| ノートPCの再セットアップに大苦戦するの巻 2006年6月29日(木) |
 Canon EOS 10D+SIGMA 18-50mm(f3.5-5.6), f4.5, 1/160s(絞り優先)
巨人があまりにも弱いから、今日はふてくされてブログの更新は抜きだ! というわけではまったくなくて、今日はノートPCの再セットアップに散々手こずってしまって、更新の時間が取れなかったというのが本当のところ。いやはや、CDドライブの壊れたノートPCにWindowsXPをクリーンインストールするのは難しい。
いくつかの方法がある中で、今回私が試したのはこうだ。 まずノートPCに新しいHDDをセットして、WindowsMeの起動ディスク(元々WinMeがインストールされていたPCなので)を使って、領域確保とフォーマットをする。 それをデスクトップPCの外付けHDDケースに、3.5-2.5インチ変換アダプタでつないで、デスクトップに入れたWinXPのCD-ROMの内容を丸ごとHDDにコピーする。 それをノートPCに戻して、起動ディスクから入って、Cドライブに移って、i386\winnt.exeと打ち込んだら、あとは通常のインストールと同じ手順になる。 のだけど、ここからエラーが頻発。どうも、本体のメモリも調子も悪いようで、何度か止まったりエラーが出たりして、電源を切って入れ直してどうにかインストールは完了したものの、ものすごく不安定な状態になってしまった。突然エラー表示と共に電源が落ちて再起動してしまう。なんじゃこりゃー。 今日のところは時間切れで力尽きた。また明日やり直す。 やっぱりCDドライブを買った方が早いぞ私、と思ったけど、それをいっちゃあおしまいよ。
それにしても巨人、どんだけ弱いんだ。八百長でもそんなに負けられないぞ。勝つつもりがなくてもうっかり打ってしまったり抑えてしまったりするもんだ。ここ20試合2勝18敗って。ここまでくると、もう見事な負けっぷりと言うしかない。むしろ、プロ野球チームがどこまで負けられるものなのか見てみたくなってきた。
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| アジサイとは今年もまた親しくなることができないらしい 2006年6月28日(水) |
 Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f3.5, 1/30s(絞り優先)
アジサイも一枚くらい撮っておかなくちゃなと、小雨が降る中近所をうろつく。けど、アジサイだけ撮っても面白くない。何かプラスアルファがないかと探していたら、クモがいた。逆に言えばクモしかいなかった。クモが小さかったので思い切って寄って、アジサイには脇役になってもらった。あ、虫注意報発令です。もう遅い。
PCモニターに向かって、おまえさんは何グモだい? と問いかけてみる。見たことあるようなないような。ネットを見て回ったものの、さすがにクモ愛好家は少なく、情報量が絶対的に足りない。アズマキシダグモやシャコグモなどを疑ってみたけど、どうも違う気がする。写真のこいつは2センチにも満たないほどのチビグモだったから。 世界には3万種類、日本だけでも1,200種類もいるといわれるクモたち。そんなにクモいるか? と天の関係者に問いただしてみたい。新しいノアの箱船に乗せるときは大変だ。3万種類集めてる間に地球は水没してしまう。クモには自力で逃げてもらうしかない。 ここはひとつ、一通りのクモを勉強するためにクモ図鑑でも買おうかなどと思ったら、『原色日本クモ類図鑑』は6,000円もする。そこまでクモに対して情熱を抱いてない私は、あっさりクモ図鑑を買うのを中止した。クモ博士になっても、あまり人に誉めてもらえそうにないし。
実は私はクモがけっこう好き方だ。どれくらい好きかといえば、トンボよりは下だけど蛾と同じくらい。意外と好きだったんだ、私。家の中で見つけても絶対いじめたりしないし、同居はむしろ歓迎したいから、見つけてもそっと息を吹きかけて部屋の片隅に吹き飛ばすようにしている。昔からクモは縁起物だって言うし。ただ、森歩きのとき、顔にかかるクモの巣だけはどうにも好きになれない。クモが巣を張らない生き物だったら、今よりもっと好きになっていただろう。 ハエなどを食べてくれる益虫でもあるし、人間に対して悪さもしない。姿形に少し難があるくらいだ。もっと大事にしてあげたいと思う。
 気がつけばアジサイの季節は終盤。もうあまり状態のいいものは残ってなかった。去年はそれなりにアジサイ巡りをしたのだけど、今年はどうも身が入らなかった。このまま名所には行けずじまいで終わってしまいそうだ。 私は西洋アジサイよりも、写真のような日本古来のガクアジサイが好きだ。好みで言うと、もう少しガクの部分が濃い青だとよかった。 アジサイ本来の原産地は日本だというのはちょっと意外な気がする。もともは関東地方の海岸に自生していたという花だったというのを、今日初めて知った。それが西洋に渡って様々に品種改良され、また日本に戻ってきた。今一般的なガクが発達したいわゆるアジサイは逆輸入のものもけっこうある。 アジサイのオリジナルは青色だ。これは、日本の土壌が基本的に酸性なのでそうなる。一方、西洋では土壌がアルカリ性なので赤色系になる。ただし、土壌の栄養分によって赤くなったり青くなったり、時期によっても色が移っていくので、本当のところはよく分かってないらしい。色の変化を楽しむというのもアジサイの楽しみのひとつだろう。 アジサイの品種は、日本で約150種類、世界では500種類くらいあるといわれている。バラなどに比べたら少ないけど、実際に見たことがあるのはせいぜい30種類くらいだろうか。具体的な品種名としては、墨田の花火くらいしか知らない。 アジサイの語源は、藍色が集まった「あづさい(集真藍)」が変化したものだという説が一般的だ。学名のHydrangeaは水の器。
日本全国にアジサイ寺と呼ばれるところがたくさんある。愛知なら稲沢市の性海寺、岐阜なら山県市の三光寺などがそうだ。でも、アジサイというと私の中では鎌倉というイメージが強い。それがどこから来たイメージなのかよく分からないのだけど、昔からそうだった。鎌倉の地には一歩も足を踏み入れたことがないのに。 もうひとつ、アジサイで思い出すのは、ドラマ「世界の中心で、愛をさけぶ」だ。あの中でアジサイはとても効果的に使われていた。アキが好きだったのがアジサイの花だった。サクはきっとそのことを一生忘れないだろう。若い頃好きだった女の子が、何気なく口にした好きな花や色のことを、男の子は年を取ってもずっと覚えているものなのだ。 アジサイに関する素敵な思い出がない私は、今年もまた、アジサイとはすれ違ったまま終わりそう。
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| ダザイオサム ハ トオク ナリニケリ? 2006年6月26日(月) |
 Canon EOS 10D+EF50mm(f1.8), f2.8, 1/13s(絞り優先)
今年も親戚からサクランボが送られてきた。ああ、もうそんな季節なんだと思う。意識しないまま6月19日も過ぎ去った。 サクランボといえば桜桃。桜桃といえば太宰治、太宰治といえば6月19日。太宰治の誕生日でもあり、命日ともなった日だ。
桜桃が出た。 私の家では、子供たちに、ぜいたくなものを食べさせない。子供たちは、桜桃など、見た事も無いかもしれない。食べさせたら、よろこぶだろう。父が持って帰ったら、よろこぶだろう。蔓を糸でつないで、首にかけると、桜桃は、珊瑚の首飾りのように見えるだろう。 しかし、父は、大皿に盛られた桜桃を、極めてまずそうに食べては種を吐き、食べては種を吐き、食べては種を吐き、そうして心の中で虚勢みたいに呟く言葉は、子供よりも親が大事。 太宰治「桜桃」より
太宰治が玉川上水に入水心中したのが昭和23年昭和23年6月13日。友人たちの必死の捜索でようやく見つかったのが6月19日。その日は太宰治39歳の誕生日だった。 翌年、友人や家族などが太宰治を偲ぶためにために集まり、桜桃忌と名づけた。当初は関係者などで行われていたものがだんだん一般的になり、一時はかなり大勢の人たちが集まるようになったという。いろいろ問題があったり縮小の動きがあったりもしたようだけど、今年もまた多くの人が三鷹の禅林寺を訪れたことだろう。桜桃忌は別にしても、この日が太宰治の日であることに変わりはない。 私自身はその年初めてのサクランボを見ると6月19日のことを思い出すくらいだ。そして私も、まずそうに桜桃を食べては種を吐き、まずそうに食べては種を吐きしてみるのだ。本当は美味しいのだけど。
サクランボは「桜の坊」、つまり桜の子供というところから来ている言葉だ。とはいえ、普通の桜の実というわけではない。食用にしてるのは専用の桜桃の木だ。ソメイヨシノは実さえつけないのでソメイヨシノのサクランボというのはない。 桜桃というのは変わった性質をしていて、同じ種類の木では受粉しないのだそうだ。なのでサクランボ農家では何種類かの桜桃を植えて、異種受粉させてるという。花が咲いたところでミツバチを放したり、手作業で受粉させるというから大変だ。その組み合わせもどれでもいいというわけではなく、相性があるとかで、なかなかに育てるのはやっかいなようだ。 雨にも弱く、濡れるとすぐに駄目になってしまうらしく、暑さも苦手なので、ほとんどは北日本で作られている。一位は山形で二位は北海道というのは、6月に雨が少ないからだ。 サクランボは古代ギリシャ時代から食べられていたと言われている。当時のはきっと強烈に酸っぱかっただろう。欧米に広く伝わったのは16世紀頃のことで、日本には江戸時代に中国から伝わった。西洋のものが伝えられたのは明治初期で、北海道での生産が日本における本格的なサクランボ作りの始まりとされる。
 太宰治絡みでもう一枚。「富嶽百景」に出てきた月見草がこのマツヨイグサだと言われている。
老婆は何かしら、私に安心していたところがあったのだろう、ぼんやりとひとこと、 「おや、月見草。」 そう言って、細い指でもって、路傍の一箇所をゆびさした。さっとバスは過ぎてゆき、私の目の前には、いま、ちらとひとめ見た黄金色の月見草の花ひとつ、花弁もあざやかに消えずに残った。 三七七八米の富士の山と、立派に相対峙し、みじんもゆるがず、なんと言ふのか、金剛力草とでも言ひたいくらい、けなげにすっくと立っていたあの月見草は、よかった。富士には月見草がよく似合ふ。 太宰治「富嶽百景」より
