現身日和【うつせみびより】
この世界にはたくさんの美しいものや面白いものがあることを知るための毎日であれば、それは楽しくて幸せなこと。
ゴールデンなサンデーに普通に料理を作ってゴールデンメモリーズに浸る
2007年04月30日 (月) | 編集 |
ゴールデンウィークサンデー

PENTAX istDS+Super Takumar 50mm(f1.4), f4.0, 1/50s(絞り優先)



 ゴールデンといえばバット。バットといえばチョコ。やったね、父ちゃん、明日はホームランだ。
 そんなわけで、ゴールデンウィーク。みなさん、いかがお過ごしですか。私は元気で、家にいます。
 珍しく2週続けてのサンデー料理になったわけだけど、今日はあまり考えずにパッと思いついたものをササッと作った。そしたら、意外にも出来が良くて美味しくて、自分で作っておきながらなんだよぅと思ってしまった。何も考えずに思い切って振ったらバットにボールが当たったみたいに、喜んでいいものやらどうやら。いつもはあれこれ余分なことを考えすぎて、かえって失敗していたのかもしれない。
 今日の3品は、いつもの応用で、目新しさはあまりない。ただ、見た目では何を作ったのか分かりづらい料理になっている。もし、この写真だけで同じものを再現できたとしたら、その人はすごいか、私のストーカーかのどちらかだろう。普通は無理だ。

 手前の左側が、一番予測のしづらい料理だと思う。私も何と呼んでいいのかよく分からない。何かを参考にしたわけではなくて、思いつきで作っただけだから。
 まずはジャガイモの皮をむいて薄くスライスしたものをレンジで3分ほど加熱して、取り出してつぶす。そこへバターひと切れと、牛乳少々、小麦粉を加えてもう一度加熱。取り出して混ぜて、また少し牛乳を加えて加熱して、最後に塩コショウで味付けをする。
 冷ましたらハンバーグのような形にして、これを土台とする。ケチャップを塗り、その上にスライスしたタマネギ、ベーコン、とろけるチーズを載せ、パン粉を振りかけて、もう一度ケチャップをかける。それをオーブンレンジで加熱すれば出来上がりだ。最後に青のりを全体に振りかける。
 さて、なんて呼ぼう。ジャガイモベースのピザのようなものといえば遠くないか。ただ、ジャガイモはいったんつぶしてるので、ピザよりもずっと柔らかくて、食感は全然違う。ジャガバターのピザ風という方が近いかもしれない。いずれにしても、今回はこれが一番ヒットだった。美味しいのでオススメしたい。多少手間がかかるものの、特に失敗する要素もないし、トッピングを増やせばメインのおかずにも昇格できそうだ。

 右手前の変な卵焼きみたいのは、豆腐ベースで、これまた何て名づけたらいいのか難しい。
 木綿豆腐をキッチンペーパーで巻いてレンジで加熱して水分を飛ばした後、これもつぶす。つぶし料理は私の得意技なのだ。そこへ、背わた、はらわたを取った小エビと、ツナ缶、刻みタマネギ、小麦粉、塩、コショウを混ぜて、サランラップにくるんで長方形にする。それをレンジで10分ほど加熱して固める。固まったところで取り出して、味付け海苔を巻く。
 卵焼きはもっとフワフワにしようとして失敗した。だし巻き卵にして、塩、コショウ、砂糖などで味付けしてから焼く。
 たれは、めんつゆベースで、だし汁、酒、しょう油、みりんで味をととのえて、ひと煮立たせする。
 これもけっこう美味しかった。豆腐は冷や奴や湯豆腐だけじゃなく、いろんなものに応用できる便利な加工食材として使える。組み合わせの相性がいいものも多く、加熱の仕方が食感も変わるので、同じ味付けでも別の料理になる。絹ごしにすればまた別物に変身するし、和食にも洋食にもなる。

 奥のは、白身魚とトマトの焼きものというか煮物というか、その中間的なもの。
 白身魚の切り身をやや薄くスライスして、塩、コショウする。タマネギ、しめじ、トマトをそれぞれ適当に切って、たっぷりのオリーブオイルとバターで炒めたあと、白ワインを振りかけて、コンソメの素と塩、コショウで味付けをする。ケチャップを少し加えてもいい。最後に刻んだ青ネギを加えて、あとは弱火で少し煮込めば完成だ。
 トマトソースというほどトマト味ではなく、味はシンプルな洋風で、ちょっとオシャレめ。手間もかからず、見た目の赤が食欲をそそる、簡単メイン料理として時間のない主婦の人に最適だ。
 色の組み合わせと見た目も料理には大切な要素というのが少し分かってきた。そんなに凝らなくても、少し彩りを添えるだけで手間がかかってそうにも、美味しそうにも見える。気取ったレストランがソースで絵を描いてるのも、同じ原理だ。一般家庭では、ひとつまみ加えるためだけにハーブを買ったりはできないけど、レストランならそれができる。見た目をもっとよくしていくというのも、今後の私の課題のひとつとなっていく。

 料理というのは漠然と毎日作っているだけではなかなか進歩しないものだ。主婦歴30年とシェフ歴30年の違いは、絶対的な料理数の違いだけでなく、向上心の差だ。あるいは、食べる人がまずいと言うかもしれない恐れと言ってもいいかもしれない。美味しいと思ってもらえるものを作ろうと思えば、もっと努力もするし、あれこれ試したりもするから、そうやって上達していく。料理は必ずしもセンスや才能がすべてではないと思う。
 もし、奥さんやお母さんの料理の腕がもっと上がって毎日美味しい料理を食べたいと思ったら、まずいときはまずいとはっきり言うべきだろう。美味しいときは誉めて、失敗したときそのまま放置しないことが大切だ。反省のないところに向上は生まれない。そんなこと言うなら食べなくていいです! と、怒らせて二度と作ってくれなくなったら、それはもっとまずいことになるけど。
 でも、主婦の人の立場に立って考えた場合、食事を作り続ける原動力は、食べる人が美味しいと言ってくれることに他ならなくて、無感動に感想のひとつも言うことなく食べられてたら、これ以上勉強して美味しいものを作ろうという気力もなくなってしまう。美味しいと言ってくれたらもっと美味しいものを作ってあげたいと思う。家庭料理はそういう形でしか努力が報われないものだ。もしくは、家庭内の食事を料金制にするかだ。
 料理を作るというのは、メニューを考えることから始まって、買い物の時間や作る手間など、いろいろと大変なのだ。ときには心底作りたくないと思う日だってあるだろう。そのあたりのことを食べるだけの人はくみ取っていってあげたい。
 だんなさんやお父さんも、料理はしてみるべきだと思う。男の場合は、美味しいものを作るとかどうこうよりも、自分で実際に作ってみて分かる大変さや難しさというのを実感することが必要だ。ひとり暮らしのときに自炊していたのと、家族に食べさせるために作るのとでは全然意味が違う。
 料理はシミュレーションゲーム的な面白さもあるから、男子にもオススメしたい。男子厨房に入らずなんてことでは逆にもったいない。
 目指せ、タモさん、追いつけ追い越せキムキム兄やん、負けるなグッチ裕三の気持ちでこれからも頑張って料理を作っていきたいと思う。

 ゴールデンといえば、やっぱりウィーク。黄金週間。後半は私も旅に出ます。8時ちょうどのあずさ2号で。って、狩人、ついに解散か。けど、兄貴の方、何を思ったか、ボクサーになるらしいではないか。狩人はあずさ2号に乗ってどこへ行く? クリスタルキングも、シャネルズもモンタ&ブラザースも、今はもうない、遠い80年代。懐かしのゴールデンメモリーズに浸りながら、また来週〜。


華やかで可憐なサトザクラが束になってもソメイヨシノにはかなわない
2007年04月29日 (日) | 編集 |
東山植物園の桜-1

OLYMPUS E-1+Super Takumar 50mm(f1.4), f1.4,1/200s(絞り優先)



 ゴールデンウィークに入ってソメイヨシノの桜前線は、東北・北海道ブロックに到達したようだ。こちらではもうひと月近く前のことになるから、正月気分も抜けた2月の始めみたいな遠さを感じる。こっちはもう初夏だ。桜並木も、満開の桜の花が幻だったみたいに青々と生い茂って普通の木になってしまった。
 けれど、桜の花は今この時期もまだたくさん咲いている。ソメイヨシノばかりが桜じゃない。いわゆるサトザクラ(里桜)と呼ばれる園芸品種の桜の多くが、4月の中旬から終わりにかけて満開になるのだ。東山植物園には桜の園という各地の桜を集めたコーナーがあって、いろんな種類の桜で賑わっていた。

 たとえばこれは、松月(ショウゲツ)という品種の桜だ。もともとは荒川堤にあった桜で、現在でも関東地方に多く植えられているという。
 薄ピンクの八重咲きで、ヒラヒラフリルの好きな女の子みたいな姿をしている。グループごとに固まって賑やかに咲く様子は、女子中学生を思わせる。中学のとき可愛かった彼女たちは今頃どうしてるだろうなぁ。いやいや、考えまい。
 花弁は20-30枚で、先端に細かい切れ込みが多くあるのが特徴だ。最初は濃いめのピンクで、満開が近づくほどに白くなっていく。ピンクの頬から美白へ、それが大人の女?

東山植物園の桜-2

 これも松月だったような違うような。近くにあったからそうだと思ったのだけど、プレートがかかってない木もあって、これは見た目の印象が違う。もしかしたら別の種類だったかもしれない。
 サトザクラは、桜の花ひとつひとつはきれいでも、離れて見たときの全体像があまりよくない。風情はあっても絢爛さに欠ける。これが桜本来の姿に近いといえばそうだけど、これを見て花見で酒を飲もうとは思わない。この桜じゃあ酔えない。

東山植物園の桜-3

 胸に付けるコサージュみたいなこれは、兼六園菊桜という珍しい種類の桜だ。
 一重の桜に対して花弁がたくさんあるものを八重桜といい、その中でも花弁が70枚以上のものを菊桜と呼ぶ。多くの菊桜は200枚ほどで、兼六園菊桜の場合はそれが250枚から300枚ほどあるのだという。
 昔、孝明天皇が兼六園に植えたとされる桜で、かつては日本に一本しかない天然記念物だった。ただ、それは1970年に枯れてしまって、現在は二代目が跡を継いでいる。
 その後、ある程度は増えて、全国に何本かは植わっているようだ。でも、珍しいことには変わりがない。
 これも濃いピンクから色が薄くなっていく種類の桜で、花びらは散らずに花ごとボトリと落ちる。

東山植物園の桜-4

 これまた変わった花姿をした桜だ。ひょろひょろっと伸びた枝の途中と先端に、やや唐突な感じに桜の花がかたまって咲いている。桜といえば花は完全に桜だけど、この咲き方は桜らしくない。
 プレートが見つからなかったんだったか、メモ撮りを忘れたのだったか、名前は分からない。変わった特徴の桜だから、たぶん有名だとは思うのだけど。

東山植物園の桜-5

 これまた豪華な桜だ。血統書付きのお嬢様猫みたいな風格がある。他のどの桜も憧れずにはいられないような華やかさだ。
 しかしこの普賢象桜(フゲンゾウザクラ)は、最近の品種改良で生み出されたものではなく、室町時代にはすでにあった古い桜というから意外だ。京都の朱雀大路に咲いていたこの桜を見た将軍・足利義満も感服したというエピソードが残っている。
 地味で一重のオオシマザクラからどうしてこんな桜が生まれたのか不思議だ。
 花心から葉化した細い2本の雌しべを突き出している形が、普賢菩薩の乗る象の鼻に似てるところから名づけられたという。
 花は満開になると花心が赤くなっていって、更に華やかさを増す。

東山植物園の桜-6

 楊貴妃(ヨウキヒ)という名の桜。人の名前がついた桜があるのを初めて知った。なんだかバラみたいなネーミングだ。けど、意外なことに楊貴妃という名前のバラはない(はず)。
 これまた古い桜で、奈良時代にはすでにあったとされている。奈良の興福寺の庭に咲いていたものを、僧侶が楊貴妃と呼ぶようになったことからそれが定着したそうだ。それじゃあ、名前というより愛称だ。昔は、厳密に名前をつけて他と区別するという意識が弱かったようだから、それでいいのか。

東山植物園の桜-7

 八重桜園はボトボト落ちた桜の花で死屍累々といった趣だった。これはちょっと単純に美しいとは言いがたい光景だ。少し痛々しいような感じもあった。八重桜の場合、花弁がギュッと詰まっているから、盛りを過ぎると花びらを散らす前に自らの重みに耐えきれなくなってボトリと落下してしまう。見ようによってはあまり気持ちのいいものではないかもしれない。
 これは御衣黄(ギョイコウ)という桜で、緑色の花を咲かせる唯一の桜だ。ウコン桜よりもはっきりと緑色をしている。それは、花弁に葉緑素があるからで、最初は緑色からだんだん白、黄色、ピンクと変化していく。
 これも、普賢象、松月、鬱金などと同じくオオシマザクラが親で、江戸時代に作られたそうだ。江戸時代初期に京都の仁和寺で栽培されたのが始まりとされている。現在では珍しいながらも全国で見ることができるようだ。ただ、緑色の桜は見た目がパッとしないのであまり普及はしていない。
 名前は、貴族が好んで着た萌黄色の衣に似ているところから、御衣黄となった。

 サトザクラは、昔から今に至るまで、500種類ほどが生み出されたといわれている。品種改良が盛んになったのは鎌倉時代あたりからで、江戸時代にはすでに今あるものの多くが出そろっていた。
 今回、こうしていくつかの種類の桜を見てあらためて思ったのは、ソメイヨシノというのはやっぱり傑作中の傑作なんだなということだった。八重咲きでもなく、可憐なピンク色でもないけど、満開の姿がとにかく素晴らしくて、一週間で花びらを一気に散らす風情がまた格別だ。ソメイヨシノのライバルはいない。ソメイヨシノだけが桜の中でスターになれた。日本人が他のどの桜でもなくソメイヨシノに魅せられたの、必然だった。もし、ソメイヨシノが生み出されていなかったら、日本人と桜のつき合いは今とは全然違ったものとなっただろう。ヤマザクラやサトザクラだけでは満たされなかったに違いない。
 とはいえ、サトザクラにもサトザクラの魅力はあって、ソメイヨシノよりきれいじゃないから価値がないというわけではない。別ものとして楽しめば、これはこれで美しい。ボトボトと落下する花の様子もちょっと胸を打たれるものがある。八重桜は花に近づいて見てこその美しさと知る。
 今年は奥山田のしだれ桜なんかの一本桜を見に行くことができなくて、それが少し心残りとなったものの、それ以外はほぼフルコースを見て回ることができた。近所の桜並木は残らず見たし、東谷山フルーツパークのしだれも、東山植物園のサトザクラも見られて満腹だ。特に最後サトザクラをたくさん見られたのは収穫だった。これを見なければソメイヨシノの偉大さを実感として気づくことができなかった。
 桜見はまた来年へと続いていく。一年いちねん、しっかり見て、自分の中で完結させていくことが次の年につながる。桜の木も、新しい葉をたくさん出して、来年の花に向けての準備が始めている。
 桜よ、今年もありがとう。きっとまた来年会おう。今年会えなかった桜たちよ、来年はきっと会いに行きます。それまでお互い、くたばらずに元気で過ごそう。生きていれば出会いと再会は叶うはずだから。


