 PENTAX istD+Super Takumar 28mm(f3.5), f4.5, 1/40s(絞り優先)
自分の長く伸びた影を見て、ジャイアント馬場よりデカいな確実に、と思う。足の長さだけで5メートルくらいはあった。でも実際そんなに大きかったらイヤだ。もし、身長2メートルとして生まれてしまったら、それは呪いに近い。人生の選択肢が極端に狭くなるということだから。絶対、小学校時代のあだ名がジャイアンとかになってしまうし。もしくは、ジャンボとか。今は亡きジャイアント馬場は、どんな思いで生きていたんだろう。物静かなインテリでいつも本を読んでいたあの人は、私と同じ1月23日生まれだ。愛知県体育館に友達に連れられてプロレスを見に行ったとき、廊下ですれ違った。葉巻をくわえてゆっくり歩いていた馬場におもむろに近づいて二の腕を触り、「うわっ、でら固い!」と小さな叫び声を上げた少年は私です、馬場さん。覚えてるでしょうか。 黄色い太陽の光に染められた枯れ始めの芝生に映る長い影を見て、いよいよ冬の到来を感じた。今日は木枯らしも吹いて寒い一日だった。それもそのはず、暦はもう立冬だ。
 OLYMPUS E-1+Super Takumar 200mm(f4), f5.6, 1/100s(絞り優先) 今日の太陽は不思議な色をしていた。川原全体を黄色く染めて、別の世界に迷い込んだみたいだった。そしてふと思う、この色は指に付いたカールの色だな、と。自転車で走り去る人に向かって、なんとなく、ヘイ、カール! と声をかけたくなったけどもちろんそんなことはしない。 犬の散歩の人たち、自転車青年、サッカー少年、後ろ歩き散歩をするじいさま、写真を撮る私。共通点も接点もないバラバラの人種が一堂に会する川原というステージは、これはこれでひとつの世界を形作っているのだった。公園風景とは違う独特のものが川原風景にはある。その心地よさを最近知った私なのだ。
 帰り道は黄色い夕焼け空の中。シルエットの彼女は、自分が美しい世界の中にいることに気づいていただろうか。 今日ほど黄色かった日は他にちょっと記憶がない。これほど空や街や人が黄色に染まることはそうあるものじゃないだろう。みかんを食べ過ぎてもこんなに黄色くはならない。この黄色がいいねと君が言ったから11月7日は黄色記念日。……パロディが中途半端に古い。 せっかくなので今日は黄色にまつわることを書こうと思いついた。そうなるとやはりイエローキャブの野田社長解任劇についてだろう! となるわけはなく、黄色という色そのものについてちょっと書いてみたい。
好きな色は何ですかと訊かれて黄色と即答する人はあまりいないと思う。黄色いフォルクスワーゲンに乗っている人なんかはかなり黄色好きなんだろうけど、全身黄色い服を着てる人もめったにいない。バブルの頃黄色いボディコンを着ていたお姉さんはいたけど。 大人に対するアンケートでは、黄色はほとんど最下位に近いというのが世界共通なんだそうだ。黄色が好きと大きな声で言うとちょっと変な顔をされることが確かにある。ただ、子供にアンケートをとると、これが意外に黄色は上位に来るのだ。そこから黄色は幼児性を表すと言われることもあるけど、実は心理学的にみると黄色というのはとても複雑なイメージを併せ持っているということになる。 たとえばゴッホ。ゴッホはとにかく黄色が好きで、後期のあらゆる作品に黄色がふんだんに使われている。代表作ひまわりはもちろん、自画像も、種を蒔く人も、麦畑も、アルルの黄色い家も、イメージカラーはすべて黄色だ。星空を描いた星月夜でさえ星が黄色く光っている。自分の家の壁も黄色に塗ってたくらいだからよほど黄色が好きだったのだろう。弟宛の手紙にもいつも、黄色い絵の具がなくなったから送ってくれと書いている。 ゲーテが言ったように、黄色は光に最も近い色だ。光を表そうとしたとき、黄色以外に使う色がない。ちょっと面白いのが、日本の子供の多くが太陽を描くときに赤色を使うのに対して、欧米の子供たちはほとんどが黄色を使うという点だ。