現身日和【うつせみびより】
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鎌倉は源氏ではなく北条氏のものだったのだと浄智寺で気づく
2007年05月13日 (日) | 編集 |
浄智寺-1

PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-50mm(f3.5-5.6 AL), f7.1 1/10s(絞り優先)



 北鎌倉名所巡りは、一番上の円覚寺から始まって、東慶寺、浄智寺へと続く。入口が少し分かりづらくて見逃して通り過ぎてしまいそうになるけど、ここもいいお寺なので北鎌倉へ行ったときはぜひ寄っておきたい。
 鎌倉って実際にどんなところなのかを詳しく説明できる人は、案外少ないんじゃないだろうか。私も行く前はそうだった。いい国作ろう鎌倉幕府の源頼朝や義経のものだろうくらいに漠然と考えていた。その後にことは興味なくて知らないも同然だった。
 実際に巡ってみた鎌倉は、北条のものだった。少なくとも、今残っている史跡に関しては源氏色よりも北条色の方が圧倒的に濃い。鎌倉幕府は、北条家のものだったんだなと今さらながらあらためて思った私なのであった。
 ついでなので鎌倉時代についてさらっとおさらいしておこう。
 それまで圧倒的に支配をしていた平家を源義経たちが中心となって武力で倒して、鎌倉の地に武士で初めて幕府を開いたのが源頼朝だった。平家は支配はしていたけど幕府は開いていない。京都の朝廷に入り込んで、その力を利用して権力を握っていた。
 鎌倉幕府というのはけっこう特殊な形態で、京都の朝廷があって、鎌倉に幕府があるという二元構造になっていた。その上で、全国に守護を置いて、地方の支配者たちに土地を与えるというゆるやかな形を取っていた。本当の意味で全国制覇を成し遂げたわけではない。平家を倒しただけで、全国支配のための戦はしていないから、戦国時代のような武力支配とは違う。いざとなれば主従関係を結んだ地方の武士たちに動員をかけられる権利を持っていただけだ。それがいわゆる「いざ鎌倉」というやつで、モンゴルが攻めてきたときにそのシステムが機能した。
 ところで、初代将軍の源家はその後どうなったんだろうと思っている人は多いんじゃないだろうか。鎌倉時代というのは、戦国や幕末のように派手じゃないから、あまりドラマや小説に描かれることがなくて、学校の勉強を怠けた人はあやふやな知識のまま大人になってしまってそれっきりになりがちだ。なんだかんだで140年以上も続いたんだから、その間にいろんなドラマがあったに違いなくて実際にあったのだけど、そのあたりの細かいところまで書いていると長くなるので全面的に省略してしまう。
 結局、源直系は3代で途絶えてしまって、実質的な権力は将軍職から執権職へと移っていった。初代の執権は、頼朝の奥さんだった北条政子のオヤジさんの北条時政だ。このおっさんはかなりの暴れん坊で、2代将軍の頼家を追放した上で謀殺したり、更に3代将軍実朝を暗殺して娘婿の平賀朝雅を将軍に立てようとしたのを政子や息子の義時にとがめられて追放を食らったりした男だった。
 その後将軍職は形だけのものとなっていく。京都から皇族を呼び寄せて一応格好をつけるだけとなり、執権である北条家は有力御家人を次々に排除していって、ますます権力を強めていくこととなる。
 そんなこんなで時は流れて、最後は武家や民衆の不満が高まって、それを利用した後醍醐天皇の画策によって鎌倉幕府は倒される。楠木正茂や護良親王、足利高氏(尊氏)たちの活躍もあって、1333年、執権北条高時たち一族280人あまりが東勝寺で自害して鎌倉幕府は滅亡したのだった。
 その後は、後醍醐天皇と足利尊氏の室町幕府による南北朝時代へと移り変わっていくのだけど、それはまた別の話。
 以上がものすごく端折った鎌倉時代の復習だったのだけど、このアウトラインを頭に入れながら鎌倉巡りをすると、また違った感興もわいてくると思う。意外にも源氏色が薄いのにも納得がいくだろう。

浄智寺-2

 そんなわけで浄智寺だ。
 これは五代執権北条時頼の三男宗政が29歳のときに早死にして(1281年)、その菩提を弔うために死んだ宗政と息子師時を開基として妻が建立したということになっている。実際は、当時執権だった兄の時宗(円覚寺を作ったあの人)が全面的に力を貸して建てたといわれている。兄は弟思いで、たいそう嘆いたそうだ。
 開山は当初南州宏海だったはずが、自分には荷が重すぎるということで中国にいる兀庵普寧(ごったんふねい)と導師の大休正念を開山にしている。謙虚というべきか、そんなにびびるなよというか。
 鎌倉時代は夢窓疎石などの名僧が住職になったり、北条氏の庇護があったりで大いに栄えたという。最盛期は塔頭11院、敷地3万5千坪もあり、鎌倉五山の第四位となった。
 鎌倉幕府滅亡後もしばらくは勢いを保っていたものの、戦国時代あたりになると鎌倉の地自体がさびれてしまったこともあって、少しずつ規模が縮小していった。大正12年の関東大震災では伽藍の大部分が倒壊してしまった。なので、現在の建物は昭和になって再建されたものが多い。それでも、境内の空気は濃密な静けさに満ちていて落ち着きがある。安っぽさや浮ついたところがない。小津安二郎監督もここが好きでよく訪れたそうだ。

