現身日和【うつせみびより】
この世界にはたくさんの美しいものや面白いものがあることを知るための毎日であれば、それは楽しくて幸せなこと。
小堤西池の鳥写真を並べて今日は早々と寝てしまう私なのであった
2007年06月02日 (土) | 編集 |
小堤西池の鳥たち-1

OLYMPUS E-1+Super Takumar 200mm(f3.5), f4.5,1/50s(絞り優先)



 田植えの終わった田んぼでエサを探すハクセキレイさん。何か美味しいものは見つかりましたか。
 今日は時間がないので、小堤西池で撮った鳥写真を並べて、おやすみなさい。明日は早起きして、花フェスタへバラを見に行くのだ。

小堤西池の鳥たち-2

 ハクセキレイが何度もホバリングを繰り返してくれたのに、まともに撮れたのはこれ一枚。サービスし甲斐のないやつめとハクセイキレイさんもご立腹だったかもしれない。飛んでる鳥を普通の装備で撮るのはやっぱり難しい。しかも、水面に映ってることに気づかず、構図も残念。もっと練習しないと。

小堤西池の鳥たち-3

 ダイサギさんを見てると、首を長くして待つってのがどういうことなのかがよく分かる。首がびよ〜ん。普段はひっこめてるけど、いざとなったらとっても首長のダイサギさんなのであった。遠くに何かいいもを見つけたのかな。

小堤西池の鳥たち-4

 あぜ道に佇むカラスさん。少し思わせぶりな態度。賢い彼らは毎日何を考えてるんだろう。都会では嫌われ者のカラスも、郊外では気ままに暮らしているように見える。カントリーライフを満喫してますか?

小堤西池の鳥たち-5

 田んぼの泥んこにむんずを足を踏ん張って、農作業でもしてるようなカラスさん。カラスを飼い慣らして田植えをしてもらうって作戦はどうだろう。頭がいいから、その気になればそれくらいはできそうだ。問題は、カラスをどうやってその気にさせるか。

小堤西池の鳥たち-6

 水が張られた田んぼの夕暮れはドラマチック。普段は平凡な風景がこのときばかりは非凡なものとなる。ただのカラスも、犬を散歩させるおばさまも、ドラマのワンシーンのようだ。

小堤西池の鳥たち-7

 夕暮れの空をいく三羽はカワウだったかカルガモだったか。鳥だって夜は寝るし、自分たちのねぐらを持っている。鳥目だけに夜はよく見えないから寝てしまうのだ。日が暮れたらうちに帰ろう。私の鳥撮りも日没で終了となる。

 明日は撮りたてのバラ写真をお届けする予定です。菊雄のバラたちに会うのが楽しみ。新たなお気に入りにも出会えるといいな。バラソフトクリームを食べるのも忘れないようにしなくては。


山手洋館をめぐる現在と過去と光と影と ---プレイバックpart2
2007年06月02日 (土) | 編集 |
山手洋館-10

PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-50mm(f3.5-5.6 AL), f7.1 1/25s(絞り優先)



 洋館巡り終盤は時間との戦いとなった。こうなるとノスタルジーに浸るも何もなくなってしまうけど、旅は一期一会。もう一度来られる保障はどこにもないから、貧乏性と言われてもできるだけ欲張って見ておこうと先を急いだ。そしてその判断は結果的に間違っていなかった。
 写真はエリスマン邸。山手のこのあたりは木々が多くて、夕方の木漏れ日が洋館をまだらに染めていい感じだった。
 エリスマン邸は山手で一番最初に公開された洋館だ。もともとは山手の127番に建てられた家で、第二次大戦でも被害に遭わず、所有者が転々としながらもかつての姿をとどめていた。1982年に集合住宅建設で解体されることになり、歴史的に貴重な建物ということで横浜市が譲り受けて、今の場所に移築して保存されることになった。ただし、解体前は和洋折衷の家屋だったものが移築の際に洋館部分のみとなっているので完全な復元ではない。

