現身日和【うつせみびより】
この世界にはたくさんの美しいものや面白いものがあることを知るための毎日であれば、それは楽しくて幸せなこと。
時間がないからフィルム写真の残りをあり合わせ的に
2007年06月30日 (土) | 編集 |
フィルムの残り-1

Canon EOS Kiss3+TAMRON SP 90mm f2.8+Kodak ULTRA COLOR 400UC



 明日は早起き早出で今日は時間がないので、フィルムの残り写真でお茶を濁す。それは手抜きではないかとあなたは言うかもしれない。正にその通り! ザッツ・ライトなわけです。

 顔を洗うアイ。猫が顔を洗うと次の日は雨という迷信があるけど、あれは正しくない。アイはあまり顔をひんぱんに洗う方ではなくて、気が向くとときどき洗ってる程度だけど、それを見かけた翌日が雨だったということはほとんどなかった。あれはどこから来た迷信なんだろう。根拠はあるんだろうか。

フィルムの残り-2

 アイの得意技の一つ、ごろりん攻撃。部屋の中ではしないのに、外に出たとたん、ごろんと転がって、人の足の上に乗ってくる。相手をしないと一人でゴロゴロ転がっている。コンクリートの感触が好きなんだろうか。部屋の中では転がらないのはなんでだろう。
 猫それぞれのクセは面白いけど、その理屈はよく分からない。何か考えがあってのことなのか、何も考えてないのかも判断がつかない。

デジでアイ

 これだけデジ写真。フィルム写真とデジ写真を並べてみると、写真の質感がまったく違うことがあらためてよく分かる。デジの方がクリアだけど、どこか平板で深みがない。
 最近のアイは、クーラーの風から逃れるために、クーラーのあたらないところを探して、そこで寝ている。イヤになるとベランダへ出て行く。やっぱり猫はクーラーが嫌いだ。好きなやつもいるかもしれないけど、私がつき合ってきた猫はみんなクーラーが好きじゃなかった。無理矢理冷やされた空気に違和感があるのだろう。でも、暑さはたまらないから、猫としても難しいところだ。

フィルムの残り-3

 ヨコバイの仲間かなと思うんだけど、これは黄色でちょっときれいだった。時間がないから名前は今度調べよう。

フィルムの残り-4

 飛び跳ねる小さな虫は全部バッタだと思うのは間違いだ。イナゴとかヤブキリとかキリギリスとかいろいろいる。イナゴも種類がけっこういて、見分けるのはなかなか難しい。写真のこいつはイナゴだろう。何イナゴかはまたそのうち。バッタの勉強も進んでいない。

フィルムの残り-5

 トキソウの群生。こんなにたくさん咲いてると、ちょっとありがたみがないくらいだ。
 築水池湿地の柵で囲われた遠くに咲いている。道ばたなら持っていかれてこんなに残らなかっただろう。築水池に写真を撮りにいくときは、マクロレンズだけでなく望遠も持っていった方がいい。

フィルムの残り-6

 夏本番を迎える前に咲く、オレンジ色の花、ノウゼンカズラ。この花を見ると、7月を思う。もうすぐ真夏がやってくる。
 しかし、この床屋さん、ノウゼンカズラが咲き始めると、料金体制がシークレットになる。ある意味営業妨害とも言えるかもしれない。床屋も金額にバラツキが大きくて、飛び込みで入るのは危険な店の一つだ。

 今日はここまで。フィルム写真で使えるものは全部使うことができてよかった。またフィルムでいろいろ撮りたくなってきたら、銀塩カメラを持ち出そう。次はフィルム写真が似合う風景写真を撮りたい。東京の下町なんかもよさそうだ。


21世紀もフィルムカメラを使ってこの時代の空気を写し撮ろう
2007年06月30日 (土) | 編集 |
フィルムのグリーンピア-1

Canon EOS Kiss3+TAMRON SP 90mm f2.8+Kodak ULTRA COLOR 400UC



 海上の森で撮りきれなかった36枚撮りフィルムの残り半分を使うために、春日井にある無料植物園「グリーンピア春日井」へ行った。困ったときはグリーンピア。ここへ行けば一年中、何か撮るものがある。入園も駐車場も無料で、夕方6時まで開いているのがありがたい。
 6月はハナショウブだ。時期的にはもう終わりのはずが、ここのは全盛期という感じで咲いていた。これはいいやと一枚撮る。もう一枚撮ろうかと思ってやめた。デジならここだけでいろんな角度から10枚は撮ってるところだ。
 それにしても、フィルムで撮った写真はなんだか昭和っぽい。上の写真も、昭和58年に撮られたものだと言われたらそのまま信じてしまいそうだ。右下あたりに1985.6.29なんてオレンジの日付が入っていても違和感がない。日付の印字というのも今ではほとんどやらなくなった。

フィルムのグリーンピア-2

 入口から入ってすぐの、水の流れがある花壇。「カナール」というらしいのだけど、どこからどこまでがカナールなんだろう。こういう流れる水のある花壇のことをカナールというのだろうか。
 右手前には「緑の相談室」がある。常駐している相談員が、緑に関する相談に乗ってくれるそうだ。予約をすると家まで出張してくれるサービスもあるらしい。私は中に入ったことがないからよく分からないけど、花に限らずいろいろな展示会のようなものもおこなわれているんだとか。
 花壇の向こうに「花と緑の休憩所」という温室兼レストハウスがある。温室では季節の花々が植えられていて、冬でも花がなくなることがない。フラワーショップ、レストラン、ソフトクリーム売り場などもある。ここのソフトはけっこう美味しいそうだ。レストランのランチは安くてボリュームがあって、味もなかなかとか。メニューも豊富で、1,000円出せばおなかいっぱいになるまで食べられる。
 温室の奥には動物ふれあい広場があって、ポニーやウサギ、ヒツジ、シマリスなどがいる。第2、3、4日曜は動物と触れ合えるイベントもあるそうだ。
 花のプロムナードでは、バラ園、ハーブ園、見本庭園などが点在していて、芝生広場とアスレチック遊具、ログハウスなんかもあったりする。
 近場の人にとっては安上がりな遊び場として子供を遊ばせるには最適の場所だ。大人も花に興味があれば楽しめるし、写真に撮るものも多い。グリーンピアに隣接している池でボート漕ぎもできる。

フィルムのグリーンピア-3

 アジサイも終わりかけながら、まだそこそこ咲いていた。ここは全体的に花が少し遅い気がする。山の近くということで街中よりも気温が低いのだろうか。標高も少し高い。
 白いガクにショッキングピンクのスプレーを吹き付けたようなガクアジサイ。ネームレートなどはないから品種名は知りようがないけど、ちょっと珍しい色だった。これは鎌倉でも見なかった。品種改良の途中で不完全になったものを、これはこれで面白いからいいやと思ったのかもしれない。

フィルムのグリーンピア-4

 バラも少しだけ咲き残っていた。このバラはなんという名前だったか。覚えたつもりだったのに忘れてしまった。フィルムはメモ撮りなんて贅沢なことはできない。フィルムで写真を撮るときは、ポケットサイズのコンパクトデジを併用したいところだ。デジタル一眼と両刀遣いはちょっと大げさすぎる。

フィルムのグリーンピア-5

 今の時期の温室にはあまり心惹かれる花が咲いてなくて、その中でちょっといいと思ったのがこれだった。温室育ちだけに暖かい国の園芸品種なんだろうけど、名前の調べはつかなかった。どこかで見た覚えがあるようなないような。

フィルムのグリーンピア-6

 ハナショウブの野生種であるノハナノショウブが池の周りに植えられて咲いていた。水辺に咲く花ではないけど、ハナノショウブも水際がよく似合う。
 ノハナノショウブは、ハナショウブに比べると色や花の形もシンプルな分、野性的な美しさがある。これ以上改良しなくても充分きれいだ。

フィルムで築水池-1

 グリーンピアのすぐ近くにある築水池湿地にも寄った。ここの湿地も、春から秋にかけて珍しい花々を咲かせる。今の時期の二大スターは、トキソウとカキランだ。
 まずはカキランから。花の色が柿色ということで付けられた名前だけど、実際は黄色とピンクのコントラストが渋くて美しい。遠くで見るよりも近くで見るとその魅力がよく分かる。これでも立派な野生のランだ。
 北海道から九州にかけての湿地帯に自生している。野生ランにしてはやや大きめで、50センチ前後の草丈に10個前後の花をつける。近年はだいぶ数を減らしてきているそうだ。

フィルムで築水池-2

 初夏の湿地帯のヒロインはトキソウだ。サギソウが花の形から名づけられたのに対して、トキソウは花の色がトキ(朱鷺)の羽の色に似ているところからきている。そしてトキ同様、絶滅へと向かっているといわれている。ただ、築水池では群生といっていいほどたくさん咲いていて少し安心する。
 北海道から四国あたりまでの湿地に咲くランで、園芸用としても花屋で売られている。姿の美しさから盗掘も多い。

フィルムで築水池-3

 あ、人面グモだ。夕方で暗いところにいたから手ぶれしてしまったけど、人の顔っぽさは写った。ひとりで撮りながら笑えた。

 これでようやく36枚撮りを撮り終えて、やれやれと思う。たった36枚の道のりが遠かった。デジのメモリが36枚しかなければ、36枚しか撮れないのかと焦るのに、フィルムだとなかなか残り枚数が減っていかない。
 デジとフィルムの一番大きな違いは、写真の出来上がりではなく、撮る側の姿勢ということになるのだろう。最初から心構えが全然違ってくる。結果的にそれは写真の出来にも表れる。良い方に出れば気持ちのこもった一枚になるし、悪い方に出れば無難な写真になる。デジなら生まれる冒険心も、フィルムになると影を潜めがちだ。意外性のあるいい写真というのも生まれづらい。フィルムで撮ると一枚を大事にする心は取り戻せるけど、その間にたくさんの写真を失うことにもなる。デジで何気なく撮った写真が帰ってきてPCで見たら思いがけずいい写真だったということもよくあることだ。
 最初から分かっていたように、結論としては、フィルムにはフィルムのよさがあり、デジにはデジのよさがあるというところに落ち着く。どちらかが絶対に優位ということはない。時と場所によってどちらが適しているかを見極めて使い分けていくのが一番だ。
 ネット注文で現像とCD-R書き込みセットが500円のところを見つけたから、これからはもう少しフィルムの割合を増やしていこうと思っている。多少邪魔くさくても、両刀遣いという手もある。フィルムをメインにしつつデジで補足的に撮っていくことができれば、両方のよさを引き出せるだろう。
 フィルムは時代遅れだけど、だからといってもう使う価値のない古い道具というわけではない。流行り廃りとは違うし、過去の遺物と決めつけるのは早い。デジとは違った楽しさがあることも確かだ。デジタルから写真に入った人も、もう一度フィルムを使ってみると、写真を撮るのがもっと好きになるんじゃないだろうか。特にデジタル一眼を使ってる人がフィルム一眼へ戻ってみると、新たな発見もあると思う。
 フィルムの銀塩カメラは、案外21世紀を生き延びるかもしれない。


フィルムの功罪とデジの良し悪し ---フィルムで切り取る6月の風景第一弾
2007年06月29日 (金) | 編集 |
フィルムの6月

Canon EOS Kiss3+TAMRON SP 90mm f2.8+Kodak ULTRA COLOR 400UC



 たまにはフィルムで写真を撮ろうと、EOS Kiss3を持って海上の森へ向かった。しかし、相変わらずの貧乏性で、一枚撮るのにえらく時間がかかって、しまいには指が震える始末。固まった指が動かない。それが手ぶれを生み、貧乏的な失敗を何枚か重ねつつ、結局36枚撮りフィルムの半分しか撮れずにすごすご帰ってきてしまったのだ。貧乏は人をダメにする。貧すれば鈍するというのは本当だ。
 貧乏はともかくとして、やはりフィルムは1枚の重みが違う。失敗できないと思うと、シャッターが切れなくなる。構えてファイダーをのぞいてはやめて、またカメラを向けてはこんなもの撮ってる場合じゃないと思いとどまる。デジならとっくに10枚は撮ってるシーンで1枚も撮れないなんてこともある。
 逆にいうと、日頃自分がいかに適当にシャッターを切っていたかが、フィルムを使ってみると思い知る。デジの1枚は、いかにも軽い。メモリが大容量になって余計にそうなった。いくら撮ってもタダで、200枚でも300枚でも撮っていいとなれば、何も考えずにバシャバシャ連写してしまうのも無理はない。しっかり狙う前に、とりあえず押さえておこうという心理が生まれる。そして、気持ちのこもっていない写真になる。そんな自分を戒めるために、たまにフィルムで撮るのはいいことだ。初心に返ることができる。

