 PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-50mm(f3.5-5.6 AL), f7.1 1/15s(絞り優先)
東京の北区西ヶ原にある旧古河庭園に行ったのは、横浜へ行った前日の5月19日のことだった。ちょうどバラのシーズンということで、ライトアップのイベントなどもあって、午後から夜にかけてゆっくり見学してきた。今日はその紹介をしよう。 旧古河庭園というからにはかつて古河さんちだったところということだ。それ以前、ここには明治の政治家陸奥宗光の屋敷があって、宗光の次男潤吉が銅山王と呼ばれた古河財閥の創始者古河市兵衛の養子に入ったことで、古河家のものとなった。そのときはまだ洋館は建っていない。 洋館ができたのは1917年(大正6年)、古河家三代目の虎之助が、ジョサイア・コンドルに依頼して洋館と庭園を築いた。岩崎邸、鹿鳴館、ニコライ堂などを設計したコンドル先生最晩年の作品ということになる。40年以上日本で暮らしたコンドルは70ほどの設計を実現させて、そのうち現存するものは少なくなった。その中でも屋敷と庭園までそのままの形で残っているのは旧古河庭園だけということで、この洋館は貴重な存在なのだ。 戦後はイギリス軍将校の宿舎として利用されたりしたあと、住む者がいなくなってかなり荒れ果てていたという。その後所有は国へ移り、それを東京都が無料で借り受けて、管理を担当している大谷美術館が7年をかけて修繕した。1989年(平成元年)から一般公開されている。入場料150円は良心的だ。
 邸宅は武蔵野台地の斜面を上手く利用して建てられている。北の高台に屋敷を配置して、見下ろす南に西洋庭園を作っている。屋敷の窓から庭園全体を眺めることができるというわけだ。更に西洋庭園より南の低地には日本庭園を持っている。不思議な和洋折衷も古河邸の特徴となっている。 総面積は約3,000平方メートル。洋館は、英国貴族の邸宅をイメージした古典様式で、壁はレンガ造り。使われているのは真鶴産の新小松石(安山岩)で、黒くて非常に重厚な趣だ。屋根は屋根は天然ストレート葺きで、二階建て(地下一階)。 内部も変わっていて、一階は完全な洋館なのに、二回は畳敷きの和室になっているそうだ。ふすまとドアが二重になっていたり、畳の部屋なのに出窓があったりして、ちょっと変な作りになっているらしい。日本での暮らしが長くなった晩年のコンドルの中では、形式美と機能美が和洋混然となって自身の中に矛盾なく成立していたのかもしれない。ぜひ見たかったところなのだけど、洋館の内部を見るには往復ハガキで予約をしなければいけないので、このときは見ることができなかった。ガイド付きで1時間のツアーになっていて参加料も525円というから、ちょっと面倒だ。一階の喫茶室だけなら予約は不要のようだけど、このときは結婚披露宴か何かをしてたようでそれさえも入れないような雰囲気だった。
 西洋庭園のバラは、盛りを過ぎて終わりが近かった。東京のバラは早かった。それでも人は満載だから、さすが東京だ。狭い通路が渋滞してしまうほどだった。みんな本当にバラが好きだなと思う。バラのあるところ、どこにでも人は集まってくる。普段はそこほど人が訪れるとも思えない古河庭園も、バラの時期はとても賑やかになる。ほぼ全員が写真撮りまくり状態。 こちらの設計もコンドルが担当している。植え込みで幾何学模様を作っていて絵画的だ。様式としては、フランス整形式庭園とイタリア露壇式庭園を組み合わせたものとなっているのだとか。 バラは約90種180株。私にはなじみのないものが多かった。そもそも誰が作ったバラ園なんだろうか。古河家の時代もここにバラが咲いていたのか、戦後になって植えられたものなのか。イギリス庭園といえばバラはつきものだから、昔からある程度はあったのかもしれない。 バラのピークは過ぎてしまったものの、二番咲きなどがあるので、バラは6月いっぱいは楽しめるそうだ。ライトアップは5月の20日で終了した。
 こちらは中央の心字池を中心とした日本庭園で、作者は京都の庭師植治こと小川治兵衛。よく知らないのだけど、平安神宮神苑、円山公園、無鄰庵などを作った有名な庭師らしい。 日本庭園の良し悪しは正直よく分かってない。みんながありがたがるほど枯山水もいいものだとは思えない。ここも、ふーんという感じだった。私もじじいになれば日本庭園の素晴らしさも分かるようになるのだろうか。
 洋館の横には贅沢な芝生の空間が広がっている。学校の社会見学で連れてこられたら絶対ここで野球をやってしまいそうだ。洋館見物などそっちのけで。でも、普段はあまり入ってはいけないような雰囲気だった。コンサートや公演なんかのイベントのとき以外は。レジャーシートを敷いて弁当を食べるにはいいロケーションなんだけど。
 旧古河庭園名物「ばらの花ようかん」。450円。 食べていないので味は分からない。実はツレが買って、今まだツレの家の冷蔵庫の中で眠っているはずだ。白あんの中にバラの花びらが練り込まれていて美味しいらしい。近いうちに食べる機会もあるだろう。このときはバラアイスもあったのだけど、雨が降って寒くてアイスどころじゃなかった。 次の日、ふいにツレがポツリとつぶやいた。羊羹と洋館って、ダジャレ? と。確かにそうかもしれない。そうでなければバラを羊羹にする必然性はあまりない。でも製造地を見たら、旧古河庭園でも東京でもなく、新潟かどこかだった。なんだろう、ちょっと複雑な気がした。こことは無関係にバラ羊羹を作っている地方の店があって、それを知った旧古河庭園が自分のところで名物として販売してるということだろうか。それとも、委託して製造してもらっているのか。そう思って宣伝文句をもう一度よく読んでみると「旧古河庭園オリジナルラベル」とある。オリジナルはラベルだけだったか!