おそらく太宰治が見たのは、オオマツヨイグサだったんじゃないかと言われている。写真のこれは、たぶんコマツヨイグサだろう。いずれにしても、アメリカ大陸原産の帰化植物で、月見草というのは正しい呼び名ではない。本来のメキシコ原産の月見草は白い花だから。 それでも、この花を道ばたで見かけるとやっぱり太宰治を思い出して、富士には月見草がよく似合う、と心の中でつぶやくのだった。
待宵草と漢字で書くとこの花の特徴がよく分かる。宵を待って咲く花。夕方になるとゆっくり咲き始め、朝にはしぼんでしまう一日花だ。 帰化したマツヨイグサの仲間は10種類ほどあるそうで、ツキミソウやユウゲショウなどもそうだ。夜に咲く花なので、夜を舞う蛾が花粉を運ぶ。 宵待草と間違えて覚えられてしまっているのは竹久夢二のうたのせいだ。
まてどくらせどこぬひとを 宵待ち草のやるせなさ こよひは月もでぬさうな 竹久夢二
太宰治が死んだ年齢に自分が近づきつつある中で、今でも太宰さんは心の何いますかと問われると、うーん、と少し考え込んでしまう。もちろん、消えてはいないし終わってもいない。自分の中で消化済みの問題というわけでもない。心の奥の方に深く沈殿していて、今はそれをかき回したくないというところなのだろうと思う。 私は全作品の中で『津軽』が一番好きだ。あの中にこそ、太宰さんの一番いいところが全部出てると思うから。人としても、小説家としても。 太宰治の小説を読んでいた20歳の頃から月日は流れた。それでもまだ、太宰治の生き様も、あの頃の自分も、笑い飛ばすことはできない。もう少し時間がかかるだろう。今はまだ、泣き笑い。
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| 和食ではない日本料理を作りたいと思った 2006年6月25日(日) |
 Canon EOS 10D+EF50mm(f1.8), f2.5, 1/25s(絞り優先)
和食の基本は、素材を最大限活かすことだろう。味だけでなく見た目に関しても。そこから一歩進めて、食材を様々に調理して作り出した料理を、あえて日本料理と呼びたい。たとえば、ハンバーグやカレーライスなどがそうだ。あれは和食とは言い難いけど、他のどこの国の料理でもないから、やっぱり日本料理としか呼べないものだ。フランス料理、イタリア料理、ドイツ料理、みんな国の名前が付いている。だから日本料理でもいい。中華料理は違うじゃないかと思いきや、よく考えたらあそこは中華人民共和国だった。 そんなわけで、今日は日本料理を作った。ブラジル料理なんてまるで作る気になれなかった。そんなに本気にならなくても、って思った人が日本中にいたに違いない。
右手前は、写真で見るとはんぺんみたいに見えるけど、もちろんそうじゃない。豆腐とマグロの照り焼きステーキだ。 豆腐はレンジで水分を飛ばして砕き、まぐろは安いくずの部分を細かく切る。ニラと長ネギの刻みを加えて、ボウルに混ぜ、カタクリ粉を加えてある程度固まったらハンバーグのようにして小麦粉をまぶして焼く。のだけど、固まり加減が甘かったので、ボウルに小麦粉を入れて、そのままフライパンで焼いてしまった。それでも問題はない。形が悪くなるけど。 最初蒸し焼きにして、ある程度焼けてきたら、タレを塗って照り焼きにする。タレは、しょう油2、酒1、みりん1、砂糖1を混ぜて作る。
右奥は、エビとカブの茶巾蒸し。 エビの背わたとはらわたを取って、塩、コショウしてしばらく置く。カブはすり下ろししてふきんで水気を絞り、ニンジンは千切りにして下ゆでする。戻したシイタケは千切り、長ネギは粗みじん、これをボウルに入れて、卵とカタクリ粉を加えて混ぜる。 サランラップで茶巾しばりにして、蒸し器で10分ほど蒸す。または、電子レンジで6分ほどでもいい。 タレは、だし汁をベースに、しょう油、酒、みりんをあわせて、ひと煮立ちさせる。そこに水溶き片栗粉を入れてとろみをつけ、あとはそれをかけて出来上がり。
左奥は、鶏肉と鮭のアルミホイル焼き。 鶏肉、鮭を一口大に切り分け、塩、コショウをして少し置く。フライパンでオリーブオイルとバターを温め、刻んだニンニクとタマネギを炒め、鶏肉、鮭も入れてある程度焼く。それをいったん取り出して、アルミホイルに敷き、すり下ろした長イモと、刻んだ長ネギを上に乗せ、塩、黒コショウを振って、アルミホイルを閉じる。 あとはアルミホイルごとフライパンで温めれば完成だ。
今回はどれもけっこう手間がかかっている。2ヶ月前の私ならかなり混乱していたに違いない。今日でもあたふたしたから。けど、この3品を作り終えたところで、料理けっこう上達してるね自分、という手応えを感じたのだった。味の方もすっかり安定してきた。 普通に作れるようになってしまってなんだか物足りないくらいだけど、まだまだ先は長い。本当に美味しいオリジナル料理を作れるようになるためにはもっと回数を重ねないといけないし、研究も必要だ。 って、私は一体どこを目指してるんだ!? 小料理屋を開くわけでもあるまいに。サンデー料理の基本姿勢、未知との遭遇というものを今一度思い起こす必要がありそうだ。そもそも美味しいものを作るのが目的じゃないのだから。 来週の日曜日は、ワールドカップの準決勝が終わって、4チームに絞られているところだ。その中から、私の優勝予想国の料理を作ることにしよう。準々決勝のドイツ対アルゼンチン戦で勝った方が優勝しそうな気がする。アルゼンチン料理ってのに興味があるから、ここはひとつアルゼンチンを応援してみるか。日本入国拒否のマラドーナも思わず来日したくなるような料理を作ってみたい。
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| 瑠璃の名を持つ蝶ルリタテハから始まる瑠璃色の話 2006年6月24日(土) |
 Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f3.5, 1/640s(絞り優先)
海上の森の湿地にいたルリタテハ。接近遭遇はこれが3回目で、そろそろお馴染みになってきた。初めて村積山のふもとで見たときは感動したものだ。 飛んでいるときの姿はただの黒い蝶。地面に降りたって、翅を広げるわずかな時間だけ瑠璃色の帯が見える。そして、すぐにまた翅を閉じてしまう。まるでご開帳みたいだ。瑠璃色の翅を撮りたければチャンスはわずか。じっと辛抱強く待つしかない。一歩でも近づくと、警戒心が強いルリタテハはさっと飛び立って、あっという間に視界から消えてしまう。また戻ってくることもあるし、戻ってこないこともある。飛ぶ速度は、蝶の中でも速い方だと思う。飛んでいるルリタテハを撮るのは相当難しい。
さほど珍しい蝶というわけでなく、日本全国どこででも見ることはできる。ただ、数は少ないので、普通に暮らしていたらあまり見る機会はないかもしれない。世界的には、インドから中国、朝鮮半島、東南アジアと広く分布しているようだ。 生息場所は、森林の周辺などが多く、たまに緑地や公園などでも見ることがある。自分ちの庭に来るという人もけっこういるらしい。それは食用となるホトトギス(という名前の野草)やサルトリイバラがある場合が多いようだ。木の樹液も吸うので、コガネムシやハチなどに混じって木にとまっていたりもする。花の蜜は吸わないはず。秋は腐った柿なども食べる。 漢字で書くと瑠璃立羽。瑠璃色の翅を持つタテハチョウと、そのままだ。こいつは英名がいい。Blue Admiral、つまり、青い提督、青の艦隊司令長官という立派な名前をもらっている。そのつもりで見ると、なるほど海軍提督の軍服のように見えなくもない。 大きさは、翅を広げた状態で6センチくらい。初めて見るたとき、意外に大柄なので驚いた。図鑑などで見てたときはモンシロチョウくらいの大きさをイメージしていたのに、実物はもっと大きく、アゲハとの中間くらいだった。 オスメスの区別は難しい。
発生は主に、3月から4月と、6月から11月に分かれる。夏型と秋型があって、春に見かけるのは秋に生まれたものが成虫の姿のまま冬を越したものだ。これは瑠璃色が薄い。今見かけるものは今年生まれのもので、瑠璃も鮮やかな色をしている。 裏翅は、夏型が茶、黒、白などのまだら模様なのに対して、秋型は黒っぽい色をしている。 夏型の方が翅の外側のギザギザが浅く、秋型の方が切れ込みが深いといった違いもある。 発生回数は暖かいところほど多く、沖縄では5、6回、北海道では2回ほど、本州では3、4回と言われている。 地域による個体差もあるようで、沖縄にいるやつは前翅の白い紋も瑠璃色をしてるそうだ。
 これが翅を閉じたときの裏側。同じ蝶とは思えないほどの変わりようだ。夜は水商売のバイトをしてる信用金庫のお姉さんみたい(このたとえ、前にもどこかで使ったなぁ)。木の幹に止まっていたりすると気づかない。 翅を広げるのは占有行動と呼ばれるもので、ここはオイラの陣地だーと主張する行動だそうだ。両手を一杯に広げて地面に伏せてここはオレの陣地だから入るなよなどと言っていたアホだった少年時代を思い出す。 ルリタテハというのは、臆病さと大胆さを併せ持つ蝶で、人に対して警戒心が強い割に昆虫みんなが恐れるスズメバチがいる樹液に突っ込んでいったりもする。すぐに逃げるかと思えばまた戻ってくるし、性格が掴みにくいところがある。翅の表裏のように二重人格的と言えるかもしれない。犬のフンを食べたりもするし。
瑠璃色という言葉が持つ響きは一種独特のものがある。もちろん個人差があって、人がどんなふうに感じているのかを知ることはできないのだけど、私の中では美しいというだけでなくどこか懐かしい感じを受ける。そして、強く心惹かれる。 ただ、瑠璃色というのは、辞書によると「紫色を帯びた深い青色」なんだそうだ。そう説明されると、私のイメージしてる瑠璃色と実際の瑠璃色はどうも違うらしい。コバルトブルーを思い浮かべるとそれは間違ってるようなのだ。ということは、もっと瑠璃色らしいと思っているカワセミも違うということになるのだろう。じゃあ、英語ではどういうかというと、一応ラピスラズリ(lapis lazuli)となるそうだ。むむ? ラピスラズリだと? 中学生の頃、雑誌の裏などに、ラピスラズリのネックレスを買えばキミもたちまち恋人ができて人気者になれる! と載っていて、ついうっかり通販で買ってしまい、さっぱり成果が表れなかったあれのことではないのか!? そうか、それで懐かしい気がしたのか……。 って、そうじゃないと思うけど。瑠璃色がラピスラズリのことでそれを懐かしく感じられるというのなら、それは古代エジプトとのつながりがあるのかもしれない。クレオパトラも好んで愛用したというし。まさか、私の前世はエジプトの墓荒らしじゃあるまいな。 私の瑠璃色にまつわるあれこはともかくとして、ルリタテハをよろしくお願いします、と強引にまとめて今日はここまで。
