現身日和【うつせみびより】
この世界にはたくさんの美しいものや面白いものがあることを知るための毎日であれば、それは楽しくて幸せなこと。
カメラを持った観光客として見えた神楽坂の今昔ストーリー
2007年02月28日 (水) | 編集 |
神楽通り

PENTAX istDS+TAMRON 28-200mm XR(f3.8-5.6), f5.6, 1/250s(絞り優先)



 東京の地名にはストーリーがあり、イメージがある。その場所に一度も行ったことがなくても馴染みの街のように錯覚している場所がたくさんある。歌舞伎町、表参道、代官山、恵比寿、吉祥寺、柴又、原宿などなど。それはドラマや映画の舞台になったからかもしれないし、テレビなどから多くの情報を得ているからかもしれないけどそれだけではなく、誰しもの中にある東京に対する憧れがあるからなんじゃないだろうか。江戸幕府開びゃく以来400年、帝都東京は日本の中心であり続けた。そこには紛れもない強い求心力が渦巻いていて、私たちを惹きつける。
 これまでも何度か耳にしていた神楽坂という街。かぐらざか、この響きは耳に心地いい。お神楽の神楽であり、坂というのはどこかロマンチックを感じさせるものがある。東京なら赤坂、道玄坂、乃木坂。神戸、横浜、長崎、尾道、小樽など坂のある街はどこかセンチメンタルな要素を持っている。
 今回の東京行きで神楽坂は大切な目的地のひとつとして私の中にあった。私がドラマ好きというのを知っている人ならもう察しはついているだろう。そう、倉本聰脚本のドラマ「拝啓、父上様」の舞台となっているのがここ神楽坂だったからだ。

 日曜日の午後、飯田橋駅を降りて神楽坂坂下から神楽坂通りを見上げると、思いがけずたくさんの人々が行き交っていて驚く。なんだこの人たちは。神楽坂というと石畳の細い横丁や料亭の江戸情緒が残る静かな街というイメージがあって、こういう状況は想像してなかった。これもドラマの影響なのだろうかと思いつつ、まずは通りを歩いてみることにする。あまり下調べをしてこなかったので、とりあえず漠然とさまよい始めた。
 表通りを行く人々はあまり観光客然としていない。割と年齢層も高めで、カメラを手にしている人もほとんどいない。普段の状況をまったく知らないのでなんとも言えないのだけど、おそらく地元の人と買い物客なんだろうと思う。もちろん、観光客の占める割合も少なくはないのだろうけど。
 街としての神楽坂は、新宿区の北東に位置していて、神楽坂坂下から神楽坂上までの商店街が中心ということになる。通称早稲田通りの両脇には食べ物屋を中心に様々な店が並んでいる。新旧、和洋が折衷していて独特のバランスを保っている感じだ。
 私の中の神楽坂はこの通りではない。一本脇道の横丁に入らないと見つからないらしい。坂道の途中でそれっぽい横丁に入ってみた。すると、突然世界が変わり、歩いている人種が違うのが分かった。そこには我々同様、明らかな観光客が正しい観光客の姿をしていた。石畳の坂道で記念撮影をする親子、ジャニーズファンらしき女の子たち、三脚をかついた女性カメラマンなどなど。全員カメラ持参で石畳や店などをキョロキョロ見ながら歩いている。そうそう、ここだよ、ここ。私の探していた神楽坂がそこにあった。

神楽の毘沙門さま

 いったん表通りに戻ったところで、おおー、これはまさにあそこではないかのポイントを発見して内心はしゃぐ私。ドラマを観てる人にはお馴染みの毘沙門天(善国寺)、二宮和也演じる田原一平が、中川時夫(横山裕)と最初に出会った場所だ。門のところにしゃがんで時夫は肉まんを食べていた。
 善国寺は徳川家康の命で1595年に建てられた寺で、もともとは千代田区(麹町)にあったものが火事などで1793年今の地に移された。ここに祀られている毘沙門天像は、山の手七福神のひとつとして江戸時代から信仰の対象となってきたという。年に3回開帳するそうだ。
 通り名としてはやはり神楽坂の毘沙門さまということで、昔も今も変わっていない。ここは縁日も有名で、明治から昭和にかけて盛り場の少なかった山の手では数少ない大イベントとして大変な賑わいを見せたそうだ。その人出があまりにも多かったことから、日本で初めてここが歩行者天国になったという話もあり、東京の縁日や夜店の始まりがここだったとも言われている。現在は7月の23日から25日にかけての「ほおずき市」が夏の風物詩となっている。
 神楽坂の地名の由来にはいくつかの説があり、その中で少し離れた若宮八幡の神楽がここまで聞こえてきたからというのがある。今回はそちらまで足を伸ばせなかったので、いつか再訪することがあれば行ってみたい。
 この地は江戸城北の丸へと向かう牛込御門があったところで、若狭小浜藩酒井家が、江戸上屋敷から江戸城へ登城するために整備したのが始まりとされている。昔は坂道よりも階段の町だったそうだ。
 江戸時代から繁華街として栄え、それが明治、大正、昭和まで続いたあと、戦後にやや様相を変えつつも、現在まで花街としての雰囲気を残している。花街というのは、いわゆる芸者さん(芸妓屋)のいる料亭が集まる一角のことで、西の祇園に対して東ではここ神楽坂と、新橋、赤坂、芳町、浅草、佃島で東京六花街と呼ばれている。今でも10軒ほどの料亭と30人ほどの芸者さんがいるという。
 料亭はもちろん一見さんお断りで、観光客がふらっと立ち寄れるところではない。ただ、ランチなら入れる店もあるそうだ。
 フランスとの関わりも深く、石畳の横丁がパリのモンマルトルの丘に雰囲気が近いということで、フランス人に人気があったり、フレンチレストランなどのフレンチテイストがさりげなく溶け込んでいる。ドラマの中で黒木メイサがフランス語を話しているのもそのあたりを充分に意識してのことだ。

和可菜

 毘沙門前の横丁を入っていった先に、ドラマの宣伝ポスターにも使われている「和可菜」がある。ドラマでは作家役の奥田瑛二が写真撮影してたのがこの場所だ。私の頭の中にあった神楽坂のイメージに一番近かったのがこの一角だったかもしれない。当然のことながら、たくさんの観光客が次々と訪れて写真を撮っていた。
 昔から作家がこの旅館でよく執筆をしていたことから、「本書き旅館」と呼ばれている。古くは「仁義なき戦い」や「嵐を呼ぶ男」など、最近では山田洋次監督が「たそがれ清兵衛」を書いたのもここだったそうだ。ここも一般客が紹介なしに泊まったりできるようなところではない。
 神楽坂という街は、古くから文豪たちに愛された街でもあった。牛込生まれの夏目漱石は『坊っちゃん』の中で神楽の縁日のことを書いているし、尾崎紅葉は死ぬまでこの街に住んで『金色夜叉』を書いた。このとき書生をしていたのが泉鏡花で、のちに書かれた『婦系図』は神楽坂の料亭が舞台となっている。
 創業350年の文具店「相馬屋」は明治初期に日本で初めて西洋紙の原稿用紙を発売して、夏目漱石、尾崎紅葉、北原白秋、坪内逍遥などがここの原稿用紙を使って作品を書いていた。晩年、病に冒された石川啄木もわざわざ車に乗ってここまで原稿用紙を買いに行ったというエピソードが残っている。
 漱石、菊池寛、佐藤春夫、永井荷風たちが通った牛鍋屋の「田原屋」は、2002年に閉店した。この2002年あたりを境に神楽坂にコンビニなどの新しい店が多く進出してきて街の様子は変わってしまったそうだ。

神楽坂の細い路地

 ここ数年、すっかり観光地と化してしまった感のある神楽坂も、細い路地の両脇には昔ながらの生活感が変わらず息づいている。住人にとっては少し住みづらい街になったと感じていることだろう。けれど、時代の変化や新しさも受け入れつつ歴史を守ってきたのが神楽坂という街だ。新しい波をふたつやみっつざばんとかぶったくらいで古いものが全部流されてしまうほど腰の弱い街じゃないと思う。
 一方で神楽坂は新しいものの発信地でもある。パラパラの発祥地となったのは神楽坂のディスコ「ツインスター」だったし、プリクラを作ったアトラスも神楽坂にある会社だ。神楽坂でしか売ってない不二家の「ペコちゃん焼」もある。今はちょっと事情があってお休みだけど。
 神楽坂名物のひとつ、路地の野良猫というのも楽しみにしていたら、それは残念ながら見ることはできなかった。日曜の午後のあの人の多さでは猫たちもすっこんで出てこない。
 商店街のスピーカーから森山良子が歌う主題歌が流れていたのはご愛敬。神楽坂の街全面協力という雰囲気が感じられたのでよしとしたい。

 東京にはまだまだ散策してみたい街がたくさんある。地方に住む人間にとっては東京だけがなんでそんなにもてはやされるのかというひがみにも似たうらやましさがあってちょっと悔しくもあるのだけど、やっぱり魅力的なものは認めるより他に仕様がない。これからも東京へ行く機会が多くなるから、少しずつ興味のある街を回っていきたいと思う。
 東京は超高層ビルが建ち並ぶコンクリートジャングル(表現が古い)だけではない。まだ江戸の息づかいがわずかながらそこかしこに残っている。明治から戦前にかけての古い東京も消えていない。地図やガイドブックから歴史の痕跡を見出したとき、東京は新たな魅力で輝き始める。
 しばらくはカメラを持った観光客としてしか見ることができない東京を見ていくことにしよう。カメラを肩にぶら下げて、写真を撮って、調べて書いて、東京の街の魅力を探っていきたい。
 体もだいぶ東京の水に慣れてきた。あと2、3回も行けば私も東京人に見えるようになるかもしれない。あっ、ここドラマで出てきたところだがや! などとつぶやく声を周囲に聞き取られなければ。


万歩計をつけていたら万歩計が壊れるくらい東京を歩いてきた週末
2007年02月27日 (火) | 編集 |
浅草寺前の人々

PENTAX istDS+TAMRON 28-200mm XR(f3.8-5.6), f4.5, 1/250s(絞り優先)



 週末は東京2泊2日を堪能してきた。日付変更線も超えてないのに変則日程。歩きに歩いて回れるだけ回ってきた。たとえばこんな感じのところをということで今日はその一部を紹介。
 まずは浅草寺。雷門前で写真を撮る人々を撮ったり。
 バックは、はとバス。異人さん確率高し。観光客密度推定98パーセント。

岩崎邸でランチ

 岩崎邸庭園の庭で手作りケーキランチを食べたり。
 寒い寒い2日間の中で、ここだけは暖かかった。

湯島天神の梅

 うめ祭りで人々がごった返す湯島天神で梅を見たり。
 賽銭箱に辿り着くまで15分もかかった。まるで初詣並み。梅は残念ながら終わり間近だった。

神田明神の結婚式

 神田明神で結婚式に当たったり。
 縁起のよさのお裾分けにあずかって喜ぶ。

根津神社の猫

 根津神社で衝撃の猫を見たり。
 近日公開予定。これほどインパクトのある野良猫はそうめったに見られるものじゃない。

ゆりかもめでお台場へ

 ゆりかもめに乗ってお台場へ行ったり。
 この日の東京は真冬の寒さで強烈だった。特に水辺は危険地帯。

聖路加タワーからの夜景

 聖路加タワーからの無料東京夜景を見たり。
 東京タワーは21世紀の東京でも古びることなく凛と建っている。

 その他、月島もんじゃ、ニコライ堂、湯島聖堂、神楽坂なども行ってきた。そのあたりのことは、明日から追々紹介していく予定でいる。しばらく東京シリーズが続きそうだ。
 今日のところは予告編ということでこれくらいにしよう。アイ・シャル・リターン。


週末東京の間はアイに留守番をお任せ
2007年02月24日 (土) | 編集 |
寝転がりアイ外編

PENTAX istDS+Super Takumar 50mm(f1.4), f1.8, 1/60s(絞り優先)



 週末は東京行きで、アイは留守番。
 この間は、アイの写真にこのブログを任せよう。
 まずは外で寝転がるアイ。よく分からないのだけど、いつもこんなふうにひとりで勝手にゴロゴロと転がっている。毛にはホコリもゴミも付き放題。この状態で家に戻ってくる。勘弁してくれよ、アイ。
 全身真っ黒なアイだけど、腹のところに少しだけ白い毛がある。親は白黒だったのかもしれない。

外のアイ

 外で私と会うと、私かどうかの判断がつかない様子のアイ。こんな感じにへっぴり腰になって警戒する。そして私が近づくと逃げていく。どうやら本気で半信半疑らしい。家の中ではどうやって私だと分かってるんだろう。

エサ食べアイ

 エサ食べ中のアイ。基本的にカリカリが主食で、たまに猫缶も食べるけど、偏食で気に入らないと逃げていく。エビも一応好物なのだけど、ときどき食べなくなる。本当に何が好きなのか、いまだに掴めてない。刺身もあまり喜ばないし、ちょっと変わってる。
 首輪は最近プラチナゴールドに変わった。

ストーブ前のアイ

 最後はやっぱりお気に入りのストーブ前。至近距離に陣取って、体がチンチンに熱くなっていても平気らしい。
 名前を呼ぶと、フニャ? と言いながら顔だけ振り向く。気が向かないとしっぽだけひと振りして返事に代える。