 エリスマン邸は1926年(大正15年)に、スイス人貿易商フリッツ・エリスマンの私邸として建てられた。1888年(明治21年)に来日したエリスマンは、1940年(昭和15年)まで日本で暮らし、墓は外国人墓地にある。
 設計は、日本現代建築の父の父と呼ばれるアントニン・レーモンド。帝国ホテルなどの設計で知られるフランク・ロイド・ライトの助手として来日したチェコ人だ。このときは師匠であるライトから独立して間もない頃で、まだ完全には自分のスタイルを確立していなかったときだ。ライトの影響もあちこちに残っていると言われている。のちに、東京女子大学本館やイタリア大使館山荘、札幌聖ミカエル教会など、日本各地に多くの作品を残すことになった。
 ペパーミントグリーンとエメラルドグリーンの色調は当時のままなのか、移築後の塗り直しなのか分からないけど、周囲の木々と溶け合って爽やかなイメージに仕上がっている。都会的に洗練されているというよも、いい意味でカントリー調だ。アメリカンな感じに近い。

山手洋館-11

 中に入ると、とても洋館らしい洋館となっている。家具などは当時のものが残っておらず、過去にレーモンドが設計した調度品を復刻してものを展示する形になっている。ライトの弟子らしくレーモンドも内装まで自分で設計していたそうだ。確かに家というものは本来、外観と内装とあわせて一つのものだ。自分の設計した家というからには内部まで自分の思想を行き渡らせてこそだろう。
 洋館お約束のシャンデリアとサンルームもしっかり完備されている。洋間は今でこそ見慣れた部屋に近いから驚かないけど、明治や大正にこの部屋を見た日本人はけっこうびっくりしたことだろう。ふすまと畳の日本家屋とは何もかもが違っている。
 一階奥の厨房にあたる部分がエリスマン邸喫茶室となっている。ここから先の石川町方面は、洋館が点在していて歩く距離が長いから、ここで一休みするのもいい。私たちは時間に追われて、洋館の中を駆けるように巡り歩く。洋館の中では走らない!

山手洋館-12

 二階に上がる木の階段に光が差し込んで、なんだか妙に懐かしい感じがした。
 二階では山手の歴史や洋館の紹介などが写真や図で紹介されていた。テラスもある。

山手洋館-14

 エリスマン邸の前のベンチではノラが昼寝中だった。近づいても逃げない。なんだこいつら昼寝の邪魔をしやがってと迷惑そうに薄目を開けると、その瞳はブルーだった。ノラ猫の目まで洋風とは念が入っている。
 横浜の観光スポットは人が多すぎて猫の姿がまったくなかったけど、山手まで来るとノラの姿が増えてくる。このあたりは自然も多いし、公園もあるし、お世話してくれる人たちもいるのだろう。人間にも慣れていて、のんびりしていた。観光客の遊び相手にもなってくれる。

山手洋館-13

 最後にやって来たのがベーリックホールで、ここが今回の山手巡りで最も印象的な洋館となった。
 門をくぐって敷地に入ると、突然ガラリと雰囲気が変わって少したじろぐ。前触れなしのスパニッシュ空間。広い芝生の前庭と横長箱形の館。ニョキッと出ている蘇鉄がちょっと南欧のリゾート地を思わせる。しかも大きい。これまで見てきた中で一番規模の大きな洋館だった。
 設計は山手111番館も手がけたJ.H.モーガン。どうやらモーガンという人は個人宅を作るときはスペイン風が好みだったようだ。アーチ状の玄関ポーチや外壁の感じなど山手111番館と共通するところが多い。

 この館の主は、イギリス生まれの貿易商バートラム・ロバート・ベリック。親族が横浜で経営していた貿易会社を手伝うために20歳のときに来日して、のちに会社を引き継いで大成功を収める。この邸宅の立派さからも裕福さがうかがえる。
 もともとこの場所にあった屋敷は関東大震災で倒壊してしまって、その後J.H.モーガンに依頼して現在の家を建てた。しかし、ベリック一家がこの家で暮らしたのは10年ほどのことで、第二次大戦が始まると日本を去ってカナダに移住していった。
 戦後はアメリカ軍に取り上げられて、中将の宿舎として利用されていたという。親族に返されたのち、カトリック・マリア会に寄贈されて、セント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使われることとなる。そのときべーリック・ホールと呼ばれるようになって、それが現在の名称として残った。1階は勉強や礼拝のために使われ、2階は寝室となっていたようだ。多いときで30人ほどの子供たちがここで暮らしていたという。
 2000年(平成12年)にスクールが廃校になり、横浜市が敷地を買い取って建物を譲り受けたあと、2002年から一般公開されるようになった。

