 Canon EOS 10D+TAMRON 28-300mm XR(f3.5-6.3), f4.0, 1/100s(絞り優先)
踏切待ちで先頭に止まったとき、それはシャッターチャンスを意味する。助手席に置いてあるデジを手に持ち、さりげなくスイッチを入れ、レンズのフタを取る。そして、電車が近づいてくると、窓を降ろし、デジを構え、電車に向けて力の限り連写する。私の力の限りというよりもEOS 10Dの力の限りなんだけど。過ぎゆく電車を見送り、その場限りのにわか鉄っちゃんとなった私は、深い満足感と共にデジを助手席に戻すのだった。踏切を行くとき、すれ違う助手席のドライバーとは目を合わせない。 瀬戸電に乗っていて、踏切待ちの車の座席から写真を撮っている男を見かけたら、それは私である確率がかなり高いと思う。
せとでん、その言葉には、どこか照れくさいような懐かしい響きがある。江ノ島の江ノ電ほどカッコよくも洒落てもないし、現在も通勤通学で使っている人にとってはただの足にすぎないのだろうけど。 瀬戸電が特に好きというわけではない。乗った回数だって10回以下だ。でも、ずっと見てきて、私なりの思い入れはある。田植えが終わって稲が青々としてきた頃、尾張旭あたりで見る瀬戸電は、ああやっぱりいいなと思う。昔から変わらない赤色のボディがいい。 少し前、初めて銀色の電車を見た。あれは何だったのだろう。瀬戸電の線路に銀色の電車というのはすごく違和感があった。あれ以来見てない。 瀬戸電の車両は一種類だと思っていたら、何種類もあることを知る。6000系、6600系、6560系、6750系と。素人目には全部同じに見えるんだけど、並んだ写真をよくよく見ると、確かに微妙に違っている。間違い探しクイズ並みに難しいんだけど。写真のこれは6000系だろうか。
そもそもの始まりは1905年(明治38年)、瀬戸自動鉄道によって矢田−瀬戸間を結ぶ14.6キロの単線だった。このときはまだ電車でさえなく、セルポレー式蒸気原動車なる車両で、こいつがひどいポンコツだったらしい。途中で止まるわ、脱線するわで、今では15分でいく矢田まで絶好調でも1時間半、やや調子が悪いと3時間もかかってしまったという。7時発に乗って会社に着いたら10時なんて、いくらのんびりしていた昔でも相当まいったに違いない。 翌年、これではいけないと電気化して大曽根まで線路を延長。社名も瀬戸電気鉄道と変更して、これが今の瀬戸電の愛称につながっている。 5年後までには堀川まで延長。瀬戸ものを堀川から名古屋港に運んで、そこから世界へ向けて輸出するという名目だったのだが、この頃の堀川はどぶ川と化していて、舟はほとんど使われなくなっており、やや腰砕けの瀬戸電であった。 しかし、このときの路線は非常に画期的なアイディアだった。大曽根から堀川への途中、名古屋城の外堀に線路を作ってしまったのだ。そんなことがよく許されたもんだと今となっては思うけど、堀の底の方を走っていた瀬戸電ってのは見てみたかった。 時は流れて1939年(昭和14年)、名鉄(名古屋鉄道)に買収され、栄乗り入れもなり、今に至る。 現在は、せとものの街尾張瀬戸と名古屋の中心栄町の間、20.5kmを結ぶ通勤、通学電車となっている。地域密着型で、駅は20だから平均1キロにひとつの駅があることになる。それでも、瀬戸や尾張旭から30分ほどで栄まで行けるのだから、沿線に住んでいれば通勤には便利だ。愛知万博のときに乗ったという人もいたかもしれない。 ちょっと面白いのが、途中で追い抜ける駅や線路がないのに、普通列車だけでなく、急行と準急があるということだ。普通との違いは、止まらない駅があるというだけでしかない。だから、急行よりも先に出た普通の方が必ず先に着く。
去年2005年は、瀬戸電誕生100周年と愛・地球博が重なったということで、終点の尾張瀬戸駅に「瀬戸蔵ミュージアム」というのができた。懐かしの古い駅舎が再現されていたり、かつて走っていた古い車両が展示されたりしている。昔走っていて、引退したあと岐阜の谷汲線を走っていたモ754車両という緑色の電車も里帰りしてるという。私も一度見に行きたいと思っている。 私は鉄道ファンではないけど、電車を撮りたいという思いはいつも持っている。駅のホームで、入ってくる電車を待ち構えて人目を気にせず撮りまくるなんてのは無理だけど、どこか小高い場所で、遠くには海なんかが見えたりして、そこをゆっくり走ってくる単線の電車を撮るなんてのは想像しただけで楽しそうだ。 いつか、大井川鐵道のSLも撮ってみたい。メーテルが乗っているなら銀河鉄道999だって乗りたいと思う。
|