40-80mmマニュアルレンズでグリグリしながら撮り巡った牧野ヶ池緑地
2007年04月28日 (土) | 編集 |
牧野ヶ池緑地-1

PENTAX istDS+smc PENTAX-M 40-80mm(f2.8-4), f2.8, 1/20s(絞り優先)



 久しぶりに変なレンズを買った。PENTAXのマニュアルレンズで、40-80mmというなんとも中途半端なやつだ。istDSで使うから1.6倍換算で64mm-128mmとなって、半端さも倍増する。一応分類としては中望遠となるのだろうけど、128mmでは望遠としては届かないし、64mmはスナップにも向かない。なんで買ったんだろう私。人は必ずしも自分で自分の行動の理由を把握しているわけではない。無駄遣いもまた、人生の醍醐味のひとつだ。
 せっかく買ったからには一日くらい使ってみようと、夕方近場の牧野ヶ池緑地へ持っていった。このレンズのひとつ特徴としては、80mmのときだけ簡易マクロとして焦点距離が37センチの1:4になるというのがある。その使い心地と画質を確かめるというのが主目的だった。
 しかし、ジャンクレンズ(1,000円)に説明書なんていう気の利いたものが付いているはずもなく、最初どこをどうすればマクロになるかさっぱり分からず、かなり長い時間考える人となってしまった。80mmの位置からもう一歩ぐっと力を入れてマクロポジションにダイヤルを合わせることに気づいたのは30分後のことだった。
 更に、絞りのリングをどうやれば連動するのかも分からない。リングは回るものの、絞り羽がまったく動かない。レンズをはずしてグリグリすると絞り羽も連動して動く。カメラに付けると動かない。結局分からないまま、絞り優先モードですべて開放となってしまった。遠景も開放って、なんか間抜け。
 家に帰ってきてネットで調べてようやく分かった。マニュアルモードにしてからAE-Lボタンを長押しすると羽がバシャって感じで動くのだ。ファミコンの裏技じゃないんだから、こんなもの普通気づかないぞ。
 今回初めてマニュアルフォーカスのズームというのを買って、これまたややこしいったらない。Takumarとかの単焦点は、絞りリングで絞りを決めたら、あとはピントリングでピント合わせて撮るだけだからそんなに面倒ではないのだけど、これがズームとなると、まずはズームリングで撮る範囲を決めて、絞りリングで絞りを決定して、そこからピントリングでピントを合わせてと三段階グリグリしなければいけないのだ。その間の私は、なんだかレンズをやたらグリグリ回している人となって、その様子を人に見られるとなんだかとっても恥ずかしい気がした。あいつどんだけグリグリしてるんだよ、早く撮れよと思われてしまいそうで。ゴルフで必要以上に素振りを繰り返してなかなか打たない人みたいだ。マニュアルズームレンズって、片手にソフトクリームを持っていたら絶対に使えないことが分かった。

 何はともあれ、40-80mmレンズを付けて、1時間ほど歩いて撮ったのが今日の写真だ。今日の牧野が池でやたらレンズをグリグリしていて人を見かけたとしたら、それは間違いなく私だった。
 最初は、池の周囲の散策路から。前回訪れたのは確か3月の始めだったと思うけど、ひと月以上経って、木々の緑は大繁茂していた。名古屋市内の緑地とは思えないほどの密林状態だ。茂みの向こうからトラでも出てきそう。春の緑の成長速度は、伸び盛りの子供のような勢いがある。ちょっと油断したらもう服が着られなくなってるみたいな。そろそろ散策路をはずれて中に踏み込んでいくのは難しくなった。小さな虫集団も現れて、クモの巣が顔にかかる日も近い。今度からは緑地へ行くときは、フルフェイスのヘルメットをかぶっていきたいくらいだ(いかないけど)。
 こんなシーンはf2.8の開放で撮るところじゃないけど、解像感はもうひとつ。絞ればもう少しシャープになるのだろうけど、描写の線は太めのようだ。色の出方は悪くない。コントラストはきつめで、シーンによっては白飛び、黒潰れが起こりやすい印象だった。全体としての雰囲気は嫌いじゃない。

牧野ヶ池緑地-2

 牧野池は、冬ガモたちの姿がすっかり消えて、いつものアオクビアヒルやカルガモたちの静かな池に戻っていた。3月のときはまだけっこう居残っていたのに、みんな帰っていったようで、それが寂しくもあり、安心もした。カモも渡るやつはちゃんと渡るし、渡らないやつは渡らない。みんな季節や自分の居場所を間違えたりしなくて偉いなと思う。もうシベリヤやカムチャツカに無事帰り着いただろうか。また来年、きっと戻ってきて欲しい。私も半年後にまた会いに行こう。

 コントラストがきついシーンでの描写は、良く言えば深い、悪く言えば重い。ムードはあるけど、シャドー部分が潰れすぎる。全体を明るくすると白っぽくなって締まりがなくなる。PENTAXの絵作りじゃなくてNikonみたいだ。D70で撮るとよくこんな感じになった。
 ピントはなんとなく合わせづらい。レンズの曇りの影響もあるのかもしれないけど、Takumarに比べると見えにくくて、ピントの山が掴みづらい。ピントリングもTakumarより大雑把な気がする。istDSはマニュアルモードでもピントが合うとピピッと合焦音がするからそれが手掛かりになるのだけど、istDは音がしないからマニュアルレンズは使い勝手が悪い。

牧野ヶ池緑地-3

 こんなシーンも開放なんかで撮る人はめったにいないと思うけど、あえて柔らかい描写にするには開放で撮るというのも一つの手だということに気づいた。怪我の功名だ。これはこれで悪くない。
 無限遠もちゃんと出てるから、遠景も苦手ではないようだ。けど、元々はどういう趣旨で開発されたレンズなんだろう。35mmから始まっていれば普通の標準ズームだったのに、あえて40mmからにしたのはどんな意図だったのか。もし、f2.8-4ではなくf2.8通しにできたとしたら、もっといいレンズになっていただろうに。その分かなり高くなっただろうけど。
 それにしても広角64mm換算というのは、デジでは撮るものが限られてくる。風景写真には向かない。ポートレートとしてはいいのだろうか。猫用レンズとしてはそれなりに使えるかもしれない。

牧野ヶ池緑地-4

 一番期待していた簡易マクロ機能は、こんな感じ。ピントが少し合ってないような、手ぶれもあるようなんだけど、ややシャープさが足りない。最短37センチの倍率1:4というのも、あと一歩寄り切れずにもどかしい。TAMRON 90mmみたいなのを要求するのはもちろん間違っているのだけど、たとえばTakumar 50mm f1.4のマクロ的な使い方と比べても、使い勝手はあまりよくない。背景ボケはまずまずきれいだけど。
 一段か二段絞って、ちゃんと三脚で撮ればまた印象も違ってくるだろうか。ただ、私の使い方としてはラフな手持ちで開放が多いから、あえてこのレンズを使う必然性は弱い。標準レンズ的に使いつつ、とっさにマクロ撮影もできるという便利さはあるにしても。

牧野ヶ池緑地-5

 ハナミズキに群がる小さい虫とクモ。花びらに見せかけた白い飾りで虫たちを呼び寄せ、中心にある小さな花へと誘い込む。派手な宣伝を打って売り込む商売に似ている。
 これを見ても、やっぱりピントが合ってると思われる部分の解像感が鈍い感じがする。シャッタースピードはそこそこ出てるからひどい手ぶれではないはずだ。かといってソフトレンズのようなふわっとした絵になるわけでもない。
 結論的に言って、マクロレンズとしてメインで使うには力不足と見た。ただし、今回使ったのはカビ、曇りありのジャンクレンズなので、きれいな状態のレンズではもっと鮮明になるはずだ。状態のいいものも試したくなってきた。あと一歩惜しい感じだから、そのちょっとした残念感がなくなればお気に入りとなる可能性はある。鈍いというのも単焦点と比べてで、最近のズームレンズよりは自己主張のある写真になるから、そういう部分での面白さはある。

牧野ヶ池緑地-6

 太陽が森の向こうに隠れて、空はオレンジからピンクに変わる。水面もまたピンク紫に染まった。
 何気なく撮ったこの一枚がけっこう気に入った。このレンズはこういうぼんやりした被写体と淡い色合いを切り取るのに向いているのかもしれない。シャープさを求めてもこたえてはくれないから、雰囲気重視でいくべきだろう。同じシーンをデジタル用の標準ズームで撮っても、こういう写真にはならない。

 短時間の少しの撮影だけでこのレンズの実力を分かったとは思えないけど、一応の傾向は見えた。使えないレンズではない。使うシーンさえ見つけられれば普通とはちょっと違った写真が撮れる。いかにも写真を撮ってるというマニュアル感も味わえる。
 ただ、一本で全部をまかなうのは苦しいから、他のレンズとの組み合わせになるだろう。たとえば18mmか20mmくらの広角単焦点レンズと、135mmくらいの中望遠と、200mmか300mmの望遠レンズという4本体勢の標準レンズとしては使えそうだ。って、全然街のスナップ向きじゃない。観光地へ行くにしても邪魔くさいラインナップだ。
 このレンズでなければ撮れないシーンや場所というのはちょっと思いつかない。明るいといってもF2.8だし、マクロになるとF4だから室内では使いづらい。動物園にも水族館にも中途半端だ。一本勝負ができるところといえば植物園くらいだろうか。
 結局のところ、今後は気まぐれに登場する程度になりそうだ。荷物が少ないときにとりあえず持っていって、思い出したら使おう。人がたくさんいるところで、これ見よがしにグリグリしたい場合は最適なレンズだ。キャンペーンガールの撮影会とかにはいいかもしれない。キャンギャルが、あの人やけにグリグリしてるけどどんなカメラを使ってるんだろうと私に興味を持ってくれるかもしれないからだ。コンパニオンガールの視線を独り占め。
 というわけで、このレンズを付けて行くのに最適な場所はモーターショーと決まった。逆に一番向かないのは電車だ。列車が来てからあちこちグリグリしてたんじゃ電車はあっという間に通り過ぎて間に合わない。鉄ちゃんへの道のりは、ギャル攻略よりも遠く険しいのだ。


東山植物園で感じて思った、巡る季節と花と地球と人の話
2007年04月27日 (金) | 編集 |
東山植物園2-1

OLYMPUS E-1+Super Takumar 50mm(f1.4), f6.3,1/16s(絞り優先)



 去年の秋、紅葉のトンネルをゆく老夫婦を見ていいなと思った。春の花道は若いカップルがよく似合う。どちらにもそれぞれの味があり、よさがあって、象徴的な光景だった。
 私たちは皆、物心ついてから少年、少女時代を過ごし、思春期をくぐり抜けて大人になった。そこには直接的、間接的に、いつでも花があったんじゃないだろうか。自分では特別意識しなかったとしても、思い出のシーンのどこかに引っかかりのある花があったはずだ。小学校のとき、遠くにいる好きな子を見ていた校庭には花壇があっただろうし、入学式の桜や、初めて渡したりもらったりした花束を覚えているだろう。家族旅行で行った旅先にあった花や、初恋の人が何気なく口にした好きな花の名前を覚えている人もいるかもしれない。
 もし、この地球に花がなかったら、私たちは今とは違う性格の人類になっていたに違いない。心ももっと殺伐としていたかもしれない。歌の歌詞の中にも花が登場しなかったら、なんて味気ないことだろう。花にまつわるいくつかの名曲を私たちは聴くことがなかった。
 人は花と共にあるのだということに、写真を撮るようになって初めて気づいた。花の種類の多さに驚き、季節の細やかな移り変わりを花に教えられた。決して季節を間違えない花の偉大さも知った。
 地球のすべて必然だとは思わない。もし何もかもかっちり決まり切っていたら、生きるのが息苦しくて仕方ない。この世界が素敵なのは、遊びの部分があるからだ。趣味的なところと言ってもいい。花や動物などはその代表的なものだ。こんなに種類はいらない。でも、こんなにあって嬉しいとも思う。多様さが面白くて楽しい。偶然で片づけるには多彩すぎる。きっと、天に花や鳥や動物や魚や、それぞれの担当者がいるのだろう。その仕事ぶりはとても素晴らしい。これだけ楽しませてもらっているのだから、感謝しなくてはいけない。どうもありがとう。

東山植物園2-2

 動物園や植物園は割と変わった人がいる。私だってひとりで来て嬉しそうに写真を撮ってる変わった男の一人だから人のことは言えないのだけど、動植物園というのは不思議ちゃんのような人も温かく迎え入れてくれる包容力がある。この前は、オオフラミンゴの前でいつまでも動かない女の人を見た。ひとりで動物園を訪れて、オオフラミンゴの前で立ち尽くす人生というものがどういうものなのか、私にはちょっと想像がつかなかった。今回は、植物園で至近距離から植物を観察する女の子を見かけた。近い、近い、とツッコミを入れたくなるほどの距離感で、彼女は一体何を観察していたのだろう。花ではなく木だったのが不思議だった。植物の葉っぱや枝に何か特別な思い入れがあるのだろうか。
 動植物園にいるのは動物や花だけでない、ホモサピエンスもたくさんいる。それを含めての動物園だ。ときにはそちらの方が興味深かったりもする。だから私は動物園が好きだ。