 それじゃあ、アイ、留守は頼んだぞ。
 ちょっと東京へ行ってきます。帰りは月曜日。


動物との触れ合い度満点のアイボクでエサやりの楽しさを知る
2007年02月23日 (金) | 編集 |
アイボクの牛さん

OLYMPUS E-1+SIGMA 18-50mm(f3.5-5.6), f7.1, 1/60s(絞り優先)



 牛さんの大きな顔がぐぐっと近づいてきたかと思うと、長〜い舌がべろ〜んと伸びてきてウヒャーと悲鳴が上がる。よだれまでかかりそう。牛の舌ってこんなに長かったんだ。だから牛タンって商売になるんだね。あやうくなめられそうになって逃げてしまったけど、なめられたらどんな感じがするんだろう。猫の舌のようにザラザラしてるのか、それとも人間の舌に近い感じなんだろうか。後学のためにひとなめされておくべきだったか!? 牛さんもつき合ってみれば人なつこいかわいいやつなのだなと知った。
 愛知牧場、通称アイボクは、名古屋のお隣の日進市にあって、動物たちとの触れ合い度ではここらのベストスポットと言える。動物園にも触れ合いコーナーやエサやりタイムあるけど、ここならオールタイム自由に動物たちとなごむことができる。牛、馬、豚、山羊、羊などの家畜類に限られるとはいえ、現代を生きる都会っ子にとってはこれらの生き物たちと直接触れ合える機会は貴重だ。子供たちにとっても教育になるし、大人たちも楽しめる。デートスの穴場としてカップルにもおすすめしたい。
 エサはニンジンやら乾し草やらがそれぞれ100円で売られている。自動販売機やお金を箱に入れてエサを持っていくゆるやかなシステムで、ときどき子供が金も払わずエサを盗んでいくのも愛嬌として許されている。結果的には動物たちの口に入るのだからそんなに被害はない。しかしこのエサ、冷静に考えるとかなり割高だぞ。原料費などほとんどタダ同然だろうに。特に週末は動物たちがもう食べられないぞってくらい飛ぶように売れる。これはなかなかいい商売だ。もちろん、我々もエサを買ってあげて回った。これがまた楽しい。野良猫にエサをあげている猫おばさまの気持ちが分かる。基本的に人間って生き物にエサをあげるのが好きなんだと思う。ペットを飼うことの喜びのかなりの部分にエサを与える行為の喜びがあるのかもしれない。

笑うヤギさん

 笑うヤギさん。もちろん、本人に笑っているという自覚はないと思う。エサをくれーという怒りの表情だったか。目の表情から思いは読み取れなかった。
 ヤギの歯は近くで見ると怖い。上下ともしっかりした歯並びで、本気で噛まれたらかなり痛そうだ。紙やら草やらをむしゃむしゃかみ砕くにはあれくらいの歯が必要なんだろう。勢い的には固いスルメイカでも噛めそうな感じだった。ヤギさん、侮りがたし。
 エサをあげてみると、ただ見てるだけでは気づかなかったいろいろなことに気づいて面白い。そして、触れてみると意外な感触に驚く。頭の中にあったイメージと実際の手触りは違うものだ。ヤギももっとふわふわしていそうに思えたのに、触るとゴツゴツ、ザラザラで毛並みも硬い。あごひげは少し柔らかかったけど。
 次はあの歯で甘噛みしてもらおう。軽く噛んでちょうだいねというリクエストにヤギがちゃんと応じてくれるかどうか。本気で噛まれたらどれくらい痛いのだろう。まずはツレに噛まれてもらってからにした方がよさそうだ。

エサをもらうロバさん

 子供にエサをもらうロバさん。ロバはいたって穏やかな性格をしている。エサの食べ方もおとなしい。ガツガツしてないし、動きも緩慢だ。
 これまでロバという生き物をあまり意識したことがなかった。けど、考えてみるとロバというのは不思議な位置づけの家畜だ。たいていの人はロバのことを当たり前に知ってるのに、ロバと日本人の関係は薄い。実際のロバを見たことがあるという人は案外少ないんじゃないだろうか。家畜として飼われているところも知らないと思う。
 それもそのはずで、ロバというのは現在日本に200頭ほどしかいないのだそうだ。単純計算して一県につき4頭というのはいかにも少ない。大部分は動物園や農場、牧場などで飼われているのだろう。一般家庭でロバを飼ってるというのも聞かない。家畜といっても乳をちぼるわけでもなく、肉を食べるわけでもないし、農業に使うわけでもないので、使い道がないのだ。
 世界的にみると、ロバは5,000年も前にすでに家畜として飼われていたという。馬よりも小さくて、エサも少なくていいのと、乾燥に強いということで、主に砂漠地帯などで荷物運搬係として重宝されたようだ。ユダヤ人との関わりも深く、イエス・キリストの乗り物はロバだった。
 日本へは599年に百済から贈られたというのが一番古い記録として残っている。その後も断続的に入ってきたのについに定着することはなかった。乗り物としても輸送手段としても農作業にしても、馬に比べて劣るということから存在が中途半端だったからだろう。馬よりも維持費がかからないということでもっと活用されてもよかっただろうに。
 ロバはウマ科の中で一番小さな動物で、馬よりも賢いと言われている。一度通った道は覚えていて、寝ていてもその場所に運んでくれるんだとか。理不尽なことは嫌いでたまに意固地になるものの、ちゃんと理にかなったことなら言うことを聞くということで、相当頭が働くのではないかという説もある。その気になれば時速60キロ出せるというから、あえて実力を隠して人間の家畜にならないという戦略をとったのかもしれない。

アイボクの動物広場

 アイボクのふれ合い動物コーナーの全景。かなり広々としたところに飼われているので気持ちがいい。動物園のような狭いところに入れられていると心が痛む。オリの広さが幸せのバロメーターではないけれど、狭いよりは広いところの方がいい。
 春になればベビーラッシュでいろんな動物の赤ちゃんも見られるだろう。子馬とかもかわいいのだ。本格的な乗馬から体験乗馬までいろいろコースがあるから、一度馬に乗ってみたかったという人にもおすすめしたい。
 アイボクは、子連れでも、カップルでも、なんならひとりで行っても楽しめるところだ。ひとりで動物たちにエサをあげて喜んでるおっさんというのはどうかとも思うけど、人目を気にしなければ問題なく楽しい。
 入場も駐車場も無料で、エサ代の100円玉数枚とソフトクリーム代だけ持って行けば半日は過ごせる。無料休憩所が狭いのが残念だけど、もう少し暖かくなれば外でも弁当は食べられる。
 家畜の匂いというのもたまに吸うにはいいもんだ。毎日なら気が滅入りそうだけど。ぜひ、牛に顔をなめられ、ヤギに指を噛まれて、ロバの耳をなでるために行ってみてください。ヒツジの剛毛も暖かくて気持ちがいいし、ブタさんの肌触りもいいですよ。馬も近くで見ると本当にきれいな生き物だと知るだろう。
 私も春になったら今度こそ名物のジェラートを食べにいこう。


名古屋のチベット守山区は正真正銘日本のチベットだった
2007年02月23日 (金) | 編集 |
倶利加羅不動寺

OLYMPUS E-1+SIGMA 18-50mm(f3.5-5.6), f5.6, 1/125s(絞り優先)



 名古屋市の北東のはずれにある守山区は、名古屋のチベットと呼ばれている。守山区在住の私としても、それは一部認めざるを得ない部分はある。確かに奥まった方はかなり山奥に近いし、名古屋市最高峰の東谷山(とうごくさん193m)も守山区にある。けど、まさか守山に本物のチベット寺院があるとは思いもよらなかった。
 寺の名前を本山大昭寺別院強巴林(チャン・バ・リン)という。タンバリンではない。チャンバリンだ。日本で唯一のチベット寺院を名乗るこの寺は、隣接する修験宗倶利加羅不動寺の森下永敏住職がラサのチベット仏教総本山大昭寺で修行して、チベット仏教では初の外国人女性受戒者となって帰国したのち、平成17年3月に建てられた。
 そう、守山区は文字通り名古屋のチベットだったのだ。ここに明かされる衝撃の真実。日本でただひとつというから、日本のチベットと呼んでもらってもかまわない。広島にも龍蔵院デプン・ゴマン学堂日本別院という日本初のチベット僧院があるものの、あちらはチベット式の寺院を建立してるわけではないので、こちらが日本初のチベット寺院なのだという主張なのだろう。中国のチベット自治区お墨付きというのも本当らしい。
 この寺の存在を知ったのはつい最近のことだ。けど、どんなところなのか想像もつかない場所にひとりで訪れるのは心もとない。なので、ツレを誘って行ってきた。ひとりで行けないところもふたりなら行ける。これ人情アルね。
 竜泉寺を左手に見ながら竜泉寺ウォーターパークを過ぎた右手にソレは突然現れる。中央分離帯で区切られていて右折して入ることができないので、その先でUターンすることになる。車を駐車場にとめて歩き出すと、倶利加羅不動寺の屋根の向こうにひときわ異彩を放つ金色の建物が顔をのぞかせて思わず笑いがもれる。あ、あれだ、間違いない、と。期待に胸が膨らみ、顔がほころぶ我々であった。

チャンバリン正面

 どうだ、まいったか、と思わず私が威張ってしまうようなこのたたずまい。第一印象は、愛知県の人なら分かると思うけど、リトルワールドみたいだな、というものだった。愛・地球博へ行った人なら、あそこのパビリオンっぽいという印象を持つだろう。一見して日本の風土に馴染まないこの風情。けど、なんか不思議な感じ。偽物っぽいとか、安っぽいとかいうのではない。唐突すぎて違和感があるだけとも言えるし、でもそれだけでないようなキワモノっぽさもある。この寺院をチベットの現地にそのままそっくり移して現地で見たとしても、微妙な感じを受けそうな気がする。
 看板には「ようこそ! ようこそ!」と日本語で書かれていて歓迎ムードなので思い切って入ってみることにする。我々の他にも物珍しそうに訪れる人々がいて心強い。みんな一様に及び腰に見えたのは気のせいだったろうか。

 建物は、チベットで最も古い歴史を持つ大昭寺の全面協力によって4年の歳月をかけて作られたという。外観は大昭寺の一部を模し、佛像、佛画、建築資材などはチベットから運んだそうだ。確かに近づくほどに本物感が強くなるというのは感じた。チベットから招いた本場の僧侶たちにも評判は上々とか。
 強巴林の名は、チベット語の弥勒(みろく)を意味する強巴と、寺院を意味する林から来ていて、森下永敏住職の法名は強巴曲珍(チャン・バ・チュ・ドゥン)というそうだ。チャン・リン・シャンという懐かしい響きを思い出す。
 右手にあるモンゴル風のテントは、本物のチベットものなのだろうか。今ひとつ判断がつかなかった。中は椅子と机が置かれた普通の休憩所風で、明らかにチベットではなかった。
 写真に写ってない左手にはお土産物屋さんの建物がある。恐ろしくて入れなかったけど、ウワサによるとここでしか手に入らないような数々のチベットグッズが販売されているんだとか。けど、チベットに対するイメージがまったくない我々としては、どれが本物で何がありがたいのかも分からないし、何が欲しいのか自問自答してみても答えは返ってこない。一体何を買えばいいのだろう。チベットTシャツとか売ってるんだろうか。中国政府のオフィシャルグッズ店らしいので、いい加減なものは置いてないのだろうけど。

チャンバリンのマニ車

 入口の門の左右にはマニ車があった。内部には経文が納められていて、表面にはマントラが刻まれている。右回りに手で回すと、回転させた分だけお経を唱えたのと同じだけの功徳があると言われている。右回りが分からないと功徳は積めないので注意が必要だ。お箸を持つ方の手が右手です(説明になってない)。
 残念ながらここから先の内部は撮影禁止になっているので、写真はない。まあ、仕方がないところだろう。撮影許可にするとフラッシュ光らせまくりの人々でとんでもないことになりそうだから。
 本尊は大昭寺と同じ十二歳の釈迦牟尼像で、これはかなり立派なものだった。大きさといい、顔といい、周りの装飾やきらびやかさにもありがたみを感じた。けど、なんで出家する前の王子でしかないゴータマ・シッダールタを神として祀らなければいけないのかがちょっと不思議だ。このときはまだ、ただの裕福な家の坊っちゃんでしかないのに。12才っていえば小6だし。お釈迦さんが出家したのは19で、悟りを開いたのは30のときだ。拝むならそれ以降の釈迦像にしたい。
 内部にはチベット仏教にまつわる様々な品や絵などがあったり、現地から招いた僧がパンフレットなどを手渡してくれたりする。法要日に赤丸を打たれた住職の写真入りポスターをもらって、それをどっちが持っていくんだと押し付け合いになるヒトコマなどもありつつ、内部をひととおり見学させてもらった。感想は、ほぉとかへぇとかふーむとかそんな感じだ(どんな感じだ)。一番印象的だったのは、住職がスティービー・ワンダーやパパ・ブッシュ、星野仙一などと嬉しそうに一緒に写っている写真の展示コーナーだった。けっこういい人かもしれない。
 お供え物にやたらポテトチップスなどのお菓子がたくさんあって、僧侶たちが寺院の真ん中の坐る場所でネットの動画サイトを見て盛り上がっていたのも、いい意味で微笑ましかったりもした。