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| 顔中クモの巣だらけにして会いに行ったハッチョウトンボ 2006年6月23日(金) |
 Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f3.5, 1/125s(絞り優先)
初夏の風物詩のひとつであるハッチョウトンボを、今年も海上の森に見に行ってきた。生い茂る草をかきわけかきわけ、ぬかるんだ道に足を取られ、顔中クモの巣だらけにしながら。ハッチョウトンボを見る前に必要以上に夏を感じつつ。 いつもの湿地は、いつものように静まりかえり、誰ひとりいない。遠くからウグイスのさえずりが聞こえるだけだ。最初、姿が見えず、まだ早かったかなと思った。なにしろ小さいのでよくよく目をこらさないと見えない。ずいぶん探してようやく一匹発見。喜びの再会となった。 その後、あっちにもこっちにもたくさんいることが分かった。基本的にとまってることが多いので、かなり近づくまで分からない。でもいったん見つかれば、あとは次から次へと見えてくる。あ、ここにも、あそこにも、ここには4匹もいる、ってな具合に。ざっと見ただけでも20匹以上はいたから、湿地全体ではその数倍はいただろう。今年もハッチョウトンボが健在だと分かって安心した。
名前を漢字で書くと八丁蜻蛉で、その由来は、江戸時代の学者、大河内存真が尾張の矢田鉄砲場八丁目で見つけたことから来ている。その場所は、現在の名古屋市千種区の矢田川あたりという説が有力のようだ。他には熱田区ではないかという説もある。 全国の生息地は、東北から九州にかけてで、生息場所はごく限られる。世界的にみると、中国、朝鮮半島、台湾、東南アジア、オーストラリアにもいるそうだ。 本来さほど珍しい種ではなかったものが、近年の湿地帯減少に伴い数を減らし、なかなか見られないトンボとなってしまった。生息場所は、背の低い草の生える湿地帯や、休耕田などで、近所の空き地や街中の川などではほとんど目にすることはない。 日本で一番小さいトンボとして有名で、初めて見るとその小ささに驚く。普通のトンボの半分くらいと言葉で説明してもその小ささは伝わらないと思う。写真でも伝えるのは難しい。こればかりは自分の目で見るしかない。体長は2センチ弱だから、1円玉と同じくらいだ。 上の写真は成熟したオス。真っ赤な体が特徴だ。下の写真はたぶんメスだと思う。
 成熟したメスは、黒と黄色と茶色のストライプ模様をしている。オスも未成熟のときはこの写真のようにオレンジがかっているので、やや区別が難しい。写真のものは少し黒い色が出始めていてストライプ模様もできかけているのでたぶんメスじゃないかと思う。目の色からしても。 オスは生まれたときは灰白色で、だんだんオレンジから赤に色が濃くなっていき、約2週間で完成色の鮮やかな赤色になる。翅の付け根や目玉も赤く色づく。
ハッチョウトンボが他のトンボと違っているのは、その体の小ささだけではない。多くのトンボたちがエサをとるために1キロ以上も移動することがあるのに対して、ハッチョウトンボは生涯に生まれた湿地を離れることがない。行動範囲も半径10メートルほどと極端に狭い。ゆえに生息場所が局地的になり、湿地の環境が変わるとあっけなく絶滅してしまう。 現在は、その希少性と生息地が限られているということで、指標昆虫10種の中のひとつとなっている。つまり、ハッチョウトンボがたくさんいる地域ほど自然が残されているということになる。地域によっては、市町村指定の天然記念物に指定されている。 オスは、直径1メートルくらいの縄張りを持っていて、メスが近づくと速攻でくっつき交尾する。その間数秒から十数秒。シオカラトンボのカップルのようにつながったままいつまでもどまでも飛んでいったりしない。 交尾後、メスは湿地の浅い水面に産卵する。 ハッチョウトンボの発生は、5月の後半から9月にかけて。中でも6月の中盤から後半くらいにピークを迎える。梅雨が明けて暑くなると、数は少なくなる。見るならこの時期が一番いい。よく晴れた日にたくさん見ることができるはずだ。
このトンボのもうひとつの特殊性、それは逃げないということだ。飛ぶ力が弱いということもあるのだろうけど、あまり人間を恐れない。かなり近づいても飛ばないし、飛んでもすぐにまた戻ってくる。これほど写真を撮りやすいトンボは他にはない。レンズが当たるほど近づいても逃げないくらいだ。ただし、小ささゆえの難しさはある。 実物のハッチョウトンボの感動をぜひ多くの人に味わってもらいたい。偶然見かけるという機会はほとんどないから、こればかりは自ら出向いていくしかない。海上の森は確実にいるし数も多いのだけど、あそこは一般の人にはまったくオススメできない。何しろ湿地帯にたどり着くまでの道のりが厳しすぎるから。普段森を歩き慣れてる人ならいいけど、散歩気分でサンダルで行ったりすると痛い目に遭う。 春日井グリーンピア西の築水池湿地にもけっこういる。ただ、あそこもスポットに行くまでにアップダウンのきつい道を10分以上歩かないといけないので、お手軽ではない。 東山植物園の湿地コーナーでも見られるけど、あそこは有料だ。 オススメは、豊田市の松平郷か、もしくはフォレスタヒルズ(トヨタの森)だ。どちらも行けばまずは見られると思う。一番楽して見られるのはフォレスタヒルズで、駐車場から徒歩1分で湿地に着く。ただし、ここは完全な野生とは言えないので、やや不満が残るかもしれない。松平郷も。 やはりこういうものは苦労して見てこそ喜びも大きい。海上の森をさまよい歩きながらようやく辿り着いた先で見るハッチョウトンボ数十匹というのは、感慨もひとしおに違いない。ただし、何の予備知識もなくひとりで行くのは危険です。あの森は、迷ったら深みにはまって洒落にならないので。
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| 思いがけず勉強することになった壬申の乱について 2006年6月22日(木) |
 Canon EOS 10D+EF50mm(f1.8), f2.8, 1/60s(絞り優先)
提供した写真が載った「週刊ビジュアル日本の合戦」という雑誌が送られてきた。壬申の乱(じんしんのらん)関連で、東谷山(とうごくさん)の尾張戸神社(おわりべじんじゃ)の写真が必要だというので撮ってきたやつだ。私の写真が小さく載ってるので、本屋に行ったら立ち読みしてください。 せっかくのいい機会なので、今日は壬申の乱について勉強してみた。日本史の教科書で習って以来なので、記憶はとてもぼんやりとしていた。大人になってあらためて勉強してみると、なんで学生時代はこんなことがはっきり理解できなかったのだろうと不思議に思う。歴史は暗記科目だと思い込んでいたけど勘違いだった。ちゃんと人物関係や時代の流れを掴んでいれば、日本史はそんなに難しいものじゃない。年号や人の名前なんてのは重要なことじゃない。 今さらながら、壬申の乱ってそういうことだったのか、とようやく分かった私であった。脳は歳を取れば衰える部分ばかりじゃない。
壬申の乱というのは、古代日本における最も大きな内乱であり、以後の流れを決定づけた重大な出来事だった。二大勢力による直接対決という意味では、関ヶ原の合戦と同じくらいだと思っても間違いではない。 時は5世紀、大和朝廷が全国を統一したことで国家としての形が出来上がりつつあった時代。都は奈良県の飛鳥にあり、蘇我氏(そがし)と物部氏(もののべし)が勢力を持っていた。中国から仏教が伝わってきたのもその頃だ。しかし、まだまだ国家としては不安定なこの時代に、聖徳太子が生まれる。574年のことだ。国は蘇我氏と物部氏の対立が深まり、結果的には聖徳太子が属する蘇我氏の勝利となる。その後、国は推古天皇と摂政聖徳太子のおかげでかなり形がはっきりし始める。 622年、聖徳太子死去。それをきっかけに蘇我氏が力を持ちすぎて暴走を始める。これを止めたのが中臣鎌足(なかとみのかまたり)と中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)で、蘇我入鹿(そがのいるか)殺害によってクーデターは成功する。有名な大化の改新だ。中大兄皇子はその後天智天皇(てんじてんのう)になるのだが、その前にひとつ大きな失敗をする。百済からの援軍要請を受けて、朝鮮半島の白村江へ合戦の助太刀に行って大敗するのだ。これがのちに壬申の乱へもつながっていくことになる。 ほとぼりが冷めた頃、中大兄皇子は天智天皇となり、都を難波から大津に移す。天智天皇は、天皇としてはなかなかに有能で、国造りの基礎となることをあれこれやっている。問題は後継者のことだった。 当初、それまで片腕として働いていた弟の大海人皇子(おおあまのおうじ)に皇位を譲るつもりだったのだが、自分の息子の大友皇子(おおとものおうじ)が成長するにつれ、こちらへ譲りたいという気持ちがどんどん強くなってきてしまう。皇子もなかなに出来がよかったようで、器量としてもまずは申し分なかった。 そのことを知った大海人皇子は、自ら身を引く決心をする。下手にごねたら自分の身が危なくなる。頭を丸めて、出家するといって吉野へ逃げるように去っていった。 しばらくして天智天皇が病気になり、亡くなってしまう。ここで事態は急展開を見せる。実力、人望とも自分よりずっと上の大海人皇子を恐れた大友皇子は、ひそかに兵を集めて大海人皇子討伐計画を立てた。それを知った大海人皇子も黙ってやられるわけにはいかないと、こちらはこちらで兵を募る。そのとき歴史が動いた。司会の松平です。
672年、壬申の乱は始まった。まずはお互いの兵集めだ。しかし、このときすでに勝負は決していたと言える。急進的な改革派であった天智天皇の治世を面白く思わなかった地方の有力豪族たちが、続々と大海人皇子側につき始めたのだ。一方の大友皇子は当てにしていた九州の兵が集まらない。白村江の戦いに破れたこともひとつの大きな要因となった。 大海人皇子軍は、吉野を出て、美濃、尾張と進む内に大きな兵力にふくれあがり、一気に反攻に転じる。勢いづいた大海人皇子軍は、連戦連勝を重ね、やがて大津の都に迫る。最後の戦いとなった瀬田橋の戦いで決着がつき、都は陥落。大友皇子は自害して果てた。 朝敵となった軍が鮮やかな逆転勝利を収めるという、日本史史上類を見ない合戦となった。 翌673年、大海人皇子は飛鳥に都を移し、天武天皇(てんむてんのう)として即位した。その政治は、兄のものを引き継いだものとなり、天皇を中心とする中央集権国家の性格を強めていく。割を食ったのは、壬申の乱に協力した地方の豪族たちだ。天智天皇に不満を持っていて天武天皇に付いたのに、気づいてみればますます締め付けが厳しくなっていたというオチとなってしまった。