東山植物園2-3

 植物園の奥から、高台にある花畑へと続く坂道。このあたりは中国の植物が集められていたり、竹林があったりして、他とは少し趣が異なっている。
 坂道はだらだらと長く続き、年輩の人はちょっと苦しそうに登っている。ベビーカーを押しながら歩く若いお母さんは大変だ。でも母は強し。デートではちっとも歩かなかった名古屋嬢も、お母さんになればぐんぐん歩く。カバンさえ男に持たせていたのに、スーパーの重い荷物も両手で持ったりする。歳月は人を変える。
 竹林にはだいぶ伸びたタケノコがニョキニョキたくさん顔を出していた。地面から出てしまってはもう食べられない。ここの竹林は手入れが行き届いていてきれいだ。京都の嵯峨野を思い出す。静かな嵯峨野をまた歩きたい。
 それにしても、気づかないうちに新緑がすっかり濃くなっていた。少し前まで枯れ木も目についたのに、今はもう、ほぼ完全に緑におおわれている。春は花の咲かない木にも平等に訪れる。近くでウグイスが鳴いた。ホーホーホー、ケッキョ。でも、深い緑に視界をさえぎられて姿は見えない。そろそろもう、夏鳥の季節だ。

東山植物園2-4

 レプリカ縄文杉の間から地上を照らす太陽の光。この日は曇ったり日差しが戻ったりで、はっきりしない天気だった。それでも太陽の光は春と比べて明らかに強さを増していた。冬の間はあんなにも力を失っていた太陽の力が、今また戻って来つつある。今年の夏も容赦してはくれないだろう。
 どうして夏は暑くて冬は寒いの? ねえ、どちて、どちて。そう、どちて坊やにしつこく訊かれたとき、あなたは簡単に分かりやすく説明できるだろうか。こういうことって、意外と学校で習わない。いや、習ったのかもしれないけど、大人になってもはっきりとした理屈を認識してないということは、教え方がまずいのだ。案外、太陽と地球の距離の違いによるものと勘違いしてる人が多いんじゃないだろうか。
 ごく簡単に言うと、太陽に対して楕円軌道を取っている地球の傾きによって夏と冬は起こる。もし、太陽と地球の距離によるものなら、北半球も南半球も季節は同じになる。でも、北半球が夏のときは南半球は冬だ。文章だけで説明するのは難しいのだけど、地球から見て太陽が高い位置にあって垂直に近いときほど光がたくさん地面に当たって暑くなるというのがまずある。これは朝と夕方よりも昼間の太陽が上にあるときの方が気温が上がるのと同じ理屈だ。冬は太陽が斜めの位置にあって光がロスして気温が上がらず、夏は高くなるから暑くなる。ライトの光を真正面から見ると眩しくて、斜めから見るそれほどではないというのに近い。
 ところでこの前、驚きのニュースがあった。あろうことか、ロシア人の3人に1人は地球の周りを太陽が回っている天動説を信じているというのだ。ガリレオは17世紀初頭の人だ。21世紀のロシアはそれ以前のレベルということか。にわかには信じがたいけど、さすがにこの事態にロシアも焦ったようだ。何らかの対策は考えているだろう。地球が太陽の周りを回っていることを知らないということは、宇宙に関してまったく知識も興味もないということだ。それはいくらなんでもまずすぎる。
 日本でも最近は受験勉強のような実際的なものばかりを優先して、無駄ではない遊びの知識を教えなくなっている。だから、もしかしたらこれに近い現状があるのかもしれない。科学はともかく、天文学の授業なんて今あるんだろうか。大人にとっての常識も、子供には教えないと子供は知らないままだ。自分で興味を持って天文学の本を読む子供なんてのはごくわずかだろう。美しい国作りよりも常識的な人間を育てることの方が先だ。教育にゆとりなんか持たせていたんでは、短い一生で勉強は間に合わない。学ぶべきことはいくらでもあるのに。

東山植物園2-5

 春がまだ粘って少し居座っていた。最初の花と最後の花はありがたがられて大事にされる。長男と末っ子のように。真ん中はけっこう扱いが雑になりがちだ。平均的な子供はその他大勢にまとめられてしまうように。
 しかし、桜も季節はずれになると、なんとなく白々しいような、違和感のようなものがある。夏に冬ソナを観るように。それは人間の勝手な気分の問題で、遅咲きのサトザクラにしたら今の時期こそが自分たちが咲くときだ。ソメイヨシノのことなんて知ったこっちゃない。花は人間の都合に合わせて咲いているわけじゃない。
 この地方の人間にとっては桜もすっかり遠い過去の出来事になったけど、ソメイヨシノの桜前線は今どのあたりまで行っているのだろう。東北から津軽海峡を越えて北海道に上陸しただろうか。桜前線の尾っぽは、福島あたりか。今年のゴールデンウィークも、弘前城の桜は見事なんだろうな。もし、裕福なじじいになって、やることがなくなったら、沖縄から北海道まで、桜前線に合わせて日本縦断の旅に出るというのも悪くない。たとえ、震える手でカメラの手ぶれ補正機能が役に立たずに全部手ぶれ写真になったとしても、桜の撮影旅行は魅力的だ。日本人としての最高に贅沢な国内旅行かもしれない。

東山植物園2-6

 バラ園にまったく花はなし。今年はいろんな花がいつもよりも一週間くらい早く咲いてるから、バラも気の早いやつが先走って咲いてるんじゃないかと思ったけど、それはなかった。バラは例年通りになるのだろうか。だとしたら、咲き揃ってくるのは早くても5月の半ばくらいからだ。3週間早かった。早まりすぎだって。
 バラもスタイリッシュに撮るのが難しい花だ。アップにすると誰が撮っても同じになってしまうし、離れるととりとめがなくなる。背景と余白で工夫するしかない。バラも今年で3シーズン目だ。去年よりはもう少し上手に撮りたい。この上手に撮りたいという気持ちが大切で、野球のイチローとサッカーの中村俊輔と、二人の天才が同じように「もっと上手くなりたいから練習してるんです」とインタビューで答えていた。上手になるために写真を撮ってるわけじゃないというのは言い訳にならない言い訳だ。写真に限らず自分の好きなことをやるときは、もっと上手になりたいと思って続けることが大事なんだと思う。

東山植物園2-7

 春の面影が薄くなり、夏の気配を予感させる初夏、その影では早くも秋が準備を始めている。カエデも美しく染まるために今は青々とした葉を育てている。桜も紅葉も、一気に来て、あっという間に去っていくけど、そこに至るまでは長い準備をしている。人も発表会のときだけちょちょいのちょいでやって上手くいくものではない。本番は一瞬でも、積み重ねた練習と努力があってこそだ。
 日本には四季がある。それは、一年に4つの顔があるのではなくて、4つの独立した季節があって、それぞれが一年を陰になり日向になって進んでいると言った方がいい。たとえばそれは渡り鳥のように、あるいは植物が種から根を出し芽を出し花を咲かせて実を付けまた種に戻っていくように。それぞれの季節がそれぞれの一年サイクルを持っている。今見えていない冬も、見えないところで次の支度を調えている。
 たかが季節、たかが花、そんなものに何の価値があるのかと若い頃の私は思っていた。今さら若い自分を責めても仕方がない。若いというのは愚かなことだから。あのときはまだ気づかなかっただけで、気づけるようになった今を喜びたい。
 私たちは地球の一部として、今この場所、この時間に存在している。道ばたに咲く野草と同じほどの価値しかなくても、誰かの役に立っている。自分を見つけてくれる人がいる。それは慰めではなく、責任だ。咲かなくていい花はない。太陽に向かって精一杯の花を咲かせるのだ。自分のことを知ってくれている人のために。それが私たちの生きる道。単純だけど、難しい。難しいから頑張る意味がある。


春から初夏へと急ぐ東山植物園の花たちを追いかけて開放
2007年04月26日 (木) | 編集 |
東山植物園花-1

OLYMPUS E-1+Super Takumar 50mm(f1.4), f1.4,1/800s(絞り優先)



 閉園間際の東山植物園に駆け込んで、1時間半で走り撮りした花たちを。
 今日のテーマは、解放。じゃなく、開放。植物園で自らを解き放って、暴れたり裸になったり窓ガラス壊して回ってる場合じゃない。明るいレンズを一番開いて、ぼんやりほわっと柔らかく撮るのが開放だ。マクロレンズじゃない標準レンズでもこれくらいはボケる。ばあさん、夕ご飯は食べたんだったかいのぉ。

 目につく花を手当たり次第に撮っていった中の一枚で、プレートが見つからなくて名前は分からない。女と見れば手当たり次第にという言い回しがあるけど、私の場合は対象が花なので人畜無害だ。しかし、振り回した手が当たった女性全部に挑んでいくチャレンジャー人生というのはある意味憧れる。初代総理大臣の伊藤博文がそうだった。薬師寺保栄のばあちゃんの名言を思い出す。
「あの男は動いてる女ならなんでもいい」
 話がすごく脱線してしまったけど、私は最近、黄色い花が好きらしいということに気がついた。前はそうでもなかったのに、黄色を見ると心惹かれる自分がいる。精神状態と好ましいと思う色は密接な関係があるはずだから、今の私は黄色い気分らしい。自殺前のゴッホみたいな感じだろうか。ドクターコパ的には黄色は金運を呼ぶ色だから金に飢えているのか。心理学的にいうと、黄色はコミュニケーションカラーで、他人に対して心が開いている状態なんだとか。でも実際は全部当たってなくて、割と普通な感じ。ハイテンションでもローテンションでもなく、ほどほどに元気だ。
 それはともかくとして、これは面白い姿をした花だった。人によっていろいろなものを連想しそうだ。私は何故か、宇宙的だなと瞬間的に思った。何がどう宇宙なのかは自分でも分からないのだけど、そう感じのだった。星なのか、宇宙船なのか、宇宙の生命体なのか。
 そのうち名前も調べておこう(親切な人が教えてくれるのを待ちながら)。

東山植物園花-2

 子供がこの花の絵を描いたら、大人はどう言うだろう。大部分の親や教師は、そんな花はありませんと言うんじゃないだろうか。私も初めて見た。こんな格好をした花もあるんだ。
 自然の造形というのは面白いもので、人の想像が及ばないような姿をしたものがたくさんある。海の生き物だったり、花もそうだ。奇抜なアイディアはすでに全部自然の中にあるのかもしれない。人はそれを模倣してるだけで。
 逆に言えば、自然は人を真似しない。真似する必要がないからだ。そう思うと、人間が本当の意味で作り出したものは何もないとさえ言える。人は自然にあるものを模倣したり加工したり組み立てたりするだけだ。
 この花は花火に見える。そういえば、花火の文字は花に火だ。やっぱり昔の人も花を見てそれをヒントに花火を作ったのだろう。

<追記>
 セントウレアと判明。矢車菊(ヤグルマギク)とも近いけど、たぶんセントウレア。

東山植物園花-3

 花びらが散って、顎筒(ガクトウ)というのかそれも落ちて、クモの巣に引っかかって、川面にきらめく初夏近し。冬来たりなば春遠からじというならば、春来たりなば夏遠からじとも言えるわけで、出会いは別れの始まりで、夏はもうすぐそこに迫ってきていた。春のたけなわ。
 いつだって季節は全力疾走で休むことを知らない。今ここにいない季節も地球の反対側を駆け抜けている。私たちはのろい足取りで季節の背中を追いかけて、あとかからあとから季節が私たちを追い越していく。今年の春は去年の春とは違う春で、生きた年数と同じ数の季節が私たちの上を通り過ぎていった。かすかに頬に風を感じただけで、決して捕まえることはできない。追いつけないのなら、せめて全力で感じよう。それしかできないけど、それだけはできるから。

東山植物園花-4

 これも見たこともないような不思議な木の花だった。花がピンクで葉っぱが赤い。ハッと目を引くきれいさだった。お正月に咲いたら、さぞやめでたい花として大切にされただろう。桃の節句のときでもよかった。名前が分からなかったから、林家ぺーパー夫妻木と名づけよう。
 ピンク色も最近けっこう好きだ。ときどきそういう時期があるのか、中学の一時期、ピンク色のシャツを好んできていた時期があった。今思うと変なんだけど、ときどき私は何かにとりつかれているのかもしれない。
 いや、ピンク色というからいけないんだ。桃色といえば、それはおかしな色じゃない。桃色がシュキでーす、とチャン・ドンゴン風に言えばけっこうカッコいい気もする。そういえば最近、ピンク映画って言葉を聞かなくなったな。

東山植物園花-5

 青い花はハーブだろうか。これも名前は判明せず。飛んでるハチはセイヨウミツバチかニホンミツバチか。色が黒いのがニホンミツバチで、黄色が濃いのがセイヨウミツバチなんだけど、単独で見分けるのはちょっと難しい。この写真だけは判断がつかない。最近、名古屋ではニホンミツバチも増えているそうだ。はっきり区別するためには、後翅の支脈がくっついてるか離れてるかで分かるというのだけど、そんな至近距離に近づいてまでミツバチを見分けたくない。私はこれまで二度ミツバチに刺されてるから、もうこれ以上刺されたくないのだ。
 働き者の代名詞といえばアリだけど、ミツバチも相当なもんだ。アリにも負けてないくらい、一心不乱に働いている。カメラで狙う私を警戒しつつも、何しろ蜜を集めないと女王様に叱れるとばかりに必死だ。それでも働き蜂が一生をかけて集める蜜はティースプーン2杯分と言われている。ミツバチの一生は人がなめるハチミツ1口分でしかないかと思うと、ちょっと悲しいような気持ちになる。と言いつつ、ハチミツを常飲している私。やっぱりミツバチに刺されるわけだ。

東山植物園花-6

 最後は桜で締めくくり。足早に去ろうとする季節の肩に手をかけて、もうちょっとゆっくりしていきなよと引き留めたい。まだ4月も終わってないんだし、あとちょっとだけ。
 遅咲きの桜が最後の花を咲かせながら、そのそばからハラハラと散ってゆく。帰り支度を始めた旅人の心はもうここにあらずか。人の心も桜から離れて日常へと戻っていってしまった。
 季節は晩春から初夏へ。新緑と風薫る5月。目を閉じて耳をすませば、生ぬるい風がゆるく吹き抜け、鳥たちのざわめきが聞こえる。目を開ければ鮮やかな新緑と、今を盛りに咲くいろとりどりの花たち。林道を歩けば顔にクモの巣がかかり、夏の匂いの予感がする。
 どの季節にもいいところがあり、悪いところがある。でもその中で、5月ほど嫌いになる要素が少ない月はない。4月もよかったけど、5月はもっといい。カメラを持って外を歩けば撮りたいものがたくさんあって、見上げる空は青い。この世界には何も問題がないと一瞬でも思えるのが5月という月かもしれない。


