現身日和【うつせみびより】
この世界にはたくさんの美しいものや面白いものがあることを知るための毎日であれば、それは楽しくて幸せなこと。
ゼウスが怒ったのも無理はないけどプロメテウスよありがとう 2005年11月21日(月)
2005年11月22日 (火) | 編集 |
放火に注意って言われても

Canon EOS D30+SIGMA28-80mm(f3.5-5.6), f4.0, 1/60s(絞り優先)


 郵便局の前で風にはためく「放火に注意」の旗。これを見てちょっと笑ってしまった。笑い事じゃないけど。
「火の用心」から一歩踏み込んだ呼びかけ。しかし、放火に注意と言われても具体的に何をどうすればよいのやら考えてしまう。放火犯に注意なら分かる。放火魔にご用心とかでも。毎日寝ずの番をするわけにもいかないし弱ったな。
 家の前に燃えやすいものを置いておかないとか、人にうらまれないように気をつけるとか、とりあえずそれくらいしか思い浮かばないけど、とにかく注意しようと思った。

 火を最初にコントロールできるようになったのは、今から150万年くらい前のホモ・エレクトス(原人)と言われている。南アフリカの洞窟に残っていた火の跡によって。
 それからざっと100万年くらい経った50万年前のジャワ原人や北京原人などは、普通に火を使うようになっていたようだ。ジャワカレーとか作って食べてたかもしれない。
 火の歴史ってそんなに古いんだと思うかもしれないけど、そうじゃない。類人猿の誕生は2,000万年前だから、そこから1,850万年もの間、人類の祖先は火を使うことを思いつかなかったのだから。ダメじゃん。長い間ぼんやりしすぎ。
 人とチンパンジーが枝分かれしたのが500万年前で、それから考えても350万年は火を使えなかったことになる。うっかりしてて気づきませんでしたと言い訳するにはちょっと長すぎる歳月だ。
 だから、人類が火を使えるようになったのはわりと最近の話なのだ。

 人類は本当に火を使う必要があったのだろうかと考えたとき、そこに必然性はなかったのかもしれないと思ったりもする。現にサルやチンパンジーは火を使わなくても普通に生きていっている。温泉に入るサルはいても、落ち葉を集めて焼き芋をしてるチンパンジーは見かけない。
 人類の歴史を逆に辿ってみてみれば、火を使うことは必要不可欠だったと言えるけど、火は大いなる喜びと同時に悲しみや不幸をもたらしたことを考えると手放しに喜べない気もする。
 食べられるものの幅を一気に広げ、獣から身を守り、夜を明るく照らし、道具を作り出して生活を便利にした。その一方で火事で命を落とすことになったり、大がかりな戦争にもつながっていった。

 今を生きる私たちは、火を必要不可欠なものとしながら、少しずつ火から離れようとしている。ストーブからエアコンへ、ガスからオール電化へと。火はやはり危険なものであるという認識は21世紀になっても依然として強くある。山火事も止められないし、住宅地の火事も怖い。火は人からたくさんのものを奪う。現代になって人類は火のコントロールの限界を知ったという言い方ができるかもしれない。
「マッチ売りの少女」はもう完全に商売あがったりだ。さおだけ屋だってそのうち潰れるに違いない(火とは関係ない)。
 最終的には、プロメテウスを通じてゼウスに火をお返しすることになるかもしれない。大政奉還ならぬ火勢奉還?
 個人的にはサンデー料理で火がなくなったら困るけど、電化でいいならそっちの方が安全そうでいいなとも思う。花火がなくなってしまうとさすがに寂しいから、それくらいは夏の風物詩として残しておいてもらおう。夜空に電気で絵を描いてもちっとも嬉しくないから。

 火のことを書いていたら、小学生の頃、火の用心の呼びかけ夜回りをやらされたことを思い出した。昭和40年代から50年代にかけて、あれは全国共通のものだったんだろうか。
「火の用〜心!」
「マッチ一本、火事のもと!」
「火の用〜心!」
「サンマ焼いても家焼くな!」
 なんだこのセリフは、と子供心にも思ったけど、今となってはあの呼び声もなつかしい。夜の町内に響く拍子木の音が今でもはっきり耳に残っている。

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