現身日和【うつせみびより】
この世界にはたくさんの美しいものや面白いものがあることを知るための毎日であれば、それは楽しくて幸せなこと。
急な思いつきで始まった尾張旭神社仏閣巡りの旅第一弾は渋川神社
2007年04月21日 (土) | 編集 |
渋川神社-1

OLYMPUS E-1+SIGMA 18-50mm(f3.5-5.6 DC), f5.6, 1/40s(絞り優先)



 名古屋市の北東に尾張旭市という街がある。高校時代の友達が住んでいたのがきっかけで、今でも用事もないのによく行っている。車を田んぼの農道にとめてしばらく佇んだり、城山レストランとスカイワードあさひの写真を撮ったり、瀬戸電を眺めたりしてしばらく時間を過ごす。ここにはまだ、昭和の古き良き郊外の面影が色濃く残っていて、なんとなく心が落ち着くのだ。波長が合うと言ってもいいかもしれない。街と人の間にも、合う合わないや縁といったものが確かに存在する。
 そんなお気に入りのの尾張旭なのに、市内の神社仏閣に一度も足を踏み入れてないことにふと気づいた。尾張旭好きで、なおかつ神社仏閣フリークの私ともあろうものがなんたる不覚。罰当たりなやつめと今さらながら自分を叱りたい。けど、尾張旭の神社というのはあまりイメージがない。数としても少ないような気がするけどどうだろう。
 地図を見て探したところ、神社だけで10個近く見つかった。普通の人ならそれはすごく多いように感じるかもしれないけど、やはり密度としては低いと思う。名古屋市内の方がもっとある。普段気にとめていないだけで、神社というのは街中にも驚くほどたくさんあるのだ。
 10くらいなら楽勝で全部回れるではないか。よし、今日からさっそく始めよう。ということで、私の尾張旭の神社全制覇の旅は前触れもなく始まった。制覇したとしても誰にも自慢できないし誰も誉めてくれないけど、それでもいい。私は尾張旭中の神様と仲良くなるのだ。余裕があればお寺さんも回っていこう。なんか、早くもいいことがありそうな気がしてきた。

 尾張旭市は、名古屋の東部、愛知県では北西部に位置する名古屋のベッドタウンという性格の濃い街だ。東には瀬戸市、北には春日井市、南には長久手町がある。名古屋と瀬戸の中間といえば県外の人もイメージしやすいだろうか。
 これといった観光資源を持たないので、よそから人がやって来ない分、住むには静かな街だ。大きな事件も少ない。一番の見どころとしては森林公園がある。これが市の面積の15パーセントを占めている。他にも城山公園、小幡緑地東園などがあり、「ともにつくる元気あふれる公園都市」というのがキャッチフレーズとなっている。
 どういうわけか尾張旭市はお金持ちで、けっこう公共の施設が充実している。昔はテニスコートの1時間1面を借りるのが300円くらいだった。スカイワードあさひは夜まで開いているのに、登るのは無料だ。住民が裕福なのかもしれない。
 いざ住むとなるとどうだろう。車で名古屋駅までは1時間から1時間半近くかかるし、公共交通機関は瀬戸電だけが頼りなので、やや不便かも知れない。ここはバスが発達しなかった。
 歴史的に見ると、弥生時代の住居跡が見つかってることからも、古くから人が住んでいた土地だったことが知られている。上の写真の渋川神社は、927年にまとめられた延喜式神名帳(当時「官社」とされていた全国の神社の一覧名簿)にも載っていることから、古くからある程度の集落があったと想像できる。東谷山の尾張戸神社もそう遠くないから、尾張氏の勢力内だったのだろうか。
 戦国時代初期からいくつかの城があったことも分かっている。井田城や新居城など7つの城跡が確認されていて、この地でも小規模な戦闘があったようだ。
 城山公園からは、東海地方で一番古い窯址が見つかっている。それによって、この地が東海地方の窯業発祥の地とされている。
 明治にいったん名古屋県に取り込まれた後、昭和45年に尾張旭市となって今に至っている。人口は8万人弱。