 デジとフィルム写真の一番の違いは何かといえば、単純に言って質感ということになるのだろう。立体感とか奥行きとかいう言葉を使うこともある。少し前まではフィルムの方が解像感が上と言われていたけど、最近のデジは解像感でもフィルムに追いついた。場合によっては追い越している。そういう点では、はっきりとしたフィルムの優位はなくなったのかもしれない。
 それでもフィルムで撮りたいと思う人の気持ちは分からないでもない。趣味的なこだわりと言ってしまえばそれまでだけど、CDよりもレコードの音の方が好きだというのならそれはその通りなのだろう。他人がとやかく言うことではない。写真に関しても、やっぱりフィルムにはフィルムの味のようなものが確かにある。はっきりと違いを言葉で説明することはできなくても、違うことだけは分かる。
 たとえば上の写真なんかも、パッと見てデジではなくフィルムで撮った写真だなと思う。どこがどう違うのかと訊かれると困るけど、デジの写真ではないから消去法でフィルム写真だと思う。フィルムの方が柔らかいという表現をする人もいる。デジで同じシーンを撮ってもこういう写り方にはならない。好き嫌いは別にして。
 池に浮かんだ水草が、森の木々を反射した水面から浮き上がっているように見える。ちょっと不思議な感じがする。

フィルムの6月-2

 フィルムの難しさは、露出の難しさだ。デジは普段RAWで撮ってるから露出に関してはほとんど意識していない。オートで撮ってあとからPCでいくらでも調整できる。コントラストの強いシーンの白飛びだけ気をつけていればいい。けど、フィルムの場合はカメラに任せっきりでは失敗の確率がかなり高くなる。ネガはある程度調節がきくとはいえ、現像はカメラ屋の機械任せだから好みの仕上げなんて注文はできない。どちらかというとアンダーよりもオーバー気味に現像を出してくる。現像の段階で飛んでしまうと、もうお手上げだ。jpegデータになってしまった画像はあまり直しがきかない。
 上の写真も飛び気味で適正露出とは言えない。コントラストがかなりきついシーンだからフィルムでも厳しいとはいえ、もう少し撮る段階でマイナス補正するべきだった。このときは特に、画面左よりのクモの巣を被写体として撮りたかったのに、飛んだというか潰れたというか、ほとんど消えかけていてしまっている。実際は光に反射してとてもきれいだったのに。
 フィルムで撮っていると、あらためてピント合わせと手ぶれと露出という、写真を撮る上で最も大切な三要素を思い出さずにはいられない。

フィルムの6月-3

 フィルムでタムロン90を使うと、デジ以上に極薄ピントになって、難しくて面白い。ファインダーは銀塩カメラの方がクリアで見やすいから、マニュアルでピントを合わせるのは楽だ。ただ、虫なんかの動きがあるものはフィルムでは連写ができないから(機能的にはできるけど金銭的に無理)、デジよりも成功する確率はぐんと減る。飛んでるところを狙って下手な鉄砲も数打ちゃ当たる的な撮り方は決してできない。このあたりもフィルムからデジに移行して大きく事情が変わった点の一つだ。かつてはプロカメラマンがテクニックとフィルムを惜しまない財力でして撮り得なかったシーンを、今は一般人がデジで撮れるようになった。それはとても大きなことだと思う。
 このトンボは私の財力を見抜いたのか、長い時間かけて一枚撮るまでじっと動かずにいてくれた。偉いぞ、トンボくん。
 カワトンボの仲間だと思うんだけど、ニシカワトンボじゃないのか。シオカラ色でもなく、緑でもないから、ニシカワくんじゃなか。トンボの見分けも難しい。今年は少しくらい成長するだろうか。

フィルムの6月-4
Canon EOS Kiss3+SIGMA 70-300mm f4-5.6 APO

 この時期の海上の森の湿地帯に行くとよく出会う、ムカシヤンマだ。普通のトンボとは動きがずいぶん違うから、名前や知識がなくても、こいつなんか変わったやつだなと思うはずだ。飛び方がゆっくりでぎこちなくて、そもそも飛ぶのが好きでないらしく、いつも止まっている。ちょっと飛んだかと思うとすぐに止まってしまう。使えないバイトみたいなやつだ。人なつっこくもあって、よく人間の服や足もとなんかにもぶら下がって止まる。物怖じしないというか、根っから飛ぶのがイヤなのか。
 見た目はオニヤンマやコオニヤンマにちょっと似ている。サナエトンボかと思ったりもする。違いは、目が緑ではなく黒で、離れているところだ。口は黄色い。
 ムカシヤンマという名前の通り、大昔から地球で暮らしている大先輩だ。2億年前のジュラ紀の時代から恐竜と共に生きていた。その頃の遠い遺伝子の記憶を持っている彼らにしてみれば、人間なんて小さくて恐怖の対象ではないといったところかもしれない。
 幼虫はきれいなわき水のしみ出ている土やコケの下にトンネルを掘って、そこで小さな虫などを捕らえて食べながら5年ほどかけてゆっくり成長する。
 生息域はごく限られているから、街中などでは決して見ることはできない。そのへんの山道を歩いててふいに出てくるようなトンボでもない。いるところに出向いていかないとなかなか見るのが難しい。曇りの日はほとんど出てこず、日差しがあるときだけ飛ぶ。海上の森の湿地ならたぶんいるはずだから、ぜひ見に行って欲しい。近づいていけばきっと自分に止まってくれる。

フィルムの6月-5

 ハッチョウトンボの後ろ姿。ふわ〜んと撮れるのもフィルムの味。少しオーバー露出気味に。

フィルムの6月-6

 湿地に行くまでハッチョウトンボの季節になっているとは思ってなかった。そういえばもう6月も終わりだから、ハッチョウトンボも飛び始める季節だ。まだ数は少なかったけど、今年も海上の森の湿地にハッチョウトンボが生まれていた。それが嬉しくもあり、ホッともする。
 体長2センチにも満たない、日本で一番小さなトンボは、矢田の八丁目(今の名古屋市矢田川あたり)で見つかったからハッチョウトンボと名づけられた。だから、私にとっては地元のよしみみたいな親しさを感じる。生息地は本州から九州にかけてで、名古屋地方特有というわけではないのだけど。
 湿地帯へ行けば見ることができるトンボなので、それほど珍しいものではない。でも、初めて見るとあまりの小ささに感動すると思う。人は大きいものにも感動するけど小さいものにも感動するのだ。

フィルムの6月-7

 日本で一番小さなトンボがハッチョウトンボなら、日本で一番赤いトンボがこのショウジョウトンボだ。体だけでなく、目や鼻や口まで真っ赤に染まっている。にもかかわらず、こいつは赤トンボの仲間ではない。いわゆる赤トンボと呼ばれるアキアカネやナツアカネがアカネ属なのに対して、ショウジョウトンボはショウジョウトンボ属になる。仲間は、アジアだけでなく、中東、アフリカ、アメリカなどに広く分布している。
 猩猩(しょうじょう)というのは、人間の言葉を理解して大酒飲みでいつも真っ赤な顔をしているという中国の伝説上の生き物のことだ。このトンボは、その姿の赤さからショウジョウと名づけられた。

フィルムの6月-8

 湿地の夏といえば、このモウセンゴケも主役の一つだ。珍しい食虫植物で、葉っぱの毛先に付いた水滴から甘い匂いを出して虫を誘い、虫がとまったらくっつき虫のようにピタリを付いて取れなくなるから、そうやって捕まえて食ってしまうのだ。残念ながらまだその決定的なシーンは見たことがないから、いつか一度は見てみたいと思っている。
 モウセンゴケには、大きめのモウセンゴケと、小さめのコモウセンゴケの他に、東海地方特有のトウカイコモウセンゴケというのもある。写真のものは、コモウセンゴケか、トウカイかどちらだろう。
 トウカイコモウセンゴケはピンク色のとてもかわいい花を咲かせる。ただし、花は午前中だけで昼からは閉じてしまうため、行動時間が夕方の私は開いている花を一度も見たことがない。花が咲いてて虫を捕まえて食べているところが見られたら一番いいな。
 モウセンゴケ以外にも、イシモチソウやナガバノイシモチソウなどの食虫植物が日本に自生している。

フィルムの6月-9

 たぶん、ノイバラだと思うけど、自信はない。違うかもしれない。バラ科には違いないけど。花の感じはちょっとツバキっぽいか。でも、ナツツバキとは違うようだ。
 ノイバラとすれば、日本の野バラの代表選手だ。こんな野生のバラが、私たちの見慣れたバラになるのだから不思議というか、人間はちょっと花をねじ曲げすぎているかもしれない。
 ヤマイバラ、テリハノイバラなど、日本には十数種類の野生のバラがあるそうだ。よく観察しなかったけど、もしノイバラならちゃんとトゲも香りもあったはず。花を区別するときは、花だけではなく茎や葉や香りにも注意しないといけない。

 フィルムで撮る6月第一弾はここまで。36枚フィルムはこの時点ではまだ半分残っていた。あと半分は、日を改めてグリーンピア春日井に行ってきたので、そのときの様子はフィルムの6月第二弾で紹介したいと思っている。
 たった36枚撮るのに、ずいぶん時間と手間がかかってしまった。そして現像代とCD-R書き込みで1,160円。フィルム代を合わせると1,300円。日常的に写真を撮るとしたら、これは高い。10本も現像したら、ちょっとした中古のデジが買えてしまう。デジは一度揃えてしまったらどれだけ撮ってもタダというのが魅力だ。タダの代償があるにしても、フィルムのプレッシャーにはそうそう耐えられないものがある。こんな窮屈な撮影スタイルはイヤだ。趣味の写真なんだから、もっと気楽にいきたい。フィルムは3ヶ月に一度くらいにしよう。
 結論、貧乏性にフィルム写真は向かない。


日枝神社で山の神様と猿のまさるさんが東京の街を守ってくれている
2007年06月28日 (木) | 編集 |
日枝神社-1

PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f6.3 1/80s(絞り優先)



 赤坂にある日枝神社(ひえじんじゃ)に行きたいと思っていて、念願叶って行くことができたので、今日はそのことを書いてみたい。
 創建は鎌倉時代の初期に、秩父重継が江戸氏を名乗るようになって、山王社を自分の屋敷に勧請したのがはじまりとされている。更に太田道灌が江戸城を築城した際(1478年)に、川越山王社からも勧請して江戸城内へと移した。
 その後、徳川家康が江戸城に入ったとき、城内の紅葉山に移動させて江戸の鎮守とした。ここから日枝神社の繁栄が始まる。
 2大将軍秀忠が江戸城を改築したときに城外の麹町隼町に移される。おかげで江戸の庶民も拝むことができるようになった。
 1657年、明暦の大火で社殿が焼失したのをきっかけに、4代将軍家綱が現在の赤坂の地に遷座させた。ここは江戸城から見て裏鬼門に当たる位置で、表鬼門の神田明神と上野寛永寺と共に江戸城の守護として重要な役割を担うことになる。
 明治元年(1868年)に江戸から東京となった際、皇城(今の皇居)鎮護の神社となり、格付けも上がった。その後の天皇家ともゆかりが深い。社殿は国宝にもなったものの、昭和20年、東京大空襲によって消失してしまう。残念。現在の社殿は昭和33年に再建されたものだ。

 祭神は、あまり聞き覚えのない大山咋神(おほやまくひのかみ/おおやまくいのかみ)という神様だ。比叡山延暦寺と関係が深い。日枝(ひえ)神社というのは明治になってからの名前で、これは比叡山(ひえいざん)のもじりだ。大山咋神というのはもともと山の神様で、最澄が比叡山に延暦寺を創建したときにそのまま寺の鎮護神とした。「咋」は「主」という意味だから、文字通り大きい山の主ということになる。古事記の中では、大山咋神は須佐之男神(すさのおのかみ)の子供御子大年神(おおとしのかみ)の子供ということになっている。
 しかしどうして江戸に関西から山の神様を呼んでこなければいけなかったのだろう。謎だ。江戸城の守り神に山の神を招いた太田道灌の意図がちょっとよく分からない。
 江戸時代までは山王権現と呼ばれていた。これは比叡山の登山口にある日吉神社(ひよしじんじゃ)を天台宗風に呼んだ名前で、日吉権現ともいう。日枝神社も、江戸山王大権現だとか、山王さんなどと呼ばれて親しまれてきた。今でも日枝神社というよりも山王権現の方が通りがいいかもしれない。
 目印は、山の形をかたどった鳥居だ。山王さんだけに上に山が乗っている。
 こんなちょっとシャレの利いた日枝神社だけど、格式は高い。皇居の守り神でもあり、東京の街を守る鎮守さんでもある。首相官邸や国会議事堂から近いこともあって、議員なども参拝に訪れるようだ。格が高いから、下世話なお願い事をしてはいけないともいわれる。ここでは、今年こそ恋人ができますようにだとか、宝くじに当たりますようになんていうお願いはしない方がいい。山の神様だから全然関係ないし、せっかく参拝にいって神様の機嫌を損ねたらかえって損してしまう。
 御利益としては、厄除け、縁結び、商売繁盛などとなっているようだ。社員総出で初詣に訪れる会社も多いという。

日枝神社-2

 ここの神社はエスカレーターで参道を登っていくという世にも珍しいスタイルとなっている。これはびっくり。他にはちょっと聞いたことがない。たぶん、ここだけなんじゃないか。登っていくには石段が多くて大変なのは大変だけど、神社にエスカレーターはどうなんだと思う。お年寄りのためという名目だけど、実は国会議員の力が働いたような気がしないでもない。先生に長い石段を登らせるなんて以ての外とかなんとか誰かが言い出したのかもしれない。なんていいながら、私もせっかくなのでエスカレーターを使って登ってみた。そんなに年食ってないし先生でもないのに罰当たり。
 ただし、こちらは正式な参道ではない。幹線道路に面しているからあとから作った参道だろう。本来は山王鳥居の方から登るべきだ。帰りはそちらから下りていったけど。