天皇という言葉を初めて使ったのが、この天武天皇だと言われている。それまで国の王は大王(おおきみ)と呼ばれていた。天皇というのは、もともと道教の最高神をあわらす称号で、天武天皇は自ら大王を超える存在と知らしめるためにこの言葉を使ったようだ。 もうひとつ、それまで倭国だったのを日本と呼ぶようになったのも、この天武天皇からだ。だから、壬申の乱以前以降という歴史的な分け方ができる。 ただし、天皇の系譜としては、天武天皇の奥さんだった持統天皇などを経つつ、もう一度天智天皇に系列に戻り、現在に至っている。これは、持統天皇が天智天皇の娘だったということもあって、そういう流れになった。
そんなこんなの壬申の乱スタディ。今日勉強するまでこんなにも人間くさくて面白いドラマだったとは思ってなかった。身内の争いを面白いと言ってはいけないんだけど。 歴史や合戦というと、どうしても戦国時代や幕末を思い描くけど、どの時代にも戦はあって、夢と野望がぶつかってきたのだ。それを肯定したり否定したりすることがどうこうではなく、そういうことがあったんだということに思いを馳せることが大事なんじゃないかと思う。今私たちが生きているのは、それらの長い年月を経た、夢の果てなのだ。彼らの想いを無駄にはできない。私たちが暮らしてる地面の下にはたくさんの歴史が折り重なっている。土には多くの血が染み込んでいる。そのことを忘れないようにしたい。 「週刊ビジュアル日本の合戦」、これからも楽しみだなぁ。と思ったら、今週で最終刊だった。なにっ。バックナンバーを読むしかないか。 写真提供から思いがけず壬申の乱について知ることができてよかった。それと、一冊の雑誌に載せる一枚の写真のために編集者というのは大変な労力を要するということも初めて知った。いろんな意味でありがとうと言いたい、今回の出来事であった。
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| マンネングサの花を見てコンペイトウの遠い記憶が蘇った 2006年6月21日(水) |
 Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f3.5, 1/60s(絞り優先)
夏に入って、花がだいぶ寂しくなった。野草の写真を撮るようになるまでは、暑くなればなるほど咲く花が増えていくものだと思っていた。でも実際はそうじゃなかった。3月に早咲きの野草が姿を現すと、4月から5月にかけて、我もわれも先を行く野草を追いかけるようにたくさんの野草が咲き急ぐ。そして6月、ふと気づくと花がいつの間にか少なくなっている。4月は、上を見ても下を見ても、山も野も森も、毎週出かけても追いつききれないほど花だらけだったのに。 そんな中、久々に新顔の野草に出会った。一目見て、あ、美味しそうと思った。特におなかが空いていたわけではないし、食い意地が張ってる方でもないのだけど。もちろん、むしり取って口に放り込んだりはしなかった。なんで美味しそうだなんて思ったんだろうとずっと考えていて、やっと分かった。コンペイトウを連想したからだ。よく見ると特に似てるわけではないのに、どうしてだか、これを見たとき深い記憶の底に沈んでいたコンペイトウの姿が浮かび上がってきたらしい。もう何十年食べてないだろう。とてもなつかしい。
ということで、今日はコンペイトウの話にしようかと思ったけど、やぱりやめた。考えてみるとコンペイトウに対して強い思い入れがあるわけではないし、コンペイトウの特別な思い出があるわけでもないから。鼻の穴に入れていたら取れなくなって病院に運ばれたなんていう微笑ましいエピソードも持ってはいない。 素直にこの花について書くことにする。 帰宅後、図鑑とネットで調べて、マンネングサだということはすぐに分かった。しかし、そこから先が少しややこしい。まず、マンネングサの仲間は世界で300種類もあるというから、いきなり気力が萎える。日本にもたくさん種類があって、これまた見分けたり覚えたりするのが大変らしい。更に、ベンケイソウ科には違いないのだけど、属がマンネングサ属だったり、キリンソウ属だったりして、はっきりしない。本によっても違っていたりする。だから、このへんのやっかいな部分は見て見ぬふりをして飛ばすに限る。何マンネングサかだけを区別できるようになればいい。それも難しいのだけど。 写真のこれは、丸い葉だから、たぶん日本古来種のマルバマンネングサ(丸葉万年草)でいいと思う。他にもツルマンネングサ、タイトゴメや、外来種のコモチマンネングサ、メキシコマンネングサ、オノマンネングサ、メノマンネングサなどが日本にあるそうだ。 花だけ見るとキリンソウにも似ているけど、あちらは咲き方や葉っぱが違うので見分けはつく。種としては近い。 マンネングサは、多肉植物で、葉っぱや茎に水をたくわえることができるので、もともとは乾燥地帯に生えていた野草だった。それが今では世界中に勢力を伸ばしているという。 繁殖力が強いから、日本でも家の塀やコンクリートなどにも這うようにして生えてることが多い。最近ではその強さを利用して、ビルの屋上などに緑化対策として植えられているそうだ。 名前は一年中緑色をしてるところから付けられた。
マルバマンネングサは、本州から九州の山の岩場などに自生しているというから、街中で見かけるものは、人によって運び込まれたものが多いのかもしれない。私が見たのは、牧野ヶ池緑地の車道脇だった。あんなところに元々自生していたとは考えにくいので、誰かが故意か偶然か持ち込んだもののような気がする。 常緑ということで、半ば観葉植物のようにして売られたり育てられたりもしているようだ。緑の丸い葉っぱと、星形の小さな黄色い花、乾燥に強く手間いらずで丈夫とくれば、部屋に置いておいても邪魔にはならない。私の部屋にあったら、見るたびにコンペイトウを思い出してしまってやっかいだけど。
6月いったん小休止に入った野草も、7月になるとまた少しずつ増え始める。夏の野草の本番だ。ツユクサ、カワラナデシコ、オニユリ、ヤマユリ、サギソウ、ホトトギス。好きな花もたくさんある。この夏はどんな新しい出会いがあるだろう。青空をバックに揺れるニッコウキスゲを今年こそ見ることができるだろうか。 野や森を歩けば汗だくになるこれからの季節。脱水症状による気持ち悪さやハブに負けないように頑張って歩きたいと思う。脱水症状で倒れたところをハブに噛まれたら私の負けだ。
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| キセキレイを見て思うことあれこれ 2006年6月20日(火) |
 Canon EOS 10D+EF75-300mm USM(f4-5.6), f5.6, 1/80s(絞り優先)
キセキレイという鳥がいる。この鳥の存在を初めて知ったとき、その姿ではなく名前に魅了された。キセキとキレイがリエゾンしているその響きに。なんて贅沢な名前なんだ。漢字を当てはめるなら、たとえば輝石麗。まるで宝塚星組のトップスターみたいではないか。読み方でキに力を入れずフラットにキセキレイと読ませると、今どきのJ-POPのアーティストにそんなのがいそうだ。 しかし実物は奇跡のように綺麗とはいかず、写真のようにまあまあきれいな野鳥だ。名前も、奇跡や綺麗やから来てるわけではなく、単に黄色いセキレイだから黄鶺鴒。分かってしまえば、なぁんだとなる。
同じセキレイの仲間としては、セグロセキレイやハクセキレイが馴染み深い。見かける回数も圧倒的にあちらの方が多い。キセキレイはそれほど珍しい鳥というわけではないけど、生息数が少ないのでそんなにしょっちゅう見かけるわけではない。だから、見るとそれなりに嬉しい。 大きさは20センチとセグロセキレイやハクセキレイよりやや小さい。ただ、見た目がスリムなので、印象としてはもう少し小さく感じる。 特徴はなんといっても黄色い腹だ。写真はメスなので黄色が薄いけど、オスははっきりと黄色いのでよく目立つ。夏場のオスは、のどのところが黒いのですぐに見分けがつく。ただ、冬羽になると全体的に色味が薄くなるので、分かりづらくなる。 背中はグレー。面白いことに、英名はGrey Wagtailと、腹の黄色ではなく背中の灰色から名前を付けている。どう見ても黄色い腹の方がこの鳥一番のポイントだと思うんだけど。
生息地は広く、西はイギリスから東はロシアまで、ユーラシア大陸全体とアフリカでも暮らしている。日本では九州より北では留鳥で、北海道は夏鳥、南西諸島では冬鳥となる。暑すぎず寒すぎない土地が好きらしい。 基本的には水辺にいることが多く、都会よりも郊外や山の方を好む。ハクセキレイやセグロセキレイに比べると高い山や川の上流にもいることもひとつの特徴となっている。 繁殖期以外は単独行動で、それが広い生息域につながっているのかもしれない。群れで行動してるとどうしても制約が多くなるのは野鳥も人間も同じだ。ひとりだと気ままにあっちへ行きこっちへ行きしていても許される。実際、キセキレイは引っ越し魔とも呼ばれているほど季節によってもいろいろとすみかを変える。 エサは、主に水辺にいる昆虫などで、飛んでいるところをフライングキャッチしたりもする。カゲロウやハエ、ときにはクモなども食べる。 子育ての時期になるとつがいになって、オスはなわばり意識が強くなる。他のセキレイにつっかかっていったり、車のバックミラーに映る自分に攻撃したりなんてこともある。カラスにも向かっていくほど気性の荒い面も持っている。 木の上や民家に近いところでも巣作りをして、オスメス共同で子育てをする。
キセキレイを見ると、子供の頃飼っていたセキセイインコのことをふと思い出す。最初にバザーで買ってもらったのが黄色いセキセイインコだった。そのつがいから卵が産まれ、ヒナが育ち、やがて私は世話に飽き、父親が木の板で巣箱を作って代わりにかわいがるようになり、ますますインコは増え、時が流れたある日の朝、巣箱を見るとインコが3分の1に減っているという事件が発生した。前の日の晩にエサを交換したとき入り口を閉め忘れたのだった。それでも逃げなかったインコは偉いなぁと私は子供心に思ったけど、父親の嘆きは大きかった。 逃げ出したインコたちはあれからどれくらい生きられただろう。当時はカゴ抜けインコたちがたくさん野生化していた時代だったから、うまく群れに入って寿命を全うできただろうか。でも、たとえ短い間だったとしても、空を自由自在に飛びまわれたことはインコたちにとって幸せだったかもしれない。少年時代の私は、そんなことも思ったのだった。 なあ、キミもそう思うだろ? と、特別出演の彼↓に訊いてみた。
オレは知らん! とばかりに、どら猫はあさっての方向を向いたまま。 [READ MORE...]
