現身日和【うつせみびより】
この世界にはたくさんの美しいものや面白いものがあることを知るための毎日であれば、それは楽しくて幸せなこと。
移り変わる時代と変わらない人の本質を思った東慶寺訪問
2007年05月11日 (金) | 編集 |
東慶寺-1

PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-50mm(f3.5-5.6 AL), f7.1 1/40s(絞り優先)



 尼寺へ行け、尼寺へ。と、言われたわけでもないけれど、私たちは元尼寺だった東慶寺(とうけいじ)へとやって来た。円覚寺が旦那の北条時宗の寺で、道一本隔てた向かいのこの寺は奥さんの覚山尼(かくざんに)のお寺だ。
 時宗が34歳で死んだ翌年(1285年)、時宗の菩提を弔うために覚山尼が開いた。開基は息子で第九第執権の北条貞時。貞時は父の早世で14歳で執権職を継ぐことになる。覚山尼は時宗が生前にすでに一緒に出家しているので、死後に剃髪して尼僧になったわけではない。
 覚山尼は堀内殿と呼ばれ、内助の功で時宗をよく支えたといわれている。1306年に亡くなり、円覚寺の仏日庵に埋葬されたのち、現在は東慶寺の裏山に墓所を移されている。
 代々名門出身の住職が多く、第五世の用堂尼が後醍醐天皇の皇女だったことで、格式の高い尼寺として知られるようになっていく。そのときに松ヶ岡御所と称され、以来、松ヶ岡といえば東慶寺のことを指すようになった。
 正式名は「松岡山東慶総持禅寺(しょうこうさんとうけいそうじぜんじ)」。室町時代には鎌倉尼五山の第二位にまで格式が上がった。一位は太平寺で、以下は国恩寺、護法寺、禅明寺。現在は東慶寺以外は残されていない。
 二十世住職の天秀尼 (てんしゅうに) は、豊臣秀頼の娘だった。大阪夏の陣で豊臣家が滅亡した際、徳川家康が死なせるには忍びないということで、7歳の千代姫をここ東慶寺に預けたのだった。そのこともあって、江戸時代には更に寺格が上がった。
 ちなみに、ここの地名「山の内」は、のちに長尾景虎(上杉謙信)に家督を譲った関東管領山内上杉家の居館があったことからそういう地名となった。このあたりをみても、歴史というのは確かに連続しているのだということを知る。

東慶寺-2

 グレープと聞いて反射的にさだまさしの銀縁メガネを思い浮かべてしまうのは30代、40代。ファンタグレープとかのグレープを連想するのはそれ以下となるだろうか。 ♪今日鎌倉へ行って来ました 二人で初めて歩いた町へ 源氏山から北鎌倉へ あの日と同じ道程で たどりついたのは縁切寺♪ あの縁切寺は、ここ東慶寺のことだ。ばんばひろふみのバンバンが歌っていた印象が強いという人もいるだろう。
 もともとは当時弱い立場だった女性を守るために、覚山尼が寺を頼ってきた女の人を守ったことが始まりだった。のちに「縁切寺法」を定めて、勅許を得て、ここは「駆け込み寺」や「縁切寺」と呼ばれるようになる。昔は女性の側からの離婚が一切認められていなかったため、どんなにひどい結婚にも耐えるしかなかった。それを見かねて、いくつかの尼寺が同じような制度で女性を救ったという歴史がある。
 夫と別れたい妻は、東慶寺に入って三年間修行をすれば離婚が成立するというものだった。このシステムが何故そんなにありがたかったかといえば、出家して尼にならなくてもよかったという点だ。剃髪せずに3年間寺で過ごせば離婚ができて、一般人として社会に戻っていくことができた。出家してしまえば結婚も何も関係なくなって夫と別れられるものの、それでは意味がない。みんながみんな出家したいわけではない。
 最初は軽く見ていた旦那衆も、強引に取り返そうと東慶寺へ押し入ったことでお家取り潰しになるという事件が起きて以来、ここはアンタッチャブルな聖域となった。江戸期だけでも2,000人以上が救いを求めてやって来たというから実際にきちんと機能していたということだろう。
 ただし、何が何でも最初から離縁させることが目的ではなくて、あくまでも話し合いの場を設けることが建前で、今でいう家庭裁判所の離婚調停的な場でもあったといわれている。
 逃げられ亭主の元には呼出状が届けられ、夫は仕方がなく「三下り半(離縁状)」を持って東慶寺へとやって来る。中には話し合いで解決して帰っていくケースもあったようだけど、やはりここまで逃げてくるのに相当な覚悟を決めている場合が多くて、たいていは離縁となったようだ。なんでそうなったのか、最後までさっぱり理解できない亭主もたくさんいたことだろう。そういうところは昔も今も、あんまり変わってないような気もする。
 明治6年(1873年)に、法律で女性から離婚請求ができるようになるまでの600年近く、この縁切寺法は存続し続けた。男女同権というのはつい最近の話だ。
 明治36年に尼寺から男僧の寺となり、今に至っている。現在は尼寺でも縁切寺でもないので、安心してカップルで入っても大丈夫だ。と、思う。ご利益としては、浮気封じと、何故か禁酒、禁煙だそうだ。