日枝神社-3

 再建した社殿はコンクリート製でちょっと軽い感じがするものの、外観は家綱が建てた権現造りをかなり再現しているんじゃないだろうか。なかなか絢爛。これは悪くない。
 ちょうど結婚式がおこなわれていて、それをよけるようにしてお参りした。願い事はせず、やって来ましたよという挨拶だけにとどめる。ここがあの山王さんかぁという感慨を抱きつつ。

日枝神社-4

 本来、狛犬がいるべき場所にお猿さんがいる。名前を「まさるさん」という。いや、冗談じゃなくホントに。比叡山の大山咋神の使いは猿とされていて、神猿と呼ばれている。そこから魔が去るでまさるさんとなった。お守りとして「まさる守土鈴」も売られているそうだ。
 左右は夫婦の猿で、向かって左が女猿で、腕に赤ちゃん猿を抱いている。夫婦円満、子孫繁栄の御利益というのはここから来ているようだ。
 日吉で猿といえば、幼名日吉丸こと豊臣秀吉が思い出される。秀吉の母が日吉神社にお願いしたことで子供を授かったので、名前を日吉丸としたのだった。織田信長が秀吉のことを猿と呼んでいたのは、単に見た目や行動が猿っぽかったというだけではなくて、日吉神社の使いである猿と両方を掛けていたんじゃないだろうか。つまり、自分を神に見立てて、オレ様の家来の猿というわけだ。

日枝神社-6

 日枝神社のことを最近ニュースで目にした人はけっこういるかもしれない。ガッキーこと新垣結衣と舘ひろしが新ドラマ「パパとムスメの7日間」のヒット祈願をしたというのがあったし、その前に寺島しのぶがフランスと結婚式を挙げたのもここだった。実は両親の尾上菊五郎と富司純子が結婚式をしたのも日枝神社だったんだそうだ。結婚ということでは、江原啓之もここで式を挙げている。やはり相当スピリチュアルな神社ということか。

 山王さんといえばもうひとつ忘れてはならないのが、天下祭りとして知られる「神幸祭(じんこうさい」だ。徳川家光以来、歴代将軍が見学した祭りとして、神田明神と毎年交互に行われきた。将軍家から庶民まで江戸中をあげたお祭りとして現在まで続いている。今年は神田祭が表で山王祭りは裏となったものの、お祭り自体はあった。江戸時代は江戸三大祭りの筆頭であり、京都の祇園、大阪の天満まつりと共に日本三大祭りとされている(現在はいろんな三大祭りがあるけど)。
 豪華な山車がかつては江戸の町から江戸城まで、現在は東京の中心地を練り歩く。その他、古式ゆかしい衣装に身を包んだ行列などもあり、華やかで荘厳なお祭りとなっている。一般公募で選ばれた素人が信長、秀吉、家康の郷土三英傑に扮して名古屋市内を馬に乗って行進するちょっと笑える名古屋まつりとはずいぶん違う。

日枝神社-7

 こちらが正式な参道を登った先の入口にある神門だ。ここも左右に神猿がいる。
 かかっている額には「皇城之鎮」と彫られている。
 境内には拝殿の他、祈願所やお稲荷さんがある。稲荷さんの方には行かなかったけど、これは戦災を逃れたものらしいから、見ておけばよかったと帰ってきてから思った。

 日枝神社へ行くにはどの駅から行けばいいのか、判断に迷う。一番近いのは溜池山王駅なんだろうけど、地上に出てからちょっと分かりづらくて工事現場の人に訊いてしまった。案内標識や地図も見当たらなかった。帰りも神社の関係者らしき人に一番近い駅を訊ねて教えてもらったのだけど、よく分からなかった。国会議事堂前駅でもいいだろうし、赤坂見附駅という手もある。赤坂見附から外堀通り沿いを歩けばエスカレーターの参道に出るから、それが一番分かりやすいかもしれない。
 境内の空気感としては特別濃密とは思わなかったけど、由緒を考えると一度は挨拶に伺って損はない。東京に住んでいる人は特に。エスカレーター体験も面白い。
 これで神田神社、根津神社、日枝神社と、東京十社のうち3社回った。残りは、氷川神社、王子神社、亀戸天神社、品川神社、芝大神宮、富岡八幡宮、白山神社の7社だ。こうなったら全部回ろう。表鬼門の上野寛永寺もまだ行ってないから、そちらも行かなければ。
 そんなわけで、日枝神社はおすすめです。お願い事を持たずに、まさるさんに会いに行ってみてください。


代々木公園に行ってはきたけどどんなところと訊かれても困る
2007年06月27日 (水) | 編集 |
代々木公園風景-1

PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f8 1/50s(絞り優先)



 東京都民とって、日比谷公園と代々木公園の違いって何なんだろう? 場所の違い以外にも何か決定的な差や微妙なニュアンスの違いがあるのだろうか。日比谷公園は好きだけど代々木公園は好きじゃないとか。観光客の私が両方行った印象としては、どちらもどことなく似た印象で、それぞれの特徴が掴めなかった。いまだにあまり区別がついていなかったりもする。両方の公園を思うとき、なんだか学生時代の紛らわしい暗記物を思い出す。遣隋使と遣唐使はどっちがどうだったかだとか、大坂夏の陣と冬の陣はどっちが先だったかとか、それくらい区別をつけるのが難しい。私の中では、松本楼がある方が日比谷で、ない方が代々木公園と覚えている。
 東京に住んでいて何度も行っていれば、まったく別物なんだろうけど、一回行っただけではよく分からなかった。覚えているのは、どちらもやたら広くて、滅茶苦茶人が多かったということだけだ。いい天気の休みの日ということで特に賑わっていたのだった。
 上の写真は、公園の外で、早くもこの大人数。年に一度の祭りでも行われているのかと思ったら、いつもやってるフリーマーケットだった。フリマにこんな人だかりができるあたりが東京ならではだ。東京は何かを発信する人も、それを受け止める人も無闇に多い。たとえば、名古屋の路上でライブをしている特異な人がいたとして、名古屋人はほとんど見て見ぬフリをして通り過ぎる。東京では何組もストリートライブをしてるグループがいて、それを一般の人たちがたくさん立ち止まって聴いているのだ。東京人って意外とヒマな人が多い。名古屋の私の感覚からすると、東京人には違和感を覚えることが多い。昼ご飯を食べるのに行列で待つなんてのも信じられない。

代々木公園風景-2

 代々木公園野外ステージ。代々木公園の外で路上ライブをしているメンバーにとっては、ここは近くて遠いステージなのかもしれない。
 1985年、デビュー2年目の尾崎豊が、「Last Teenage Appearance」で3万人を集めたという代々木オリンピックプールを探したけど分からなかった。NHKホールがある方だったんだろうか。ここでも一つややこしいのは、第一体育館と第二体育館とあって、代々木オリンピックプールはそのどちらかなのか、どちらでもないのか、どうなんだというのがある。あと、国立代々木競技場というのがあって、神宮外苑にも国立競技場があって、一体どっちがどっちなのやらこんがらがってくる。国立競技場といったらどっちを指すんだろう? やっぱり外苑の方なんだろうか。そもそも二つも国立競技場があるなんてことは代々木公園へ行って初めて知ったことだった。と思ったら、国立西が丘競技場というのもあるらしい。代々木公園の迷宮にはまり込んでしばらく抜け出せそうにない。

代々木公園風景-3

 いよいよ公園の中に入った。うわっ、人多っ! と思わず小さく叫んでしまった。だだっ広いから混雑してはいないのだけど、見渡す限り小さく無数の人が見える。野鳥の会の会員でも人数を数えるのに手こずりそうだ。
 みんな木陰を選んで座り込んで何をしてるというふうでもないのが不思議な光景に映る。お弁当を食べるわけでもなく、花見するには花もなく、観光に来ているという感じでもない。観光地のようでありながら決定的に何かが違っている。しいて言えば無目的感が強いとでも言おうか。日頃忙しくしている東京人にとっては、何もない公園で何もせずにぼぉーっとすることが最高の贅沢なのかもしれない。
 私は貧乏性だから、何もせずに長時間ただ坐っているのはつらい。坐るなら坐るだけの理由がないと。疲れたから休むとか、弁当を食べるとか、何かを見物するとか、最低限それくらいの必然性が欲しい。これはきっと田舎者の感覚だ。田舎の人は道ばたにぼんやり座り込んだりしていない。そんなことをしてたら通りかかった人が心配してどこか具合が悪いのかと訊ねてくる。田舎の人間は無意味に散歩もジョギングもしないのだ。

 代々木の森は明治神宮を建てるときに作った人工の森だったと、明治神宮のときに書いた。代々木公園は代々木の森の中にあって、明治神宮と隣り合わせになっている。ただし、明治神宮をしっかり管理するために、直接行き来することはできない。代々木公園へ行くにはいったん外に出なければならない。明治神宮は開園、閉園がはっきりしていて、夜間は入れないようになっている。天皇家の関係ということでさすがに警備は厳しい。代々木公園も一応閉園時間というのがあるようだけど、入ろうと思えばどこからでも入れそうだ。ただし、深夜はかなり怖そう。事件も起きているし、こんな森深いところでは迷子になりかねない。
 東京は怖いところだとずっと思っていたけど、時と場所を選べばそうではないことが分かった。昼間、人の多いところなら他の街と危険度は変わらない。けれど、夜になると場所によっては恐ろしげなところも確かにある。それは必ずしも繁華街だけとは限らない。むしろ明るい繁華街は女の子が一人でも平気で歩いてるからけっこう安全のようだ。
 それにしても、朝の5時くらいから開店してる店がたくさんあるというのも、やっぱり東京ってヘンなところだなと思う。

代々木公園風景-4

 公園の中央には池が3つあって、大小3つの噴水が30メートルの高さに水を噴き上げている。これは比較的新しい施設で、1990年(平成2年)にできたものだそうだ。夜間はライトアップもされるとか。
 けど、この池の水がやたら汚い。何か変なものが浮いてるし、水も濁っている。風向きによっては噴水の水が風に乗って飛んでて水浸しになる。私たちもベンチに座っていたら水がかかって、慌てて逃げ出したのだった。ありゃたまらん。池の水はもっときれいにならないものだろうか。
 代々木公園には災害対策用の給水施設があって、何かあったら都民はここに水をもらいに来るといいそうだ。あの池の水だけは飲みたくないけど。

代々木公園風景-5

 雑木林は不思議な造形美を見せていた。秋になるとここは紅葉名所となって、林は一面赤や黄色に染まるという。イチョウの黄色い絨毯は見応えがありそうだ。秋になったらまた写真を撮りに行こう。
 春は桜も楽しめる。ここは広くて宴会場には事欠かないからさぞかし賑わうのだろう。
 樹木は、モミジ、クスノキ、黒松、ケヤキ、サルスベリ、ハナミズキ、モクレン、ユリノキ、キンモクセイなど、1万本を超えるそうだ。季節の花もあれこれ咲く。
 見本園では、東京オリンピックに参加した国のうち22ヶ国が国の木の種を持ってきて植えていったものが成長して今立っている。

 江戸時代、この場所は大名や旗本の屋敷が建ち並んでいた場所だった。
 1910年(明治43年)に日本帝国陸軍の徳川好敏大尉が、日本で初の飛行に成功したことから、この地は陸軍代々木錬兵場となった。その時の飛行は、高度70メートル、距離3,000メートルだったそうだ。
 敗戦の1945年(昭和20年)、アメリカ軍に取り上げられて、米軍の宿舎が作られた(ワシントンハイツ)。
 その後日本に戻され、1964年に東京オリンピックが開かれたとき、ワシントンハウスは選手村として活用されることになる。公園のまわりに国立代々木競技場やNHK放送センターなどが作られたのもこのときだった。
 公園として一般公開されたのは、1967年(昭和42年)。東京23区内では4番目に広い公園となっている。
 井の頭通りをはさんで噴水がある北側の森林ゾーンをA地区、スポーツ施設やイベントホールなどがある南側をB地区と呼んでいる。間には歩道橋がかかっている。
 公園内の施設としては、サイクリングコース(レンタル自転車あり)、犬を放し飼いにできるドッグラン、日本初の野鳥の聖地バードサンクチュアリなどがある。遊べるようなものはほとんどないので、ここへ行くときは時前で遊び道具を持っていかないといけない。バドミントンとか、ボールとグラブとか、羽子板とか、ゲイラカイトとか。
 飲食店は、B地区の方にたくさんの出店が出ていた。週末だけかもしれないけど。

代々木公園風景-6

 唐突に立っている「閲兵式の松」。代々木練兵場時代、ここに明治天皇を迎えて閲兵式が行われていたことからそう呼ばれている。はずれの方なので、こちらまで訪れる人は少ない。かたわらではメリケンさんの二人が水着で日光浴をしていた。歴史を知ってか知らずか。