名古屋人の青春の味はスガキヤのラーメンだった
2007年04月25日 (水) | 編集 |
スガキヤ-1

OLYMPUS E-1+Super Takumar 28mm(f3.5), f3.5,1/100s(絞り優先)



 15年ぶりに食べたスガキヤのラーメンは青春の味がした。
 ひとくちスープをすすって大学時代に戻り、麺で高校時代に帰り、チョコレートクリームで中学までタイムトリップをした。圭一と食べた清水屋は今どうなっているだろう。マッチャとランチした大学近くの店はあのときのままなんだろうか。みんなも、もう、スガキヤは行ってないだろうな。

 名古屋人の心の故郷の食べ物は、味噌カツでも、味噌煮込みでも、きしめんでも、ひつまぶしでもなく、スガキヤのラーメンかもしれない。東海地方の中高生たちはみんな、学校帰りにスガキヤのラーメンとソフトを食べて育った。不良もマジメっ子も、男子も女子も。それは美味しかったからというよりも安かったからに他ならない。ラーメン一杯が200円そこそこで、ソフトクリームを食べても300円かそこらで済んだのは、お小遣いの少ない学生にはとてもありがたい存在だった。
 やがてみんな学校を卒業して、大人になると、スガキヤから離れていった。会社の昼休みに食べるようなものではないし、休日にひとりで訪れるにはなんとなくわびしさが伴う。戻っていったのは、主婦の人たちくらいだろう。小さな子供を連れて行くにはスガキヤはまた良いところだから。
 スガキヤのラーメンは美味しいか美味しくないかといえば、名古屋人の多くは美味しいと答えるだろう。じゃあ、他県の人にも自信を持って紹介できるかといえば、それはできない。これはそういうたぐいのものではないから。スガキヤのラーメンに自信と誇りを持っているとかそういうことではない。たとえるならそれは、舌を慣らされたお袋の料理に近いかもしれない。あれだけ食べれば好きも嫌いもなくて、よそ様に自慢できるようなものではないというのに似ている。だから、観光客向けのガイドブックには、スガキヤが大きく取り上げられることはない。名古屋人の心にこれほど深く染み込んでいるにもかかわらず。それでも、名古屋の人間は美味しいと思って食べているのだから、名古屋人の精神はどこか屈折している。
 部活の帰りにおなかを空かして食べたスガキヤは旨かった。みんな必ずラーメンのあとにソフトを食べた。よくおなかを壊さなかったものだ。でも、スガキヤは何故かラーメンとソフトの両方でワンセットのような思い込みがあって、それを何の不思議とも思っていなかった。岐阜出身のマラソンの高橋尚子もスガキヤが大好きだった。スガキヤを忘れた大人の名古屋人たちよ、今こそスガキヤに帰ろうではないか。ひとくち食べればたちまち心は19のままさ。今もあの娘長い髪のままかな。僕はほらネクタイしめて僕が僕じゃないみたい。それは、スガキヤを忘れたからだ。

スガキヤ-2

 15年ぶりということで、おっかなびっくり店の入り口に近づく。もしかして激変していたらどうしようという不安が心をよぎる。前注文システムはあの頃のままだろうか。それとも今は注文方式が変わってしまったのだろうか。食券を自販機で買ったりするのか。などなど、あれこれ考えつつ、店先のメニューを見てみると、うほー、ラーメンがいまだに280円じゃん。安っ! 15年前、20年前でも200円だったか180円だったかで安かったけど、21世紀の280円はいかにも安い。ソフトクリームもまだ140円だ。
 けど、なにやら見慣れない小洒落たものが載っている。温野菜ラーメン(390円)やタンタンメン(390円)だって!? 和風つけ麺なんて、そんなハイカラなものがスガキヤに登場していたのか。豚塩カルビ丼(290円)なんてものまである。ラーメンじゃないじゃないし。サラダセット、デザートセット、お子様セットなんてのはいつからあるんだろう。このあたりではさすがに時代の流れを感じずにはいられなかった。私が訪れなかった15年という月日は、やはり短くなかったようだ。歳月人を待たず。
 もしかしたら味も変わってしまっているかもしれない。それに、自分は果たしてスガキヤの味をしっかり覚えているだろうかという心配もあった。ただ、システムに関しては、店先で店員に口頭で注文をして、代金先払いで番号札を渡されるという昔ながらの古典的なシステムでちょっとホッとした。スガキヤはやっぱりこうでなくちゃと思う。
 私は肉入りラーメン(350円)と、チョコクリーム(190円)を、ツレは温野菜ラーメン(390円)を注文した。ちょっと待て、それは昔ながらのメニューじゃないから邪道だぞ、なんてことは言わない。ツレは名古屋人じゃないから、何を注文してもいいのだ。

スガキヤ-3

 厨房の中は昔に比べたら多少きれいになったかなという印象はあった。もともと清潔さに定評のあるところではなく、若い私たちもそんなものを気にするような上品な学生ではなかった。安くてそれなりに美味しければ文句は言いっこなしというような暗黙の了解みたいなものがあった。たとえ、ラーメンの器を持つおばちゃんの指がスープに入っていたとしても、おばちゃん、指入ってる! と怒ると、おばちゃんのダシ入りだがねなんて返しがあって、それで終わりだった。昔はよかったなと思うこともある。
 このときは奥でラーメンを作る係のおばちゃんと、注文取り兼ソフト係の男子学生の二人体勢だった。日曜の夜ということで客の入りはまずまずで、割と待たされた。昔はほとんど待ち時間はなかった気がしたけど、こればっかりはパートのおばちゃんの技量次第なので、一概には言えない。ここでのおばちゃんはあくまでもマイペースの人のようで、たくさん注文が入っていたにもかかわらず、あまり慌てた様子もなく、何度も伝票を確認しにカウンターへやって来ては、また奥にすっこんでいくというのを繰り返していた。それを見かねた学生がヘルプにいっていて、カウンターはがら空き状態。レジも無防備に晒されているけど、そんなことは全然平気なのだ。スガキヤ好きに悪い人はいない。スガキヤ性善説。

 ラーメンを待つ間、スガキヤについてちょっと勉強しておこう。
 2006年の去年、スガキヤは60周年記念ということで半額セールをやっていたらしい。もちろん、私は全然知らなかった。60周年ということだから、1946年、戦後まもなくスガキヤは創業したことになる。
 名古屋の栄に甘味処とラーメンの「寿がきや」をオープンしたのが始まりだった。当時はラーメンが40円だったそうだ。
 スガキヤの名前は、創業者の名前が菅木周一(すがきしゅういち)だったからだ。知ってしまえば、なーんだ、となる。
 1963年(昭和36年)に、日本で初めて粉末の即席ラーメンを作ったのもスガキヤだった。その際に、寿がきや食品株式会社を設立している。
 現在もカップ麺やインスタント麺の「寿がきや」があって、やや混乱するのだけど、インスタント麺関係は一応別会社になっているようだ。とはいえ、元は同じなので、カップ麺のスガキヤ再現度はかなり高い。
 本格的に店舗数を増やしていったのは、昭和40年代半ばから50年代にかけてだった。郊外の大型スーパーなどのテナントとして入ってることが多いスガキヤのスタイルはこのとき確立されていった。地方では百貨店の中によく入っている。独立した店舗のところは少ない。昭和50年代というと、ちょうど私たちの少年時代と重なる。
 昭和60年代からは行き詰まりを感じたのか、新たな可能性に挑戦したかったのか、思い切った全国展開へと打って出る。大阪を中心とした関西で一応の成功をおさめ、満を持して出て行った東京で完敗を喫す。夢破れて名古屋あり。おい、水島、一緒に名古屋へ帰ろう。打ちのめされたスガキヤは静岡までいったん前線を引いて、時を待つことになった。
 時は流れて2005年。もう一度だけ東京で挑戦させてくれと父親を説得して、新宿高田馬場店を開いた。今度こそ勝ってみせる、これがラストチャンス、そんな熱い思いがあったに違いない。しかし、東京人のスガキヤに対する仕打ちは冷たかった。学生の多い好立地条件も活かせず、2006年、スガキヤは東京から勇気ある撤退となった。何かが違う、何かが……。そんなつぶやきが聞こえてきそうだ。おそらく、スガキヤからアイ・シャル・リターンの言葉は聞かれることはなかっただろう。
 現在は東海地方を中心に300店舗ほどに落ち着いている。

 スガキヤといえば、大昔からヘビからダシを取っているという噂が絶えなかった。しかし、どう考えてもヘビの方が高くつく。大量のヘビを養殖までしてスープを作るメリットはどこにもない。マクドナルドのミミズ疑惑と同じような都市伝説だ。しかし、この話、初代の社長が話題作りのために流したという噂もある。本当だろうか。
 白湯のスープは一見トンコツに見えるけど、普通のトンコツとはまったく違った独特のものだ。トンコツをベースにした、昆布や鰹などの魚系の和風トンコツと言えばいいだろうか。見た目よりもあっさりしている。基本的にスガキヤのラーメンはこのスープ一本勝負だ。これが苦手だと、他に食べるものがない。
 スープも麺も具材も、すべて工場で作って配送しているので、店舗によるバラツキはないとのことだ。確かに、どこの店で食べても味は変わらなかった。
「7番の方〜。お待たせしました〜。」
 おっ、呼んでるぞ。どうやらできたようだ。取りに行かなくちゃ。水ももちろんセルフで、ラーメンはお盆に載っている。コショウもその場でかける。ラーメンフォークで食べない人は、割り箸もカウンターに置いてあるものを取ってくる。このあたりも昔と全然変わらない。食べ終わったらお盆は返却用のカウンターに返しに行く。

スガキヤ-4

 ラーメンの器は変わった。前は赤色を基調にしたものだったと思う。でも、ラーメン自体の見た目は当時のままだ。変わってない。
 チョコレートクリームも一緒に来てしまうのがつらいところ。後からなんて気の利いたことはしてくれない。ラーメン後にソフトを食べたければ、食べてから食券を買いに行く必要がある。もしくは、素早くラーメンを食べきって、溶ける前にソフトにかかれ。
 スープを飲んで、麺を食べる。ああ、そうだ、これだ。一瞬にして味の記憶が甦った。変わってない。あの頃のままだ。でも、これはいくらなんでも変わってなさすぎるんじゃないか。15年、20年も経っているのに、まったく一緒ってどういうことだ。すごいといえばすごいけど、ここまで味が停滞してるのは笑えた。それとも、私が気づかないだけで、微妙なマイナーチェンジはほどこされているのだろうか。いやぁ、でも、やっぱり同じだ。食べれば食べるほどに昔の感覚が甦る。味の記憶って消えないものなんだ。それだけ、昔たくさん食べたってことか。
 初めて食べたツレは、意外と美味しいと喜んでいた。B級ラーメンとしては上出来だと。ラーメン通からすれば、これは許されるようなシロモノではないのかもしれないけど、名古屋人の心のラーメンとしては、これはこれでいいのだ。たとえ麺の水切りがなってなくても、麺は伸び気味で腰が存在しなくても、焼き豚が薄くても、福岡の屋台では通用しない味でも、名古屋人はスガキヤが好きという現実だけで、スガキヤのラーメンには存在価値がある。

 気持ちが学生時代に戻ってしまったのか、大急ぎで食べ終わってしまった。食べるのが遅い私らしくもなく。いや、満足した。ごちそうさまでした。あの頃は何も考えずにかき込んでいたけど、久しぶりのスガキヤは感慨深いものがあった。昔の自分の感覚も一時的に戻ったのも嬉しいことだった。
 チョコレートクリームもあの頃のままだ。これも安くて美味しい。スガキヤのラーメンとの相性も抜群だ。今でもこれだけ美味しいと思えるなら、これからもちょくちょくスガキヤで食べようかと一瞬思ってやめた。やっぱりスガキヤは青春の味のまま記憶をとどめておいた方がいい。次はまた10年後でいい。きっとその頃も味は変わってないのだろう。
 それぞれの土地に、それぞれの故郷の味や思い出の食べ物があるのだと思う。時間が経ってそれを食べたらたちまち時が戻るようなものが。名古屋にはスガキヤがある。そのことを幸せに思いながら、ありがとうスガキヤ、また会う日までしばしの別れだ。10年したらまた食べに行くから、そのときまで変わらないでいてな。


フクロウとコンドルが出会った動物園で彼らは何を語りどんな夢を見るのか
2007年04月24日 (火) | 編集 |
メンフクロウ-1

Canon EOS Kiss Digital N+EF55-200mm(f4.5-5.6 II), f5.6, 1/50s(絞り優先)



 お面をかぶった銀行強盗みたいな顔をしたフクロウさんの名は、メンフクロウ。見た目そのままだった。もちろん、マスクで変装してるわけではなく、これが元々の顔だ。じっと見てると笑えてくる。線を省略したアニメチックな顔だからだろうか。
 世界中に生息するフクロウで、決して珍しい種類ではない。北の寒いところをのぞくヨーロッパ全域から東南アジア、アフリカ、南北アメリカ、オーストラリアまでと生息域も広い。これだけ世界各地にいるのに日本にいないのが不思議なくらいだ。
 散らばっているとやはり多少の差が出てくるようで、約30種の亜種に分けられている。それぞれの国によって顔つきも微妙に違ったりするのだろう。
 日本では物珍しさから顔の特徴でメンフクロウと名づけられたけど、外国では見慣れた顔ということからか、納屋(Barn)によくいるという生態の特徴からBarn owlという名がつけられた。フクロウといえばこんな顔と思ってるのだろうか。
 住んでいる地域だけでなく生活圏も広く、民家に近いところから森林、サバンナ、沼地などで暮らしている。暑さ、寒さにもけっこう強いようだ。
 生態としては、ほぼ完全な夜行性で、主に夜、ネズミやウサギなどの小型ほ乳類、鳥、は虫類、昆虫などを捕って食べる。夜目が利くので暗いところでもバッチリ見える。聴覚もとても発達していて、遠くの小さな物音も聞き逃さない。獲物を捕るときは目よりも耳で判断しているのではないかとも言われている。
 そんな夜型で目も耳もいいのであれば、動物園暮らしは相当ストレスが溜まってるんじゃないだろうか。横並びの鳥舎で他の鳥はうるさいし、昼間はぞろぞろと人間が前を歩いていくからおちおち寝てもいられない。少し離れたところにいるワライカワセミの声なんかにいつもイラっときてるだろう。ケケケケケケケケっとけたたましく鳴いている。
 そんな神経過敏なところがあるせいか、多くのメンフクロウは2年ほどしか生きないという。人間も鳥も、大らかで少し脳天気なくらいの方が長生きするようだ。

