 Canon EOS Kiss Digital+TAMRON SP 90mm(f2.8), f3.5, 1/80s(絞り優先)
気がつけば秋。振り向けば夏。遠くからは冬の便りも届き始めた昨今。ふと我に返ると、花の名前の勉強をすっかり怠っていることに気づいた。あ、今寝てた、私? 春まではしっかり季節の歩みについていっていたのに、夏頃から遅れがちになって、秋になる頃にはたくさんの野草が私から遠ざかっていったのだった。一体何をしていたんだ、私は。逃した野草は数知れず。写真に撮らなければ勉強も進まず、知識が増えることもない。 はじめて野に咲く花に興味を持ったのがおととしの秋だった。デジカメを持ってあちこちをふらついていたら、道には自分の知らないたくさんの花が咲いていることに気づいた。写真に撮れば名前が知りたくなる。少し分かるようになると、もっと知りたいという欲が出てくる。あれから季節は2周した。2回季節をなぞれば、野草のことはまるっとお見通しだ! となっていると思ったのに、まるで貧脳のままだ。去年の同じ時期と比べてもほとんど変わってないような気さえする。 なんとかもう一度野草に対しての気持ちを高めて、残り少ないシーズン、少しでも追いかけていきたいと思っている。秋野草は11月くらいまで咲いてるものもあるから。
写真の花は、9月の終わりに海上の森へ行ったとき撮ったものだ。名前が分からないまま放っておいたらひと月も経っていた。今日もう一度調べてみたのだけど、やっぱり分からない。海上の民家の庭先に咲いていたものだから、野草じゃなく園芸種の可能性が高い。そうなるともうほとんどお手上げになる。野草なら「山渓ハンディ図鑑 野に咲く花」にたいてい載っているから調べがつくけど、園芸種は何しろ種類が多すぎて私の持っているポケット図鑑ではまったく補完できていない。ネットでも写真から園芸種の名前を調べるのは難しい。 こんなときはどうすればいいかといえば、ネットに写真を載せるのが一番だ。知ってる人がさっと現れて、通りすがりでも名前を教えてくれたりするから。完全なる他力本願。突然の浄土教への改宗。親鸞さん、よろしく頼みます。
それにしても、名前って何だろう、と思う。名前がなくちゃいけないのか、本当に、と。名前というのは、他と区別するための便宜的な記号だ。基本的にその存在の本質とは関係がない。名前が違っても花の姿に変わりはないのだから。けど、同時に名前は存在そのものだとも言える。 私たちが知らない生物はこの地球に無数に存在している。でも、それらは名前を持っていないということで私たちにとってみれば存在しないのと同じだ。人の場合なら、戸籍も名前も持たない人は、生物としては人に違いなくても社会の中で人でないように。 あるいは、もし自分の目の前に記憶喪失の人が現れて、その人が名前を思い出せないとする。そうすると、私たちは名前がないというだけの理由でその人とのつき合い方に戸惑い、得体の知れない不安を感じるだろう。名無しの人間は存在としては非常に不安定なものだ。だからきっと仮にでも名前をつける。そうすることでそうやくその人の存在が安定して、気持ちが安心する。名前をつけるという行為は、人が自らを安心させるためのものでもあるのだ。花や生き物に対しても同じことが言える。 私たちが目にするすべての野草には名前がある。日本人がつけた日本名があり、学名があり、英名やそれぞれの国の名前がある。別名や、愛称なども。ひとつのものについて名前はひとつではない。それもまた、この世界の本質のひとつだろう。存在というのはそれ自体の存在と、人間にとっての存在の二面性がある。自分の中に存在させるためには、やはり名前というのは必要不可欠なものなのだ。 おととしまでの私は、せいぜい20くらいしか花の名前を言えなかった。桜とかバラとかタンポポとかヒマワリとか。今の私は、たぶん300やそこらは言えるようになっただろう。野草や木の花、園芸種などをあわせれば。それだけこの世界の中で知り合いが増えたということは単純に嬉しい。それまでは雑草だったり、道ばたの花だったりしたものが、自分の中で名前を持った花として認識できるようになった。名前が具体的な関係性を作ってくれたということだ。 花の名前なんて知らなくても生きていく上で何の支障もない。私も30年以上、花の名前を知らなくて困ったこともなかったし、恥をかいたというような経験もない。逆に、花の名前を知るようになって何か得したことがあるかというとこれも特に思い浮かばない。でもやっぱり、知らないよりも知っていた方が面白いのだ。プロ野球を観に行ったとき、選手の名前を知らないより知っていた方が楽しめるように。野草をたくさん知ってると、道を歩くときだって楽しめる。あ、キツネノマゴだとか、イヌタデもよく見るなとか、これはミゾソバでいいんだろうかアキノウナギツカミだろうかとか、これは見たことないぞとか、退屈しない。それを声に出して言っていると、周りからヘンな目で見られるので注意が必要だけど。
主な野草だけでも日本には300種類以上ある。木の花もそれくらいで、園芸種になるともっとたくさんだ。試験があるわけじゃないから、何も全部覚える必要はない。興味を持ち続けていれば、自然と知識は増えていく。写真に撮ったり、こうしてブログに書いたりすれば更に詳しくなれる。 いつかどこかで、何かの野草の名前を知っていたことで決定的にいいことが起きるかもしれない。道ばたで野草の写真を撮っていた美人に花の名前を訊かれて華麗に答えた私に彼女が惚れ込む、なんてことが絶対ないとは言い切れまい。そんな日を夢見つつ、これからも私はせっせと野草の勉強をして、花の名前に詳しい男となろう。野草とあたしとどっちが大事なの! とか言われても挫けたりはしないのだ。 あなたの心に花は咲いていますか?
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