現身日和【うつせみびより】
この世界にはたくさんの美しいものや面白いものがあることを知るための毎日であれば、それは楽しくて幸せなこと。
日枝神社で山の神様と猿のまさるさんが東京の街を守ってくれている
2007年06月28日 (木) | 編集 |
日枝神社-1

PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f6.3 1/80s(絞り優先)



 赤坂にある日枝神社(ひえじんじゃ)に行きたいと思っていて、念願叶って行くことができたので、今日はそのことを書いてみたい。
 創建は鎌倉時代の初期に、秩父重継が江戸氏を名乗るようになって、山王社を自分の屋敷に勧請したのがはじまりとされている。更に太田道灌が江戸城を築城した際(1478年)に、川越山王社からも勧請して江戸城内へと移した。
 その後、徳川家康が江戸城に入ったとき、城内の紅葉山に移動させて江戸の鎮守とした。ここから日枝神社の繁栄が始まる。
 2大将軍秀忠が江戸城を改築したときに城外の麹町隼町に移される。おかげで江戸の庶民も拝むことができるようになった。
 1657年、明暦の大火で社殿が焼失したのをきっかけに、4代将軍家綱が現在の赤坂の地に遷座させた。ここは江戸城から見て裏鬼門に当たる位置で、表鬼門の神田明神と上野寛永寺と共に江戸城の守護として重要な役割を担うことになる。
 明治元年(1868年)に江戸から東京となった際、皇城(今の皇居)鎮護の神社となり、格付けも上がった。その後の天皇家ともゆかりが深い。社殿は国宝にもなったものの、昭和20年、東京大空襲によって消失してしまう。残念。現在の社殿は昭和33年に再建されたものだ。

 祭神は、あまり聞き覚えのない大山咋神(おほやまくひのかみ/おおやまくいのかみ)という神様だ。比叡山延暦寺と関係が深い。日枝(ひえ)神社というのは明治になってからの名前で、これは比叡山(ひえいざん)のもじりだ。大山咋神というのはもともと山の神様で、最澄が比叡山に延暦寺を創建したときにそのまま寺の鎮護神とした。「咋」は「主」という意味だから、文字通り大きい山の主ということになる。古事記の中では、大山咋神は須佐之男神(すさのおのかみ)の子供御子大年神(おおとしのかみ)の子供ということになっている。
 しかしどうして江戸に関西から山の神様を呼んでこなければいけなかったのだろう。謎だ。江戸城の守り神に山の神を招いた太田道灌の意図がちょっとよく分からない。
 江戸時代までは山王権現と呼ばれていた。これは比叡山の登山口にある日吉神社(ひよしじんじゃ)を天台宗風に呼んだ名前で、日吉権現ともいう。日枝神社も、江戸山王大権現だとか、山王さんなどと呼ばれて親しまれてきた。今でも日枝神社というよりも山王権現の方が通りがいいかもしれない。
 目印は、山の形をかたどった鳥居だ。山王さんだけに上に山が乗っている。
 こんなちょっとシャレの利いた日枝神社だけど、格式は高い。皇居の守り神でもあり、東京の街を守る鎮守さんでもある。首相官邸や国会議事堂から近いこともあって、議員なども参拝に訪れるようだ。格が高いから、下世話なお願い事をしてはいけないともいわれる。ここでは、今年こそ恋人ができますようにだとか、宝くじに当たりますようになんていうお願いはしない方がいい。山の神様だから全然関係ないし、せっかく参拝にいって神様の機嫌を損ねたらかえって損してしまう。
 御利益としては、厄除け、縁結び、商売繁盛などとなっているようだ。社員総出で初詣に訪れる会社も多いという。

日枝神社-2

 ここの神社はエスカレーターで参道を登っていくという世にも珍しいスタイルとなっている。これはびっくり。他にはちょっと聞いたことがない。たぶん、ここだけなんじゃないか。登っていくには石段が多くて大変なのは大変だけど、神社にエスカレーターはどうなんだと思う。お年寄りのためという名目だけど、実は国会議員の力が働いたような気がしないでもない。先生に長い石段を登らせるなんて以ての外とかなんとか誰かが言い出したのかもしれない。なんていいながら、私もせっかくなのでエスカレーターを使って登ってみた。そんなに年食ってないし先生でもないのに罰当たり。
 ただし、こちらは正式な参道ではない。幹線道路に面しているからあとから作った参道だろう。本来は山王鳥居の方から登るべきだ。帰りはそちらから下りていったけど。