メンフクロウ-2

 フクロウ目は、メンフクロウ科とフクロウ科の2科に分かれていて、全体では世界で140種類ほどが見つかっている。日本ではめったに目にすることはないものの、それでも10種類ほどいるとされている。地球でフクロウがすんでいないのは南極だけだそうだ。
 フクロウがじっと一点を見つめているのは、哲学的なことを考えてるからでも、物思いにふけっているからでもなく、単に目玉が動かせないからにすぎない。目が泳ぐなんてこともないから、堂々としてるように見えるけど、内心はびくびくしたりすることもあるに違いない。
 目玉は顔の前についていて動かせないから、代わりに頭を動かす。ぐるりと真後ろを見ることもできるし、左右だけでなく上下にも自由に動く。人間だったらびっくり人間で白いギターがもらえるところだ。
 目の位置は上下で少しずれていて、耳も左右違う位置についている。こういう非対称の生き物は珍しい。
 視力はものすごくよくて、遠くのものまで見える。ただし、近くのものは見えないから新聞を読んだりはできない。メガネスーパーのキャラクターのフクロウは遠視用の眼鏡をかけているはずだ。夜目の利きも抜群で、感度は人間の100倍だそうだ。デジカメのISOでいうと、ISO10000とかだろうか。夜が明るい都会では暮らせない。

 フクロウのイメージは国や文化によっていろいろで、不吉なものとされたり、森の守り神とされたり、幸福を呼ぶ生き物として喜ばれたりしている。アイヌ人は守護神として崇め、アメリカ先住民のホピ族は不気味な生き物と恐れた。古代メキシコでは豊穣をもたらすものとされながら同時に死の象徴でもあったとされている。夜の闇に生きる生き物ということで、霊界とこの世を行き来しているというような思われ方をしていたのだろう。
 日本でもかつてフクロウは不吉な生き物とされて、フクロウを見ると悪いことが起きたり死んだりするとまで言われたことがあった。現在は積極的なイメージ回復作戦がとられていて、「福籠」、「不苦労」、「富来労」などという字を当てて、置物やお守りになったりしている。
 私もフクロウには一目置いている。単純に好きとかではなくて、鳥を越えたケモノの存在感を感じて、敬意を表しつつ少し距離を置きたいような気分が強い。森で出会ったら、静かに頭を下げて通り過ぎたいような。庄内緑地でフクロウの仲間のトラフズクは見てるけど、野生のフクロウはまだ見たことがない。いつか見てみたいと思っている。

コンドル

 幼稚園児のちびっこがコンドル舎の前へ走り込んできて、元気よく言いはなった。あっ、コンドルじゃん! それがまるで、昔の友達に街でばったりであったときのような口調だったのでちょっとおかしかった。あ、近藤じゃん、久しぶり、元気だった? なんていうふうに会話が続きそうだった。でも、なんでやつはひと目見てこいつをコンドルと見分けたんだろう。コンドルなんてのは街ではもちろん、テレビなんかでもあまり目にする機会はないと思うんだけど。明らかにプレートを見る前から知っていたふうだったから、動物好きの少年だったのだろうか。

 コンドルはいわゆるハゲタカと呼ばれるものの一種で、その通り頭には毛がない。顔全体がむき出しになっている。これは動物の死肉を食べる習性からそうなったとされている。死体に頭を突っ込んで肉を食べるときに、毛がふさふさだと腐った液体や血で汚れてしまって衛生的ではないからという理由なんだそうだ。服は汚れるから最初から上半身裸でいようってな感じだろう。毛がなければ汚れても乾かせばいいし、空を飛んでいるうちに紫外線で殺菌消毒になるというわけだ。
 それと、毛のない頭の部分で体温調節をしているということもある。
 最近話題のハゲタカファンドというのも、死肉を漁るコンドルが由来になっている。死に体になった日本企業の不良債権を安く買いたたいて儲ける外資系の投資会社のことだ。

コンドル-2

 コンドルは世界最大の猛禽類で、空を飛ぶ鳥としては最も大きい。体長は1メートル以上で、翼を広げると3メートルになる。体重も10キロ以上で、よくこんな大きな体で空を飛べるなと感心する。近くで見るとかなりの迫力だ。肩に乗せて電車に乗ったりはできそうにない。
 オスは翼が黒くて、頭にトサカがある。メスはつるっとした頭をしていて、目が赤い。
 メキシコやアルゼンチンの森林、アンデス山脈などに生息している。それとは別に北アメリカの西海岸に、やや小型のカリフォルニアコンドルというのもいる。なのでそれに対して普通のコンドルは南米コンドルなどと呼ばれることもある。
 コンドルは猛禽類でありながら、いわゆるタカやワシとは系統の違う鳥で、狩りも苦手というかできない。足の爪が発達してなくて、タカのように上空から急降下して爪で獲物をがっちりとらえたりできないからだ。足は意外にも歩くのに適した格好になっている。遺伝子的にはコウノトリに近いということが最近の研究で分かってきた。
 地上の姿はあまりスマートとはいえない。寂しくて小さな頭と、それに不釣り合いながっちりした体のバランスが悪いし、姿勢も前のめりでシャキッとしていない。やっぱりコンドルはアンデス山脈の上空を優雅に滑空している姿が美しい。
 コンドルの骨や翼は、バタバタと羽ばたくよりも上空高くで風に乗るのに適した構造になっている。いったん風をつかまえるとほとんど羽ばたかなくても飛んでいられるという。
 彼らこそ、もっとも動物園に似合わない生き物かもしれない。ここの空は狭すぎて、彼らが夢見るアンデスの上空はあまりにも遠い。
 それにしても彼らの寿命は長い。50年から60年生きるというから、一昔前の人間並みだ。5、6歳まで成熟せず、ペアは一生を連れ添うと言われている。
 巣作りは、高度3,000から5,000メートルの高い場所でおこない、一度に数個の卵を産む。子供は2歳くらいまで親と一緒に過ごす。
 この繁殖力の低さと、環境の悪化によって近年その数を減らしている。特にカリフォルニアコンドルは一時絶滅寸前までいって、人間の手で最近になってどうにか少し回復したところだ。このあたりもコウノトリに近いものがある。
 ボリビア、チリ、コロンビア、エクアドルの国鳥となっていて、南米人にとってはとても大切な鳥のようだ。その国がどんな鳥を国鳥に選ぶかは国の特徴を表していて面白い。アメリカがハクトウワシというのはいかにもだし、日本の雉(キジ)、インドのクジャク、パプアニューギニアの極楽鳥などもなるほどと思わせる。フランスの雄鳥(ニワトリ)も意外なようでいて戦闘的な感じは納得かもしれない。

 フクロウとコンドルと、野生で出会うことはないであろう鳥たちが一ヶ所に集められて暮らす動物園というのは、生き物の視点で見るとひどく不思議な場所だ。野生では天敵同士でも、ここではある種の運命共同体となる。日ごと夜ごとの動物園ではどんな会話が交わされているのだろう。あまりもたくさんの異種語が飛び交っていて、混線状態になっているのだろうか。動物の言葉が理解できる人間が動物園に行ったら、おかしくなってしまいそうだ。
 今でも毎日故郷の夢を見るのだろうか。それとも、夢はもう見なくなったのかな。動物園を訪れる人間に夢を与えるという役割を担いながら、彼らにどんな夢が残されているのか。せめて私たちは彼らに報いるために、彼らの存在を知ろう。この地球をよりよく知って、愛するための手掛かりとして。
 檻の内と外という違いはあるにしても、私たちはみんな地球号に乗り合わせた同じ乗客だ。共に生き延びる道を探していこう。どこにあるかも知れない終着駅に着く日まで。


平凡サンデーとケーキ作り失敗の変遷を越えて10年後の自分に期待
2007年04月23日 (月) | 編集 |
平凡なサンデー

PENTAX istDS+Super Takumar 50mm(f1.4), f2.8, 1/40s(絞り優先)



 最近は隔週になっているサンデー料理も、けっこう回数を重ねて60回かそこらにはなっただろうか。同じものをなるべく作らないという決め事に縛られて、最近はメニューを決めるのにかなり苦心するようになっている。今日などは決まるまでに1時間以上もかかってしまった。レストランの客なら追い出されてるところだ。
 けど、考えてみると60回ということは、毎日作ってる人の2ヶ月でしかないわけで、新婚2ヶ月で夕飯作りに行き詰まった新妻のような状態に陥っているということになる。それはいくらなんでも行き詰まるのが早すぎないか、私。もう少し料理っていろいろ他にもたくさんあるだろう。
 今日は結局、最後は平凡なところに戻ってきてしまった。タケノコがあったので、マグロそぼろタケノコだけは決まったものの、その先が思いつかず、ちょっと新鮮素材のイカと、今日一番食べたかった野菜のかき揚げで落ち着くこととなった。ちょっと詰まらない。冒険心も、遊び心もない。
 これまで作ったものの応用と変化だから、味は3品とも安定していた。甘辛そぼろは肉じゃなくてマグロのくずでも充分美味しいし、かき揚げはまずいものを作る方が難しい。ジャガイモ、ニンジン、タマネギ、ナスを細切りにして揚げただけだ。つゆは、天つゆベースに、だし汁、しょう油、みりん、酒、一味唐辛子を加えてひと煮立たせした。
 イカは、内臓を取り出したり、皮をむいたりする解体作業がやっかいなわりにはあまり報われない食材かもしれない。丸まらないように筋を入れるのも手間がかかる。わざわざ蒸し器を使って蒸したのに、やっぱり少し固い。刺身用のイカの方がよかったか。ソースは、白味噌、マヨネーズ、辛子しょう油、卵、塩コショウ、だし汁などで作った。

 今日のサンデー料理は、全般を通して乗り切れなかった。失敗ではないけど物足りない感じ。メニュー決めの段階からイメージ不足だったこともあって。腰が入ってないバッティングでセカンドフライみたいなサンデーだった。
 この現状を打破するためには早出特打ちが必要かもしれない。腰が入った料理を作るために、ヒモ付きのタイヤを腰にくくりつけて、早朝の海岸を走るところから出直せ、私。ウサギ跳びのあとは、中華鍋に砂を入れてひたすら振り続けろ。
 ひとつには、新しいレシピ本が欲しい。最近は思いつきで作ることが多くなって、イマジネーションがわいてこない。ネットのレシピ検索は案外使えないというか、漠然と何か作りたくなるようなものはないかと探し回っても、時間がかかるばかりで成果が上がらない。基本ができてない私としては、レシピ本を参考した方が作りたいものが見えてくる。
 それから、なんといっても新素材だ。3品作る中で、どうしてもパターンが決まってきて、使える食材もおのずと限られてしまう。メインは魚にするなら赤身か白身で、あとはエビとか豆腐とか野菜とかになって、広がりがない。たまにはズワイガニとか明太子とか伊勢エビとかアワビとかフカヒレとか燕の巣とか使ってみたい。白トリュフやキャビアやフォアグラだった与えてくれたら料理できるはずだ。ギブミー高級食材。
 世の中には数限りない食材と料理があるのに、その中で自分が作れるものはごく限られている。それはまるで人生の象徴のようだ。出会える人は大勢の中のわずかで、行ける場所は数えるほどだし、縁のあるものもまた多くない。みんながみんな世界一周の旅に出られるわけではないように、料理も世界一周というわけにはいかない。きっと私は、モザンビーク料理も、パラグアイ料理も、ラトビア料理も知らないまま一生を終えることになるだろう。それを悲しむべきことなのかどうか、少し迷うところだけど。

 料理は冒険であり、出会いであるとするならば、美味しさは二の次で常にチャレンジ精神を持って関わっていくべきだろう。作るのも食べるのも。美味しいものを食べるのは、たまにでいい。それよりもまだ食べたことがないものを優先的に食べていく方が、精神的な糧になる。いつも行く喫茶店で別のものを注文してみるとか、ファーストフードの新商品を試してみるとか、コンビニでまだ食べたことがないカップ麺を買うとか、チャレンジの可能性は日常の中にたくさん潜んでいる。サンデー料理もその精神を忘れないようにしたいと思う。
 以下は、私のケーキ作りチャレンジの記録と失敗の変遷だ。料理に関しては小さくまとまりつつ私も、ことケーキとなるとド素人以下の無惨なものとなる。これまで作ること約10回。いまだに一度も成功したことがない。いつも違うパターンの失敗になる。同じものを作ろうにも再現性がないので作れない。ケーキ職人のハルウララ状態。引退の日は近いか!?

