現身日和【うつせみびより】
この世界にはたくさんの美しいものや面白いものがあることを知るための毎日であれば、それは楽しくて幸せなこと。
コガモくん、暖冬の日本は過ごしやすいですか?
2007年02月10日 (土) | 編集 |
コガモ毛づくろい

OLYMPUS E-1+Super Takumar 300mm(f4), f4.0, 1/100s(絞り優先)



 コガモくんは矢田川で毛づくろい中。今年の名古屋の冬は暖かいから、カモたちは助かっているんじゃないだろうか。それともあまりにも寒くなさ過ぎて調子が狂ってるだろうか。最近暖かい日が続いたから、もしかして春を待たずに帰っていってしまったあわてん坊もいるかもしれない。カモにしてみれば、季節の判断基準はカレンダーではなく体感だろうから。まだ春じゃないですよ。もう少しゆっくりしていってくださいね。
 この暖かさも影響してか、今年はうちの近所のカモたちがかなり少ない。まだ観察を始めてから3シーズン目だから実際のところはどうか分からないのだけど、印象としては前の2年より明らかに少ないと思う。いつも必ずいたスポットにもいなくて、去年たくさんいたところも数羽だけという状態で寂しい。たまたまタイミングが悪かったというのがあるにしても、今年の状態は普通じゃない。このまま温暖化が進んでいったら、カモたちは違う場所に渡っていくことになるのだろうか。

 コガモは秋の早い時期からやって来るカモだ。小さい体のトップバッターといったところか。チョコマカしてるところが柴田っぽい。でも、この小さな体で遠くシベリアやカムチャツカ半島から数千キロも飛んでやって来る、偉大な旅人なのだ。生きるためとはいえ、すごいことだ。
 越冬地である日本で相手を見つけて、カップルになって向こうへ帰って子育てをする。春が深まってもまだ残っているやつは、相手が見つからなかったやつなんだろう。桜が咲く季節までいたらそれはちょっと遅れてしまっていると見ていい。見つからなくてもとりあえず帰るしかない。コガモたちにとって日本の夏は暑すぎる。
 コガモは全国的にポピュラーな種で、いるところには普通にたくさんいる。名古屋の川や池にも多い。東京には意外と少なかったので驚いた。不忍池などはあんなにたくさんカモ類がいるのにコガモは見かけなかった。いても数羽程度しか見ないのだという。

コガモのオスメス

 やって来たときは体がまだら模様でオスとメスの区別がつきにくい。冬の深まりとともにオスは羽が生えかわってきれいになっていく。メスに気に入ってもらわなくてはいけないからだ。
 茶色い頭と目の周囲から頭の後ろにかけての緑色のふちどりがチャームポイント。体は城、灰色、黒のグラデーションで、横から見ると真ん中あたりに鮮やかな白いラインが入っている。胸のところに縦にラインが入ってるやつがいたら、それは亜種アメリカコガモで、ちょっと珍しい。交雑個体もたまにいる。クチバシと足は黒い。メスは全体的に褐色のまだらで地味な色をしている。人間以外の生き物はたいていオスが着飾って、メスが相手を決める選択権を持っている。人間は生き物としては例外的な存在と言えるだろう。
 大きさは日本にやって来るカモの中では最小で、40センチほどしかない。他のカモと並ぶとその小ささが際立つ。しずちゃんとカラテカの矢部くらいの違いがある(分かりづらい比較)。体重は300gちょっと。
 たまに海にもいるけど、基本的には淡水で小さな群れを作っている。池や川が好きらしく、比較的流れが早い川にもいる。
 冬場はカップル探しと同時に狩猟期でもある。渡って帰る春のために、たっぷり食べて体力をつけておかないといけない。エサ取りは夕方から夜にかけてがメインとなる。ほぼ草食で、草の種や葉っぱ、茎などをクチバシでコシコシして食べる。潜ることはできないので、水中に顔を突っ込んでひっくり返ってる様子も見かける。夜間は田んぼや湿地まで遠征していって、そこでエサを取っていたりもするらしい。
 かなり警戒心が強くて、人に慣れることがほとんどない。カモの群れに近づいたとき、真っ先に逃げていくのはコガモということが多い。だから、人の多い東京には少ないのかもしれない。コガモにオナガガモのような社交性を期待するのは無理というものだ。
 鳴き声は、オスのピリッピリッという甲高い声がよく響く。メスはグェッグェッというような鳴き方をする。
 正岡子規の句に、「鴨啼くや 上野は闇に 横はる」というのがある。特に何ガモと特定されているわけではないようだけど、この句にはコガモの鳴き声が似合う。