日枝神社-3

 再建した社殿はコンクリート製でちょっと軽い感じがするものの、外観は家綱が建てた権現造りをかなり再現しているんじゃないだろうか。なかなか絢爛。これは悪くない。
 ちょうど結婚式がおこなわれていて、それをよけるようにしてお参りした。願い事はせず、やって来ましたよという挨拶だけにとどめる。ここがあの山王さんかぁという感慨を抱きつつ。

日枝神社-4

 本来、狛犬がいるべき場所にお猿さんがいる。名前を「まさるさん」という。いや、冗談じゃなくホントに。比叡山の大山咋神の使いは猿とされていて、神猿と呼ばれている。そこから魔が去るでまさるさんとなった。お守りとして「まさる守土鈴」も売られているそうだ。
 左右は夫婦の猿で、向かって左が女猿で、腕に赤ちゃん猿を抱いている。夫婦円満、子孫繁栄の御利益というのはここから来ているようだ。
 日吉で猿といえば、幼名日吉丸こと豊臣秀吉が思い出される。秀吉の母が日吉神社にお願いしたことで子供を授かったので、名前を日吉丸としたのだった。織田信長が秀吉のことを猿と呼んでいたのは、単に見た目や行動が猿っぽかったというだけではなくて、日吉神社の使いである猿と両方を掛けていたんじゃないだろうか。つまり、自分を神に見立てて、オレ様の家来の猿というわけだ。

日枝神社-6

 日枝神社のことを最近ニュースで目にした人はけっこういるかもしれない。ガッキーこと新垣結衣と舘ひろしが新ドラマ「パパとムスメの7日間」のヒット祈願をしたというのがあったし、その前に寺島しのぶがフランスと結婚式を挙げたのもここだった。実は両親の尾上菊五郎と富司純子が結婚式をしたのも日枝神社だったんだそうだ。結婚ということでは、江原啓之もここで式を挙げている。やはり相当スピリチュアルな神社ということか。

 山王さんといえばもうひとつ忘れてはならないのが、天下祭りとして知られる「神幸祭(じんこうさい」だ。徳川家光以来、歴代将軍が見学した祭りとして、神田明神と毎年交互に行われきた。将軍家から庶民まで江戸中をあげたお祭りとして現在まで続いている。今年は神田祭が表で山王祭りは裏となったものの、お祭り自体はあった。江戸時代は江戸三大祭りの筆頭であり、京都の祇園、大阪の天満まつりと共に日本三大祭りとされている(現在はいろんな三大祭りがあるけど)。
 豪華な山車がかつては江戸の町から江戸城まで、現在は東京の中心地を練り歩く。その他、古式ゆかしい衣装に身を包んだ行列などもあり、華やかで荘厳なお祭りとなっている。一般公募で選ばれた素人が信長、秀吉、家康の郷土三英傑に扮して名古屋市内を馬に乗って行進するちょっと笑える名古屋まつりとはずいぶん違う。

日枝神社-7

 こちらが正式な参道を登った先の入口にある神門だ。ここも左右に神猿がいる。
 かかっている額には「皇城之鎮」と彫られている。
 境内には拝殿の他、祈願所やお稲荷さんがある。稲荷さんの方には行かなかったけど、これは戦災を逃れたものらしいから、見ておけばよかったと帰ってきてから思った。

 日枝神社へ行くにはどの駅から行けばいいのか、判断に迷う。一番近いのは溜池山王駅なんだろうけど、地上に出てからちょっと分かりづらくて工事現場の人に訊いてしまった。案内標識や地図も見当たらなかった。帰りも神社の関係者らしき人に一番近い駅を訊ねて教えてもらったのだけど、よく分からなかった。国会議事堂前駅でもいいだろうし、赤坂見附駅という手もある。赤坂見附から外堀通り沿いを歩けばエスカレーターの参道に出るから、それが一番分かりやすいかもしれない。
 境内の空気感としては特別濃密とは思わなかったけど、由緒を考えると一度は挨拶に伺って損はない。東京に住んでいる人は特に。エスカレーター体験も面白い。
 これで神田神社、根津神社、日枝神社と、東京十社のうち3社回った。残りは、氷川神社、王子神社、亀戸天神社、品川神社、芝大神宮、富岡八幡宮、白山神社の7社だ。こうなったら全部回ろう。表鬼門の上野寛永寺もまだ行ってないから、そちらも行かなければ。
 そんなわけで、日枝神社はおすすめです。お願い事を持たずに、まさるさんに会いに行ってみてください。




プロフィール

オオタ(マサユキ)

Author:オオタ(マサユキ)
ブログランキング・バナー(FC2)
ブログランキングに参加してます
Dry&Wet(ホーム)



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する