現身日和【うつせみびより】
この世界にはたくさんの美しいものや面白いものがあることを知るための毎日であれば、それは楽しくて幸せなこと。
風の強い天白公園大根池で遠すぎるカモたちに届かない300mm
2007年01月13日 (土) | 編集 |
天白公園の大根池

OLYMPUS E-1+SIGMA 18-50mm DC(f3.5-5.6), f6.3, 1/100s(絞り優先)



 ここは天白公園の中にある大根池。個人的にはカモスポットとして認識されている場所だ。去年初めて訪れたとき、数百羽のカモが浮かんでいて感動した。うわー、カモだらけじゃん、と。けど、今年行ってみると妙に数が少ない。ざっと見た感じ百羽いるかどうか。50羽くらいだったかもしれない。たまたまタイミングが悪かったのか、それとも今年は飛来数が少なかったのか。大がかりな改修工事をして、一度水を抜いて底をすくったそうだから、その影響も少なからずあるのだろう。いずれにしてもちょっと寂しかった。
 ここは確かにカモがたくさんいていいところなのだけど、岸辺からカモまでが遠いという致命的な欠点がある。E-1に300mmのTakumarを付けて600mm換算で迫ってみても、カモまでの距離はあまりにも遠かった。昔、中日球場のさだまさしコンサートで見たまっさんと同じくらいに。
 この日は風が強くて野鳥撮りには向かない条件だった。水面が波立っているのが写真でも分かると思う。この場にぬっくんがいたら、残った髪の毛を全部持っていかれたことだろう。池で野鳥を撮るときは、風も強敵になるということもあらためて知ったのだった。それにしても冬の水辺は寒い。

 天白公園は天白区の中央に位置している。広い芝生広場と雑木林の散策路と大根池があって、遊具も充実しているから、デートには向かないけど、子供が遊ぶのにもいいし、大人が散歩をするのにもいろんなコースが選べる。犬の散歩の人も多く、私のように池のカモ写真を撮ったり、たくさんいる野良猫にエサをあげるといった楽しみもある。バーベキュー場もあるようだ。駐車場も100台以上のスペースがあって、当然無料。夜まで開いてるというのもいい。
 公園に隣接する形で、てんぱくプレーパークというものもある。これは全国でも珍しい地域住民が作った子供の遊び場で、昭和の頃にあった遊び場としての空き地のようなものだ。そんなものを大人が作ったら空き地ではないじゃないかと思うかもしれないけど、今は子供が自由に入って遊べる空き地なんてものはほとんどなくなってしまったから、こういうものを大人が提供するのはある意味では仕方がないことなのかもしれない。

オナガ三潜隊
OLYMPUS E-1+Super Takumar 300mm(f4.0)

 変わった鳥だなぁと思った人もいるだろうか。これはオナガガモの食事風景で、見えてるのは尻の方で頭じゃない。水中で逆立ちをしたような格好になっているところだ。ちょっとタケノコっぽい。淡水ガモは潜水できないので、こんなふうに顔から水中に突っ込んで、水草や植物の種なんかを食べる。ただ、このあたりは水深があるところなので、もっと別のものを食べていたのかもしれない。
 こういう池で彼らの食べるものはたくさんあるんだろうか。いつもどれくらいおなかを減らしているのだろう。人からもらう食パンは旨いなぁとか思ってるのかな。鳥の人ではない私には、まだまだ彼らの心の内はうかがい知れないのであった。

ホシハジロのメス

 なんとなく見慣れないやつがいて気になった。メスだとは思うんだけど、きみは誰ですか? マガモのオスにくっついて泳いでたけど、明らかにマガモではない。体のサイズも小さい。家に帰って調べてみたら、ホシハジロのメスだった。カモ検定3級の私にとって、単独でいるメスを見分けるのはとても難しい。もっと勉強して、早くカモ検定1級を取りたいと思っている(カモ検定は実在しません)。

