現身日和【うつせみびより】
この世界にはたくさんの美しいものや面白いものがあることを知るための毎日であれば、それは楽しくて幸せなこと。
古くて新しすぎる浅草寺は人混みと熱気と失望と人形焼の味
2007年03月14日 (水) | 編集 |
浅草寺-1

PENTAX istDS+TAMRON 28-200mm XR(f3.8-5.6),f5.6, 1/250s(絞り優先)



 日本で一番参拝客が多い寺は浅草の浅草寺だと言われている。観光客を入れると年間で3,000万から4,000万人が訪れるというからすごいものだ。でもちょっと待て、それじゃあ日本人の3人か4人に1人は毎年浅草寺を訪れることになってしまうぞ。そんなアホな。40人のクラスで今年浅草寺に行った人手を挙げてくださいと言って13人も手が挙がるとは思えない。この数字はどこから来てるんだろう。毎日のように訪れる人がいるということだろうか。
 それはまあいいとして、浅草寺は東京都内で最も古い寺院だということは案外知られてないかもしれない。創建は628年というから聖徳太子が死んでまだ間もない時代、近所に住む兄弟漁師が兄弟船に乗ってか乗らずか、隅田川(当時は宮戸川)で網を投げていたら金色の仏像が釣れてびっくり仰天、ご主人にこれを見せたところ主人も舞い上がってしまって急きょ屋敷を寺に改装してこの仏像を祀ったのが浅草寺の始まりだ。
 現在でも本尊となっている聖観世音菩薩像だけど、秘仏として一切公開されていない。ホントはないんじゃないのかという声さえある。大きさは5.5センチで金色をしているらしい。
 なんでも645年に勝海上人が寺を整備したとき観音さんが夢に出てきてヒミツにしておきなさいと告げたんだとか。なんか怪しいなと疑ってしまうのは下衆の勘繰りというやつか。

 浅草寺前に初めて立ったとき、みんなはどんな感想を抱くのだろうか。私は、わー、意外、と思った。ロケーションが想像していたのとは全然違って腰が砕けた。浅草自体がもっと下町情緒のいい意味での田舎町だと思っていたら立派な大都会で、浅草寺も賑やかな駅前の大通りに面していて拍子抜けしたのだった。もっと奥まったところの行き止まりに雷門があるものとばかり思っていたのに。たぶん、私の中のイメージと東京のズレは、基準が京都の街並みになっているからなんだと思う。京都の神社仏閣と街との融合と、東京のそれはまるで違うものだから強い違和感を抱いてしまうようだ。もちろん、名古屋ともまったく違う。
 雷門前からして人が群がり集まっていて、周囲にはたくさんの人力車が観光客を乗せたり客引きをしたりしていた。ここは東京の中でも特に観光地化している一角だった。
 人力車への誘いを断り、人混みを避けつつ、いざ浅草寺の雷門へ。わ、自分、今、雷門の前にいる! と思ったらちょっと興奮した。ここに立つ自分というのは想像したことがなかった。

 浅草寺に行く前に、浅草について少しだけ勉強しておこう。
 江戸というと徳川家康以前は無人の荒れ地のように思われているけど、そんなことはない。ちゃんと人も住んでいたし、江戸城もすでにあって、城下町としてそれなりに栄えてもいた。特に浅草は早くから開けたところで、浅草寺を中心に歓楽地となっていた。
 そもそも江戸を最初に開拓したのは、平安時代の終わり頃の秩父氏の一族だったと言われている。この地を江戸と名づけ、自らも江戸氏を名乗るようになる。江戸氏は源頼朝が鎌倉幕府を作ったときは御家人となっている。
 その後、今に続く江戸の基礎を作ったのが扇谷上杉家の家老だった太田道灌だ。江戸氏の居城跡地に江戸城を築城したのが1457年のことだから、江戸幕府の150年も前に江戸の基礎はできていたのだ。
 家康は何もないところに江戸という町を作り上げたわけではなく、江戸を大改造したという認識が正しい。浅草も江戸の城下町の一角として、徳川家と共に発展していった。
 というのが江戸と浅草の簡単な歴史だ。浅草は単なる下町ではない奥の深さがある。

浅草寺-2

 仲見世通りは大量の人の波がゆったりと動いていて、人をよけて歩くのが大変だ。時速1キロも出てなかったかもしれない。浅草寺大渋滞と名づけてもいい。東京は駅の構内や電車、店内などでは意外な行儀のよさを見せるのだけど、ここは地方からの観光客だらけなので秩序というものがまるでない。東京に暮らしている人が一番近づきたがらないところかもしれない。
 雷門から浅草寺へと続く250メートルの参道の両脇には、名物のお菓子や怪しいジャパニーズ服を売る洋服屋から正統派のお土産物屋まで、脈絡のない幅広の店舗展開で楽しませてくれる。時代によってその顔ぶれも移り変わっていったのだろうけど、現在は88軒が商売をしているそうだ。
 仲見世が始まったのは江戸時代になってからで、最初の頃は10数軒ほどの出店があっただけだったらしい。売っているものも、手作りの竹細工や線香などといった半端な品揃えだったようだ。
 その後、茶店が出たり、お菓子屋やおもちゃ屋などが登場したりして、少しずつお祭りムードが盛り上がっていき、江戸時代も後半になると芝居小屋などもできて、娯楽場としての役割も果たすようになっていった。
 明治にはレンガ造りの建物となり、関東大震災で壊れた後、翌1924年に鉄筋コンクリートで再建された。空襲である程度焼けたものの、修繕して今でも当時の建物が使われている。外から見てもかなり古びていたけど、内部はかなりガタが来ているんじゃないだろうか。

