 Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f2.8, 1/50s(絞り優先)
今日は七夕。家に帰ってきてから、あっと思い出した。そういえばそうだった。覚えていれば願い事が書かれた短冊の写真でも撮ってきて、七夕のことを書いたのに。でも、もし思い出して、幼稚園の中をこっそり撮っていたら幼稚園生が先生に告げ口して先生が警察に通報して、おい、そこのキミ、何を撮っているんだと後ろから警官に声をかけられて思わず逃げ出して捕まって、今ごろは留置所の中だったかもしれないので、今日が七夕だということを忘れていて幸いだったかもしれない。 ときどき自分が、すごく楽観的なのか、ひどく悲観的なのか分からなくなるときがある。それは、こんな想像をするときだ。 夕食後、あきらめきれない気持ちが残っていて夜空を見上げた。やはり駄目だ。今日の名古屋地方は全面的に曇り空。星も月も見えない。でも、雲ってのは地球の周りにあるだけで、べガとアルタイルには何の関係もないじゃん、再会は宇宙での出来事なんだからさ、と子供の頃から思っていた。年に一回しか会えないから悲しいことなのか、年に一回会えるから嬉しいことなのか、どっちって言いたいんだろう、とも。 そんなわけで、今日は七夕の話ができず。もし、来年までこのブログが続いていたら、来年こそ7月7日は七夕にまつわる写真を撮って、織り姫と彦星の話を書こうと思う。なんとしても通報されるまでに逃げなくては。というか、もっと違うところで撮ろうぜ、私。しかし、世知辛い世の中になったもんだ。
ってことで、今日はタツナミソウにした。深い意味は全然なく、たまたま。 タツナミソウを見るといつも中日の立浪のことを思い出し、梅宮アンナとはホントにつき合ってるのかなと思い、梅宮辰夫の顔が思い浮かぶと同時に誠意大将軍は今日もマダムに宝石を売りつけてるんだろうかと、あらぬ方向に空想が流れる私であった。漢字でも立浪草で、あの立浪と同じというのもその理由だ。 名前の由来は、花の形がザバーンと波立ったように見えるところが来ている。葛飾北斎の浮世絵「富嶽三十六景」の神奈川沖浪裏を思い出す人も多いだろう。私は永谷園のお茶漬け海苔に入っていたカードを思い出した(あれ、どこにしまったかな)。ただ、名前が付けられたのは江戸時代よりずっと前のことなので、北斎の浮世絵から来ているわけではない。 中国では、耳掘草や煙管草と呼ばれているそうだ。なるほど、そういう見方もできる。でも、ネーミングとしてはタツナミソウの方がいい。群生してるところはまだ見たことがないけど、集まって咲いていればそれこそ海が荒れて波が立っているように見えることだろう。けど、こんなに波が立っていたら、立浪というより津波草だ。見ようによっては口を開いたコブラっぽくもある。
自生地は、日本の福島から九州あたりまでと、朝鮮半島、中国、インドシナあたりまで広がっている。寒いところは苦手なようだ。丘陵の草地や土手などに生えていることが多いというけど、私はもう少し湿ったところというイメージが強い。日陰に咲いてるので撮りづらいという印象がある。 ひとくちにタツナミソウといっても、いろんな種類があって見分けが難しい。日本だけで15種類くらいあると言われている。シソバタツナミ、ツクシタツナミソウ、ビロードタツナミソウ、コバノタツナミ、イガタツナミソウ、ヤマジノタツナミソウなど。 写真のものは、ヤマジノかなと思うけど自信はない。見分けるポイントは、葉っぱの色や茎の毛深さ、花の色と模様などなので、次からはそのあたりまでしっかり写真に撮っておこう。 白や黄色のタツナミソウもあるらしいけど、私は見たことがない。
七夕の伝説は、決してロマンチックなものじゃない。元々働き者だった牽牛と織姫は夫婦となったとたんに天の川のほとりで日がな一日ふたりで怠けるようになり、ついには天帝の怒りの買ってしまい、七夕の日以外は引き離されて強制労働の身となっているのだから。そんなもの誰もうらやましくないぞ。夫婦共働きで年に一日しか会えないなんて。私としては、せめてふたりに週1日は休みをあげてくださいとお願いしたい。年間364日労働というのは、ちょっとつらすぎる。吉本じゃないんだから。 私自身の願い事というと、今年もまたない。願い事ってのは、返せる当てのない借金みたいな気がして、ちょっと怖いのだ。天に恩返しできるくらいの人間になれるといいけど、そうじゃないから。 だから、何か書くとしたら、いつもありがとうございますとお礼の言葉を書こう。天と地の関係者のみなさんにはいつもお世話になっていて、充分この世界を楽しませてもらっているから。楽しむことが最大の恩返しなんだとも思う。
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