現身日和【うつせみびより】
この世界にはたくさんの美しいものや面白いものがあることを知るための毎日であれば、それは楽しくて幸せなこと。
節分のなんたるかを知らず来年まで鬼とルームシェアすることになった
2007年02月04日 (日) | 編集 |
節分の豆

PENTAX istDS+Super Takumar 50mm(f1.4), f1.4, 1/160s(絞り優先)



 夜、ベランダに向かって小さな声で「福は内〜」と言いながらひとつかみの豆を投げて、私の節分は終わった。声が小さすぎて福には聞こえなかったかもしれない。鬼を寒空に追い出すのは気の毒だから、「鬼は外」は言わないでおいた。本当に悪いやつはアイが追い払ってくれると信じたい。アイは素知らぬ顔をしたままストーブの前で伸びるばかり。アイ! と呼んだら、薄目を開けて、しっぽをプルンと振って返事をして、それっきり。豆まきには参加意志をまったく示さなかった。猫に大豆。興味がないものを投げ与えても役に立たない。
 うちの家族は昔から行事ごとにはそれほど熱心ではなかった。節分も年によって豆を食べたり食べなかったりで、豆まきも申し訳程度にするくらいだった。お父さんが鬼の仮面をかぶって私が豆をぶつけて、うわー、やられたー、なんて寸劇を演じたこともない。今年はアイに鬼の仮面をつけて走り回らせようとひそかに思っていたのだけど、今日買いに行ったらすでに鬼面付きの豆は売り切れてなかった。私は残念、アイは助かった。アイにしてみればまさか自分に鬼の役が回ってくるとは予想してなかっただろうから、売り切れでホントよかったなとは思ってなかっただろうけど。
 買ってきた磯福豆のパッケージには「出羽三山 羽黒山伏祈願」と書かれている。工場に山伏を呼んで、ベルトコンベアの上を流れる豆に向かって加持祈祷をしてくれたんだろうか。それとも、いったん羽黒山へ送って、そこで山伏の人たちが袋詰め作業をしたとでもいうのか。
 それにしてもこの豆、なんだか妙に美味しいではないか。子供の頃食べた節分の豆は固くて味も素っ気もなくて、食べるのが苦痛なくらいだったけど、これはすごく柔らかくてうっすらしょうゆ味も付いていて、どんどん食べて止まらない。完全に自分の年齢以上の豆を食べてしまった。規定量以上を食べてもバチは当たらないのだろうか? 自分の数え年より一つ多く食べることで体が丈夫になって風邪を引かなくなると言われているけど、すでに私は風邪気味なのであった。

 節分の節は、お節料理のあの節と同じで、一年に4回訪れる。各季節の始まりである立春、立夏、立秋、立冬の前日のことを節分という。季節を分ける日という意味だ。
 陰暦でいえば、2007年の2月3日が2006年の終わりで、2月7日から新しい一年が始まるということになる。そういうことで、立春の前日の節分行事だけが今に残った。
 もともとは、中国古来の五行説から来ている。この思想が奈良時代の日本に入ってきて、平安時代に宮中で行われていた「追儺(ついな)式」という邪気祓いの儀式と、寺社が邪気を祓うためにやっていた「豆打ちの儀式」があわさって今のような行事になったと言われている。中国では豆まきの風習はなくて、爆竹などを鳴らして祝う。邪気祓いという発想は同じだ。
 炒った豆を使うのも意味があって、陰陽五行思想からきている。固い豆は金に属していて、病気や鬼も金ということで、それを打ち負かすために火を使って弱らせて、その豆をたたきつけて更に痛めつけ、最後は食べてしまって鬼を退治する、という一連の流れがあるのだ。邪気退散、無病息災の願いを込めて力一杯豆をたたきつけて食ってしまうのが本来の節分の在り方と言えるだろう。鬼に扮したお父さんをやっつけるための楽しいイベントなどではない。
 鰯(いわし)の頭を焼いて、ヒイラギの枝に刺して家の入り口に飾るという風習も昔からある。これは臭い鰯の頭で邪気を追い払うとか、ヒイラギの葉が鬼の目を刺すといういわれがあるためだ。
 最近は大阪を中心として恵方巻き(えほうまき)が流行っている。恵方というのは、歳徳神という神様がいる方位のことで(2007年は北北西)、福を巻くとか、縁を切らないということで包丁を入れないで丸のままの巻きずしを食べることで一年を無事に過ごせると言われている。しかし、無言のまま一家揃って太い巻きずしを食べている光景は笑える。大阪人なら自分でそれをやりながら家族にツッコミを入れたいだろうに、よく我慢してるなと思う。
 この風習は意外と古くて、江戸時代の末期から始まったとされている。船場の商家が商売繁盛、無病息災を願って始めたのが始まりなんだとか。戦前は大阪の花柳界でもてはやされ、いったんすたれたものの、1970年代に大阪海苔問屋協同組合が宣伝したことで再ブームとなって今に続いている。1990年代になってセブンイレブンが恵方巻きを発売したことも手伝って、今ではすっかり全国的に知られるようになった。こちらの方が主婦にとってもお手軽ということで、豆まきにとって代わる日が来るかもしれない。

 豆まきや節分会などが毎年各地で行われている。有名なところでは、NHK大河ドラマのメンバーや力士が豆をまく成田山新勝寺だろう。ニュース映像でよく見る。東京や大阪、京都をはじめ、全国で盛大に節分祭が行われているところもある。名古屋では大須観音が有名だ。なんでかと思ったら、寺の宝に鬼の面があるからだそうだ。
 東京雑司ヶ谷の鬼子母神はちょっと変わっているので有名だ。ここは文字通り鬼が神様として祀られているので、鬼は外ではなく、鬼は内というかけ声とともに豆がまかれる。鬼を追い出してしまったら自分たちが困ってしまう。鬼といってもいい鬼もいる。
 私もいつか参加してみたいと思っている。

 日本の伝統的な行事や風習にはそれぞれ意味があり、願いが込められている。単にお約束として一応やっておくとかそういうことではない。現在はともかく、かつてはもっと切実で、掛け値なしに真剣なものだった。今では半ば形骸化してしまったとしても、伝えていくことは無駄じゃない。それができるのは、親から子に対してだけだ。学校では教えてくれない。子供には理解できない難しい話でも、毎年その行事のたびに話して聞かせれば成長とともにだんだん分かってくるようになる。子供にとってみればまたその話かよと思うだろうけど、いくらかは頭の中に残っていく。そして、自分が親になったときその話を思い出して、また自分の子供に伝えていく。分からないことや疑問に思ったことは自分で勉強することになるかもしれない。
 ただ決まり事だからやっているのと、意義や理由を知ってやるのとでは全然違ってくる。意気込みも思い入れも真剣さも。節分の豆は炒ってたたきつけて食らう、そうすることに意味がある。結果的に病気になるとかならないとかの問題ではない。
 そんなことも知らずに袋からボリボリと際限なく食べてしまった私は、邪気祓いに失敗した恐れがある。ベランダに放り投げた豆は、明日の朝には鳩に食べられてしまうだろうか。なんとか今年一年、邪気と同居して上手く折り合いをつけながら頑張っていくしかないか。期せずして鬼とのルームシェア。来年は鬼子母神にルームメイトを連れて行って置いてきたい。




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