 OLYMPUS E-1+ZD 14-45mm(f3.5-5.6), f4.5, 1/50s(絞り優先)
世の中には五重塔マニアという人たちがいる。わずかだが確かにいる。まだ会ったことはないが。 五重塔と聞いてまず思い浮かべるのが奈良法隆寺という人も多いだろう。日本最古のもので680年頃建てられたものだと言われている。もちろん、国宝中の国宝だ。あるいは、京都最古(952年)の醍醐寺を思い出す人もいるかもしれない。華やかだった平安時代を象徴するように美しい五重塔だ。五重塔マニアなら屋根をはい登って上から落ちたくくらいだろう。もちろん、国宝なのでそんなことはできない。あらかじめ断っておくと、私は特に五重塔に思い入れがあるわけではない。見れば、わー、立派だなぁと人並みの感想を持つくらいのものだ。ただし、国宝となると突然態度が豹変する。押切もえを見ても別にどうということもないけど、エビちゃんはかわいすぎる〜、と思ってしまうようなものだ(そのたとえはどうなんだ)。 名古屋にも正真正銘ホンモノの五重塔があるのを知っているだろうか。おそらく全国的な知名度はかなり低いと思われる。私自身、おととし初めて知ったくらいだ。名古屋人でも案外知らない人が多いんじゃないだろうか。学校の社会見学や遠足で行くようなところではないから、名古屋に生まれて名古屋に育っても存在自体知らないままで終わってしまうということも充分考えられる。 それは、昭和区八事(やごと)の興正寺(こうしょうじ)にある。名城大学や中京大学があるあたりと言えば、名古屋の人には分かりやすいだろうか。 日泰寺(にったいじ)にも五重塔はあるけど、あれは新しくもあり木造ではない。興正寺のは、市内はもちろん、東海地方で唯一の木造の五重塔だ。なんで名古屋人はもっとこれを自慢しないのだろう。この地方の人間は、京都や東京のものをありたがるように自分のところのものを大事にしようとしないところがある。それはある意味では日本人と外国の関係に似ている。 今回で見るのは3回目ということでやや感動は薄れたものの、やはり明らかな非日常性な存在感に圧倒される。こんなものが名古屋市内の街中にあるというのは不思議だ。近場で修学旅行気分が味わえるシリーズ第3弾は、ホントに近い、名古屋の興正寺を紹介したい。
尾張高野とも呼ばれ、江戸時代には修行と信仰の場となり、明治から大正にかけては行楽地として大変賑わったという。名古屋で「山行き」といえば、それは八事山興正寺へ行くことを指したくらいだった。いち早く鉄道馬車が通り、大勢の人がそれに乗ってこの地に参拝と遊山に訪れたそうだ。現在は、学生街の中に埋もれるような格好となり、往事のような行楽地としての賑わいはない。ただ、毎月5日と13日の縁日にはたくさんの露店が並び、この日ばかりは数万人の人が集まってくるという。 1686年、高野山で修行をした天瑞和尚という僧侶が、親族の勧めでこの地に草庵をたてたのが興正寺の始まりとされている。それから2年後、評判を聞きつけた尾張藩2代目藩主の徳川光友から寺院を建立してよろしいという許可が出たことで、本格的な興正寺建立が始まった。その後、代々の尾張藩に手厚く保護され、次々に伽藍が建ち、大きく広がっていった。その関係で扉などあちこちに葵の御紋が彫られている。
 五重塔が建てられたのは120年も後になってからの1808年だった。第七世真隆和尚が突然思いついたのか、それまでそういう話があって悲願だったのか、そのへんはよく分からない。1800年代といえば江戸時代も後期で、尾張藩にしてもそんなに裕福でなかっただろう。和尚はかなり頑張ってお金を集めたものだ。相当かかったに違いない。 3年がかりで高さ30メートルの立派な五重塔を建てた。華麗さはないものの、江戸時代らしい素木造り(しらきづくり)の味があり、彫刻なども凝っている。 塔の中心柱には大日如来を置き、四方に阿如来、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来が配置されている。
ここは西山(普門院)と東山(遍照院)とに分かれていて、尾張高野というように、かつて東山は修行の場として女人禁制だった。今の能満堂がある裏手あたりに女人門があり、その先は男の園となっていた。それは明治まで続いた。 その一番奥には高さ3.6メートルの大仏(名古屋三大仏の一つ)の大日堂がある。嘘か誠か、大日堂は地下通路で名古屋城とつながっているという話がある。名古屋城は家康が西日本に対する備えとして建てたものだ。興正寺は、名古屋の東南の入口にあたり、軍事的な砦としての役割を担っていたというのだ。昔から名古屋人は地下街が好きだったのかもしれない。 実際、飯田街道との間には堀が掘られ、名古屋城から移築した東山門(黒門)は鉄砲などが撃てるような格子作りになっていたりするから、本気で戦を想定していたフシがある。江戸時代の初期というのは、私たちが思っているほど平和で落ち着いた世の中じゃなかったのだろう。少なくとも、尾張などでは。
 女人禁制廃止後、女人門は五重塔の前に移され、中門となっている。 その他、七観音、観音堂、能満堂などがあり、もちろん、立派な本堂もあるのだけど、ここの場合、完全に主役の座を五重塔に奪われ、本堂の存在感は薄い。
ここのお寺は、すべての宗派を受け入れる総宗派となっている。なんでもありのなんでも来い。 別名、ぽっくり寺。7回お参りすると(?)、ぽっくりいけるらしい。私、もう3回行ってしまったから、あと3回しか行けないということなのか? まだぽっくりいきたくないぞ。 大晦日の除夜の鐘は、先着1,080人がつくことができるそうだ。10人ついて一回とカウントするとか。それは1,080回鐘が鳴るということだろうか。だとしたら、近所の人はおちおち大晦日には寝てられない。それとも、10人が一度につくということなのか。 ここは一応紅葉の名所ということになっている。といっても、塔の周りにモミジが集まっているというわけではないので、紅葉と塔の組み合わせはあまり期待できない。個人的なオススメとしては、空がオレンジや赤に染まったときのシルエットだ。今回は残念ながら染まりが足りなかった。
世の中のたいていのものは新しければ新しいほどありがたいものだけど、神社仏閣に関しては古ければ古いほどありがたみが増す。そういう意味では、ここの五重塔はまだまだ新しい。江戸後期で200年はまだ熟し足りない。本当の風格が出てくるまでにはまだ300年、500年とかかるだろう。 とはいうものの、なんてったって五重塔。奈良や京都まで行かず名古屋で見られるというところに価値がある。まだ見たことのない近所の人はぜひ一度見に行ってみてください。紅葉はもうしばらく先になりそうなので、11月の終わりから12月にかけてがオススメ。 これをきっかけに、世の中にひとりでも五重塔マニアが誕生したら嬉しく思う。全国には思ってる以上にたくさんの五重塔があるから、全国制覇するのも楽しそうだ。古いものだけで22もある。更に1990年代に建てられてるものもあるというから、実は私の知らないところでひそかに五重塔ブームが起こっているのかもしれない。もしかして、五重塔に住んでる人さえもいる? 不便そうだなぁ、五階建ての家。上下の移動が面倒だ。でも楽しそう。5階の屋根の上で、ギターを弾きながら浅田美代子の「赤い風船」を歌いたい。
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