現身日和【うつせみびより】
この世界にはたくさんの美しいものや面白いものがあることを知るための毎日であれば、それは楽しくて幸せなこと。
ジョージのカシラは誰をも受け入れる不思議異空間公園だった
2007年03月28日 (水) | 編集 |
井の頭の人々

PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-50mm(f3.5-5.6 AL), f6.3, 1/250s(絞り優先)



 オレンジ電車に乗ってジョージのカシラへ行こうぜ。東京人がそんなふうに言うかどうかは知らないけれど(たぶん言わない)、私たちは中央線に乗って吉祥寺の井の頭公園へ向かった。木曜日の昼下がり。何があるのかないのか、井の頭公園方面へ向かう人の波はうねるように続き、エスニック通りは不思議な高揚感に満ちている。若者向けの洋服屋に雑貨屋に食べ物屋。和風からエスニックまで、雑然と店が並ぶ。やけに活気がある。なんだろうこの感覚、と考えて思い出した、そうだ、コンサート会場へ向かう感じに近いんだ。
 そこはまさにジョージだった。何がジョージかはよく分からないけど、確かにここはジョージだなと納得させる変な説得力があった。ジョニーでもないし、ジェーンでもない。
 それにしてもすごい人の数だ。なんだこの人波は。平日のお昼時とは思えない混雑ぶり。桜にはまだまだ早いから、桜見物でもない。学生が春休みに入ったとはいえ、年齢層は必ずしも若くない。定年退職後の夫婦ばかりという感じでもなく、普通に子連れ家族がたくさんいたりして不思議な感覚に陥るところだ。公園内は完全に週末特有の空気感が支配している。これもまた東京ということだろう。平日でこれなら、桜シーズンの週末はどうなってしまうのだろう。
 三鷹の自宅から近いこの公園に太宰治もよく訪れたという。『犯人』の中では、「晩秋の或る日曜日、ふたりは東京郊外の井の頭公園であいびきをした。午前十時。時刻も悪ければ、場所も悪かった。けれども二人には、金が無かった。いばらの奥深く掻きわけて行っても、すぐ傍を分別顔の、子供づれの家族がとおる。ふたり切りになれない。」と書いている。
 桜のない井の頭公園で何をすればいいか? とりあえず池の周りを歩くことだ。疲れたらベンチで休めばいい。人間観察も兼ねて、まずは歩いてみよう。

井の頭池の桜とボート

 私たちが訪れた3月22日はまだ全然桜が咲いていなかった。あれから一週間近く経った今、そろそろ花は増えているだろうか。ここは桜の枝が水面近くにたれ下がっているから、満開になると池を囲むように咲いてとてもきれいだ。その様子は写真やテレビでよく見かける。見頃は今週末くらいだろう。
 井の頭池といえばボート。大きな池にボートは付きものだけど、井の頭のボートはカップルで乗ると別れるという言い伝えによって有名になってしまっている。名古屋では東山動物園に同じ噂がある。ここの場合は、池の端にある弁天さんが焼きもちを焼いて別れさせるのだという理由付きなのでちょっともっともらしい。弁天様にお参りをすれば大丈夫という話もある。
 けど、そんな伝説を知ってか知らずか、たくさんのカップルが平気でボートを漕いでいた。自信の表れか、無謀な挑戦か。いずれにしても別れるときは別れるし、別れないときは別れないものだ。じゃあ、おまえ乗ってみろよと言われたら私は断る。私はチャレンジャーではない。
 ボートは3種類あって、スタイルによって値段が違う。すべて600円で、手漕ぎは60分、足漕ぎは30分で、ハクチョウ型は高級なのか20分となっている。通常の足漕ぎとスワンの違いは何なんだろう。スワンの方が制作コストがかかっている分上乗せということなのか。
 ボートを漕ぐ人たちを見ていると楽しい。明らかに初心者で、その場でくるくる回っている人がいたり、何故か後ろではなく前へ進んでいる人もいる。初めてボートに乗ったと思われる小学生の男子二人組は、悪戦苦闘の末前進みを会得していた。オレ流ボート。そのまま大きくなって、初めてのデートでボートに乗って、ねえ、なんか私たちだけ進んでる方向が違うよ、と女の子に指摘されないといいけど。

 井の頭池はわき水でできた池だと知っているだろうか。そのためにここは大昔から人が住んでいた場所だった。縄文時代の竪穴式住居跡も見つかっている。
 江戸に幕府が開かれてからは、市中に引かれた初めての上水の水源となった。ここから水は神田川へと流れている。
 かつては一日に35,000トンもわき出していたそうだ。その後この地区の開発が進んで複流水が涸れてしまったことでわき出す量が減り、今では池の水の量が減らないように井戸からポンプで3,500トンの水を吸い取って補給している。その井戸が涸れたら、井の頭池は小池になってしまう。対策のひとつとして、雨水をためて池に戻すというのを三鷹市がやっている。しかし、これでは池の水も汚くなってしまうはずだ。江戸時代はこの水を生活水に使っていたというのに、今は見るからに無理そうな色をしている。
 井の頭池は、弁財天もあったことで江戸時代から行楽地として賑わっていたそうだ。本格的に公園として整備されたのは大正2年(1917年)で、日本で最初の郊外型公園とされている。江戸時代は将軍家が鷹狩りなどに使っていた場所で、明治元年に皇室の御料地となり、その後東京市へ譲られることになったということで、正式名が井の頭恩賜公園(いのかしらおんしこうえん)となっている。
 井の頭の名前は、三代将軍家光が鷹狩りにやって来たときここはなんという名だと訊ねて「なない」でございますとお付きが答えたところ、名が無いのならワシがつけてしんぜようと勝手なことを言い出して、それじゃあ水のわき出すところで井戸の頭、井の頭にせい、ははぁ、ということでそれ以来井の頭になったと言われている。しかし、なないは名無いではなく「七井」で、ちゃんともともと名前はあったのだった。将軍様、この名前がけっこう気に入って、池の木に小刀で「井の頭」と刻んで喜んだというから、これでよかったのだ。そうそう、ここは井の頭だ。間違いない。
 七井の名前は、池の中央にかかっている七井橋に残っている。
 御殿山というのも、家光が鷹狩りに来たときに休むために御殿を建てたところからきている。
 戦前まではまだまだ鬱蒼とした森のようなところだったようで、1万5,000本もの杉に囲まれていたそうだ。ただそれも戦中にはほとんどが伐採されて、戦後は丸裸のような寒々しい姿になっていたという。杉は空襲で亡くなった人たちの棺桶に使われた。
 戦後、様々な木を植えて、今では木だけで1万本以上にまで復活した。桜も戦後からで、花見客で賑わうようになったのは昭和30年以降だそうだ。太宰さんが三鷹にいた頃は、桜の名所じゃなかったんだ。