 ライトアップ後のイベントとして、ギターとバンドネオンによる演奏会が開かれた。リオ・ハポニコって誰だろう。個人的にはここでバタヤンの演奏が聴いてみたかった。ギターを高い位置に掲げて、我が町松坂が生んだスター田端義夫の歌声とギターの音色を旧古河庭園に響かせて欲しかった。ミスマッチすぎて逆にしっくりくるような気がしたのだ。
 ライトアップされた洋館は、ひとけがなければ山の上のホラーハウスみたいに恐ろしげだった。山道で迷ってこの屋敷を見つけても、助けを求めるのがためらわれそう。おそるおそる扉をノックすると、ギィーっという音と共にドアが開かれて、正装した執事が出てきそうだ。昔は当然ライトアップなどはないにしても、窓の明かりに闇夜にぼぉっと浮かび上がる洋館はかなり恐ろしい感じだったんじゃないだろうか。今でも周囲を鬱蒼とした木々に囲まれているから、かつてはもっと深い森の中のようなところだっただろう。黒い壁というのがちょっと雰囲気がありすぎる。窓に何か写っていたとしても私には見えてないので教えるのはやめてください。
ジョサイア・コンドル作品もけっこう見てきた。開東閣や三井倶楽部などは非公開だから見られないのが残念だ。三菱一号館が今東京の丸の内に復元工事をしてるそうなので、それを楽しみにしよう。鹿鳴館が残っていたらどんなによかったか。1940年(昭和15年)にどういういきさつで取り壊されることになったんだろう。 コンドルの作品は、重厚で威厳がある。ロシア文学の巨匠のようだ。遊びや良い意味での軽みはないけど、歳月に耐え得る風格がある。建築物というより作品と呼ぶにふさわしい。日本でいい弟子も育った。 洋館めぐりは今後も機会を見つけて続けていこうと思っている。旧赤坂離宮の迎賓館をぜひ見てみたいのだけど、普段は近づくことさえままらない。年に一度、応募して当たると内部を見学できるそうなのだけど、平成18年から20年まで改修工事が行われていてそれがない。なんとしてでも平成21年には当てなくては。撮影禁止というのは残念なところではあるのだけど。 新宿にある小笠原伯爵邸というのも行ってみたい。でも、レストランになっていてランチが7,000円というから畏れ多い。こりゃパスだな。旧東京音楽学校奏楽堂、旧前田侯爵邸洋館、鳩山会館など、まだ行けるところはいくつかある。順番に巡っていこう。
ところで、旧古河庭園の最寄り駅であるJR京浜東北線「上中里駅」は、浅見光彦の自宅がある駅だ。行ったときは気づかずに、旧古河庭園のことを調べているときに出てきて思い出した。そうか、あそこがそうだったんだと。しまったことをした。平塚神社も寄ったのに、何も思わず普通にお参りをしてしまった。気づいてれば、小説で何度も出てくる「平塚亭」で串団子を買ったのに。 今になって思い出して、なるほど浅見光彦ってのはああいう街で生まれ育ったという設定なんだと今さらながら思った。東京生まれで愛車ソアラを乗り回してるっていうからもっと都会的なイメージで読んでいた。でも実はそうじゃなかったんだ。西ヶ原というところは、23区の中ではもっとも都内らしくない風情の街だった。これからは内田康夫作品を読むときに少し読み方が変わりそうだ。 それにしても、東京は広くて深い。巡れば巡るほど、横にも縦にも興味の対象が広がっていく。行っても行っても行くところがなくならない懐の深さがあって、気持ちばかり焦って足がもつれて転びそうになる。よろめくように手を伸ばしながら、私の東京巡りは続いていくのだった。
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