現身日和【うつせみびより】
この世界にはたくさんの美しいものや面白いものがあることを知るための毎日であれば、それは楽しくて幸せなこと。
時を止めた異次元空間の鬼子母神で夢から覚めた夢を見る
2007年04月10日 (火) | 編集 |
鬼子母神参道より

PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-50mm(f3.5-5.6 AL), f4.5, 1/100s(絞り優先)



 都電荒川線の線路を越えたときはすでに日が傾きかけていた。昭和の香り濃い商店街を通って、ケヤキ並木の参道を抜けて左に曲がる。そこで突然空気が変わる。今まで冗談を言ってふざけいてた笑いがスッと引いて、神妙な顔つきになるみたいに。
 ああ、ここは……。
 そう、小さくつぶやいて、その先の言葉を見失った。初めて訪れた場所なのに懐かしい。いや、ずっと昔来たことがあるのか。目を細めて遠い記憶を探す。ふと、映画『異人たちとの夏』を思い出した。あの作品の舞台は浅草で、季節は夏だったけど、ここまたあんな異空間の空気が支配している場所だった。疑似タイムスリップ感というのはこういうことをいうのか。21世紀の現実世界が悪い夢で、この空間に入った瞬間に夢から覚めたみたいに感じた。
 鬼子母神堂。それは、室町から昭和までの歴史を重ねて、そこで時が止まったような空間だった。だからふと、正気に返ったような気がしたのだろう。

鬼子母神境内

 境内は神聖で近寄りがたいとか、神々しくてものものしいようなものではない。かつて町のどこにでもあったような正常な空気に支配されているだけだ。歴史の重みで息苦しいなんてこともない。人によっては懐かしいと感じる人もいるだろうけど、私はむしろごく当たり前な気がした。ここが普通で、外が異常なのだと。今の時代、正常な場所は少なくなったから、そういう意味ではここはすごく特別な空間と言えるだろう。
 雑司ヶ谷の住人にとっても鬼子母神は自慢であり、最も親しみを感じる場所のひとつだという。身内もよそ者も分け隔てなく大らかに受け入れる雰囲気がいい。観光客として訪れても、ここだけは自分が場違いには感じないんじゃないかと思う。

 室町時代の1561年、山村丹右衛門が清土(文京区目白台)の畑で鬼子母神の像を掘り出したことに始まる。それを星の井の清土鬼子母神にある三角井戸(現存)で清めて、東陽坊(大行院と改称後、法明寺に合併)に納めた。その後、武芳稲荷(ぶほういなり)の森を開いて像を安置して鬼子母神堂はできた。
 現在のように多くの人が参拝に訪れるようになるのは江戸時代に入ってからだ。1664年に、加賀藩主前田利常の娘(自証院殿英心日妙大姉)が宝殿(現在の本殿)を寄進したことで現在の規模になり、多くの人が参拝に訪れるようになった
 人が集まれば茶屋や料亭が建ち、ますます賑やかになる。境内には駄菓子屋もできて、鬼子母神名物の「すすきみみずく」も江戸時代に生まれている。当時は大人から子供まで大勢の参拝客で賑やかだったことだろう。
 昭和35年に東京都の有形文化財になり、昭和51年から54年にかけて江戸時代の姿に復元するする解体修理が行われた。本殿も境内も戦争の被害を受けなかったようだから、江戸の頃から大きくは変わってないのではないだろうか。
 永井荷風は『日和下駄』の中で鬱蒼とした境内に差し込む夕日の美しさを書いている。雑司ヶ谷霊園に墓がある夏目漱石や泉鏡花、小泉八雲たちもきっと訪れたことだろう。京極夏彦のデビュー作『姑獲鳥の夏』の舞台としても登場している。

鬼子母神大イチョウ

 鬼子母神名物の大イチョウ。別名子育てイチョウとも呼ばれ、樹齢は600年とされている。
 高さは33メートル、幹の周囲は11メートルで、都内では麻布の善福寺にある逆さイチョウに次ぐ二番目に大きいイチョウだそうだ。
 巨大な幹と、毛細血管のような無数の枝で、悪い気を吸い取って浄化した空気を吐き出しているように見える。まさに御神木にふさわしい風格。しかも、まだ成長を続けているというからすごい。秋になって葉が黄色に色づいたら、また見に来よう。

