現身日和【うつせみびより】
この世界にはたくさんの美しいものや面白いものがあることを知るための毎日であれば、それは楽しくて幸せなこと。
盗難除けの雲興寺に縁結びのお願いをしても筋違い 2006年12月4日(月)
2006年12月05日 (火) | 編集 |
雲興寺前

OLYMPUS E-1+ZD 14-45mm(f3.5-5.6), f4.5, 1/50s(絞り優先)



 ここは瀬戸の雲興寺(うんこうじ)。一般的にはかなりマイナーな存在だ。ただ、ここら一体でウォーキングや低山ハイクをしてる人たちには馴染みのある場所だと思う。境内が東海自然歩道の一部になっていて、ここから東に行けば猿投山(さなげやま)、西に行けば岩屋堂と、歩きの中間地点のようになっているから。ここを待ち合わせ場所や出発点としてる人もいるだろう。駐車場が広くて、とめるところには困らないし、トイレもある。ただし、公共交通機関の便は致命的に悪い。土、日祝日に一日一往復のみ。午前中瀬戸駅から出たバスはここに客を降ろして戻っていき、それっきり5時間ほど戻ってこない。こんなところにポツンと取り残されて5時間も何をすればいいというのか。逆に、岩屋堂などを往復したとして、5時間で戻ってこられなかった場合、どうすればいいのか途方に暮れてしまう。素直にタクシーを呼んだ方がいいだろう。
 そんな雲興寺も、紅葉の時期になるとちょっとした賑わいを見せる。すごく紅葉が素晴らしいというほどでもないのだけど、参道や境内の紅葉はまずまず見るものがある。私も小原村へ行くとき、少しだけ立ち寄った。ここを訪れるのは3回目なので、お馴染みの場所ではある。

雲興寺本堂

 本堂の前に出て、まず目に付くのは屋根だ。ん? なんだ、これ? と最初は違和感を覚える。お寺らしくない瓦だ。瀬戸は昔から瀬戸物の街ということで、この瓦は釉薬(うわぐすり/ゆうやく)をかけた瀬戸焼でできているのだ。それでこんな変わった風合いになっているのか。なかなか風情があっていい。色合いとしては、沖縄の民家をちょっと思い出させる。
 釉薬というのは、長石(ちょうせき)という天然石を粉にしたものに、石炭や木炭なんかを混ぜてたもので、これを塗ることで表面にツヤを付けたり、いろいろな色を出したりする。水が染みないようにする効果もある。何を混ぜればどんな色やツヤが出るかは陶芸家の知識と経験次第。よくテレビドラマなんかで焼き上がった陶器を地面にたたきつけて割ってるけど、あれは何かが気に入らないのだろう。秘密の釉薬を盗んだ盗まないでモメたりなんてこともあるのかもしれない。それで殺人事件にまでなった、という推理小説を読んだことがある。浅見光彦シリーズだったか。実際にそこまで命がけのものなのかどうなのかは分からない。

 今でこそ知名度の低い寺となってしまった大龍山雲興寺も、本来は歴史と由緒のあるお寺だった。開山は1384年というから、600年以上も前、曹洞宗の天鷹和尚によって創建された。足利義輝から織田信長、豊臣秀吉、徳川家康もこの寺を大事にしたという。幕末には寺領300石になっていたらしい。といっても、寺領300石というのがどの程度すごいことなのか、私にはまったくイメージできない。おまえには寺領300石を与える、と御館様に言われたとしても、ははぁー、ありがたき幸せとひれ伏したとしても、いまひとつありがたみはわかない。
 本尊は釈迦牟尼如来。そしてなんといってもここの一番の特徴は、盗難除けのお寺だということだ。ドロボウに遭わないことを御利益として前面に押し出しているところは珍しいじゃないだろうか。確かにドロボウはできれば避けたいところだけど、それだけをお願いに行くということはあまり考えられない。セコムしてますか? というチョーさんの元気だったときの笑顔が脳裏をかすめる。
 近所で暴れ回っていた夜叉に和尚が説教したら悔い改めて、これからはここの守り神になると言って性空山神(しょうくうさんしん)となったのだという。山門の前には「盗難除性窯神」と彫られた石碑が建っている。
 夜叉改心日が4月25日だったとかで、毎年4月の24、25日は御性空祭りが開催されている。この日ばかりは大勢の人が訪れて、バスもピストン輸送してるはずなので(願望)、たぶん大丈夫だと思う。