 ホシハジロのオスは、ヒドリガモとよく似ていて、遠くにいるところを肉眼で見るとどっちか分からないことが多い。どちらも頭から首にかけては赤褐色をしているのだけど、ホシハジロの方は胸は黒くて背中は灰白色をしている。
 名前を漢字で書くと星羽白となる。これは背中に星のような黒い斑点があるところから来ているというのだけど、そんなものちっとも見えやしない。これはネーミング失敗だと思う。三色ガモとでもした方がよほど分かりやすい。
 メスは焦げ茶っぽい頭と、目の周りの白いふちどりが特徴だ。オスの目が赤く血走ってるのに対して、メスは優しい黒い目をしている。
 体長は45センチくらいで、カモの中では中間的な大きさだ。
 こいつは海ガモで潜水が得意なので、潜ってエサをとる。ただ、海にはほとんど行かず、池などで植物性のものや、小魚や甲殻類などの動物系のものを両方食べる。3メートルほど潜れるらしい。
 夏場はユーラシア大陸で過ごし、冬になると南の日本になどに渡ってくる。
 あまり大きな群れは作らず、他の群れに混ぜてもらっていることが多い。いる場所に偏りがあって、たくさんいるところとほとんどいないところに分かれる。

 大根池周辺は他にも、バン、カワセミ、ヨシゴイ、サギ類、キビタキ、センダイムシクイなどがいるそうだ。オオルリもいるらしいから、ぜひ一度見てみたい。
 しかし、ここへ鳥撮りに訪れるなら、かなりの装備が必要となる。カモたちは池の中央付近に固まっていて距離が遠いから、300mm望遠レンズの450mm換算程度ではさっぱり届かない。岸辺にいる連中も近づくと逃げていくから、人にも慣れていないらしい。天白区の鳥撮りなら、天白川がいいと思う。川の方がカモとの距離がぐぐっと近いから。
 私もそろそろ2007年鳥撮りを本格的に始動しようと思う。この冬シーズンの目標は、まだ撮ったことがないカモを3種類撮ること、というのにしよう。あと、図鑑を見なくてもだいたいのものは区別できるようにもなりたい。それから、毎日出かけるときは首から双眼鏡をぶら下げるスタイルができるようになるかどうかの模索、というのもひとつのテーマとなる。森や公園で首から双眼鏡というスタイルは、言うなればアキバで紙袋を下げたりリュックを背負ってるのと同じような意味を持つ。ひと目でソレと知れてしまう格好。鳥の人となるには、乗り越えなくてはならない試練がたくさんある。最終的には、親子連れで賑わう日曜日の公園で、ほふく前進ができるようになるところまでいけば本物だ。果たしてそこまでいってしまっていいのかどうかは私自身大いに疑問だけど。
 まずは自衛隊パブへ行って鍛え直すか。


名古屋人の心の片隅にひっそり咲いている金鯱を踏まないで
2007年01月13日 (土) | 編集 |
金鯱レプリカ

PENTAX istDS+TAMRON 28-200mm XR(f3.8-5.6), f5.0, 1/400s(絞り優先)



 名古屋を歩けば金シャチに当たる。そんなことわざが成立してもおかしくないほど名古屋には金シャチがあふれている。お城の屋根の上だけにとどまらず、名古屋市職員は鯱のマークのバッジを胸につけ、交通局や消防署には鯱のキャラクターがいる。マンホールは鯱の絵が描かれ、自衛隊の戦車にも鯱が描かれるという思い入れの強さ。どんだけ鯱が好きなんだと、名古屋人からもツッコミが入るほどだ。シャチハタなど鯱にちなんだ名前の会社などもたくさんあり、サッカー名古屋グランパスエイトのグランパスも鯱という意味だ。戦前はプロ野球球団の名古屋金鯱軍もあった。
 そんな中、もっとも象徴的とも言える金シャチが、かつて名古屋港にいた、金シャチの姿をした「金鯱号(きんこごう)」だ。その存在のあまりのシュールさに、名古屋人も環境客も乗ることに二の足を踏んだという伝説の遊覧船。とうとう廃船の憂き目を見ることになってしまったのは2000年のことだった。一度は目をつぶってでも乗りたいと思っていたのに残念だ。しかし、悲しむなかれ、あれから金鯱号は韓国に渡って余生を過ごしているのだという。韓国の南、羅老島(ナロド)というところで観光船をやっているらしい。なんでも個人所有で、今は金魚号とかいう名前になっているとか。地元の人にはタイ焼きみたいと言われているらしい。けど、韓国で乗る金鯱号ってどうなんだろうと思う。ちょっと違うんじゃないだろうか。個人的には、名古屋城のお堀に小型の金鯱号を運行させればいいと思う。イタリア村のゴンドラがあんなに人気なのだ、名古屋城の金鯱号だって人気爆発間違いなし。ホントにやらないかな。
 お菓子関連も当然たくさんある。金鯱モナカとかサブレとかまんじゅうとかあれやこれやが。一番のおすすめは、JR名古屋駅地下街のカフェ「黐木(もちのき)」の「シャチボン」だ。金鯱の姿をした巨大なシュークリームで、そのインパクトの強さからかなりの人気になっているという。1個340円で1日80個限定なので、なかなかお目にかかれない。予約すれば食べられるのだろうか。一度食べてみたいと私も思っている。
 愛・地球博が愛知万博ではなく名古屋万博だったとしたら、間違いなくメインキャラクターは鯱にちなんだものとなっていただろう。モリゾーとキッコロは、シャゾーとチッコロとかになっていたかもしれない。愛知万博でよかった。