代々木公園風景-7

 公園の片隅に、ポツンと取り残された選手村の宿舎跡があった。オランダの選手が使ったものらしい。オランダ人は大きいから、こんな小さな宿舎では狭かったんじゃないだろうか。当時、何人くらいオランダ人選手が来てたんだろう。
 私たちが訪れたのは先月なので、今は手前の花壇の顔ぶれが変わっていると思う。

代々木公園風景-8

 公園にいた人を恐れない茶トラ野良。いい表情をしてる。元近鉄の金村みたいだなと思った。私の好みのタイプの猫だ。ふてぶてしい顔をした茶トラが一番好きだから。
 こんな広い公園でもお世話係の人がいるんだろうか。どこにも猫おばさまはいるから、きっと大丈夫なのだろう。体つきも毛並みもよかったから、メシに困ってるような感じはなかった。人なつっこいし。

 代々木公園に行って、帰ってきて調べて、こうして書いてはみたものの、どうにもとらえ所がない。都民の憩いの場というのは分かるのだけど、みんな何をしに代々木公園へ行くんだろう。ストリートパフォーマンスをするとか、フリマをのぞくとか、子供を遊ばせに行くとか、犬の散歩にいくとか、はっきりしてる人ももちろん大勢いるのだろうけど、何もしてないように見える人の数の多さに圧倒されて、私の中で判断停止になってしまった部分がある。
 駅でいえばJR山手線の原宿駅になる。原宿へ用事に行ったついでに代々木公園で休んでいくというパターンもありなのか。明治神宮前駅や代々木八幡駅なんかもあって、交通の便がいいから人が集まるというのもあるだろう。もう一度行ってみればもっと分かることがあるのだろうか。
 私にとっての代々木公園は、なんとなくつかみ所のないところだ。代々木公園を知らない人に代々木公園を説明しようとすると口ごもってしまう。広くて人が多いところでは説明を受けた方もイメージがわかない。特徴のない広い公園と言えばそうなのかもしれない。興味のある人は一度行ってみてくださいと逃げを打って、私の代々木公園レポートは終わりとなる。


神社でランチしたりあじさいソフトを食べたりカレーを待ったりの鎌倉番外編
2007年06月26日 (火) | 編集 |
鎌倉番外編-1

PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f8 1/10s(絞り優先)



 アジサイ鎌倉紀行の最後は、本編に入りきらなかった写真を並べて番外編として振り返ってみる。
 最初は御霊神社。長谷駅と極楽寺駅の中間あたりに位置していて、長谷寺であぶれてしまった人や、その行き帰りのついでに寄る人でけっこうな賑わいを見せていた。裏にちょっとしたアジサイの小径もあって、その情報をあらかじめ得ていた人も多かったのかもしれない。鳥居のすぐ前が例の江ノ電撮影の絶好のポイントとなっているから、それで有名というのもありそうだ。
 私たちが行ったときはちょうどお昼時で、境内では大お弁当大会が開かれていた。団体客のおじさまおばさまが地面に坐って、みんなで弁当を広げて食べていた。鎌倉は外でお昼を食べられるところが少ないから、多少強引でも食べられるところは人気のお昼スポットとなる。神社だろうと寺だろうとかまっちゃいられない。私たちも、ここで持参のケーキランチとなったのだった。

 御霊というのは、祖先の霊を祀るという意味と、怨霊を鎮めるという意味があって、日本各地に御霊神社がある。
 ここは源氏が鎌倉の地を治める以前からあった古い社で、平安時代にこの地の有力者であった大庭、梶原、長尾、村岡、鎌倉の関東平氏五家の霊を祀るために建てられたのが始まりだそうだ。のちに武勇で名を馳せた鎌倉権五郎景政だけを祀るようになって今に至っている。別名を権五郎神社(ごんごろうじんじゃ)ともいう。
 景政は後三年の役(1083年)に16歳で源義家に従って出陣して、左目に屋が刺さったにもかからずそれを自分で引っこ抜いて戦ったという武勇伝が残っている人物だ。そのため、ここは目の病気や厄除けにご利益があるとされている。
 本殿には景正夫妻と梶原景時の木像が安置されていて、景政の命日である9月18日には、お面をかぶって神輿の前を練り歩く面掛行列というお祭りが行われるそうだ。
 境内には景政が持ち上げたという景政の力石や、樹齢350年以上という立派なたぶの木などがある。

鎌倉番外編-2

 本殿の裏手にあるアジサイの小径は、名所となるほどではないけど、それなりにアジサイは揃っていた。ここはオーソドックスなものが多くて、アジサイの基本ってこうだよねと初心に戻れる場所だ。鎌倉にあっては、個性のないのが逆に個性的なアジサイスポットといえるかもしれない。
 このアジサイの向こう側にあったベンチで私たちはお昼を食べた。もし御霊神社へ行くようなことがあったら、本殿裏のベンチを見て、オオタはここで昼飯を悔いやがったのかと、私のことを思い出してください。


鎌倉番外編-3

 古陶美術館の中。作家の作品の展示だけでなく、小物類の販売もしている。興味のある人には楽しいところだろう。鎌倉みやげにもなりそうだ。でも、ツレは巨大なツボに、私は右に写ってる鎧兜に心が奪われていた。

鎌倉番外編-4

 円覚寺の前にある白鷺池(びゃくろち)。木々に覆われ、緑を映す水面も夏模様。春は桜が咲き、秋はモミジの赤に染まり、冬は凍りつくのだろう。
 かつては円覚寺の境内にあったこの池も、横須賀線の開通によって分断されて外になってしまった。横須賀線は境内の中を横断して走ってることになる。よく円覚寺がそれを許したものだ。
 開山である無学祖元が鎌倉にやって来たとき、鶴岡八幡宮の神の使いが白鷺に姿を変えてこの地に案内したという伝説から名づけられたという。今は人通り、車通りが激しくて、シラサギがのんびりたたずむような雰囲気はない。

鎌倉番外編-5

 名月院近くでソフトクリーム売り場に人が並んでいた。何気なく見てみると、「バニラ 紫いもソフト あじさいソフト(ミックス)」という看板が目に入った。あじさいソフト? それも御当地ソフトなのかと興味を惹かれて、買って食べてみることにした。しかし、どう考えてもこれはバニラと紫いもソフトのミックスだ。どうしてバニラと紫いもを合わせたらあじさいになるのか? 見た目の紫色から来ているとしたら恐ろしく強引なこじつけだ。そもそも、あじさいには香りらしい香りはないし、あじさい味というのも想像がつかない。だから作ろうにもあじさい味なんて作れるはずがないのだ。そんな子供だましの手にまんまと乗せられる私たちはなんてお人好しなんだろう。でも、あじさいソフトを食べたという事実は動かない。確かに私たちは食べた、あじさいソフトと称するソフトクリームを。
 紫いもソフトというのは各地にある変わり種ソフトの定番のようで、そんなに珍しいものではないようだ。確かにお芋っぽい味がした(決してあじさい味ではなかった)。
 鎌倉でも「いも吉館」という有名店があって、私たちが買ったのもその店の支店だったかもしれない。別の店では、抹茶と紫いもをミックスした自称あじさいソフトも売っているらしい。今度はぜひそれも食べてみよう。食べた人の話によると、完全に抹茶味が勝っていて紫いも味はどっかへ飛んでいってしまっているらしいけど。

鎌倉番外編-6

 名月院はとてもちゃっかりしている。商売上手だと思う。本殿裏にあるハナショウブ苑は前日で終わりとサイトに書かれていたからあきらめていたら、丸窓の向こうに大勢の人が歩いている。あれ、おかしいね、もう終わったはずなのにねなんて言いながら近づいてみると、期間延長して開いてた。ハナショウブはもうほとんど終わりましたが風情をお楽しみください、なんて書かれた札が立っている。なんだ粋なはからいで無料開放してるのかと喜びながら入っていこうとしたら、しっかり500円取っていた。取ってやがったか! 係の人の、「入るには500円かかります!」という呼び込みとも警告ともつかない呼びかけで、しばし列が滞る。なんだ500円もするんだといって引き返す人あり、500円かぁと迷う人ありで、私たちは結局入ることにしたのだった。せっかくここまで来たんだし、あきらめてたら開いてたしってことで。これもなんか、完全に明月院の上手い商法に乗せられた感がある。限定ものやレアと言われるとつい買ってしまうのと同じような心理戦に負けた。
 明月院ってのは、拝観料を払った上に、丸窓の茶室にあがるにはユニセフの募金をしなくてはいけなくて、裏のハナショウブ苑を見ようとすれば更にお金がかかってしまう。お寺を見るのに1,000円オーバーはちょっと厳しいものがある。ポッキリのはずの店がポッキリじゃなかったみたいな感じ。
 それでもまあ、ハナショウブはまだけっこう咲いていたからよしとしよう。

鎌倉番外編-7

 鎌倉高校前駅手前の踏切を渡って階段を下りると、目の前には七里ヶ浜の海岸と湘南の海が広がっている。左の出っ張りが稲村ヶ崎で、その向こうに見えているのが三浦半島だ。振り返って右手には小動岬があって、その向こうには江ノ島が浮かんでいる。
 夕方近くになって空が雲ってしまったのは残念だったけど、湘南の風は気持ちがよかった。少し肌寒い中、ポツリ、ポツリと人出もあった。夏になればここも海水浴客が大勢訪れるのだろうと思いきや、波が荒くて遊泳禁止になっているんだそうだ。海水浴客は由比ヶ浜海岸や材木座海岸に行くようだ。その荒い波を求めて一年中サーファーがやって来る。日本の渚百選にも選ばれている。
 小動岬から稲村ヶ崎までの3キロが七里ヶ浜で、この間の距離が7里だったことから七里ヶ浜と名づけられたんだとか(正しくは、七里ガ浜と表記するらしい)。稲村ヶ崎から向こうが由比ヶ浜ということになる。

鎌倉番外編-8

 鎌倉の夜は早い。観光客は夜までいないようで、下手したら5時くらいに閉まってしまう店がけっこうある。通常の20時、21時くらいまで営業している店は少数派だ。そして、鎌倉では何を食べればいいのかよく分からない。せっかくだから鎌倉でしか食べられないような鎌倉名物を食べたいと思うのだけど、それがどうも思い浮かばない。鳩サブレーでは夕食にならないし、鎌倉ハムを砂浜のたき火で焼いてかぶりつくなんてわけにもいかない。鎌倉の夕飯はいつも悩む。
 このあと私が極度のハライタに襲われたこともあって、ガイドブックに載っていた長谷の「麻心magokoro」という店に行ってみることにした。入ってみると予想外にジャズの生演奏が行われているところで、狭い上に至近距離の演奏で会話もままならない。えらいところに入ってしまった。
 ハライタの私は、麻心オリジナル麻の実入りカレー(1,000円)、ツレはシラス定食(1,200円くらいだったかな)を頼んだ。それがなかなか来なくて、結局20分くらい待っただろうか。カレーを一から作ってるのか、まさかご飯を今から炊き始めたのか、もしかしてシラス漁に出たんじゃないのかなどとウワサをして時間を過ごす。店のメニューを見たら、「スローライフ、スローフード」と書かれていた。なるほど、それで出てくるのもスローだったのか。
 ヘルシー指向ということでカレーはかなり不思議な味だった。マイルドというか、辛さが足りない。五穀米ってのも体にはいいとしても、私は白米を食いたいぞ。ノーマルなメニューがないので、けっこう人を選ぶ店かもしれない。店内もなんというのか、変わった雑貨や民族楽器などが並んでいる不思議空間だ。ひょうたんがスピーカーになってたり。窓際の席は目の前が由比ヶ浜なので、ロケーションは悪くない。

鎌倉番外編-9

 食べ終わった頃にはすっかり日も暮れて、今回のアジサイ鎌倉も終わりとなった。前回は由比ヶ浜から鎌倉駅までとぼとぼ歩いていって、残りの体力を完全消費してしまったので、今回はそんな無謀なことをせずに長谷駅まで戻って江ノ電で帰った。のりおりくんもしっかり元を取って、悔いはない。東京までは、終電の泥酔客のようにぐったり寝込みながら戻った我々であった。
 ゴールデンウィークに続いてアジサイの鎌倉も見て回ってもういいだろうということにはならない。まだ回れてないところも残っているし、紅葉の鎌倉も心惹かれるものがある。秋は海岸線の夕焼けも見事だろう。江ノ電もまだ撮りきった手ごたえがない。江ノ島もたっぷり半日はかけて味わいたいし、鎌倉源氏のゆかりの地巡りもしなければならない。またきっと行こう、鎌倉。
 というわけで、これで鎌倉編はおしまい。


中華は中華でもいつものオレ流料理になってしまった中華サンデー
2007年06月25日 (月) | 編集 |
中華サンデー

PENTAX istDS+Super Takumar 50mm(f1.4), f4.0, 1/30s(絞り優先)



 今日のサンデー料理は中華のはずだった。開始時点では。出来上がってみたら、中華料理になりきれない、いつもの自分の料理になっていた。何故?
 自分が食べたい料理と作りたい料理は限定されているから、中華のレシピを参考に作っても、結局はオレ流になってしまう。人の言うことをもっと聞けよ、落合、みたいな。
 ただ、中華の調味料をメインに使っているから、味としては中華風になっている。和風でも洋風でもない。見た目は中華とは言えないのだけど。

