一枚だけ撮らせてもらった。
今も浮世離れしているところのある私だけど、若い頃は今よりもっとその傾向が強くて、こういう店を持つことに憧れを持っていた。商売気のない店に埋もれるようにひっそり生きていくような、なかば隠遁生活めいたものが自分に合っているような気がして。マニアックな喫茶店の店主だとか、古本屋のオヤジとか、そんなものになれたらいいと少しだけ本気で思っていた時期があった。 けど、今はとてもじゃないけどそんな恐ろしいことをする気にはなれない。商才のない私なんかがやった日には、半年と持たないのは目に見えている。親が資産家でもなければ、じいさんが田舎に山を持っているわけでもない。 私がそういうものに憧れたのは喧噪から逃れて優雅に日々を過ごしたかったからであって、毎月の家賃が払えるかどうかピーピー言いながらカリカリした日々を過ごしたったわけでは決してない。 つまらない現実的な大人になったといえばそうなんだけど、こういうところを続けて行くには、もっと強い強い思いれだとか、本当にその道が好きで極めたいとか、逆に度を超えた達観だとか、そういうものが必要だということを知ったからだ。知り合いの喫茶店を手伝ったりして、少しだけ大変さを知って、こりゃいけねえと思ったのだった。 私のような安易な憧れでこういう店は決してやってはいけないのだ。のだけど、そうとは知りつつ、大学生だったあの頃の憧れは今でも消えずに自分の中に残っているかもしれない。
それにしても、世の中には実にたくさんのいろんな店がある。自分の街にある店だけでもどれだけ知ってるだろう。たぶん3分の1も知らないんじゃないか。何百回と前を通っても、興味のないものは見えないものだ。 たとえば金物屋、モデルガンショップ、「男の作業服」店、手芸の店、ガラス店、陶芸の店、仏壇屋、刀剣・古美術の店、刺繍店などの自分とはまったく無縁の店の他にも、私がその存在自体知らない店だってたくさんあるに違いない。 これほどの種類の店が必要というのは考えてみるとすごいことだ。需要があるから供給が生まれるわけで、私には思いつくことさえないものを欲している人が無数にいて、それを支える店を持っている人もそれだけいるということに対して妙に感心してしまうのだ。
世の中にはいろんな人がいる、とはよく言われる言葉だけど、人間自体の個性もさることながら、人の気持ちが向かう先の多様性というのはちょっと信じられないくらいの広がりを見せている。時代が進むごとにその傾向は加速してる。 もし私が異星人で初めて地球を訪れたとき、少し高い位置から俯瞰で地上にひしめく店舗を見たら、きっと素朴な感情としてこう思うだろう。 「こいつら、ホントにこんなにたくさんのモノが必要なのか?」と。 でも私は幸か不幸か地球生まれの地球育ちなので、この無数のモノたちを当たり前のものとして受け入れ、心地よくさえ感じて暮らしている。 自然の多様さに加えて人工の多様さまであるなんて、なんて楽しいことだろう。
このアンティークショップはこの先もずっとここにとどまることはできるのだろうか、と他人事ながら余計な心配をしてしまいがちだ。 じゃあおまえが何か買って少しでも支えてあげればいいじゃないかとあなたは言うかもしれない。さりとて私にそんな余裕はない。断じてないのである。 私にできることといえば、テレビショッピングで高枝切りバサミを買って、店にからまるツタを刈り揃えるくらいのものだ(またそれか)。 あー、切りたい、刈りたい、この店のツタと湯浅弁護士の前髪。

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| ふたりの距離感が描くドラマ---妄想編 2005年11月9日(水) |

