 Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f3.5, 1/125s(絞り優先)
お気に入りの場所のひとつ、豊田市の松平郷でヒトリシズカを見てきた。徳川家康のルーツ松平氏発祥の地である松平郷については、またあらためて書こうと思っている。あそこについては書きたいことがたくさんある。 今日はヒトリシズカについて。
源義経が愛した女性、静御前から名づけられた、ヒトリシズカ。白拍子だった静御前が舞う姿にたとえたのだろう。誰が付けたか知らないけれど、とても情緒的で心を揺さぶられるいい名前だ。ヒトリシズカのヒトリは、一本の茎からひとつの花穂を咲かせるところからきている。これがふたつのフタリシズカという花もある。あちらはあまり繊細な感じがしない。 別名、ヨシノシズカ(吉野静)。これも吉野山で舞った静御前からきている呼び名だ。 さらにマユハキソウ(眉掃草)という呼び名もある。これは白粉(おしろい)をつけたハケに見立てたものだ。
原産は日本で、かなり昔からあったようだ。現在も日本全国に分布していて、さほど珍しい花ではない。やや明るめの里山や林の中に咲いている。日陰でひっそり咲くというタイプではなく、丈夫でたくさん集まって咲いている。ぜんぜんひとりじゃない。栽培も容易で、そう簡単に枯れたりしない。なんだか、ヒトリシズカについて知れば知るほどイメージが壊れていく。ただ、静御前だって薄命ではあったけど気丈な女の人だったということを思えば、逆にイメージとは離れてないとも言えるかもしれない。松平郷では、室町塀沿いにたくさん咲いていた。 白く見えている部分は、花びらではなく花糸で、ヒトリシズカにはガクもない。1本の雌しべと3本の雄しべという非常に単純な構造をしている。それがいくつも集まって花びらのようになっている。 草丈は20〜30センチくらい。葉っぱは4枚。葉は最初紫っぽく閉じていて、開ききる前にそこから白い花の部分が顔を出してくる。情緒的に撮りたい場合はこのときがいい。写真のように葉が開ききって緑色になってからだとちょっと開けっぴろげすぎる。 花の季節は4月下旬から5月の始めくらい。花が終わると種をつけ、それが下に落ちる。それをアリが持っていくとかいかないとか(どっちなんだよ)。
静御前から名前をもらったヒトリシズカ。その特徴はか弱そうな外観とは裏腹な強さだ。本当は、もっと誰も訪れないような林の日陰でひっそりと一本で咲いていたらよかったのかもしれないけど、それはそれで出来すぎな気もする。静御前の本質も、か弱き女というより愛する気持ちに殉じた強さだった。丈夫だからといって、ヒトリシズカの魅力が下がるわけじゃない。
吉野山 峰の白雪踏み分けて 入りにし人の跡ぞ恋しき
義経と生き別れ、京へ落ちのびる途中捕まって、頼朝の前で舞を舞わされたとき静が歌ったのがこの有名な歌だ。これを聴いた頼朝は激怒し、刀を取ってあわや切り捨てようとしたとき止めに入ったのが北条政子だった。4月8日、鶴岡八幡宮社の前での出来事だ。 このとき静19歳。義経の子供を身ごもっていた。女の子なら助けるという頼朝の約束があったが、生まれてきたのが男の子では助けられるはずもなかった。 9月、政子にたくさんのお金などを与えられ、京都に帰された静のその後についてははっきりしていない。全国でいくつかの伝説が残っているのみだ。一説によると、かつて義経が落ちのびた地、平泉に向かう途中、越後の栃尾にある高徳寺という寺で命尽きたとか。静23歳、4月28日だったという。越後の山里なら、ちょうどヒトリシズカが咲く頃だ。高徳寺の境内にヒトリシズカが咲いているかどうか、私は知らない。たぶん、咲いていないだろう。でも、日本全国でヒトリシズカが咲いている姿を見た多くの人が静御前のことを思い出していることだろう。それで充分だ。 しかし、石原さとみというのはどうだったんだ、NHK大河。静御前もあの世でずっこけてたかもしれないぞ。
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