 この冬シーズンはあまり鳥撮りをできないまま、ここまで季節が進んでしまった。2月も10日を過ぎてそろそろ春が見えてきた。なのに、まだ初見のカモも冬鳥も撮れていない。他のことにうつつを抜かしてちょっと怠けすぎていた。3月まであと少しあるから、なんとか2種類か3種類くらいは初鳥撮りしたいと思っている。
 というわけで、明日とあさっては鳥撮りに行くのでブログはお休みします(鳥撮りだけじゃないんだけど)。海方面にも行くので、そこで何か撮れることを期待しよう。
 この連休中、藤前干潟で、鳥よ〜鳥よ〜鳥たちよ〜、鳥よ〜鳥よ〜〜鳥の〜〜詩〜〜♪と歌いながら鳥を撮っている男を見つけたら、声をかけてください。そして一緒に歌いましょう。私の心が空ならば〜 必ず真白な鳥が舞う〜♪ と。


東京落とし物写真と拾い物写真を並べて東京の混在を知る
2007年02月10日 (土) | 編集 |
旧芝離宮庭園

PENTAX istDS+TAMRON 28-200mm XR(f3.8-5.6), f4.5, 1/80s(絞り優先)



 書くための写真が種切れになって、写真倉庫を漁っていたら、東京の写真でまだ使ってないのが何枚か出てきた。かといってそれで一本書くほどの写真でもない。だから、今日はそんな写真を並べて水増しすることを思いついた。水増し請求は裏金作りの基本。三人寄れば文殊の知恵、毛利元就三本の矢の訓えもあり、写真4枚集まれば一本のブログネタということで。もしくは、枯れ木も山の賑わい、か。

 最初は、旧芝離宮恩賜庭園。これは12月の最初に東京へ行ったときの写真だ。2月現在の様子とは少し違っているかもしれない。このときも紅葉というよりすでに冬枯れの風情だったから、あまり変わってないのだろうか。水辺でやたら寒かったことを覚えている。
 最初、有名な浜離宮へ行こうと思ってそちらを目指していたら、なんだか遠そうだったのでこちらにしてしまった。存在もマイナーのようで、我々の他にはひと組のカップルとその他数人しか見かけなかった。季節はずれの平日ということもあっただろうけど、観光客がこぞって訪れる場所ではないことは確かなようだった。
 しかしここはなかなか貴重な庭園で、東京でも小石川後楽園と共に最も古い大名庭園なんだそうだ。見る人が見ればたまらん魅力の回遊式泉水庭園なんだろうと思う。私は見る人じゃないので、特に感慨はなかったけど。

 現在でも海の近くに位置しているこの場所は、江戸時代以前は海だったという。1655年頃に埋め立てをして、老中・大久保忠朝が四代将軍家綱から屋敷を建てる場所としてもらったのが始まりだ。
 それから庭師を呼んで、コツコツと8年もかけて庭づくりを進めて、楽寿園名づけた。よほど庭づくりが好きなおっさんだったのだろう。
 当初は池に海水が入り込むように工夫されていて、満潮と干潮で景観が変化することも計算に入れて作られていたそうだ。なかなかの通人だ。
 その他、中国の西湖の堤を模した石造りの堤や、中国では仙人が住むという中島を真似て「蓬莱山(ほうらいさん)」を配したり、海を眺めるための高台である大山など、趣味が高じていろんなものを作った。
 その後所有者が何人か変わっていく。幕末には紀州徳川家の芝御屋敷となり、明治4年には有栖川宮家のものとなった。さらに明治8年には宮内省が買い上げて芝離宮となり、明治24年には迎賓館として洋館が新築された。
 しかし、大正12年の関東大震災では建物と樹木のほとんどが焼失。それもあったのかなかったのか、翌大正13年に昭和天皇の結婚にあたり東京市に譲られて、庭園として一般公開されるようになったのだった。旧芝離宮恩賜庭園という名前はここから来ている。昭和54年に国の名勝に指定されている。
 現在は周囲ぐるりを高いビルに囲まれて、不思議な時代錯誤感に包まれている。庭園脇には貿易センタービルがそびえ、新幹線がすぐ目の前を走り、東京タワーも見えている。貿易センタービルの展望台から庭園の全貌を見下ろすことができるようだけど、620円の価値があるかどうかは微妙なところだ。
 入園料は150円と良心的。年間パスポートが600円だから、近所ならそれを買って入り浸ってもいい。東京の中心街でこんな静かな場所は貴重だ。暖かい季節は静かで気持ちがいいだろう。
 春には桜、藤、サツキが咲き、夏はハナショウブやキキョウが彩りを添える。秋はちょっとした紅葉があり、冬の雪景色は趣がありそうだ。