Canon EOS D30+SIGMA28-80mm(f3.5-5.6), f4.5, 1/45s(絞り優先)
草刈り作業中の女の子とそれを厳しい目で見守る鬼監視員。 ……ではない、と思う。 この瞬間だけ見るとそう見えないことはないけど、実際はアヒルとたわむれる女の子とその彼のさわやかカップルだった(たぶん)。
関係性ってのはふたりの距離感だ。単純に言うと近ければ近いほど親しいと言える。 人間は誰もがボディ・ゾーンとかパーソナル・スペースと言われるものを持っている。自分の体の周囲数十センチから数メートル以内に侵入されると警戒心が生まれたり、圧迫感を感じたりするという、目に見えない縄張りのようなものだ。ただ、それには個人差があったり、相手によってもまったく反応が違ってくるので、自分のパーソナル・スペースは何十センチだなどという言い方はできない。 サウナでふたりっきりなのにすぐ隣に座ってくるおっさんはもちろん困るけど、背中に絵を描かれた方だとたとえ一番離れて座っていても気絶しそうになる。
一般的にいって、1メートルあたりにひとつの境界線があると思う。苦手なカチョーでも1メートル向こうなら平気だけどそれ以上近づいてきたら、わっ、あっちいけと思ったり。 異性間だと30センチあたりにラインがあるだろうか。それが好きな相手なら緊張感が生まれるし、オカンなら、近い、近いっ、となる。 ただそのへんも相手次第でこちらの反応は変わってくるわけで、単純に距離で関係が決まるとは言えない部分もある。あなたのそばにいるとなんだか落ち着くわ、などと言われたとしてもそれが必ずしも恋愛感情であるとは限らないから気をつけたい。そのへんが人の心理の不思議なところでもあり、難しいところでもある。 毎日隣り合わせのたった15センチが永遠に縮まらないこともあるし、数百キロが一瞬にしてゼロになることもある。
そのあたりの理由を遺伝子に関連づけて考えるのもひとつの方法かもしれない。 夫婦の遺伝子を調べてみると、面白いことにうまくいっている夫婦ほど遺伝子配列が遠いというデータが出るそうだ。逆に言えば、配列的に似た人間同士は恋愛感情には発展しづらいということらしい。親子や兄弟間がそうであるように。 つまり、恋愛や結婚というのは遺伝子の指令だという言い方ができる。もちろんそれがすべてではないだろうけど、恋愛感情に大きな影響を与えていることは間違いなさそうだ。 何故遺伝子は自分と遠い遺伝子を求めるのか? それは、自分にはない要素を持った別の遺伝子と結合して、より強い生命体になろうとする戦略に他ならない。才色兼備の女子アナとプロスポーツ選手の結婚などはその分かりやすい例だろう。たとえ元々優れた遺伝子を持っていたとしても、同じような遺伝子と結びついていては大きな上積みやイレギュラーは期待できないということだ。
とはいうものの、なんでもかんでも遺伝子に決められてるわけでもない。遺伝子には遺伝子の思惑があるだろうけど、こちらにもこちらの感情がある。相手の人間にも事情ってもんがある。状況や宿命、偶然、あるいは運命、タイミング、それらが複雑に絡み合って人と人は向き合い、ときに恋愛に落ち、ときに憎み合い、永久に何も起こらないこともある。 リアルタイムの複雑なせめぎ合い、それは実に面白いものだ。更に言えば、その関係性というのも時間の経過とともに変化していく。不変ではないところが飽きさせない。正解が存在しないこともいいところだ。
私は恋人たちの後ろ姿が好きだ。そこには本人たちも自覚してないドラマがある。つきあい始めて長いのか短いのか、どっちが主導権を握っているのか、どっちがより惚れてて負けてるのか、うまくいってるのかどうなのか、そんなところが垣間見える。 この写真でいうと、きっと女の子はB型で、男はO型、つきあい始めて数ヶ月〜1年くらいのうまくいってるカップルだと私は想像する。さて実際はどうだろう? いい線突いてるのか、大ハズレなのか。 「すみません。彼女B型で、あなたはO型ですか?」 などと、見ず知らずのカップルにいきなり質問するわけにもいかず、自分の想像が当たってるかどうか、知りたくても知ることができなくてもどかしい思いをしている。 でももし、カメラを持った男がそっと近づいてきていきなりそんな質問をしてきたら、こう切り返してもらうといいと思う。 「そういうおまえは、分析好きのAB型だな!?」と。 「あ、いや、そうだけど……。あー、失礼しましたー」とあわてて逃げていったら、それはきっと私です。

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| 名古屋人もあまり知らない名古屋第6のタワー 2005年11月8日(火) |

Canon EOS650(フィルム)+EF35-135mm(f3.5-4.5)
名古屋っ子たるもの、市内にあるタワーは全部言えてしかるべきだが、あなたはいくつ知ってるだろうか? 非名古屋人だと1つか2つ、名古屋人で4つか5つといったところか。セントラルタワーズ、テレビ塔、東山スカイタワー、ここまではメジャーなところ。更に続けて、名古屋港ポートビルと平和公園のアクアタワーまで言えれば上出来だ。 しかし、写真のこれはどうだろう? 名古屋生まれの名古屋育ちでも案外見たことがないという人が多いんじゃないだろうか。私も少し前に初めてその存在を知ったばかりで、今回ようやく行くことができたのだった。といっても門の前までだけど。
東山給水塔と聞けば、ああ、これがそうなんだと思う人もいるだろう。または、なんだそれ初めて聞いたぞという名古屋人もいるかもしれない。名前の通りの給水塔で、もう今は使われておらず、年に2度しか一般公開されてないことが、この存在をマイナーなものとしている。 それに加えて立地条件にもその原因がある。というのは、これは千種区の覚王山にあるのだけど、表通りから見えないのだ。大通りから細い道を入っていった住宅地の中に隠れるようにひっそりと建っている。行ってみて、これじゃあ知らなかったはずだと納得した。
建てられたのは1930(昭和5)年で、1973(昭和48)年までの43年間、覚王山一帯への配水の役割を担っていた。その後一時使われなくなったものの、昭和54年に再び災害対策用の応急給水施設として使われるようになり、トンガリ屋根の展望台が1983年(昭和58)年に設置されたんだそうだ。 一般公開日は春分の日と、8月8日の2日間(前は6月の第一日曜(水道週間)もあったみたいだけどそれはなくなってしまったんだろうか?)。8月8日はなんでかというと、名古屋の市章「マルハチ」にちなんでだそうだ。さすが名古屋らしいセンス。 行くと名古屋の水道水をそのまま缶詰にした「なごやの水缶」がもれなくもらえるらしい。嬉しいような嬉しくないような。
今年はもう終わってしまったから、来年はぜひ行ってみたい。8月の方が緑に色づいたツタが塔を覆って更にいい雰囲気になるらしいので、そっちの方がねらい目だろう。 そのときはぜひ私も「なごやの水缶」をもらって、展望台で名古屋の街を見下ろしながら腰に手を当てて渇いたのどを潤したいと思う。でも中身の水は、うちで水道の蛇口から出てくるのと同じ水なんだよな。キャンプで食べるカレーライスが美味しいように、東山給水塔で飲む名古屋の水道水は特別美味しく感じられるのだろうか? 不安と期待が入り交じり、早くも失望感が漂いつつ、来年の8月8日が楽しみになってきた。海釣りへ行く人が持っていくようなクーラーボックスにたくさん氷を詰めて行ってみるか。きっとそこまで気合いを入れて「なごやの水缶」をもらいに行く人もそうはいまい。オマケで2缶くれるかもしれないぞ。なんかますます楽しみになってきたな。 早〜く来い〜、来い〜、8月8日〜♪ と歌いながら気長に待つことにしよう。

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| 銀の塩で味付けしたツタの這う甲子園的住居 2005年11月7日(月) |
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