チャンバリンの裏から

 裏手の山に登って見下ろすと、チャンバリンの全景やその向こうの春日井市の街並みが見渡せる。それにしても秀吉が大喜びしてしまうような金ぴか趣味だ。本場の大昭寺も写真で見ると確かに金色をしてはいるけど、これとは質感が違う。自分で金色のラッカーで塗ってしまった自転車みたいとでも言おうか。まだ新しいからで、古くなってくるといい感じに渋くなっていくんだろうか。50年後くらいを楽しみにしよう。

 そもそもチベットとは何かということを説明し始めると長くなる。チベットの定義というのはややこしいので、歴史から順序立てて話さなくてはいけなくなるから。ごくごく簡単に言えば、中国の西にあって、620年代にガムポ王が統一王朝としての吐蕃国を建国したことから始まる。その後、モンゴルに支配されたり、独立のために戦ったり、中国とくっついたり反発したりの歴史があって、とうとう戦後の1950年に中国人民解放軍が解放の名のもとに侵攻してきて、武力で乗っ取られて、今に至っている。その後もあれこれありつつ、独立はかなわず現在は中国の自治区という扱いになっている。
 プラピ主演の映画『セブン・イヤーズ・イン・チベット』(あれはいい作品だった)で描かれたダライ・ラマ14世は知っている人が多いだろう。中国の侵攻によってインドに亡命せざるを得なくなったものの、今でもチベットの国家元首はダライ・ラマ14世であることに変わりはない。もちろん、中国はそれを認めてはいないけど。
 1960年代には600万人いたチベットの人口も今では220万人ほどになっている。多くは近隣のネパールやインドなどに亡命したり、中国による弾圧で命を落とした。現在でも、年間3,000人以上のチベット人が雪のヒマラヤを命がけで越えて亡命しているという。
 チベットの文化や寺院などは中国自治区よりも亡命した先で受け継がれている。自治区では多くの寺院などが徹底的に破壊されてしまった。最近は暮らしは豊かになったようだけど、昔ながらのチベット色は失われつつあるようだ。中国に勢いがあるうちはしばらくこの状態が続くのだろう。その後力を失ったとき、チベットは再び独立を勝ち得るのだろうか。

 世界最高峰のチョモランマや神の山カイラス山、天の湖ナムツォ湖は、そんな人間たちの争いを知ってか知らずか、はるか大昔からこの地にあって、今も変わらない姿をとどめている。
 神の地ラサ。チベット人なら一生に一度は参拝に行きたいと願う聖なる地。そこにある大昭寺。そんな雄大な自然や古い歴史を持ったところにチャンバリンを放り込んでしまうのは無理がある。ガンバレ、おまえならいけると励まされても、無理なものは無理だ。チャンバリンはこれからも名古屋のチベット守山区でひっそりと異彩を放っていればそれでいいのだと思う。日本の中のチベットを代表するんだというような意気込みは必要ない。
 ぜひ名古屋周辺の方は一度訪れて自分の目で確かめて欲しい。本物かどうかはともかくとして、チベットという無縁の世界に触れて、チベットとは何かを考えるきっかけにはなるだろうから。
 今後は、守山区を名古屋のチベット呼ばわりされても反論できないのがちょっと悔しい。


野草の道を極めるためにはまず体力作りからと思う2007年初春
2007年02月22日 (木) | 編集 |
農業センターオオイヌノフグリ

OLYMPUS E-1+Super Takumar 50mm(f1.4), f1.8, 1/500s(絞り優先)



 しだれ梅や動物たちで有名な名古屋市農業センターは、野草の宝庫でもある。特に初春、街中ではまだ見かけない野草たちが、ここへ行くともうとっくに咲いてましたよダンナ、という感じでみんな顔を揃えている。天白区だから気候の問題ではなくて、畑の土壌の問題なのだろう。飼育している家畜たちの有機肥料を使っているからかもしれない。誰かがわざわざ種を持ち込んだはずもないから、どこからか飛んできたか紛れ込んだのか、昔ながらの日本の野草が勝手にたくさん咲いている。古き良き日本の空き地風情のように。腰をかがめて低く歩けば、地面はもう春世界が広がっている。
 春のメジャー野草トップバッターは、やはりなんといってもオオイヌノフグリだろう。年が明けて最初にこれを見つけたとき、ああ、これで春が来たとはっきり思う。春一番なんかよりもずっと身近で確実に春を感じられる花だ。昔の人はカレンダーなんか必要なかった。暮らしの中にある自然の花や鳥や生き物を見ていれば季節の細かい移り変わりまで分かったに違いない。
 犬のタマ呼ばわりされてもオオイヌノフグリは毎年健気に可憐に咲いている。淡いコバルトブルーが目に優しい。今年は名前の元になった犬のタマに似てるという実も見てみよう。毎年、春が終わる事になるとこの花のことなどすっかり忘れてしまってて、それはいけないと思った。
 蔑称のような生き物の名前を変えようという動きが出ている中、このオオイヌノフグリはどうなんだろう。天人唐草という別名もあるにはあるものの、いっこうに浸透する様子はない。たぶん、この先もないだろう。一度付いてしまったあだ名がその後ずっとつきまとうのと同じだ。

農業センタータチイヌノフグリ

 こちらはタチイヌノフグリ。名前や姿からも分かるように立ち上がって咲いている。立ち上がった犬のタマのようだからではない。だいたいオオイヌノフグリの名前の付け方しかして間違っている。そもそも実が犬のタマに似ているイヌノフグリという日本古来の植物があって、明治にヨーロッパから入ってきたイヌノフグリに似た大きなやつをオオイヌノフグリと名づけた発想が安易だった。それに似ていて上に伸びてるからタチイヌノフグリというのもいただけない。クイズで間違った解答をした横の人につられて間違えたおバカ解答みたいだ。
 タチイヌノフグリの花はとにかく小さいので見落としがち。しっかり花を開くのが天気のいい日の昼前後数時間しかないせいもある。それ以外は半開きでせっかくのきれいなブルーも目立たない。青はオオイヌノフグリよりも濃い。
 両方とも明治時代にヨーロッパから入ってきた帰化植物で、今ではすっかり日本の春風景に馴染んでいる。けど、江戸時代より前の日本人はこれを見ていない。だから古い歌にも詠まれていない。たとえば平安の人がこの花を見たらどう詠うだろう。

農業センターホトケノザ

 これもおなじみのホトケノザ。ピンクの花がびよ〜んと伸びてるのがホトケノザで、顔を半分ひっこめてるのがヒメオドリコソウ。個人的にはヒメオドリコソウの方が姿も名前も好きだ。仏の座なんて名前はこの花には似合わない。ピンクも仏のイメージじゃないし、葉っぱの形が仏が坐る台座(蓮華座)に似てるからといってもそこから名前を取らなくてもと思う。たぶん、現代の私たちは野草に注目するのは花の咲く時期だけなのに対して、昔の人はその草が食えるのかどうか、薬になるのかどうかという視点で見ていたから葉っぱや姿から名づけられたものが多いのだろう。花の連想からついた名前では花の時期に見分けがつかない。
 ホトケノザは美味しくないし薬にもならない。春の七草の入っているホトケノザはコオニタビラコのことだと言われている。葉っぱの形はシソに似ていて、実際シソの仲間なのに、見た目以外は役に立たないのがこの花だ。

農業センターハコベとナズナ

 手前に写っているのがナズナで、奥がハコベ。ナズナはぺんぺん草の方が通りがいいだろう。タネの入っている実の形が三味線のバチ(撥)に似ていて、三味線を弾く音はペンペンだからということで名づけられた。
 正式名のナズナ(薺)は、撫でたいほどかわいいから撫菜(なでな)でそれが変化したという説と、夏に枯れて無くなるから夏無(なつな)でこれが転じたものという説がある。
 ぺんぺん草も生えないという表現は最近まったく聞かれなくなった。どんな荒れ地にも生えるナズナでさえ咲かない土地という意味で、荒れ果てた様子を表現するのに使っていた。平成生まれは知識としては知ってるのだろうか。今の子供は学校帰りにぺんぺん草を揺らしてシャラシャラいう音を聞いたりしないのだろうな。今思うと昔の子供は草花をちぎったり虫を捕まえたりして無邪気に残酷だったけど、今のようにそういう自然に触れ合う機会が決定的に少ないと成長する上で何かが欠落してしまうんじゃなかと少し心配になる。残酷なことをして、物心がついていくに従ってそういうことはしてはいけないんだと自分で気づいて、だんだん痛みが分かるようになっていくというプロセスを経ないと、他人や生き物に対する思いやりの気持ちが充分育たないんじゃないだろうか。花をちぎったり虫をいじめたりすることが正しいことだとは思わないけど。
 ナズナもハコベも共に春の七草の一員だ。それはたまたまこの時期に咲いたからではなくちゃんとした薬効があるから選ばれた。薬草としても食用としても使われてきた歴史がある。今でもハコベは小鳥のエサになるし、ナズナは煎じたり煮詰めたりして薬にしたりもできる。春の七草粥も、春の訪れを祝い、植物の生命力にあやかって健康長寿を願うという、ちゃんとした根拠があるのだ。

 春野草の揃い踏みを見て、春は予感から確信へと変わった。レンゲやタンポポやツクシたちもぼちぼち顔を見せてくれるだおろう。今年はスミレももっと勉強して見分けられるようになりたいと思っている。3月になって春が深まれば、もうおちおちしていられなくなる。一週間怠けると見逃してしまう野草が出てくる。
 野草に興味を持ち始めて3年目。3周目に入ったからには、もう初心者の言い訳もきかない。野草有段者にはまだまだ遠いにしても、そろそろ3級とか2級くらいにはなりたいところだ。そんな試験はないけど、感覚の問題として。
 知識を得るためには、まず自分の目で見て、写真に撮って、帰ってきてから調べて勉強するという一連の作業をするのが急がば回れで一番近い。図鑑やネットの写真を見てるだけではなかなか覚えられるものではない。少しでも多くの野草を見つけるには歩くしかない。歩くには体力がいる。体力をつけるには運動して肉体を鍛えないといけない。まずはスポーツクラブに入ることから始めようか。いやいや、贅沢は敵です。貧乏人は麦を食え。スポーツクラブなど入らずとも足腰を鍛える方法はいくらでもある。ヒモにくくりつけた車のタイヤを腰にゆわえて走り、重いコンダラを引き(?)、ウサギ跳びでグランドを10週だ。野草初段への道のりは遠くて厳しい。挫けそうになる私の力になってくれる鬼コーチが必要かもしれない。自転車に乗ってメガホンで応援してくれる人を探そう。もちろん上下ジャージの正装で。農業センターの入口で待ってます。一緒に野草道を極めましょう。


ニワトリも私も昔はひよっこでかわいかったとよく言われたものだ
2007年02月21日 (水) | 編集 |
名古屋コーチンのヒヨコ

OLYMPUS E-1+Super Takumar 50mm(f1.4), f1.8, 1/25s(絞り優先)



 今日はヒヨコとニワトリの話をしようと思う。突然だけど、今日はそんな気分なのだ。ヒヨコのオスとメスを一瞬で見分ける名人芸は持ち合わせてなくても、ヒヨコについて書くことはできる。
 写真は名古屋市農業センターのヒヨコ室にいた名古屋コーチンの子供だ。これがかわいいんだ。ふ化して数日後のヒナは、体に栄養が蓄えられていてまだエサは食べなくもいい。ただ、水は飲まないといけないから、水飲み場で飲むことになる。その仕草が実にキュート。小さなクチバシに水を含んで、上を向いてクククッと水をノドに流し込む動作を繰り返す。農業センターの中でもここは人気コーナーとなっていて、ちびっこから大人までかぶりつきで取り囲んでいた。
 ふ卵器もあって、じっくり待っていると卵からヒナがかえる様子も見ることができる。かえったばかりのヒナはあまり動かない。大丈夫かなと見ていると、もぞもぞと動き出す。このへんは野生を失って長い歳月が流れたことを思わせる。野鳥の世界ではこんなにのんきにしてたら外敵にやられてしまう。
 ヒナは寒さに弱いので、育雛器(いくすうき)の中は30度ほどに保たれている。この中でひと月ほどを過ごして大きくなる。農業センターの中ではびっくりするくらい大量の名古屋コーチンが飼われている。数ヶ月もすれば、ヒヨコだった頃の面影はもはやない。私も子供の頃はかわいかったんだけど。

ヒヨコを見つめるひよっこたち

 ヒヨコを夢中になって見ているひよっこたち。おまえたち、まだまだひよっこだな(ひとんちの子供だけどひよっこ呼ばわり)。クチバシが黄色いやつらめ。などという表現は、ヒヨコから来ている。
 ヒヨコの語源は、ヒヨヒヨという鳴き声に子が付いたものだと言われている。
 ニワトリの語源は、キジ(雉)が「野つ鳥」なのに対して「庭つ鳥」でニワトリになった。ちょっと意外かもしれないけど、ニワトリはキジ目キジ科に属している。
 誕生は古く、5,000年ほど前に東南アジアにいたセキショクヤケイ(夜鶏)を飼い慣らしたことから生まれたと言われている。最初は卵や食肉が目的ではなく祭祀用だったと推測されている。その後、卵や肉目的も加わり、最初に飼い慣らしたのは中国南部だったようだ。時を告げるためや、闘鶏用にも活躍した。
 日本にもかなり古くからいたようで、万葉集にも登場している。その時代は主に時を告げる役割として飼われていたという(報晨)。卵や肉を食べるようになったのは江戸時代に入ってからというから、つき合いは長いようで最近のものだったりする。
 その後、様々な品種改良が行われて、現在は観賞用も含めて120種類ほどがいるそうだ。現地のセキショクヤケイもニワトリとの交配が進んで純粋種はほとんどいなくなったとか。