山手洋館-15

 広々としたホールは個人宅とは思えないほど贅沢な空間だ。片隅に置かれたピアノが小さく見えるなんて、現代日本の住宅事情からは考えられないくらいだ。私の部屋にピアノを置いたら、ピアノの上で食事をして、ピアノの足の下に布団を敷いて寝ないといけなくなる。
 高い天井と暖炉と大きな窓。ベリック一家はここで何をしてたんだろう。私なら上手い利用方法が思いつかない。せいぜい友達を呼んでピンポン球とプラスチックのバットで野球をするくらいだ。立食パーティーとかを開いてたんだろうか。

山手洋館-16

 家具や調度類は当然当時のものではなくて、想像による復元だ。いったんはスクールの寄宿舎となっていたこともあって、資料なども残ってないようだ。それゆえに、家の中は作りものめいていて、家族のぬくもりのようなものは感じられない。このダイニングルームなども、ドラマのセットみたいだ。無言で進む上流階級の静かすぎる食事風景しか思い描けない。実際はどうだったんだろう。

山手洋館-17

 グリーンの壁のかわいい子供部屋。ぬいぐるみなども置かれていて、いかにも裕福な家の坊っちゃんの部屋という感じになっている。しかし、このときベリック家の息子はすでに成人していたというから、ちょっとやりすぎの演出だ。部屋自体はとても素敵なんだけど。
 隣にはピンクを基調にした夫人の寝室もある。それも過剰な演出のような気がする。飾り窓はとてもいい感じ。
 この家はとにかく採光のセンスが素晴らしい。立地条件にも恵まれたのだろうけど、光の計算が行き届いていて、窓から差し込む光が作り出すコントラストが部屋をドラマチックに演出している。主な部屋を全部南向きに設計してあるということだから偶然ではない。たまたま行った夕方時間というのも幸運だった。真昼ならこの光と影のドラマを目にすることはできなかっただろう。欲張っていいこともある。

 今回の山手洋館巡りはここで時間切れとなった。残った主な建物は、石川町駅に近いイタリア山庭園、外交官の家、ブラフ18番館あたりになる。機会があればもう一度出向いていって、全部制覇したい。
 それにしてもやはりべーリック・ホールだ。ここを見るだけでも山手洋館巡りをする価値がある。特に夕方の日が傾いた時間帯をおすすめしたい。洋館の光と影は、歴史と外国人の陰と陽を見るようでもあった。外国人居留地というけど、言い方を換えればここ以外に住んではならないという場所に閉じ込められたのだから、裕福だからといって必ずしも幸せに暮らしていたとは言えなかっただろう。日本人とのトラブルを防ぐためにも、互いの交流はかなり制限されていた。遠い異国の地で孤独も感じたに違いない。そういうある種の暗さのようなものも、山手の洋館地区には見え隠れしている。光に満ちていたわけではない。
 ここで何を感じるかは人それぞれだけど、実際に自分で行ってみると、ガイドブックには書かれていないたくさんのことを感じられることだけは間違いない。ぜひ機会があれば出向いて行ってみて欲しい。通しで歩いて2時間くらいだろうか。家の中も見て回るとなると、3時間コースとなる。
 今回の横浜観光編も次回の中華街が最終回となる。歩き疲れた我々は猫を求めて中華街の中をこれでもかと歩き回ることになるのだけど、それはまた次回。食べたものはラーメンとチャーハンという、貧乏くさいオチがつく。




プロフィール

オオタ(マサユキ)

Author:オオタ(マサユキ)
ブログランキング・バナー(FC2)
ブログランキングに参加してます
Dry&Wet(ホーム)



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する