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| ダ・ヴィンチとミケランジェロはきっとふたりともB型 2006年6月19日(月) |
 Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f3.5, 1/800s(絞り優先)
レオナルド・ダ・ヴィンチの名が付けられたピンクのバラ。フランスのメイアン社作出。きれいないいバラだとは思うけど、ダ・ヴィンチにピンクのイメージはない。レオナルドの名前は、不可能と言われる青いバラが完成するときまで付けずに残しておいて欲しかった。フランスにしては無粋なことをしたものだ。発表されたのが1994年だから、もしかすると多くのバラ作出家が私と同じようなことを考えてそれまで付けずにいたのかもしれない。
いい機会なので、レオナルド・ダ・ヴィンチについて軽く復習しておこう。 生まれは1452年。日本でいうと室町時代だ。応仁の乱が1467年で、織田信長が生まれたのは1534年だから、大昔でもないけどつい最近でもない微妙な昔。 ヴィンチ村で生まれたからレオナルド・ダ・ヴィンチとなったと言われることも多いけど、実際は母親の再婚相手がヴィンチ家の人間ということでそこから来ていると言った方が正しそうだ。 レオナルドは私生児で、正式な教育を受けてないと言われ、左利きで鏡文字を書く変な少年だった。天才はどこかネジが飛んでいる。 14、5才の頃、画家の工房に弟子入りして、そこで絵画の才能が開花する。本人が望んで入ったのか、親に放り込まれたのか、そのへんの事情はよく分からない。ただ、天賦の才能があったことは確かで、入門して何年後かには、師匠はレオナルド以上の絵は自分には決して描けないことを思い知って以降絵を描くのをやめてしまった、というエピソードからも明らかだ。
ダ・ヴィンチの代表作は多くの人が知っている。『モナ・リザ』や『最後の晩餐』を。でも、それ以外の作品を3つ答えてくださいと言われると出てこないんじゃないだろうか。生涯で10数点しか絵を残していないにもかかわらず。有名なところでは、『聖アンナと聖母子』や『洗礼者ヨハネ』がある。あるいは、『白貂を抱く貴婦人』や『岩窟の聖母』などを思い出すかもしれない。ただ、ちょっと不思議なのは、それらの絵にはモナリザや最後の晩餐のような謎めいた感じがあまりしないということだ。力はあるけど特別ではないというか特殊ではない。逆に言えば、圧倒的にモナリザには変な力がある。その落差に戸惑い、なんとなく落ち着かない気分になる。 ダ・ヴィンチの生涯となると、これも一般にはあまり知られていない。生涯独身だったことや、おすぎとピーコの組合の人だったと噂されていることなどは、一般常識とまでは言えないだろう。 性格をひとことふたことで説明するのは難しい。才能や興味が多岐にわたりすぎていて、とらえ所がない。ただはっきり言えるのは、ものすごい集中力と人並み外れた飽きっぽさを両方持ち合わせていた人間だったということだ。きっとB型に違いない。 何をもってダ・ヴィンチを天才とするかといえば、それは絵画だけではなく、彫刻家、建築家、発明家、科学者など、様々な面で天才ぶりを発揮したからに他ならない。ただの絵描きとしてだけなら、これほどまで後世に名は残ってないだろう。 とにかくあらゆることが知りたくて、あれもこれもやりたくて、のんきにひとつのことに関わってなどいられないのだ。一日が何十時間あっても、一生が何百年あっても、ダ・ヴィンチにとっては短すぎたに違いない。そういう意味では、天才芸術家というよりも狂気の科学者に近いように思える。
 イタリア・ルネッサンス期におけるもうひとりの天才といえばミケランジェロ。これもフランスのメイアン社のバラだ。レオナルド・ダ・ヴィンチから3年後に発表された。このバラも納得いかない。ミケランジェロのイメージカラーは黄色じゃなく赤系統だろう。バラとしての評価は高いようだけど、名前と合ってない気がする。 ミケランジェロ・ブオナローティ。英語圏では、マイケルアンジェロと呼ばれるのでずっこける。誰だよそれ、と思う。ヨハネ・パウロのジョン・ポールよりはましだけど。 ミケランジェロは日本では評価があまり高くないように思う。知名度の点でもレオナルド・ダ・ヴィンチには遠く及ばない。ダビデ像は有名でみんな知ってるにしても、すごいよねぇピエタ、なんてネタを振っても話が盛り上がる気がしない。え? ピエタ? サッカー選手? などという返事が返ってきそう。 1475年フィレンツェ生まれ。おやじさんは判事で裕福な家庭に生まれるも、幼い頃から絵画に興味を示して13才で自ら芸術家の道へ進む。若い頃から才能を発揮して、ダ・ヴィンチよりも早く名声を獲得した。 ミケランジェロの人となりについては知らない人も多いと思う。考えてみると、芸術家の生涯について学校ではほとんど教えてくれない。音楽の時間に作曲家の話が出ることはあっても、美術の時間に画家の生涯について勉強した記憶はない。だから、知りたければ大人になって自分で本を読むしかないのだ。天才や変人の生き方から学ぶべきところは多いのに。 ミケランジェロは複雑というよりも一貫性のないやっかいな性格をしていたようだ。若い頃にケンカして鼻が曲がってしまったことで性格も曲がってしまったのかもしれない。強気と弱気が同居して、尊大な態度を見せたかと思うと妙に涙もろかったり、突然怒りだしたり、残酷になったり。かなりの気難し屋で周りの人たちもさぞや困ったことだろう。まずB型と思って間違いない。
レオナルド・ダ・ヴィンチと、25才年下のミケランジェロはとにかく仲が悪かった。ライバルと称されることがあるけど、あれは単にお互いが嫌いだっただけだと思う。言い争いの内容も子供のケンカみたいだ。 ダ・ヴィンチが絵画こそ最高の芸術だと言えば、ミケランジェロは彫刻こそもっとも優れた総合芸術で、ダ・ヴィンチくらいの絵なら自分の下男でも描けると挑発し、負けじとダ・ヴィンチは彫刻なんてものは力仕事で高尚な芸術などではないと言い返す。激情家のミケランジェロは分かるけど、日頃冷静なダ・ヴィンチがムキになるところが面白い。どちらの天才もけっこう人間くさい。 一度だけ直接対決となった壁画勝負は、ラファエロは途中でトンズラし、ダ・ヴィンチは絵の具が流れ出してきてイヤになって放り出してしまった。結局、どっちもどっちだったのだ。 ルネサンスの三大天才のひとりラファエロは、若い頃ダ・ヴィンチのもとで修行をしている。そのとき、こんなことを言ったという。「ミケランジェロなんて、あなたの靴の紐をとく値打ちもありません!」と。そんな健気で可愛かった少年ラファエロもやがて天才と呼ばれるようになり、ふたりを超える若き巨匠となった37才で死んでいる。その内に秘めた野心や隠された生涯など、面白い物語もあるのだけど、それはまた別の機会に。
それはそうと、そろそろ『ダ・ヴィンチ・コード』観に行こうよ、私。うかうかしてると終わってしまうぞ。
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| ニュージャパニーズ料理で黄金のカルテット完成 2006年6月18日(日) |
 Canon EOS 10D+EF50mm(f1.8), f3.5, 1/50s(絞り優先)
先週はドイツ・ワールドカップ記念でドイツ料理だったから、今週はニッポンちゃちゃちゃ記念で和食を作った。試合の方は不完全燃焼ですっきりしなかったけど、料理の方は攻守バランスの取れた好結果となった。今まで作った中で、トータルの美味しさでいえばベスト4には入るだろう。準決勝進出記念和食と名づけよう。 和食といっても普通に作ったんじゃ面白くないということで、一歩進めてニュージャパニーズを目指した。食材は国産にこだわって、調理方法と調味料に洋風を加えつつ、和食をはみ出さないように心がけてこの4品を作った。
まず右手前のエビから。とてもシンプルな照り焼きとなっているのだけど、これが意外に初めての味だった。エビを背中から開いて、背わたとはらわたを取り、塩を振りかけてしばらく置いておく。その後、小麦粉をたっぷりまぶして、オリーブオイルで焼きつつ、タレをからめていく。タレは、しょう油、みりん、酒を1:1:1で混ぜた基本の甘辛ダレ。小麦粉をまぶすのがポイントで、旨味を閉じこめつつ、中はプリプリで外は甘辛いタレがたっぷり染みて、いい味になる。ありそうでなかったエビ料理ということでオススメしたい。
左手前は何かというと、イカのチーズ焼き卵黄ソースがけだ。イカを開いて、塩、コショウして、グリルで焼いたところにとろけるチーズを乗せて、最後に卵黄をかけて出来上がり。これは美味しい。今回は付け合わせとしてちょこっとしか作らなかったけど、メインのおかずにも充分なる。イカとチーズと卵黄の組み合わせがこんなに合うとは思わなかった。見た目のビビッドな黄色も、おっ、なんだこれと思わせるから、おもてなし料理としてもよさそうだ。この料理は食べことも見たこともない人がほとんどだと思うから、見た目も味も驚いてくれるんじゃないだろうか。
左奥はマグロのサイコロステーキ。あえてマグロをステーキにする必要はないと言えばない。ただ、マグロ料理の可能性として、これもありだし、魚嫌いの子供にもぜひ食べさせてあげたい一品だ。美味しさは肉と変わらないから。 マグロの切り身をサイコロ状に切って、塩コショウしてしばらく置く。小麦粉を全体にまぶして、オリーブオイルとバター、ニンニクで焼いて、最後にソースをからめて完成。ネギなども乗せつつ。 ソースは、しょう油ベースに、酒、みりん、オリーブオイル、塩、黒コショウ、バジル、カラシ、マヨネーズを混ぜたものを、焼くときに半分、焼き終わってから半分かける。 しっかり焼いてもいいし、あぶり程度にするとまた違った食感となるので、好み次第で焼き加減を調節するといい。
右奥は、大根、里芋、なめこのヌメヌメ煮込み。ヌメヌメ好きにはたまらない食感と味のこの料理、私は好きなので気に入った。ヌメヌメ系が苦手な人にはきつい一品だ。 里芋のぬめりをよく洗って、下ゆでしてから更にぬめりを取って、大根も下ゆでして、その後だし汁でなめこと共に煮込む。 味付けは、白みそをメインに、塩コショウ、しょう油、砂糖、酒、みりんを少々。 あえてみそ汁にしない方がヌメヌメをより楽しめて美味しくなる。