鬼子母神の駄菓子屋

 境内にある駄菓子屋「上川口屋」と、古社武芳稲荷。
 上川口屋は江戸時代から続く都内最古の駄菓子屋で、お菓子などの他にすすきみみずくも売っている。これは、ススキを使ってミミズクをかたどったもので、江戸時代から全国に知られた名物となっている。魔除けにも効果があるということだ。現在は作れる人が3人になってしまったという。
 古社武芳稲荷は、倉稲魂命(うけみたまのみこと)を祀ったもので、こちらも古い。
 その他境内には、妙見堂、金剛不動尊を安置した法不動堂(のりふどうどう)、帝釈天王の石像、一字一石妙経塔、山岡鉄舟の碑などがある。

鬼子母神本殿前

 ところで鬼子母神堂は、見た目に反してお寺だ。鬼子母神の神という文字で神社と思ってしまうのと、実際に行ってみた印象としてもこれは完全に神社の境内だ。見た目も、空気感も、ここがお寺だとは思えない。多くの人が神社と思い込んでいるというのも無理はない。
 そもそも鬼子母神というのがどんな神様かということを知れば、勘違いすることもない。
 鬼子母神はインドでは訶梨帝母(カリテイモ)と呼ばれていた。夜叉神の娘で、般闍迦(パーンチカ)という神様に嫁いだカリテイモは、500人もの子供を産み、その子供たちを育てるために人間の子供を次々にさらって自分の子供たちに食べさせていた。困った人間たちはお釈迦様に相談したところ、こらしめるためにカリテイモがかわいがっていた一番下の子供を隠してしまう。カリテイモは嘆き悲しみ、世界中を探して回ったがとうとう見つからずお釈迦様のところへやって来た。そこでお釈迦様は言う、500人のうちたった一人でもその悲しみなのだから、人間の親がどんなに悲しんだか分かるだろう、と。そこでハッと気づいて改心したカリテイモは、以降、子供たちと仏教を守る鬼子母神となったという「法華経」の中のお話だ。
 鬼でなくなった鬼子母神の鬼の字には「点」がない。神になって角(ツノ)が取れたのだ。それでも鬼子母神堂の豆まきは、鬼は外とは言わない。鬼子母神を追い出してしまうとまずいからという理由で。やっぱり鬼子母神は半分鬼扱いなのだった。
 読み方は、「きしもじん」が正しいとされている。ただし、都電の駅などは「きしぼじん」になっている。
 鬼子母神像は、ふところに子供を抱き、右手にザクロの枝を持っている。ザクロは人の肉の味がするからとも、小さな実がたくさんあるところから子孫繁栄の象徴とも言われている。
 鬼子母神信仰は日本でも平安時代からあったといわれている。日蓮も重要視していた神様だ。といわけで、ここは神社ではなくお寺というわけだ。

鬼子母神で参拝

 御利益はなんといっても子授け、安産、子育てだ。お願いする対象が鬼子母神だけに。だから、私などが参拝してもどうなんだという話はあるけど、一応子供から派生して愛の神、縁結びの神ということにもなっているようだから、お参りがまったくの空振りということにはならないはずだ。けど、女遊びが好きなプレイボーイが来るところじゃないなとは思う。
 毎年10月の半ばには鬼子母神御会式(おえしき)という日蓮を供養する大祭がある。境内には露天が並び、万灯と呼ばれるしだれ状の灯りを持って、夜の雑司ヶ谷を練り歩く。はっぴや着物を着た人たちが太鼓を叩いて行進する様は、江戸時代から続く伝統的な祭りとして定着している。タイミングが合えば、一度見てみたい。

 鬼子母神を訪れた人に、どうだったと訊ねたら、多くの人がいいところだったよと答えるだろう。けど、どういう風によかったのか具体的に教えてもらおうとしても、うーん、雰囲気がよくてねくらいにしか答えが返ってこないかもしれない。そう、ここはなんとなくいいところなのだ。そこはかとなく。
 私の受けた印象としては、とてもまっとうな空間に思えた。自分の中の狂ったリズムやテンポや傾きを修正してくれるところと言ってもいい。東京見物の一番最後に行くと、東京の雑踏や喧噪で麻痺した感覚がスッと元に戻るようなリセット効果が得られるだろう。
 とはいえ、ずっとここに住むわけにはいかない私たちは、21世紀の街の中へ再び出ていくしかない。私たちが今生きる場所はここではない。さよなら、ありがとう、鬼子母神。心が疲れたらまた来ます。日が暮れかけて、門も閉まった。夢から覚めたと思ったら、夢から覚めた夢を見ていただけだったらしい。




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