大きくなってしまったニワトリ

 かわいかったヒナもわずか数ヶ月でこんな風に。目が怖いです。写真のこいつは何鶏だったか。農業センターでは様々な種類のニワトリを展示飼育していて、ちょっとしたニワトリ動物園のようになっている。共通して言えることは、みんな大きくて怖いということだ。美しいものもいるけど、それでも目つきの怖さが先に立つ。六畳一間のアパートでは同居しなくない感じだ。
 現在、日本では20種類を天然記念物に指定して保護している(伊勢地鶏、岐阜地鶏、土佐地鶏、岩手地鶏、芝鶏、鶉矮鶏、比内鶏、地頭鶏、河内奴鶏、小国鶏、蓑曳矮鶏、声良鶏、東天紅鶏、蜀鶏、蓑曳鶏、薩摩鶏、黒柏鶏、軍鶏、矮鶏、烏骨鶏)。
 それ以外にも、会津地鶏、名古屋種、エーコクなど16種類の日本鶏もいる。観賞用のオナガドリは特別天然記念物に指定されている。
 でも、比内鶏とか普通に食べてるぞと思った人もいるかもしれない。天然記念物なのに食べていいのか、と。でもそこにはカラクリがあって、食用になっているのは比内鶏ではなく比内地鶏なのだ。地鶏というのは、古くから日本のその土地にいた鶏の品種のことで、食用の地鶏は血統が50パーセント以上のものを指す。簡単に言えば、天然記念物に指定されている純粋種と他のニワトリと掛け合わせたものを地鶏として食用にしているというわけだ。これも誤魔化しといえばそうなんだろうけど、純粋種とハーフの味の違いがどれくらいのものなのかはよく分からない。意外と大きいような気もするし、ほとんど変わらないようにも思う。
 食べて美味しい鶏としては、名古屋コーチン、比内鶏、薩摩鶏が三大美味と言われている。将軍様の好物の中にも名古屋コーチンは入っていた。向こうでも飼っているのだろうか。
 卵としては、烏骨鶏(ウコッケイ)のものが美味しいとして有名だ。場合によっては1個数百円もする。これで卵かけご飯をしたら美味しいんだろうな。スーパーで売ってる白いやつは、白色レグホーンという名のニワトリの卵で、イタリア原産だ。産む卵の数が年間200個以上と多いところから主流となっている。

 ニワトリは三歩歩くともう忘れるというけど、実際はそんなことはない。意外と賢くて、飼っている人間を見分けたり、なついたりもするという。通常のヒヨコから育てたニワトリは寿命が2年ほどと短いからペットとして飼うには別れが早すぎるけど、チャボなら10年から15年も生きるそうだから、ニワトリもペットの選択肢のひとつとなる。オスは朝っぱら鳴いてうるさいけど、メスならあまり鳴かない。環境さえよければ卵も産んでくれる。3LDKくらいなら、室内飼いもできなくはない。ちょっと邪魔くさいけど。
 ニワトリが首を前後に振って歩くのは、周りに動くものがあるからなんだそうだ。ニワトリは目玉を動かせないから、首を動かすことで左右の状態を確かめているらしい。横についた両目で別々のものを見て、脳の中で処理しているんだとか。あまり正面は見えてないのかもしれない。
 ニワトリは自然の環境の中では冬場には卵を産まない。これは気温ではなく日照時間が関係している。日本でいうと、春から夏にかけてしか産まないとされる。だから、養鶏場では人工の光を当てて産ませている。
 ニワトリが先か卵が先か、これは大昔から散々議論されてきた進化の問題だ。冗談みたいだけど、学者たちは本気で考えてきた。最近になってようやく卵が先という結論に達したという。ただ、内容としてはこじつけというかもはや科学ではなく哲学の範ちゅうに入っているような気がして、すっきりしない。普通に考えれば、生きてる間に突然変化するわけではないから、産まれたときにある生き物が他の生き物になるというのは当然のことだ。ただ、突然変異の原因になったのは親にあるわけで、そうなるとその親はもはや別の種ということもできるから、話はややこしい。やっぱりこれはいつまで経っても結論の出ないものなのかもしれない。

 以上、ニワトリ・スタディーはいかがだったでしょうか。身近なようで意外と知らなかったことも多かったんじゃないだろうか。更に詳しくなってニワトリくんと呼ばれたい人は、農業センターまで足を運んでニワトリコーナーへ行ってみてください。ヒヨコから天然記念物のニワトリまで、じっくり見て学べるから。特にヒヨコの水飲みは必見。思わず自分もマネしたくなるでしょう。ただし、本当にやってみると歯医者で歯を削っている最中に歯科助手のバキュームが不十分で水がノドに詰まったときのようになるので気をつけましょう。
 ふと思いついたけど、農業センターの入口のことでカラーヒヨコを売れば売れるんじゃないだろうか。ヒヨコがあんまりかわいいんで親にあれが欲しいと駄々をこねてたしなめられた子供相手に。リバイバルで商売してみようかな。今の若い親の世代でも見たことがないだろうから、物珍しさで飛ぶように売れる予感に胸躍る。もし私がカラーヒヨコを売ってるところを見かけても通報しないでくださいね。


小幡緑地20分散策で撮った写真でお茶を濁す
2007年02月20日 (火) | 編集 |
小幡緑地のカルガモさん

OLYMPUS E-1+Super Takumar 300mm(f4), f4, 1/80s(絞り優先)



 夕方、日没まで少しだけ時間があったので、小幡緑地をぶらつくことにした。300mmのレンズを付けたE-1を肩からぶら下げてカジュアル感覚でお散歩と洒落込んだ(一般の人が見たら完全に鳥の人仕様になっている)。
 しかし、駐車場に着いて問題発生。そうだ、小幡緑地の東園って、冬場は5時半に閉まるんだった。いかーん、もう5時5分だよ。あと25分しかないではないか。今の名古屋の日没は5時半過ぎだから6時くらいまではゆっくりできると思ったら、大きな計算違い。結局20分の慌ただしい鳥探し散策となってしまったのだった。
 それがいかに短くてダメなことかというと、たとえば釣りを20分やるのと同じようなことと言えば分かってもらえるだろうか。よほどのベテランさんで鳥スポットを熟知してる人ならともかく、ローアマチュアの私ごときが20分で撮れるほど鳥の世界は甘くないのだよ、明智君。ちっちっち。これじゃあ、柳生博会長に叱られてしまうぞ。
 そんなわけで、今日は20分間に撮った写真を5枚並べてお茶を濁すことにしよう。ちなみに、お茶を濁すというのは、お茶の作法をよく知らない者が適当に濁らせたお茶を出してそれっぽく見せたところから、その場しのぎという意味になったというのが一般的な説だ。もしくは、お茶の 濁り具合などのどうでもいいことを話題にして、大事なことを誤魔化すところから来ているともいう。
 今日は文章よりも写真がメインとなる。もしくは、文章のスペースに写真を入れて水増ししたという言い方もできる。いらんことをしてたら時間がなくなってしまったという理由でもある。こんな日もあるさ。明日があるさ。明日がある、明日がある、明日があるさ〜。

小幡緑地の春色

 小幡緑地で見つけた春色。芝生も新芽が伸びてきて緑色が増えてきた。風はまだ冷たくて冬だけど、風が止まった日だまりにいると春を感じる。少しずつ緑地も春めいてきていた。2月も残すところ10日を切ったから、そりゃあもう春だ。
 春になって写真を撮っていると、世界はこんなにもたくさんの色が溢れていたんだと思い出す。冬の間の2ヶ月間、私たちは気づかないうちに色を失った風景に慣れてしまうのだ。

小幡緑地のススキ名残

 来る季節があれば去る季節がある。冬という季節は、4つの中でもっとも名残惜しまれない季節だろう。人は春と夏と秋の終わりにはその季節が去りゆくことを惜しみ嘆くのに、冬だけは去っていくのを喜ぶ。だから冬は心が冷えて寒くなってしまったのかもしれない。
 冬にだって冬ならではのいいところがたくさんあるのに。雪が街を覆う白の美しさや、霜が朝日に輝くきらめきや、冷たい風が彼女の頬を染めるピンクや、凍える体を寄せ合う温もりは、冬にしかないものだ。だから私は、人よりも少しだけ冬を好きでいて、冬が去っていくときは名残惜しむことにしている。ありがとうの言葉と共に、また来年の再会を約束して。

小幡緑地飛び去る鳥

 日没間際に飛び去った鳥のシルエットを後ろから捉えただけで、顔は見えなかった。アオサギだったか、カワウだったか。キミもきっと寝床へ帰るんだね。私もそろそろ帰ろう。帰る家があるということは幸せなことだ。そこに待つ人がいたらもっといい。それがホームとなる。心が帰っていく場所に。
 このとき、カワセミが突然目の前に現れて、水面にバチャンと飛び込んで魚を捕らえた。突然の出来事でカメラはまったく間に合わず。久々にカワセミを見て、ホバリングからエサ獲りまで披露してくれたというのに、なんて不覚。けど、あの一瞬の出来事を捉えるのは人間業じゃねぇ。飛んでるカワセミをきれいに撮った写真を見たら、それは人間業じゃないと思って間違いない。常人が普通のレンズで撮るのは無理。ポイントを決めてじっくり待ちの姿勢なら撮れるかもしれないけど。

小幡緑地の日没

 小幡緑地の日没。駐車場も時間切れ。夏場は7時まで開いてるのに、3月いっぱい5時半というのはどうしたことか。街中でもなく、そんなに治安の悪いところでもないし、もう少し開けておいても大丈夫そうなんだけど。愛知県の県営ということで、お役所仕事ということか。
 小幡緑地は、本園、西園、東園と飛び飛びになっている、中央園というのもあって、全部つなげるという計画があるはずなのに、どうも工事が進んでるような感じがない。愛知県はもうあきらめたのか。守山を名古屋のチベットと思って侮ってるんじゃないだろうか。全部つなげたら広大な緑地になって、かえって不便になるかもしれないけど、やれるものならやって欲しい。
 小幡緑地に関しては、また写真を撮ってきてあらためて紹介したいと思う。今日はこんなものでお茶請けとしてください(使い方が間違ってる)。これくらいならいつでもお茶の子さいさい。そんなの茶番劇ではないかと茶々を入れてはいけません。もしこれが日常茶飯事になってしまったら、それはへそで茶を沸かすことになってしまうかもしれないので気をつけよう。だんだん慣用句の使い方が無茶苦茶になってきたので、今日はこのへんで。
 以上、お茶目な私がお送りしました。明日は茶んと書きます。


味重視サンデー料理で危険な香りのしない安全な男となれ
2007年02月19日 (月) | 編集 |
味重視サンデー

PENTAX istDS+Super Takumar 50mm(f1.4), f2.8, 1/60s(絞り優先)



 突撃!私の晩ごはんが始まった今、重視すべきは作って楽しいことではなく、食べて美味しいこととなった。これからしばらくは冒険を控えて味重視でいこうと思う。山を下りた山男が勤め人になるように。モシャモシャのあごひげも剃ってしまおう(生えてないけど)。
 実際のところ、人に食べてもらうものを作るとなると、味の安定感というのが大切になる。これまでのように大きく当たり外れがあっても別に作るのが楽しけりゃそれでいいじゃんという10代の若者の投げやりな態度の調理人ではいられない。人に出すという前提で作ると、思った以上に重圧になるということも知った。小さな発表会みたいなものだから。
 ということで、今日はこれまで使ったやつにアレンジを加えて、これからの定番になり得るようなメニューを3品作った。食材の都合や財布との関係なども考慮しつつなので、必ずしも現時点でのベストではないものの、まずまずバランス良く作れたと思う。分量も味も申し分なかった。これなら人に出しても大丈夫そうだ。私としても、美味しくて満足だった。今回がたまたま当たりだっただけ、かもしれないけど。

 メイン料理は鮭。鮭というとおかずとしてはあまり嬉しくない部類に入るものだと思う。お母さん、今日の夕飯何? 塩鮭よ、なんだ、がっくり、というのが子供らしい反応だろう。定番の塩焼きなどは私も美味しいと思ったことがない。しかし、鮭は化ける可能性を持った食材だ。形のまま出さず、素材と考えてひと工夫すれば、ごちそうにもなり得る。和食としてよりもむしろフレンチ系で考えた方が美味しいものになりやすい。私は味覚がお子ちゃまなので子供の気持ちがよく分かる。魚は基本的にまずいものだという前提がある。肉よりもおかずとしてはずっと落ちるものだと。そんな私が美味しく食べられるように調理したものは、きっと現役の子供も気に入ると思うから、魚嫌いのちびっこに私の魚料理はおすすめしたい。魚も美味しいもんなんだなと思い直してくれると嬉しい。
 鮭はまず小さめに切り分ける。ここがまずお子様ポイントその一だ。魚を丸のまま出されるとそれだけで食べる気が失せる。ひとくちサイズになるとちょっと食べてみようかなという気になるものだ。
 鮭は塩、コショウをして少し置いておく。その間に、下に敷くジャガイモを作る。皮をむいて輪切りにして、ある程度柔らかくなるまでゆがいて、あとはバターで焼く。
 次に、オリーブオイルでタマネギとしめじを炒める。白ワインをふりかけて、少し塩コショウする。
 それをいったん取り出して、今度はバターで鮭を焼く。ここでも白ワインを少々。全部を皿に盛りつけてから、刻んだパセリを乗せる。
 味の決め手はやっぱりソース。今回は少し前にケーキを作ったときに残った生クリームがあったから、それでホワイトソースを作った。やっぱり生クリームを使うと牛乳とは全然違う。温めながらオリーブオイル、塩、黒コショウ、コンソメの素で味をととのえて、あとは鮭にかければ完成だ。
 鮭だけに全責任を負わせるのではなく、素材の中のひとつとして扱ってやることで子供の意識は分散して、鮭に対する拒絶感が薄くなる。鮭の塩焼きを弁当に入れて子供を魚嫌いにしてしまわないようにしてほしい。このことを30年前の私の母親に教えてあげたかった。