東慶寺-3

 花の寺としても知られる東慶寺は、春から冬まで花の絶えることがない。早春のロウバイから始まり、梅の名所でもあり、桜、ボタン、アジサイ、花菖蒲、コスモス、水仙へと続いていく。訪れたときは、十二単(ジュウニヒトエ)やタツナミソウが満開で彩りを添えていた。5月の下旬から6月にかけては珍しいイワタバコ(岩煙草)が崖にびっしり花を咲かせる。花菖蒲とあわせて、それがここのひとつの名物となっている。
 長く尼寺だったことで、全体的に女性らしい繊細な心配りの感じられる境内だった。その空気感に惹かれてか、頭の固い男連中がこの寺の墓に眠っている。西田幾多郎、和辻哲郎、鈴木大拙、高見順、小林秀雄、神西清……。みんなカタブツのおっさんばかりではないか。生きている間は小難しいことばかり考えていたから、最後は母親のような大きな愛に包まれて眠りたいと願ったのかもしれない。 

東慶寺-4

 拝観料は100円。他の円覚寺や建長寺と比較すれば妥当なところか。
 建物としてはあまり見るものがない。写真は本堂である「泰平殿」で、これは昭和10年に再建された新しいものなので、ありがたみはあまりない。
 もともとの仏殿は、明治40年に横浜の三渓園(さんけいえん) に移築されてしまってここには残っていない。あちらは室町時代後期に建てられた国の重要文化財なので、ずっと価値が高い。茅葺き屋根で宗様(唐様)の代表的建築物なので、もしここにあればこの寺ももっと人を集めただろうに。
 見どころとしては、宝物館の「松ヶ岡宝蔵」がある(300円)。聖観音立像(鎌倉尼五山一位の太平寺の本尊)、葡萄蒔絵螺鈿聖餠箱(ぶどうまきえらでんせいへいばこ)、初音蒔絵火取母(はつねまきえひとりも)などの国の重要文化財や、実際の縁切り状などが展示されている。
 鈴木大拙(世界に禅を広めた人物)が住んでいた松ヶ岡文庫もあるけど、こちらは非公開となっている。
 現在寺にある梵鐘は、戦国時代に補陀落寺(ふだらくじ)から分捕ってきたもので、もともとあった鐘は伊豆の韮山にある本立寺に現存しているという。どういう経緯だったのかは知らないけど、長い歴史の中ではいろんな移り変わりがあるものだ。

東慶寺-5

 泰平殿の中には1515年の火災をのがれた本尊の釈迦如来像が安置されている。両脇には、覚山尼像と用堂尼像が祀られている。
 本堂の隣には水月堂の名を持つ観音堂が建っていて、中に水月観音菩薩半跏像がある。写真で見る水月観音は、なんとも美しくて心惹かれる。鎌倉で美男の代表が長谷の大仏で、美女の代表は東慶寺の水月観音といわれているそうだ。正直、仏像を見て本気で美しいと思ったのは初めてだ。写真でそうなのだから実物を見たらどう感じるんだろう。水無月観音を見るには事前申し込みが必要だそうだけど、もし次に行く機会があれば、ぜひお願いして見せてもらいたい。

東慶寺-6

 駆け込み寺、縁切寺というと、暗くて重たい歴史と思うけど、それはここに至るまでの話で、尼寺の中は案外華やいだ雰囲気の女の園だったんじゃないだろうか。みんなでダンナの悪口を言って盛り上がっている場面が頭に浮かぶ。女性はいつの時代もたくましい生き物だから。中にはダンナの方が気の毒なようなケースもあっただろう。
 どんな時代にもいいところと悪いところがあって、その中で人はときに強く、ときに健気に生きていく。つらいことばかりじゃない、楽しいこともたくさんある。悪いことのあとにはいいこともある。戦に明け暮れていた時代にも、みんな恋をして、冗談を言って笑い、美味しいものを食べて、怠けて叱れたり、喧嘩して仲直りしたり、死や別れに涙したに違いない。いつの時代も、人の本質は変わらない。
 切れた縁は別の縁に結びつき、人の命と想いは次の世代とつながっていく。あれから700年以上の歳月が流れた。今私たちは仮初めの平和の中で、実感しにくい幸福と共に在る。過去を知ることが、現在の自分の幸せを知ることにもつながるから、歴史を振り返ることにも意味はある。
 時宗夫妻が幸せだったかどうかは私たちが決めることではない。けれど、彼らの思いや願いが今の時代にまで続いていることは幸せなことだ。21世紀を生きる多くの人々を惹きつけてやまない。彼らの寺を訪ねたことで、私もふたりと縁がつながった。そのことを私は嬉しく思っている。




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