浅草寺-3

 浅草名物といえば、人形焼も定番のひとつだろう。食べたことがなかったので買って食べてみた。作りたてが3個100円と安い。
 何軒かある中でたまたま入ったのが「三鳩堂」というところだった。テレビ「旅の香り」でヒロシもここで買っていたと思う。店によって形がいろいろ違って、ここのはころんと丸い形をしているのが特徴だ。五重塔など膨張していて何をかたどったのか最初分からなかった。
 皮がふんわりしていて中のあたたかいあんことのマッチングもよくて美味しかった。何かに似ているようで似ていない独特の食感だ。気に入った。お土産にしてしまうと冷めて少し味が落ちるのが残念なところだ。
 店の前に置かれた全自動袋詰めマシーンが素敵だった。思い切り昭和の香りが漂うスイッチボックスと厚紙で作った通路。焼き上がった人形焼きをマシーンに乗せるとベルトコンベアーに運ばれて自動で袋詰めされてケースの中にボトンと落ちる仕組みになっている。映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のドクが発明した自動朝食マシーンみたいだ。これを見るだけでも「三鳩堂」で買う価値がある。老舗好きの人は明治元年創業という一番古い「木村屋本店」へ。

浅草寺-4

 今日はずいぶん前置きが長いなと思った人もいたかもしれない。でも大丈夫、実は浅草寺そのものはあまり見どころがなくて、もう書くことがないのだ。雷門も本堂も五重塔も宝蔵門も、全部戦後の昭和の建物だから、ありがたみがない。昔の面影に思いを馳せることもできず、気分は盛り上がらない。唯一、二天門が焼け残ってるだけだ。宝蔵門はニューオータニホテルの大谷米太郎が寄進したものだし、雷門は松下幸之助が建てたものだと知ってなんだそりゃと思ってしまった。焼け落ちる前の雷門や、国宝だった本堂が残っていたら、どんなに素晴らしかっただろう。942年の五重塔とは言わないまでも、1648年に徳川家光が再建したやつはせめて見たかった。そんなことを願っても、今はもう詮無きことだけど。
 浅草についても、浅草寺に関しても、個人的にはあの雰囲気や空気感は嫌いじゃなかったけど、浅草寺の建物は残念だった。神社仏閣だけは、なりがどんなに立派でも新しければ新しいほどありがたみは薄い。

浅草寺-5

 新しい五重塔は、顔がいいだけの男みたいで、なんだかのっぺりとした印象だった。
 1973年(昭和48年)に再建されたこれは、鉄筋コンクリートでアルミ合金瓦葺きと近代的な造りになっている。もう倒れることも焼けることもないだろう。高さは土台とあわせて53メートル。こんなものがよく残って建っているなぁと感心できるのは500年後に生まれた人たちだ。
 アメリカ人パイロットは、五重塔を見てこれは燃やしちゃいけないものだと本能的に思わなかったのだろうか。それは戦争の勝ち負けとは全然別の部分なのだけどな。
 そんなわけで、人々の熱気と喧噪とは裏腹に、少しシュンとした気分で浅草寺を後にした。ただ、浅草寺に行けたことはとても嬉しいことだった。

 浅草は私の中ではビートたけしと強く結びついていて、浅草を思うときいつも「浅草キッド」が頭の中で流れ出す。
♪お前と会った仲見世の 煮込みしかないくじら屋で
 夢を語ったチューハイの泡にはじけた約束は
 灯の消えた浅草の コタツ1つのアパートで♪

 浅草時代を歌ったビートたけし作詞・作曲のこの曲は、昔ビートたけしのオールナイトニッポンを聴いていた世代には懐かしい曲だと思う。当時の私は、この一曲によってたけしは天才だと確信していたものだった。
「くじら屋」のモデルとなった「居酒屋 捕鯨船」は今でも浅草六区のフラワー通りにあるという。酒が飲めない私が行くことはないだろうけど、たけしのファンがひそかに行っているに違いない。
 店のキャッチコピーが「鯨(げい)を食って、芸を磨け!」だそうだ。浅草出身の萩本欽一や渥美清などもよくこの店に行ってチューハイを飲んで、鯨を食べていたという。「鯨(げい)を食って、ゲイになれ」じゃなくてよかった。
 ビートたけしの「浅草キッド」は名曲なので、聴いたことがない人はぜひ聴いてみてください。少し前に福山雅治がカバーしていたけど、ちょっと違った。上手い下手じゃなく、福山くんが歌って説得力のある曲じゃない。
♪夢はすてたと言わないで 他にあてなき2人なのに
夢はすてたと 言わないで 他に道なき 2人なのに♪

 昔も今もこの曲を口ずさむときは心がちょっと弱くなっているときで、少し泣けそうになる私なのだった。




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