現身日和【うつせみびより】
この世界にはたくさんの美しいものや面白いものがあることを知るための毎日であれば、それは楽しくて幸せなこと。
東京観光にぜひ組み入れたい水上バス隅田川下りの旅
2007年07月14日 (土) | 編集 |
隅田川下り-1

PENTAX istDS+smc PENTAX-DA 18-55mm(f3.5-5.6 AL), f10 1/640s(絞り優先)



 春のうららの隅田川〜、のぼりくだりのふなびとが〜。
 春というには遅すぎるけれど、隅田川へとやってまいりました。初夏の東京で私たちは船上の人となったのである。隅田川の川下り。なんて風流な響き。ちょっと小金持ちっぽい。けれど我々が乗るのは屋形船などという典雅な乗り物ではない。水上バスだ。読んで字の如く、水の上のバス。優雅も何もあったものではない。一区間200円という値段設定からして庶民のための足代わりということが分かる。けれど、これはかなり楽しみだった。普段船など乗る機会はまったくないし、そもそも最後に船というものに乗ったのがいつだったのか覚えてないくらいだ。子供時代にさかのぼらないと記憶がない。
 昭和の一時期、隅田川は壊滅的に汚れた川となっていたという。それではいけないと努力して、ここ20年、30年でずいぶんきれいな川に戻ってきた。きれいな川なら船にも乗ってみようかと思うのが人情だ。最近ではルートも増えて、隅田川の川下りは東京の観光名所の一つとして認識されるようになっている。人は水に惹かれるものだし、船という非日常の乗り物は心浮き立たせてくれるものがある。
 現在、隅田川では「東京水辺ライン」と「東京都観光汽船」という2社が水上バスを運営している。コースやルートがたくさんあってややこしいのだけど、それだけ行ける場所がたくさんあるということは嬉しいことだ。不定期便などもあって、時間もいろいろなので、あらかじめ調べていった方が無難だ。行き当たりばったりで行けばなんとかなるだろうと思っていると、すごく待つことになりかねない。
 最も一般的なのが浅草から乗るコースだろう。浅草観光へ行ったあと、川下りもしていくのは効率がいい。私たちはその前に浅草の北にある今戸神社へ行ったので、そこから近い桜橋から乗船することにした。時間直前まで誰も発着所にいなくてホントに来るのかいなと心配したけど、ほどなくして水上バスは上流からやって来た。
 東京水辺ラインの「さくら号」、定員200名の船だ。当然のことながら、待っていた人はほぼ全員写真撮りまくりで、観光客だということが知れる。東京に住んでる人はあまり水上バスは利用しないか。
 水上船自体は、明治18年から運行してるというから歴史がある。当時は今のように橋が多くなかったから、渡し船としての役割もあった。明治時代は船賃が1銭だったことから一銭蒸気と呼ばれて親しまれていたそうだ。
 さあ、船に乗って隅田川を下ろう。

隅田川下り-2

 船内には当然シートがあって、のんびり坐って川下りを楽しむことができる。けれど私たちは2階の外デッキを選んだ。やっぱり川下りは川風に吹かれながら景色を楽しみたい。写真を撮るにもガラス越しじゃない方がいい。
 隅田川下りの楽しみはなんといっても次々に現れる橋をくぐっていくことだ。それぞれの橋にはいろいろなドラマやエピソードがあって、そのあたりの説明がスピーカーから流れてくる。単なる交通手段としての水上バスじゃないのが嬉しい。観光気分も盛り上がる。
 桜橋から出発すると最初に登場するのが言問橋(ことといばし)だ。在原業平が「名にし負はば いざこと問はむ都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」と歌ったのにちなんだ場所にあるのがこの橋だ(いろいろ諸説はあるようだけど)。今は夏だから、在原業平が見たユリカモメは飛んでいない。言問団子もこの地で生まれた。
 言問橋の前には白鬚橋と水神大橋があって、その先が江戸時代、徳川家康によって架けた最初の橋である千住大橋だ。長らく隅田川の橋はこの一本だけしか架かっていなかった。両国橋が架けられのは66年後のことだ。
 橋以外にも高速道路や電車の鉄橋なども何本か走っていて、上の写真では東武伊勢崎線が見えている。