抹茶ケーキ

 世の中では抹茶ブームということで(?)、抹茶ケーキに挑戦してみた。一見上手くいっているように見えるかもしれないけど、しっかり失敗している。ベーキングパウダーを入れて、まずまずふくらんだものの、レンジの中で膨らみすぎて小爆発を起こした。上部がカリカリになって、中身に火が通らずに半生状態になってしまったのだ。見た目がよかっただけに残念な失敗だ。ただ、このときまでは次にもう一度作れば今度こそ成功しそうな気はしていたのだった。

ホットケーキロール

 イメージの中では、クレープとホットケーキの中間くらいのやつに、生クリームを挟んだら美味しいんじゃないかと思って作った、名前のないケーキ。愛知県知立市に「大あん巻」という銘菓があって、それを頭に入れて臨んだものの、無惨な結果に終わった。
 一番の敗因は、焼きたてのホットケーキに生クリームを挟んで巻いたところだ。ちょっと考えれば分かることだけど、暖かいケーキに生クリームを巻いたら溶けるのは当たり前の話だ。巻いてるそばからドロドロになって、真夏のソフトクリームのようにタチの悪い食べ物になってしまったのだった。あと、ケーキを巻いて上から生クリームを入れるのが筋というものだ。ケーキにクリームを載せて、溶け始めた状態でのり巻きのように巻けると思うのが大間違いだった。
 ケーキ自体も、中途半端な厚みがある分パサついた感じで、これはまずかった。ホットケーキの素はあまり膨らまないから、こんなに厚く焼いたら固いのは当然だ。このあたりから私のケーキ作り職人としての地位は大きく失墜を始めることになる。

ホットココアケーキ

 このときは生クリームをやめて、スポンジケーキだけで勝負することにした。しかし、黒豆ココアを入れすぎたのか、他の原因があったのか、とにかく膨らまなかった。パサパサのガチガチ筋肉質のココアケーキに仕上がって、なんだこりゃと作った本人もびっくり。持久走を走り切ったランナーに差し入れしたら、こんなもの飲み込めるかと腹立ち紛れに地面にたたきつけられるに違いない。
 良く言えば中身がギュッと詰まっているケーキという言い方もできるけど、私が目指してるのはもっとふわっとした柔らかい食感のものだ。こんな筋肉ムキムキのケーキを生んだ覚えはありません、と突き放したくなる。
 とにかく失敗の原因さえも見失って、先の展望が見えなくなった。レンジの熱の問題なのか、手動のかき混ぜでは泡立てが充分ではないのか、粉の混ぜ方がよくないのか、たぶん、その全部なのだろう。ふんわりケーキが食べたい。

スポンジケーキの素ケーキ

 普通の小麦粉じゃダメなのかと、半分インチキするつもりで買ったスポンジケーキの素で作ったケーキは、今まで見たことがない失敗ケーキとなった。なんでー?
 説明書通りにやったのに、まったく膨らまない。ケーキの素が膨らまないまま型の中でがっちり焼き上がった。そして、分離した。なんなんだ、この分離は。上の方が黄色くてやや柔らかく、下半分が超絶固い。伊達巻き卵のガチガチ決定版みたいな固さを誇った。ものすごい密度だ。これぞ、スポンジケーキ。このまま食器も洗えそうだ。上半分はぐちゃっとして変に柔らかいのも気になった。
 もはやこれはスポンジケーキの域を超えた何かだった。上の黒豆ココアケーキが喫茶店で出てきたら怒っただろうけど、これが出てきたらあまりの不思議食感にしばし考え込んで、逆に納得してしまいそうだ。こういうものなのかな、と。とにかくこれは、私が今まで口にしたことがないケーキだったことは間違いない。もう一度作っても、たぶんこんなふうにはならないだろう。何がどういけなかったんだろう。

 長く生きていると、その途中で自分の思いがけない才能に気づくことがある。自分ってこんなことが得意だったんだ、知らなかったなと。逆に、思っても見なかった欠点を発見して愕然とすることもある。私の場合、それがケーキ作りだった。人類の中で私のケーキ作りの才能は明らかに下から数えた方が早い。ちょっとびっくりだ。スポーツは得意なのに、高校の修学旅行でスキーがまったく滑れるようにならなかったとき以来の衝撃かも。
 今後の私のケーキ作りはどこへ向かうのだろう。出来はケーキに聞いてくれ状態のノーコンケーキ職人でいいのだろうか。突然知り合いからケーキ屋を譲られることになったとしたら、そのケーキ店はひと月でつぶれる。今のところ光は見えない。
 それでもケーキをまだまだ作りたいと思うというのは、実は私はかなりケーキ作りが気に入っているということだろう。下手の横好きってこういうことだったのかと初めて納得した。
 このまま続けていけば、3年後くらいには小5の女の子くらいにはなれるだろうか。どれだけ作っても、ケーキ作りが趣味という主婦の人には勝てそうな気がしない。でも、人生何が起こるか分からない。大学に入るまでは文章を書く才能がカケラもなくて、読書感想文が大嫌いだった私が、今ではこうして毎日長々と文章を書いている。それも日記を10年以上毎日書き続けたおかげだ。何事も続けていさえすれば、いつかはなんとか格好がつくものだ。もしかしたら、10年後の私はケーキ屋のオヤジになってるかもしれない。
 料理もケーキも、まだこれからだ。もっと上手くなりたいという気持ちが続くうちは作り続けていこうと思っている。ケーキ安打製造機と呼ばれる日は遠くて近いか!?


オオカミ好き告白と今はなきニホンオオカミの話
2007年04月22日 (日) | 編集 |
シンリンオオカミ-1

Canon EOS Kiss Digital N+EF55-200mm(f4.5-5.6 II), f5.6, 1/50s(絞り優先)



 誰も知らないと思うけど、実は私はオオカミ好きの男である。まだ誰にも言ったことがないから、知らなくても無理はない。がっかりしたりびっくりしたりすることはない。犬に対してはさほど思い入れがない私が、何故か子供の頃からオオカミは好きだった。どれくらい好きかというと、三度の飯のうちの一食はオオカミ観察に替えてもいいくらいといえば大げさだけど、それに肉薄して10日後退したくらい好きなのは間違いない。オオカミを見ると、うぉー、オオカミだぁー、とちょっと興奮する。オオカミが来たぞーと思わず言ってしまいそうにもなる。「サーキットの狼」世代というのも少しは関係しているかもしれないけど、オオカミ少年と呼ばれたことはない。
 東山動物園のシンリンオオカミコーナーは、動物園の一番奥まった薄暗い場所にあるので、いつ行っても人がいない。オオカミの檻の前で家族連れが楽しそうに談笑してる姿も見たことがないし、白レンズの人もここにはいない。みんなオオカミがあんまり好きじゃないんだろうか。私一人が静かに興奮して写真を撮りまくりで借り切り状態。写真を撮る足場が悪いので、遠く離れた斜面から望遠で真剣に狙う様子は、何事かと人々を振り向かせるくらいのパワーがあった。そんなことかまっちゃいられねぇ、オレはオオカミを撮るんだぁー、スクープを前にした報道カメラマン並みに気合いが入る私であった。
 それにしてもここのオオカミは撮りづらい。けっこう粘ったわりにはいい写真は撮れずじまいで閉園時間になってしまった。残念すぎるぞ。オオカミの足取りは意外に素早くて追い切れなかった。次こそはもっとカッチョいいオオカミの写真を撮りたいものだ。

 オオカミというとなんとなく寒いところにいるイメージがあるかもしれないけど、実際は適応能力が高い動物で、東南アジアの熱帯雨林とヨーロッパの一部をのぞいたユーラシア大陸全域と、北アメリカ大陸に広く生息している。あるいは、していたと言った方がいい。北極圏にも、アフリカにもすんでいた。
 しかし、唯一と言っていい敵の人間によって19世紀から20世紀にかけて激減してしまった。日本のように絶滅したところも多い。アメリカも、100年前までは10万頭以上いたものが20世紀になって絶滅寸前にまでなっている。その要因となったのは、オオカミに対する間違った知識やイメージで、害もないのに多くを狩ってしまったことにある。言うまでもなく、オオカミは人を襲ったりはしないし、家畜を襲うといっても絶滅まで追い込まれるほど悪いことをしたわけではない。むしろオオカミの激減によって鹿などの草食動物が異常繁殖して、農作物を荒らしたり、森林の生態系を壊したりという弊害が出てしまっている。アメリカでは、イエローストーン国立公園に絶滅したオオカミを再び放して生態系を回復させている。日本でも同様の試みをしようという動きがあったようだけど、実現には至っていない。
 現在、世界で野生のオオカミが生息しているのは、カナダ、アラスカとヨーロッパと中国の一部だけになった。日本では、1910年(明治43年)に福井城址で捕獲されたのを最後にニホンオオカミは見つかっていない。50年間生存が確認されてない生き物は絶滅という扱いになる。北海道にいたエゾオオカミは、明治に入って入植者によって駆除されのと大雪によるエゾジカ激減が重なって、1900年頃絶滅に至った。ただ、近年になっても紀伊半島の山奥などで見たという目撃談もあることから、わずかながら生存の可能性はあるようだ。少し前も九州でそれらしい写真が撮られて話題になった。あれは結局どうだったのだろう。
 100年ほど前まではありふれた野生動物だったオオカミがまさか絶滅するとは思ってなかったようで、詳しい生態調査もされてなければ標本すらわずかにしか残っていない。1892年まで上野動物園でニホンオオカミを飼育していたという記録があるものの、写真さえ残っていない。江戸時代にシーボルトが日本から持っていってオランダのライデン王立博物館に保存されていたはく製が、この前の愛知万博にやって来ていたそうだ。知らなかった。知っていれば見に行ったのに。
 今は普通に目にしている生き物の中のいくつかは、確実に100年後とかには絶滅している。身近な動物でも今のうちに触れ合っておいた方がよさそうだ。

シンリンオオカミ-2

 シンリンオオカミの見た目は、犬っぽいというか、そのまま犬だ。こいつに首輪をつけて河原なんかを散歩させていたら、しょぼくれた雑種と思われて素通りされるだろう。シェパードとシベリアンハスキーの血が混じった雑種なんですよ、なんて言ったらそうなんですかとみんな信じるのではないか。ただ、大きさは通常の犬より一回り大きい感じで、それなりの存在感はある。体長は1メートルから1.5メートルくらい、体重は最大80キロくらいで、タイリクオオカミの中では一番大きくて、セントバーナードくらいある。犬とは違うのだよ、犬とは。
 一般的に、オオカミも北へ行くほど大型化する傾向があって、南のアラビアオオカミになるとシンリンオオカミの半分くらいになる。ニホンオオカミはその中間くらいだ。
 毛の色は、灰色、黒、白、ベージュ、茶など個体差がかなり大きい。同じシンリンオオカミでも真っ黒と灰色では違う種類に見える。斑点や縞模様のやつもいるそうだ。
 オオカミは亜種が多くて、分類ははっきり確立されていない。現存だけでも33亜種に分かれている(絶滅を含めると39種類)。ただこれもいまだに流動的なようで、シンリンオオカミもタイリクオオカミの亜種とされたものが、最近では独立種となったとかならないとか。飼い犬の祖先はこのシンリンオオカミだと言われている。
 犬もかつてはオオカミの近似種とされていたのだけど、最近はオオカミの一亜種という考え方が主流になってきた。DNA研究が進んで、私たちの常識もいろいろなところでくつがえされてきている。
 犬とオオカミの一番の違いは、やはり鳴き方だ。犬が吠えるのに対して、オオカミはうなる。エサも肉しか食べない。

 シンリンオオカミは、カナダの森林の中で、パックとよばれる群れで生活している。そこには厳格な順位と鉄の掟があるという。
 アルファオスと呼ばれるリーダーを筆頭に、アルファメス以下、はっきりとした順位が決まっている。たいていの群れは家族が基本となり、数頭から数十頭で縄張りを持っている。
 子供はたいていの場合、アルファオスとアルファメスのみが作り、群れでそれを守る。ペアの絆は固く、死ぬまで続くそうだ。群れにはそれぞれ役割があり、オオカミは仲良しだと言われている。
 狩りも仲間で協力して行い、行動範囲は広い。1日に9時間前後移動して、しばしば50キロから100キロ以上も歩くという。群れ同士がぶつかっても追い払うだけで、無駄な争いはしない。
 狩りの成功確率は10パーセント以下と言われる。何日も食べないこともしばしばだ。能力が低いかといえばそんなことはなく、最高速度は70キロまで出るし、そのまま20分も走り続けることができるという。半分まで速度を落とせば一晩中でも走り続けるそうだ。
 どうしてこんな性格だったものから犬が生まれたのは不思議だ。飼い慣らされるって怖い。
 オオカミはとても社会性の発達した動物で、仲間内で様々な形でコミュニケーションを取っている。離れた位置にいる仲間との確認作業である遠吠えの他、近くの仲間とは短く甲高い声で鳴き交わす。それだけでなく、互いの顔つきや体でも意志を伝え合って読み取っていると言われている。匂いをかぎ合うのもコミュニケーションの一種で、このあたりは犬にも受け継がれている。
 野生では8〜9年くらい、飼育では15年ほど生きるそうだ。

シンリンオオカミ-3

 おいおい、どうした、そんな困ったような顔をして。何か相談か? 悩みがあるなら聞くぞ、と言いたくなるようなオオカミだ。この顔を見る限り、オオカミが悪者だとはとても思えない。一体、いつどういう経緯でオオカミは悪の象徴のようになってしまったんだろう。赤頭巾ちゃんはあるけど、あれだけでここまでイメージダウンするとは思えない。月を見るとオオカミに変身する狼男などは、旧約聖書や古代ギリシャなどで登場しているから相当古くからのイメージだ。人がそこまで恐れなければいけないほどオオカミが悪さをしたとは思えないのだけど。
 日本では大口真神(おおぐちのまがみ)などとして一部で神聖化されていたりするものの、やはり悪のイメージが強い。男はオオカミなのよとピンクレディーも歌っていた。

 それにしても、私の中にすんでいるオオカミはこんなしょんぼりした顔をしていない。もっと凛々しい生き物だ。それは、人が美化して作ったオオカミ像なのかもしれないけど、それでもやっぱりオオカミには気品と孤高の気高さがあるように思う。人に慣れることもなく、新しい時代にも適応せずに滅んだオオカミには、ある種の武士道のようなものも感じたりする。絶滅は必然だった。
 動物園で暮らすオオカミは、私が本当に見たいオオカミの姿ではない。野生のオオカミが見たかった。外国ではなく、この日本の地で。もはやその願いが叶うことはないだろう。群れで暮らすオオカミだから、もしいたらいくら山奥といっても遠吠えが聞こえてくるはずだ。もう、日本には一頭のニホンオオカミも生きていない。私たちは最後の飢えたオオカミの最期を幻として見るだけだ。せめて、記憶にとどめて、ときどき思い出そう。月夜に響く遠吠えを。


急な思いつきで始まった尾張旭神社仏閣巡りの旅第一弾は渋川神社
2007年04月21日 (土) | 編集 |
渋川神社-1

OLYMPUS E-1+SIGMA 18-50mm(f3.5-5.6 DC), f5.6, 1/40s(絞り優先)



 名古屋市の北東に尾張旭市という街がある。高校時代の友達が住んでいたのがきっかけで、今でも用事もないのによく行っている。車を田んぼの農道にとめてしばらく佇んだり、城山レストランとスカイワードあさひの写真を撮ったり、瀬戸電を眺めたりしてしばらく時間を過ごす。ここにはまだ、昭和の古き良き郊外の面影が色濃く残っていて、なんとなく心が落ち着くのだ。波長が合うと言ってもいいかもしれない。街と人の間にも、合う合わないや縁といったものが確かに存在する。
 そんなお気に入りのの尾張旭なのに、市内の神社仏閣に一度も足を踏み入れてないことにふと気づいた。尾張旭好きで、なおかつ神社仏閣フリークの私ともあろうものがなんたる不覚。罰当たりなやつめと今さらながら自分を叱りたい。けど、尾張旭の神社というのはあまりイメージがない。数としても少ないような気がするけどどうだろう。
 地図を見て探したところ、神社だけで10個近く見つかった。普通の人ならそれはすごく多いように感じるかもしれないけど、やはり密度としては低いと思う。名古屋市内の方がもっとある。普段気にとめていないだけで、神社というのは街中にも驚くほどたくさんあるのだ。
 10くらいなら楽勝で全部回れるではないか。よし、今日からさっそく始めよう。ということで、私の尾張旭の神社全制覇の旅は前触れもなく始まった。制覇したとしても誰にも自慢できないし誰も誉めてくれないけど、それでもいい。私は尾張旭中の神様と仲良くなるのだ。余裕があればお寺さんも回っていこう。なんか、早くもいいことがありそうな気がしてきた。