 2005年、万博の年に、愛・地球博と連動する形で「新世紀名古屋城博」というのが開かれた。戦後の名古屋城が築城され以来、初めて金鯱は屋根から降ろされ、それを触れるということで大変な話題になった。期間中の週末は、お触り待ちの長蛇の列ができて触るのに2時間、3時間もかかったという。名古屋中をパレードまでした。名古屋の人たちは、それはもう大喜びさ。たぶん、その熱狂ぶりは県外までは伝わってなかったと思うけど。
 それ以前に金鯱は一度だけ海外に渡ったことがある。当時まだ本物の国宝だった時代の明治4年(1871年)に、いったん東京の宮内省に納められて博覧会を回った後、明治6年(1873年)にウィーン万国博覧会に出品されたのだった。そのときはヨーロッパでも大評判になったんだとか。天守閣に戻ったのは明治12年というから、8年も不在だったことがあったのか。今回は半年間だったけど、金鯱のいない名古屋城はなんとも間が抜けていて脱力感を誘うものだった。

 金鯱は3つの読み方がある。「きんしゃち」、「きんのしゃちほこ」、「きんこ」と。少し混乱があるのだけど、シャチというと海のギャングと呼ばれる実在の生き物で、「しゃちほこ」というとこれは魚の形をして虎の頭を持つ想像上の生き物ということになる。当然城の屋根に乗っているのはシャチホコの方であってシャチではない。だから、私もシャチホコと書いた方がいいのかもしれない。
 シャチホコは、中国の伝説の海獣「鴟尾(シビ)」が変形したものだと言われている。火が起きると口から水を出して消すという言い伝えがあり、そこから守り神として天守などに置かれるようになった。日本では飛鳥、奈良時代からシャチホコが登場したという。
 城の天守閣にシャチホコを最初に載せたのは織田信長だった。安土城に載せたのは、守り神というだけでなく威光を示すためでもあっただろう。ただ、それはまだ目やウロコだけが金という姿で、初めて全身を黄金にしたのは豊臣秀吉の大阪城だった。金ピカ趣味の秀吉らしい。伏見状にも当初は金鯱が載っていた。倹約家のイメージ強い徳川家康さえも黄金の金鯱を江戸城に置いたところを見ると、やはりこの地方の人間は金鯱を置かずにはいられない何かがあったのだろうか。
 しかし、火から守るはずの金鯱たちは、ことごとく燃えてしまい、江戸時代の中頃までには名古屋城にのみ残るだけとなっていた。