隅田川下り-3

 赤い吾妻橋(あずまばし)を超えると、有名なアサヒビールのオブジェが見える。ユニークといえばユニークだし、悪ふざけといえばそうも思えるこの光景。下から見るとその斬新さが更に際立つ。隅田川沿いの両岸はやや変化に乏しい風景が続くけど、ここは賑やかで楽しい。
 吾妻橋は江戸時代に架けた5つの橋(千住大橋、両国橋、永代橋、新大橋、吾妻橋)の中で最後に架けられたもので、これは幕府ではなく個人が造った橋だった。町人の伊右衛門と下谷竜泉寺の源八が5年がかりで完成させて、武士以外からは通行料を取っていたんだとか。
 隅田川最後の木の橋だったものが、明治18年の大洪水のとき、上流から流されてきた千住大橋の橋桁が橋脚激突して、もろとも流されてしまった。2年後に、今度は隅田川最初の鉄橋として架け替えられた。現在の橋は、関東大震災で傷んだものを昭和6年に架け直したものだ。

隅田川下り-4

 橋によってはかなり低くて、船外デッキに立っていると手が届きそうだ。実際には届かないけど、ちょっと緊張感があって面白い。
 橋は次々にやって来るので油断していられない。レッドの吾妻橋に続いては、ブルーの駒形橋、グリーンの厩橋(うまやばし)、そしてイエローの蔵前橋と色物が続く。橋の展覧会といわれるのもなるほどと思わせる。
 駒形橋は、橋の西にある「駒形堂」から名づけられた橋で、関東大震災後の復興事業の一つとして架けられた。かつては駒形の渡しがあったところで、駒形どぜうが有名だ。
 厩橋は、明治になって最初に民間によって架けられた橋だった。江戸時代には幕府の厩舎が西岸にあったことからこの名がついた。ここも渡しがあったところで、御厩(おんまい)の渡しと呼ばれていた。
 蔵前橋も、幕府の米蔵があったところからきている。昔は蔵前国技館というのがあって大相撲も行われていた(昭和59年まで)。

隅田川下り-5

 最初の発着所である両国に到着。ここまで約15分で200円。乗り降りのためにしばらく待ち時間がある。このへんがバスや電車と違ってのんびりしたところだ。
 川を進んでいるといろいろな船に出会う。前から何やら派手な船がやって来た。ちょっとヨーロッパ調の感じだ。船体の横には「ドッグクルーズ」と書いてある。どうやら犬と一緒に乗れる船のようだ。乗り物が好きな犬もいるから、喜ぶやつもいるだろう。犬の飼い主ではない私としては、犬と一緒に船に乗ってどうなるんだろうと考えたりしつつ、猫だったらこの企画は絶対成り立たないと思う。
 お台場の方からのクルージングで、大人1,000円プラス犬600円だそうだ。高いんだか安いんだかよく分からない。
 見えている鉄橋は総武線で、すぐ左には両国駅や両国国技館がある。

隅田川下り-6

 両国から先は海が近づいて橋の間隔も長くなる。江戸時代は大橋と呼ばれた両国橋、江戸時代三番目に架けられた新大橋、そして、写真の清洲橋。
 両国橋は、西の武蔵国と東の下総国の二つの国をつないだことから両国橋と呼ばれるようになって、新大橋ができてからは両国橋が正式名称となった。葛飾北斎の冨嶽三十六景にも描かれている。
 これができる以前は千住大橋しかなくて、大火事のとき逃げられずに命を落とした人が多数出たことから架けられた。そしてなんといっても両国橋といえば花火だ。飢饉やコレラの大流行で大勢の死者が出てことから、慰霊と悪霊退散を願って花火を上げたことが隅田川の花火の始まりとされている。両国橋より上流を「玉屋」、下流を「鍵屋」が担当して、それぞれの花火を競った。「たまや〜」、「かぎや〜」というかけ声は、それぞれの花火師をひいきする見物客の声援だった。どうして玉屋だけが残ったかというのは説明すると長くなるので省略。隅田川の花火を見に行くことがあれば、そのときにあらためて書きたい。
 新大橋は、歌川広重が名所江戸百景の中で描いた「大はしあたけの夕立」としても有名だ。永谷園のお茶漬けのカードを集めていた人なら見覚えがあるはず。ゴッホもこの絵が好きで真似して描いた。
 江戸から明治にかけて20回以上も架け替えられたこの橋は、関東大震災のとき唯一無事に残って、第二次大戦にも耐えた。そのとき多くの人の命を救ったことから人助け橋と呼ばれたそうだ。現在のものは昭和52年に架け替えられたもので、古い橋の一部が愛知県の明治村に移築展示されている。
 清洲橋は「男女七人夏物語」の舞台となった橋だ。あの頃はさんまも大竹しのぶも私たちも若かった。隅田川でこの橋が最も美しいと言う人も多い。青色のカラーリングと吊り橋のシルエットは確かにきれいだ。ドイツのライン川に架かるビンデンブルグ橋をモデルにしたといわれている。関東大震災後の昭和3年に架けられた。夜のライトアップも美しい。

