 Canon EOS Kiss Digital N+EF 50mm(f1.8), f3.2, 1/13s(絞り優先)
今日のサンデー料理は、見た目ノーマル、中身小さくツイスト、コンパクトなスイングで右中間突破のツーベース、といった感じに仕上がった。味はパーフェクトやノーヒットノーランとまでは言えないものの、自責点2で完投勝利、ヒーローインタビューでは調子はまずまずでしたと答えられるくらいの出来ではあった。グッジョブ。 ここまでの文章を読んで、やけにカタカナが多いなと気づいたアナタ、ユーはスルドイね、ジャニーズへおいでよ。 料理のことはいったん中断して、今日はカタカナについてちょっと勉強してみたいと思う。すごく唐突だけど、今日はカタカナ気分ナノダ。人間、そういう日もアルネ(無理矢理すぎるだろう)。
カタカナというと、なんとなく外国風の気がしてる人が多くないだろうか。ワタシ、ニホンゴ、ワカリマセーン。などと書くと、説明しなくても外国人がしゃべった言葉として私たちは自然に認識する。はっきりとした法則や決まり事があるわけでもなく、ましてや外国人がカタカナを意識してしゃべっているわけでもないのに。 ひとつには、外来語や外国人の名前を表記するときにカタカナが使われることで、カタカナは外国に属するものだという気がしてしまっているというのがあるだろう。カタカナというのは漢字で書くと片仮名というように、日本人が発明した日本固有の言葉であるということを忘れられがちだ。もしかしたら、カタカナという文字は外国から入ってきた言葉のように思っている人さえいるかもしれない。 カタカナの歴史は、実はひらがなよりもずっと古い。奈良時代、中国から入ってきた漢文の書物や教典を訓読みするために、漢字を簡略化した文字として日本人が発明した。吉備真備(きびのまきび)が作ったという説もあるけど、実際のところはよく分かっていないようだ。漢字がびっちり並んでいるところに漢字で読みを書き込むスペースはない。そこで、分かりやすくて小さい文字でも書けるようにという知恵から生まれたのだった。 片仮名という言葉からも分かるように、片(カタ)は漢字の片方から来てる言葉で、仮名(カナ)というように仮(カリ)の名前(文字)というわけだ。仮ではない本当の文字は漢字ということになる。 たとえば、カタカナのアイウエオは、阿、伊、宇、江、於の簡略文字だ。それぞれどの部分が使われているかだいたい分かるだろう。カタカナはこういう楷書体(かいしょたい)から来ている。 一方のひらがなは、平安時代に入ってから、草書体(くずし漢字)から作られた。ひらがなのあいうえおは、安、以、宇、衣、於の文字が元になっている。最初は女性が和歌や手紙などを書くときに使ったというのは、学校の授業でも出てきたので覚えてる人も多いと思う。 その後、日本語は漢字カタカナ交じりの文章になっていき、それがだんだん漢字ひらがな交じり文へと変化していった。もしかしたら、この先は、漢字ギャル文字交じりが主流になっていったりするのかもしれない。マンモスかなピーけど、それが時代の流れだとしたら従うしかない。
カタカナ語の氾濫が言われて久しい。日本語があるのになんでわざわざ外来語のカタカナを使わなければならないのかと世のオトーさんたちは嘆いている。特にビジネス用語なんてワタシでもチンプンカンプンだ。コンプライアンスとかインセンティブとかイノベーションとかアジェンダとか言われても何のことやら。ただ、モチベーションとかテンションとかアイデンティティーとかはいつの間にかすっかり定着してしまった。 今やカタカナを封印されると、日常会話でもすごく困ったことになってしまう。ハリウッドスターなんかはひらがなで、じょにー・でっぷとか書いても間抜けな感じはしても伝わることは伝わるのでいいとして、食べ物とかを呼べなくなってしまう。カレーライスに当たる日本語はない。今日のランチはカレーにしようかなとか気軽に言えなくなってしまい、今日のお昼は、あのー、ご飯に茶色いのがかかった例のやつを食べにいこうかなどと非常にまだるっこしい言い方になる。コロッケが食べたくなったときは、じゃがいもをつぶして揚げたあれとなり、クリームコロッケなんて説明のしようがない。中身が白いとろっとした揚げ物でとうもろこしの粒が入ってたりするやつ、とかになるだろうか。インターネットの世界などは完全に成り立たない。 というように、カタカナというはもはや日本語には欠かせないものとなっている。カタカナが悪者なのではない。日本語があるものを安易にカタカナにしてしまう姿勢に問題があるだけだ。セレブと言わなくても有名人でいいし、コンセプトなんて使わなくても基本的な概念でいい。 私もこれからはなるべくカタカナを使わずに正しい日本語を使いこなすジェントルマンになりたいと思う。
今日の料理に戻ろう。今回は特に再チャレンジとかそういうことはなく、これまで作ったものの応用に終始した。世の中には無数の料理があるとはいえ、自分が食べたいものと手に入りやすい食材を考え合わせると、個人で作るレパートリーというのはそれほど広がるものではない。 左手前は、白身そぼろの味噌味。 白身をほぐして、味噌、しょう油、酒、みりん、塩、コショウで味付けして、刻んだタマネギとともに炒める。真ん中は焼きジャガイモ。茹でて柔らかくしてスライスしたら、味噌を表面に塗って焼き色を付ける。 右は、野菜の白あえ洋風バージョン。 木綿豆腐を少し茹でてしっかり水切りして、すりつぶしつつ白ごま、白みそ、みりん、酒、酢、砂糖を混ぜ合わせる。本来は砂糖をたくさん入れて甘くするところを、それはやめて、酢とマヨネーズとカラシを使った。こういう味付けの方が普通に美味しいと思う。具はダイコンスティック、アスパラ、まいたけ。この辺はお好みで。 奥は白菜のクリーム包みカニスープ掛け。 小麦粉、バター、牛乳でクリームソースを作って、かるくゆがいた白菜で包んで蒸す。カニ缶半分をクリームソースに混ぜ、半分は水、白ワイン、コンソメの素、塩、コショウ、水溶きカタクリ粉であんを作ってかける。
今日は料理のことよりもカタカナの勉強サンデーとなった。料理自体は、特にカタカナっぽいというわけではない。洋風とも和風ともつかない、とても日本の家庭料理っぽいものとなった。ある意味では漢字ひらがなカタカナ交じりと言えなくもないか。 カタカナといえば、そういえば私、自分の名前をネットではカタカナで書いていることを思い出した。おおたでは軽いからオオタとしてる。別に深い意味はない。浪速のモーツァルト、キダ・タローに憧れているからでもない。今さら改名しないとアンタ地獄に堕ちわよるとか言われても困ってしまうし、このままいこうと思う。オダギリジョーくらいカッコいいイメージになるといいな。いや、もちろん、似ても似つきません。
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