 OLYMPUS E-1+Super Takumar 50mm(f1.8), f5.6, 1/100s(絞り優先)
去年に続いて足助のカタクリを見に行った。飯盛山の斜面には、今年もまたカタクリの花が無数に咲き乱れ、カメラを持った大勢の人たちで賑わっていた。そうそう、この光景。桜の満開とともにカタクリの群生は春が本気になったことを知らせてくれる。 ただ、ほんの少し出遅れた。枯れ始めや枯れ落ちなどがちょこちょこ目立ち始めていて、完全な状態の花が少なかった。おそらく3日前くらいがピークだったのではないかと思う。カタクリが一番いいときは短くて、毎年それが何日に来るかを読むのは難しい。今年はやや花が少なめの印象を受けたけどどうだったんだろう。最盛期はもっと多かったんだろうか。
 私が知る限り、カタクリの時期の飯盛山は、最も高性能で高額のカメラ機材が集まる撮影スポットだ。白レンズなんて当たり前で、赤い帯のLレンズでさえ目立たない。その他のメーカーも高級レンズの見本市のようで、普通のカメラとレンズでは恥ずかしくて隠してしまいたくなるくらいだ。飯盛山の斜面に張り付いてる人のカメラ機材を集めたら数百万単位ではきかない。全員のカメラ機材を取り上げたら大金持ちだ。三脚使用率もかなり高い。 私はカタクリの群生を撮るよりもカメラの群生を撮る方が楽しかった。とにかくここはすごい。撮影にも熱が入ってるけど、それ以前の意気込みが違う。手持ちのライト撮影の私などは、完全に素人派に属す。E-1にTakumarなどでは、全然相手にしてもらえない。
 今日は終始曇りがちで、ぼんやりとした太陽がたまに顔をのぞかせるような一日だった。その分、カタクリの写真は柔らかくなったけど、光が足りなくて平面的な写真になってしまった。カタクリの花の可憐な姿は伝えられても、凛とした美しさを伝えきれないのが残念だ。
 さほど珍しいわけではないけど、今年も数輪の白花カタクリを見つけてちょっと嬉しかった。紫がアタリで白はハズレなのに、当たり前の正解よりも珍しい不正解の方がありがたいこともある。
 あまりこういう撮り方はしないのだけど、たまには。 カメラのレンズに比べて人間の目は何倍も優秀にできている。特に明るいものと暗いものを同時に見る能力は優れている。レンズはきついコントラストに弱い。人の目はピントを合わせてものを見ることができる範囲も広い。遠くの景色と近くのものを見るときの切り替えも一瞬だ。カメラではそうはいかない。 それじゃあ、カメラのレンズは人間の目に全面的に劣っているのかといえばそうではない。人間の目では見えず、レンズにしか写せない世界もある。それが薄いピント範囲の写真だ。奥行きのある中で一定ラインにだけピントを合わせて、前後をボケさせるというのは人間の目にはできない。これこそが写真の面白さや価値の大きな部分だと思う。だから人は一眼レフを買い、解放が明るい高いレンズを買うのだ。単純に解像度だけならコンパクトデジと一眼レフはそんなに大きな差はない。コンパクトデジでもクローズアップレンズをつければ近くのものは一眼的なマクロ写真が撮れるけど、望遠の圧縮効果をプラスした前後ボケの写真が撮れない。 まあ、そんな理屈はともかく、一眼の方が写真を撮るのが楽しいことは確かなので、買おうかどうしようか迷ったら買ってしまうがいい。カメラもレンズも上を見ればキリがないから、適当なところで妥協するしかないのだけど。
 カタクリを撮るのに飽きたら人を撮ろう。なんていってたら、私も誰かの写真に入ってしまっていて、その人のブログにこっそり載ってしまってるんだろうな。 カタクリに負けないくらい可憐で凛としたE-1で写真を撮ってる男を見かけたら、これオオタじゃねぇのと思っていてくださいね。 [READ MORE...]
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