現身日和【うつせみびより】
この世界にはたくさんの美しいものや面白いものがあることを知るための毎日であれば、それは楽しくて幸せなこと。
瀬戸物の歴史に思いを巡らせながらゆく静かな窯垣の小径
2007年04月19日 (木) | 編集 |
窯垣の小径-1

OLYMPUS E-1+Super Takumar 28mm(f3.5), f5.6,1/250s(絞り優先)



 愛知県瀬戸市は言わずと知れた瀬戸物の街だ。瀬戸焼にまつわるスポットも多い。そんな中で、今日は「窯垣の小径」というちょっと素敵な場所を紹介したいと思う。
 窯垣というのは見慣れない文字だと思う。読みもちょっと迷う。でも、種を明かせば単純で、なんだとなる。まず読みは、かまがき、だ。
 器などを焼くときに使うのが登り窯(のぼりがま)で、器を守るために窯の中に陶器の板や瓦などを立てる。それらをエンゴロ(鉢)、エブタ(棚板)、ツク(棚板を支える柱)などといい、使わなくなった窯道具で作った塀や壁のことを窯垣と呼ぶ。石で作れば石垣、樹木で作れば生垣、窯の余りもので作ったから窯垣というわけだ。
 イメージキャラクターとしては、ガッキーこと新垣さんを起用したらどうだろう。垣つながりで。でも間違って結衣ではなく渚の方が来てしまわないように気をつけなくてはいけない。
 場所は、尾張瀬戸駅から瀬戸川沿いを東に進んで、中橋で右折。少し進んで、「東風山野坊」という苔玉を売ってる店の手前を左折。そこまで行けば、あとは案内が出ているので大丈夫だと思う。道が細いのと、駐車場は5時で閉まるので注意。

窯垣の小径-2

 小径は山の起伏に沿ってアップダウンを繰り返して続く。迷路のような細い路地だ。かつてこの場所にはたくさんの登り窯が築かれていて、この道を焼き物職人が往来し、陶磁器を運ぶ荷車や天秤棒をかついだ担ぎ手たちが行き交っていたという。
 今は往時の面影だけを残し、ひっそりと静まりかえっている。民家も建ち並んでいるのに、恐ろしいほど静かだ。女の子がひとり、空き地で花を摘んでいた。他には人影もない。
 小径は400メートルほどなので、5往復しても1時間と間が持たない。駆け抜ければ1分だ。けど、もちろんそんなに急いで歩くようなところではないので、なるべくゆっくり歩く。牛歩戦術並みに(それは遅すぎる)。
 窯垣は幾何学模様や、何かをかたどったもの、茶碗などを埋め込んだものと、変化に富んでいて面白い。観光地として作られたものではないから必ずしも洗練されているとは言えないのだけど、実用本位というだけではない職人さんたちのセンスと遊び心が感じられる。
 小径の途中では案内がほとんどないので、どこからどこまでが窯垣の小径なのか、ちょっと分かりづらい。民家の方に入ってしまったり、違う方に進んでしまったりして、何度か引き返すことになった。マップをプリントアウトしていくか、入口にあった案内マップをデジカメでメモ撮りしていった方がよさそうだ。分かれ道で小さなマップなどがあればいいと思う。

窯垣の小径-3

 小径の途中に、「窯垣の小径資料館」と「窯垣の小径ギャラリー」がある。
 資料館は、120年前の窯元の家(寺田邸)を改修したもので、古い陶器や、窯道具などが展示されている。離れは休憩所になっていて、ボランティアのおばあちゃまたちが常駐していて、いろいろ説明してくれたり、お茶を出してくれたりするそうだ。
 本業タイルが貼られた浴室やトイレも見どころの一つになっている。明治から大正時代に作られたもので、そのタイルを日本で最初に焼いたのがこの洞町の窯元だったんだとか。本業というのは、江戸時代後期に磁器が作られるようになる前にやっていた仕事のことで、磁器の仕事を親製と呼んで区別している。
 水曜定休で、午後は3時で閉まってしまうので、見たい場合は早めに行く必要がある。

 ギャラリーは、300年ほど前の江戸時代の窯元の家だったもので、空き家になっているのはもったいないということで、陶芸家たちによる作品展示の場所として利用することになったのが始まりだった。
 作家が共同で運営していて、現代作家の作品が常時約500点ほど展示されているそうだ。販売もしてるので、お気に入りを見つけて買うのもいい。
 訪れたときたまたま、土鈴(どれい)作りに挑戦というのがあって、500円だったのでやってみた。土をこねて招き猫を作ったのだけど、焼き上がりは来月なので、できてきたらまたこのブログで紹介したいと思っている。

窯垣の小径-4

 高台から見下ろす町並みも、昔の日本の風景のようで風情があった。窯の煙突が何本か見えたけど、昔はこの場所ももっと活気に満ちていたのだろうと思うと、少し寂しい気もした。現在でもまだ40ほどの陶房や製陶所があるそうだけど、明治初期には300以上も窯があったという。
 ここから更に先に進むと、洞本業窯(瀬戸本業窯)というのがあって、そこを散策の終点にするつもりだったのに、土鈴作りに1時間以上もかかって時間切れになってしまった。
 4連房の登り窯は、幾多の名品を生み出して、昭和50年代の半ばにその使命を終えた。現在は、瀬戸市の指定有形文化財となっている。

窯垣の小径-5

 こんな坂の小径には野良猫がよく似合う。車も通らないし、住人たちも猫を大切にしてくれそうだ。野良にとっては、都会よりもずっと住み心地がいいだろう。写真を撮るときも、逃げようかどうしようかというへっぴり腰がよかった。都会の猫のように人に慣れすぎてないというのが、人と野良とのいい距離感だと思う。

窯垣の小径-6

 大昔、愛知県は、東海湖という巨大な湖の底だった。琵琶湖の6倍というからちょっと想像ができない大きさだ。そこへ山岳地帯からたくさんの土砂が流れ込んで湖底に堆積した。湖が干上がったとき、それが陶器作りに最適な土となった。
 時は流れて鎌倉時代、のちに陶祖と呼ばれることになる藤四郎(加藤四郎左衛門景正)が、僧の道元と共に宋(中国)に渡って陶業技法を学んで帰国した後、土を探して全国を歩き回って見つけたのが、この瀬戸の地だった。
 瀬戸という地名は、「陶所(すえと)」が転じてせとになったと言われている。
 18世紀後半、外国から入ってきた磁器に陶器が押されて低迷し始めたとき、加藤民吉が肥前で磁器を学んで技術を持ち帰り、瀬戸でも磁器作りが盛んになった。加藤民吉は「磁祖」と呼ばれている。
 これら二人の貢献者以外にも大勢の無名作家によって瀬戸物は今に受け継がれ、21世紀の現在でも人々の生活になくてはならないものとなっている。これからも新しいものを取り入れつつ、瀬戸物は発展していくことだろう。日本から陶器がなくなることは、まずない。
 そんな陶器作りの歴史に思いを馳せつつ窯垣の小径をゆけば、かつての賑わいと活気が目の前に甦ってくるような錯覚にとらわれる。あなたも窯垣の小径で小さな時間旅行をしてみませんか。




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