 名古屋城築城当時の金鯱は、それはもう素晴らしいものだった。慶長大判1,940枚を引き延ばして作られた金鯱は、現在の価値に換算すると金だけで一体4億円ほどになる。18金メッキとは明らかに違う黄金の輝きを放っていたことだろう。
 しかし、尾張藩の財政難に伴い、3度改鋳されている。純度の低い金に替えられ、銅や鉛が混ぜられ、最後はたくさんの銀を混ぜて薄塗りになったことで輝きは鈍った。それを知られるのをふせぐために、鳥除けと称して金網が張れていたのだった。ウロコが強風で吹き飛ばされるほどだったというから、明治の頃にはかなりボロボロだったのだろう。金網を張る前は鳥の巣になっていたそうだ。
 そんな金鯱だけど、やはり魅力的には違いない。一般庶民だけでなくドロボウさんたちにとっても。一番有名な話が、柿木金助の大凧伝説だ。風の強い日に自らを大凧にくくりつけて名古屋城の屋根に降り立ち、ウロコ3枚を盗んだという。ただしこれは芝居で上演されたときの話で、実際は土蔵に押し入って舟で逃げたらしい。結果的には捕まって、名古屋の町を引き回しのうえ、はりつけの刑に処せられている。
 その他、明治に入ってからもいくつかの盗難事件が起こっている。陸軍の兵隊がウロコ3枚盗んで見つかって銃殺にされたり、懲役刑になったりしている。昭和(12年)に入ってからも、調査中のウロコ58枚が盗まれて名古屋市長が責任を取って辞任したりしている。たかがシャチホコじゃないかと思うかもしれないけど、国宝ドロボウと考えれば当然罪は重くなる。昭和の盗難も、売ろうとして足がついて捕まって、懲役10年になった。
 昭和20年の終戦の年、金鯱はB29が投下した焼夷弾によって天守閣と共に消えた。見たこともないような色とりどりの火と黒煙を上げながら焼け落ちたという。焼け残った金からは、ミニサイズ(1/20)の金鯱と金の茶釜が作られている。
 昭和34年、天守閣の再建の後、市民の強い希望で金鯱も再現されることとなった。使用された金は88キロ。檜の芯木に鉛板を張って、その上から銅板で被い、18金のウロコを張り付けてある。大阪造幣局の地下で作られたそうだ。
 金鯱にはオスとメスがいるというのは割と有名な話だ。北がオスで、南がメス。大きさや重量、ウロコの数や姿も微妙に違っている。写真を見て瞬時にオスメスを見分けられたらホンモノの名古屋っ子と言えるだろう。私はニセモノの名古屋人なので区別はつかない。

名古屋城おみやげ

 名古屋城展望台のおみやげ売り場も、シャチホコと金ピカグッズにまみれている。これほど金ピカ度の高いおみやでコーナーというのも全国でもあまりないんじゃないだろうか。金シャチの金とシャチを勝手に分離して金までおみやげにしてしまおうという作戦だ。金鯱キーホルダー、金鯱ストラップ、金鯱ピンバッジ、金鯱ネックレス。もちろん、そのものずばりの金鯱のミニチュアや、名古屋城のミニチュアも各種取り揃えてある。ここまで統一感を持たせてあれば、もう何も言えなくなる。ただただ金鯱に圧倒されるばかりだ。名古屋人はそんなに金ピカ趣味とかではないのだけど。
 実際のところ、名古屋っ子にとって金鯱とはどんな存在かといえば、県外の人が思うほど親しみのあるものではない。普通の人にはまったく無縁のものだ。名古屋の女子高生がみんな金鯱ストラップをじゃらじゃらさせているとかそういうことはない。もしひとつでもつけていようものならクラス中の物笑いのタネになりかねない。ある意味では地雷的な存在とも言える。けど、よその人に金鯱のことを悪く言われることを名古屋人は好まない。自分たちで悪口を言うのはいいのだ、でも他人に言われたくないっていう屈折したところがあるのが名古屋人にはある。これは日本人と外国人の関係性に似ている。
 私も金鯱にまつわるものは何も持っていない。部屋を見渡しても、ミニチュア金鯱も置いてないし、壁に名古屋城のペナントも貼ってない。金鯱マーク入りの木刀を枕元に置いてるなんてこともない。そういえば金鯱のおみやげ類も食べた記憶がない。それくらい縁遠いものなのだ。でも、嫌いなわけじゃない。金鯱がいない名古屋城を見るたびに、自分ってけっこう金鯱大事に思ったんだと気づいた。なくして初めて気づく大切さ、ごめんよ、金鯱くん。これからはもっと金鯱のいいところをみんなに伝えていくよ。いつかお金持ちになって豪邸を建てることになったら、屋根には金鯱を載せよう。




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