 手間のが一番中華っぽい。酢豚みたいだけど、白身魚と豚肉、野菜の甘酢あんかけだ。中華屋ではなんて名前なんだろう。
 まず白身と豚肉をひとくちサイズに切って、塩コショウで下味を付けてから小麦粉をまぶして素揚げする。タマネギ、ニンジン、シイタケは下茹でしておく。それをごま油であわせて炒める。酒を振って、塩、コショウで軽く味付けする。
 甘酢は、酢3:砂糖2:ケチャップ2:しょう油1くらいを混ぜて、中華スープの素で好みの濃さに薄める。酒、塩、コショウも少々。カタクリ粉も入れてとろみをつける。
 あとは甘酢を絡めて少し炒め足して出来上がりだ。これは普通に美味しかった。馴染みのある味だ。酢豚といえばそうかもしれない。

 右奥はワンタンスープの少し変形。
 エビと白身魚を細かく砕いて、刻んだネギと白菜、塩、コショウ、カタクリ粉を混ぜて種を作る。
 ワンタンの皮は市販のものを買ってきた。これを手打ちしてると大変になってしまう。でも、ワンタンの皮とギョーザの皮は何が違うんだろう。食感は確かに違うから、粉が違うのか、別のものが混ぜているのか。
 スープは、中華スープの素にしょう油を足すのが日本風となっている。ごま油も加える。
 これまた間違いのない安定した味だ。ワンタンのつるっとした歯触りは、水ギョーザとはまた違った美味しさがある。

 左奥はいつものフワフワ豆腐料理の中華版。
 まずはフライパンにごま油と豆板醤を入れて炒める。そこに中華スープの素で作ったスープを加えてジャージャーいわせる。ひとくちサイズに切った絹ごし豆腐を入れて、しばし煮込む。
 酒、しょう油、塩、コショウで味を付けて、カニ缶を投入する。更に溶き卵を流し入れて、ある程度固まってきたところで水溶きカタクリ粉を加えて、少しかき混ぜる。最後にごま油をまぶし入れて、火を強火にして30秒ほど煮れば完成だ。
 一番美味しかったのがこの中華風フワフワカニ玉だった。ごま油の風味が効いていて、豆腐は何でも合うことをあらためて知る。これはぜひオススメしたい。

 今日もまた、砕き系の柔らかメニューとなった。自分で食べたいものを作ると無意識にそういう料理になるのは中華でも変わらなかった。
 それにしてもせっかく中華を作ったのに、王道からはずれた路地裏中華料理となってしまったのはちょっと残念だった。味としては3品とも出来がよかったから問題はなかったのだけど、趣味の料理としては不満が残る結果となった。家庭で作れる中華って他に何があるんだろう。フカヒレとか上海ガニとかは食材が手に入らないし(当たり前)。麻婆豆腐、エビチリ、八宝菜、天津飯、ギョーザ、春巻きあたりが一般的なところか。中華って意外と魚料理が少なくて、タンパク質は肉がメインだということに気づいた。それも牛肉や鶏肉は少なくて、豚肉が多い。
 横浜中華街へ行って中華料理のメニューの豊富さを知って以来、自分でもあれこれ作れそうな気がしていたけど、案外そうでもなかった。考えてみると、中華のおかずは和食や洋食に比べて食卓に上る確率はかなり低い。家庭で作れるものは限られているということだろう。奥が深い割にいきなり壁に当たってしまった。
 それでも、今後とも中華に関してはもう少し追求していきたいと思っている。どうせなら食べたことがない中華を作って食べてみたい。豚まんとかはどうやって作るんだろう。あの白いフワフワの部分の作り方が思い浮かばない。パンみたいに粉をこねるのか。
 また近いうちに中華第二弾をいこう。次はもう少し中華らしい中華にしたい。味だけでなく見た目も。


森を歩きながら考えは地球を超えて宇宙まで行って帰ってきてただいま
2007年06月25日 (月) | 編集 |
森の光と影-1

PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f6.3 1/10s(絞り優先)



 初夏の海上の森は、強い光と影のコントラスト。生い茂った葉で光がさえぎられた森の道は、暑いけど涼しい。頬に流れる汗を吹き来る風がなでていく。
 蝉にはまだ早く、夏鳥たちの声だけが森に響いている。日陰では歩くたびに白い蛾が足もとを舞い、ときどき思い出したようにトンボが飛びすぎる。この時期の森は花が少なくて、目にはいるのはただただ緑ばかり。
 行き交う人の姿もなく、森の中では自分はあくまでも訪問者でしかないことを思い知る。森の中では森の生き物たちが主役だ。

森の光と影-2

 光のあるところに必ず影が生まれ、影があるから光の存在を知ることができる。私たちは光と影の両方を知ろう。どちらかが欠ければ片方も存在できなくなってしまう。世界は決して光だけで存在することはできないのだ。

森の光と影-3

 木を見て森を見ず、森を見て木を見ず。こんなにたくさんの樹木や草花は必要ないと思うかもしれないけど、多くのものが集まることで名前が変わるものがあり、違う意味を持つようになるものがある。たとえば木が林になり森になるように。人が家族になり国民になり人類になるように。木なんて少しくらい切り倒してもいいじゃないかというのは、人間なんて少しくらい切り捨ててもいいではないかというのと同じようなものだ。一本ずつに意味はなくても、集まって存在している一本いっぽんが全体を形作っている。
 この世界に無駄なものはない。無駄なものがあるとすれは、それはこの世界そのものだ。

森の光と影-4

 青は藍より出でて藍より青し。水面に映った青空は空の青空よりも青い。私たちは実像よりも虚像から多くのものを得ている。小説を読んで何者かを目指したり、テレビの向こうに恋をしたり、現実よりも美しい世界に溺れたり。
 鏡に映る自分の顔は本当の顔ではない。
 青い水面を手ですくってみても、それは青じゃない。

森の光と影-5

 シダの森を見て、共生ということを思う。地面近くの暗いところでも生きられる木と、光に向かって伸びなければ生きていけない木が同じ場所で生きている。太陽の下でしか生きられない人間と、日陰でしか生きられない人間がいる。同じ地球の同じ時間に生きていて、それもまた共生というものだ。昼を生きる人間と夜を生きる人間がいなければこの世は回っていかない。どちらかが主でも従でもない。それぞれが自分の場所で生きているだけだ。
 花々は季節によって交代で生きる。時期を変えて、同じ場所で。それもまた共生だ。みんなが春に咲いてしまったら共倒れになってしまう。人も全員が同じ一番を目指したら、ひとり勝ちでそれ以外は負けになってしまう。私たちは同じ場所を共有しながら少しずつズレて生きていくしかないのだ。

森の光と影-6

 化学薬品が流れ出したような水たまり。でも、これは自然の成分が生み出した色かもしれない。人が何かを捨てるような場所ではないから。
 ときに自然と人工は区別がつかない。人は自然をまねてあらゆるものを作ってきて、ときどき互いが追い越し合ってしまうことがある。人工が自然を超え、自然が人口を超える。人間の叡智と、自然の驚異。どちらも感嘆に値する。
 地球上のどこからどこまでが自然でどこからが人工なのか、もはや境界線は曖昧だ。地球外から見た地球は、それが野生のものであろうと人類が作ったものであろうと関係ない。生命が溢れる惑星は、あらゆる意味で奇跡に満ちている。長い歳月の間に人間は地球の一部となった。大昔海底に沈んだ船が自然と同化するように、歳月が自然と人工を混ぜていく。
 人間が作った森も、100年経てば自然の森になる。地球が生み出した人類という存在は、他の野生動物と同じく自然のものであって、その自然の人間が作ったものは自然の一部だ。人類はもはや、偶然生まれ落ちた徒花的な異物などではない。
 人間が作ったものをすべて自然物として捉え直したとき、今までとは物の見方も変わって、地球との共存の道も見えてくるはずだ。自然破壊さえも必ずしも悪というわけではない。厳しい生存競争の中で、全体としてよりよい世界を目指していくことを考えるべきだ。我々は勝者でも敗者でもなく、一部なのだから。

森の光と影-7

 青空と雲と月と飛行機雲と。もはや当たり前の光景となったこの取り合わせも、100年前までは誰も見たことがないものだった。月は変わらずそこに浮かんで満ち欠けを繰り返してきたけれど。
 この景色も永遠ではない。100年後はたくさんの車が空を飛んでるかもしれないし、透明なチューブの中を列車が走っているかもしれない。月はどこかへ飛んでいってしまって、代わりに人工の月が地球の周りを回ることになったりする可能性だってある。太陽の輝きも永遠ではない。あと50億年もすれば寿命が尽きるし、その前に膨張が始まって10億年もしたら地球は暑くて今の生物はすめなくなってしまう。
 私たちはどこへ向かい、今何をすればいいのか。その問いの答えはどこにも存在していない。何故ならそれはこれから作っていくものだから。毎日は無意味に過ぎていくように思えて意味があり、意味があるようでいて考えを進めていくとどんどん意味は小さくなる。海を見たり、星を眺めたりして自分の小ささを思い知っているくらいでは全然足りない。宇宙には1,000億掛ける2,000億個の太陽があって、それぞれに太陽系の惑星があって、その他の星々がある。時間軸も一種類ではない。その数字はあまりにも膨大すぎて絶望さえできない。
 意味不明で不確かすぎる現実の中で確かなものがあるとすれば、それは自分の意識だ。自分自身の存在とこの世界の認識する能力と言い換えてもいい。その意識が足もとの小さな花から広大な宇宙までもを同時に捉えることを可能にしている。その振幅の大きさに人間の偉大さがある。存在は小さく、今は愚かでも、空想する力こそが可能性だ。
 自分の幸せを求めることも大事。この世界をよくしようすることも必要。それと同時に、この宇宙の現実を知ることもまた大切なことだ。知るための手掛かりは日常のあらゆる場所に潜んでいる。森にも海にも空にも街にも本にもテレビにも。大きなことばかり考えていては自分自身に対して無責任になるし、自分のことばかりではこの世界の役に立てない。
 投げやりにならないことだ。自分ができないことや分からないことに対して。最後まで誠実に生きること、その積み重ねが遠い未来へとつながっていく。最後の最後、あらゆる存在が幻だったとしても、私たちは笑って終わらせよう。だって今、こんな素敵な地球で暮らせているのだから。これ以上、一体何を望むというのか。こんな楽しい夢はない。いつまでもずっと続いて欲しいとさえ思う。
 そんなことをつらつらと考えながら森を歩いてた私のことを、海上の森2005番地に住むモリゾーとキッコロはどこかで見てたかな。


東慶寺で鎌倉一の美女と緊張の初デート
2007年06月24日 (日) | 編集 |
6月の東慶寺-1

PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f9 1/12s(絞り優先)



 ゴールデンウィークにも行った東慶寺へ今回もまた行ったのには理由があった。それは、普段は入ることができない水月堂で、水月観音(すいげつかんのん)を見せてもらう予約を入れてあったからだ。前回はそんな観音さまがいることさえ知らず、帰ってきてから知って、見られるものならぜひ見てみたいと思っていた。鎌倉一の美形仏ということで知る人も少なくないだろう。ツレが電話をしてみたところ、わりとあっさり約束を取り付けることができた。それはもう行くしかあるまい。
 ということで、我々は再び、松ヶ岡東慶寺の石段を登ることになった。はやる気持ちを抑えつつ、駆け込むように入口に向かった。それじゃあ早速水月観音を、と思ったら時間が早すぎた。2時半の約束が、遅れちゃならないということで焦って2時に着いてしまった。あんまり早く行っても向こうにも都合というものがあるだろうということで、まずは境内を見て回ることにした。ひと月経てば花の顔ぶれもガラリと変わっている。

6月の東慶寺-2

 アジサイも少し咲いていた。でもここはアジサイ名所ではないので、人は少なめ。アジサイを見に来てついでに寄ったという人が多かったんじゃないだろうか。
 私たちはといえば、水月観音と約束の時間が気になって気もそぞろで、アジサイなんてのんきに撮ってる場合じゃなかったのだ。気持ちがそわそわして落ち着かない。早く約束の時間が来てくれないかと願うばかり。なんだか、初デートの待ち合わせみたいだ。

6月の東慶寺-3

 ちょっとしたハナショウブ苑もあった。ハナショウブは5月の花だから、もうだいぶ終わりかけていた。
 ハナショウブとアヤメとカキツバタの見分けは、だいぶできるようになった。アヤメは模様があって、カキツバタは花の根本の線が白で、ハナショウブは黄色だ。ただ、ハナショウブの元となったノハナノショウブとは区別がつかない。
 ハナショウブは江戸時代後半から品種改良がさかんになって、現在は2,000種類以上があるんだそうだ。これもバラやアジサイと同じくディープな世界で、ついていけない。
 主に江戸系、伊勢系、肥後系の3系列に分けられていて、三英、六英、八重咲きなどの花の形(花容)と、平咲き、深咲き、垂れ咲き、玉咲き、爪咲き、台咲きなど咲き方によってもそれぞれ品種があるのだとか。色も紫からピンク、白、水色などあって、模様にも名前がついていて、とにかくややこしい。花を見て名前を当てるということではバラよりも数倍難しそうだ。花菖蒲の父といわれた幕府の旗本、松平左金吾の名前だけはせめて覚えておこう。