隅田川下り-7

 私たちの目的地である越中島が近づいてきた。その前に見えるのが永代橋とリバーシティー21だ。なんだあれは、とちょっとたじろいでしまうような光景が目の前に広がる。現実感の希薄な未来予想図がそのまま出現したみたいな変な感じだ。他の惑星に降り立ってしまったような錯覚さえ覚える。
 石川島播磨重工業の工場が移転したのに伴い、再開発事業として大がかりな超高層マンション群を出現させた。すぐ隣は昔ながらの街である佃島で、その先がもんじゃでお馴染みの月島だ。このロケーションでこの景観はすごい。
 永代橋は、5代将軍徳川綱吉の50歳を祝って架けられた橋で(1698年)、徳川家が代々続くようにと願ってつけられたという。当時は隅田川の最も下流に位置する橋で、この先はもう海だった。
 1807年、深川富岡八幡宮の12年ぶりの祭礼日に押し寄せた客で橋が重みに耐えられずに落ちて、1,500人を超える死者を出した。大田南畝の狂歌に「永代と かけたる橋は 落ちにけり きょうは祭礼 あすは葬礼」というのがある。
 明治の終わりには橋の上を路面電車が走っていたそうだ。
 現在の橋は、、ドイツのライン川に架かるルーデンドルフ鉄道橋をモデルとして大正15年に架けられた。
 川はここで二手に分かれ、左が越中島と晴海運河、右へ行くと隅田川が続き、中央大橋、佃大橋とあって、最後は勝鬨橋(かちどきばし)で終わりとなる。その先には浜離宮があり、レインボーブリッジ、お台場、もっと先には葛西臨海がある。

隅田川下り-8

 越中島で降りたのは私たちだけだった。ここは人気薄のスポットらしい。桜橋から待ち時間を入れて約40分。船賃は500円。充分楽しんで満足した。
 ここから佃島の方に渡って散策をしたのだけど、それはまた別の話。船の旅はここまで。船酔いもなく、快適な水上バスの川下りだった。

隅田川下り-9

 降りた後、すごい近未来的な船が走っていった。なんだありゃとそのときは分からず、帰ってきて調べたところ、松本零士プロデュースの「ヒミコ」という船だそうだ。船内放送には「999」の車掌さんも登場するんだとか。浅草-お台場間で1,360円と、少し高い。もしメーテルが乗っているならぜひ私も乗りたい。

 隅田川下りの水上バスは、とってもオススメしたい。何か特別なことがあるとか、エキサイティングとかではないのに、妙にうきうきして楽しいのだ。川を船でいくという経験はめったにできないし、川から見る東京というのもまた新鮮だ。値段も安いし、交通手段としても、一区画を観光気分で乗るだけで楽しめる。夜の便もあるから、夜景もまたとびきりきれいだろう。
 私もこれで船の楽しさに目覚めた。また違うルートで乗ってみたい。お台場で遊んで、帰りは水上バスでゆっくり帰ってくるというのもよさそうだ。ツレにメーテルの扮装をしてもらってヒミコ号に乗ってみるというのもありだろうか。私は哲郎で。そんな二人組を見かけたら、自由に写真を撮ってください。




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