もし自分の子供が黄色で太陽を描いたら、お約束としてこう突っ込まねばならない。欧米か! と。精神分裂の患者もまた、黄色で太陽を描くという。 このようなことから、黄色を好む人間の心理的傾向として、明るい世界への憧れと自分に注目を集めたいというある種の甘えと依存があり、と同時に不安や不安定さを心に抱えているといったことが言えるのだろうと思う。あるいは、自分に対する自信や異端ということもありそうだ。黄色というのは強い色だから、目立たないようにしようという人が選ぶ色ではない。たとえば洋服を選ぶときも、何気なく黄色を着てしまうという人は少ないはずだ。黄色を着るには意志が働く。そこにはリスクを背負うという面もある。24時間テレビで募金活動をするときは例外として。黄色を好む人は、良くも悪くも個性が強いと言えるだろう。
国によっても黄色に対するイメージはかなり違っている。一般的に欧米人が黄色を嫌うのは、キリスト教の影響が大きいと言われている。ひとつにはユダが着ていた服が黄色だったからというのがあるんだとか。対するアジアは黄色という色を高貴な色として捉えている国が多い。仏教も、ヒンドゥー教、道教、儒教も黄色は僧侶が身につける色だ。中国では黄色は皇帝の色だった。それが日本にも伝わり、黄色は天皇や皇太子が着る色として禁色(きんじき)とされたこともあった。水戸黄門さんも黄色を着ているし、皇太子さんの結婚の衣裳も黄丹色だった。 日本の黄色という言葉の語源ははっきりしてないようだ。黄金から変化したらしいというのと、単独の色として確立したのは平安時代以降ではないかと言われている。ただ、花にしても何にしても自然界には普通にある色だから、認識はしていたに違いない。別の呼び名だったのか、もっと古くから黄色という言葉はあったのかもしれない。 黄色い花として思い浮かぶのは、ヒマワリに菜の花にタンポポあたりだろうか。黄色といえばキツリフネだろう、という野草好きな人もいるだろうけど、いずれにしても自然界の黄色というのはぐっと優しい感じになる。春のイメージが強く、そんなに自己主張は強くない。それが人工色になると急に強くなってしまうのは不思議と言えば不思議だ。 私はといえば、ここ数年、突然と言っていいほど黄色は好きな色になった。昔は意識的に避けるようなところがあったけど、夏が好きになったと同時期くらいから黄色も好きになったようだ。ただ、まだ上手く黄色というものを日常や自分自身に取り込めてはいない。部屋を見回してみると、自分の意志で持ち込んだ黄色ものというのはほとんどない。唯一クッションカバーだけは黄色だ。西に黄色いものを置くと金運が上がるというのは風水の基本らしいけど、それもしてない。財布はプリマクラッセだから黄色に近い。でも、金がたまる様子はいっこうにない。ダマしたな、Dr.コパ! と八つ当たりしてみる。洋服はアニエスb.の黄色いシャツを買ってはみたものの、やはり黄色というのは強すぎて、自分の気力が相当充実してないと着ていく気になれない。 黄色でもうひとつ思い出すのがレモンだ。レモンといえば梶井基次郎の「檸檬」。丸善に置いて出てきた檸檬が爆発するというイメージが印象に残っている。 人それぞれ、自分の中にいろいろな黄色を持っていると思う。黄色について誰かと熱く語り合った経験がないので詳しいところはよく分からないけど、今後は折に触れ黄色論議も重ねていきたい。すみません、黄色って好きですか? とか突然道行く人に訊ねてみたり。 黄色い風景を見たことから始まった今日の黄色に関する考察が、今後どこかにつながっていくことがあるのかどうか。そういえば、キレンジャーは全身黄色のくせに存在が地味だったな、と子供の頃の記憶がよみがえったところで、そろそろ黄色話を終わりにしようと思う。長々とおつきあいいただきありがとうございました。できましたらモニターに向かって黄色い声援を送ってください。照れた私は幸せの黄色いハンカチで汗をふくでしょう。
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