 尾張旭市は、名古屋の東部、愛知県では北西部に位置する名古屋のベッドタウンという性格の濃い街だ。東には瀬戸市、北には春日井市、南には長久手町がある。名古屋と瀬戸の中間といえば県外の人もイメージしやすいだろうか。
 これといった観光資源を持たないので、よそから人がやって来ない分、住むには静かな街だ。大きな事件も少ない。一番の見どころとしては森林公園がある。これが市の面積の15パーセントを占めている。他にも城山公園、小幡緑地東園などがあり、「ともにつくる元気あふれる公園都市」というのがキャッチフレーズとなっている。
 どういうわけか尾張旭市はお金持ちで、けっこう公共の施設が充実している。昔はテニスコートの1時間1面を借りるのが300円くらいだった。スカイワードあさひは夜まで開いているのに、登るのは無料だ。住民が裕福なのかもしれない。
 いざ住むとなるとどうだろう。車で名古屋駅までは1時間から1時間半近くかかるし、公共交通機関は瀬戸電だけが頼りなので、やや不便かも知れない。ここはバスが発達しなかった。
 歴史的に見ると、弥生時代の住居跡が見つかってることからも、古くから人が住んでいた土地だったことが知られている。上の写真の渋川神社は、927年にまとめられた延喜式神名帳(当時「官社」とされていた全国の神社の一覧名簿)にも載っていることから、古くからある程度の集落があったと想像できる。東谷山の尾張戸神社もそう遠くないから、尾張氏の勢力内だったのだろうか。
 戦国時代初期からいくつかの城があったことも分かっている。井田城や新居城など7つの城跡が確認されていて、この地でも小規模な戦闘があったようだ。
 城山公園からは、東海地方で一番古い窯址が見つかっている。それによって、この地が東海地方の窯業発祥の地とされている。
 明治にいったん名古屋県に取り込まれた後、昭和45年に尾張旭市となって今に至っている。人口は8万人弱。

渋川神社-2

 最初に訪れた渋川神社に入ってびっくり。なんだか大規模な工事がなされていて、境内は仮住まいの佇まいを見せている。一体、何事? こんなに工事真っ最中の神社というものを初めて見た。しばし呆然と立ち尽くす。事情がさっぱり分からない。
 帰ってきてから調べて謎が解けた。平成14年(2002年)の5月に、社殿から出火して、本殿と拝殿が焼け落ちてしまったそうだ。そういえばそんなニュースをちらりと耳にしたようなかすかな記憶がある。けど、5年前の私は神社仏閣にまったく興味がなかった頃だから、そんなニュースも耳を素通りしていた。今ならもっと心を痛めていた。
 焼ける前の本殿は、1663年に再建されたものだったというから、一度は見ておきたかった。江戸時代初期の建物といえば、このあたりではかなり貴重だ。
 現在は、写真にある仮本殿が建てられて、奥では大がかりな本殿建築が進んでいた。工事は平成17年から始まって、平成20年に完成予定だそうだ。ただ、すべての工事が終わるのが平成22年というから、まだだいぶ先になる。神様も避難所生活のような落ち着かない日々が当分続きそうだ。

渋川神社-3

 完成予定図を見ると、なんだかすごい立派な神社になりそうだ。前からこんなふうだったとは思えない。写真で見る本殿はもっとこじんまりしている。場所も少し移動するようだ。
 もともと境内の敷地はかなり広さがある。周りは樫の木や楠木、桧などの古木が鬱蒼と生い茂っていて雰囲気がある。来年の完成がちょっと楽しみになってきた。

 渋川神社は、景行天皇の時代に、高皇産霊大社を創始したことが始まりとされる。そのときはここより数百メートル西南にあったようだ。677年、天武天皇即位の大典にあわせて、この地へと移ってきた。
 祀神は、大年大神、御食津大神、庭高日大神、河須波大神、波比伎大神、大宮売大神、八重事代主大神の7柱。
 かつてこの地は、尾張国山田郡と呼ばれていて、山田郡の総社として広く信仰されていたといわれる。旧瀬戸街道を行く人々がここに立ち寄り、わき水を飲んで馬や体を休めたそうだ。織田信長が神殿を改修し、尾張藩主の徳川光友が神殿を再建している。江戸時代は蘇父川天神と称していた。
 昔はもっと大きな森に囲まれた広い敷地があったようだけど、現在は宅地開発で規模がかなり縮小した。昭和34年の伊勢湾台風はこの地にまで被害を及ぼし、樹齢300年以上の檜の大樹など数十本をなぎ倒したという。
 例大祭は10月15日に近い日曜日で、尾張旭の棒の手保存会の実演も境内で行われる。初詣客でも賑わうそうだ。
 全国的には大阪の八尾市にある渋川神社が有名のようで、ネットで検索するとそちらがたくさん出てくる。こことの関係はあるのかないのか、よく分からなかった。

尾張旭の藤咲き始め

 長池のほとりにある藤が早くも咲き始めていた。ここには藤棚が4つほどあって、毎年ゴールデンウィーク前後に楽しむことができる。今年は少し早めのようだ。5月まで持たないかもしれない。
 桜が終わっても、まだまだ花の季節はこれからが本番だ。
 まだまだといえば、私の尾張旭神社仏閣巡りの旅もまだ始まったばかり。その気になれば10やそこらは朝から回って一日で制覇できるのだろうけど、それではあまりにもあっけなくてつまらない。今年いっぱいくらいののんびりした気持ちで巡っていこうと思っている。
 全部制覇したあかつきには、きっと尾張旭の総神様から何かご褒美があるかもしれない。BIGくじの6億円が当たったら、10万円ずつ各神社に賽銭を投げに行こう。


普通に美味しいあんかけスパを名古屋マイナーから全国メジャーに
2007年04月20日 (金) | 編集 |
あんかけスパ-1

OLYMPUS E-1+SIGMA 18-50mm(f3.5-5.6 DC), f3.5, 1/10s(絞り優先)



 近年、名古屋めしという言葉が一般的なものとなり、名古屋名物の全国的な知名度も上がって久しい。ひつまぶし、きしめん、味噌煮込みうどん、手羽先、天むすなどは、食べたことはなくても知っているという人は多いと思う。しかし、名古屋では浸透していながら全国にはまだ知られていない名古屋めしも存在している。その代表が「あんかけスパ」だ。
 あんかけスパって何? という人がおそらくほとんどだろう。名古屋人ならみんな知っている。けど、名古屋人でも食べたことがないという人が多い、ちょっと特殊な位置にいるのがあんかけスパというやつだ。
 実は私もこれまで一度も食べたことがなかった。あんかけということは、あの餡なのだろう。中華の八宝菜とかにかかってる、あのドロッとした感じのもの。名古屋以外の人は、あんと聞いて漉し餡とかのあんこを想像したかもしれない。いくら名古屋人が変な食べ物好きといっても、パスタにあんこはかけない。トーストに小倉餡を乗せる小倉トーストはあるけど、それとこれは話が別だ。
 名古屋人のあんかけスパ体験率はどれくらいなのだろう。半分はいってないだろうか。ある意味キワモノめいた存在で、笑い話のネタになることが意外と多かったりするから、そんなものと思って食べようとしない名古屋人もけっこういるんじゃないだろうか。

 あんかけスパが一般的なものとなったのは割と最近の印象がある。ここ数年とはいかないまでも、よく話題になるようになったのはここ10年以内のことだ。けれど、その誕生は意外に古く、昭和38年(1963年)に登場したというから、もう40年以上の歴史があるということになる。
「ヨコイ」の社長だった山岡博という人が、イタリアナポリ地方のスパゲティーソースをヒントに作ったミートソーススパゲティが、その後あんかけスパと呼ばれるようになって広まっていったとされている(「スパゲッティハウス そ〜れ」も老舗を名乗っている)。
 特徴は、あんかけの名の通り、餡のとろりとしたソースと、太麺だ。とろりといっても八宝菜のようなドロリとまではい。スープスパと普通のソースの中間くらいだ。「ヨコイ」の麺は特に太麺で、通常の1.7mmに対して2.2mmというから完全にスパゲトーニだ(2mm以下をスパゲッティといい、2mm以上をスパゲトーニという)。あんかけスパは、ゆでたあとにラードなどの油で炒めるために細いと切れやすくなるのと、太くすることでソースの絡みをよくするという狙いがあるんだとか。
 濃い味付けを好む名古屋で受けて、一部ではキワモノ的な扱いをされつつも、だんだん浸透していった。今では、有名なあんかけスパ専門店が何軒もあり、レストランだけでなくたいていの喫茶店でもあんかけスパを食べることができるまで一般化している。コンビニ弁当にも当然あるし、あんかけソースのレトルトは何種類も売っている。

 なにはともあれ、一度食べてみないことには始まらない。ツレを伴って、さて、どこへ行こうかとなったとき、食べたいものは最後に残しておくという悪いクセが出た。本来なら発祥の店に敬意を表して、何も考えずに「スパゲッティハウス ヨコイ」へ向かうべきところだ。選択の余地はないとさえ言える。けど、本命を一番最初に持ってきては詰まらないだろうとも思う。二番手、三番手を知ってこそ、初めて一番手のよさが分かるということもある。
 そこで候補としてあがったのが、「チャオ」、「そーれ」、「レンガ亭」、「ソール本山」、「からめ亭」などだった。おそらくこのあたりの有名店なら、どこへ行っても間違いはないと思われた。場所の関係もあって、「からめ亭」に決めた私たちは早速車で向かったのだけど、ここで思いがけない事態が起こる。店の前の駐車場に車を止めて、店内の様子をうかがいのぞいたところ、日曜の夜7時前というのに客が人っ子一人いない! なんてこった。そんなことがあり得るのか!? 人気が落ちたのかたまたまだったのか、いずれにしてもこの状況は危険すぎた。何しろこれまで一度も食べたことがない未知のもので、しかもこの時点では半分キワモノ的な食べ物なのではないかという疑いを持っていた。マスターとマンツーマンになるのは怖すぎる。まずくても残せないし、美味しくないと分かって感想を聞かれても困る。グルメレポーターじゃないんだから、上手く取り繕う自信はない。世間話をされても邪魔くさいし、かといって黙って食べるのも気まずい。
 これは無理と判断して、私たちはその場から逃げるように立ち去ったのだった。

あんかけスパ-2

 結局、行ったのは最も無難な選択となる、「PASTA DE COCO」だった。ここは名前からも想像がつくように、「カレーハウスCoCo壱番屋」の別展開のチェーン店だ。
 実はココイチも愛知県一宮市に本社がある愛知の店で、カレーチェーン店としては、全国だけでなく上海、台湾、ハワイにも出店する東証1部上場企業に成長を遂げている。次の狙いはあんかけスパによる全国制覇で、2003年に1号店を出して以来、現在は愛知を中心に17店舗、更には東京にも進出している。港区西新橋烏森通店と千代田区末広店の客の入りも上々だという。東京人にも受けているのか、東京へ出て行った名古屋人が懐かしくて食べているのか、たぶんその両方なのだろうけど、一応全国展開のとっかかりはつかんだようだ。
 これに負けじと、サガミグループのセルフサービスうどん店「どんどん庵」もあんかけスパを始めたらしい。ただ、こちらはまだ浸透度は低く、評判もよく分からない。お手軽さに安さが加わればそれなりに受け入れられるのだろうか。けど、うどんと違ってスパは麺のゆで加減で美味しさがかなり違ってくるから、このシステムは少し無理があるような気もする。
 チェーン店とあんかけスパの取り合わせは無理がない。基本的にソースは一種類で、あとはトッピングや麺の量を選べたり、サイドメニューをいろいろ用意してお客に選ばせるというのは、カレーと同じでシステマティックにできる。厨房がバイトでも味に大きな差は出にくい。麺のゆで時間さえ間違えなければ、バイト3日目の学生でも即戦力となる。
 あんかけスパの専門店は圧倒的に男が多いという。特にランチどきはサラリーマンで店は占領状態になるそうだ。パスタというと女性が好みそうなのに、あんかけスパとなると男性の支持率が決定的に高いらしい。
 ココ・デ・パスタはその現状を打破しようと、女性やファミリー向けに設定されているそうだ。このときも確かに男よりも女性の方がむしろ多いくらいだった。

あんかけスパ-3

 あんかけスパと初めてのご対面。なるほど、これがあんかけスパというものか。思ったよりもソースはさらっとしている感じだ。トマトソースなんだろうけど、色は明るい。
 私が注文したのは、イカルボ(850円)だったか。なんだか、聞き慣れない名前のもので忘れてしまった。ツレはきのこだったか野菜だったか。
 早速、いただきまーす、とその前に写真を撮らないと。あわてて食べ始めてしまうところだった。この色はけっこう食欲をそそる。
 ひとくち、ふたくち……。うーん、なんだろう、この感じ。トマトソース味には違いないのだけど、今まで食べたことのない不思議な味だ。食べたことがないのに、どこか懐かしい。スパイシーと聞いていたのに、ピリッとこない。なんというか、普通に美味しいけど、少し物足りないかなというのが最初の印象だった。
 しかし、食べ進めていくにつれて適度にピリ辛感が増していって、これは美味しいかもしれないとなり、やがて半分以上進むと、これは美味しいぞに変わっていく。全然キワモノじゃなかった。昔の喫茶店のスパゲッティがこんなような味だったかもしれない。最近はパスタと称して気取ったものが多くなった中、これは懐かしくて新しい味わいがある。うん、悪くない。
 ココイチのチェーン展開ということで、味は専門的と比べると辛さ控え目で万人向けになっているそうだ。美味しさも平均的というけど、これなら日本全国民に普通にオススメしてもいいのではないか。味噌煮込みよりも人を選ばないはずだ。
 麺の量は少なめSサイズ(200gで通常より50円引き)を頼んだけど、ほどよく満腹になった。専門店は量が多めということで男性に人気のようだけど、みんながみんな大盛りを喜ぶわけではないので、量を減らせるという心遣いはありがたい。辛さも選べるようになっている。
 100円のミニ小倉トーストに心惹かれつつも、マンゴープリン(200円)でしめくくっておなか一杯。プリンも美味しかった。
 レトルトソースもおみやげとして買って帰ることができるので(一食分210円)、話のネタとしても面白い。家族や友達に配れば喜ばれるだろう。

