現身日和【うつせみびより】
この世界にはたくさんの美しいものや面白いものがあることを知るための毎日であれば、それは楽しくて幸せなこと。
香流川桜六景---散りゆく前に
2007年04月06日 (金) | 編集 |
香流川の桜-1

Canon EOS Kiss Digital N+SIGMA 18-125mm(f5.5-5.6 DC), f7.1, 1/100s(絞り優先)



 名古屋地方の桜は今、満開から少し散り始めた。今年の桜は気温の浮き沈みに翻弄されて、あたふたと足並みが揃わなかったけど、最後にきてきれいに咲き揃った。自然は季節を間違えない。
 ここ数日、気温が下がったことで満開が長持ちしている。明日、あさっての週末まで見頃は続きそうだ。
 私は名残を惜しんで、近くの香流川(かなれがわ)をもう一度歩いてきた。相変わらずここは人が少ない。歩いている人も普段とまったく変わらない。写真を撮っていると恥ずかしいくらいだ。
 今日はそんな香流川の桜写真をもう少しだけ紹介したい。少しでもここを訪れる人が増えるようにと願って。これだけの桜並木を近所の人間だけで楽しんでるのはもったいない。

香流川の桜-2

 桜の本数は約500本。こんなふうに川の両岸2キロに渡って続いている。写真にすると魅力が半減してしまうのが残念なところ。ここは写真向きではなく、散歩向きの桜並木だ。

香流川の桜-3

 ここ3年くらい、どうやってここの桜を撮れば上手く伝わるんだろうと考えてきて、ひとつ分かったことは、桜は水平よりも下から撮った方が豪華に見えるということだ。香流川の場合、サイクリングロードの下に車道があって、ここから見上げるようにして撮ると桜の密度が増して、絵になりやすい。人が入ると更にいい。なかなか狙い通りの通行人が都合よく来てくれるわけではないのだけど。
 このときはたまたま親子の自転車がよかった。狙いとしては、制服の自転車カップルなんかいい。

香流川の桜-4

 まさに満開なのに桜見物の人が驚くほどいない。桜を見てる人の写真を撮りたかったのに全然通らない。やっと通ったと思ったら散歩のおじさんだった。絶対これ、桜見物じゃない。ジャージ姿だし、まったく上を見上げるようなそぶりもない。
 去年はもう少し人がいたと思うんだけど、今年は特別少ない印象を受けた。私が行った時間がたまたまだったのだろうか。
 この桜の木はだいぶ花びらが散っていた。少し強い風が吹くとサァーっと花吹雪が舞うのだけど、それを写真に撮るのは難しい。三脚でスローシャッターにしても、たぶん思ってるようには写らない。

香流川の桜-5

 夕焼けと桜も撮りたくて撮りきれないテーマのひとつだ。空の赤と桜の薄ピンクは両立しない。特に逆光のときは難しい。それに春先のこの時期は空があまりきれいに空が染まらないから、夕焼けの桜写真というのはほとんど見たことがない。たいてい昼間か夜桜のライトアップになってしまう。オレンジを背景にした白い桜の写真をいつか撮りたい。

香流川の桜-6

 日が落ちて、夕暮れの中に桜も沈んで、今日はここまで。
 週末はこの香流川も少しは賑わうだろうか。名古屋の今シーズンの桜が楽しめる週末としては明日あさってが最後だろうから、それなりに人は訪れるだろう。私はもう充分堪能したから、今年の桜はこれでよしとする。いや、東谷山フルーツパークのしだれ桜が最後に残ってるか。五条川も行きたかったけど、今年はお休みになりそうだ。
 今年もけっこう桜を撮った。少しは進歩してるだろうか。また来年の桜の季節までには練習を重ねて、もっと思い通りに撮れるようになりたい。
 桜を見るためだけに長生きするというのも、命をつなぐ原動力になる。桜の季節の終わりにはいつも、また来年もこの季節に戻ってきたいと強く思う。人間、生きているだけでいいことがあるもんだ。


15年後の護国寺に彼の歌は響かず、あの日の映像だけが残った
2007年04月06日 (金) | 編集 |
護国寺-1

PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-50mm(f3.5-5.6 AL), f6.3, 1/125s(絞り優先)



 あのときの護国寺は雨だった。この日は薄曇りの少し肌寒い一日。あれからもうすぐ15年か。
 東京メトロ有楽町線の護国寺駅から地上にあがると、すぐ目の前に護国寺が現れる。ああ、こんなに近いんだと少し驚く。
 これが護国寺か。はじめまして。ようやくやって来ることができました。あのときここに集まった4万人は、今頃どこで何をしてるだろう。この15年で心の喪失は何か別のもので埋められただろうか。それとも、すっかり昔話になってしまったのかな。