 この寺は、広がりがあまりなくて奥行きがある。渡れない太鼓橋の横を通って短い石段を上がると、まずは「寶所在近」の額を掲げた総門が待ち構える。お宝は近くにあるぞチルチルミチル、という意味だ。杉木立や草木に囲まれて、入口からして緑がすごいことになっている。
 次に見えてくるのがちょっと変わった三門だ。中国風の作りで、二階に鐘が吊り下げられている。額には「山居幽勝」とある。山深いこの地は幽玄の素晴らしい世界だよってな意味だろうか。このへんの建物は新しいものなので、歴史的な価値という意味ではありがたみは低い。さらっと通る。
 その奥に本尊である阿弥陀、釈迦、弥勒の三世仏を安置する曇華殿(どんげでん)と呼ばれる仏殿がある。これは15世紀作と古いもので、それぞれが過去、現在、未来を表しているのだそうだ。
 曇華というのは、普通ならダンドクというカンナの花のことだ。ただ、この場合は優曇華(うどんげ)のことで、仏教で三千年に一度花を開くという想像上の植物のことを指しているのだろう。めったにない珍しいもののたとえとしても使われる用語だそうだ。ただし、優曇華の花というのは実際に普通にある花で、葉の先に細い糸から伸びた卵がつくことがあって、それを昔の人は花と勘違いした。本当はクサカゲロウの卵だったのを。
 石段の脇には、鎌倉十井のひとつ「甘露ノ井(かんろのい)」がある。この地は海に近いからよいわき水が少なかったそうで、きれいな真水は貴重だった。
 左側の出口から抜けると、葛原が岡、源氏山公園へと続くハイキングコースが始まる。源氏山公園まで30分くらいのようだ。

浄智寺-3

 奥に進むと、布袋さんがいる。江ノ島七福神めぐりのひとつがここにある。
 腹にさわると幸せになれるというので、みんな触っていく。いつの間にか布袋さんは腹黒に。顔は笑っているけど腹は黒い。人の悪い暗黒部分を引き取ってくれているとも言える。
 他の七福神は、鶴岡八幡宮(旗上弁財天)、宝戒寺(毘沙門天)、妙隆寺(寿老人)、本覚寺(夷尊神)、長谷寺(大黒天)、御霊神社(福禄寿)、江島神社(江ノ島弁財天)にいる。って、八人いるぞ?

浄智寺-4

 境内は緑豊かで、古木も多い。市の天然記念物のビャクシンは、太陽も覆い隠すほどに力一杯枝葉を伸ばしていた。ここの空気は、歴史の積み重ねと、これらの木々が作り出しているのだろう。
 他にも件で一番大きなコウヤマキや(高野槙)、タヒチガン桜、沙羅双樹などが立っている。季節の花は、地面のものよりも樹木が多そうだ。臘梅、梅、海棠、牡丹、白雲木などなど。

浄智寺-5

 ちょっと印象的だったのが、ここ。「やぐら」という横穴式の墓地で、岩を直接くり抜いて作っている。あまりやわそうな岩ではないけど、トンカチトンカチ削ったのだろう。こういうのは初めて見た。鎌倉から室町時代にかけて流行った様式なんだそうだ。全国的にはあまり見かけなくても、鎌倉ではけっこうあちこちにあるんだとか。
 近年は昭和初期くらいまで、薪や木炭などを保管しておく場所として利用されていたらしい。

浄智寺-6

 浄智寺訪問の理由のひとつに、ここを訪ねることがあった。ああ、こんなところに、澁澤さん。フランス文学を愛したディレッタント澁澤龍彦が、純日本風のお寺に眠る。なんて素敵な皮肉。三島由紀夫も大笑いしていそうだ。
 墓地の苔むした石と木漏れ日が揺れて当たる中で、どんな夢を見ているのだろう。あの世でも相変わらずの読書三昧だろうか。静かに本さえ読めれば洋風でも和風でもなんでもいいのさって思ってるかな。生きていれば今年で79歳。老眼だろうがなんだろうが、まだまだ本の読める歳だ。まだいっぱい読み残した本があっただろうに。それよりもっと小説をたくさん書いて欲しかったな。『うつろ舟』や『高丘親王航海記』みたいなやつ。
 思えば、会いたい人はみんな向こうへ行ってしまった。

 歴史は流れる。途切れることなくつながりながら。あの時代がなければ今の時代はなく、今の時代がなければ未来はない。正解も間違いもなくて、みんなそれぞれが一所懸命だっただけだ。よかれと思ってやってきた。
 遠かった鎌倉時代が、鎌倉訪問によって少しずつ身近なものになりつつある。今頃になってようやく、平安時代から室町時代をつなぐ鎌倉時代というのが見えてきた。源平合戦だけが鎌倉ではない。北条こそが鎌倉の中心だったことを初めて実感した。
 私の鎌倉行きはまだ始まったばかりだ。行く前は得体の知れない恐怖感のようなものに腰が引けていたけど、もう大丈夫、怖くなくなった。行ってみて拒否されているような感覚もなかったから、これからはもう少し気軽に出向いていこう。見たいところや行くべきところはたくさんある。
 とまずその前に、今回の鎌倉巡りについてのまとめも、まだ半分残っているぞ。何、次のことを考えてるんだ。このあとも明月院、建長寺、鶴岡八幡宮、長谷寺、大仏などについても勉強して書かないと。
 というわけで、まだしばらく鎌倉シリーズは続きます。ちょっと勉強っぽくなってしまってるけど、私と一緒に鎌倉を学びましょう。




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