 左下は、ナスのチーズパン粉焼きとでも言おうか。前にも同じようなものを作った気がするけど、今回はツナ缶を使ったのが新しい試みだった。ナスのピザ風と言った方がいいかもしれない。
 ナスを薄めに横に切って、オリーブオイルで焼く。それをいったん取り出す。
 タマネギのみじんとベーコンを炒め、それも取り出す。次にツナ缶も炒める。それぞれ塩コショウで味付けをする。
 あとは、ナス、タマネギ、ベーコン、とろけるチーズの順に載せ、パン粉をたっぷりまぶしてトースターで焼けば出来上がり。載せるものもいろいろアレンジできるので、そのあたりは好みに合わせて。味にもう少しインパクトが欲しければ、この上に何かのソースをかけてもいい。ピザ風ということでトマトソースなども合いそうだ。

 右奥のやつが今回一番のヒットとなった。なんと名づけていいのか分からなかったのだけど、また明日にでも作って食べたいくらいだったのでおすすめしたい。
 豆腐は絹ごし豆腐を使う。使う分量だけ切り分けて、少し水分を飛ばしておく。
 鶏肉、戻ししいたけ、エビをごま油で炒める。ごま油というのがポイント。そこに切り分けてた豆腐を加え、白ワインを振りかける。豆腐の形が崩れにくいように小麦粉もまぶし入れる。
 たれは和風だれ。めんつゆ2:しょう油2:酒1:みりん1くらいの割合で混ぜたものをいったん煮立たせる。それを豆腐などの中に半分ほど回し入れて下味を付ける。そこに溶き卵を入れてフタをする。半熟になったところで早めに火を止める。
 皿に盛った後、刻み青のり、かつお節、青ネギをたっぷり振りかけて、だしを上から少しかけて味を調節する。
 半熟と絹ごし豆腐のフワフワ感と、青のり、かつお節、めんつゆベースのたれがよく合う。お好み焼き風でもあり、玉子丼ぶり風でもあるこの一品、簡単で美味しい追加の一品として明日の夕飯にでもぜひ。

 ある程度味が安定してきたら、次の課題は調理スピードということになる。今日のこの料理でも、途中休みを入れて合計2時間くらいはかかっている。ゆっくり作ってるというのがあるにしても、ちょっとかかりすぎだ。人の家の台所にそんなにゆったり作ってるわけにもいかないから、この程度なら1時間くらいにおさめたい。冷めることを度外視して一品ずつ作っていけばもっと早くできるのだろうけど、最終的に3品を同時くらいに仕上げようとするとどうしても時間がかかってしまう。そのへんの効率というのがまだよく分かってない。火が3つあるコンロが欲しい。
 見知らぬ国の料理シリーズはいったん休止して、しばらく味重視サンデーを続けていこうと思っている。自分の持ち料理が10くらいは欲しいところだ。食材に合わせて臨機応変に作れるように。
 来週はまた、突撃!私の夕ご飯が敢行される予定になっている。果たして上手くいくかどうか。とりあえず台所で爆発だけは避けたい。火事も厳禁。油をひっくり返すなんて以ての外。安全第一で美味しいサンデー料理を目指したい。料理をする上で危険な香りのする男となってはいけない。


シェリー、俺はあせりすぎたのか、しだれ梅はまだ一分咲きだったよ
2007年02月18日 (日) | 編集 |
農業センターの梅園前

OLYMPUS E-1+SIGMA 18-50mm(f3.5-5.6), f5.6, 1/80s(絞り優先)



 今年は暖かいから梅も早く咲いてるんじゃないかと期待して行った、天白の名古屋市農業センター。しかし、結果は写真の通り。咲いてるっていえば咲いてるけど、わずか1分咲き程度。完全に早まった。カップヌードルの3分が待てずに1分で食べ始めてしまったような早まり方。焦りすぎ。
 考えてみると毎年見頃は2月の終わりから3月中旬までだから、2月の11日ではさすがに早すぎた。あれから一週間近く経ったから、今はもう少し進んでいるだろう。
 今年の「枝垂れ梅まつり」は、3月3日から3月21までだそうだ。きれいな梅を見るには当然この時期がいいのだけど、このときばかりはものすごい人出になるから注意が必要だ。普段無料の駐車場も突如300円となってしまい、にもかかわらず公共交通機関が不便だから駐車場に車を入れるだけで大行列になってしまう(地下鉄「平針」からは歩いて20分かかるし、バスに乗って「荒池」で降りても7分歩かないといけない)。なので、行くならその直前か直後がいいと思う。
 毎週月曜定休(祭り期間は無休になるかも)で、時間は9時から16時30分まで。入場は無料。
 700本のしだれ梅は、日本一だそうだ。本当かどうかは分からない。もし本当なら同時に世界一となるだろうし、それは地球一となる。もしかしたら太陽系一かもしれない。ようこそここへ、銀河一のしだれ梅。実際、これだけしだれ梅に特化してる梅園も珍しいと思うから、一見の価値がある。満開のしだれ梅はあたり一面を白とピンクに染めて、降るように咲き誇る。梅の香りと風情も悪くない。

しだれ梅

 しだれ梅といっても50品種以上あるようで、ここでの主な品種は、呉服(くれは)、緑萼(りょくがく)、藤牡丹(ふじぼたん)、満月(まんげつ)だと説明板にあった。それらがしだれ梅界においてどのような位置づけのものなのか私にはさっぱり分からない。他にも、玉垣、青竜、白滝などがあるらしい。花の形は、八重や一重、大輪、中輪などがあり、色は白と淡紅が多く、一般的な梅のような赤いのは少ないようだ。
 古典文学にはしだれ梅は登場しない。ということは、江戸時代に品種改良して作られたものだろう。1681年の「花壇綱目」に一品種登場するというから、一般的になったのは江戸中期以降のようだ。意識的に作り出されたのか、偶然できたのか、そのあたりのことは分からない。いずれにしても、江戸時代というのは本当にのんきな時代だったなと思う。日本人が初めて趣味や道楽にうつつを抜かすことができた時代だったかもしれない。「スイス500年の平和が生んだものは鳩時計だけだ」と映画『第三の男』のセリフにあったけど、いやいやそうでもない、江戸260年の平和は実に多くのものを生み出して、今の私たちの暮らしや心を潤してくれている。鎖国も悪いことばかりじゃなかった。

農業センターの牛さんたち

 農業センターというからには、ここは農業のセンターである。昭和40年に、都市農業のための施設として作られ、当初は農家さんなどを対象に技術指導や技術の伝達を主にしていたのが、近年になって広く一般にも開放されるようになった。動物の飼育展示や、ふれ合いコーナーなどがあり、体験学習やアイスや牛乳などを飲み食いしたりもできる。ひと言で言えば、農業公園ということになるだろう。ただ、そう言われてもピンと来ない人が多いと思うけど。
 名古屋コーチンの他、天然記念物の鶏がたくさん飼われていたり、ふ化したばかりのヒナが間近で見られたり、牛に触ったりもできるので、子供も楽しめるようになっている。アイスも美味しいらしい。名古屋コーチンも売っている。さっきまでかわいいねと見ていたものの肉をお土産に買っていくのはどうなんだろうと思わないでもないけれど。
 ベゴニア温室もなかなかの充実している。ただし、冬場は外との気温差がありすぎて、入った瞬間にデジのレンズとメガネ曇って鍋はすっかり食うものなし状態になってしまうので、ここへ行くときはクリンビューを持っていくといいだろう(今でも売ってるんだろうか。)。
 ひょうたんのトンネルや、ジャンボカボチャなどの季節の風物詩あり、7月の子供体験教室、11月の動物ふれ合い農業センターまつりなどのイベントありで、一年中楽しめるようになっている。
 親子乳搾り教室(500円)に参加すれば、帰りに「乳搾り体験証明書」がもらえる。これさえ持っていれば、オレはちょっと乳搾りにはうるさい男だぜとクラスのみんなに自慢できること請け合いだ。子供部屋の目立つところに飾っておこう!

農業センターのロウバイ

 梅をあまり撮れなかったので、ロウバイを撮ってみた。中をしっかり確認しなかったのだけど、これはソシンロウバイ(素心蝋梅)かもしれない。中が紫色のものをロウバイ、中まで黄色いものをソシンロウバイとして区別している。
 ロウバイと聞くといつも狼狽を連想する。特にやましいところはないけど、狼狽してしまいがちな私。実際は、花の質感が蝋細工(ろうざいく)のようだから蝋(ろう)の梅と名づけられたとか、花の色が蜜蝋(みつろう)に似ているからそう呼ばれるようになったなどと言われている。
 中国原産ということで、「唐梅」と書いてトウバイやカラウメという別名も付いている。中国での自生地ははっきりしていないようだ。かなり山奥らしい。
 日本へは江戸時代の始め頃、朝鮮半島経由で入ってきたということになっている。冬の花が寂しい時期に咲く貴重な木として、すぐに定着して各地で植えられるようになったようだ。臘梅(ロウバイ)は中国名で、日本でもそのままこの名前が使われた。
 学名のキモナンサス(Chimonanthus)はギリシア語で「冬の花」を意味する。英名は「Winter Sweet」。これもやっぱりそのままだ。スウィートは見た目と甘い香りから来ているのだろう。
 花の構造が少し変わっていて、萼(がく)と花弁がはっきりしていない。たくさんの花被片が集まっていて、中心に多くの雌しべとその外に数本の雄しべがある。だから、梅という名前は付いていてもバラ科ではなくて、ロウバイ科ロウバイ属という独立種とされている。
 育てるのはそれほど難しくないようで、中国ではよく庭木としても植えられているそうだ。日本では一般家庭の庭ではあまり見かけないような気がする。日当たりのいいところが好きなくせに西日が嫌いなんだとか。西日好きの私とは相性が悪いかもしれない。あまり見たことがないのだけど、赤紫色の実がなって、最終的には落花生のようになる。なんとなく食べられそうなんだけど、食べるとロクなことにならないようなので公園で見かけても取って食べない方がいいと思う。

 農業センターのしだれ梅はもちろん素晴らしいものだし、見る価値があるのだけど、個人的にはあえてシーズンオフをオススメしたい。すごく面白い見物があるというわけではないのに、なんとなく居心地がいい場所だから。人が少ないときにのんびりプラプラすると気持ちいいのだ。のんきに寝そべっている牛を見てゆったりした気持ちになったり、多種多様なニワトリの姿を見て笑ったり、ヒヨコを見てカラーヒヨコの思い出に浸ったり、家畜の匂いを胸一杯に吸い込めば、日頃のうっぷんも吹き飛ぶというものだ。
 なにはともあれ、しだれ梅。まずはこれを一度見てから、次に農業センター上級者コースでお会いしましょう。梅そっちのけで地面にはいつくばるようにして写真を撮っている男がいたら、それはお金を落として困っているのではなく野草の写真を撮ってる私です。今なら春の野草オールスターズが顔を揃えて咲いてます。


初対面のセリバオウレンは影分身の術で私を惑わせた
2007年02月17日 (土) | 編集 |
セリバオウレン-1

Canon EOS Kiss Digital N+TAMRON SP 90mm(f2.8), f4.0, 1/50s(絞り優先)