護国寺-2

 京都の八百屋の娘だったお玉の方は、三代将軍家光の側室お万の侍女となって江戸城大奥に入り、家光のお手つきとなって男子を産んだ。思いがけない玉の輿。しかも、その子供がのちに五代将軍綱吉となるから、人生はどこでどう転ぶか分からない。
 家光の死後、お玉の方は髪を剃って、桂昌院と名乗る(1651年)。
 30年後の1681年、前年将軍についた息子綱吉にお寺が欲しいといって建ててもらったのが、この護国寺だ。マンションを買って欲しいとねだる愛人はいても、お寺をくれなきゃイヤだという母親はめったにいない。徳川家にはすでに芝の増上寺、上野の寛永寺とふたつの菩提寺があって、徳川家としての寺はもうそんなに必要ではなかった。家康の日光東照宮もある。けど、桂昌院は自分専用の祈祷所が欲しかった。若い頃からずっと信仰心が厚かったのだ。
 母親をとても大切にした綱吉は、僧亮賢に命じて護国寺を建てさせた。以降、将軍家の手厚い庇護のもと、1,300石の寺禄を与えられて繁栄を続けることになる。
 江戸城に住んでいた桂昌院と綱吉は、たびたび護国寺を訪れた。母は30回以上、将軍綱吉も16回参詣したそうだ。ただし、将軍と母親が一緒に詣でるなんてことはなく、桂昌院が先に行って将軍を迎えるという形をとっていた。そのときのお供は千人を超えていたというから、相当大がかりなものだ。そのために護国寺の前の道は「御成道(おなりみち)」として整備され、当時から現在の音羽通りと同じ広さがあったという。
 綱吉にしてみれば、母親孝行の意味合いが強かったのだろう。ただ、それだけでは楽しくないということで、この近所にお気に入りの女中だった音羽を住まわせている。音羽の護国寺と呼ばれるようになったのはそこからきている。

 護国寺は真言宗豊山派の寺院で、山号は神齢山悉地。
 本尊は桂昌院の念持仏であった天然琥珀観音像。最初は300石から始まり、のちの大造営で現在の規模となった。
 1720年に神田橋の護持院が焼失したことで護国寺と合併。
 1883年(明治16年)、1926年(大正15年)と火事を出して創建時の本堂を失ったものの、元禄年代(1697年)の観音堂を移して本堂とする。それは関東大震災にも第二次大戦にも耐えて残った。寛永寺や増上寺が江戸期の建物がことごとく燃えてしまったのに護国寺のは生き延びた。都内に残った唯一の江戸期の大伽藍となっている。
 一番上の写真は表門の仁王門。これも1697年建立と歴史のあるものだ。八脚門の切妻造り。正面側には阿吽の金剛力士像、裏側には増長天と広目天の二天像が中に入っている。

護国寺-3

 石畳の参道を進むと石段があって、その上にはくすんだ朱色の門が待ち構えている。不老門だ。この門をくぐることで病気にならず長生きできますようにという願いを込めたもので、鞍馬山の山門を模したものだそうだ。しかし、昭和13年に寄贈されたものということで、新しい。

護国寺-4

 立派な本堂と広々とした境内は、すがすがしくて、雰囲気がある。歴史の空気感をとどめている。主観的な印象として、ここはいいお寺だなと思った。
 単層、入母屋造りの銅板本葺で、和様と唐様の折衷様式は元禄時代の建築工芸の粋を結集した建築物とされている。国の重要文化財。
 本堂の裏側に回ってみると、その古さがよく分かる。使われている木の傷み具合が逆に感動的なくらいだ。

 この裏手には墓地があって、有名人の墓も多い。明治に三条実美がここに墓を建てると、たくさんの人が入りたがったという。大隈重信や山縣有朋などの政治家や軍人、実業家などが多い。どういう縁か、建築家のコンドルもここに入っている。お墓を探したけど見つからなかった。ここはくわしい案内がないので、見つけるのは難しそうだ。
 明治6年に明治天皇の皇子が死去して、護国寺の東半分が皇族墓地となった。豊島ヶ岡御陵と呼ばれるそちらは、一般は入ることができず、忍不通りの富士見坂に面した正門は閉ざされている。

護国寺-5

 左に見えているのが多宝塔で、右のが月光殿。一見すると二重塔の方が価値が高いように見えるけど、こちらは昭和13年の新しいもので、月光殿の方がずっと古くて歴史的な価値は高い。近江三井寺から移築した桃山時代の書院様式の建造物で、これも国の重要文化財になっている。多宝塔は近江石山寺のものを模したもので、これはあと500年くらいしないと歴史的な価値は上がらない。
 その他、惣門、薬師堂、大師堂、鐘楼など、江戸時代の貴重な建築物が残っている。

 4月8日はお釈迦様の誕生日ということで、各地の寺院では花まつり(潅仏会)が行われる。護国寺でも江戸時代から今に続く、季節の風物詩となっている。今年はちょうど8日は日曜日だ。
 花で飾った小堂の水盤に釈尊仏を置いて、参詣者は柄杓でその像の頭上に甘茶をそそぐ。釈迦が生まれたとき、天から龍が降りてきて釈迦に水をそそいで洗い清めたという言い伝えにちなんでいる。日本には中国から伝わって606年に元興寺で行われたのが始まりとされる。
 花御堂行列のあとに着飾った子供たちが続く。
 ここはちょっとしたツツジに名所ともなっている。根津神社ほどではないものの、参道の両脇に咲くツツジは5月の護国寺を華やかに彩る。

 あの日も参道にはツツジが咲いていたのだろうか。1992年4月30日。4月25日に26歳で死んだ尾崎豊の追悼式が、護国寺で行われた。冷たい雨が降る中、みんな傘をさすのも忘れて立ち尽くしていた。自分もあの場に行けなかったけど、テレビから流れてくる映像は今でも強く自分の中に残っている。
 生きていれば41歳。上手く想像できないけど、まだ生きて作品を発表し続けて欲しかった。尾崎豊の前に尾崎豊なし、尾崎豊のあとに尾崎豊なし。さよならを言うには早すぎる。
 護国寺に彼はいなかった。今あなたはどこでどんな歌を歌ってますか?




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