今回は自分でもかなり出来が良かったと思った。黄金の中盤のようなスキのなさ。往年のジーコ、ファルカン、セレーゾ、ソクラテスとまではいかないけど、中田、中村、小野、稲本には迫ろうかという完成度だった。自己採点で初の90点が出た。このメニューはぜひ人に作って出したいと思った。自分でももう一度食べたい。 そんなわけで、日本代表の試合には満足できなかったけど、サンデー料理は納得のいくものとなった。日本が今日勝っていればもっとよかったのだけど。 次はブラジル戦記念のブラジル料理だ、と思ったら、ブラジル戦はもう木曜日にある。万が一にも勝てば、オブリガード・ブラジル料理を作ってもいいけど、負けたらブラジル料理なんて絶対に作りたくない。豪州料理もしばらくはない。できることなら、喜びと共にブラジル料理を作りたい。もし完敗したら、いじけて日本料理しか作らない鎖国政策に入るかもしれない。
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| 鳥の人かそうじゃないかの判断材料となる鳥 6月17日(土) |
 Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f6.3, 1/60s(絞り優先)
鳥の人とそうじゃない人との差は小さいようで大きい。どちらに属するかを決めるとき、写真のこいつはいい判断材料となるかもしれない。すぐに分かってしまった人は間違いなく鳥の人だし、スズメじゃないの? と思った人は一般人だ。ある意味安心していい。訊かれてもいないのに、オスとメスの見分け方や、オオジュリンやカシラダカとの違いについて熱く語ってしまうと、自分の知らないところで野鳥の会とか言われてしまうことがあるので注意が必要だ。私はつい最近、ようやくスズメとこのホオジロの区別がつくようになったところだ。 図鑑で見てるときは、スズメにそっくりに見えたけど、実物を見たらかなり違っていた。スズメよりひとまわり大きいし、尾っぽが長い。腹はオレンジ色だし(スズメは白)、眉の白と顔の黒がよく目立つ。ただ、メスは顔の黒い部分が茶色いので、遠くからだとスズメと見分けがつきにくいことがある。 いずれにしても、スズメとホオジロははっきり違う。それが分かったのは、私にとっては大きな進歩だ。野鳥の会へのカウントダウンはもう始まっている。
北海道は夏鳥で、本州、四国、九州は留鳥。一年中見ることができるありふれた野鳥のひとつだ。多くの人がホオジロと意識しないままスズメと思って見てる可能性は高い。ただ、沖縄や小笠原諸島などにはいないそうだ。 世界では、ユーラシア大陸の東、中国や朝鮮半島などに生息している。 生活環境は、里山や低地の林、低山、農耕地などで、都会のビル群などにはいない。ちょっと郊外へ行くといるのに、街中ではいないというのは、ホオジロの中では何か明確な線引きができているのだろう。広大な草原などにもいないそうだから、人里近くのほどよい賑やかさがあるところが好きなようだ。人間そのものとは一線を画していて、人と馴れ合うことはない。 春から夏にかけてよく見かけるのは、この季節が繁殖の時期だからだ。メスを呼んだり、縄張りを主張するために、高い木の上や電線などにとまって大きな声でさえずっている。夏から秋にかけては、山の方に行っていて、目にする機会が少なくなる。繁殖期は単独またはペアでの行動が多く、それ以外は小さな群れを作る。
体長は17センチくらい。印象としてもスズメより大きな感じがする。 写真はオス。顔の黒い部分がはっきりしてるので見分けがつきやすい。メスは更にスズメに似てるけど、腹のオレンジと尾っぽの長さを見れば区別がつくと思う。 エサは、植物の種子や昆虫など。地面でよく拾い食いをしている。このときの様子が特にスズメに似ていて、パッと見間違えやすい。 産卵は春から夏にかけて1回から3回くらい。一夫一婦で、卵は4個前後、メスが卵をあたため、オスは外で見張り番。エサやりはオスメス共同作業。 高い声でさえずるのはオスだけで、メスはチッチッとくらいしか鳴かない。オスは、チッチョ、チッチョとかチッチョピーとか鳴くのだけど、昔の人はこれが「一筆啓上仕り候(いっぴつけいじょうつかまつりそうろう」と聞こえたんだとか。しかしそれは、「掘ったイモいぢるな」以上に無理があると思う。さえずり声自体はきれいだと思う。
頬白の名前の由来は、頬が白いから。でも、このネーミングに納得いかないものを感じてる人は多いだろう。確かに頬の部分はちょこっと白いけど、それがこの鳥の一番の特徴だとは言えない。そんなこと言ったらスズメだって頬は白いし、最も特徴的に頬が白いのはシジュウカラだ。よく似た鳥で、頬が赤いホオアカというのがいるのだけど、あれなら納得がいく。けど、ホオジロのこの名前はどうだろう。名前と姿が一致しなさすぎる。だから一般的な知名度が上がらないということもある。目の回りが白いメジロにならって、こいつは眉が白いマユジロにすればよかったのだ。 名前はともかくとして、このホオジロ、やっぱり存在自体のインパクトが弱いのは否めない。一般受けする要素が少なすぎる。見た目も渋好みだし。もう少し発声練習をしてもらって、はっきりとイッピツケイジョウツカマツリソウロウと言えるようになったら、一気に人気者となるだろう。テレビに出てくるセキセイインコのピーちゃんのように。
里や山でこいつを見かけたときは、周りに人がいるのを確認して、あ、ホオジロだと聞こえるようにつぶやいてみましょう。その言葉に反応したは、鳥の人の可能性が高いです。あれ? もしかしてカシラダカかな? などと続けて言った日には、鳥の人なら間違いなく激しく見て判別作業に入るはずなので、その目の動きを見逃さないでください。ただし、その鳥がスズメだった場合、このエセ鳥人が、という冷たい視線が飛んでくる恐れがあるので注意が必要です。
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| スナメリは優美に白い体をくねらせ静かに微笑む 2006年6月15日(木) |
 Canon EOS 10D+EF50mm(f1.8), f2.0, 1/80s(絞り優先) クジラ目歯クジラ亜目ネズミイルカ科スナメリ。日本近郊に棲む最も小さなイルカだ。あるいは、一番小さなクジラという言い方もできる。 クジラとイルカの境目は、ワシとタカ同様、実は曖昧だったりする。基本的に大きなものがクジラで、小さくてすばしっこいやつがイルカと呼ばれる。はっきりとした特徴の違いや境目はない。 スナメリの姿を見ると、これはやっぱりクジラだろうと思う。背びれのないクジラ体型と顔もイルカとは違う。「少年H」に男姉ちゃんというのが出てきたけど、その方式でいうとイルカ・クジラとでも呼びたくなる。
かつてスナメリは、日本のあちこちで普通に目にすることができる身近な海の生き物だった。1970年代までは。その後、埋め立てや公害、船舶の急激な増加などによって環境が大きく変わり、近年その数を急激に減らしてきている。 生息域は、ペルシャ湾から日本にかけてのインド洋、太平洋の沿岸で、日本では九州、瀬戸内海、伊勢湾、仙台湾あたりに集中している。日本海側でもまれに見られる。 多かったときは瀬戸内海だけでも5,000頭はいそうだ。それも最近は数百頭まで減ってしまったという。中部地方では、三河湾と伊勢湾で3,000頭ほどいるといわれる。2000年から2002年に行われた初の全国調査では、1万8,000頭プラスマイナス5,000頭くらいという予想結果が出た。この数字だけ見るとまだまだ大丈夫と思うけど、減少速度を考えるとあまり楽観はできない。 昔は漁港でも船に乗っていても当たり前のように見られたらしいけど、最近ではめったに見られなくなったそうだ。
体長は160〜170センチ、体重は50〜60キロと、人間の中肉中背の男子と同じくらいだ。 体色は白っぽい灰色で、子供のときは黒っぽい。 体が柔らかいのが特徴で、首だけ後ろに回すこともできる。水中ではよく体をひねるようにして泳いでいる。 頭のてっぺんに鼻の穴がひとつあって、目の後ろに開いている穴が耳だ。歯もちゃんとある。 体は、ヌメヌメのツルツルという感じではなく、触るとホットケーキみたいな弾力性らしい。 スナメリの姿を水面から見られるのは、空気呼吸をしてるからだ。15秒から30秒くらいごとに浮上してきて、頭の上の鼻の穴で呼吸をしている。お馴染みのクジラたちのように潮を吹いたりはしない。 水深50メートル以下の浅いところで暮らしていて、遠洋に出たり、回遊することはない。だから、地域ごとに個体差がけっこうあるという。出産の時期とか。底が砂地のきれいな海を好む彼らだけど、例外的に中国の揚子江にもいるらしい。どうして淡水でも生きていけるかなど、詳しい生態はよく分かっていない。 寿命は15年から20年くらい。 エサは、魚や甲殻類、イカ、タコなどで、食べられるものは何でも食べるという雑食性。カニやエビなどもバリバリ食べる。 スナメリの語源は、砂の上をはい回ってるエビなどを食べている様子が砂をなめてるように見えるところから来てるんだとか。ホントかな。
通常、1頭から数頭単位で行動しているスナメリたち。日本では、仙台湾から東京湾、伊勢湾から三河湾、瀬戸内海から響灘、有明海から橘湾、大村湾と、大きく分けてこの五つの海域に分かれて暮らしていると言われている。 人口飼育としては三重県鳥羽水族館が有名だ。その他、宮島水族館、南知多ビーチランド、須磨海浜水族園で見ることができる。 スナメリを見よう、というちょっとしたツアーのようなものも各地で行われてるようで、フェリーやボートに乗って見に行くんだそうだ。 愛知県では、鳥羽と知多を結ぶフェリーからや、蒲郡、一色、佐久島あたりでよく見られるらしい。私もいつか、野生のスナメリを見てみたい。 水槽の中で優雅に泳ぎ回る彼らをしばらく眺めていた。そんな私に彼らは気づいていただろうか。なんだ、こいつ、ひとりで来てるぜ、さかなクンかよ、と思ったかもしれない。その口元は静かな微笑みをたたえていたように見えた。
