 PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-50mm(f3.5-5.6 AL), f7.1 1/30s(絞り優先)
東京の公園はテレビや活字などでよく目にしたり耳にしたりしてちょっと知ってるような気でいるけど、よくよく考えてみると実はあんまり知らないことに気づく。東京観光といっても特に目的もなく東京の公園に行くという人は少ないだろう。たとえば都民以外で日比谷公園と代々木公園の区別がはっきりついている人がどれくらいいるだろう。私はどちらの公園もどこにあるのかさえよく分かっていなかった。 というわけで、5月の休日に二つまとめて行ってきた。同じ日に一気に行けばそれぞれの違いや特徴もはっきりするんじゃないかと思って。今日はまず日比谷公園から紹介しようと思う。皇居近くの千代田区にある方だ。 日比谷という地名は、かつてここが江戸湾の日比谷潟という入江だったところからつけられた。現在の地図を見るとちょっと信じられないけど、江戸時代まではこの先はすぐに江戸湾だった。江戸城も海に近い入江のほとりに築かれた城だったのだ。 幕末までは長州や佐賀藩などの大名屋敷が集まっていて、明治になると陸軍の練兵場として整備されて使われるようになった。明治20年代になるとここを官庁街にしようという計画が持ち上がった。しかし、埋め立て地ということで地盤が弱くてビル街には不向きと分かり、しょうがいないから公園にでもするかといって作られたのが日比谷公園だ。こうして明治36年(1903年)に、日本初のドイツ式洋風近代式公園として代々木公園は誕生したのだった。
総面積は、約16万平方メートル。樹木は全部で300種類近くが植えられているという。花壇には一年を通じて多くの花が咲き誇って公園を彩る。 公園の設計は、林学博士の本多静六。どんな公園にするのかさんざん議論が重ねられ(東京駅を設計した辰野金吾の案は蹴られている)、予定は変わり、最終的には洋式といいながら中途半端に和洋折衷の公園となった。それでも、明治の時代にこんな近代的な公園を日本人は見たことがなかった。開園後もこの公園を巡って、東京市議会などでも、どうして門がないんだとか、池に身投げされたらどうするんだとか、花を盗まれるぞとか、非難や文句が飛び交ったのだとか。本多静六にしても外国で買ってきた公園設計書を見ながら見よう見まねで設計してるから、これで本当によかったのかどうか確信が持てなかったかもしれない。それでも少しずつ日比谷公園は市民に受け入れられ、東京都のセントラルパークと呼ばれるまでになっていった。平成15年には開園100周年を記念して多くのイベントが行われた。
 公園内には大小二つの音楽堂がある。写真は小音楽堂の方だ。大正12年(1923年)に現在大音楽堂が建っているところに建てられのが、日本で最初の音楽堂だった。しかしこの年の関東大震災で倒壊。今ある場所に再築された。 こちらは無料のステージのみで、商業用のライブなどは行われていない。消防隊の音楽隊とか、かつては軍隊の楽隊などがここで演奏したそうだ。 この日も何か音楽イベントがあったようで、大きな太鼓などをセットしてドンドン叩いていた。
 大噴水の反対側に回った風景。ビル街や日比谷公会堂などが見えている。隣には都立日比谷図書館もある。この図書館も明治41(1908年)と歴史がある。 それにしても都心の一等地にこの広さの公園というのは贅沢だ。噴水のまわりだけでもこんなにも無駄な空間がある。東京という街は建物も人も道路も全部がギュッと凝縮してるようなイメージがあるけど、実際は土地自体が思っている以上に大きくてスペースに余裕がある。大都会東京は、ビルが高いというだけでなく横にも広くて大きいのだ。それが実感として分かるようになってきた。だから東京の人間はよく歩く。駅から駅へと、駅から目的地へと、田舎に住んでる人間よりよほど歩く。名古屋でいうと、栄から名駅までなんで名古屋人は絶対に歩かないけど、東京人はそれくらいの距離は平気で歩く。東京に住んでいると東京の広さに感覚が麻痺していくのだろう。名古屋人は家の3軒隣のコンビニへ行くのでも車で行く。
 芝生広場と、正面に見えている茶色いのが日比谷公会堂だ。芝生の左には第一花壇がある。 公会堂の完成は1929年(昭和4年)。かつてはオーケストラのコンサートなどが開かれていたけど、近年は専用のコンサートホールができて、ここではもっぱら講演会やイベントなどが行われている。 沢木耕太郎が『テロルの決算』で書いた浅沼稲次郎暗殺事件は、この日比谷公会堂で起こった。
 ここを表からだけでも見ておきたかった、日比谷野外音楽堂。いわゆる野音と呼ばれる大音楽堂で、あの日尾崎豊はライブ中に7メートルの高さの照明台から飛び降りて左足を骨折したのだった。1984年、デビューからまだ2年目。若かった。それでもスタッフに抱えられながら、「十七歳の地図」と「愛の消えた街」を歌いきった。同じ日に出演していた浜田省吾なんかはその姿を見てどう思ったんだろう。
 有楽門の方にあるのが心字池で、霞門近くにあって鶴の噴水があるのが写真の雲形池だ。どちらもその形から名づけられている。 鶴の噴水は東京美術学校の製作で(明治38年)、日本で三番目に古い噴水だそうだ(一番古いのが長崎の諏訪神社で、二番目が大阪の箕面公園)。翼を広げて、クチバシから水を吹きだしている。元々鉄製だった土台は戦時中に徴収されて現在はコンクリート製になっている。こんな土台まで持っていかないと武器弾薬が作れないようでは勝ち目がない。全国の学校にあった二宮金次郎蔵もみんな持っていかれた。お寺の鐘さえも。 心字池の方には小さな亀の噴水がある。このあたりは洋式公園とは思えないような和風テイストだ。 これ以外の施設としては、大正9年(1920年)に初めて公園の中に作られたテニスコートや、この前紹介した老舗洋食レストラン松本楼、児童遊園などがある。1910年(明治43年)に建てられたバンガロー風の建物は公園事務所となっていて、ここで結婚式を挙げることができるようになっている。鋳鉄製でできた古い水飲みは、かつて馬に水を飲ませるために作られたものだそうだ。 平日は勤め人たちの憩いの場となり、週末は露天が出たりコンサートが開かれたりして観光客で賑わう。
 明治45年に尾崎東京市長がワシントンのポトマック河畔に桜の木を贈った。そのお礼として大正4年に贈られてきたのがここに植わっているハナミズキの木だった。ハナミズキはアメリカ原産で、アメリカの国花でもある。 花は4月から5月のはじめにかけてなので、残念ながら終わっていた。
日比谷公園というのは地図で見て、中と周囲を歩いてみて、あらためてすごいロケーションのところにあるもんだと感心する。皇居の堀とは道一本隔てた向かいで、すぐ近くに桜田門があり、西へ行けば国会議事堂と霞ヶ関、北は丸の内で、東は銀座有楽町、南は新橋のオフィス街と、一等地の中心にぽっかり空いた穴のような公園だ。正門から道一本渡れば帝国ホテル、宝塚劇場、日生劇場、帝国劇場、映画館街があり、かつてGHQの本部だった第一生命ビルもある。ある意味では、日本一贅沢な場所にある公園と言ってもいいかもしれない。これも東京の余裕だろうか。 特にすごく面白いものがあるというわけではない日比谷公園だけど、逆にこの場所にこの何もなさを味わいに行く場所なのだろう。都会の真ん中でぼぉーっとしていても不自然じゃない場所というのは貴重だ。平日の午後のけだるい感じがよさそうだ。東京もまだまだ平和だなと思えるに違いない。
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