 誰が呼んだか瀬戸の冷蔵庫・岩屋堂。夏はひんやり、冬は冷え冷え。いつ行ってもあそこは明らかに市内とは温度が違う。瀬戸駅から車で10分ほど山へ入っていっただけなのにあの温度差は、地形の影響もあるのだろうか。今日も猛烈に寒かった。名古屋を出たときは春だったのに、岩屋堂へ着いたら真冬だった。デジを持つ手がかじかんで取り落としそうになるほどに。
 岩屋堂の入口にある浄源寺裏にセリバオウレンが咲いていると教えてもらったのが去年の2月。愛知県内ではっきりと咲いてると分かっている場所は、三河の新城市や県民の森と、瀬戸のここくらいしかないという珍しい野草なので、ぜひ一度見たいと思った。しかし、二度行って二度とも見つからず。岩屋堂との相性の悪さも手伝って、ついにセリバオウレンは私に微笑むことなく去年は終わってしまったのだった。
 そんな悲し悔しい思いからまるっと一年。また早春のこの季節が巡ってきた。今年こその思いを胸に、今日満を持して岩屋堂を目指した。コブクロの「ここにしか咲かない花」を口ずさみながら。
 今回は見とがめられてもひるまないという強い覚悟を持ってずんずん奥まで入っていった。「入山禁止」の立て札を越え(去年はここで引き返してしまった)、思い切ってお寺の裏庭に踏み込むと、一面のセリバオウレンたちが私を出迎えてくれたのだった。おおー、きみたち、こんなところにいたのか。はじめまして、セリバオウレン。去年から探してましたよ。
 あっ、ここにも、おっ、こっちにも、あそこにも。って、多っ! うじゃうじゃいるではないか。どんだけあるんだ、これ。私の頭の中では、どこか一角にひっそりと20とか30株が固まって咲いているというイメージだったのだけど、庭といわず山の斜面といわず、まるで雑草のようにボコボコ生えているではないか。いやーん、こんなにたくさんじゃありがたみがないぞ。大人気で売り切れ必至の限定商品を勢い込んで買いに行ったら店に山積みになっていて拍子抜けしたみたいな感じだ。数十どころではなく数百か、千以上だったかもしれない。まさに群生状態。
 こうなると逆にどこをどう撮っていいのか戸惑う。撮れるポイントがありすぎて絞りきれない。一応みんなのセリバオウレン写真を見比べてイメージを作っていったつもりだったのだけど、いざとなるとそれも飛んでしまった。とりあえず思いつく限りいろいろなパターンを撮ってみたものの、帰ってきてから見てみたら、なんだか全然イメージ通りじゃなかった。花が小さくて咲き方がバラバラだから普通に撮るのもやっかいなのに、上手に撮ろうとするとこれはすごく難しい花だ。本当ならじっくり時間をかけて撮影にいいポイントを見つけないといけないのだろうけど、日没間近ということで時間もなくてそうもいかなかった。早くも来年再挑戦することと心に誓った私であった。
 次は光が当たっているときに行こう。レンズはマクロレンズが基本なんだろうけど、あまり近づきすぎてアップで撮ると、この花の小さくて可憐な様子が伝わらない。けど、離れて撮ると背景がうるさくなって雑多な感じになってしまう。むしろ明るい中望遠あたりで遠くから撮った方がいいのかもしれない。200mm f4とか、180mm f2.8とかで。もしくは、寄れる広角28mmあたりも面白そうだ。
 それから、ロケーション的に斜面で、花の位置が低いから普通の三脚は役に立たない。ローアングルの三脚か、もしくはビニールシートを持っていくのもよさそうだ。人目がなければシートの上に腹ばいになってヒジをついて撮った方がブレなくていい。その状態を人に見られるとかなり恥ずかしいけど、そのときはほふく前進で裏山に逃げ込むといいだろう。

セリバオウレン雄

 アップで撮ると、それはまるで初春の白い花火のよう。または、ミルククラウンを連想させる。これは肉眼ではなかなか見られない世界だ。
 セリバオウレンにはオスとメスがいる。あるいは、雄と両性があると言った方がいいのだろうか。上の写真のように真っ白でおしべがびよんびよん伸びてるのが雄で、下の写真のように中心が緑だったり紫だったりでおしべがないのが雌になる。人によってはそちらを両性花と説明しているので、そっちのほうが正式な呼び名なのかもしれない。
 春の妖精カタクリやショウジョウバカマに先立って真っ先に白い花を弾かせる。少し黄色っぽいものやピンクがかったものもある。

セリバオウレン雌

 分布は本州と四国の山地の林など。日本海側に分布しているオウレンの変種とされ、太平洋側に多い。セリバ(芹葉)の名前のように、細かく切れ込んだ葉がセリに似ているところから名づけられた。その他、コセリバオウレン、キクバオウレン、ミツバオウレン、バイカオウレンなどがある。
 オウレン(黄連)は、中国のシナオウレンに由来するもので、もともとはカクマグサ(加久末久佐)と呼ばれていたそうだ。
 キンポウゲ科の花で、高さ10-15センチ、花の大きさは1センチほど。白い花びらのように見えているのはガク(萼)で、ガク片は5-7枚、花弁は5-10枚で目立たない。1本の茎の先に2-4個の花をつける。
 昔は薬草としてよく使われていた。日本でも中国でも有名だったようで、どちらの国でも栽培されている。江戸時代には日本のものが中国に輸出されていたらしい。
 抗菌、炎症止めの作用があるようで、鼻血や歯ぐきに出血を止めたり、赤痢やコレラにも効いたとか。かなり強い薬効がありそうだ。猛烈に苦いんだとか。
 お寺の裏庭とかに多いのは、かつての住職が薬草として植えたものが野生化したということも多いようだ。

 セリバオウレンのことを今日調べていて、ここ最近、野草の勉強をすっかり怠っていたことに気づいた。野草博士になるというのも大事な課題のひとつだったことを思い出す。シーズンオフだからといって何もしないでいいはずがない。勉強しなければ詳しくなれないし、覚えるためには反復が必要不可欠だ。何度も見て、いつでも頭の中の引き出しから取り出せるようにしておかなければ記憶として定着しないし役に立たない。
 今年で野草も3周目に入る。何も分からなかった1年目、少し分かるようになった2年目、3年目はもう言い訳がきかない。見分けがつかなかったり分からなかったりしたら、それは勉強不足に他ならない。今年の終わりには、基本的なものに関してはたいてい知っているところまでいきたい。
 野草に詳しくなったところで何がどうなるというわけでもないけど、地球と仲良くなればそれだけ楽しみや喜びとして自分に返ってくる。無関心だった頃は見えなかったことが見えるようになるのは嬉しいことだ。
 なんなら片っ端から野草を食って覚えるくらいの意気込みを見せたい。暗記した辞書のページを食べてしまう受験生のように(今どきどんなやついない)。
 まずは現地に出向いていって自分で写真を撮るのが一番だ。その写真を持ち帰って図鑑やネットで調べてブログに書くことまですれば、さすがの私も覚える。いくら記憶力に難があるからといって、それをきれいさっぱり忘れてしまうほどうっかりさんではないつもりだ。あえて食うまでもない。
 春はもう近い。短い2月が終わって3月になれば、春の野草シーズンが本格的に開幕する。そろそろ自主トレからキャンプインに入ってもいい頃だ。今年もたくさん野草を撮れるといいな。野草写真ももっと上達しなくちゃ。新しい野草といくつ出会えるだろう。


ようやく初めて訪れることになったランの館のまだ半分の顔
2007年02月16日 (金) | 編集 |
ランの館表

OLYMPUS E-1+SIGMA 18-50mm(f3.5-5.6), f4.5, 0.4s(絞り優先)



 前からずっと気になっていたランの館。大須の街中にあって駐車場がないというのと入館料700円という微妙な高さから、一度は行かなくてはいけないと思いつつ、これまでなんとなく行けずにいた。そもそも洋ランには特に思い入れもないということもあって。
 今回ようやく行けたのは、ツレがいたということと、たまたま時間があったという条件が重なったからだった。縁がなかった場所にも別の縁がつないでくれるということがある。
 行ったのは12日祝日の夜。夜間割引で入館は500円だった。更にJAFの会員割引も使おうとしたら、それは昼だけです、とあっけなく断られる。100円を浮かそうとして貧乏性を露呈してしまう結果となった。
 入口はバレンタインのイルミネーションが飾られていた。でも2月に見るイルミネーションはどこか気恥ずかしさを感じる。はずし忘れたまま走ってる車のしめ縄のように。クリスマスシーズンにはまったく違和感がないのに、不思議といえば不思議だ。

ランの館アトリウム

 チケット売り場を超えた先がアトリウム(大温室)となっている。イルミネーションやハートの風船などはバレンタイン仕様なのだろう。写真で見ると少し安っぽい感じがするけど、実際はけっこうきれいでよかった。うん、これはこれで悪くない。
 温室内は思ったほど温度が高くない。湿度は高いのにレンズは曇らなかった。ランのための温度設定はけっこう低めになっているようだ。
 アトリウムでは色とりどり様々なランが出迎えてくれる。しかし、ランにあまり興味のない我々としては、ああ、きれいだねという当たり障りのない感想を口にしたあと気の利いたコメントが続かない。まったく名前も知らないし、色や形を見てもどのランがどうなのかとか何ともとりとめがない。野草でも手に余るのに、2万種類もあるというランを覚えようという気にはなれない。
 ロンドンのクリスタルパレスをモデルにしたというこの温室だけでも、年間250種類、20,000株のランが季節に合わせて展示されるそうだ。中にはソブラリア・アクランタなどの珍しい種類もあって、ラン愛好家が遠くから訪れるという。ラン好きにとっては、これだけのランに囲まれていたらそれだけで幸せ気分に浸れるというものだろう。女好きが美女に囲まれてるようなものだ(それはちょっと違う)。
 エントランスホールではランの鉢や切り花も売っていて、けっこう安いようだ。

ランの館くつろぎ室

 館内には温室だけでなく、「飾りモデル展示棟」というのがあって、写真のようにランのある暮らしを提案するという趣旨のくつろぎスペースが用意されている。ラン好きの奥さんに無理矢理連れてこられて、館内でほっぽらかしにされて手持ち無沙汰になってしまったお父さんのための場所と言えるかもしれない。別荘の居間風で、なかなか贅沢な作りになっている。ふかふかソファーに腰掛けてふんぞり返れば、一時的にせよ金持ち気分が味わえる。持参したバスローブに着替えて、手に持ったワイングラスを回したい。貧乏性の私はどうにも落ち着かず、とりあえず記念写真を撮って楽しんだ。
 棟内にはこのような部屋が4部屋あって、書斎ではランや園芸に関する専門書などを閲覧することができる。

ランの館トライアングル

 館内放送で、夜の7時からトライアングルによる演奏会が行われますと流れた。ほぉほぉ、バレンタインだけに女子大生のグループか何かがトライアングルで曲を演奏するんだなと思ったら、外国のおじさん3人組だった。そっちかよ! 私としては金城学院あたりのトライアングル演奏が聴きたかった。トライアングルの音色なんて、考えてみると小学校か中学以来耳にしてない気がする。あの音はけっこう好きだった。
 ここでは毎週週末にメンバー日替わりでいろいろな演奏会が開かれているようだ。このときも聴衆が意外と多かったから、これを目当てに訪れる人もいるのだろう。トライアングルというのは有名なバンドなんだろうか。

ランの館庭

 ランの館がオープンしたのは、平成10年のことだった。都会にオアシスをということで、20億円もかけて建設された。キーワードは、「夢」、「楽しさ」、「ロマンチック」だそうだ。確かに夢やロマンには金がかかる。
 コンセプトは、ヨーロッパのある国のラン好きの外交官アジョナ・オーキッド氏(架空の人物)が名古屋に屋敷を構えたらこんなふうになるだろう、というものだそうだ。ヨーロッパとアジア各国を歴任したオーキッド氏は、ランにも詳しく、道楽が昂じてこんな邸宅を建ててしまったのだった(という設定)。愛知県は意外にもランの生産日本一ということもあってランのテーマパークとなった。けっこう評判はいいようで、総入場者数も140万人を超えたとか。
 建物の外には池やテラスなどがあり、こちらがランの館の半分とも言える。アジアの庭と名づけられたスペースには、外で育つランなども植えられていて、池にはライトアップされた噴水があり、夏は熱帯性のスイレンが彩りを添える。
 外にはカフェテリアが、建物の中にはレストランがあって、アトリウムを見下ろしながら食事を楽しむこともできる。
 開館時間は午前10時から夜の8時まで。水曜定休で駐車場はなし。建物横のパーキングメーターのところにとめるか、少し離れた若宮公園駐車場あたりにとめることになる(若宮なら30分無料チケットがもらえる)。地下鉄なら、「矢場町」か「上前津」で降りて、徒歩5分くらい。
 季節ごとのイベントなどもいろいろあるようで、今はホワイトデーまでバレンタインイベントが行われている。

 で、結局のところ、ランの館ってオススメなのどうなのと訊かれると、うーんとうなって少し考えてしまう。人を選ぶというか、すごく楽しめる人は限定されるとは思う。ラン好きにはたまらなく魅力的なところなのだろうけど、そうじゃない人が見いだせる楽しみというとはっきりこれだというものが見つからない。確かに空間としては花に囲まれてゆったりできてちょっと贅沢ではあるのだけど、どうしてもここじゃなければ味わえないものというのはないかもしれない。場所的に栄や名駅ではなく大須というのも、やや魅力に欠けるか。
 ただ、訪れる時期と時間帯によって大きく印象が違ってくるというのはあるだろう。初めて行ったのが冬の夜というのと夏の昼というのとでは全然違う。私としても判断は夏にもう一度行ってからにした方がよさそうだ。ランも夏の方が充実するだろうし、庭で写真を撮るにも被写体は増えるはずだ。
 第一回目の訪問としてはこんなものだろう。縁がなかったところに縁を作ってくれたツレに感謝しつつ、ランの館よ、夏にもう一度呼んでおくれとお願いしたい。次こそなんとしてでもJAFの会員割引を使ってやるのだ。


鳥のことは鳥の人に訊け、トラフズクと一年ぶりの再会叶う
2007年02月15日 (木) | 編集 |
今年もトラフズク

OLYMPUS E-1+Super Takumar 300mm(f4), f4, 1/100s(絞り優先)



