 OLYMPUS E-300+ZD 14-45mm(f3.5-5.6), f4.0, 0.6s(絞り優先/一脚)
文化の日の今日、皇居からお呼びがかからなかった私は、モーニング衣装(平たく言うと朝から着ている寝間着)を着たまま夕方を迎えることとなった。そのときふと大事なことを思い出した。そうだ、今日は十三夜だったと。こうしちゃいられないと、イブニングドレス(くだいて言うと夕方出かけるときの洋服)に着替えた私は、車に乗って月を探しに出かけることにした。 車に乗る前から月はすでに昇っていた。まだ空が暮れきる前に。ただ、普通に月だけ撮っても面白くない。どっかいいところないだろうかと考えて思いついたのが名古屋城だった。祝日ということで道路も妙に空いている。普段なら40分かかるところが20分で着いた。毎日こうだといいのに。 ただ、残念ながら名古屋城と月を撮ることはできなかった。月と名古屋城の角度と位置関係がよくなくて、一緒に入らなかった。その代わり、堀端にある清洲櫓(きよすやぐら)とちょうどいい感じの関係になっていたのでこっちで撮ることにする。堀に映る月と空の月と、両方ぎりぎりおさまった。清洲櫓もライトアップされていて、夜の黒に浮かび上がる白が幻想的だ。
名古屋城御深井丸西北櫓、通称清洲櫓は、清洲城を取りつぶして名古屋城を築城するときに、天守の資材を使って作られたことからそう呼ばれている。そっくりそのまま移したわけではないので、清洲城の天守がこういう形をしていたというわけではない。 当時のこういうリサイクルはちょっと珍しかったんじゃないだろうか。名古屋城築城を命じた徳川家康の指令だったのか、総責任者の加藤清正あたりの知恵だったのか、そのへんの詳しいところまでは分からない(私が知らないだけかもしれない)。 名古屋城は他にも3つの櫓と門が災害や空襲から逃れて生き残っている。これもその中のひとつだ。名古屋城の天守は戦後に再建されたものだからありがたみはないけど、こちらは400年前のものということでずっと価値が高い。国の重要文化財にも指定されていて、普段は非公開になっている(名古屋デザイン博のときには一般公開したらしい)。 清洲櫓は現存する櫓の中で日本最大のものなんだそうだ。もともと櫓というのは矢倉とも表記したように、城の四隅に置いた見張り台の役割を持った建物だった。物見櫓という言葉は馴染み深い。のちに平和になると、武器や食料の貯蔵庫のような役割になっていった。お父さんの書斎がいつの間にか家族の物置になってしまうみたいに。名古屋城の場合は、大阪の豊臣方に対してにらみを利かせるために作られた城だから、最初は戦闘用だったにしても、結局戦で使われることはなかった。アメリカ空軍も、本丸には爆弾を落としても、これがどういう役割の建物か分からなかったのだろう。おかげで21世紀まで生き延びることができた。 北西に位置することから戊亥櫓(いぬいやぐら)とも呼ばる。構造は三層三階で、屋根は入母屋(いりもや)本瓦葺。建設面積は約200平方で、昔の原形をとどめる弘前城や宇和島城なんかの三重天守閣よりも大きい。 名古屋城は、石垣や堀などかなりの部分が築城当時のまま残っているのだけど、なんといっても本丸の大天守を空襲で焼かれたのが痛かった。明治維新のときもどうにか生き延びたのに、残念だ。その名古屋城は現在、2010年の築城400年に向けて様々な復元作戦が行われている。目玉はなんといっても本丸御殿で、その他、北東櫓、本丸多聞櫓なども復元される予定になっている。場内にあった愛知県体育館も移転させるくらいの力の入れようだから、個人的にもけっこう期待している。2010年までは死ねない。
 PENTAX istDS+Super Takumar 50mm(f1.4) 昔の建物も、角度を変えれば現代文明に取り囲まれていることが知れてしまう。スタジオのセットのように。エジプトのピラミッドだって振り向けばマクドナルドだ。私たちは文明に囲まれ、快適さと便利さを享受している。それは幸せなことだ。否定されるべきことではない。遙か昔の人類が見た夢が今実現しているのだから。 一方で文化はどうだろうと考えてみる。文化の日らしく。文化の定義はやや曖昧になるのだけど、学問や芸術、宗教や道徳なんかの人の精神が作り出したものと言えばいいだろうか。こちらの方は文明の進化スピードに比べるとぐんと遅くなっている。人類全体としての平均値は上がってるにしても、歴史上の偉大な哲学者や芸術家を超える人間が今の世の中にどれくらいいるだろうかと考えると、ちょっと寂しい感じになってしまう。 文化を育てるものとは何だろうと考えたとき、それはある種の貧しさなんじゃないかとも思う。飢えや渇きが極限まで達したとき、偉大さに突き抜けるのじゃないだろうか。そういう意味では、現代社会というのは文化が育ちにくい時代なのかもしれない。文化の花が開いた江戸時代中期は幕府からの締め付けがきつかったけど、今はそれもない。自由な分、反発心が生まれないといったこともある。 ただ、一方では、昔のように文化、文化と声高に叫ばなくても多くの人間が文化的な生活を送れるようになったという成熟がある。今は誰も文化住宅に住んでます、なんて言わない。 戦前、11月3日は明治天皇の誕生日ということで、明治節(明治時代は天長節)という祝日だった。戦後、この日に日本国憲法が公布されたことで、明治節から文化の日となった(憲法記念日は憲法が施行された5月3日)。戦後のアメリカの政策で、天皇に関する祝日があっては困るということで文化の日と名前を変えた。なんで文化なのかというと、新しい日本国憲法が平和と文化を尊重する憲法だから、という理屈だそうだ。
最後に十三夜のことを少し。旧暦8月15日の十五夜が中国から輸入した風習だったのに対して、旧暦9月13日の十三夜は日本独自の月見だ。十五夜は曇りになることが多いので、その代わりというのでもないのだけどほとんど曇ることがない特異日の十三夜に、予備日のような形で月見をするようになったとも考えられる。 宇多法皇が少し欠けた十三夜を愛でたことからこの風習が生まれたとも、醍醐天皇のときに開かれた月見の宴が習慣化したとも言われている。庶民の間では、収穫した栗や豆を供えたことから、栗名月や豆名月などとも呼ばれたそうだ。 片月見は縁起悪いとして昔から嫌われていたというのはちょっと分からないけど、理屈はどうあれ縁起が悪いのは好きじゃない私は、しっかり両月見をしておいた。写真も撮ったし、月光浴もしたし、何かいいことがあるかもしれない。
今後どうやって自分の中で文化を育てていくかも課題のひとつとなる。予定としては、まずは文化人と呼ばれるようになってテレビや講演でがっぽり稼ぎ、森繁のようなヨボヨボ演技を身につけた40年後くらいに文化勲章をもらいに皇居まで行きたいと思っている。目標が壮大すぎて何から手をつけていいか分からないけど、追いつけ追い越せ森繁を合い言葉に、とにかく頑張りたいと思う所存であります。
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