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| 近場でラベンダーを済ませようと思ったら 2006年6月13日(月) |
 Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f5.0, 1/80s(絞り優先)
小牧市民四季の森へバラを見に行ったら、ちょっとしたラベンダー畑があった。おっ、こんなところに。こりゃいいやと思い、あちらからこしたから、上から下から横から撮りまくり。でも、ラベンダーってもう咲いてたかなぁ? まあ、いいや。たくさん撮ったし、もうこれで今年は遠いラベンダー畑まで見に行かなくていいな、と喜んで四季の森を後にした。 家に帰ってきて、ラベンダーの種類を調べようとしたところ、似たものが見つからない。はてな? こんな葉っぱのラベンダーはどこに載ってないぞ。それに、よく見るとなんか姿もラベンダーっぽくない。ラベンダーはこんなに一本が独立して真っ直ぐ立ってないし、もっとかたまって放射状になってるじゃなかったか。それとも、こういう種類のラベンダーなんだろうか。 そんなことを考えてるとき、一枚の写真が目に止まった。サルビア? ええー! これってサルビアだったの!? 見れば見るほどその写真と似ている。名前はブルーサルビア。こりゃ間違いない、サルビアだ。ラベンダーじゃない。時期的に早すぎると思ったのだ。 結局、ブルーサルビアと判明。正式名称は、サルビア・ファリナセア。その中のビクトリアブルーまたはビクトリアと呼ばれる品種のようだ。それにしてもなんて紛らわしい。これを見て、すっかりラベンダーと思い込んで最後まで気づかない人もけっこういるんじゃないだろうか。できれば花壇のプレートに書いておいて欲しい。これはラベンダーではありません、と。
サルビアというと、一般的には街でよく見かける赤い花(スプレンデンス)を思い浮かべる人が多いと思う。でも、サルビアというのはすごく種類が多い。メキシコなどの中南米から地中海沿岸のヨーロッパを中心に、世界で900種類もあるという。日本でいうと、アキノタムラソウなどが仲間だ。 サルビアはシソ科に属する。ただ、セージのグループに入れられてしまうこともあり、やや混乱しがちだ。ラベンダーやローズマリーなどもシソ科に属している。
ビクトリアブルーの原産地は、メキシコやアメリカのテキサスで、石灰岩土壌の中低山などに自生している。 宿根草でありながら日本では越冬できないため、一年草となる。 アメリカなどでも人気のある花らしく、花壇に植えたり、切り花として売られてたりしてるそうだ。 草丈は60センチほどで、花穂は20センチくらい。 これの白花もある。でも、そうなるとブルーサルビアというのはおかしなことになる。またの名を、化粧サルビアともいう。 ラベンダーとの決定的な違いは、やはり葉っぱの形だ。こんな細長い普通の花のような葉をしてるラベンダーはない。花も近づいてよく見るとけっこう違っている。 日本には昭和になってからやって来た新顔だ。
近場でラベンダーを見ることができてよかったと思ったら大間違いだった。こんな落とし穴があるとは。見た目はたとえラベンダーそっくりだったとしても、満足感は大きく違ってくる。ラベンダーには見た目がきれいだという以上の意味や価値がある。それは、「北の国から」があったからだ。ラベンダーといえば富良野、富良野といえば北の国から、さだまさし、純に蛍に五郎父さん。イメージは連鎖して、甘く切なく懐かしい思い出がよみがえる。 ラベンダー名所ということでは、名古屋なら荒子川公園、愛知県なら新城市のつくで高原、岐阜県なら郡上郡の牧歌の里や高山市の清見、三重県ならメナード青山あたりが有名だ。でもやっぱり、ラベンダーを見るなら富良野、それもファーム富田でないといけないという絶対的な思い込みが私の中にある。いつの日か行けるだろうか。行きたい気持ちが半分、行って観光地だと分かってしまうのを恐れる気持ちが半分で、毎年7月になると気持ちがザワザワする。もしかしたら、私の中では永遠の憧れにとどめておくのがいいのかもしれない。 そして、ラベンダーの香りは、時をかける少女の香りでもある。
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| 6,000種類の蛾を見分けられる人になりたくはないけれど 2006年6月12日(月) |
 Canon EOS 10D+EF75-300mm USM(f4-5.6), f5.6, 1/30s(絞り優先)
夕方、高い木の上のあたりを白黒の蝶らしきやつがヒラヒラヒラヒラ飛んでいた。撮れるもんなら撮ってみなと私を誘うように。しかしこいつがなかなか捉えられない。そんなに動きは速くないのに、飛び方が不規則でピントを合わせる以前にファインダーの中に入れられない。4、5匹(私は専門家じゃないので頭とは数えるのは照れくさい)もいたのに、あっちを狙えばこっちが近づき、こちらに切り替えると逃げられ、さんざん翻弄されて、そして誰もいなくなった。近くを通りかかった黒猫がそんな私を見てニャアと鳴いた。ならばと黒猫を撮ろうとしたら、それにも逃げられた。ばぁさん、俺ぁ撮れないよ。 しょうがない、あきらめるかと思ったとき、そいつらはそこにいた。写真のこいつらだ。ちょっと失礼して連写しまくり、なんとか一枚ぶれずに撮れた。何者かは知らないけど、とりあえず撮れたことでよしとしよう。できることなら飛んでるところを撮りたかったけど、それはまた次回。ばぁさん、あの黒い猫は来てるだろうなぁ。
帰宅後、早速名前を調べることにした。これだけ特徴がはっきりしたやつだからすぐに調べがつくだろうと思いきや、これが意外と苦戦した。触覚の先がふくらんでないのと、翅を広げてとまっていることから蛾だというのは分かった。けど、蛾の種類というのは気が遠くなるほど多い。所属グループも分からないまま調べようとするとすごく大変なのだ。ネットの写真で最初から見ていって、500枚くらいでようやく見つけた。こいつか、ヒロオビトンボエダシャク。 よく似たトンボエダシャクは、体の黒と黄色の模様が四角くて規則的なのと、白い斑点が小さいことで区別がつく。
分布域は、日本の北海道から九州、屋久島あたりまでと、朝鮮半島、中国。 体長は翅を広げたときで5センチ前後くらい。 初夏から夏にかけての昼間飛び、夕方特に活発になる。クリの花の蜜を吸うことが多いというかなり変わり者だ。 幼虫は尺取り虫で(蝶は一般的にイモムシ)、成虫の体の模様とよく似ている。ツルウメモドキなどを食べて育つ。 名前のトンボは、細長い体と、前翅と後翅の模様が同じところからきているらしい。全体的に見てあまりトンボっぽくはないのだけど。
 別の場所でよく似た蛾を見つけた。ヒロオビトンボエダシャクという手がかりがあったので、今回はすぐに名前が判明した。ヒョウモンエダシャク。言われてみれば模様はヒョウに似てなくもない。 しかし、エダシャク亜科というのは、今後見つけたとしても調べるのに苦労しそうだ。300種類以上いるというから、蛾の中のエダシャク亜科だけでポケット図鑑が作れてしまう。蝶やトンボだけでもいっぱいいっぱいなのに、蛾まで学習の範囲を広げると手に負えなくなりそうだ。今回はたまたま分かったけど。
これはどうやら日本の北海道から九州あたりまでしか分布してない国内蛾のようだ。屋久島に亜種がいるらしい。 大きさは、ヒロオビトンボエダシャクよりもひとまわり大きいような印象だった。 こいつについてはあまり情報がなく、何を食べてるかよく分からない。太い木の幹によくとまってるというから、樹液でもなめてるのだろうか。 ヒョウモンエダシャクの一番の特徴は、なんといっても毒を持っているということだ。毒蛾というのは思ってる以上に少ないものだけど、これは数少ない例外と言える。 幼虫のときにアセビやレンゲやツツジなどを食べるそうなのだが、この中のアセビの毒を体内に蓄積するという。アセビは漢字で書くと馬酔木、馬でも葉を食べると酔ったようになるというほどの毒性があるので、他の生き物は近づかない。それが何故かヒョウモンエダシャクだけは平気らしいのだ。そのメカニズムはよく分かってない。おかげで、ヒョウモンエダシャクも鳥や他の生き物に食べられることなく安全に暮らすことができる。人間を刺したりするようなことはないだろうけど、あまり触らない方がいいかもしれない。
蛾の世界というのもなかなかに奥深いものがある。種類も多いし、いろんな模様のものや、特色のあるものがいる。専門家や愛好家も少なそうだから、蛾コレクターはある意味狙い目かもしれない。エダシャク亜科300種類言えるもんねー、なんていう人がいたら私は尊敬したい。世間一般では評価されなくても。 少し前までは、蝶かと思って撮ったら蛾だったと分かるとがっかりしたものだけど、最近はそんなことはなくなった。蛾は蛾で面白いし興味深い。勉強してみると意外な発見があったりもする。今回の2種類のエダシャクのように。 ここはひとつ、蛾地位向上委員会を設立して、みんなに蛾を好きになってもらうようひそかに地下活動をしてみようかと思い始めた(なんでアンダーグラウンド?)。ただいま会員募集中です。一番好きな蛾について原稿用紙2枚程度にまとめて持ってきてください。名古屋栄地下クリスタル広場で待ってます。
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| ゲルマン魂にはドイツ料理もコンビニも必要ない? 2006年6月11日(日) |
 Canon EOS 10D+EF50mm(f1.8), f2.8, 1/30s(絞り優先)