井の頭の野鳥たち

 ここにも野鳥はたくさんいた。上野の不忍池ほどではないけれど、顔ぶれは東京特有のもので、その点では不忍池と似ている。名古屋には少ないキンクロハジロが多く、オナガは普通にいて、ハシビロガモもそこそこいた。あとはホシハジロやカルガモ、バンにカイツブリといったところだろうか。
 ちょっと驚いたのはオシドリがいたことだ。なんでこんなところに野生のオシドリがと思ったら、「オシドリ千羽計画」とかで、渡らないように餌付けして増やしているところらしい。けれど、エサをやってしまうと渡り鳥は渡らなくなってしまうことがある。実際、オシドリだけでなく渡るはずのカモも渡らずに留鳥になっているやつもいるとか。必ずしも悪いことではないかもしれないけど、自然な姿ではない。東京の鳥は必要以上に人に慣れすぎているようにも思う。
 しっかり動物を見たければ、有料(400円)の井の頭自然文化園がいい。今回は時間がなくて入れなかったのだけど、いつか入ってみたい。小動物園や日本庭園、彫刻館などがあって、けっこう楽しめるそうだ。
 少し歩いたところには、「三鷹の森ジブリ美術館」もある。体力があればそちらまで見て回れば一日たっぷり楽しめる。

思い出ベンチでランチ

 少し歩き疲れておなかもすいたから、思い出ベンチでランチにしよう。思い出ベンチといっても私の思い出ではない。そもそも初めてここを訪れたので思い出などまだない。何年か前に東京都が思い出の場所に自分のベンチを設置しようキャンペーンを展開して、一般公募で選ばれた人が寄付したベンチが思いでベンチというわけだ。プレートに名前や短いメッセージが刻まれている。値段は20万円と15万円。けっこういい金額設定だ。安くないけど、ほぼ一生残ることを考えると自分の思い出がある場所に自分が送ったベンチがあるというのは嬉しいことだ。そこへ行って自分でそのベンチに坐るという楽しみもある。
 井の頭の他、日比谷公園、代々木公園、神代植物公園、小山田緑地、染井霊園、雑司ヶ谷霊園、多磨霊園、恩賜上野動物園などにも同様のベンチがあるようだ。今はどうやら募集はしてないらしい。

井の頭弁財天

 ここの弁財天は、関東源氏の祖である源経基が、789年に伝教大師作の弁財天女像を安置するために堂を建てたのが始まりとされている。その後、源頼朝が東国平定を祈願して改築した。鎌倉末期の元弘の乱で新田義貞と北条泰家との合戦で焼失。数百年の間放置されていたものを、三代将軍家光が再建した。現在の社殿は、関東大震災(大正12年)で破損後に消失して、昭和3年に建て直されたものだ。
 御利益は、金運向上、縁結び、安西、交通安全、芸能、音楽の技術向上などとされた。石灯篭などがたくさん奉納されている。
 安藤広重は、「井の頭の池弁財天の社雪の景」や「井の頭乃池弁天の社」などを描いている。

 縄文時代から現代まで、この場所は人を惹きつけてやまない力がずっと続いているようだ。初めての訪問でそれが充分に感じられた。小さな子供を連れた家族連れ、幼稚園生の群れ、若いカップル、老夫婦、絵を描く人、ギター青年、カメラおやじ、異人さん、観光客、桜も咲いてないのにブルーシートの上で花見をする集団。この場所は誰をも受け入れる包容力がある。誰も浮かずにそれなりに馴染んでしまい、訪れた人間に不思議な一体感を与える。この感じは観光客だらけの上野不忍池とはまったく異質なものだ。東京に住む半地元の人が多いからというのもあるかもしれない。たぶん、この公園は、東京のどの場所にも似ていないと思う。
 夕方、清楚な雰囲気の女子高生が池のベンチに腰掛けて文庫本を読んでいる。少し離れたところではバイオリンおじさんが静かに音楽を奏で、池ではおじいさんが孫を乗せてボートを漕いでいる。文章で書くとなんだか嘘っぽいようにも思えるこんな光景も、井の頭公園ではごく自然なものとして見えてしまう。こんなのが似合うなんて日本じゃないみたいだ。やっぱりここは、ジョージのカシラなのだ。他に誰も言わなくても私はそう呼ぼう。午後からちょっとジョージのカシラへ行こうぜ、と。




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