6月の東慶寺-5

 東慶寺の花で有名なものの一つに、イワタバコ(岩煙草)がある。奥の切り立った岩場に張り付くようにして咲いている。けっこう珍しい花だから、これだけを目当てに訪れる人も多いに違いない。
 みんな上を見上げてる姿がなんとなく間抜けっぽいけど、自分自身も必然的にそうなってしまうので人のことは言えない。それぞれが口を開けて眺めたり、写真を撮ったりしている。むち打ちの人は見られない。

6月の東慶寺-6

 遠くから見ると地味でも近づいてみると、紫の星を散りばめたように群生していてきれいだ。私も写真では見ていたけど実物を見るのは初めてだったのでけっこう感動した。しばし水月観音のことを忘れる。
 東北以南の本州、四国、九州、台湾などの谷間の湿った岩場などに自生している。
 名前の由来は、葉っぱが煙草の葉に似ているからだ。でも煙草にはならない。若葉は食べられるところから、山地では昔からイワナ(岩の菜)と呼ばれて山菜扱いされていたそうだ。その他、ヤマジシャ、イワジシャ、タキナなどの別名もあって、万葉集にも登場している。

6月の東慶寺-7

 高さは10センチから20センチくらいで、花は1センチから1.5センチくらいとけっこう小さめだ。決して派手な花ではない。葉っぱは通常15センチくらいのものが大きくなると50センチにもなったりするそうだ。
 花の形といい、紫の色といい、こんなきれいで可憐な花が岩場にくっつくようにして咲いているというのも不思議だ。紫も他の花にはないような色合いで、野生種とは思えない。透明感のある花びらは蝋細工のようだ。
 そうこうしてるうちに約束の2時半が近づいた。再びちょっとドキドキのビクビクもので入口近くの門へ行き返した。

6月の東慶寺-8

 入口すぐの右側にある門を通って、入口の鈴を鳴らしてくださいとのことだったので、白木の門をおそるおそる開けて、腰をかがめるように入っていく我々。ちょっと不審人物っぽい。これでいいのかなぁと、思い切って呼び鈴のヒモを引っ張ると、カーン、カーンと大きな音が響いて、中からハーイという女性の声がした。どうぞー、というので、ごめんくださいと言いつつ扉を開けると、奥から出てきた女の人が出迎えてくれた。2時半の方ですね、はい、そうです、どうぞおあがりくださいと、話はトントン拍子で進んで、戸惑う間もなく、こちらですとずんずん歩いていくのに急ぎ足でついていく私たち。わー、待ってくださいー、と心の中で呼び止めつつも、いきなり本殿に向かって拝んでいる人の前を横切っていくことになってちょっとひるむ。事情を知らない人は、おいおい何事だあいつらと思ったんじゃないだろうか。
 水月堂の中は思いのほか広く、水月観音は一番奥の部屋に置かれていた。こちらです、どうぞごらんになってください。そう言われて顔を上げると、おおー、まさに水月観音だ。写真で見たときの印象そのまま静かに鎮座していた。手渡された線香を供えて、まずは手を合わせる。こんにちは、水月観音さん、会いに来ましたよ。
 実際、この仏さんは実に美しい。繊細な細工の彫りと観音様らしいふっくらした顔のバランスが絶妙で、思わず見入ってしまう魅力がある。神々しいというよりも、芸術作品としての美しさが先に来る感じだ。
 水辺に坐って水面に映る月を眺めているところから水月観音と呼ばれているこの仏さんは、憂いているようでもなく、微笑んでいるようでもなく、ただ静かにうつむいてる。見る角度によっても違って見える。女性的だったり男性的だったり、優しかったり厳しかったり。私は右斜め上からの角度が一番美しいと思った。
 これはちょっと仏像に目覚めてしまったかもしれない。これまで仏像に関しては特に思い入れもなかったのだけど、今後は神社仏閣へ行ったときは、仏像も要注目だ。年の一度の開帳の日とかにも出向いて行ってしまいそう。
 いや、いいものを見せていただいた。実際に見ていた時間は10分もなかったかもしれないけど、それ以上に長く感じた。ちょっと時間が止まったような感覚で。そろそろおいとましようかとツレと顔を見合わせて、拝観料300円を置いて立ち去ることにした。案内してくれた女性が後ろで控えているので、あんまり長居してもいけない。いやー、どうもありがとうございました。またいらしてくださいね、一度みえた方は二度三度といらっしゃるんですよ、などと言葉を交わしつつ、またもや本殿の仏さんの前を横切って、参拝者に注目を浴びつつ玄関へ向かうことになった。でも、そこが廊下になっているから仕方がない。
 一歩外で出ると、一気に緊張感が解けて、思わずため息が漏れてしまった。大事なひと仕事終えたみたいにどっと疲れが出た。自覚してる以上に緊張のご対面だったらしい。
 残念ながら写真撮影は禁止ということで写真は撮っていない。なので、ぜひ足を運んで自分の目で見て欲しい。拝観は予約の電話さえ入れれば難しいものではない。お寺の行事がない時間帯なら、特に制約はないようだ。当日、鎌倉に着いてからの電話ではちょっと無理かもしれないので、前日までに問い合わせた方がいい。なんせ鎌倉一の美女と会うのだ、事前予約は当然というものだろう。お嬢様にいきなり電話して、おう、今ヒマか? だったら今からちょっと行くからな、なんて乱暴な口をきいたら、たとえ時間があっても会ってはくれまい。

 鎌倉のアジサイもそろそろ終わりが近づいたようだ。私たちが行ったのはまだ一週間前だというのに、なんだか遠い日の出来事のように感じる。遠い夢物語のように。あの日はたくさんアジサイを見て、水月観音を見て、よく歩いて、日焼けもした。もはやなつかしい気さえする。
 今回のブログ鎌倉編も残りあと一回の番外編だけとなった。そろそろ気持ちを次の花、次の場所へ向かわせないといけない。今度はどこへ行こう。
 鎌倉もまだ行くところが残っている。江ノ島や、源氏山や、金沢街道など。鎌倉文学館も今回行こうとして行けなかった。夏場は歩き回るのはきついから、秋になってからか。紅葉の鎌倉もきっといいんだろうな。鎌倉に対する得体の知れない恐怖感のようなものはもう消えて、今は近しい場所になった。だからまた行こう、鎌倉。


江ノ電に乗って降りて撮ってまた乗るのりおりくん
2007年06月23日 (土) | 編集 |
江ノ電-1

PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-50mm(f3.5-5.6 AL), f7.1 1/25s(絞り優先)



 鎌倉といえば江ノ電もまた魅力の一つに違いない。住民の貴重な移動手段でありながら同時に観光向けでもあるという点で、都電荒川線と重なる部分がある。みんな江ノ電が大好きだ。日頃電車になんてまるで興味のない老若男女が、鎌倉で江ノ電を見るとつい写真を撮らずにいられなくなってしまう。普段は絶対に電車の写真を撮ったりしないような女の子まで、一所懸命江ノ電を狙ってシャッターを切っている。その後ろ姿は微笑ましい。けど、遠慮して後方にポジションを取っていては、江ノ電よりも江ノ電を撮る人を撮ることになってしまうのだった。
 上の場所はいくつかある撮影スポットの一つ、御霊神社前だ。電車の向こうがトンネルで、両脇にアジサイが咲いていて、絶好の撮影ポイントとなっている。みんなよく知っていて、江ノ電を狙う人が絶えることがない。運転士も日頃のうっぷんを晴らすかのように警笛を鳴らしまくり。少しでも近づいて撮ろうとするにわか鉄っちゃんと江ノ電運転士の戦いが、この場所で日夜繰り広げられているのだ。
 この車両は、1000形といわれるもので、1552号だと思う。後ろから見た姿で、車両に1552とある。江ノ電にもたくさんの種類の車両があって、電車好きはひと目見れば何形か見分けることができるのだろうけど、私はさっぱり分からないので、江ノ電好きの人のサイトを見て少しだけ勉強してみた。見分けるのはなかなか難しい。
 基本的に江ノ電は緑と黄色のツートンだけど、いろいろなカラーリングの広告車両もある。これもそうだったんじゃないかと思う。

江ノ電-2

 なんとかもう少しいい写真を撮りたいと粘ってはみたものの、待つほどに人が増えてきてこの有様に。現地の状況は伝わるけど、さすがにこれでは人が入りすぎだ。江ノ電を撮ってるんだか人を撮ってるんだか分からなくなる。
 車両は、1251号と見える。江ノ電は基本が2両編成で、どういう理由か知らないけど、前後別の車両がくっついている。これは1201+1251だったろうか。混雑時は2両と2量が合体して4両編成になったりもする。そのときは更に統一感のないバラバラな感じになったりして面白い。

江ノ電-3

 トンネル側は人気が高いからあきらめて、反対側でも一応撮っておくかとベストポジションを押さえて待ち構えていたところ、突然おっさんがフレームインしてきた。わっ、何するんじゃ! 完全に江ノ電を撮るおじさんを撮る私になってしまったではないか。
 侮りがたし写真おやじ。素晴らしき江ノ電写真への道のりは遠く険しい。
 この場所は単線で、10分間隔くらいでどちらからか電車が来る。本腰を入れて江ノ電を狙うならもっと粘ってもよかったのだけど、私たちの目的はそういうことではなかった。あきらめて先へ進むことにした。少し心残りだったけど。
 車両は平成に入ってから導入された2000形だ。2001という数字が見えるから、2001号だろう。このタイプはレトロ感よりも近代感が強い。昔からの江ノ電ファンはあまり好みではないのかもしれない。

江ノ電-4

 テレビやドラマでお馴染みの鎌倉高校前駅へとやってきた。昔から幾度となくテレビの向こう側に見ていた場所に自分が降り立って感慨深いものがあった。おお、ここがそうか、と。駅自体は老朽化が激しい無人のローカル駅で、テレビの中ほどドラマチックではないけれど、でもやっぱり嬉しかった。私の中の鎌倉高校前駅は、片岡鶴太郎が主演していたドラマ「季節はずれの海岸物語」のイメージが強い。あのドラマがとても好きだった。
 この日は、江ノ電乗り放題の「のりおりくん」というフリーパスを買った。最初、「のりおくん」と思い込んでいて、あやうく窓口で「のりおくん、ください!」と言ってしまうところだった。西川のりおの大きな顔が目に浮かんだ。
 値段は580円だから、鎌倉と長谷と往復するだけなら損だけど(380円)、たとえば鎌倉から長谷まで行って、更に鎌倉高校前駅へ行って、そこから鎌倉へ帰るとしたら650円になるから、微妙な得になる。このあたりの江ノ電の値段設定が憎いところだ。500円にすると損しすぎると踏んだのだろう。しっかり得をしたければ2回は途中下車しないといけない。この沿線で一日を過ごすなら、買って損はない。
 提携している食事処で、のりおりくんを見せると少し割引になるサービスがあったり、鎌倉文学館は50円引きになったりする。私たちは長谷寺で粗品をもらった。そのときどきで違うのかもしれないけど、くれたのは長谷寺と印刷された小さな蛍光ペンだった。のりおりくんって、いろんな意味で微妙だと思った。

江ノ電-5

 私たちが乗ってきたのがこの20形の62号だった。レトロっぽいのは古い車両ではなく、江ノ電100周年を記念して新しく導入されたレトロもどきで、実際は一番新しい。このときは4両編成で、前は何だったのか見てなかった。江ノ電について勉強したのは帰ってきてからで、当日は特に強い思い入れも何もなかったから、車両の種類まで気にはしていなかった。

 明治35年(1902年)に江ノ電こと江ノ島電鉄は、藤沢-片瀬(今の江ノ島駅)の間で開通して(3.4キロ)、2002年に100周年を迎えた。少しずつ距離を伸ばしていって、明治43年(1910年)に全線が開通した。当時は40の停留所があったそうだ。停留所というのは、路面電車の扱いだからだろう。他の鉄道会社の傘下に入ったり買収されたりと紆余曲折を経て、今は江ノ島電鉄株式会社として小田急グループに組み込まれている。
 現在は鎌倉から藤沢までの約10キロを34分かけて往復している。15の駅は無人駅も多く、単線ゆえの待ち時間などもあり、ローカル線の風情が色濃い。民家の間をすり抜けるように走り、トンネルをくぐると目の前に海が広がったり、路面電車となって車と並走したり、乗っているだけで楽しくなる電車だ。

江ノ電-6

 湘南の海と江ノ電と江ノ島と。晴れていたらここからの夕景は素晴らしい。関東の駅100選にも選ばれている。この日は残念ながら夕方から曇りになって夕焼けも富士山も見られなかった。いつかまた、いい夕焼け写真を撮りに行きたい。下校する高校生カップルなんかがいればますます絵になるだろう。
 小さく見えている車両は10形(10+50号)で、ちょっと変わっている。紺色で、ヨーロッパの山岳列車みたいなスタイルの江ノ電だ。これも新しいレトロ調で、古いものではない。チョコ電と呼ばれる茶色い電車もあったのだけど、それはもう引退してしまった。