 泥棒といえば、西の石川五右衛門と東の鼠小僧次郎吉が双璧として有名だろう。どちらも歌舞伎や戯曲、小説などで有名だから、架空の人物と思っている人もいるかもしれないけど、両方とも実在した人物だ。共通点としては、どちらも最後は捕まって処刑されているというのがある。同じ37歳のときに。違う点としては、まず時代が違う。石川五右衛門は安土桃山時代で、鼠小僧次郎吉は江戸時代末期だ。
 石川五右衛門は天下の大泥棒という豪快なイメージが強い。一説によると2メートル10センチもあったという説がある。ノブコフ205よりデカいではないか。
 忍者百地三太夫の弟子になり、その奥さんとデキてしまって駆け落ちして、その女も殺して金を奪って京都へ逃げ込むことになる。その金も使い果たしてしまい、習い覚えた忍術をニンニンと使って散々盗みを働いて、石田三成の屋敷からもあれこれかっぱらった。だんだんエスカレートして、しまいには伏見城に忍び込んで、秀吉のお宝「千鳥の香炉」を盗み出そうとして失敗(秀吉の命を狙っていたという話もある)。秀吉の前に引き出されたとき、「てめえこそ天下を盗んだ大泥棒じゃねえか」と言ったとかなんとか。どこまでホントか、全部ウソか、実際のところは分からない。
 最後に捕まったときは、なんでそんなに盗むばかり働くのだという尋問に対して、配下のものを養うためと答えたらしい。その頃までには泥棒の棟梁のようになっていて、手下の者も数十人からいた。
 三条河原での公開処刑は、釜ゆでというより、煮立った油の中に入れられたそうだ。天ぷらの気持ちを一瞬でも味わったことがある人間はそうはいない。
「石川や 濱の真砂は尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」という辞世の句も、やはり後年の作り話なんだろうか。
 歌舞伎などでは、京都の南禅寺山門に立って、
「絶景かな、絶景かな。春の眺めは値千金とはちいせえ、ちいせえ〜」という決めのシーンは有名だ。

 一方の鼠小僧次郎吉は背も小さく、スケールも案外小さい。何しろ鼠だし、小僧だ。泥棒になったきっかけは、バクチで負けて大借金を作ったからというありがちなものだった。鳶職人(または建具職人)だったらしい。
 大名屋敷を専門にしていたのは、警戒の厳しい町家を避けただけで、別に庶民に金をばらまくためではない。もちろん、ばらまいてもいない。稼いだ金はまたバクチや女にすっかり使ってしまう。大名屋敷の場合は、盗まれたことが分かっても恥だったりいろいろ面倒なことになることを恐れて届け出なかったということもあった。被害届が出てないんだから、捕まえても咎めることができない。
 鼠小僧がのちに義賊のようになったのは、ひとり働きだったのと、盗みはしても人を傷つけたりしなかったことからだ。何事にも連帯責任が基本だったこの時代にもかかわらず、処刑されたときも一族郎党家族のつながりがなくて、ひとりきりだった。
 最後は屋敷に忍び込んだところを現行犯逮捕。被害届は出てないものの、白状させたところによると、盗みに入った回数は400回以上。現在のお金に換算すると10億円以上をいただいていたというからすごい。これだけ使い切ったのもすごいけど。最後は鈴ヶ森の刑場で磔にされた。
 墓は両国の回向院にあって、いつからかその墓石を削り取って持っているとバクチに負けないとか受験に合格するとかのウワサが流れて、今では丸い形になっているという。

雲興寺境内紅葉

 盗難除けの御利益がある雲興寺を誰にオススメしようかと考えたとき、そうだ、あの人しかいないと思いついたのが、カツノリだ。生涯盗塁阻止率0.89。10回走られて1回刺せるかどうか。そんな塁を盗まれっぱなしのカツノリには現役時代にここの存在を知らせてあげたかった。
 私自身はあまりものを盗まれた経験がないのだけど、大学のときスクーターのホンダDJ・1を盗まれたのは痛かった。あと、ワンダーシビックで車上荒らしに遭ったこともある。何故かテニスラケットとか、私のカセットテープコレクションとかが持っていかれていたのだけど、あれはなんだったんだろう。カーステとかも付いていたのに。私のファンが持っていたのかもしれない(誰だよ、それ)。
 何にしても、私のものを盗んでいくのはやめて欲しい。でも、私のハートを盗んでくれる人は狭く募集してます。




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