 OLYMPUS E-1+Super Takumar 300mm(f4), f5.6, 1/200s(絞り優先)
生まれ育った街の中で変わらないものはないけれど、その中で河原風景というのはあまり変わってない気がする。土手がコンクリートになったり、河原が芝になったりはしたけれど、街中ほど大きくは変わっていない。 河原というのは一番手軽に自然に近づける場所だ。水があり、流れがあり、生き物がいて、空が広い。ビルにさえぎられて狭くなった空も、河原に行けばまだ残っている。だから私は、どこか行きたいと思って時間が少ししかないときはよく河原へ行く。そこには誰かしらいて、何かしら撮るものがあり、少しだけ心がクリアになる。冬の川風は冷たいけど、渡ってきたカモたちが出迎えてくれる。 川は中学生の遊び場でもあった。釣りをしたり、石を投げたり、ただ意味もなく集まったり。最近はそういう光景もあまり見かけなくなってちょっと寂しい思いをしていたら、久しぶりに写真の風景に出会えた。なんだか懐かしい。80年代の青春ドラマの一場面のようだった。今の彼らが自分たちが風景の一部としてどういう役割を演じているかの自覚はないだろうけど、10年、20年経って同じような光景を見たとき、きっと私と同じようなことを感じるのだと思う。
 河原で一番多いのがカモで、二番目が犬の散歩の人、三番目が散歩やジョガーで、カップルもわずかにいる。写真を撮ってる人間はまずいない。かつて一度だけ一眼を持った女の人を見たことがあったけど、後にも先にもその人ひとりしか私は出会ってない。彼女は何を撮っていたのだろう。 河原へカメラを持っていくときは、望遠がはずせない。空を撮るための広角と望遠がいい。遠くの人たちを撮るために。鳥以外にも河原にはいい被写体が多いのだ。カップルや親子連れの自然な姿は絵になる。 個人的な希望としては、夕陽に向かって三味線をかき鳴らしてる人を撮りたいと思っている。もし、河原で三味線を弾くときは私に知らせてください。遠くから望遠で撮りますから。
 高校の頃、河原で友達とよくゴルフをしていた。日曜日や夏休みなどに。今ではゴルフ禁止の看板も目にするようになったけど、当時はもっと大らかだった。友達がドライバーでフルスイングしたら大きく右にカーブして民家の窓に消えたもの今となってはいい思い出だ(思い出にしていいのか?)。 思えば私はよく河原で過ごしていたことに気づく。大学生になってからすっかり行かなくなって、忘れかけていた。ここ数年、写真を撮りに行くまでは。また最近河原のよさを見直している。
 ベルベットの夕焼け空。太陽が沈んで、空がオレンジに染まったあと日が暮れると、河原で撮るべきものはなくなる。もう帰ろう。また来るよと約束を残して。 河原には何かがあるというわけではない。何もないと言えば何もない。でも、だからいいとも言える。日常から半歩のところに川は流れていて、大きく踏み出すまでもなくすぐそこにある。普段目にしていて実はちゃんと見てないのが街の川だ。上から見下ろすだけでは見えないものもある。河原まで降りていって初めて見える世界が。 ちょっと降りてきて、一緒に川の冷たい風に吹かれてみませんか? 望遠レンズで一緒に河原世界を撮りましょう。
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