江ノ電-7

 これは本当に古い300形の305号だ。初登場は昭和35年だから、かなり長い年月活躍していることになる。最も江ノ電らしいスタイルの電車と言えるだろうか。301、302に続いて304号も引退してしまったから、この305号にはまだまだ頑張ってもらわないと。

江ノ電-8

 乗ったのが2両と2両をつなぐ先頭の席だったので、無人の運転席を見ることができた。電車好きにはたまらんポジショニングだろう。コンピューター制御など影も形もなく、いかにも手動で走らせているというオールド感がいい。
 この席から見てると、4両つないだ江ノ電は無理があるのか、コーナーのたびにあやしく車両が左右にうねって、今にも脱線しそうだ。江ノ電はスピードを上げたら危ない。

 こんな感じの江ノ電リポートになりました。江ノ電も調べてみると奥が深くて面白い。車両もこんにも種類があるとは思わなかった。ただ、車両が何号だろうとそんなものは関係なくて、江ノ電は見て乗って写真を撮って楽しむものだ。のりおりくんで乗り放題乗って、帰りには江ノ電もなかをおみやげに買って帰ろう。
 撮影ポイントとしては、ここで登場した御霊神社前と鎌倉高校前駅前が王道となるだろう。鎌倉高校前駅手前の坂道から海をバックに踏切を通過する江ノ電というのも定番だ。腰越駅で路面電車になるところも狙いたい。
 私もまた再チャレンジしに行きたいと考えている。それと、次は藤沢から鎌倉まで全15駅制覇もしたい。できれば全部の駅で降り立ってみたいとも思う。そのときこそ私は真の「のりおりくん」の称号を得ることができるだろう。


北鎌倉のコトー美術館の狭い裏庭に珍しいガクアジサイあり
2007年06月22日 (金) | 編集 |
古陶美術館-1

PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-50mm(f3.5-5.6 AL), f9.0 1/12s(絞り優先)



 北鎌倉駅から円覚寺を越えて2分ほど歩いたところに、鎌倉古陶美術館がある。古い陶器に興味があるわけではないから普通なら素通りしているところだけど、「いい旅夢気分」で平泉成夫妻がここの裏庭に咲くアジサイを紹介していたので、私たちも行ってみることにした。平泉成って誰だと思うかもしれないけど、顔を見ればたぶん分かるおじさん俳優だ。脇役で滅茶苦茶たくさん出てるから。少し前に「華麗なる一族」にも工場長役で出ていた。それはともかくとして、まずは入ってみよう。

 館長は趣味で鎌倉時代の陶器を集めていたらそれが昂じて脱サラして陶器の美術館を開いてしまったという人だ。鎌倉時代の陶器を系統立って展示してあるところがほとんどないということも、ここを作るきっかけになったという。言われみれば、鎌倉というのは古都にしては美術館のようなものが少ない街だ。観光地の通りに古美術店なども見かけない。私も鎌倉時代の陶器というのをあまり意識したことがなかった。
 古陶美術館は古民家三棟を強引につなぎあわせたような建物となっていて、それ自体が見どころとなっている。太い梁や古い柱などにも味がある。
 展示は大きなツボから茶碗などの小物までさまざまで、好きな人や専門家が見れば興味深いものなのだろう。でも、門外漢の我々にはさっぱり。巨大なツボを見て、どうやって作ったんだろうねこれ、などというすごく初歩的な会話が交わされていたのだった。大きなロクロを回したんじゃないのかなどととぼけたことを言ってみたり。
 尾形乾女という人の絵などが飾られていたようだけど、そんな人も知らない。私たちの目的はあくまでも裏庭のアジサイだ。きっと同じような人もたくさんいたに違いない。

古陶美術館-2

 裏庭のあじさいの小径は、文字通りの裏庭で、行き交う人とすれ違うのがやっとという狭さだ。お相撲さんお断りの立て札が必要なほど通路は狭い。散策路といったようなものではなくて、しかも順路がなくて最後は行き止まりになるのでしょちゅう人とすれ違うことになる。写真を撮ってる人がいると終わり待ちになったりもする。
 ここはガクアジサイが多かった。園芸品種ではなくヤマアジサイなんだろうか。プレートがたまに出ている程度で、品種に対するこだわりというよりも趣味で好きなアジサイを集めてみましたという感じだ。

古陶美術館-3

 アジサイの美しさはガクの色と形だけで決まるわけではない。小さいながら花の色によっても印象が違ってくる。薄ピンクのガクと花の紫が華やかだ。

古陶美術館-4

 これはちょっと変わったアジサイだった。見ようによってはやや不気味かもしれない。アジサイもまだまだいろんな可能性があることを教えてくれる。

古陶美術館-5

 つや消し紫のガクに少し惹かれた。すごくきれいというわけではないのだけど。

古陶美術館-6

 お客の入りはまずまずで、みんな何らかのカメラを持っていて、思い思いにアジサイ写真を撮っていた。今はちびっ子も自分の携帯で写真を撮る時代だ。写真というのもが昔に比べて軽くなったけど、自分が興味を持つ対象を知るという意味で写真を撮ることはいいことだ。それを他の人と共有することも簡単になった。

古陶美術館-7

 ここで一番気に入ったのがこれ。渋いね、君、とうならせる渋枯れの紫墨色アジサイ。ここまでくると風情を通り越して、わびさびの世界だ。お茶室にも似合いすぎるくらい似合いそう。可憐なものや華やかなものが多いアジサイの中で、この渋さは際立っていた。

古陶美術館-8

 花は平凡だけど、葉っぱが変わっていた。あまり美しいとは思えないけど、こういう方向性もあるんだということを教えてくれる。葉っぱの色まで作り出せるのなら、アジサイ作りの世界は更に広がっていく。

古陶美術館-9

 これまた変わったガクアジサイで、最初は緑のガクが時間とともに白くなっていく。抹茶をまぶしたみたいで面白い。

 裏庭のあじさいの小径には100種類以植えられていて、珍しいものも少なくない。通路は狭くて人の流れが落ち着かないけど、坐る場所も用意されていて、けっこう満足度は高かった。平泉成夫妻の鎌倉紹介番組を観なければ、決して入ることはなかっただろう。こういうのもまたひとつの縁だ。行けてよかった。
 裏庭の公開は5月から6月にかけてのアジサイのシーズンだけだ。あとは閉鎖されている。入園料は500円。陶器を見ずに裏のアジサイだけならちょっと高い。寺の拝観料でも最高300円だから。陶器に興味がある人は、アジサイとセットでお得だ。時期的にはそろそろ見頃過ぎといったところかもしれない。ここのは他のところよりも早い感じだった。今週末まできれいな状態が持つかどうか。
 ツボに興味がある人もない人も、北鎌倉のちょっとした穴場アジサイスポットとして古陶美術館をおすすめします。光則寺とはまた違った種類のガクアジサイを楽しむことができますよ。


6月の長谷寺は新宿駅よりも混雑し、ディズニーランドよりも並ぶのだ
2007年06月21日 (木) | 編集 |
長谷寺門前

PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-50mm(f3.5-5.6 AL), f10 1/32s(絞り優先)



 アジサイの時期の長谷寺は新宿駅並みに人が多い。門前からしてすでにこの状態。入口に近づくほどに人口密度が高くなる。あまりにも人が多いのでちょっと笑ってしまうくらいだ。世の中に自分と同じことを考えてる人がこんなにも大勢いるんだなぁと思う。
 このとき午前10時前。開門が8時半だからすでに出遅れた感がある。ただ、ここから昼にかけてますます混雑が増していくので、ぎりぎり間に合ったといったところかもしれない。ゴールデンウィークも混んでたけど、ここまでではなかった。とにかくどれくらいの待ち時間になるのか状況がまったく読めなかったので、とりあえず入口付近まで近づいてみることにした。
 入場券を買うのに並んだのは5分かそこらでそんなにたいしたことはなかった。そこからさらっと入れてしまって、なんだこれは、大丈夫じゃん、全然待ちなんてないじゃんと拍子抜けしてしまった。待ち時間が3時間なんて大げさだなぁ、はは。と、ここまでは余裕だった。というか、全然分かっていなかったウブな私。行列は今ここにある危機ではなくこの先に待ち受けていたのだった。境内の混み具合はそれなりで、渋滞しているというほどではない。人をよけつつそれなりに自由が利く。
 長谷寺は前回見て回っているので途中は飛ばして、すぐに上に登ってアジサイの小径へ向かうことにした。今回の目的はそこだけだったから。

長谷寺のアジサイ-2

 と、その前に、入ってすぐのところに何やら人だかりができていた。何かを取り囲んでみんなで写真を撮っている。誰か有名人でも来ているのかと思ったらアジサイだった。なんだそりゃ。アイドルの撮影会に来ているカメラ小僧たちみたいだ。なんとなくおかしかった。このあと別の場所でどこかのおじさんが口にした言葉が思い出される。
「人が撮ったところはたいていいい場所だからそこで撮ればいい」
 確かにその通り。みんな撮るところはだいたい決まっていて、そこはやっぱりよくて、みんな同じところで撮っていく。私たちもまた、例外ではなかった。

長谷寺のアジサイ-3

 みんなが撮っていたのがこのアジサイだ。変わった形のガクをしていて、紫色にも品がある。なるほど、これはいいねと一目で思う。たくさんあるアジサイの中でも第一印象でハッとさせるものはどこか他のものとは違っている。クラスの中でみんなの注目を集めるアイドルがいるようにアジサイの中にもアイドルは確かに存在する。
 新種のアジサイで「かまくら」と命名されたと書かれていた。作出は加茂花菖蒲園。静岡県掛川にあるここはアジサイ作りにも力を入れているようで、ネットで調べたらアジサイの通販もしているようだ。このアジサイは鎌倉名物として定着していくだろうか。

長谷寺のアジサイ-4

 結局、待ち時間というのはアジサイの小径に入るためのもので、入場券に押された整理番号によって入場制限がかかるために待ちが出るのだった。番号でグループ分けして、順番が来るまで入れない仕組みになっている。私たちの番号は1時間待ちだった。やっぱりか。この時期の長谷寺が5分くらいの待ちで入れるほど甘いものではなかった。私が間違ってました。
 ただ、長谷寺のいいところは、入場券に再入場許可のハンコを押してもらえばいったん外に出てもまた入れるというシステムになっているところだ。なので我々のように近くの光則寺へ行ったり、この時間を利用してお昼を食べたりなんてことができる。自分たちの番号が解禁になっても、そこから行列に並ばなければいけないから、実質的な待ち時間はもっと増えることになるのだけど。
 上の写真はようやくアジサイの小径の入口を入ってアジサイ群生が始まったところだ。最後までこんな調子で行列に並びながらゆるゆると進むことになる。基本的には追い越し禁止。たまに写真を撮ったりしていると追い越されてしまったりもしつつ、後半はルーズになっていく。いったん入ってしまえば時間制限はないからいつまでいてもかまわない。

長谷寺のアジサイ-5

 ここのアジサイは、山の斜面にややワイルドな感じで咲き乱れている。見渡す限りのアジサイというのは小さな写真ではちょっと伝わりづらい。実際のアジサイ群生は、わぁーっと声が出るほどきれいだ。
 この時間帯は日差しが最高潮のときで、アジサイ撮影には厳しい条件だった。光と影のコントラストがきつすぎてアジサイのしっとりとした風情はない。梅雨時の花でもあるし、照りつける太陽は似合わない。
 とはいうものの、40種類以上、約2,500株のアジサイはなかなかに素晴らしい。こりゃすごいと素直に感動する。
 長谷寺が裏山に本格的にアジサイを植え始めて散策路を整備したのは2002年頃からだそうだ。その前にも境内にアジサイはあったのだろうけど、長谷寺がアジサイ名所となったのは最近のことのようだ。名月院の方は戦後1950年(昭和25年)くらいからすでにアジサイ名所となっているから、歴史はずいぶん違う。
 この散策路が去年、ちょっと問題になった。許可を得ずに勝手に拡張整備したとして県の調査が入ったのだ。どうやら古都保存法に抵触してしまったらしい。あの問題は結局どうなったんだろう。最悪、元の自然な状態に戻されるという話だったのだけど、今年見た限りではそんな様子はなかった。話し合いで解決したのだろうか。長谷寺としてはアジサイシーズンは1日に1万人を超える観光客が訪れるかき入れ時だから、下手に横やりを入れられちゃたまらないといったところだろう。お寺が一日に拝観料だけで300万円も稼ぐというのも問題な気がするけど、あの散策路はあれでいいだろう。あれ以上狭くなったらますます渋滞がひどくなって待ち時間もとんでもないことになるし、危険でもある。むしろもっと広げて欲しいくらいだ。

長谷寺のアジサイ-6

 長谷寺ではアジサイの景観ばかり撮っていて、花をほとんど撮ってなかったことに帰ってきてから気がついた。これはその中の数少ない一枚だ。この日の私は、青や紫の微妙なニュアンスの違いに心惹かれていたらしい。撮った写真は青や紫の花が多かった。