グーテン・ターク。マイン・ナーメ・イスト・オータ。イッヒ・リーベ・ディッヒ。アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク。大学の第二外国語で習ったドイツ語を思い出しながら作ったドイツ料理。しかし、ドイツはやはり遠かった。どこまで行ってもドイッチュランドには辿り着けず、リリー・マルレーンの悲しげな調べが頭の中で流れた。 ドイツ料理とは何か? そんなストレートな質問を投げかけられると戸惑う。そんなものはない、というのが答えなのかもしれない。少なくとも、フランス料理やイタリア料理、中華料理やトルコ料理と同列上にドイツ料理は存在していない。ゲルマン魂は料理などという軟弱なことにうつつを抜かすのは恥ずかしいことだくらいに思っていたのかもしれない。フランスやイタリアなんかと一緒にしてくれるなと。 そんなことを言うとドイツ人は反論するだろう。ドイツにも美味しい料理はたくさんあるし、ドイツ人だって食べることに無関心なわけではない、と。しかし、ドイツには食通という概念がないという話を聞いたことがある。本当だろうか。ドイツには、どっちの料理ショーも、愛のエプロンも、金子信雄の楽しい夕食もないのだろうか? 猿でも作れるオリバー・カーンの男の料理、なんて番組なら観たい気もするが。 ドイツといえばまず思い浮かぶのがビールとソーセージだ。ドイツ人は毎日昼からビールを飲み、毎夕食にソーセージをかじっている。たぶん、そうじゃないかと思う。ドイツへ行ったこともないし、ドイツ人の友人もいないけど、きっとうそうだ。あとはジャガイモでも食べてるんじゃないだろうか。 ドイツ人は実際、毎日何を食べてるか? 答えは簡単。ドイツ料理を食べている。正確にはドイツの家庭料理を食べている。これといった特徴と確固としたスタイルがないだけだ。各地方でとれる特産物を伝統的な方法で調理しているという噂だ。調味料は少なく、基本的にシンプルな味付けらしい。ドイツの基本的な調味料は、塩とコショウとパセリなんだそうだ。フランス料理のようにソースに凝ったりしないし、イタリア人みたいに無闇やたらにパスタばかり食べているわけでもない。ご飯の代わりにパンを食べ、白ワインをよく飲むという。 それにしても、ドイツ人がここまで食へのこだわりを見せない理由がよく分からない。地理的にはフランス、イタリアが近くで海にも面しているし、土地が特別やせてるわけでもないだろうに。やはり民族的な気質ということなのだろうか。イギリスに近いようにも思える。
というわけで、ドイツ料理を作ろうとすると、まずはそのメニュー作りが難しい。代表的な食材もなく、ドイツらしさを前面に出そうにも格となるものがない。いろいろネットでも調べたけど、これでいこうという方向性も見つからないまま、ドイツ料理レシピをアレンジしたオリジナルのレシピとなった。 左手前は、ソーセージとジャガイモでドイツらしさを少しだけ出してみた。作り方はいたってシンプル。オリーブオイルとバターで、ソーセージ、ジャガイモ、マッシュルーム、タマネギ、トマトを炒めて、白ワインと塩、コショウ、パセリで味付けしただけだ。これはきっと、ドイツの家庭でも同じようなものが作られてると思う。単純な味付けだけどトマトが効いている。 左奥は、クリームシチューのようなもの。鶏肉、タマネギ、アスパラ、ジャガイモ、ニンジン、ネギをバターで炒めて、白ワインと水で少し煮込んだあと、チキンブイヨンで味付けして、手作りホワイトソースを混ぜて出来上がり。ドイツでもこういうホワイトシチューのようなものが食べられてるそうだ。 右のは、ドイツでは一応代表的な料理のひとつとなってるマウルタッシェンを自分風に作り替えたものだ。パスタ生地の中に具を入れて煮たり焼いたりする料理で、ドイツのギョウザかワンタンと思えば遠くない。本来はひき肉を使うそうだけど、私はシーフードにした。 生地は久々に手作りした。小麦粉と卵黄、水を混ぜてこねくって、こねくって、こねくって、伸ばして、伸ばして、伸ばして、包み込む。中身は、白身魚、エビ、ほうれん草、タマネギ、ベーコン。ソースは、お湯に溶かしたコンソメの素にバターを加えたバターソース。パセリもかなり入っている。これは作るのが面倒だけど、あっさり味で美味しいのでオススメしたい。
ドイツ度は判定不能。基本となるドイツ料理が分からないし、想像もできないので比較のしようがない。味としては、無難な75点といったところ。失敗はなかったけど、大きな成功とも言えない。 家庭料理としてのレベルでいえば、ここ最近はかなり安定してきている。波も小さくなったし、時間と量のコントロールもうまくできるようになった。次のステップは、アレンジからオリジナルへのジャンプということになるだろう。ただ、まったく何も見ずに食材だけでオリジナルの料理を作るところまではまだまだいっていない。食材的なチャレンジも今後の課題となる。 こうして第二回ドイツ料理は幕を閉じた。イタリアの優勝で。 あ、そうそう、何故今回ドイツ料理だっかといえば、言うまでもなくドイツのワールドカップ記念に他ならない。ここでドイツ料理を作らなければいつ作るって話だ。しかし、依然としてドイツ料理の正体はシュヴァルツヴァルトの向こう側にあって見ることができない。私のドイツ料理にシュトルム・ウント・ドランクの波が押し寄せる日は果たして来るのだろうか?
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| 夜鳴きコチドリは21世紀の日本で何を思い鳴く 2006年6月10日(土) |
 Canon EOS 10D+EF75-300mm USM(f4-5.6), f6.3, 1/320s(絞り優先)
夏鳥は冬鳥に比べて撮るのが難しいからまず無理だろうとあきらめていた。確かに野山では新緑以降、茂った葉に視界をさえぎられ、姿を見つけることがぐっと難しくなった。レンズも300mmの暗いものではかなり厳しい。けど、田んぼにも夏鳥はいた。これは気づかなかった。気づいてみれば、田んぼくらい撮りやすいところはない。 アマサギに続いて初対面のコチドリと遭遇。千鳥足でお馴染みのチドリの中で一番小さいからコチドリ。もっとありふれたチドリでもある。私は初めてだったので嬉しかったけど。 夏鳥ということは、こいつも外国から渡ってくる鳥だ。冬場の寒いときはユーラシア大陸の南やインド、アフリカなどで過ごし、春になって暖かくなると北の方へ繁殖のために渡ってくる。日本では北海道から九州までの広い地域で見ることができる。九州ではそのまま冬を越してしまうやつもいるらしい。 シギやチドリというと、海の浅瀬や河口にしかいないと思い込んでいたら、こんな街の田んぼにいたんだ。知らなかった。この場所は何百回も通っているのに、興味と知識がないと見えないものだ。 生息域は、水のそばならどこでもいいようで、海や川はもちろん、ダムの近くや荒れ地などでもくらしていけるらしい。なかなかにたくましいやつだ。
遠くから見るといたって地味な姿をしている。灰色の背と白い腹は、田んぼや河原などでは目立たない。近づいてよく見ると、目の周りが黄色く縁取られていたり、黒いマフラーを巻いていたりして、控え目ながらオシャレさんだったりする。クチバシは黒で、足はオレンジ。冬場は目の黄色も薄くなり、更に地味な装いになる。 オスメスは同色で、細かく見ればオスの方が首巻きも目のアイシャドーも広めというんだけど、そんなものを見分けられても一般の人に向けての自慢のタネにはならない。ヒヨコ見分け名人はすごいと思うけど。 ちょっとしたミニ情報としては、コチドリは110円切手のデザインになっているというのがある。ただしこれも、人に話したところで110円切手なんて使ってる人はめったにいないので、何それと言われておしまいとなる可能性が高い。 日本で見られるチドリは12種類。その中でよく見られるのがコチドリ、シロチドリ、イカルチドリあたりで、コチドリとイカルチドリはよく似ている。黄色いアイリングがはっきり見えたらコチドリでいいと思う。シロチドリは足が黒い。 大きさは15センチくらい。小さいといえば小さいけど、インコのようなサイズではなく、近くで見るとそれなりの存在感はある。 エサは、海辺ならカニやゴカイなど、淡水域ではミミズや昆虫などをとって食べる。 チドリはメスに対するオスの求愛ダンスが有名で、一所懸命踊ってアピールして、メスが受け入れると喜び勇んで背中に飛び乗る。 卵は4、5個。窪地に灰色の石ころのような卵を産んで、オスメスで温め育てる。 ヒナは独立心が強く、生まれて半日くらいでもう自力でエサを探そうとし、ひと月もしないうちに巣立ちする。
千鳥足の由来は、このチドリの歩き方から来ているのだけど、実際のチドリはあんなよろめいたような歩き方はしない。もっと不意打ちのように素早く歩いてエサをとらえる。多少よろめいたようなジグザグ歩きになるのは、普通鳥の足は後ろに一本出ていて支えるようになっているのに、チドリは前に3本しかないためだ。よくそれでバランスが取れるものだ。でも、3本指なので木の枝にとまったりするのは苦手に違いない。というか、できないのかもしれない。 コチドリでもうひとつ有名なのが、擬傷と呼ばれる行動だ。子育ての最中などに外敵が近づいてくると、わざと傷ついたようなフリをして注意を自分に惹きつけて、巣から引き離そうとするのだ。翼をだらりと下げたりバタつかせたりして。そして自分の方に向かってきたら逃げる。なかなかに賢い戦法と言えるだろうけど、不良にカツアゲされそうになったときにこの手が使えるかといえばそれは難しいだろうから、あまりオススメはできない。
コチドリは、夕暮れ時になると、ピーヨ、ピーヨ、ピューピューと、どこかもの悲しげな澄んだ鳴き声で鳴き始める。誰かを呼んでいるのか、それともただ歌うようにさえずっているだけなのか。 その鳴き声は人の心を捉え、万葉集の昔から詠われてきた。柿本人麻呂は、「淡海の海夕浪千鳥汝が鳴けば心もしのに古思ほゆ」と詠い、紀貫之は、「思いかね妹がりゆけば冬の夜の川風寒くちどり鳴くなり」と詠んだ。どちらも悲しげだったり寒々しい感じがするのは、千鳥が何故か冬の季語になっているからだ。 松尾芭蕉も鳴海宿(現在の名古屋市緑区)を訪れたとき、「星崎の闇を見よとや啼く千鳥」と詠った。 ありふれた野鳥にも、人との長い歴史や隠れたドラマがある。だんだんすみづらくなっていく日本によく来てくれていると感謝したい。他にもっと静かに子育てができるところもあるだろうに。私に何ができるわけではないけど、せめて無関心でいないようにしたい。まず一歩目として、関心を持つことから大切にしたいという気持ちが生まれると思うから。
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