 今年も庄内緑地にトラフズクがやって来たというウワサを聞いて、早速出向いてみることにした。去年初めて見たときの感動が忘れがたく、今回はツレを引き連れてだったので期待も大きかった。
 しかし、上を向いて歩こう涙がこぼれないようにと探すこと30分、いっこうに見つかる気配はない。去年いたポイントを重点的に探すものの、どうにもいる様子がない。そもそも誰ひとり木の上を見上げてる人がいないし、周りを見渡してもカメラを持っている人がひとりもいないというのは不自然すぎた。庄内のトラフといえばちょっとした名物だから、休みの日に誰も来ていないなんことはまずない。おかしい。一体どこにいるんだ。途方に暮れる我々。猫を撮ったり菜の花の前で記念写真を撮ったりしていても、どうにももどかしい。せっかく来たのだから、ひと目でも見てみたい。トラフズクやーい、どこにいるんですかぁ?
 もうあきらめて帰ろうとしたとき通りかかった緑地のグリーンプラザの人。思い切って訊いてみると(私はトイレ中でツレが)、池の向こう側にいるという情報をくれた。なんと、そんな方に!? 手掛かりを掴んだ我々一行は喜び勇んでそちらへと向かったのだった。
 現地に着いてみると、うほっ、望遠レンズをつけた人の群れがっ! ここに違いない。これで見られるぞと期待は膨らむ。んがっ、どうも様子が変だ。あたりに今ひとつ緊張感がなく、それ以前にカメラが上ではなく下や横を向いている。トラフは木の高いところにいるはずだから、それはおかしい。あ、あんなところに! と木の間から顔をのぞかせているやつがそうかと思ったら、それはササゴイの子供だった。なんだよ、紛らわしいやつめ。いや、ササゴイも初めて見たから嬉しくないことはなかったのだけど今はそれどころじゃない。
 鳥の人集団に紛れ込んでしまった私たちが次にしたのは、更に情報を求めて人に訊いてみるということだった。最初の人は自分も分からないというもので、次に訊いてみた人があっさり答えてくれた。トラフならあっちに一羽いるよ、と。指差した方向は私たちが最初に探して見つからなかった場所だった。ええー! グリーンプラザの人の情報って偽情報だったのか!?
 親切なおばさまが現場まで案内してくれるというのでありがたくあとをついていくことにした。肉眼では探せないよということで。結局、場所は去年とは少し離れた別の木だった。その場所は何の特徴も目印もないところで、私たちだけでは絶対に見つけられな場所だった。見上げてよくよく見てみてもなかなか見つからない。苦労の末ようやく見えたのは、トラフの腹だった。あ、いたっ。そうそう、あれは紛れもなくトラフだ。うわー、やっと会えたか。
 けど、シチュエーション、悪っ。右に左に移動してみるものの、どうやっても全身が見える位置がない。ようやく写真を撮ったこの角度がベストくらいだった。わずかに下を向いたときがあったけど、そのときの写真はブレブレで使い物にならず、三脚を車の中に置いてきたのが悔やまれた。
 それでもようやく再会がかなったトラフズクにまたもや感動。ツレも持参の双眼鏡(なんでそんなもの持ってるんだ)でしっかり見ることができて喜んでいた。普通の人が野生のフクロウを見る機会というのはめったにない。大多数が一生見ずに終わると言ってもいいだろう。だから、初めて見る生フクロウはけっこう感動なのだ。鳥の域を超えた小動物の存在感がある。
 トラフズクは中部以北では留鳥で、名古屋などは冬場の短い期間しか見ることができないから貴重だ。2月くらいにやってきて、一番寒い時期をここで過ごして、春になるとまた北日本に帰っていく。去年は庄内緑地に4羽来ていたのが、今年はここまで1羽しか来ていない。まだ増えることはあるんだろうか。去年は中日新聞に載ってかなりな騒ぎになってしまったから、今年は1羽で静かに過ごさせてやった方がいいのかもしれない。去年のメンバーはあのフィーバーが嫌になって場所を変えたのだろうか。戻ってきてくれるといいのだけど。

 トラフズクについては去年書いた。特に書き足すことはない。
 去年はトトロに見えた。今年は猫とウサギのドッキングというのに気づいた。眠たそうな目は猫に似ていて、耳(羽角)と顔の形はウサギに似ている。猫がバニーガールの格好をしたらかわいいに決まっている。体の模様はトラフ(虎斑)、つまり虎模様ということで、完全にウォータービジネス系のおねえさんスタイルだ。だから人気があるのか?
 来年もまたきっと会いに行きたい。早春の風物詩として定着させよう。春一番のように。

庄内緑地撮影会

 庄内緑地は相変わらず、訪れた人それぞれが思い思いのことをして過ごしていた。走る人、歩く人、スポーツをする人、犬の散歩をする人、坐る人、写真を撮る人、釣りをする人、などなど。一様にのんびりしていて、ここでの時間を楽しんでいるというのが伝わってくる。この緑地のいいところは、場所を提供して、最小限の道具を揃えて、それ以上干渉したり無理強いしたりしないところだ。ああしろこうしろという押しつけがましさがないのがいい。だからみんな自由にやりたいことをやっている。
 アマチュア撮影会も行われていた。女の子とカメラ男たち。盛り上がっていて楽しそうだったけど、あの中に入る勇気は私にはない。クリスマスイブの花火大会でひとり三脚を立てて花火を撮影するのと同じくらいの難易度の高さを感じた。まだまだ修行が足りない。もっと頑張って煩悩を振り払いたいと思う。庄内緑地で鳥撮りのためにほふく前進ができるようになるまで。

マグノリア園

 あ、マグノリア! 個人的に受けたこのネーミング。
 マグノリアって何だろうと思って帰ってきて調べたら、モクレン、コブシ、タイサンボクなどのモクレン科の植物の総称だった。そうだったのか、全然知らなかった。映画『マグノリア』を観てるのに、そのときはどんな意味か考えなかった。映画の方は同時期にあった『アメリカンビューティー』とこんがらがっていて、どっちがどういう内容だったかあまり覚えてない。
 なにはともあれ、マグノリアに関する謎がひとつ解けてよかった。ちなみに、マグノリアという名前は17-18世紀のフランスの植物学者ピエール・マニョル(Pierre Magnol)から来ているらしい。
 マグノリアの花たちも、すぐそこまで迫った出番を待ち構えていることだろう。

庄内緑地の猫

 庄内緑地をのんきに歩き回っていた猫。首輪をつけてるから飼い猫だろうか。それにしても緑地内を勝手知った自分の庭のような顔でほっつき歩いていたから、首輪だけつけてもらって緑地内で野良生活を送っているのかもしれない。毛並みもきれいだったから、誰かのメシをもらっているのだろう。人に対する警戒心も弱めだった。口の周りの泥棒メイクに愛嬌があってよかった。

 庄内緑地はいいところだと思う。駐車場が有料じゃなければもっといい。季節の花があり、広い空間があり、何もないけど楽しめる。いろんな人が訪れていて、写真に撮るものもたくさんある。行けば何かしらの収穫があるというのも相性のよさだ。今後もちょくちょく行こうと思っている。
 春になれば桜も咲く。梅はぼちぼち咲き始めていた。5月にはバラ園のバラもある。野鳥もじっくり構えればいろいろ撮ることができそうだ。
 今回の一番の収穫というか教訓は、鳥のことは鳥の人に訊け、というものだった。恥ずかしがることはないし、訊けば親切にいろいろ教えてくれる。鳥撮り同士はライバル関係などではないのだから。トラフズクのことを教えてくれたおばさま、おじさまに感謝。


地下の青い猫は心地いい空間と美味しい珈琲で非ジャズ人を迎えてくれた
2007年02月14日 (水) | 編集 |
地下の猫

OLYMPUS E-1+SIGMA 18-50mm(f3.5-5.6), f5.6, 1/13s(絞り優先)



 人生には思いがけない出会いがあり、それによって興味対象が増え、新しい経験が生まれる。まさか自分がジャズ喫茶などというものに足を踏み入れることになろうとは、去年までの私には思いもよらなかった。タイムトラベルをして一年前の私に会いに行って、お前は一年後にジャズ喫茶に行くことになると告げたとしても、去年の私は笑い飛ばして本気にしなかっただろう。行かない方に全財産を賭けてもいいとまで言ったかもしれない。賭けなくてよかったと今の私は思う。明日の自分がどうなるかなんて、自分自身にも分かりっこないのだ。
 ひとつのキーワードが別のキーとつながってそれが連鎖する。ジャズと猫が名古屋で出会って青い猫となり、私たちを呼び寄せた。地下の猫へ行こうと誘ったのは私の方だった。ジャズを意識的に聴いたこともなければジャズの知識などまったくない私が、不安を感じることなくジャズ喫茶の扉を開けることができたのは、ツレがジャズの人だったからだ。
 我々は名東区の藤が丘駅にほど近い「JAZZ茶房 青猫」の重い鉄扉を開けた。

青猫カウンター
以下 OLYMPUS E-1+Super Takumar 50mm(f1.4)

 ♪ 地下のジャズ喫茶 変われないぼくたちがいた 悪い夢のように 時がなぜてゆく♪
 行く前は、森田童子の「ぼくたちの失敗」のような場所を少し想像していた。けど、それはいい意味で裏切られることになる。確かに地下ではあるし、照明は薄暗いものの、悪い夢のようではもちろんなく、ストーブ代わりの電熱器を抱えてるような貧乏学生の客もいない。スピーカーから流れる音楽も大音量ではなく、お客はみな音楽を聴くか、店においてある本を静かに読んでいるかで、落ち着いた雰囲気に包まれている。音楽を聴くことをメインとしたスペースと、おしゃべりをしてもいいコーナーとが区別されていて、ジャズのディープなファン以外はお断りといった昔ながらのジャズ喫茶とは違っているのが嬉しい。とはいえ、平日の昼下がりに主婦4人組が大声で井戸端会議をするようなお店ではない。
 コンクリートむき出しの壁と天井、カウンターの向こうには遠巻きに見ると若き日の手塚治虫風のオーナーと推定奥様の美人さんがいる。壁一面のCDジャケットと、店主の趣味と思わしき文学書。トイレがまたいい。レトロ趣味とウォシュレットの組み合わせが斬新だ。こだわりのインテリアひとつひとつに意志を感じさせる。
 注文はブレンドのホットふたつ。ジャズ喫茶にはホットコーヒーがよく似合う。間違ってもクリームソーダなどを注文してはいけない。そもそもそんなものメニューに載ってないし。

ジャズ喫茶といえばホットコーヒー

 シンプルでありながら少しひねりの効いたカップに入ったコーヒーは本物だった。最近まともなコーヒーを飲んでなかったことにあらためて気づく。もちろん、名古屋名物コーヒーにピーナツなどは付いてこない。
 ケーキやパスタなども美味しいらしいので、軽い食事をするときもこの店は選択肢に入る。
 コーヒーを飲みながら小さめの声でツレと話しているうちにだんだんこの店の空気に馴染んでいくのを感じた。ここならひとりで入って、持参した小説を読みながら過ごすのにもいい。もし今自分が大学生だったら、週に2、3回は通ったかもしれない。ただ、何かひとつ物足りないものがあると思って何だろうと考えて分かった。それは猫がいないことだ。これで店の看板猫がいたら個人的に言うことなしだった。catがスラングでジャズミュージシャンやジャズ好きを意味するということをツレに教えてもらって知ってはいたのだけど、それでもせっかくの青猫という店名だから、ロシアンブルーでもいてくれたら最高だった。店の名前は、萩原朔太郎の詩集『青猫』から来ているそうだ。

 ああ このおほきな都會の夜にねむれるものは
 ただ一疋の青い猫のかげだ
 かなしい人類の歴史を語る猫のかげだ
 われの求めてやまざる幸福の青い影だ


青猫のこだわりCD

 ここの店の特徴のひとつとして、レコードではなくCDをかけているというのがある。しかし、音響システムがなかりすごいらしい。ステレオ関係も特に詳しくないのでよく分からないのだけど、ゴールドムンドのアンプ、プレイヤーと、JBL S9800SEスピーカーの組み合わせで700万円だとか。私は高校のとき、明菜ちゃんが宣伝していたPIONEER PRIVATEコンポをためたお年玉で買って大喜びしていた程度で、それ以降音へのこだわりはあまりない。ただ、実際にいい音を耳にすればこれは違うなというくらいは分かる。すごく立体的な音だった。音楽を聴きたい人用に、スピーカー前にも席が用意されているので、そこに坐って思う存分音楽を浴びるように聴くことができる。
「何時間でも好きなだけ居て下さって結構です」店主。だそうだ。
 リクエストすれば自分の好きなアルバムもかけてくれるらしい。そうじゃないときは、オーナーがひっきりなしにCDを取り替えて聴きたい楽を流している。本当にジャズが好きでこの店をやってるのだなというのが伝わってくる。

 場所は、藤が丘駅の前の北西へ向かう前の道を行った、アンフィニビルの地下1階になる。駐車場はないので少し離れた隣の有料駐車場に入れる(30分100円)。営業は13時から24時(日曜は19時まで)。木曜定休(現在、15日まで臨時休業中)。
 ジャズ好きな人はもちろん、ジャズにまったく興味がない人にもオススメしたい店だ。通りすがりに見つけられるような店ではないので、この店が似合いそうな人を連れて行ってあげたり教えてあげると喜ばれると思う。続々と客が押し寄せてきたらオーナーも困ってしまうと思うけど、「青猫」は人に教えたくなるような素敵な喫茶店だった。私もまた行きたい。次までにはもう少しジャズについても勉強していこう。ジャズはアメリカの黒人の音楽が発祥だから、シャネルズのメイクで行くっていうものアリだ。おそらく青猫の中にいるシャネルズは私だけだと思うので、見かけたらひと声かけてください。靴墨は肌に悪いぞ、と。