 あんかけソースは、店によっていろいろ工夫がなされていて、けっこう違いがあるようだ。ただ基本はやはりトマトベースで、ニンニク、タマネギ、ニンジン、ジャガイモ、ひき肉などを煮込んで作っているのは間違いない。絡みはタバスコなどを使わずに、コショウでつけているそうだ。
 ただし、この程度の材料で自分の家で作っても店の味にはならないはずだから、何か秘密があるに違いない。とろみ加減で食感も変わってくるし、味にインパクトがなければ普通のトマトソースのしゃびしゃび版で終わってしまう。思ってる以上に奥が深いソースだ。

 すでに誕生から40年前も経ちながら、いまだ名古屋のマイナー名物となっているのは、あんかけスパという名前に問題があるかもしれない。あんかけとスパゲッティという組み合わせは、あまりいいイメージがわいてこない。実際、私も食べるまでは冗談半分のメニューかと思っていたくらいだ。名古屋人の私でさえそうなのだから、他県の人が警戒したとしても無理はない。
 餡というほどドロッとしてるわけではないから、ミートスープパスタくらいでいい。その方が普通に美味しそうだし洗練された感じがする。あんかけスパというのはいかにも冗談半分っぽい響きだ。
 というわけなので、名古屋へ遊びに来たときは、安心してあんかけスパを食べても大丈夫です。全然ヘンな食べ物でもなく、おふざけでもないから。逆に普通すぎて拍子抜けしてしまうと思う。
 誰かが、美味しいというよりクセになる味、という表現をしていたけど、それはぴったりの言い回しだ。あんかけスパは3度食べてから語れ、という言葉もある(ないかもしれない)。2度、3度と食べるうちに不思議と馴染んできて、そうなると月に一回は食べないといけなくなるという話もある。そう言われてみれば、私もなんだかまた食べたくなってきた。
 次は本命「ヨコイ」に行ってみようと思う。それから、今度こそ、お客で賑わう「あんかけ亭」にも入って食べてみたい。他の店との食べ比べも面白そうだ。
 名古屋めし制覇の旅はまだまだ続くのであった。


瀬戸物の歴史に思いを巡らせながらゆく静かな窯垣の小径
2007年04月19日 (木) | 編集 |
窯垣の小径-1

OLYMPUS E-1+Super Takumar 28mm(f3.5), f5.6,1/250s(絞り優先)



 愛知県瀬戸市は言わずと知れた瀬戸物の街だ。瀬戸焼にまつわるスポットも多い。そんな中で、今日は「窯垣の小径」というちょっと素敵な場所を紹介したいと思う。
 窯垣というのは見慣れない文字だと思う。読みもちょっと迷う。でも、種を明かせば単純で、なんだとなる。まず読みは、かまがき、だ。
 器などを焼くときに使うのが登り窯(のぼりがま)で、器を守るために窯の中に陶器の板や瓦などを立てる。それらをエンゴロ(鉢)、エブタ(棚板)、ツク(棚板を支える柱)などといい、使わなくなった窯道具で作った塀や壁のことを窯垣と呼ぶ。石で作れば石垣、樹木で作れば生垣、窯の余りもので作ったから窯垣というわけだ。
 イメージキャラクターとしては、ガッキーこと新垣さんを起用したらどうだろう。垣つながりで。でも間違って結衣ではなく渚の方が来てしまわないように気をつけなくてはいけない。
 場所は、尾張瀬戸駅から瀬戸川沿いを東に進んで、中橋で右折。少し進んで、「東風山野坊」という苔玉を売ってる店の手前を左折。そこまで行けば、あとは案内が出ているので大丈夫だと思う。道が細いのと、駐車場は5時で閉まるので注意。

窯垣の小径-2

 小径は山の起伏に沿ってアップダウンを繰り返して続く。迷路のような細い路地だ。かつてこの場所にはたくさんの登り窯が築かれていて、この道を焼き物職人が往来し、陶磁器を運ぶ荷車や天秤棒をかついだ担ぎ手たちが行き交っていたという。
 今は往時の面影だけを残し、ひっそりと静まりかえっている。民家も建ち並んでいるのに、恐ろしいほど静かだ。女の子がひとり、空き地で花を摘んでいた。他には人影もない。
 小径は400メートルほどなので、5往復しても1時間と間が持たない。駆け抜ければ1分だ。けど、もちろんそんなに急いで歩くようなところではないので、なるべくゆっくり歩く。牛歩戦術並みに(それは遅すぎる)。
 窯垣は幾何学模様や、何かをかたどったもの、茶碗などを埋め込んだものと、変化に富んでいて面白い。観光地として作られたものではないから必ずしも洗練されているとは言えないのだけど、実用本位というだけではない職人さんたちのセンスと遊び心が感じられる。
 小径の途中では案内がほとんどないので、どこからどこまでが窯垣の小径なのか、ちょっと分かりづらい。民家の方に入ってしまったり、違う方に進んでしまったりして、何度か引き返すことになった。マップをプリントアウトしていくか、入口にあった案内マップをデジカメでメモ撮りしていった方がよさそうだ。分かれ道で小さなマップなどがあればいいと思う。

窯垣の小径-3

 小径の途中に、「窯垣の小径資料館」と「窯垣の小径ギャラリー」がある。
 資料館は、120年前の窯元の家(寺田邸)を改修したもので、古い陶器や、窯道具などが展示されている。離れは休憩所になっていて、ボランティアのおばあちゃまたちが常駐していて、いろいろ説明してくれたり、お茶を出してくれたりするそうだ。
 本業タイルが貼られた浴室やトイレも見どころの一つになっている。明治から大正時代に作られたもので、そのタイルを日本で最初に焼いたのがこの洞町の窯元だったんだとか。本業というのは、江戸時代後期に磁器が作られるようになる前にやっていた仕事のことで、磁器の仕事を親製と呼んで区別している。
 水曜定休で、午後は3時で閉まってしまうので、見たい場合は早めに行く必要がある。

 ギャラリーは、300年ほど前の江戸時代の窯元の家だったもので、空き家になっているのはもったいないということで、陶芸家たちによる作品展示の場所として利用することになったのが始まりだった。
 作家が共同で運営していて、現代作家の作品が常時約500点ほど展示されているそうだ。販売もしてるので、お気に入りを見つけて買うのもいい。
 訪れたときたまたま、土鈴(どれい)作りに挑戦というのがあって、500円だったのでやってみた。土をこねて招き猫を作ったのだけど、焼き上がりは来月なので、できてきたらまたこのブログで紹介したいと思っている。

窯垣の小径-4

 高台から見下ろす町並みも、昔の日本の風景のようで風情があった。窯の煙突が何本か見えたけど、昔はこの場所ももっと活気に満ちていたのだろうと思うと、少し寂しい気もした。現在でもまだ40ほどの陶房や製陶所があるそうだけど、明治初期には300以上も窯があったという。
 ここから更に先に進むと、洞本業窯(瀬戸本業窯)というのがあって、そこを散策の終点にするつもりだったのに、土鈴作りに1時間以上もかかって時間切れになってしまった。
 4連房の登り窯は、幾多の名品を生み出して、昭和50年代の半ばにその使命を終えた。現在は、瀬戸市の指定有形文化財となっている。

窯垣の小径-5

 こんな坂の小径には野良猫がよく似合う。車も通らないし、住人たちも猫を大切にしてくれそうだ。野良にとっては、都会よりもずっと住み心地がいいだろう。写真を撮るときも、逃げようかどうしようかというへっぴり腰がよかった。都会の猫のように人に慣れすぎてないというのが、人と野良とのいい距離感だと思う。

窯垣の小径-6

 大昔、愛知県は、東海湖という巨大な湖の底だった。琵琶湖の6倍というからちょっと想像ができない大きさだ。そこへ山岳地帯からたくさんの土砂が流れ込んで湖底に堆積した。湖が干上がったとき、それが陶器作りに最適な土となった。
 時は流れて鎌倉時代、のちに陶祖と呼ばれることになる藤四郎(加藤四郎左衛門景正)が、僧の道元と共に宋(中国)に渡って陶業技法を学んで帰国した後、土を探して全国を歩き回って見つけたのが、この瀬戸の地だった。
 瀬戸という地名は、「陶所(すえと)」が転じてせとになったと言われている。
 18世紀後半、外国から入ってきた磁器に陶器が押されて低迷し始めたとき、加藤民吉が肥前で磁器を学んで技術を持ち帰り、瀬戸でも磁器作りが盛んになった。加藤民吉は「磁祖」と呼ばれている。
 これら二人の貢献者以外にも大勢の無名作家によって瀬戸物は今に受け継がれ、21世紀の現在でも人々の生活になくてはならないものとなっている。これからも新しいものを取り入れつつ、瀬戸物は発展していくことだろう。日本から陶器がなくなることは、まずない。
 そんな陶器作りの歴史に思いを馳せつつ窯垣の小径をゆけば、かつての賑わいと活気が目の前に甦ってくるような錯覚にとらわれる。あなたも窯垣の小径で小さな時間旅行をしてみませんか。


ミュージアムを見ない瀬戸蔵は牛肉の入ってないすき焼きを食べるみたいなもの
2007年04月18日 (水) | 編集 |
瀬戸蔵-1

OLYMPUS E-1+SIGMA 18-50mm(f3.5-5.6 DC), f9, 1/10s(絞り優先)



 2005年の愛・地球博を機に、瀬戸の街も化粧直しをして小綺麗になった。日本各地だけでなく世界からのお客さんを出迎えるのにふさわしい玄関口にしようと、道路や街並みは整備され、いくつかの新しい建物もできた。「瀬戸蔵(せとぐら)」もその中のひとつだった。
 気がつけばあれから早2年の歳月が流れた。その間、何度も前を車で通りながら一度も入ったことがなかった瀬戸蔵に、今回初めて入ってみることにした。万博からもう2年も経ってしまったんだという感慨を抱きながら。
 以前この場所には、昭和34年に建てられた瀬戸市民会館があった。ちょうどそれが老朽化したということで、あらたに建て直されたのが瀬戸蔵だ。けど、瀬戸蔵って一体何かと問われると私は答えに困ってしまう。瀬戸の陶器作りや瀬戸電関連を展示した有料のミュージアムがあるということだけは知っていたものの、それ以外に何がどうなっているのかは入ってみるまでまったく知らなかった。
 瀬戸市そのものを博物館に見立てた「せと・まるっとミュージアム」構想の拠点として作られた市民のための複合文化施設というのだけど、そんな漠然とした情報では今ひとつイメージが掴めない。要するに市民会館なんですよと説明されたら、はぁと言って何となく納得するしかないものかもしれない。産業観光と市民交流を支援するための器といえばそうなのだろう。
「瀬戸蔵」という名前は、瀬戸のいろいろなものが詰まった蔵のようなものということで、公募によって決められたそうだ。

 エントランスに足を踏み入れると、まずは高い吹き抜けのホールにあっと驚く。田舎者なら100パーセント天井を見てしまい、カメラを持っていれば10人のうち7人は写真を撮ってしまうに違いない。たいていの人は、初めて入ったときは口を開けて見上げてしまうことだろう。
 しかし、贅沢な空間といえばそうだけど、こんなに無駄スペースを作ってしまったら、瀬戸が丸ごとギュッと入るのは無理なんじゃないかと、いきなり入口から嫌な予感をさせる。
 この空間はパティオ(中庭)といい、ぐるりと回りながら登っていく階段をコリドール(回廊)というらしい。なんて、ハイカラな。でも、階段で上がると無駄に歩かないといけないから市民から文句が出そうな気がする。
 本体は4階建てということになるのだろうか。立体駐車場もあわせると5階建てということになるかもしれない。
 1階には瀬戸物を売る店や食べ物屋、案内所などがある、2階と3階に目玉の瀬戸蔵ミュージアムや、つばきホール、交流ラウンジ、会議室などが入っている。4階は多目的ホールなどだ。
 ざっと見た感じとしては、これは観光施設ではない。今回はミュージアムに入らなかったのだけど、それ以外としては見どころはあまりなく、イベントなどで市民が活用するための施設という色合いが濃い。1階では公開イベントのようなことが行われていたり、映画が上映されたりしていたようだけど、他県の人が瀬戸の魅力を知るために訪れるようなところではなさそうだ。
 店舗は、食事所と瀬戸物などを売ってる店の2軒しかないのも寂しいところ。商業施設という性質のものではないにしても、瀬戸の魅力が詰まった蔵という名前にしては蔵の中身に乏しい。

瀬戸蔵-2

 瀬戸は近年、招き猫の街としても認識されるようになってきていて、近くには招き猫をたくさん集めた「招き猫ミュージアム」というのもできた。瀬戸物で作られた猫たちがたくさんいる。
 写真は、「瀬戸蔵セラミックプラザ」の店内の様子で、食器やガーデニング用品などが売られている。けっこう安いものもあるようなので、せとものを買う目的の人がのぞいてみる価値ありだ。

 瀬戸蔵ミュージアムは、せとものに関する展示や、瀬戸駅を再現したり、古い瀬戸電の車両などが保存されているそうだ。大人500円はやや微妙な値段設定か。あまり興味のない人にとっては、ついでに見てみるかとなりづらい値段だ。300円なら入ってもいいけど500円出してまでという人も多いと思う。一般的に、せとものを詳しく勉強してみたいという熱い思いを抱いている人はそう多くないし、昔の瀬戸電に頬ずりしたいと願ってやまないという人は更に少ない。
 とはいえ、9時-18時の年中無休というのは立派だ。意気込みが感じられる。私も近いうちに一度入ってみようと思っている。そのときは、瀬戸電のシートで飛び跳ねてはしゃぎたい。

瀬戸蔵-3

 1階のエントランスでは、瀬戸みやげや陶器などのワゴンセールが行われていた。
 つばきホールでは、ミニコンサートや講習会などが開かれる。美輪明宏や志茂田景樹、假屋崎省吾、藤岡弘、花田勝氏なども訪れたようで、通路には多くの有名人のサイン色紙が展示されていた。有名ラーメン店みたい。
 少し古めの映画も上映されることがあるようで、500円という