
Canon EOS D30+EF75-300mm(f4-5.6), f5.6, 1/150s(絞り優先)
あー、空を飛ぶって気持ちがいいなぁ、とコサギはたぶん思ってないのだろう。あなたは何故空を飛んでるのですか、とコサギにインタビューをしたらコサギはなんて言うか。好きで飛んでるわけじゃねぇよ、ゴァーゴァー、とでも答えるだろうか。 人は鳥を見てうらやましく思うけど、彼らにしたら切実に生きるために飛んでいるのだろう。顔には出さなくても。
人ははるかな昔から空を飛ぶことに憧れてきた。それはいつくらいからなんだろう? サルはあまり憧れてる様子はない。本能的なものなのか、それとも発達した知能が呼び起こした欲求なのか。 まったく実現不可能なことを人が頭に思い描くとは思えない。遙か古代の記憶なのか、遠い未来の予感なのかは分からないけど、何かがあるような気がする。 いずれにせよ、その思いはこの先もずっと消えることはないはずだ。人にとって空を飛ぶことは永遠の憧れだから。
ライト兄弟が初飛行に成功したのが1903年だから、100年ちょっとになる。まだ100年と言った方がいいか。その間の進歩はめざましく、今では宇宙にさえ行って帰って来られるようになった。 けど、やはり飛行機というのは代用品でしかなく、人が本当に夢見たのはそういうことじゃなかったはずだ。気球でもグライダーもなく、ヘリコプターやスカイダイビングでもない。両手に翼をつけてバタバタと羽ばたかせて飛ぶことこそ頭に思い描いた飛ぶということだ。 しかし、人間の体は飛ぶようにはできていない。致命的なのは骨が重すぎることだ。鳥に比べて体重に対する骨の比重が高すぎる。と同時に筋力が決定的に足りない。なかやまきんに君でも全然足りない。全盛期のシュワルツェネガーでも駄目だ。今の20倍くらいは必要だという。骨細で筋肉モリモリ。鶏のもも肉がそんな感じだけどああいうことか。 そもそも骨の構造自体も飛ぶようにできてないから、それも根本的に改造する必要がある。上空で地面に対して水平の姿勢を保つなんてのも相当難しそうだ。 それに人間の体はもろいから高いところから落ちたらあっけなく死んでしまうという問題もある。飛ぶための課題は山積みと言えよう。
やはり人間が自力で空を飛ぶのは無理なのか? タケコプターは『空想科学読本』によると、頭の皮ごともってかれるらしいし、魔女の宅急便のキキのように魔法は使えない。仮面の忍者赤影の白影のように凧にくくられて飛ぶのは可能なのか? だいじょーぶ、ってたぶん大丈夫じゃない。 ロサンゼルス・オリンピックの開会式で、背中にジェットを積んで空を飛んできたけどあれはどうなったんだろう? ロス・オリンピックって1984年だからもう20年以上経ってるのに。あれを見たときは、これだっ! と大喜びしたのに、いっこうに実用化される気配がない。残念だ。 人が空を飛ぶのはどうやら見果てぬ夢らしい。と思ったら、驚きのニュースが飛び込んできた。 「セルビア・モンテネグロで建物の上をマントを着て飛ぶ人間を見たという報告が多数寄せられました。当局はこの『スーパーマン』に関する調査を始めました」 ウソかマコトか単なるネタか!? 「同町の警察はコメントを避けている」 そういえば最近テレビで矢追純一見かけないなぁ。
空を飛ぶコサギから人間はどう見えてるのだろう。彼らにしてみたら、人が空を飛べなくてホントによかったなとホッとしてることだろう。さんざん住みにくくされて、空まで占領されたらたまったもんじゃない。 だから、高い空は飛んでも、低い空くらいは彼らのために残してあげるべきなのだろう。人間は空を飛ばなくても生きていけるのだから。 しかし、セルビア・モンテネグロの空飛ぶ男が気になるな。

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