渋川神社-2

 最初に訪れた渋川神社に入ってびっくり。なんだか大規模な工事がなされていて、境内は仮住まいの佇まいを見せている。一体、何事? こんなに工事真っ最中の神社というものを初めて見た。しばし呆然と立ち尽くす。事情がさっぱり分からない。
 帰ってきてから調べて謎が解けた。平成14年(2002年)の5月に、社殿から出火して、本殿と拝殿が焼け落ちてしまったそうだ。そういえばそんなニュースをちらりと耳にしたようなかすかな記憶がある。けど、5年前の私は神社仏閣にまったく興味がなかった頃だから、そんなニュースも耳を素通りしていた。今ならもっと心を痛めていた。
 焼ける前の本殿は、1663年に再建されたものだったというから、一度は見ておきたかった。江戸時代初期の建物といえば、このあたりではかなり貴重だ。
 現在は、写真にある仮本殿が建てられて、奥では大がかりな本殿建築が進んでいた。工事は平成17年から始まって、平成20年に完成予定だそうだ。ただ、すべての工事が終わるのが平成22年というから、まだだいぶ先になる。神様も避難所生活のような落ち着かない日々が当分続きそうだ。

渋川神社-3

 完成予定図を見ると、なんだかすごい立派な神社になりそうだ。前からこんなふうだったとは思えない。写真で見る本殿はもっとこじんまりしている。場所も少し移動するようだ。
 もともと境内の敷地はかなり広さがある。周りは樫の木や楠木、桧などの古木が鬱蒼と生い茂っていて雰囲気がある。来年の完成がちょっと楽しみになってきた。

 渋川神社は、景行天皇の時代に、高皇産霊大社を創始したことが始まりとされる。そのときはここより数百メートル西南にあったようだ。677年、天武天皇即位の大典にあわせて、この地へと移ってきた。
 祀神は、大年大神、御食津大神、庭高日大神、河須波大神、波比伎大神、大宮売大神、八重事代主大神の7柱。
 かつてこの地は、尾張国山田郡と呼ばれていて、山田郡の総社として広く信仰されていたといわれる。旧瀬戸街道を行く人々がここに立ち寄り、わき水を飲んで馬や体を休めたそうだ。織田信長が神殿を改修し、尾張藩主の徳川光友が神殿を再建している。江戸時代は蘇父川天神と称していた。
 昔はもっと大きな森に囲まれた広い敷地があったようだけど、現在は宅地開発で規模がかなり縮小した。昭和34年の伊勢湾台風はこの地にまで被害を及ぼし、樹齢300年以上の檜の大樹など数十本をなぎ倒したという。
 例大祭は10月15日に近い日曜日で、尾張旭の棒の手保存会の実演も境内で行われる。初詣客でも賑わうそうだ。
 全国的には大阪の八尾市にある渋川神社が有名のようで、ネットで検索するとそちらがたくさん出てくる。こことの関係はあるのかないのか、よく分からなかった。

尾張旭の藤咲き始め

 長池のほとりにある藤が早くも咲き始めていた。ここには藤棚が4つほどあって、毎年ゴールデンウィーク前後に楽しむことができる。今年は少し早めのようだ。5月まで持たないかもしれない。
 桜が終わっても、まだまだ花の季節はこれからが本番だ。
 まだまだといえば、私の尾張旭神社仏閣巡りの旅もまだ始まったばかり。その気になれば10やそこらは朝から回って一日で制覇できるのだろうけど、それではあまりにもあっけなくてつまらない。今年いっぱいくらいののんびりした気持ちで巡っていこうと思っている。
 全部制覇したあかつきには、きっと尾張旭の総神様から何かご褒美があるかもしれない。BIGくじの6億円が当たったら、10万円ずつ各神社に賽銭を投げに行こう。




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