長谷寺のアジサイ-8

 長谷寺で一番撮りたかったのがここ、山の上からアジサイの向こうに見える由比ヶ浜の風景だった。もうひとついいポジションがなくて、手前のアジサイも好みではなかったのだけど、ここはやっぱり絵になる。テレビ版の「世界の中心で、愛をさけぶ」の紫陽花の丘を思い出した。
 アジサイと海のとりあわせでは成就院がロケーションとして最高なのだけど、前年の大雨による被害と補修工事で、今年はまったく駄目だったようだ。来年は復活するのだろうか。

 鎌倉のアジサイのよさは、それぞれの場所でそれぞれの味わいがあって、一日でいろいろな楽しみ方ができるところだ。明月院には明月院の味わいがあり、長谷寺には長谷寺のよさがある。同じ食材でも調理方法が変わればいろんな美味しさがあるのと同じだ。特に明月院と長谷寺は対照的なので、両方巡るとそれぞれのよさが分かっていい。
 鎌倉アジサイシリーズはこのあと、古陶美術館編、御霊神社編と続きます。もう少しおつき合いください。


ちょっとついでのつもりで寄った光則寺でガクアジサイを堪能する
2007年06月20日 (水) | 編集 |
光則寺-1

PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-50mm(f3.5-5.6 AL), f8.0 1/50s(絞り優先)



 長谷寺で整理券をもらったあと、1時間の待ち時間を利用して、近くの光則寺(こうそくじ)へ行くことにした。こちらはややマイナーな存在のお寺ということで訪れる人もさほど多くない。庭のアジサイをゆっくり見て回ることができる。長谷寺から歩いても5分くらいで、写真を撮りながらアジサイを見て回って30分ほどなので、あちらの待ち時間を使うには最適なところだ。拝観料はセルフで100円。

光則寺-2

 もともとは鎌倉幕府第5代執権北条時頼の重臣だった宿屋光則の邸宅があった場所で、のちに日蓮に帰依した光則が屋敷を改築して建てたのが光則寺だ。
 日蓮が幕府を批判した意見書『立正安国論』を、寺社奉行だった宿谷光則と父の行時の手を経て時の執権北条時頼に渡されたことから(1260年)、ここに『立正安国論』の石碑が建っている。しかし、日蓮のやり方は無謀だった。鎌倉で流行ってる疫病や飢饉や災害などの原因は幕府が禅宗などにうつつを抜かしてるからで、それをやめないとますます国は乱れて権力者は早死にするぞなんてことを書いた文章を堂々と正面から送りつけたのだから、タダで済むはずもない。激しい迫害を受けて、とうとう1271年に佐渡に流罪となってしまった。
 弾圧は弟子にも及び、弟子だった日朗上人と4人の信者は、ここ光則寺に幽閉されることとなった。そのとき入れられていたという土牢が今でも裏山に残っている。監視の任に当たったのがこの屋敷の主人宿屋光則だった。ただし、ずっと牢に閉じ込められていたわけではなく、日朗上人は佐渡の日蓮に会いに7回も佐渡に行っているところから、わりとゆるやかな軟禁状態だったようだ。自分が流されても弟子を気遣う日蓮の姿勢に感銘を受けた宿屋光則はやがて日蓮宗の信者となり、屋敷を光則寺にしたのが1280年頃のことだった。自らの三代目の住職を務めている。
 日蓮は1274年に許されて、鎌倉を経由して、山梨県の身延山に入った。そこで久遠寺を創建している。53歳から9年間その地にとどまり、病を治療するため茨城に湯治へ行く途中、東京の池上(大田区で現在本行寺が建っている)で体調を崩して生涯をを終えることになる。遺言によって身延山に埋葬された。

光則寺-3

 光則寺のアジサイは、原種のガクアジサイか、原種に近いものがほとんどで、観光客向けというよりも住職が趣味で育てているような印象を受けた。境内の小屋にはリスとクジャクがいたりもして、あとから考えるとちょっと面白いお寺だった。アジサイには写真付きのネームプレートもかかっていて、その写真も住職が自ら撮ったものらしい。そのへんからしても、ここが趣味の庭的なアジサイなんだと思う。珍しい品種も多くて、他のメインどころとは違った面白さがあった。
 名前はいちいちメモ撮りしなかったからまったく覚えていない。アジサイの場合、バラとは違って名前はまあいいかと思ってしまう。再現性がないというか、アジサイ自体あまりあちこちで見る機会がなくて、他の場所で同じ種類のアジサイと出会う確率も低いから、頑張って覚えようという気になれない。
 アジサイの品種は、全部で500種類以上あるといわれている。日本産のものが100種類以上、西洋で改良されたものや逆輸入されたものもあって、はっきりと品種名が分からないものもある。バラのように系統立っていないのかもしれない。

光則寺-4

 原種の他に雑種や園芸種なども混ざっている。プレートには産地と名前が書かれているのだけど、それはその地で品種改良されたものなのか、その場所で見つかった原種のアジサイなのかはよく分からない。中には「園芸品種?」と書かれたプレートもある。そんな問いを私に投げかけられても困ってしまう。

光則寺-5

 鉢植えが多い中、このように直接地面に植えられた大きなものもある。このアジサイは特に見事だった。形からするとこれは西洋アジサイだろうか。淡いピンクとブルーが一本の木から出ていて、遠くから見るとティッシュで作った飾り物の花みたいに見えた。ネピア的アジサイ。

光則寺-6

 八重咲きのようなガクが密になった、変わったタイプのアジサイ。清楚なピンク紫が美しい。
 アジサイはアップで撮るとアジサイらしくなくなってしまうことが多いのだけど、これはアップがよく似合う。

光則寺-7

 これはアジサイだったのかそうでないのか。ソフトクリームのような形に咲いている。葉っぱもアジサイらしくなかったから、違う花かもしれない。

光則寺-8

 上品な青のガクアジサイ。ガクが四つ葉のクローバーのよう。
 よく知られているように、アジサイの花びらに見えるような部分は飾り花で、実際の花は中心の小さい部分にある。ガクがどうしてこんなに美しくて大きくなったかといえば、やぱり受粉のために虫たちを惹きつけるためなのだろう。けど、アジサイに虫たちがたかっている姿はほとんど見ない。花に匂いもないし、これじゃあ虫たちも寄ってこない。じゃあどうしてるんだろうと思ったら、自家受粉もするようだ。で、受粉すれば種もできて、その種を取って蒔いたり、地面に落ちればまた新しい芽が出てくる。アジサイの品種改良の原理は単純で、違う花同士で受粉させてうまくいけば別の種類のアジサイが生まれてくる。定着させるのは難しいのか簡単なのか。土壌によっても色が変わるから、アジサイ作りは思うようにいかないのかもしれない。逆に言えば何色が出てくるか分からない面白さというのもありそうだ。

光則寺-9

 登る石段の脇にもアジサイが植えられていて、ちょっと明月院風でよかった。
 境内には全部で150種類ほどのアジサイがあるようで、思いがけず楽しませてもらった。長谷寺の待ち時間でついでに寄るのが失礼なほど、ここはここで充分堪能できる。待ち時間があってもなくても光則寺はおすすめだ。
 長谷ゾーンとしては、アジサイの季節なら長谷寺を中心に、光則寺と御霊神社の3点セットがいい。大仏を見たことがなければ、高徳院まで足を伸ばしたい。隣駅の極楽寺駅ゾーンにも極楽寺と成就院があって、そちらまで歩けない距離ではない。ただし、今年は成就院のアジサイが全滅してるのでそちらまで行くまでもないだろう。極楽寺もアジサイはあるようだけど境内撮影禁止では仕方がない。
 けっこういい時間になったところで、我々は長谷寺へ戻ることにした。


たかがアジサイされどアジサイ、明月院ブルーは伊達じゃない
2007年06月19日 (火) | 編集 |
明月院のアジサイ-1

PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-50mm(f3.5-5.6 AL), f5.6 1/60s(絞り優先)



 鎌倉のアジサイといえば、長谷の長谷観音と北鎌倉の明月院が2大名所として知れ渡っている。梅雨時の晴れ間のピークの日曜日となれば行列は必至。最大3時間待ちという情報におびえつつ、我々は鎌倉へと向かった。
 行くなら朝イチか閉門前という鎌倉アジサイおじさん(私たちが勝手に命名)のブログを信じて、明月院へは夕方の3時半頃に行った。アジサイおじさんは正しかった。門へと向かう参道で向こうから続々と人が戻ってくるのとすれ違う。これはいけるかもしれない。門の前で少し行列が出来ていて、あちゃちゃと思ったら、それもあっさり進んで何事もなく中に入ることができた。ちょっとあっけないほどに。とはいえ、中はさすがに大混雑状態。身動きが取れないほどではないけれど、人口密度は恐ろしく高い。

明月院のアジサイ-2

 おー、これが……。ため息が漏れそうな青いアジサイ。こいつが噂の明月院ブルーというやつか。なるほど、これはなかなか。青いアジサイは最もポピュラーで子供の頃から見慣れているはずなのに、ここのものはどこか違っている。青の微妙なニュアンスが違うのだろう。
 明月院のアジサイは、大部分が日本古来の姫アジサイという品種で統一されている。一般的に日本のアジサイはガクアジサイで、鞠のようなものは品種改良された西洋アジサイと思っていたら、日本産の丸いアジサイもあったのだ。知らなかった。花は西洋アジサに比べて少し小さめで、日本らしい風情と品がある。最初は淡い青からだんだん深い青へと変化していくのだそうだ。
 明月院ブルーはファーストコンタクトで我々を魅了した。

明月院のアジサイ-3

 アジサイも光の加減でずいぶん違った印象になる。アジサイだけは強い日差しは似合わない。薄曇りか雨模様くらいがちょうどいい。
 ここは明月院のアジサイを紹介するときに必ず出てくる三門前の階段のところだ。人の波が絶えることなく続く。ここで人の入ってない写真を撮ろうと思えば、平日の開門の8時半前に並んでダッシュするしかない。私は人がいる写真が好きだからこれでいいけど、狙い通りに人を入れるのは難しい。カップルだけとか和服の人とかを入れて撮ろうとすれば、相当粘らないといけないだろう。

明月院のアジサイ-4

 一番の撮影スポットとなっている三門前は、アジサイを撮る人、お互いに記念写真を撮るカップル、人に頼んでツーショットを撮る人たちなど、明月院でもっとも笑顔があふれる場所だ。うかつにアジサイの写真なんかを撮っていると私みたいな人にアジサイを撮っているところを撮られてしまう。明月院では好むと好まざるとに関わらず自らがどこかで誰かの被写体になることは避けられない。この時期の明月院はお忍び旅行には向かない場所だ。

明月院のアジサイ-5

 この日の明月院で一番いいなと思ったシーン。
 この子は直接今日のことを覚えてはいないだろうけど、意識の深いところで記憶に刻まれたに違いない。大人になって、青いアジサイに妙に惹かれてしまったり、明月院に呼び寄せられたりしてしまうんじゃないだろうか。三つ子の魂百まで。覚えていないことでもたくさん経験することは大切なことだ。

明月院のアジサイ-6

 やぐら前のアジサイ。この時期は霊たちも深い眠りから目覚めさせられておちおち眠っていられないだろう。いつからここはこんなにも騒々しい場所になってしまったんだと嘆いているだろうか。それとも、賑やかになって喜んでいるかな。北条時宗や上杉憲方たちは今でもここにいるのだろうか。

明月院のアジサイ-7

 特に深い意味があるわけでもなさそうな木の橋。みんな列をなして歩いている。私も最初に訪れたとき何かいいことがありそうで歩いてみたけど何もなかった。
 裏の参道側にもたくさんの青いアジサイが咲いていて、こっちはこっちでよかった。ずっと奥までアジサイが群生している様子は表参道とは違った美しさがある。

明月院のアジサイ-8

 500円払って菖蒲園の方も入ったりして、結局ここで1時間近くを過ごした。アジサイを思う存分見て、撮って、おなかいっぱい。目を閉じるとブルーのアジサイが目に浮かぶくらい見た。
 ここはもうさすがと言うしかない。まいりましたと、シャッポを脱ごう(表現が古い)。アジサイというと何十種類、何百種類、色とりどりのアジサイが咲き誇るといった宣伝文句が多い中、ブルーにこだわって統一させたのは正解だった。アジサイは日本全国どこででも見られるけど、明月院ブルーは明月院でしか見ることができない。日本中から大勢の人が混雑すると分かっていてもあえて出向いていく気持ちが理解できた。素晴らしいと言い切ってしまっても差し支えはないだろう。いや、お見事、いいもの見せてもらった。
 まだしばらく見頃は続きそうだ。来週末は少し遅いだろうか。ここでアジサイを見れば、たかがアジサイという侮りの気持ちが消える。されどアジサイ、天晴れ明月院ブルー。


6月の田んぼに母ケリの鳴き声が響いてヒナはエサ捕りに忙しい
2007年06月18日 (月) | 編集 |
田んぼのケリ-1

 ただいまです。東京・鎌倉行きから無事戻りました。
 行く前に並べようと思っていたケリの写真を今ここで。

田んぼのケリ-2

 留鳥であるケリが初夏の田んぼで目立つのは、今が子育ての時期だから。生まれたばかりのヒナを守