現身日和【うつせみびより】
この世界にはたくさんの美しいものや面白いものがあることを知るための毎日であれば、それは楽しくて幸せなこと。
旅するウスバキトンボは今年もまた、ひたすら北を目指す 2006年9月7日(木)
2006年09月08日 (金) | 編集 |
意外と知らないウスバキトンボ

PENTAX SP+Super Takumar 55mm(f1.8)+Kodak ULTRA COLOR 400UC



 日本にアカトンボという名前のトンボはいない。いわゆるアカトンボと呼んでいるのは、たいていアキアカネかナツアカネだ。そんなの常識じゃん、と思ったあなたはすでにトンボの人となっていて一般人から逸脱しているので多少の自覚が必要だと思う。更に、この写真を見て瞬時にアカトンボではなくウスバキトンボと答えてしまった人は、腰のあたりまでトンボ池に浸かり込んでしまっていると言えるだろう。もう、あの頃には戻れない。赤いトンボを見て無邪気に赤とんぼだ、と言っていたあの頃には。
 それにしても、どうしてウスバキトンボ(薄翅黄蜻蛉)はこんなに知られていないのだろう。日本全国のどの場所にもいるありふれたトンボなのに、不自然なほど一般的な知名度が低い。夕焼け小焼けの赤とんぼ〜♪というのも、あれは実はウスバキトンボなんじゃないのか。夕暮れどきに田んぼの上などで夕陽を浴びながらキラキラと飛んでいるやつは、赤とんぼじゃなくてたいていウスバキトンボだ。
 アキアカネの未成熟のやつよりも赤みは弱く、黄色に近いオレンジ色をしてるのが特徴だ。オスもメスもそっくりなので見分けるのは難しい。常に飛び回っていてなかなかとまらないので、とまっている姿を見かけることは少ないかもしれない。とまっているところを見れば、前翅、後翅両方の先っぽに黄色っぽい点(斑紋)があるのが見つかる。これもアキアカネと見分けるポイントのひとつだ(アキアカネは黒っぽい)。
 とまっているといえば、アキアカネたちが水平にとまるのに対して、写真のように必ずぶらさがってとまる。そこにも違いがある。大きさもウスバキトンボの方が1センチくらい大きいので、パッと見でもやや大きい印象を受ける。飛び方もなんとなくフラフラと頼りないような感じで飛ぶから、トンボ観察を続けていると飛んでいる姿で見分けられるようになってくる。

 ここまで読んで、自分は別に赤とんぼや黄色ベッキーとかの区別なんてつけたくないぞ、とあなたは思ったかもしれない。けど、そんな人にはこのトンボのことを好きになるであろう話をぜひしたい。ならないかもしれないけどそれでもしたい。私は訊かれてもいないことを教えたがる教えたがり屋さんだから。
 ウスバキトンボがどんなトンボかといえば、旅するトンボという言葉がぴったりだと思う。それも死出の旅だ。
 世界中の熱帯、温帯地域にすむウスバキトンボたちは、年が明け春が近づいてくると、あるものは南へ、あるものは北へと旅に出る。集団で海を越え、遠くを目指し。
 春3月、日本へとやってきたウスバキトンボの一団はまず鹿児島に上陸する。しかし、海を渡ってきたダメージは深く、翅はボロボロになり力尽きる寸前となっているので、その前に急いで産卵をする。力が余ったものは九州を北上し、別のものは四国へと渡る。それぞれがそこで産卵して力尽きる。
 それからひと月半後、またたく間に成長してヤゴからトンボの成虫になったものが北へと旅を続ける。親の意志を引き継いで。関西には5月、中部には6月、関東には7月くらいに辿りつき、それらはすでに第二世代を超えて第三世代になっていることもある。昔ゲームで「俺の屍を越えてゆけ」というのがあったけど、まさにその世界だ。成虫になっても命はひと月なので、その時間旅をして力尽きる先で産卵して、そこで育ったやつがまた旅を続ける。
 ただ北へ。その意志の源が何なのかは分からない。本能なのか生き残るための戦略なのか、突き動かされる強い力が何かあるのかどうなのか。すべてのウスバキトンボが旅を続けるわけではない。中には生まれた地に居残るものもいる。全員で移動していくわけではないところに、全体としての意志というか戦略めいたものを感じないでもない。
 夏が終わり、秋が始まる9月、ついに彼らは津軽海峡を越えて北海道の南へと上陸を果たす。世代を超えた長いながい旅の終わりが近づく。10月、とうとう最北の地に辿り着いたを彼らを待っているのは、死だ。寒さに極端に弱いウスバキトンボは、北の大地で決して季節を越えることを許されない。成虫も、そこで生んだ卵も、かえったヤゴも、ことごとく寒さに負けて死んでゆく。最後の一匹までも。
 次の年の春、南の島であらたに生まれたウスバキトンボは、またもや北への旅に出る。自分たちを待っている運命を知ってか知らずか。大昔からずっと繰り返されてきて、これからもきっと続いていくに違いない。
 彼らが何をどうしたいのかを知っている人はいない。学者たちはそれらしい理屈を説明しようと試みているけど、成功してるとは言えない。センチメンタルな想像をするなら、彼らはカムチャツカ半島にたどり着くことを夢見ているのかもしれない。その向こうのまだ見ぬ大地のことを。あるいは、地球温暖化によって彼らの願いは叶うことになるだろうか。だとすれば、温暖化も必ずしも悪いことばかりではないなと思ったりもする。

 8月、野山でも郊外でも街中でもたくさん飛んでいるトンボたち。シオカラトンボにオニヤンマ、赤とんぼにイトトンボ。その中には、こんなドラマを持ったウスバキトンボたちもいるのことを少しだけ覚えていて欲しい。北の果てに向かう旅の途中、受け継いだ命と意志を次へつなごうと精一杯生きている彼らのことを。
 そのとききっとあなたの頭の中では石川さゆりの歌声が流れてくるだろう。♪北へ帰る人の群れは誰も無口で〜♪ トンボが舞う8月の風景にはちょっとそぐわないけど、頑張って流して欲しい。暗くてイヤだなというときは、♪北へ〜行こう ランララン〜 北へ〜 おいで急いで〜♪ でも可だ。ただし、この曲を知っているのはごく一部の人間に限られるのでその点が難ではある。
 秋のはじめにこいつを見かけた北海道の人は、旅の疲れをねぎらって、優しく受け入れてやってください。よくぞ南の島から半年以上もかけてここまでたどり着いた、と。
 旅行というのは行って帰ってくることで、旅というのは行って戻らないことだとするならば、ウスバキトンボはまさに旅するトンボだ。旅に生き、旅に死すことは、必ずしも不幸なことではないと私は思う。他のトンボたちよりも多くの風景を見ることができるのだから。
 9月になり、そろそろまた彼らの旅の終わりが近づいてきた。




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