野鳥写真2枚を提出して無事帰宅報告
2007年02月13日 (火) | 編集 |
カルガモと水面模様

OLYMPUS E-1+SIGMA 18-50mm(f3.5-5.6), f4.0, 1/50s(絞り優先)



 逃げ去るカルガモが作った波紋と水面風景。

マガモと菜の花の黄色

 菜の花越しのマガモたち。

 眠たさに負けて、続きはまた明日。


コガモくん、暖冬の日本は過ごしやすいですか?
2007年02月10日 (土) | 編集 |
コガモ毛づくろい

OLYMPUS E-1+Super Takumar 300mm(f4), f4.0, 1/100s(絞り優先)



 コガモくんは矢田川で毛づくろい中。今年の名古屋の冬は暖かいから、カモたちは助かっているんじゃないだろうか。それともあまりにも寒くなさ過ぎて調子が狂ってるだろうか。最近暖かい日が続いたから、もしかして春を待たずに帰っていってしまったあわてん坊もいるかもしれない。カモにしてみれば、季節の判断基準はカレンダーではなく体感だろうから。まだ春じゃないですよ。もう少しゆっくりしていってくださいね。
 この暖かさも影響してか、今年はうちの近所のカモたちがかなり少ない。まだ観察を始めてから3シーズン目だから実際のところはどうか分からないのだけど、印象としては前の2年より明らかに少ないと思う。いつも必ずいたスポットにもいなくて、去年たくさんいたところも数羽だけという状態で寂しい。たまたまタイミングが悪かったというのがあるにしても、今年の状態は普通じゃない。このまま温暖化が進んでいったら、カモたちは違う場所に渡っていくことになるのだろうか。

 コガモは秋の早い時期からやって来るカモだ。小さい体のトップバッターといったところか。チョコマカしてるところが柴田っぽい。でも、この小さな体で遠くシベリアやカムチャツカ半島から数千キロも飛んでやって来る、偉大な旅人なのだ。生きるためとはいえ、すごいことだ。
 越冬地である日本で相手を見つけて、カップルになって向こうへ帰って子育てをする。春が深まってもまだ残っているやつは、相手が見つからなかったやつなんだろう。桜が咲く季節までいたらそれはちょっと遅れてしまっていると見ていい。見つからなくてもとりあえず帰るしかない。コガモたちにとって日本の夏は暑すぎる。
 コガモは全国的にポピュラーな種で、いるところには普通にたくさんいる。名古屋の川や池にも多い。東京には意外と少なかったので驚いた。不忍池などはあんなにたくさんカモ類がいるのにコガモは見かけなかった。いても数羽程度しか見ないのだという。

コガモのオスメス

 やって来たときは体がまだら模様でオスとメスの区別がつきにくい。冬の深まりとともにオスは羽が生えかわってきれいになっていく。メスに気に入ってもらわなくてはいけないからだ。
 茶色い頭と目の周囲から頭の後ろにかけての緑色のふちどりがチャームポイント。体は城、灰色、黒のグラデーションで、横から見ると真ん中あたりに鮮やかな白いラインが入っている。胸のところに縦にラインが入ってるやつがいたら、それは亜種アメリカコガモで、ちょっと珍しい。交雑個体もたまにいる。クチバシと足は黒い。メスは全体的に褐色のまだらで地味な色をしている。人間以外の生き物はたいていオスが着飾って、メスが相手を決める選択権を持っている。人間は生き物としては例外的な存在と言えるだろう。
 大きさは日本にやって来るカモの中では最小で、40センチほどしかない。他のカモと並ぶとその小ささが際立つ。しずちゃんとカラテカの矢部くらいの違いがある(分かりづらい比較)。体重は300gちょっと。
 たまに海にもいるけど、基本的には淡水で小さな群れを作っている。池や川が好きらしく、比較的流れが早い川にもいる。
 冬場はカップル探しと同時に狩猟期でもある。渡って帰る春のために、たっぷり食べて体力をつけておかないといけない。エサ取りは夕方から夜にかけてがメインとなる。ほぼ草食で、草の種や葉っぱ、茎などをクチバシでコシコシして食べる。潜ることはできないので、水中に顔を突っ込んでひっくり返ってる様子も見かける。夜間は田んぼや湿地まで遠征していって、そこでエサを取っていたりもするらしい。
 かなり警戒心が強くて、人に慣れることがほとんどない。カモの群れに近づいたとき、真っ先に逃げていくのはコガモということが多い。だから、人の多い東京には少ないのかもしれない。コガモにオナガガモのような社交性を期待するのは無理というものだ。
 鳴き声は、オスのピリッピリッという甲高い声がよく響く。メスはグェッグェッというような鳴き方をする。
 正岡子規の句に、「鴨啼くや 上野は闇に 横はる」というのがある。特に何ガモと特定されているわけではないようだけど、この句にはコガモの鳴き声が似合う。

 この冬シーズンはあまり鳥撮りをできないまま、ここまで季節が進んでしまった。2月も10日を過ぎてそろそろ春が見えてきた。なのに、まだ初見のカモも冬鳥も撮れていない。他のことにうつつを抜かしてちょっと怠けすぎていた。3月まであと少しあるから、なんとか2種類か3種類くらいは初鳥撮りしたいと思っている。
 というわけで、明日とあさっては鳥撮りに行くのでブログはお休みします(鳥撮りだけじゃないんだけど)。海方面にも行くので、そこで何か撮れることを期待しよう。
 この連休中、藤前干潟で、鳥よ〜鳥よ〜鳥たちよ〜、鳥よ〜鳥よ〜〜鳥の〜〜詩〜〜♪と歌いながら鳥を撮っている男を見つけたら、声をかけてください。そして一緒に歌いましょう。私の心が空ならば〜 必ず真白な鳥が舞う〜♪ と。


東京落とし物写真と拾い物写真を並べて東京の混在を知る
2007年02月10日 (土) | 編集 |
旧芝離宮庭園

PENTAX istDS+TAMRON 28-200mm XR(f3.8-5.6), f4.5, 1/80s(絞り優先)



 書くための写真が種切れになって、写真倉庫を漁っていたら、東京の写真でまだ使ってないのが何枚か出てきた。かといってそれで一本書くほどの写真でもない。だから、今日はそんな写真を並べて水増しすることを思いついた。水増し請求は裏金作りの基本。三人寄れば文殊の知恵、毛利元就三本の矢の訓えもあり、写真4枚集まれば一本のブログネタということで。もしくは、枯れ木も山の賑わい、か。

 最初は、旧芝離宮恩賜庭園。これは12月の最初に東京へ行ったときの写真だ。2月現在の様子とは少し違っているかもしれない。このときも紅葉というよりすでに冬枯れの風情だったから、あまり変わってないのだろうか。水辺でやたら寒かったことを覚えている。
 最初、有名な浜離宮へ行こうと思ってそちらを目指していたら、なんだか遠そうだったのでこちらにしてしまった。存在もマイナーのようで、我々の他にはひと組のカップルとその他数人しか見かけなかった。季節はずれの平日ということもあっただろうけど、観光客がこぞって訪れる場所ではないことは確かなようだった。
 しかしここはなかなか貴重な庭園で、東京でも小石川後楽園と共に最も古い大名庭園なんだそうだ。見る人が見ればたまらん魅力の回遊式泉水庭園なんだろうと思う。私は見る人じゃないので、特に感慨はなかったけど。

 現在でも海の近くに位置しているこの場所は、江戸時代以前は海だったという。1655年頃に埋め立てをして、老中・大久保忠朝が四代将軍家綱から屋敷を建てる場所としてもらったのが始まりだ。
 それから庭師を呼んで、コツコツと8年もかけて庭づくりを進めて、楽寿園名づけた。よほど庭づくりが好きなおっさんだったのだろう。
 当初は池に海水が入り込むように工夫されていて、満潮と干潮で景観が変化することも計算に入れて作られていたそうだ。なかなかの通人だ。
 その他、中国の西湖の堤を模した石造りの堤や、中国では仙人が住むという中島を真似て「蓬莱山(ほうらいさん)」を配したり、海を眺めるための高台である大山など、趣味が高じていろんなものを作った。
 その後所有者が何人か変わっていく。幕末には紀州徳川家の芝御屋敷となり、明治4年には有栖川宮家のものとなった。さらに明治8年には宮内省が買い上げて芝離宮となり、明治24年には迎賓館として洋館が新築された。
 しかし、大正12年の関東大震災では建物と樹木のほとんどが焼失。それもあったのかなかったのか、翌大正13年に昭和天皇の結婚にあたり東京市に譲られて、庭園として一般公開されるようになったのだった。旧芝離宮恩賜庭園という名前はここから来ている。昭和54年に国の名勝に指定されている。
 現在は周囲ぐるりを高いビルに囲まれて、不思議な時代錯誤感に包まれている。庭園脇には貿易センタービルがそびえ、新幹線がすぐ目の前を走り、東京タワーも見えている。貿易センタービルの展望台から庭園の全貌を見下ろすことができるようだけど、620円の価値があるかどうかは微妙なところだ。
 入園料は150円と良心的。年間パスポートが600円だから、近所ならそれを買って入り浸ってもいい。東京の中心街でこんな静かな場所は貴重だ。暖かい季節は静かで気持ちがいいだろう。
 春には桜、藤、サツキが咲き、夏はハナショウブやキキョウが彩りを添える。秋はちょっとした紅葉があり、冬の雪景色は趣がありそうだ。

江戸城大手門

 江戸城を見るのだと意気込んで向かった私の気持ちを、皇居東御苑は月・金定休日という不思議な休日設定によってはじき飛ばした。どんな週休二日制なんだよ。江戸城の正門でもあり、現在の皇居東御苑の入口でもある大手門は、固く閉ざされていてくぐること相成らず。無念でござる。遠くから桔梗濠と高麗門を撮るにとどまった。門の前には桜田門の警官らしき人がいて、近づくことさえはばかられた。
 皇居東御苑は、かつての江戸城本丸や二の丸、三の丸があった場所で、1960年に整備されて一般公開されるようになった。敷地64,000坪と広大で、皇居全体の3分の1を占めている。入園は無料。
 江戸城はもちろん残ってなくて、土台の石垣だけがかつての面影を残す。大奥があった場所や松の廊下は説明板だけしかないようだ。絶対東京は江戸城を再建すべきだと思う。私が都知事になったら、まず一番最初にそれをするだろう。

 大手門は江戸城の正門として1620年に建てられたもので(築造は仙台藩主の伊達政宗)、一の門の高麗門と二の門の渡櫓が一対になった枡形をしている。これは敵が攻め込んできたときのことを想定したもので、一気になだれ込まれるのを防ぐためにこういう形になっている。江戸時代初期は、たくさんの馬やら人やら槍やら鉄砲やらで警護に当たっていたそうだ。かなりものものしい入城チェックがあったのだろう。
 しかし、この門、意外ともろく、明暦の火事で焼け落ちて1659年に再建されたのちも、何度も地震で倒れたりしてそのたびに修理して、最終的に今のものは1967年に復元されたものだ。
 もともとこの大手門のところに神田明神があった。それが江戸の鬼門を守るためということで今の場所に移され、近くには平将門の首塚だけがビルに囲まれて残っている。

目白聖公会

 上の2枚とは何のつながりもない写真だけどここで登場させてしまう目白聖公会。目白には他にも目白ヶ丘教会や、目白教会などがあって、教会には不自由しない。スーパーがなくて不便だ。
 残念ながらこのときは夕方で閉まっていて入ることができなかったのだけど、次に前を通ったときはぜひ入ってみたいと思う。なんでも、イギリスから贈られた100年前の大きなステンドグラスがあるそうだ。
 建物も雰囲気がある。1929年(昭和4年)に建てられたロマネスク様式で、戦争で焼けずに現在にその姿を残す貴重な聖堂となっている。
 目白バロック音楽祭なども開かれているようだ。

東京ドーム

 最後は夜の東京ドームに飛ぶ。写真の選択がバラバラでなんともとりとめがないのだけど、新旧取り混ぜた整然もまた、東京の魅力のひとつということにしよう。
 どの街でも時代は積み重なっている。けれど東京ほどギュッと凝縮されているているところは他にない。たとえば京都はずっと古いものと新しいものとの間が飛んでいるから、東京とは在り方が全然違う。東京は歴史が浅いものの、江戸から明治、大正、昭和、平成までがひしめくようにして混在している。それぞれが不思議なバランスを取りながら。
 当たり前ではあるけれど、江戸時代を感じたければ東京に勝る場所はない。名古屋で江戸時代を感じられるものがどれくらいあるだろうと考えてみると、案外少ないことに気づく。それに比べて東京にはまだまだたくさんの江戸時代が残っている。
 私の東京・江戸探索はまだ始まったばかりだ。住んでしまうと逆に見えなくなってしまうこともあるから、観光客として見られるものを見て、感じられることをたくさん感じたい。そのあたりのことを、今後も写真を交えて紹介していきたいと思っている。一方で、住んでみないと分からないことや見えないものもある。そういう日も来るかもしれない。
 あらためましてよろしく、東京。