江戸城大手門

 江戸城を見るのだと意気込んで向かった私の気持ちを、皇居東御苑は月・金定休日という不思議な休日設定によってはじき飛ばした。どんな週休二日制なんだよ。江戸城の正門でもあり、現在の皇居東御苑の入口でもある大手門は、固く閉ざされていてくぐること相成らず。無念でござる。遠くから桔梗濠と高麗門を撮るにとどまった。門の前には桜田門の警官らしき人がいて、近づくことさえはばかられた。
 皇居東御苑は、かつての江戸城本丸や二の丸、三の丸があった場所で、1960年に整備されて一般公開されるようになった。敷地64,000坪と広大で、皇居全体の3分の1を占めている。入園は無料。
 江戸城はもちろん残ってなくて、土台の石垣だけがかつての面影を残す。大奥があった場所や松の廊下は説明板だけしかないようだ。絶対東京は江戸城を再建すべきだと思う。私が都知事になったら、まず一番最初にそれをするだろう。

 大手門は江戸城の正門として1620年に建てられたもので(築造は仙台藩主の伊達政宗)、一の門の高麗門と二の門の渡櫓が一対になった枡形をしている。これは敵が攻め込んできたときのことを想定したもので、一気になだれ込まれるのを防ぐためにこういう形になっている。江戸時代初期は、たくさんの馬やら人やら槍やら鉄砲やらで警護に当たっていたそうだ。かなりものものしい入城チェックがあったのだろう。
 しかし、この門、意外ともろく、明暦の火事で焼け落ちて1659年に再建されたのちも、何度も地震で倒れたりしてそのたびに修理して、最終的に今のものは1967年に復元されたものだ。
 もともとこの大手門のところに神田明神があった。それが江戸の鬼門を守るためということで今の場所に移され、近くには平将門の首塚だけがビルに囲まれて残っている。

目白聖公会

 上の2枚とは何のつながりもない写真だけどここで登場させてしまう目白聖公会。目白には他にも目白ヶ丘教会や、目白教会などがあって、教会には不自由しない。スーパーがなくて不便だ。
 残念ながらこのときは夕方で閉まっていて入ることができなかったのだけど、次に前を通ったときはぜひ入ってみたいと思う。なんでも、イギリスから贈られた100年前の大きなステンドグラスがあるそうだ。
 建物も雰囲気がある。1929年(昭和4年)に建てられたロマネスク様式で、戦争で焼けずに現在にその姿を残す貴重な聖堂となっている。
 目白バロック音楽祭なども開かれているようだ。

東京ドーム

 最後は夜の東京ドームに飛ぶ。写真の選択がバラバラでなんともとりとめがないのだけど、新旧取り混ぜた整然もまた、東京の魅力のひとつということにしよう。
 どの街でも時代は積み重なっている。けれど東京ほどギュッと凝縮されているているところは他にない。たとえば京都はずっと古いものと新しいものとの間が飛んでいるから、東京とは在り方が全然違う。東京は歴史が浅いものの、江戸から明治、大正、昭和、平成までがひしめくようにして混在している。それぞれが不思議なバランスを取りながら。
 当たり前ではあるけれど、江戸時代を感じたければ東京に勝る場所はない。名古屋で江戸時代を感じられるものがどれくらいあるだろうと考えてみると、案外少ないことに気づく。それに比べて東京にはまだまだたくさんの江戸時代が残っている。
 私の東京・江戸探索はまだ始まったばかりだ。住んでしまうと逆に見えなくなってしまうこともあるから、観光客として見られるものを見て、感じられることをたくさん感じたい。そのあたりのことを、今後も写真を交えて紹介していきたいと思っている。一方で、住んでみないと分からないことや見えないものもある。そういう日も来るかもしれない。
 あらためましてよろしく、東京。




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