 OLYMPUS E-1+Super Takumar 50mm(f1.4), f1.8, 1/13s(絞り優先)
今日、2006年10月6日は、中秋の名月だった。関東地方は大荒れの天気だったようだけど、名古屋は午後には雨が上がって、夕方には雲が多いながらも月が顔を出した。気象予報士の寺尾くん、また予報はずしたな。 せっかくだから、今日は中秋の名月について書こうと思う。知っているようでよく知らなかったこの行事のことを調べて書いて、心にかかった雲を吹き飛ばそう。いつ誰にどの角度から中秋の名月について訊ねられてもスラスラと答えられるように。私が中秋の名月野郎と呼ばれる日は近い!?
まずは名前についてはっきりさせておこう。中秋というのは、「ちゅうしゅう」だけでなく「なかあき」とも読む。秋の真ん中という意味だ。旧暦では1月から春が始まって、4つの季節に区切るから、7、8、9月の三ヶ月が秋に当たり、その真ん中といううことで8月15日を中秋としたわけだ。 旧暦というのは太陰暦のことで、これは月の満ち欠けによって決められた暦だ。明治6年に今の太陽暦(グレゴリオ暦)を採用するまで日本ではずっと太陰暦が使われていた。まったく月が見えなくなる新月をその月の一日として、約15日で満月になり、また約15日で欠けていくという周期だ。だから、たとえば三日月というのは三日目の月のことで細い月全般の呼び名ではないということになる。満月を十五夜というのもこのためだ。 しかしながら、これはだんだんずれていく。月と地球の公転軌道の関係でいつも15日単位とは限らない。なので、旧暦の8月15日もその年によってかなり違ってくる。今年は10月の6日だったけど、去年は9月の18日だった。さらに、この日が必ずしも満月になるわけではなく、今年の場合は明日10月7日が満月だ。去年は一致していた。来年の中秋の名月は9月25日になる。幅としては、9月7日から10月8日まであるそうだ。 「仲秋の名月」と表記することもあるけど、仲秋は旧暦の8月のことだから、訳すと8月の名月ということになり、8月15日の月を指す言葉ではないことになる。間違いではないにしても、中秋の名月の方が一般的には正しいとされる。
それにしてもなんで年間12回か13回ある満月の中で、旧暦8月15日の中秋の名月だけが特別なんだろう? これにはいくつかの理由があるのだけど、決定的なのは気分なんだろうと思う。勘だけど、きっとそうだ(ホントかよ?)。夏の暑さが終わって、収穫も済んで、やれやれと一息ついたところで夜の涼しい風に吹かれて見る満月はきれいだなぁというのが昔から日本人が感じてきた感覚なんじゃないだろうか。お月見が絶対にこの8月でなけばならないとい理由はない。 ただし、この時期、日本では台風シーズンでもあり、秋の長雨にかかることも多く、はっきり中秋の名月を見られる確率は案外低いんだそうだ。近年の確率では4割程度だという。そういう意味では、見られたら運がいいということで余計に喜びがあったのかもしれない。 中秋の月を観賞するというのは元々中国の風習だったようだ。中国では古くからあった習慣が10世紀頃、遣唐使によって日本に伝えられて、最初は平安貴族の間で行われる行事として定着したのが始まりとされている。花見のような騒がしいものではなく上流社会の風流なものだったのだろう。酒を飲んだにしても、歌を詠んだり、舞いを踊ったりといったものだったに違いない。 それが庶民の間にも広まっていったのは、江戸時代以降のようだ。それが農村地方における収穫の感謝祭のようなものと一体となって、今のようなお月見スタイルがだんだん確立されていったのだろう。 月見団子やススキといったお馴染みのものも、割と最近のものだ。昔はサトイモが一般的だったとか。中国ではダンゴではなく餅なんだとか。輪島功一の家では当然、みたらしダンゴだろう。 ススキというのは、秋の七草であり、身近な植物でもあり、魔よけにもなるようなことが思われていたために採用されたもののようだ。 現在では、ダンゴを食べる習慣さえすたれ気味となっている。私は何を食べようと家の中を探したら、ダンゴに似ているのがマシュマロしかなかったので、それで代用しておいた。
中秋の名月はまだ季節の風物詩として残っているけど、本来セットであったはずの十三夜は、今やすっかり影が薄くなってしまった。昔は、片月見(または片見月)はいけないとされ、旧暦9月13日の十三夜も月を見るのが習わしだった。中秋がサトイモなのに対して十三夜には枝豆や栗を供えることから、「栗名月」とか「後の月」などとも呼ばれている。 両方見なければ何か具体的に悪いことが起きるというのでもないだろうけど、私も見るだけは見ておきたいと思う。今年は11月3日だ。文化の日だから忘れないようにしたい。これを読んだあなたもきっと十三夜の月を見てくださいね。もし見なかったら、月に代わっておしおきよ。 なんでも日本初の公式お月見人は、菅原道真なんだとか。でも、865年といったら道真はまだ20歳そこそこだ。話のネタとしては面白いけど、ちょっと怪しい。909年の醍醐天皇が初という話もある。
満月を見ると、ほとんどいつも中原中也の「湖上」を思い出して、小さくつぶやく私。
ポッカリ月が出ましたら、 舟を浮かべて出掛けませう。 波はヒタヒタ打つでせう、 風も少しはあるでせう。
月は聴き耳立てるでせう、 すこしは降りても来るでせう。 われら接唇する時に 月は頭上にあるでせう。
---けれど漕ぐ手はやめないで。
中秋の名月の日の夜、静かに湖へとボートを漕ぎ出すふたり。虫の音さえ聞こえず、オールが水を打つ音だけが静寂を破る。頭上には白々とした月が光り、だまって漕ぎ続ける男と向かい合う女。 ……想像すると怖すぎる。ロマンチックというよりもミステリーの世界だ。上手くいってないカップルや倦怠期の夫婦にこのシチュエーションは危険すぎる。たとえ仲良しなふたりでも、話は弾まないと思う。むしろボートは漕ぎ出さずに湖に直接浮かんで月を見るならそれはちょっとしてみたい気がする。ただし、この時期は南国じゃないと寒すぎる。 どうやら中秋の名月は、おとなしく家で見ていた方がよさそうだ。老夫婦になったふたりが縁側に坐って静かに月を眺めているなんて光景が、今日日本のどこかにあったとしたら、それはなんて素敵なことだろうと思う。きっとあったと信じたい。
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